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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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投影法でも偽りからは逃れられない

 司法現場で査定される人々は,質問紙検査に偽りの答えをしたり,判定にとって重要なことを答えなかったりすることが時々ある。しかしこの問題はロールシャッハテストでも解消されることはない。このような場合のよりよい解決法は,経歴データや観察データを集めることである。
 たとえば,ある人が情報を隠しているのではないかと疑われる場合には,心理学者はその人を長い間にわたって知っている別の信頼できる人に平行して面接を行なうことができる。査定される人について,職歴,学歴,重要な関係,犯罪行為,心理的既往症などを含む,十分な個人データを集めることも有効な方法である。また,査定される人から得られた情報は,事例記録やその他の資料からの独立のデータで補完することもできる。
 要するに,司法場面で虚偽が疑われる場合に,査定者がロールシャッハテストの疑わしいエックス線パワーにたよることは賢明なやり方ではない。そのようなやり方ではなく,心理学者と弁護士によって役に立つことが以前から認められてきた,より信頼できる情報源を求めるべきである。

J.M.ウッド,M.T.ネゾースキ,S.O.リリエンフェルド,H.N.ガーブ 宮崎謙一(訳) (2006). ロールシャッハテストはまちがっている—科学からの異議— 北大路書房 p.244-245.
(Wood, J. M., Nezworski, M. T., Lilienfeld, S. O., & Garb, H. N. (2003). What’s Wrong with the Rorschach?: Science Confronts the Controversial Inkblot Test. New York: John Wiley & Sons.)
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アメリカの移民政策

 人間の行いとして,全体的な問題の責任をごく少数の人間に負わせようとするほど,問題を馬鹿馬鹿しく単純化したり,間違った方向へ導くものはなく,その思慮の足りなさが害をもたらす可能性も高い。にもかかわらず最近は,こと移民に関する限り,それが当然のこととしてまかり通っているのである。2年前,カリフォルニアでは,圧倒的多数で議案187が可決された。違法な移民に対する医療と教育の提供を拒否するという法案である。議案が可決されるや,州知事のピーター・ウィルソンは州の保険局に,合法的居住が証明できない妊娠女性に関しては診療を行なわないようにという通達を出した。私が間違っていたら,是非言っていただきたいが,親の行いのせいで,出生前の赤ん坊の命を危険にさらすというのは,少々残酷----野蛮と言ってもいいかもしれない----ではないだろうか?
 同じくらい驚いたことに,最近政府は合法的な移民からも基本的な権利や資格を剥奪しようとし始めた。つまり,移民に対してこう言っているというわけだ。「長年我が国の経済のために尽力してくれてありがとう。しかし,このところ,ちょっといろいろとうまく行かなくてあんたたちを援助できなくなった。それになんといっても,あんたたちは発音が変だしね」


ビル・ブライソン 高橋佳奈子(訳) (2002). ドーナッツをくれる郵便局と消えゆくダイナー 朝日新聞社 Pp.145-146

ごまかしを見つけることができるか

 また,ジョーンズ・ホプキンス大学のデヴィッド・シュレトレン(Schretlen, D.)が最近の包括的な文献レビューの中で指摘したように,ロールシャッハテストが偽りの精神障害に対して弱いことは,半世紀近くも前から知られていたことである。「1950年代と60年代にいくつかの研究で,ロールシャッハテストが偽りに対して弱いという証拠が報告されていたにもかかわらず,一部のロールシャッハテスト推進者は,このテストと他の投影法検査はごまかしがきかないといまだに主張している。最近の知見によれば,このような議論はほとんど擁護することができないものになっている。明らかにされるべきなのは,人々がロールシャッハテストの結果をごまかすことができるかどうかではなく,このようなごまかしを見つけることができるかどうかである」。
 たとえば数多くの研究が,ロールシャッハテストでは統合失調症を偽ることができるということを見いだしている。

J.M.ウッド,M.T.ネゾースキ,S.O.リリエンフェルド,H.N.ガーブ 宮崎謙一(訳) (2006). ロールシャッハテストはまちがっている—科学からの異議— 北大路書房 p.244.
(Wood, J. M., Nezworski, M. T., Lilienfeld, S. O., & Garb, H. N. (2003). What’s Wrong with the Rorschach?: Science Confronts the Controversial Inkblot Test. New York: John Wiley & Sons.)

これは無駄を省くことになるのだろうか

 しかし,アメリカの無能さがどこか特殊なのは,以上に無駄を省こうとする姿勢のせいだ。とくに官僚組織において,目を丸くするような時短主義がはびこっている。国税庁の例を見てほしい。
 毎年,税金のうち推定1千億ドルが,申告もされないままで終わってしまう。他国の中には,国内総生産の金額がそれ以下という国も少なくないはずだ。1995年,実験的な試みとして,連邦議会は国税庁に追加で1億ドルを投じ,そうした未納の税金を回収させようとした。それによって年度末までに回収できた金額は8億ドル。未納金の推定金額からするとごく一部にすぎないが,国にとっては,追加徴収にかかった経費1ドルにつき,8ドルの増収となったわけだ。
 国税局が自信をもって予測したところによれば,その試みをさらに延長して行えば,翌年には未納税金のうち,少なくとも120億ドルを国が徴収できることになり,年を追うごとにその金額は増えて行くだろうということだった。しかし,連邦議会はそのプログラムを延長する代わりに,聞いて驚くなかれ,赤字削減プログラムの一端として中止してしまったのである。私が何を言いたいか,少しはおわかりいただけたのではないだろうか?


ビル・ブライソン 高橋佳奈子(訳) (2002). ドーナッツをくれる郵便局と消えゆくダイナー 朝日新聞社 Pp.133-134

子どもへの悪影響

 包括システムはしばしばまちがった結果を生じるので,それを用いると子どもの生活にとってきわめて悪い結果をもたらす可能性がある。心理学者が,異常ありというテスト結果を無批判に正しいものとして受け入れてしまうと,事態は最悪である。もしこのまちがった情報が親や教師,医師に伝えられると,健康であるか,または大したことではない心理的問題を抱えているだけの子どもが,深刻な障害をもっているとみなされてしまうことになるかもしれない。場合によっては,この誤った情報のために,子どもに向精神治療薬や,他の不適切な介入が行なわれることになるかもしれない。
 たとえこのテスト結果が正しくないことが認識される場合でも,有害な結果になってしまう可能性がある。最近ある心理学者がインターネット・リストに,包括システムによってきわめて異常であるとまちがって判定された少年をめぐる彼の経験を詳しく述べている。この心理学者は賢明にもこのテスト結果を軽視した。しかし「不幸なことに,あるソーシャルワーカーが[ロールシャッハテストの]印刷出力を手に入れて,この少年が統合失調症であるという問題をもち出してしまった。まったくひどいことになったものだ」。

J.M.ウッド,M.T.ネゾースキ,S.O.リリエンフェルド,H.N.ガーブ 宮崎謙一(訳) (2006). ロールシャッハテストはまちがっている—科学からの異議— 北大路書房 p.242
(Wood, J. M., Nezworski, M. T., Lilienfeld, S. O., & Garb, H. N. (2003). What’s Wrong with the Rorschach?: Science Confronts the Controversial Inkblot Test. New York: John Wiley & Sons.)

危険の確率

 同じように統計的に筋が通らないのが銃の問題だ。アメリカ人の40パーセントが自宅に銃を保有しているという。たいていはベッド・サイドの引き出しに。その銃が犯罪者に向けて発砲される確率は,子供がいたずらでというのがほとんどだが,少なくともその20倍に達する。それでも,1億人以上の人々がそんな事実を断固として無視しているのである。そのことについてとやかく言い過ぎると,たまにその銃をこちらへ向けられる危険もあるほどだ。
 しかし,人々の危険に対する非倫理性が何より明確にわかるのは,近年活発な議論を呼んでいる問題,間接喫煙である。4年前,環境保護局は35歳以上で煙草を吸わない人でも,常時他人の喫煙にさらされていれば,1年以内に肺癌にかかる可能性が3万分の1あるという報告書を発表した。それに対して人々は,まるで感電したかのように素早く反応した。全国的に,職場やレストラン,ショッピング・モール,その他の公共施設での喫煙が禁止されることになったのである。
 ここで見落とされているのは,間接喫煙の危険性はじっさいにはきわめて小さいということだ。3万分の1の確率というのはかなり深刻に聞こえるが,じつはそれほどでもないのである。週に1度ポーク・チョップを食べ続ける方が,日々喫煙者に囲まれて過ごすよりも統計的にはよっぽど癌になる確率が高い。7日に1回人参を食べるとか,1ヵ月に2度オレンジ・ジュースを飲むとか,2年に1度レタスを丸ごと1個食べるというのもそうだ。間接喫煙よりも,ペットにインコを飼っている方が,肺癌にかかる確率は5倍も高い。


ビル・ブライソン 高橋佳奈子(訳) (2002). ドーナッツをくれる郵便局と消えゆくダイナー 朝日新聞社 Pp.119-120

ロールシャッハテストの中で妥当性がある指標は

 これらからわかるように,包括システムの妥当性は以前のロールシャッハ法とそれほど大きく異なるものではない。妥当な包括システム変数は大きく2種類に分けられる。第1は知能とそこそこの関連があるいくつかのスコアである。高い知能をもつ人々は,ロールシャッハテストに対してより多くの反応(R)をする傾向があり,彼らの反応はより複雑で(Blends/R, Lambda)よくまとまっていて(DQ+, Zf, W),図版の形によく合っていることが多い(F+%, X+%, X-%)。また高い知能の人々は,図版に対して人間の姿(人間反応),特に運動を含む姿(M)を答える傾向がある。これらの結論は,古いロールシャッハ法を用いた1950年代の研究で報告されているものと似ている。
 第2は,統合失調症,精神障害,思考異常などと関連がある,形態水準の指標(X-%,X+%,F+%)と病理的言語反応(WSum6)である。第6章で述べたように,1950年代の研究では,低い形態水準と病理的言語反応が統合失調症と関連することが確かめられている。最近の研究では,病理的言語反応が,双極性障害(以前は躁うつ病とよばれていた)と,おそらく分裂性人格障害や境界性人格障害(思考障害を含むことがある障害)とも関連することが示唆されている。

J.M.ウッド,M.T.ネゾースキ,S.O.リリエンフェルド,H.N.ガーブ 宮崎謙一(訳) (2006). ロールシャッハテストはまちがっている—科学からの異議— 北大路書房 p.221
(Wood, J. M., Nezworski, M. T., Lilienfeld, S. O., & Garb, H. N. (2003). What’s Wrong with the Rorschach?: Science Confronts the Controversial Inkblot Test. New York: John Wiley & Sons.)

アメリカの馴れ馴れしさ

 アメリカ人があまりにざっくばらんで馴れ馴れしいことに,たまに苛立つことはある。たとえば今でも,ウェイターに「今晩,このテーブルを担当するボブです」と名乗られると,こう言ってやりたくなる衝動と闘わなければならない。「私はチーズバーガーが食べたいだけでね,ボブ。別に友だちになってくれなくて結構だ」しかし,たいていの場合,それにも慣れて悪くないと思うようになった。なぜならば,それはたぶんもっと根本的な何かを象徴しているからだ。
 そう,そこにあるのはへつらいではない。ただ,人間に優劣はないという思想が真に社会全体に行きわたっているのである。何ともすばらしいことではないか。ゴミの収集人も私のことをビルと呼べば,医者も私をビルと呼ぶ。子どもたちの学校の校長も私をビルと呼ぶ。べつに向こうも私もへつらっているわけではない。そう呼ぶものだから呼んでいるだけなのだ。
 イギリスでは10年以上にわたって同じ会計士に仕事を依頼していた。その会計士とは親しくはあったが,あくまで事務的な関係だった。会計士は私をブライソンさんとしか呼んだことはなく,私のほうも彼女をクレスウィックさんという以外の呼び方で呼んだことはなかった。アメリカに戻ってきて,私は電話で会計士と会う手はずを整えた。そして,そのオフィスを訪ねたときに会計士が発した第一声は,「ああ,ビル,いらっしゃい」だった。我々はすでに友人同士というわけだ。今では会計士を訪ねると,彼の子どもたちのことを訊くようになっている。


ビル・ブライソン 高橋佳奈子(訳) (2002). ドーナッツをくれる郵便局と消えゆくダイナー 朝日新聞社 Pp.103-104

ロールシャッハテストの過剰病理化の例

 皮肉なことに,エクスナーの本には,包括システムの過剰病理化のおそらくもっとも顕著な例が載っている。ロングアイランド大学のビアトリス・ミットマン(Mittman, B.)は,1980年代初めにエクスナーの指導のもとで研究を行ない,ロールシャッハ・プロトコルを,ロールシャッハ・ワークショップに参加したことがある90人に送った。これらの心理学者たちはプロトコルを,「正常」を含むいくつかの診断カテゴリーに分類するように求められた。プロトコルのほとんどは精神病患者のものだったが,いくらかの非患者の大人のものも含まれていた。
 ミットマンが得たのは困った結果だった。全体的に,包括システムを用いた心理学者たちは,明らかに正常と思われる人々の75%以上を精神病者と診断したのである。もっとも多く与えられたまちがった診断はうつ病,その他の情緒障害,人格障害などであった。たとえば心理学者たちは,非患者のプロトコルの12%を「主要情緒障害」に,23%を「反応性うつ病」,43%を「人格障害」に分類した。これらの結果は,心理学者が明らかにロールシャッハテストを用いると異常を過大に評価する傾向があることを最初に明らかにした1950年代の研究を思い起こさせる。

J.M.ウッド,M.T.ネゾースキ,S.O.リリエンフェルド,H.N.ガーブ 宮崎謙一(訳) (2006). ロールシャッハテストはまちがっている—科学からの異議— 北大路書房 pp.210-211
(Wood, J. M., Nezworski, M. T., Lilienfeld, S. O., & Garb, H. N. (2003). What’s Wrong with the Rorschach?: Science Confronts the Controversial Inkblot Test. New York: John Wiley & Sons.)

エリク・エリクソンは212人

 何年か前,ストックホルムを訪ねた際,何もすることがない晩があって(すでに午後8時を過ぎており,地元の人はみなずっと前に床に就いていた),寝る前の数時間,その地域の電話帳をめくり,そこに記された名前を拾い上げて過ごしたことがあった。以前,スウェーデンにはほんの一握りの姓しかないと聞いたことがあったが,大雑把に言えばその通りだった。数えたところ,エリクソン,ウヴェンソン,ニルソン,ラルッソンという姓をもつ人々はそれぞれ二千人以上もいた。それ以外はほとんどがヨハンソンやヨハンセンやそれに似た姓で占められていた。じっさい,名前の種類も非常に少なく(それとも,スウェーデン人が滑稽なほどぼんやりしているのか),姓と名に同じ名前を使っている人も多かった。ストックホルムにはエリク・エリクソンが212人,スヴェン・スヴェンソンが117人,ニルス・ニルソンが126人,ラルス・ラルッソンが259人いた。私はそのとき紙に書きとめたこれらの数字を,いつかどうにか使えないものかとずっと思ってきたのだった。


ビル・ブライソン 高橋佳奈子(訳) (2002). ドーナッツをくれる郵便局と消えゆくダイナー 朝日新聞社 p.101

患者ではない人が病的だとされる

 1999年の夏にアムステルダムで開かれた国際ロールシャッハ会議の席上で,新たな事実が初めて明るみに出されて聴衆を当惑させた。「非患者のロールシャッハ・データ:世界中の知見」という平凡な題目のシンポジウムで,フィリップ・アードバーグ,トーマス・シェーファー,およびメキシコ,ポルトガル,フランス,イタリア,フィンランドの共同研究者たちが,国際共同プロジェクトの結果を発表した。ほとんどのロールシャッハ研究は,心理的問題を抱える人々に焦点を当てていたが,この研究者たちは非患者(明らかな心理的問題なしに社会で生活している人々)に関する結果を報告した。
 この一見したところ無難なプロジェクトの結果は,多くの心理学者が包括システムをみる見方を変えることになった重要な知見が2つあった。第1は,ヨーロッパ,中央アメリカ,アメリカ合衆国の人々のロールシャッハ・スコアは非常に似ていることが多いというものだった。この知見は多くの聴衆に歓迎された。包括システムが,アメリカ合衆国以外でも,文化的・言語的違いに大きく影響されることなく用いることができることを示唆していたからである。
 しかし第2の知見は人々を当惑させるものだった。さまざまな国で得られたスコアは互いに似てはいたが,包括システムの基準と合わなかったのである。包括システムの基準と大きく異なるロールシャッハ変数が次々と明らかになった。エクスナーの本の基準値と比較すると,アメリカを含むすべての国で,非患者は病的であると判定された。

J.M.ウッド,M.T.ネゾースキ,S.O.リリエンフェルド,H.N.ガーブ 宮崎謙一(訳) (2006). ロールシャッハテストはまちがっている—科学からの異議— 北大路書房 pp.208-209
(Wood, J. M., Nezworski, M. T., Lilienfeld, S. O., & Garb, H. N. (2003). What’s Wrong with the Rorschach?: Science Confronts the Controversial Inkblot Test. New York: John Wiley & Sons.)

よく調べた上で語っているのか?

 「科学では測り知ることができない,あなたの知らない世界があるんですよ」
 自称・霊能力者や自称・超常現象研究家の皆さんが,自信満々なしたり顔でこのようなフレーズを語るのを,テレビなどで今までに何度見てきたことだろうか。
 でも,そんな「あなたの知らない世界」とやらは,本当に実在しているんだろうか?というより,「あなた方が知らない不思議な世界のことを,私はあなたよりずっとよく知っているのだ」と確信に満ちた顔で語ってみせる自称専門家の皆さんは,本当にその「不思議な世界」とやらをよく調べ上げた上で語っているのだろうか?もしかしたら,相手の無知に付け込んでいるだけだったり,何が本当なのかどうせわかるまいと口から出まかせを言っていたり,客観的にはなんの根拠もない自分の強い思い込みを,さも真実であるかのように堂々と話してみせているだけなのではないだろうか?

皆神龍太郎 (2008). UFO学入門:伝説と真相 楽工社 Pp.280-281

「ブラ」への反応

 ロールシャッハテストのスコアリングが,心理学者の間で一致しない場合があることはまちがいないことである。この本の著者の1人は,仲間たちの間での次のようなおもしろい不一致を観察した。あるとき,1人の大学院生が,ある患者が図版の1枚に対して「ブラ」と答えた反応をどうスコアリングしたらよいものか尋ねた。男性の心理学者は,それは「性」反応とするべきだとしたが,何人かの女性の心理学者は「衣服」反応だと主張した。この場合,スコアリングは患者についてだけでなく,心理学者についての投影法検査になっているといえる。

J.M.ウッド,M.T.ネゾースキ,S.O.リリエンフェルド,H.N.ガーブ 宮崎謙一(訳) (2006). ロールシャッハテストはまちがっている—科学からの異議— 北大路書房 p.202
(Wood, J. M., Nezworski, M. T., Lilienfeld, S. O., & Garb, H. N. (2003). What’s Wrong with the Rorschach?: Science Confronts the Controversial Inkblot Test. New York: John Wiley & Sons.)

人々は一度その気になってしまうともう引き返せない

 イタズラの張本人がいくら後で懺悔や告白をしようとも,一度その気になってしまった人々が頑強に彼らの告白を否定し,とにかく超常現象ということにしてしまおうと圧力をかけてくる事態は,超常現象研究の歴史の上ではたびたび起きてきた。人々が一度その気になってしまうともう引き返せない,ということがいかに恐ろしいかがよくわかるだろう。「あんなに素晴らしい巨大なサークルを,お前らみたいなジイサンたちが作れるわけがないだろう」と批判され傷ついたダグとデイブは,サークルの作成から今後一切手を引くと発表した。だがダグとデイブがサークル作りを止めてからでも,英国南部に発生するサークルは一向に減る気配を見せず,その姿はさらに複雑に進化を続けてみせた。
 「ホラ見ろ,ジイサンたちがサークルを作るのを止めてもサークルは消えないじゃないか。やはりサークルは宇宙人からのメッセージだったんだ」
 一部のサークル研究家は,きっとこう思ったに違いない。だがそれは,今度は逆にサークル研究家らが,ダグとデイブを甘く見すぎた結果だった。ダグとデイブは公にはサークルをもう作らないと発表してはいたが,実はその裏で他人の畑に出かけていって,前と同じように毎週末に,せっせせっせとサークルを作り続けていたのだ。
 ただ以前と違うのは,今度は自分たちがそのサークルを作った張本人だという確実な証拠を残すよう工夫をしたということだ。
 つまり2人は,「サークルは宇宙人からの賜り物」などと信じている輩は,そもそも宇宙人が作ったサークルと人間の作ったサークルの違いなどまたく区別ができもしないのに偉そうなことを言っているだけなのだ,ということを証明してみせようとしたのだ。


皆神龍太郎 (2008). UFO学入門:伝説と真相 楽工社 Pp.168-169

臨床場面でロールシャッハテストをやめるべきという意見

 ジェンセンは,彼のレビューの最後で,心理学者は臨床現場ではロールシャッハテストの使用をやめるべきであり,大学院課程ではそれを教えることをやめるべきであるという,当時としては衝撃的な提案を行なった。ジェンセンは,おそらくこの提案が読者の多くを憤慨させるだろうと予測して,現在までロールシャッハテストにつきまとうことになる有名な皮肉でレビューの結びとした。「臨床心理学における科学的進歩の速度は,ロールシャッハテストをいかにすみやかに,いかに完全に捨て去ることができるかによって測られるだろう」

J.M.ウッド,M.T.ネゾースキ,S.O.リリエンフェルド,H.N.ガーブ 宮崎謙一(訳) (2006). ロールシャッハテストはまちがっている—科学からの異議— 北大路書房 p.165
(Wood, J. M., Nezworski, M. T., Lilienfeld, S. O., & Garb, H. N. (2003). What’s Wrong with the Rorschach?: Science Confronts the Controversial Inkblot Test. New York: John Wiley & Sons.)

キャトル・ミューティレーション=捕食 の可能性

 ミューティレーションが獣によるものなのか,宇宙人のメスによるものなのかについて,もし実験で確かめることができれば,それ以上議論の余地はなくなるだろう。そうした実験は実際,2度行なわれており,キャトル・ミューティレーションの宇宙人生成説に対する最大の反証になっている。
 その1つはキャトル・ミューティレーションを実際に起こしてみる野外実験で,1979年9月,ワシントン州アルカンザスの保安官局に所属する2人の警察官の手によって実施されている。
 実験の手順は,自然死した子牛をそのまま放置しておき,その死体の行く末を30時間にわたって,じっと観察し続けるという根気のいるものだった。
 そして,キャトル・ミューティレーションは警官たちの見ている目の前で実際に発生したのである。
 観察されるうちに,子牛の死体からは舌が消え,片目がくり出され,そして肛門は丸く穴を開けられ,血はほとんど残っていない状態となった。つまり子牛は,最後にはまさにキャトル・ミューティレーションされた動物そのものの状態と化したのだった。
 観察を続けていた警官によると,子牛をミューティレーションして去っていったのは「アオバエとスカンクとハゲタカだった」という。
 一例だけでは反論にならない,と思う人もいるかもしれないが,それは違う。こういった問題ではたとえ一例にせよ,自然な条件下でキャトル・ミューティレーションが発生すると示せた意義は非常に大きい。というのは,捕食という実例が一例でもあれば,他のミューティレーションについても,単なる捕食である可能性を否定できなくなってしまうからだ。
 単なる捕食ではないと主張するのならば,捕食ではないという主張を何らかの形で証明せねばならない。捕食によって起こされたのではないということを証明しないかぎり,宇宙人などというものを言い出す余地がなくなるからだ。

皆神龍太郎 (2008). UFO学入門:伝説と真相 楽工社 Pp.144-145.

自分自身が欺かれる

 興味深いことに,手相占い師や占星術師に関する心理学の研究者は,心霊療法家の中には意識的にいんちきを働く者もいるが,多くは自分の超常的な力を心から信じているという一致した見方をしている。たとえば,ニュージーランド,カンタベリー大学のデニス・ダットン(Dutton, D.:高く評価されているWeb出版誌“Arts and Letters Daily”の編集をしている)は,星占いに魅了されるようになったある若い科学者の話を語っている。友人や客のために星占いをしているとき,彼の占いは「驚くほどよく当たる」といわれていた。しかし,ある満足した客からいつもの熱狂的な反応がかえってきたあとで,誤ってこの客に違う星占いを与えていたことに気づいて,この若い科学者は目をさませられた。彼はすっかり意気消沈して,当惑させられるような認識に達した。「占星術師としての彼のすばらしい成功は,星占いが科学として正当であることを示すものではまったくない。実際,彼は,客から絶えず強化を受け続ける中で星占いの力を心から信じるようになり,腕のよいコールド・リーダーになったのである。もちろん彼は客を欺いていたのであるが,その前に自分自身が錯覚に陥っていた」

J.M.ウッド,M.T.ネゾースキ,S.O.リリエンフェルド,H.N.ガーブ 宮崎謙一(訳) (2006). ロールシャッハテストはまちがっている—科学からの異議— 北大路書房 pp.150-151
(Wood, J. M., Nezworski, M. T., Lilienfeld, S. O., & Garb, H. N. (2003). What’s Wrong with the Rorschach?: Science Confronts the Controversial Inkblot Test. New York: John Wiley & Sons.)

視聴率さえ

 相手がUFOだろうがなんだろうがちゃんと調査をすれば,もしそれがインチキであればどこかに矛盾は出てくるものだ。欧米のUFO界内部では,お互いに自分の見つけた「証拠」を振りかざしながら,「それはエイリアン・クラフトじゃない。でっち上げだ」といった論争がしょっちゅう起こっている。そして論争している双方の批判をつなぎあわせて話を1つにまとめてみると,たいていのUFO事件が誤認か嘘である,という「実態」が浮かび上がってくるわけだ。
 日本のテレビを中心としたUFO報道の最大の問題点は,こういった「真面目な研究成果」を一切紹介せずに,欧米のUFO研究家がとっくにインチキと見破っている事件を,いつまでたっても「視聴率さえ取れればあとはどうでもいい。どうせ何が本当かわかるまい」とばかりにセンセーショナルに流しつづけることにある。


皆神龍太郎 (2008). UFO学入門:伝説と真相 楽工社 p.85

バーナム効果について

 星占いの本からとられた記述は,一見したところ自分をよく表しているようにみえるが,それらはほとんどだれにでもあてはまるものだった。現在では心理学者はこのような性格記述を,すぐれた芸人だったP・T・バーナム(Barnum, P. T.)にちなんで「バーナム文」とよんでいる。彼は「サーカスには万人を喜ばせるちょっとしたものが必要だ」と言った(「カモは後から後からやってくる」ということばでも知られている)。
 フォーラーが示したように,人々はバーナム文が自分に一致する程度をひどく過大評価する傾向がある。たとえば,ある研究で,学生たちは性格検査の結果であるとして偽りのバーナム文を与えられて,「ぴったり合っている。すばらしい。もっと聞きたい」,「どれもみんな私にあてはまっている。私にピッタリの面があまりにたくさんあって,何といってよいかわからないくらいだ」,「驚くほど正確で詳しい描写だ」などの熱烈な賛嘆のことばでこたえた。
 科学的には価値がないことがわかっているのに,なぜ多くの人々が星占いを信じるのかについて,おそらくバーナム効果が説明を与える。フランスの心理学者ミシェル・ゴークラン(Gauquelin, M.)は,申し込みがありしだい,無料で星占いをするという広告をパリの新聞に出した。彼は申し込んできた読者のすべてに,悪名高い殺人者の星占いを送った。「星占いを受け取った94%の人々は,それが当たっているとして絶賛した」。
 バーナム文の性格記述を受け取った人々は,それが自分だけのために書かれたものであると考えるときには,いっそう感心する傾向が強くなる。たとえば,ある研究の被験者は,バーナム文が彼らのために「個人的に」書かれたものであるといわれると,ずっとよく当たっているとみなすようになった。別の研究では,被験者に偽の星占いを与えて,それが当たっている程度を評価するように求めた。被験者の生年月日を知っている星占い師によるものといわれた被験者のほうが,生まれた年と月だけを知っている占い師によるものといわれた被験者よりも,その占いがよく当たっていると判断した。

J.M.ウッド,M.T.ネゾースキ,S.O.リリエンフェルド,H.N.ガーブ 宮崎謙一(訳) (2006). ロールシャッハテストはまちがっている—科学からの異議— 北大路書房 pp.148-149
(Wood, J. M., Nezworski, M. T., Lilienfeld, S. O., & Garb, H. N. (2003). What’s Wrong with the Rorschach?: Science Confronts the Controversial Inkblot Test. New York: John Wiley & Sons.)

こたえは「わからない」しかない

 「UFOの95%は見間違い」と説明すると,どうしてもUFOは宇宙人の乗り物だと固く信じている人は,よくこう聞いてくる。
 「じゃあ,その最後の5%の正体はいったい何なんですか。どう調べても正体が分からないのならば,それこ本当のUFO,宇宙人の乗り物ということじゃないですか。正体がわからない以上,宇宙人の乗り物ではないと否定することだってできないわけでしょう」
 筆者はこう問われた場合,次のように答えることにしている。
 「いいえ,残りの5%は,タヌキが化けた茶釜が空を飛んでいるんですよ。正体がわからない以上,タヌキが化けているのではないと否定することだってできないはずでしょう」
 タヌキが化けた「ぶんぶく茶釜」は,たしかに格好がUFOに似ている。
 ここに挙げた「宇宙人の乗り物」と「ぶんぶく茶釜」というUFOの正体についての2つの考え方の主張は,論理的に見れば,まったく同じ構造をしている。正体がわからないあるものについて,任意のXなるものを勝手に持ち出し,いずれも「正体がわからない以上,Xでないとも言えない」と主張しているにすぎないわけだ。一見,論理的に見えるが,この主張のしかたになんの信憑性もないことは,Xの中に好きなものを入れて自分で回答を作ってみればわかる。
 「最後の5%の正体は何なんですか」と尋ねられた場合の正しい答え方は,1つしかないだろう。それは,ただ「わからない」だ。最初に書いたようにUFOとは,定義そのものが「正体がわからない」という意味だ。だから,本当のUFOの正体を教えてくれと尋ねるのは「正体のわからないものの正体を教えてくれ」と頼んでいるのとまったく同じことだ。問い自体に意味がない。もし答えられたとしたら,それはもはやUFOではない。

皆神龍太郎 (2008). UFO学入門:伝説と真相 楽工社 Pp.46-47

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