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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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ドイツの魔術

 ヒトラーの雇った占星術師についてはほとんど知られていないが,そういうチームがあったことは驚くに値しない。魔術や超常現象は,古くからドイツの歴史の一部に組みこまれていた。十六世紀には神聖ローマ帝国の三百の領邦で,十万人以上の人々が魔法を使ったかどで,拷問を受け火刑に処せられた。拷問のひとつに,“祈りの腰掛”という,とがった鋲をびっしり打った長方形のベンチを使うものがある。囚われたものたちはこのベンチの上にひざまずかされ,耐え切れなくなって罪を告白した。一度罪を問われると,抵抗しても無駄だった。バンベルク市の役人は,娘に宛てて,身を案じてくれた看守の勧めにしたがって,ありもしない罪を告白してしまった旨の手紙を書いている。


 「とにかく自分が魔術を使ったと認めない限り,あらゆる拷問が続く。耐えられるはずがない……嘘でもいいから罪を告白したほうが身のためだ」そう看守に言われたという。



デヴィッド・フィッシャー 金原瑞人・杉田七重(訳) (2011). スエズ運河を消せ:トリックで戦った男たち 柏書房 pp.94-95


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必要IQの低下

 過去には,大学院志望の学生を気後れさせるIQはいくつだったのだろうか?修士取得者の平均IQが125だったとすると,その下限は117.6だったと推定できる。これは,時代とともにIQが上昇するという事実について,きわめて重要な情報を提供してくれる。1960年から2010年の50年間に,大学院に入学可能なIQの下限が117.6から103に下がり,その差は14.6ポイントである。その間のIQ上昇はどれくらいだったのだろうか?WAISの場合,1953年~54年から2006年の間に16ポイント上昇している。この52.5年を50年に減らして換算すると,15.2ポイント上昇したことになる。


 これら2つはほぼ同じ数値である。このことは,最近の50年間のIQ上昇によって,専門職や準専門職に就くのに必要なIQの下限が15ポイント低下したことを意味している。つまり,IQ上昇には現実社会における職能レベルにおいて,見返りがあったのである。医師,経営者,銀行家,大学講師,技術者などの専門職や準専門職は,50年前まではIQが15ポイント高い人々の職業であり,このレベルのIQの人々は,もちろん今日にでもこれらの仕事をこなすことができる。そうだとすれば,次のような反論が出るかもしれない。すなわち,それらの仕事は今日ではそんなに認知的要求が高い仕事ではなくなったのではないかという反論である。しかし,私の医学系の同僚たちは,今日の医師は昔よりも多くの科学についての知識が必要だと言い,商学系の同僚たちは,今日の経営者は幅広い知識に基づく企画力が必要だと言い,経済学系の同僚たちは,今日の投資着運行の銀行家は複雑な知識を駆使する認知的熟達者だと言っている。もちろん私の仕事である大学の研究者も,しっかり講義もし,研究もしなければならないので,昔に比べると非常に多くの知識を持っていないと務まらない。


 以上を総括すると,次の結論を導き出すことができる。すなわち,大学や大学院入試の合格yラインが下がったことは,20世紀の認知的進歩が決して幻想ではなく,現実であることを示す最も確かな証拠なのである。



(Flynn, J. R. (2013). Intelligence and Human Progress: The Story of What was Hidden in our Genes. New York: Elsevier.)


ジェームズ・ロバート・フリン 無藤 隆・白川佳子・森 敏昭(訳) (2016). 知能と人類の進歩:遺伝子に秘められた人類の可能性 新曜社 pp.120-121


理性の教育を

 言い換えれば,現代的な心の習慣は,単に現代生活に適応するのに役立つだけでなく,成熟した道徳的推論によって現代世界を改善することにも役立つのである。心の習慣はマーティン・ルーサー・キングと共に自由に向かって行進することの意義や,ベトナムやイラク・アフガニスタンで外国人を殺害したことの見返りとして受けたダメージを真剣に受け止めることの大切さを教えてくれる。「ベトナムを爆撃して石器時代にしてやる」と言う将軍は,今時いないであろう。もちろん私は,すべての人が人種差別やナショナリズムや残酷さから脱却するための最初の一歩を踏み出したわけではないことを知っているし,多くの要因が偏見を見えにくくしていることにも気づいている。しかしながら,道徳哲学の研究と教育に人生のすべてを捧げ,1957年に南部でその仕事を開始した者として,私は偏見を減らすためには理性の教育こそが重要であることを知っている。



(Flynn, J. R. (2013). Intelligence and Human Progress: The Story of What was Hidden in our Genes. New York: Elsevier.)


ジェームズ・ロバート・フリン 無藤 隆・白川佳子・森 敏昭(訳) (2016). 知能と人類の進歩:遺伝子に秘められた人類の可能性 新曜社 pp.


低下するのか

 ドミニカ等を北方に引っ張ってフロリダ州と接する境界にまで移動させてみよう。これはアメリカにドミニカが加わったことを意味しているので,新しく算出されたIQの平均値は低下し,IQの分布は下方に広がるだろう。しかし,そのことによってもともとアメリカに住んでいた人々のIQが変化することはないだろう。つまり,彼らが持っていた遺伝的能力がどのようであれ,それはそのまま残るだろう。そしてIQ130位上のエリート(トップ2.27%)は,社会を動かすためにそのまま留まるだろう。仮に移民が人口の10%加われば,エリートの割合は低下し,2.27%に100を掛けて110で割った2.06%になるだろう。しかし,絶対数が変化することはない。もちろん,異民族間の結婚も多少あるかもしれない。しかし,アメリカのエリートが使用人や小作人と結婚する傾向はない。彼らは IQの釣り合った相手と結婚する傾向があり,そのなかには移民のなかの超エリートだけが少し含まれるだろう。したがって,こうした傾向は,次の超エリート世代のIQを低下させることにはならないだろう。



(Flynn, J. R. (2013). Intelligence and Human Progress: The Story of What was Hidden in our Genes. New York: Elsevier.)


ジェームズ・ロバート・フリン 無藤 隆・白川佳子・森 敏昭(訳) (2016). 知能と人類の進歩:遺伝子に秘められた人類の可能性 新曜社 pp.67-68


劣等な人々の永続への不安

 劣等人間が世代を超えて永続することに対する不安は,「彼らが持っている何かが彼らの子孫も確実に劣等人間にする」という仮説に基づいている。1870年の時点では,まだ「遺伝子」の存在は知られていなかった。しかし当時のエリート階級の人々の多くは,大多数の人々は救い難い遺伝的形質を持っていると信じていたことに間違いはない。今日でこそ「劣等」という差別的用語を使う失礼な人はいないだろうが,こうした考え方自体は,現在もなお根強く生きている。社会の大多数の遺伝子と言うとき,それは彼らのIQや教育困難性,福祉依存傾向,犯罪傾向などの個人的特性がその時代に固定しており,社会的条件が新しくなっても変化することはないという考えを意味している。


 私は当時使われていた言葉をあえてそのまま使うことにする。すなわち大多数の人間は「劣等」である。「除去すべき人」と言い換えてもよい。端的に言えば,「おまえたちはおまえたちのような子孫を作ってしまうだろうから,我々はおまえたちの遺伝子を除去したいのだ」ということである。言い方はどうあれ,ここには私たち人類の心と人間性は凍結されているという仮定がある。しかし,この過程は間違いであることを歴史が証明している。かつて私は,一人親になってしまう黒人女性の割合は,自立できる黒人男性配偶者の割合が変化するのに応じて変化するだろうと述べたことがある。自立可能な男性が多ければ,より多くの黒人女性が夫を見つける。一方,自立可能な男性がわずかしかいなければ,黒人女性のわずかしか夫を見つけることができず,彼女たちの多くが,一人親(シングルマザー)になるのである(Flynn, 2008)。


 私は「今日の劣等人間は明日の劣等人間」という考え方を否定する。もし,ある社会に一定の割合でIQの低い人々がいれば,彼らはIQの低さのために「劣等人間」の烙印を押されるだろう。そして,世代を経るごとにIQが低下すれば,その社会の「劣等人間」の割合は増加することになる。逆に,もし世代を経るごとに下層階級の人々が「劣等人間」でなくなれば,つまり,もし彼らが永久に「劣等人間」でないのであれば,IQの低い人々,すなわち望ましくない個人的特性を持つ人々の割合が次第に減少することになる。本書の趣旨は,社会が近代化するのに伴って,時代とともに,人々の精神や能力がどのように変容してきたのかを跡づけることに外ならない。



(Flynn, J. R. (2013). Intelligence and Human Progress: The Story of What was Hidden in our Genes. New York: Elsevier.)


ジェームズ・ロバート・フリン 無藤 隆・白川佳子・森 敏昭(訳) (2016). 知能と人類の進歩:遺伝子に秘められた人類の可能性 新曜社 pp.54-55


大虐殺の影響

 ポル・ポトの虐殺の被害者となった人々の職業的地位と彼らの子どもたち(もはや生まれてはこないのであるが)のIQの相関がどの程度であったのかは不明である。しかし,半農耕社会においては,おそらく米国での相関よりも低かったであろう。その当時のアメリカでは,その相関が0.300であったと推定できる(Flynn, 2000b)。したがって,仮に職業によって米国の人口のトップ26%を排除しても,その子どもたちのIQの平均値は1.92低下するにすぎない。さらに,ポル・ポトは純粋に職業的地位を実際の抹殺の基準としたのではなかった。その証拠に,虐殺を実行した彼の取り巻きたちの多くは知識人であった(ちなみにポル・ポト自身もソルボンヌ大学に入学した。もっとも,すべての教科で落第したのであるが)。さらに,彼が首都プノンペンに住む人々のすべてを排除しようとしたとき,その中には職業的地位が低い人も多く含まれていた。以上を総合すると,カンボジアの人々の遺伝的資産は,IQ得点に換算して1ポイントも低下しなかったのではないかと推定できる。つまり,カンボジアの人々の知的能力は,ポル・ポトの抹殺による被害をほとんど受けなかったと考えられる。


 カンボジアの目覚ましい復興が,そのことを証明している。ポル・ポト軍の残存者によって苦しめられたにもかかわらず,1979年に就任したヘン・サムリン新政権は,見事な復興を成し遂げた。新政権は,飢えの問題,学校,本,病院,警察,裁判所,市民サービス,郵便・電話・ラジオ・テレビなど通信事業の復興に着手し,1985年までに新しい行政的エリートと技術的エリートを育成した。そして社会は正常に戻ったのである(Flynn, 2012b)。



(Flynn, J. R. (2013). Intelligence and Human Progress: The Story of What was Hidden in our Genes. New York: Elsevier.)


ジェームズ・ロバート・フリン 無藤 隆・白川佳子・森 敏昭(訳) (2016). 知能と人類の進歩:遺伝子に秘められた人類の可能性 新曜社 pp.50-51


個人と社会の増幅器

 バスケットボールのスキルの上達に及ぼす遺伝子と環境の影響力は,2種類の増幅器の作動の仕方に依存している。まず,個々人の生育史におけるスキルの向上は,個人的増幅器の作動によって生じる。つまり,平均より少しだけ優れた遺伝子が,それと適合する優れた環境因子を取り込むことによって,次第にスキルが向上する。一方,時代に伴う集団としてのスキルの向上は,社会的増幅器が作動することによって生じる。つまり,同じ集団内の成員が互いに切磋琢磨することによって,集団全体の平均的なスキルの水準を,より高い水準へと向上させる。


 私は,この増幅器のアナロジーは本質を明確に捉えていると思っている。別々の環境で育った一卵性双生児が,何らかの点で平均よりも少し優れた認知的能力の遺伝子を持っていたとしよう(もちろん劣っている場合もあり得る)。そして,もし平均よりも優れていれば,その一卵性双生児の少し優れた遺伝子は,その遺伝子と適合する優れた認知的環境を取り入れるように働き始める。すなわち,個人的増幅器が作動し始めることによって,それに気づいた教師との出会い,優れた仲間との相互作用,優秀な能力別クラス,より優秀な高校や大学への進学などの優れた環境要因が,彼らの認知能力を向上させるのである。だが時代とともに,様相は違ってくる。学校教育の期間が8年から12年へ,さらに12年以上(大学)へと長くなったことは,社会全体としての人知的能力の水準を向上させるだろう。すなわち,社会的増幅器が作用し始めたのである。


 要するに2つの増幅器は,どちらも働いている。別々の環境で育った一卵性双生児のIQの一致度が高いことは,決して環境の影響を否定しているわけではない。他方,環境の影響によって時代とともに集団としてのIQが向上したことは,決して遺伝子の影響を否定しているわけではない。なぜなら遺伝子と環境は,どちらもIQの個人差を説明するためにも,時代とともにIQの集団差が出てくることを説明するためにも,重要な役割を果たすからである。つまり,親族研究の研究者たちがこぞって否定する環境の影響は,常に存在しているのである。



(Flynn, J. R. (2013). Intelligence and Human Progress: The Story of What was Hidden in our Genes. New York: Elsevier.)


ジェームズ・ロバート・フリン 無藤 隆・白川佳子・森 敏昭(訳) (2016). 知能と人類の進歩:遺伝子に秘められた人類の可能性 新曜社 pp.11-12


保守と独創

 以上の実験結果からすると,秩序は前例を優先させる保守的な傾向と,いっぽう無秩序は新しいことに重きを置く独創的な傾向と結びついているようだ。もしあなたが十年一日のごとく同じことを繰り返していて,そんな状況を打破したいと思っているのなら,家でも職場でも思いきって日課をさぼり,何もしない時間を過ごしてみてはどうだろう。その結果まわりが散らかってくれば,持ち前の創造性が目を覚まし,習慣から自由になって新しいことが発見できるかもしれない。



リチャード・スティーヴンズ 藤井留美(訳) (2016). 悪癖の科学:その隠れた効用をめぐる実験 紀伊國屋書店 pp.212


単純接触効果

 繰り返しの接触は高感度を引き上げる。この傾向は心理学では「単純接触効果」と呼ばれ,顔だけでなく写真や音,形状,名称,さらには造語まで,以前に接したことがあるものは好ましく感じる。シェフィールド・ハラム大学が行なった実験では,ユーロヴィジョン・ソング・コンテストのような権威ある催しでも,この効果が見られることがわかった。


 ユーロヴィジョン・ソング・コンテストは参加国が年々増えている人気イベントだ。規模が大きくなりすぎて,2004年からは参加回数の少ない国だけで準決勝が実施されることになった。長い出場歴を誇る国は準決勝が免除され,いきなり決勝に進むことができる。そのため審査員は,一部の参加国の演奏を準決勝と決勝の二度にわたって聴くことになった。審査結果を分析したところ,準決勝出場国ほど得点が高くなる傾向が明らかになった――まさに単純接触効果だ。



リチャード・スティーヴンズ 藤井留美(訳) (2016). 悪癖の科学:その隠れた効用をめぐる実験 紀伊國屋書店 pp.153-154


スピードを出さなくても面白い運転とは

 スピード走行がたまらない魅力に感じるのは,衝突事故の危険に対する認識がなく,退屈なドライブをもっとおもしろく,楽しくしたいと思う運転者だ。とすれば,スピードの出しすぎが危険であるという知識を普及させ,同時に運転をおもしろくする別の方法を考案すれば,楽しさを損なわずに公道の安全性を高めることができそうだ。だが,運転者の興味と挑戦意欲をかきたてる斬新かつ安全な方法はあるだろうか。それをひねり出すのも挑戦だ。



リチャード・スティーヴンズ 藤井留美(訳) (2016). 悪癖の科学:その隠れた効用をめぐる実験 紀伊國屋書店 pp.138-139


悪態をつくと痛みが和らぐ

 以上の実験からわかったこと。悪態をつく,つまり侮蔑語・卑猥語を口にすることで痛みへの耐性が高くなる。ただし,そうした言葉をふだん濫用していると効果が弱まる。その理由は悪態が攻撃感情を高め,闘争/逃走反応を引き起こすからであって,痛みの破局化ではないと思われる。悪態をつくことで,痛みの感じ方がより強烈になっているわけではないからだ。同様に,痛みに反応して汚い言葉を口走る行為は脱抑制と見なすのも無理がありそうだ。脱抑制行動では痛みの経験は変化しないはずだが,私たちが行なってきた実験では,悪態は疼痛管理の手段になっていることが明らかだった。したがって悪態は,痛みに耐えるのを助けてくれるという隠れた効用があることがわかった。


 この効用は研究テーマにこそなっていないが,出産を経験した女性や,看護師,助産師なら誰でも知っていることだ。私たちが一連の研究で論文を発表したあと,オンライン辞書に「ラロケジア(lalochezia)」という新語が登場した。ストレスや痛みをやわらげるために,卑猥な四文字語を使うこと,という意味らしい。もしあなたが激しい痛みに襲われ,医学的な処置をすぐに受けられないときは,悪態をうまく活用してその場をしのいでほしい。だけど病院に搬送されたら口をつつしんだほうがいい。医療機関でそんな言葉をまき散らすのはエチケット違反だし,思わぬ注目を浴びることになる。



リチャード・スティーヴンズ 藤井留美(訳) (2016). 悪癖の科学:その隠れた効用をめぐる実験 紀伊國屋書店 pp.101-102


Fight-Flight

 闘争/逃走反応とは人間の根源的なストレス反応で,行動を底あげする瞬間的な変化で構成されている。なかでも重要なのが活動エネルギーの急速な増大だ。敵から攻撃されたとき,応戦するにしても逃げだすにしても,エネルギーが充分あれば迅速に行動できて,生存の可能性が高くなる。具体的にはアドレナリンが大量に分泌され,心拍数が上昇する。瞳孔が拡張して呼吸も速くなり,痛みへの耐性が上がって,汗をかく。最後の汗をかくというのが,科学の視点から見ると興味ぶかい。発汗して皮膚が湿り気を帯びると,電気を通しやすくなる。これは指に電極を貼りつけて測定すれば簡単に測定でき,「皮膚電気反応」と呼ばれる。



リチャード・スティーヴンズ 藤井留美(訳) (2016). 悪癖の科学:その隠れた効用をめぐる実験 紀伊國屋書店 pp.


悪態と言語能力

 悪態は言語能力の欠如という思いこみにとどめを刺したのが,マサチューセッツ・カレッジ・オブ・リベラル・アーツ(MCLA)の心理学者チームが最近発表した研究だ。ここでは言葉の全般的な能弁さと,悪態の能弁さを比較している。まず前者を調べるために,アルファベットの特定の文字で始まる単語を,1分間にできるだけたくさん書きだすテストを行なった。書いた単語が多いほど,言語スキルが高いことになる。悪態のほうも同様に,1分間に思いついた悪態をたくさん書き出してもらった。


 2つのテストの成績をくらべたところ,言語全般の得点が高い人は悪態も点が高く,前者の成績が悪い人は悪態の成績も悪かった。このことから,悪態は言語能力の低さ(語彙の貧しさ)を示しているどころか,むしろ高度に言葉を操れる人が,最大の効果をねらって用いる手段だと言えるのではないだろうか。



リチャード・スティーヴンズ 藤井留美(訳) (2016). 悪癖の科学:その隠れた効用をめぐる実験 紀伊國屋書店 pp.89-90


悪態の4種類

 1.社会的悪態――侮蔑の意図はない


  (例)I didn’t know what the fuck I was wearing.(うわ,あたしってばひどい格好)


 2.不快表現の悪態


  (例)Oh shit I’m getting lost.(くそっ,道に迷っちまった)


 3.侮蔑的悪態


  (例)The people on night fills are arseholes.(夜勤の連中はアホばかりだな)


 4.様式的悪態――発言にニュアンスをつける


  (例)Welfare, my arsehole.(生活保護ってやつね)



 科学的な分析によって,悪態を口にする状況はこのように4種類存在することがわかった(私としては,様式的悪態は社会的悪態に含めたいところだ)。あと習慣的悪態というのも追加できそうだ。最初は社会的な状況で発していたものが,本人のボキャブラリーに組み込まれ,大した理由がないのに連発してしまうというものだ。汚い言葉を意味もなく矢つぎばやに発することが多いゆえに,悪態は知性や言語表現力の欠如に結びつけられることが多いが,話はそれほど単純ではない。むしろ逆の可能性を示唆する研究結果もある。



リチャード・スティーヴンズ 藤井留美(訳) (2016). 悪癖の科学:その隠れた効用をめぐる実験 紀伊國屋書店 pp.86


ビール・ゴーグル効果

 酒を飲むと異性がセクシーに見えてくる。いわゆる「ビール・ゴーグル効果」だ。昔から知られていたこの現象を,初めて科学的に記録したのがグラスゴー大学の心理学者チームだ。とはいえ彼らの研究を「科学的」と呼ぶのは,過大評価の感なきにしもあらずだ。研究者たちは大学内に何か所かあるバーに出向き,酔っぱらった学生たちに顔写真を見せて,1~7点の範囲で点数をつけてもらっただけ。ただそれでも,科学的調査の体裁はいちおう整っている。それで結果はというと,異性愛志向の適量飲酒者(アルコール摂取量が6単位まで)では,異性に対する評価が高くなった。酒を飲んでいる女性は,飲んでいない女性よりも男性の顔写真を魅力的だと評価したのだ。男女を入れかえても同様だった。相手に魅力を感じることは,関係を築く第一歩だろう。したがってこの調査もまた,酒が人間関係の促進剤であることを物語っている。酒が入ると社交的になるのは,相手がすてきに見えてくるからだということも,この調査からわかる。



リチャード・スティーヴンズ 藤井留美(訳) (2016). 悪癖の科学:その隠れた効用をめぐる実験 紀伊國屋書店 pp.70


飲酒と病気

 飲酒と病気の疫学調査では,適量飲酒者のほうが非飲酒者より健康面で有利だという結果が見られる。これに対して,適量飲酒者は一般に裕福で恵まれているからだという批判がある。疫学調査が実施された西欧社会では,適量の飲酒はごく当たり前のことであり,生活習慣にとけ込んでいる。酒を飲まない人は,飲まないことをあえて選んだ少数派と言ってもいいだろう。その理由はわからないが,健康問題が背景にあることも考えられる。だとすれば,非飲酒者の発病リスクが高くなる真の原因は,そこにあるのではないだろうか。



リチャード・スティーヴンズ 藤井留美(訳) (2016). 悪癖の科学:その隠れた効用をめぐる実験 紀伊國屋書店 pp.61


クーリッジ効果

 クーリッジ大統領夫妻は,とある農場にたびたび姿を見せていた。ただし二人いっしょではない。それぞれ好きな場所があって,ちがう日に訪れては案内してもらっていたのだ。養鶏場にやってきた大統領夫人は,雄鶏がさかんに雌鶏にのしかかる姿を目の当たりにした。交尾が1日数十回にもなると知って驚いた婦人は,大統領が来たらその話をしてくれと冗談で頼んだ。そのことを聞いた大統領の切り返しは,シンプルでありながら実に鋭かった。相手はいつも同じ雌鶏かとたずねたのだ。ちがうという答えに,大統領はこう言った――家内にその話をしてやってくれ。


 さて,クーリッジ効果という言葉がある。もちろん合衆国第30代大統領にちなんで名づけられたわけだが,工業や経済に関するものではないし,優れた指導力の代名詞でもなく,実は性行動の一現象を表わす用語だ。交尾を繰り返して消耗し,いままでのメスでは無反応になったオスでも,新しいメスの登場でがぜんよみがえるというものである。専門的に言うなら,相手が変わることで不応期(交尾終了後,ふたたび交尾可能になるまでの時間)が短縮されるということになる。この現象は,1960年代にカリフォルニア大学の研究で確認された。



リチャード・スティーヴンズ 藤井留美(訳) (2016). 悪癖の科学:その隠れた効用をめぐる実験 紀伊國屋書店 pp.34


信用できない社会

 一連の実験を通して,コスミデスとギーゲレンツァーは,人々がパズルを単なる論理の問題として扱っているのではないことを証明した。人々は,それを社会契約であるとみなし,裏切り者を探しているのである。人間の心理はあまり論理に向いているようではないと,二人は結論した。しかし,社会的取引の公正さと,社会的提案の誠実さを判断するにはよく適している。この世は,信用できないマキャベリ的社会なのだ。



マット・リドレー 長谷川眞理子(訳) (2014). 赤の女王:性とヒトの進化 早川書房 pp.526


顔と個性

 「顔は体の中で最も情報が密集した部分だ」と,ドン・サイモンズがある日私に語った。そして左右対称でない顔ほど魅力に欠ける。しかし,左右対称さが醜さの共通した理由ではない。完璧に均整のとれた顔でありながら,それでもなお醜い人は多い。美貌のもう1つ注目すべき特徴は,平均的な容貌は極端な容貌より美しいという点である。1883年にフランシス・ゴルトンは,数人の女性の顔を合成した写真は,合成に使用したどの個人の顔よりも美しいとみなされるということを発見した。最近になって同種の実験が,女子大生の写真をコンピュータで合成して行われた。イメージに投入する顔が多ければ多いほど,美しい女性が出現するのである。確かにモデルの顔は,驚くほど記憶に残らない。雑誌の表紙で毎日お目にかかったとしても,ほとんどのモデルの顔は覚えられないのだ。政治家の顔は,定義上,平均的な顔ではまずない。個々の要素が平均的で,欠点のない顔ほど美しいが,そうであるほど持ち主の個性を語らない。



マット・リドレー 長谷川眞理子(訳) (2014). 赤の女王:性とヒトの進化 早川書房 pp.468


進化的見方と差別

 奇妙なことに,人類平等主義の哲学よりも,進化的な見方のほうが,差別撤廃を正当化するものである。女性は異なる能力というよりはむしろ,異なる野心をもっていると考えられるからである。男性の繁殖成功度は,幾世代にもわたって政治的な序列をのぼることに依存していた。女性がその種の成功を求める動機はほとんどなかった。女性の繁殖成功度は他の要因に依存していたからである。それゆえ進化的な見方をすると,女性はめったに政治階段を登ろうとはしないだろうと予測できる。しかし,女性が参加したらどれほどうまくやるかについては何も言っていない。トップにのぼりつめた女性の数が(多くの国で女性首相がいる),トップより下のランクに位置する女性の数と不釣り合いなのは,偶然ではないと私は考えている。イギリスでは女王の統治によって,王の統治でよりも卓越し堅実な歴史が作り出されていることも偶然ではあるまい。これらの証拠は,女性が平均すると男性よりも国を治める能力にわずかに優れていることを示している。また女性は,直観力,性格判断,自己崇拝の欠如といった女性的な特徴をこれらの仕事に持ち込んでいるという,フェミニストの主張を支持するものでもある。男性には羨むしかない特徴である。企業にしろ,福祉団体にしろ,政府にしろ,あらゆる組織が崩壊する元凶は,それらが,能力よりも狡猾な野心に報いるからである(巧みにトップにのぼる人間は必ずしもその仕事がいちばんできる人間とはかぎらない)。そしてそうした野心は女性よりも男性につきものなので,女性を重視して昇進を案配するのは,きわめて好ましいのである。偏見を是正するためではなく,人間の本性を正すために。



マット・リドレー 長谷川眞理子(訳) (2014). 赤の女王:性とヒトの進化 早川書房 pp.418-419


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