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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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ロールシャッハテストの受容過程

 1936年には,クロプファーはロールシャッハテスト信奉者の親密なグループの非公式の指導者になり,『ロールシャッハ研究報告(Rorschach Research Exchange)』という,謄写版印刷のニュースレターの発刊を始めた。1937年には,ロールシャッハテストに傾倒している心理学者やソーシャルワーカーなどの専門家の集まりであるロールシャッハ研究会(Rorschach Institute)を設立した。おのニュースレターと研究会はやがて,今日の『パーソナリティ・アセスメント学会誌(Journal of Personality Assessment)』とパーソナリティ・アセスメント学会(Society for Personality Assessment)に発展していった。
 ブルーノ・クロプファーは,人々と親密で共感的な関係を結ぶ才能があった。人をひきつける魅力をもつ論客であった彼を,その崇拝者の1人は「もっとも熱心で,献身的で,巧みな,ロールシャッハテストのスーパー・セールスマン」と評した。もしクロプファーが人々を組織し改宗させる才能に恵まれていなかったならば,ロールシャッハ・インク図版テストは今日のように有名な,あるいは論争を巻き起こすものとはならなかっただろう。

J.M.ウッド,M.T.ネゾースキ,S.O.リリエンフェルド,H.N.ガーブ 宮崎謙一(訳) (2006). ロールシャッハテストはまちがっている—科学からの異議— 北大路書房 pp.45-46
(Wood, J. M., Nezworski, M. T., Lilienfeld, S. O., & Garb, H. N. (2003). What’s Wrong with the Rorschach?: Science Confronts the Controversial Inkblot Test. New York: John Wiley & Sons.)
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脳マップの作られ方

 脳マップは,体の各部位に対応するように秩序だって編成されている。たとえば,わたしたちの中指は,人さし指と薬指の中間に位置している。これは脳マップも同様である。中指の脳マップは,人さし指のマップと薬指のマップの中間に位置するのだ。規則正しく配列されているほうが機能的だ。よくいっしょに働く脳の部分が,脳マップ上で近接していれば,信号も脳内ではるばる遠くまで送られずにすむ。
 マーゼニックが疑問に思っていたのは,この秩序がどのようにして脳マップに生じるのか,ということだった。マーゼニックたちは,この疑問に対する独創的な答えを見つけている。体の位置に相対して規則正しい脳マップになるのは,日常の動きが,決まった順序でくり返し行われるからだというのだ。リンゴや野球のボールほどの大きさのものを拾いあげるとき,たいていの人はまず親指と人さし指でつかむ。それから,残りの指が1本ずつ順にそれを包むように閉じる。親指と人さし指は,同時に触れることが多いために,脳に信号を送るのもほぼ同時。それで,親指のマップと人さし指のマップは,脳内の近い位置に形成されやすくなる(いっしょに発火するニューロンは,いっしょにつながる)。つぎに物に触れるのは中指だ。だから,中指の脳マップが,親指,人さし指に続いて形成される傾向がある。物をつかむというごく一般的な一連の行為(親指が最初に触れ,つぎが人さし指,中指が三番め)は何千回もくり返されるため,脳マップにもそう反映される。別々の時間に到達する信号は,離れた脳マップを形成する。たとえば親指と小指は,これにあてはまる。別個に発火するニューロンは,別個につながるからだ。
 すべてではないが,多くの脳マップは,時間的に近いもの同士が空間的にグループ化されている。すでに見てきたように,聴覚マップはピアノのようになっている。低い音が片方の端に,そして高い音がもう片方の端,という具合だ。どうしてこんなに秩序だっているのか不思議に思うだろう。低い周波数の音は,もともといっしょに聞こえてくる傾向がある。低い声の人の話を聞くときには,その周波数がほとんど低い。だから,低い音がグループ化されるのである。

ノーマン・ドイジ 竹迫仁子(訳) (2008). 脳は奇跡を起こす 講談社インターナショナル Pp.92-93.

ヘルマン・ロールシャッハの関心は

 心理学者の中にはロールシャッハテストをこのように精神分析的に解釈する人がいるが,ヘルマン・ロールシャッハが考えていたのはまったく違うことであった。彼は人々が見る性的あるいは攻撃的イメージにはあまり関心がなく,それらのイメージの動きと色彩のほうに関心があった。ある女性が図版の中に彼女の父親を思わせる怪物を見たとすると,おそらくロールシャッハは,そのモンスターが動いているように見えたかどうか,この女性のイメージの選択に図版の色が影響していたかどうかにもっとも関心を向けたことだろう。動きと色の知覚が現実に対する人の基本的な態度を表すということが彼の中心的な考えであり,『精神診断学』のほとんどのページがそのことにあてられていた。

J.M.ウッド,M.T.ネゾースキ,S.O.リリエンフェルド,H.N.ガーブ 宮崎謙一(訳) (2006). ロールシャッハテストはまちがっている—科学からの異議— 北大路書房 p.27
(Wood, J. M., Nezworski, M. T., Lilienfeld, S. O., & Garb, H. N. (2003). What’s Wrong with the Rorschach?: Science Confronts the Controversial Inkblot Test. New York: John Wiley & Sons.)

常識に反する研究をした時の例

 「脳が可塑的であると宣言しはじめたら,どうなったと思います?敵意をもたれましたよ。ほかに言いようがないんだ。論評にはこんな言葉がおどった『これが真実でありうるなら,たいそう興味深いことになるであろう』。まるで,こっちが作り話をしているみたいな扱いだった」
 おとなになってからも,脳マップが境界や場所を変更し,機能を変化させることが可能であるというのがマーゼニックの主張だった。これに対し局在論者たちは食ってかかった。マーゼニックは言う。
 「神経科学の主流にいた研究者で,ぼくが知っている人はほとんど全員が,これはまともに取りあげる問題ではないと思っていた。実験はずさんで,記述されている効果は不確実だと考えた。実際には,実験は十分な回数やっていたから,主流派の意見は傲慢な決めつけだった」
 疑問の声をあげた研究者のなかには,有名なトーステン・ウィーゼルもいた。臨界期に可塑性があることを明らかにしたウィーゼルだが,成人にも可塑性があるという考え方には反対だった。彼は,ヒューベルと自分は,「皮質の結合が成熟した形で確立したら,その場所に永遠にとどまると固く信じている」と書いた。ウィーゼルは,視覚処理の場所を明確にしたことでノーベル賞を受賞し,彼の発見は,局在論の大きな拠りどころとなっていたのだ。いまではウィーゼルは,成人にも可塑性があることを認め,自分は長いことまちがっていたし,マーゼニックの草分け的な実験のおかげで,自分も同僚の研究者たちも信条を変えるにいたったと,潔く認めている。ウィーゼルほどの研究者が意見を変えたことで,それまで局在論に固執していた研究者も考えを改めた。
 「もっとも不満だったのは」とマーゼニックは言う。「神経可塑性は,医学の治療にいろいろな可能性をもっていたのに----つまり,神経病理学とか精神医学の解釈が変わる可能性も秘めていたのに,だれも注意を払わなかったことだ」。

ノーマン・ドイジ 竹迫仁子(訳) (2008). 脳は奇跡を起こす 講談社インターナショナル Pp.87-88.

『精神診断学』出版とロールシャッハの死

 ロールシャッハの本,『精神診断学(Psychodiagnostics)』は1921年6月に出版された。これは彼の最初で最後の著書となった。その後の数カ月間,彼はこのテストについての考えをさらに発展させ,チューリヒ精神分析学会で臨床現場でのインク図版の有用性についての講演を行なった。しかしロールシャッハの親しい友人たちを除いて,彼の新しいテストに注意を向ける精神医学者はほとんどおらず,彼の本はわずかに数冊が売れただけだった。この冷淡な反応のために,彼は落胆し,いつになく落ち込むようになった。そして,『精神診断学』が出版されてから9ヵ月後,ロールシャッハは腹部の痛みを訴えて病院に入院したが,翌1922年4月2日,虫垂破裂による腹膜炎の併発で亡くなった。37歳であった。
 ロールシャッハがインク図版テストについて書いたものはきわめてわずかしかない。彼が残したのは,図版そのものと,1冊の著書『精神診断学』,死後に出版された精神分析学会での講演だけである。オイゲン・ブロイラーはロールシャッハを「スイス精神医学の一代のホープ」として賞賛したが,早すぎる死のために,彼の仕事が後に大きな影響を与えることはありそうもないと思われた。チューリヒの彼の同時代の人々で,彼が以後80年にわたって,心理学者にもてはやされ,また非難されることにもなる遺産を残したことを予見していた者はほとんどいなかった。

J.M.ウッド,M.T.ネゾースキ,S.O.リリエンフェルド,H.N.ガーブ 宮崎謙一(訳) (2006). ロールシャッハテストはまちがっている—科学からの異議— 北大路書房 p.26
(Wood, J. M., Nezworski, M. T., Lilienfeld, S. O., & Garb, H. N. (2003). What’s Wrong with the Rorschach?: Science Confronts the Controversial Inkblot Test. New York: John Wiley & Sons.)

脳機能によるパーソナリティ・レッテル

 さらに,非言語的な手がかりを読みとる機能が弱いために,人とうまくつきあえない場合もある。バーバラは,その子たちのためにも脳の訓練を考えだした。さらに,前頭葉に欠陥があるために衝動的になってしまう生徒,計画や戦略を立てる能力に問題がある生徒,関係するものを区別したり,目標を立てて,それを覚えておくことができない生徒向けの訓練もある。こうした問題をかかえると,支離滅裂で,気まぐれで,失敗から学ぶことができないと思われがちである。バーバラによると,「ヒステリック」とか「人間嫌い」などのレッテルを貼られている人の多くは,この領域が弱いのだという。

ノーマン・ドイジ 竹迫仁子(訳) (2008). 脳は奇跡を起こす 講談社インターナショナル p.60

ロールシャッハ図版は公開しても良いか

 ロールシャッハ図版が心理学を専門としていない人々に知られてしまっても問題がないかどうかについては,心理学者の考えは決まっていない。心理専門職に携わる人々は,心理検査の材料が一般の人々に知られると,そのテストが役に立たないものになってしまうかもしれないので,それを知られないようにしておく必要があると考えている。たとえば,本書でロールシャッハ図版を見たことがある読者が,後にこのテストを受けることになった場合には,おそらく図版を見たことがない場合とは違う反応をして,テスト結果は妥当なものではなくなってしまうだろう。時々あるように,ロールシャッハ図版のコピーがウェブ・ページに掲載されたり,その他の手段で一般の人々の目にふれるようにされたりすると,心理学者が激怒することがあるのは,この理由からである。

J.M.ウッド,M.T.ネゾースキ,S.O.リリエンフェルド,H.N.ガーブ 宮崎謙一(訳) (2006). ロールシャッハテストはまちがっている—科学からの異議— 北大路書房 p.19
(Wood, J. M., Nezworski, M. T., Lilienfeld, S. O., & Garb, H. N. (2003). What’s Wrong with the Rorschach?: Science Confronts the Controversial Inkblot Test. New York: John Wiley & Sons.)

脳の局在論を疑う

 バキリタは,1960年代前半,ドイツにいるときに,局在論に疑問をいだくようになった。当時,彼は研究チームの一員として,ネコの脳の視覚野(視覚皮質ともいう)から発せられる電気を電極で計測していた。当然ながら,ネコにある像を見せれば,視覚野の電極が反応して,その像を処理していることを示すと推測された。実際,これは推測どおりだった。だが,偶然ネコの脚に触れたときにも,同じ視覚野から電気が計測された。つまり,触覚もそこで処理されているのだ。さらに,音が聞こえたときにも,視覚野が活発になることがわかった。
 バキリタは,局在論者たちの「ひとつの機能,ひとつの場所」は正しいはずがないと考えはじめた。ネコの脳の「視覚野」は,少なくともべつのふたつの情報,触覚と音を処理した。脳の大部分は「複数の種類の知覚をする」----つまり感覚野は,ふたつ以上の信号を処理できると考えるほうが自然だった。


ノーマン・ドイジ 竹迫仁子(訳) (2008). 脳は奇跡を起こす 講談社インターナショナル Pp.31-32

抗生剤は貰えませんか?

 風邪をひいて病院やクリニックに行くと,よく抗生剤(抗生物質,抗菌薬ともいう)が処方されます。ところが,抗生剤は細菌に対して効果があっても,ウイルスには効きません。つまり,風邪の原因に対しては効果がないわけで,だから抗生剤は風邪には効かないのです。
 多くの医者はもちろんそのことを知っています。それでも医者が抗生剤を風邪の患者に出すのはなぜでしょうか。
 それは「患者さんが欲しがるから」です。
 多くの患者さんが「抗生剤は貰えませんか」と言います。「風邪に効く薬はないんですよ」と説明すると不満げな顔をし,「別の病院で貰いますから,いいです」と帰ってしまう人もいます。せっかく体調が悪いのをおしてがんばって病院にやってきて,長い間待って「効く薬はありません」では,がっかりです。せめて抗生剤でも出してもらわなければ苦労した甲斐がない,と思うのも無理のないことかもしれません。

岩田健太郎 (2009). 麻疹が流行する国で新型インフルエンザは防げるのか 亜紀書房 pp.36-37

レム睡眠中には作業記憶が働いていない

 記憶を一連の順序に並べる領域や,進行中の出来事を一時的に覚えておく「作業記憶」に関連した領域はレム睡眠中には働いていない。だが,ブラウンによると,長期記憶の形成と引きだしにかかわる領域は覚醒時よりも活発に働いているという。これは,レム睡眠が長期記憶の処理に重要な役割を果たすのにうってつけの条件だ。「レム睡眠は,スイッチがオフになった状態で長期記憶を強化したり削除したりといった処置をするためにあるのではないか」と,ブラウンは推測する。「ただし,レム睡眠中に生じた情報はちゃんと処理されない」
 長期記憶の処理中枢は活発に働いているのに,現在の体験(つまり夢)を記憶するのに必要な領域はあまり働いていない----レム睡眠中の脳がこうした状態にあるために,私たちは午前8時に食べた朝食のメニューは思い出せても,午前4時に見た夢を思い出せないのだ。しかしブラウンによれば,実際には夢の内容は記憶に刻まれている。だから昼間に前の晩に見た夢と関連のある何かを見たり,感じたりすると,ふっと夢の断片がよみがえる。夢をよく思い出せないのは,記憶の中からうまく引きだせないからである。

アンドレア・ロック 伊藤和子(訳) (2009). 脳は眠らない:夢を生み出す脳のしくみ ランダムハウス講談社 p.92

ジミー・バーンズ……

 太平洋方面の作戦のほとんどを指揮したダグラス・マッカーサーは,日本本国への侵攻が必要とは考えていなかった。総合参謀本部の議長レーヒー提督は,原爆を使う必要がなかったという意見をのちに強く主張した。戦略爆撃部隊の司令官カーティス・ルメイも同意した。アイゼンハワーでさえ,自軍の安全のためなら何千という敵をなんのためらいもなく殺すのに,原爆の使用には強硬に反対し,年輩の陸軍長官ヘンリー・スティムソンに進言した。「反対する理由は2つあった。第1に,日本は降伏する準備ができていたので,あんな恐ろしい兵器で攻撃する必要がなかった。第2に,アメリカを原爆の最初の使用国にしたくなかった。だが……あの年輩の紳士は激怒して……」
 原爆が不要という雰囲気はかなり支配的で,まず威嚇攻撃をすることや,少なくとも降伏要求の表現を修正して天皇の地位の保全を明言することが議論された。オッペンハイマーはこのような会議の多くに出席した。熱心に耳を傾け,必要なときには原爆の使用に賛成する意見をたいていは少しあいまいに述べたが,天皇を保護する条項は支持した。
 だが,この議論には意味がなかった。トルーマン大統領にもっとも影響力のあった顧問のジミー・バーンズが育った土地の気風は,戦うときには使えるものをすべて使え,というものだ。子供時代を1880年代のサウスカロライナ州で過ごし,父親がいないので学校にも満足にかよえなかった。さらに以前にその州を訪れた人々が驚いて報告しているのは,陪審員の12人全員にめったに目と鼻がそろっていなかったことだ。開拓者社会の気風が残っていて,引っかいたり,噛みついたり,ナイフで切りつけたりすることで,けんかの勝敗が決した。天皇を保護する条項は日本政府の降伏への抵抗を和らげたかもしれないのに,その削除を確実にしたのもバーンズだった。潜水艦による封鎖の強化を待つか,進撃を準備中のロシア人に汚れ仕事をさせるほうが,現実的な手段だったかもしれない。
 1945年5月31日の大統領「暫定」委員会の記録はこうなっている。

 つぎのようにバーンズ委員が提案し,委員会が合意した。……爆弾は日本に対して可能なかぎり早期に使うべきである。労働者の住居に近い軍需工場をねらうべきである。事前に警告することなく攻撃すべきである。

デイヴィッド・ボダニス 伊藤文英・高橋知子・吉田三知世(訳) (2005). E=mc2 世界一有名な方程式の「伝記」 早川書房 pp.183-185

脳のアナロジー

 17世紀,「魂と肉体」といった神秘主義的な概念に代わって登場したのが,「機械のような脳」という考え方であり,神経科学の分野はその考え方に触発され,それ以後発展してきた。ガリレオ(1564-1642)は,「惑星は機械的な力によって動かされている非生命的物体である」という考えを示したが,その発見に感動した科学者たちは,すべての自然は物理の法則にしたがって,大きな宇宙時計のように機能していると考えるようになった。そして,身体の臓器をはじめとして,生命のある個体までも,すべて機械であるかのように説明しようとした。
 これより昔は,わたしたちは自然のすべてを巨大な生命体としてとらえていた。これはギリシャ人の考え方で,2000年ほど続いていた。もちろん,この頃は,臓器を生命のない機械などと考えたりはしなかった。もっとも,「機械的生物学」も,最初に広まったときには輝かしい独自の成果をもたらした。ガリレオが講義をした場所,イタリアのパドゥアで解剖学を学んでいたウィリアム・ハーヴェイ(1578-1657)が,血液が体内をどのように循環するかを発見し,心臓がポンプのように機能することを示したのだ。ポンプというのは,いうまでもなく単純な機械である。
 ほどなく科学者のあいだには,科学的な説明をしようと思ったら,機械的にする----つまり,運動の機械的な法則にしたがうことが必要だ,という風潮が広まった。ハーヴェイに続いて,フランスの哲学者ルネ・デカルト(1596-1650)が,脳と神経系もポンプのように機能しているという説を唱えた。デカルトの説では,わたしたちの神経はまさにチューブのようなもので,四肢と脳,脳と四肢を結んでいるというのである。デカルトはまた,反射がどう作用するかを初めて理論づけた。皮膚に触れられると,神経チューブ内の液体のような物質が脳に流れていき,機械的に「反射して」神経をもどってきて,筋肉を動かすというのだ。ずいぶん乱暴に聞こえるが,実際はそれほどちがっているわけではない。じきに科学者たちは,デカルトの原始的な説明図をもっと洗練されたものにし,液体ではなく電流が神経を通っていると主張しはじめた。
 脳が複雑な機械であるというデカルトの図式から発展して,現代のわたしたちは,脳はコンピュータであり,機能は局在化されたものと考えるようになった。機械と同様に,脳も部品を組み立てたものであるとみなすようになったのだ。それぞれの部品の収まる位置は決まっているし,ひとつの部品はひとつの機能しか担わない。つまり,ある部品が壊れたら,その代わりはない。結局のところ,機械が新しい部品を生み出すことはないのである。


ノーマン・ドイジ 竹迫仁子(訳) (2008). 脳は奇跡を起こす 講談社インターナショナル Pp.25-26.


あたりまえではなかった頃

 彼らの発見したことは,今日では広く学校で教えられているため,それがまだ驚異的なことであったころに戻るのは難しい。ラザフォードが気づいたのは,頑丈で破壊できない原子が,実はほとんどがらんどうだったということだった。ここで1つの比喩を使ってみよう。隕石が大西洋に落下したと想像していただきたい。しかしこの隕石の旅は,どぶんと海に沈んで,そこでお終いとはならない海底に激突して,轟音が響く。そしてなんと,跳ね返ってビューンと海の外に飛び出してくる。この奇妙な現象を説明するには,大西洋の海面の下は,なめらかな海水がずっと続いているのではないとみなすほかない。考えてもみていただきたいが,先入観を打ち破ってこのことに気づくというのは,なかなかできることではない。実はこの隕石の比喩は,ラザフォードが理論的に導き出したことを,大西洋の構造になぞらえて表現するために創造したものだ。ラザフォードの原子構造のモデルを,この喩え話の架空の大西洋の構造に置き換えて説明すると,次のようになる。つまり,海面はごく薄い水からなる弾性を持った膜なのだが,その下はというと,深い波と海流と何トンもの水が存在するのだろうという長年のわたしたちの憶測とはうらはらに,何もなかったのである。

デイヴィッド・ボダニス 伊藤文英・高橋知子・吉田三知世(訳) (2005). E=mc2 世界一有名な方程式の「伝記」 早川書房 p.110

ゴダードのカリカック家

 ゴダードはいくつかの研究で,魯鈍の脅威を明るみに出した。もし精神薄弱の祖先が子どもをもつことを禁じられていたならば,決して存在することのない,国家や共同体にとって足手まといの沢山の無用な人々の家系を公表したのである。ゴダードはニュージャージー州の「松林の荒地」に住みついた一群の貧困者と浮浪者を見つけ出し,彼らの祖先を追跡した。そして高潔な男性と精神薄弱と思われる旅館の娘と姦通にまでその祖先を辿ることができた。のちにこの同じ男性は,クエーカー教徒の名士の女性と結婚し,全く善良な市民である別の家系の出発点ともなった。祖先が善良な家系と劣悪な家系の両方の出発点となったので,ゴダードはギリシャ語の美kallosと悪kakosを合成し,その男性にマーティン・カリカック Kallikak という仮の名を与えた。ゴダードのこのカリカック家族は数十年にわたる優生学運動の最初の神話としての役目を果たすことになる。

スティーヴン・J・グールド 鈴木善次・森脇靖子(訳) (2008). 人間の測りまちがい:差別の科学史 上 河出書房新社 p.317

エネルギー概念の斬新さ

 ファラデーが確立に貢献したエネルギーの概念がいかに斬新であったかを,人は忘れがちである。彼はこのように言っている。あたかも神が宇宙を創造したときと同じように,わたしはわたしの宇宙を創造するにあたり,Xという量のエネルギーをそこに置こう。わたしは恒星を成長させて爆発させ,惑星を軌道に乗せる。人々に大都市を築かせ,その大都市を破壊する戦いが起きると,生存者に新たな文明を築かせる。火が生まれ,荷馬車を引く馬や牛が現れる。石炭や蒸気機関,工場,さらには強力な機関車までもが登場する。しかし,その一連の出来事を通じて,たとえ人々の目に見えるエネルギーの形態が変わったとしても,たとえ人間や動物の筋肉から放出される熱となっても,滝の飛沫や火山の噴火というかたちをとったとしても,種類に関係なくエネルギーの総量は常に一定である。わたしが最初に創造したエネルギーの量は変化しない。当初あった量からわずかたりとも減ることはない。

デイヴィッド・ボダニス 伊藤文英・高橋知子・吉田三知世(訳) (2005). E=mc2 世界一有名な方程式の「伝記」 早川書房 pp.29-30

歴史の反復?

 当時のアメリカの指導的心理学者スタンリー・ホールは,1904年に,一般論として次のように述べた。「大部分の野蛮人は,ほとんどの点で子どもだ。ところが性的には成熟しているので,正確に言えば,青年期でいつづける大人だ」(1904年,第2巻,649ページ)と。彼の一番弟子のA・F・チェンバレンは温情主義をとり,「原始的な人たちのいない世界は,全体としては,まさに子どもの恩恵を知らない小さな世界のようなものだ」と語った。

スティーヴン・J・グールド 鈴木善次・森脇靖子(訳) (2008). 人間の測りまちがい:差別の科学史 上 河出書房新社 p.225

いずれ税金を

 1821年の夏の終わり,ファラデーは電気と磁気の関連性について研究しはじめた。電話を発明したアレクサンダー・グラハム・ベルが生まれる20年前,アインシュタインが生まれる50年以上も前のことである。ファラデーはまっすぐ立てた1本の棒磁石を用意した。彼は自分の奉ずる宗教に影響され,目に見えない円環状の渦が磁石をめぐっていると考えた。その推測が正しければ,だらりと垂らされた導線はそれに引きよせられ,小舟が渦に巻きこまれるように神秘の円に捕らえられるはずだ。彼は電池を接続した。
 その直後,ファラデーは電磁気回転という世紀の発見をなした。
 この発見を発表して,王立協会会員となったファラデーについて,真偽のほどは定かではないが,このような逸話がある。当時の首相にこの発明がどんな役に立つのかと問われたファラデーは,こう答えたという。「そうですね,首相,いずれこれに税を課することができるでしょう」

デイヴィッド・ボダニス 伊藤文英・高橋知子・吉田三知世(訳) (2005). E=mc2 世界一有名な方程式の「伝記」 早川書房 p.25

文化的文脈は影響するが・・・

 科学は,人間が行わねばならなくなって以来ずっと,深く社会に根ざした活動である。科学は予感や直感,洞察力によって進歩する。科学が時代とともに変化するのは大部分が絶対的真理へ近づくからではなく,科学に大きな影響を及ぼす文化的文脈が変化するからである。事実とは情報の中の純粋で汚点のない一部分ではない。文化もまた,我々が何を見るか,どのように見るかに影響を与える。さらに,理論というのは事実からの厳然たる帰納ではない。最も独創的な理論は,しばしば事実の上に創造的直観が付け加わったものであり,その想像力の源もまた強く文化的なものである。
 この議論は科学活動にたずさわっている多くの人々にとっては,まだタブーとして感じられるか,ほとんどの科学史家には受け入れられるであろう。とはいえ,この議論を展開するとき,いくつかの科学史家グループに広まっている次のような考えは行きすぎであり,私は同調しない。その考えとは,価額の変化は社会的文脈の変更を反映しているにすぎず,真理は文化的前提を除いたら無意味な概念であり,それ故,科学は永遠の解答を示すことはできない,というものである。まさにこれは相対論的な主張であり,実際に科学活動にたずさわっている1人として,私は同僚たちと次のような信条を共有している。すなわち,「事実に基づく現実(ファクチュアル・リアリティ)」があること,また科学は,ときには風変わりで常軌を逸したやり方ではあるが,その現実を知りうるということ。私はそう信じている。ガリレオは月の運動に関する理論上の争いで拷問台を見せられたわけではない。彼はそれ以前に,社会的,教義的安定のために教会が伝統的にもっていた論拠を脅かした。つまり地球は宇宙の中心に位置しその周りを惑星たちが廻っている。司教はローマ法王に従属し,農奴は領主につかえる。こういう静的世界の秩序という見方をガリレオは脅かしたのである。しかし,間もなく教会はガリレオの宇宙論と和解した。彼らはそうせざるをえなかった。地球は現実に太陽の周りを廻っているのである。


スティーヴン・J・グールド 鈴木善次・森脇靖子(訳) (2008). 人間の測りまちがい:差別の科学史 上 河出書房新社 p.75-76

催眠術を発見した男

 今日,医学は化学と密接に結びつけられているが,その昔は,病気の原因と治療を物理学に求めようとする治療師たちがいた。フランツ・アントン・メスメル(1734-1815)は,健康と磁気のあいだにつながりを見出したと思い,ほかのエキセントリックな科学者と同じく,ひとたびその関係に気づくや,この偉大な発見への転向に人生をささげた。メスメルは生まれ故郷のオーストリアで聖職者になるための教育を受け,次に法律を学び,33歳というかなり遅い年齢で医師の免許をとった。
 メスメルは,当時流行の天文学理論とニュートンの万有引力の法則を,動物磁気という自分の生物学モデルのなかに取りこんだ。彼の理論では,すべての生物の内部に,中国医学の「気」にも似たエーテル様の流体が存在し,それが生体の活力をつかさどっているとした。良好な健康状態は,体内の磁気の流れが,宇宙を満たす磁気の流れと釣りあっているときにもたらされる,と彼は結論づけた。もしその均衡が崩れたら,磁石で流れを元どおりに整えることで秩序は回復できる,というのである。
 当初,メスメルは患者の身体の各部に小さな磁石を取りつけたにすぎなかった。やがてパリに移り,その地で目ざましい成功を収め,一度など,2万リーヴルを積まれても治療法の秘密を明かさなかった。じきに彼は,自前の豪華な設備をもつ医院で集団治療をはじめるまでになった。患者たちは,水と鉄粉の入った浴槽のそばに座り,その両脇から突き出ている鉄棒をしっかりと握った。
 メスメルは医学の主流派から激しく非難されたが,芝居じみた言動をいっそう増幅させたので事態はいっこうにおさまらなかった。ほどなく,集団治療は交霊会の様相を呈するようになる。メスメルの強烈でカリスマ的な人格は,その儀式で,前にも増して重要な役割を担った。彼はライラック色のマントをまとい,細い鉄の杖を振り動かしながらその儀式をとりしきった。そして,最終的には磁石の使用をやめ,宇宙の流動体を彼自身の身体を通して,あるいは鉄の杖を介して,患者へと送りはじめた。
 メスメルの動物磁気説は,もちろん何の根拠もなかったのだが,メスメリズムとして知られた催眠術を考案したことによって,たしかに彼は科学に永続的な貢献をした。これは,奇人の発見能力(セレンディピティ;ホラス・ウォルポールの造語であるが,彼もまた奇人だった)の好例である。メスメルの鉄の杖と動物磁気説は,いまや「はったり」の同義語になりさがっているが,彼の催眠術のテクニックは,今日でも正当な医学の現場で,多くの実際的な用途に使われている。

デイヴィッド・ウィークス,ジェイミー・ジェイムズ 忠平美幸(訳) (1998). 変わった人たちの気になる日常 草思社 pp.117-119

完全なる公平無私はありえない

 学者は,たいていの場合このようなかかわりを語るのを警戒する。なぜならば,固定観念として,冷静な公平無私は,感情に左右されない正しい客観性にとって必須要件として働くと考えられているからである。私はこの主張が,私の職業に広くゆきわたった最悪でしかも有害な主張の1つであると考えている。公平無私であること(たとえ望ましいとしても)は,避けられない背景,要求,信念,信仰そして欲望などがあるため,人間には達成できるものではない。学者が,自分は完全に中立を保てると思ったとしたら,それは危険である。なぜならば,そうした時,人は個人的好みとその好みがもたらす影響力に目を配るのをやめてしまっているからである----つまり,その人の偏見の命ずるところへ本当に落ち込んでしまう犠牲者になるからである。


スティーヴン・J・グールド 鈴木善次・森脇靖子(訳) (2008). 人間の測りまちがい:差別の科学史 上 河出書房新社 p.44

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