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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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情報リテラシーこそ

 結局,日本経済が抱えているボトルネックは,その多くがコミュニケーション上の障壁,つまり日本人の情報リテラシーの問題なのだ。
 政府の財政について,まるで家計のやりくりのような,低レベルな説明を続ける経済評論家やマスメディアは論外である。だが,バランスシートやキャッシュフローに関する正しい知識もなく,政府の債務拡大についていたずらに恐れを抱く日本人のリテラシー水準も,やはり大きな問題ではある。

三橋貴明 (2009). ジパング再来:大恐慌に一人勝ちする日本 講談社 p.258
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攻撃性の遺伝

 攻撃性は,選択的交配を通してマウスの系統内で強めることができるものであって,系統内の大人の個体から学習されるものではない。というのは,生まれたばかりの攻撃性の高いマウスの赤ん坊を攻撃性の低い養母のもとで育て,その後攻撃性の低いマウスと同じケージで育てても,おとなになると,攻撃性を示すからだ。同じことが攻撃性の低いマウスにも言える。彼らも,攻撃性の高い養母のもとで育ち,攻撃性の高い仲間と一緒に成長しても,おとなになったときには攻撃行動を示さないのだ。このことは,マウスの攻撃性には明らかに遺伝的要素があるという強い証拠になる。
 攻撃性が人間でも遺伝することは,一緒に育った一卵性双生児,二卵性双生児についての研究から示唆される。ヴェトナム戦争時に兵役についていた双生児の登録者を用いた研究では,300組を越える一卵性と二卵性のふたごのデータが,攻撃性に関連した4つの行動をテストしたあと,分析された。遺伝的な要素は,どの行動にも見られた。遺伝率は,直接的(身体的)攻撃が47%,ことばによる攻撃が28%,間接的攻撃(癇癪発作や悪口)が40%,攻撃行動と高い相関があることが示されている怒りっぽさが37%である。攻撃のこれら4種類の下位行動は,衝動的とみなされている。攻撃行動の個人差には非共有環境の影響が見られ(共有環境の影響は見られなかった),その程度は,直接的攻撃の53%からことばによる攻撃の72%におよんだ。


ウィリアム・R・クラーク&マイケル・グルンスタイン 鈴木光太郎(訳) 遺伝子は私たちをどこまで支配しているか DNAから心の謎を解く 新曜社 pp.210
(Clark, W. R. & Grunstein, M. (2000). Are We Hardwired?: The Role of Genes in Human Behavior. New York: Oxford University Press.)

景気回復

 現在の日本に求められるのは,名目GDPを大きく成長させることである。すなわち景気回復こそが求められているわけであり,ありもしない財政破綻論に怯えて政府支出を絞り込むことではないのだ。政府の負債の減少は,あくまで景気回復の「結果」であって,原因でもなければ目的でもない。

三橋貴明 (2009). ジパング再来:大恐慌に一人勝ちする日本 講談社 p.139.

行動には複数の遺伝子が影響する

 ここで,本書で述べる内容の多くを理解する上で重要になる考え方について解説しておこう。ある遺伝子の突然変異が特定の行動を変化させる(たとえば,カルモジュリン遺伝子の突然変異が刺激に対するゾウリムシの動きに影響する)ことが発見されたとしても,その行動がその遺伝子のみによってコントロールされているということにはならない。それが意味するのは,その遺伝子がその行動になんらかの形で関与しているということだけである。行動そのもの----ゾウリムシの場合は前進と後退----には,ほかの多くの遺伝子も関与している。たとえば,ゾウリムシが動き回るのに使う繊毛を調整しているすべての遺伝子や,動き回るためのエネルギーを生み出すのに関与している複数の遺伝子が,そうである。行動が単一の遺伝子の結果であるということはほとんどないか,あったとしてもほんの数えるほどだ。ゾウリムシのような単細胞生物でさえ,そうなのだ。人間のような複雑な生物の場合なら,なおさらである。これが,単細胞生物の行動の研究から得られるもっとも重要な知見のひとつである。


ウィリアム・R・クラーク&マイケル・グルンスタイン 鈴木光太郎(訳) 遺伝子は私たちをどこまで支配しているか DNAから心の謎を解く 新曜社 pp.46-47
(Clark, W. R. & Grunstein, M. (2000). Are We Hardwired?: The Role of Genes in Human Behavior. New York: Oxford University Press.)

負債のみ,資産のみ

 日本のマスメディアは日本政府のストック(債務問題)を取り上げる際は「負債」のみを,海外企業を褒め称える場合は「資産」のみしか報じないので,細心の注意が必要だ。フェイクマネーで膨れ上がった資産など,正体不明な分,はっきりいってゼロよりも始末が悪いのである。

三橋貴明 (2009). ジパング再来:大恐慌に一人勝ちする日本 講談社 p.109

遺伝子型という重要な概念

 遺伝子型は,重要な概念である。個体のすべての生物学的特性は,究極的には,その個体のもつ遺伝子型の影響を大きく受けるからである。ある遺伝子型のなかの特定の遺伝子やその組合せの発現によって生じる観察可能な特性が,その個体の表現型の全体を作り上げる。いくつかの表現型の特性は,遺伝子型によって----単一の遺伝子のみによって,あるいはほかの遺伝子と一緒になって----直接決定される。しかし,ほかの表現型(行動はその最たるものだ)は,究極的には,遺伝子と環境の相互作用の結果として生じる。遺伝子と行動に関するデータをあつかう場合には----データが間接的なものにならざるをえない人間の場合にはとりわけ----つねにこのことを念頭においておく必要がある。


ウィリアム・R・クラーク&マイケル・グルンスタイン 鈴木光太郎(訳) 遺伝子は私たちをどこまで支配しているか DNAから心の謎を解く 新曜社 pp.39-40
(Clark, W. R. & Grunstein, M. (2000). Are We Hardwired?: The Role of Genes in Human Behavior. New York: Oxford University Press.)

夕方も

明日から,1日2回,夜も引用していきます。
朝は午前7時,夜は午後7時に更新します。

複数の遺伝子の影響・単一の遺伝子の影響

 遺伝学は伝統的に,突然変異による生物の変化を観察することによって,個々の遺伝子を特定するという方法をとってきた。人間の遺伝学の初期には,行動などの違いを説明する単一遺伝子の違いを探すというやり方が一般的だった。しかし,この50年間に行われてきた研究から明らかになったのは,人間のどんな行動であれ,単一遺伝子だけが関係していることはほとんどない,ということである。図1.1にあげたような,性格の個々の要素でさえ,単一遺伝子によって説明するにはあまりに複雑すぎる。行動に関してわかっていることから言えるのは,さまざまな時と場所で,そして私たちの気づきもしないやり方で,相互に,そして環境と作用し合うのであって,行動をもっともよく説明するのはこの相互作用だということである。
 一方,有害な単一遺伝子が,性格や行動を「壊して」しむこともある。たとえば,慢性の痛みを引き起こす単一遺伝子の欠陥が,行動にも大きな変化を引き起こすことがある。ハンチントン病は単一遺伝子によって引き起こされるが,この病気になると,まず人格障害が始まる。遺伝する確率の高い早発性のアルツハイマー病は,突然変異による単一遺伝子の機能欠損によって生じるが,これも人格障害をともなう。しかし,単一遺伝子の欠陥が特定の性格特性を壊すという事実からは,その遺伝子がその性格特性に関与しているということまでは言えるが,その遺伝子がそれに関与する唯一の遺伝子だということは言えない。


ウィリアム・R・クラーク&マイケル・グルンスタイン 鈴木光太郎(訳) 遺伝子は私たちをどこまで支配しているか DNAから心の謎を解く 新曜社 pp.23-24
(Clark, W. R. & Grunstein, M. (2000). Are We Hardwired?: The Role of Genes in Human Behavior. New York: Oxford University Press.)

同じ設計図から生じるランダムな部分

 まったく同一の遺伝的設計図から2人の人間が発生してくる場合でも,その道筋は,まったく同じというわけではない。とりわけ,すべての行動の中枢である神経系の場合,脳や末梢神経の各部分の発生のしかたはある程度ランダムである。胚や胎児の時期に,新たに形成された神経細胞は,その周囲に向かって神経繊維をどんどん伸ばしてゆくが,この伸ばし方がかなりランダムなのである。これらがほかの神経細胞や近接する筋細胞との間に連絡を形成するかどうかは,ある程度偶然に左右される。神経細胞は,連絡を作ることができなければ死んでゆき,いったん連絡を作ってしまうと,基本的には生きているかぎり,それを維持する。しかし,遺伝的に同一の双生児でさえ,少し違った神経細胞の連絡のパターンを発展させ,こうした違いも,彼らの間の差異の一因になる。一卵性双生児の脳の詳細な分析から明らかにされているのは,神経解剖学的には小さな違いがあり,この違いが重要かもしれない,ということだ。


ウィリアム・R・クラーク&マイケル・グルンスタイン 鈴木光太郎(訳) 遺伝子は私たちをどこまで支配しているか DNAから心の謎を解く 新曜社 pp.8-9
(Clark, W. R. & Grunstein, M. (2000). Are We Hardwired?: The Role of Genes in Human Behavior. New York: Oxford University Press.)

誰も知らないきょうだい

 ふたごは,実際の出生数が示すよりもはるかに多い。アメリカでは,出生児1000人あたり,二卵性双生児がほんの4組であり,一卵性双生児となるとたった1組の割合である。しかし,妊娠初期に超音波を用いて詳しく調べてみると,妊娠の8回に1回----おそらくはそれ以上----が複数の胚である。これらのほとんどは,妊娠後の最初の数週で失われ,通常の状態では,母親も医者も,その存在に気づくことはない。



ウィリアム・R・クラーク&マイケル・グルンスタイン 鈴木光太郎(訳) 遺伝子は私たちをどこまで支配しているか DNAから心の謎を解く 新曜社 p.6
(Clark, W. R. & Grunstein, M. (2000). Are We Hardwired?: The Role of Genes in Human Behavior. New York: Oxford University Press.)

調べるヒトが明らかに減少している

 一個の種複合体(メタスピーシーズ)の半分ずつを構成するイチジクとイチジクコバチは,ひとつの生態系の中で生じている共生の姿を見事に示しているとはいえ,実はこれは極端な例だ。植物と花粉媒介者がこれほど互いに依存していることも,このような関係がうまく続くことにこれほど多くの他の種が依存していることもめったにない。ふつうは,もっと結びつきが弱く,パートナーを失った場合の影響が目立つこともない。花粉を媒介してくれるあるひとつの種が消えたとしても,その植物が絶滅に追いやられるようなことは通常ない。それよりよく起こるのは,着実な崩壊,つまり復元力が着実に失われていくことだ。花粉媒介者の数が減るにつれ,受粉を頼っている植物の数も減っていく。もしかしたら穴埋めをしてくれるほかの花粉媒介者が出てくるかもしれないし,そうでないかもしれない。数を減らしつつある植物や花粉媒介者のほとんどは要石となる根源種ではないだろう。ほとんどはアーチを構成しているただのレンガだ。でもレンガだって,じゅうぶんな数を取り除けば,アーチは必ず崩壊する。
 今,アーチはどれぐらい頑丈なのだろう?原野の復元力はどれほど頑健なのだろう?残念ながら,そのほとんどについては,だれにもわからない。科学的研究は資金のあとを追いかける。通称もないほど目立たない野生昆虫の研究などには,誰も金を出さない。全米研究会議の「北米における花粉媒介者の現状に関する委員会」の委員長であるメイ・ベレンバウムは,2007年,CCDに関するアメリカ連邦会議の諮問の場で,「信頼に足りるデータが全国的に欠落しており,このようなデータを収集しようという努力も実質的に全く払われていません」と証言した。彼女はこう皮肉っている。「アメリカ合衆国において花を訪れる昆虫の個体群が減少していることを立証するデータは不十分ですが,このような昆虫が識別できる昆虫学者,ひいてはそれらを観察しようとする昆虫学者については明らかな減少パターンが見出されます」と。たとえ受粉昆虫の現在の個体群数がわかったとしても,比較するための過去の基準値が存在しない。つまり,アーチにはどれだけのレンガが使われているのかもわからないのだ。わかっているのは,毎日のようにレンガが崩壊しているということだけだ。

ローワン・ジェイコブセン 中里京子(訳) (2009). ハチはなぜ大量死したのか 文藝春秋 pp.265-266.
(Jacobsen, R. (2008). Fruitless Fall: The Collapse of the Honeybee and the Coming Agricultural Crisis. New York: Bloomsbury USA.)

科学は複雑さに対応できるか

 ウエブスターはテクノロジーそのものを毛嫌いしているわけではない。科学的な方法が多くの進歩をもたらしたことも理解している。けれども,それが常に最良のアプローチであるとは限らないことも知っている。比較試験では,1種類か2種類の要因を研究することしかできない。そのため,科学的な調査では問題を最小単位にまで分類してから,1度に1つずつとりあげて,その要因をどうしたら操作できるか探ろうとする。その成果は小さなブロックに分けられた細切れの知識だ。
 けれども,無数の要因とフィードバックループを持つ複雑なシステムに関しては,科学的調査は白旗を掲げて降参するべきだ。人間の栄養についてあれだけの関心が寄せられているのに,今でも基礎的な進歩しか遂げられていないし,天気予報も,いつまでたっても不確実だ。科学の目標は,システムを操作したり制御したりするために,あることが機能する理由を解明することにある。私たち人間は,何かを知り,それを制御することにこだわり,世の中と直感的に結びつくことを軽んじる。けれども,システムと調和して生きるには,そのシステムを征服する必要などないこともあるのだ。

ローワン・ジェイコブセン 中里京子(訳) (2009). ハチはなぜ大量死したのか 文藝春秋 pp.227-228.
(Jacobsen, R. (2008). Fruitless Fall: The Collapse of the Honeybee and the Coming Agricultural Crisis. New York: Bloomsbury USA.)

復元力を失った生活

 もしあなたの祖先が,私の祖先と同じようにヨーロッパからやってきたのなら,その人たちは,おそらく黒死病を生き残った人々だったろう。天然痘も生き残ったかもしれない。私たちが今ここに存在しているのだから,祖先は運がよいほうの人だったことは明らかだ。疫病が不幸な出来事以外の何ものでもないことに反論を唱える人はいないだろう。それと同時に,疫病が去ったあとには,復元力の強い遺伝子を持つ人たちがあとに残るという事実も否めない。かつて私たちの免疫系が守りについていた最前線を抗生剤と消毒薬が守るようになった今日,私たちはおそらく過去数百年でもっとも流行病に弱い立場にいるに違いない。
 イタリアのミツバチは,何十年にもわたって,復元力とはほとんど関係のない特質を伸ばすように交配されてきた。伸ばしたい特質のトップを飾っていたのは蜂蜜生産力で,仲間を増やす力も同じくらい乞われていた。性格の穏やかさも欠かせない要素だった。自立に資する特質,すなわち寄生虫や病気への抵抗力,越冬能力,餌が少なくても耐えられる力などは,あまり重視されなかった。というのは,このような問題は,石油化学に頼って解決したほうが効率がよかったからだ。冬の間フロリダにトラックで連れて行ったほうが安くあがるのに,誰がわざわざ越冬可能な蜂を欲しがる?初春に米国南部やオーストラリアから女王蜂と種蜂を新たに買い入れたほうが安上がりなのに,なぜ蜂が自立できるかどうか心配する?異性化糖のコーンシロップが安くじゅうぶんに手に入るのに,なぜ自分で餌をまかなえる蜂など交配する必要がある?巨大な化学企業複合体が提供するダニ駆除剤,殺菌剤,抗生剤が簡単に手に入るのに,なぜわざわざダニと病気に抵抗力を持つ蜂の繁殖に何年も費やさなければならない?
 いったんこのような安易な手段に手を染めるときりがない。ミツバチを大陸横断サバイバルレースに無理やり出場させたり,アーモンド受粉のために冬期に巣を冬蜂で溢れ返らせたりすることにより,養蜂家は蜂をどんどん不自然な暮らし方に追い込んでいった。その過程で,必要になったときに初めて気づくような目立たない特質が失われていったことは間違いないだろう。自然のシステムに,本来それが意図していないようなことをさせるのは可能かもしれない。けれどもそれにはいつでも壊滅のリスクがつきまとう。

ローワン・ジェイコブセン 中里京子(訳) (2009). ハチはなぜ大量死したのか 文藝春秋 pp.218-219.
(Jacobsen, R. (2008). Fruitless Fall: The Collapse of the Honeybee and the Coming Agricultural Crisis. New York: Bloomsbury USA.)

家畜の肥育につきまとう問題

 面白いことに,タイロシンは家畜にも投与されている。私はつねづね,いわば巨大なたんぱく質の塊である牛が,たんぱく質含有量の低い草を食べるだけでどうやってあれだけの体を築くことができるのかと不思議に思っていた。だが今では「第一胃」,つまり牛の胃の最初の小部屋がその鍵を握っていることがわかる。第一胃は,基本的にはバクテリアの詰まった発酵タンクだ。バクテリアは消化しにくい草のセルロースを特殊な酵素で分解し,それを食べてウサギのように急速に繁殖する。バクテリアの一部は第二胃に運ばれて,今度は牛が消化することになる。60パーセントがたんぱく質のバクテリアは,ミクロサイズのステーキのようなものだ。ある意味では,私たちが牛を飼うように,牛もバクテリアを飼っていると言えるかもしれない。
 けれども,肥育場の家畜が草の代わりにトウモロコシを食べさせられると,第一胃の環境はバクテリア群を死滅させる形に変わってしまう。その結果,さまざまな病原菌がはびこって,タイロシンが必要になるのだ。『雑食動物のジレンマ The Omnivore’s Dilemma』で,マイケル・ポーランは肥育場の獣医に,抗生剤の投与を止めたら牛がどうなるかと尋ねている。獣医の答えはこうだった。「死亡率が上がり,うまく育たない牛が増えるだろう。今みたいに餌を与え続けて太らせることができなくなる。もし,牛に大量の草とスペースを与えたら,私は商売上がったりになってしまうさ」。牛を放牧して草を食べさせるより,病気の牛をひとところに集めてトウモロコシとタイロシンを与え,獣医を待機させておいたほうが費用効率がいいのだ。だから,ほとんどのビーフはこのように生産されている。
 これはミツバチについても同じだ。放牧は高くつくが,コーンシロップは安い。肥育型の養蜂につきまとう病気と闘うために必要となる抗生物質も安い。けれども,薬がかえって蜂を病気にしているとしたら,このような飼い方は結局安いとは言えないだろう。

ローワン・ジェイコブセン 中里京子(訳) (2009). ハチはなぜ大量死したのか 文藝春秋 pp.192-193.
(Jacobsen, R. (2008). Fruitless Fall: The Collapse of the Honeybee and the Coming Agricultural Crisis. New York: Bloomsbury USA.)

現代のあるミツバチの一日

 典型的なある1日を想像してみよう。あなたは一晩ぐっすりと寝て気持ちよく目を覚まし,筋肉と頭脳にたっぷりエネルギーを送ってくれる健康的な朝食をとる。きょうも1日効率よく働く準備は万端だ。会社では,1日中居心地の良い環境で仕事をする。ほとんど邪魔も入らないし,室温も適度に保たれているので,震えたり汗をかいたりして余分なエネルギーを使うこともない。有害な物質にさらされる程度も最小限だし,友人や家族もしっかり支えてくれている。あなたは1日じゅうリラックスして過ごし,生産性を最大限に引き出すことができる。
 ここで,もうひとつのシナリオについて考えてみよう。あなたは大陸を横断する長旅のあと,充血した目つきでよろよろと空港に降り立ち,ペプシコーラを朝食の代わりに飲んで元気をつける。すぐにレンタカーに飛び乗って,得意先との会議に向かうが,車のナビゲーションシステムが壊れていたせいで道に迷ってしまう。ようやく遅れて会議にたどりついたときは,いらいらして,震えが止まらない。会議中には,下痢をもよおしてトイレに駆け込まなければならない。腹の具合がずっとおかしいのdが,抗生剤の効き目がちっともあらわれないのだ。足元の絨毯にはノミが飛び回っているのか,何かが靴下の中にもぐり込もうとしている。会議に戻ってしばらくすると,害虫駆除会社の連中がやってきて,吐き気をおよおす白い煙を部屋中に撒き散らす。会議でのあなたのパフォーマンスは最低だ。期待していた取引もまとめることができない。けれども,くよくよしている暇はない。すぐに次の会議に向かわなければならないから。実は,このあとも夜遅くまで,いくつもの会議が目白押しだ。そのあと,とんぼ返りで飛行機に乗り,目を充血させて家に戻ることになっている。ゆっくり座って食事をとる時間などないので,車を運転しながら,ドーナツにかぶりつく。
 あなたの調子は最低だ。不可能な詰め込みスケジュールのせいで常にいらいらしているだけではない。睡眠不足,糖分の多い食事,化学物質による汚染が免疫系に重い負担をかけている。おそらくこれからさまざまな病気にかかり,仕事の業績もどんどん落ちていくだろう。ついに妻の待つ家にたどり着いても,ロマンチックな気分などにはとてもなれない。心配事があまりにも多すぎるから。子どもたちに何らかの学習障害があるらしいこともそのひとつだ。

ローワン・ジェイコブセン 中里京子(訳) (2009). ハチはなぜ大量死したのか 文藝春秋 pp.183-184.
(Jacobsen, R. (2008). Fruitless Fall: The Collapse of the Honeybee and the Coming Agricultural Crisis. New York: Bloomsbury USA.)

ニセ蜂蜜

 蜂蜜は生産するのに費用がかかるが,コーンシロップは,まるでタダのように安い(栄養価も値段に比例する)。1970年代の蜂蜜生産業者は蜂蜜をコーンシロップでごまかすことによってぼろもうけした。450グラムあたりの蜂蜜の価格は56セントだったのに,コーンシロップはたった6セントだったのだから。けれども,これを見破る方法はすぐに開発されてしまった。そのあと粗悪蜂蜜製造者たちはもっと賢くなった。1998年,蜂蜜を大量に買い付ける北米の大手諸企業のもとに,あるインドの会社から,「蜂蜜類似物」をトン単位で提供するというファックスが届いた。コーンシロップあるいはライスシロップからなるこの類似物は「酵素的に加工」されているため,見た目も成分も蜂蜜に酷似しているという。このインドの会社は,この類似物が天然の蜂蜜をチェックするあらゆる検査にもパスすると保証し,本物の蜂蜜の代用品として使えると請けあった。このような「蜂蜜類似物」こそ,アメリカとカナダとヨーロッパの養蜂家たちが直面している問題なのだ。そして,私たちが食べているハニーローステッド・ピーナッツも,このインチキ蜂蜜を使っているのかもしれない。ある国際的な食品バイヤー用の手引きの新版には,8件の蜂蜜供給企業と14件の「蜂蜜代用品」の供給業者の名前がリストアップされている。

ローワン・ジェイコブセン 中里京子(訳) (2009). ハチはなぜ大量死したのか 文藝春秋 pp.160.
(Jacobsen, R. (2008). Fruitless Fall: The Collapse of the Honeybee and the Coming Agricultural Crisis. New York: Bloomsbury USA.)

ミツバチにみられる個体差

 そう,答えはイエスだ。『ミツバチの知恵』の中のもっともチャーミングな実験で,シーリーは10匹のミツバチの尻振り傾向を観察した。まず最初に,給餌器で薄いショ糖を蜂に与えてから,シーリーは給餌器を濃いショ糖液の入ったものと交換した。蜂の反応には大きなばらつきがあった。ある蜂(BBと名づけられた)は,この10匹が行った尻振りダンスの総合計の41パーセントにもあたる回数のダンスを行ったが,もう1匹(OG)の回数は5パーセントにしかならなかった。この美食に慣れた辛口レストラン批評家OGは,まったくダンスをしないことさえあり,最高に濃いショ糖液に対してさえ,たった30回しか尻振り走行を行わなかった。30回とは,BBが低品質のショ糖液に対して尻振り走行を行った回数である(「お昼にビッグマックを食べたんだけど,最高においしかった!」)。そしてBBは,最高に濃いショ糖液に対しては完全に舞い上がり,100回以上も尻振り走行を行った。
 この遺伝的な個体差は,資源を効率的に活用しようとする巣の能力を損なう要因のように見えるかもしれないが,結果的にはおびただしい蜂の数によって均される。もちろん,BBは一握りの蜂をリクルートして,彼女が良いと思っている蜜源に連れて行くことになるかもしれないが,連れて行かれた蜂は失望して,その蜜源が結局たいしたものではなかったと報告するだろう。つまり,尻振りダンスは行わない。その頃までには,おそらくBBも巣に戻り,ビッグマック狩りに疲れて眠りに落ちていることだろう。過熱した興奮状態もおさまっているはずだ。
 実はコロニーには,BBのような蜂も必要だ。というのは,食料が少ないときには,ビッグマックだって大発見なのだから。そして,食料が潤沢に得られるときには,ほんとうに最高の場所に連れて行くためにリクルートを行うOGのような懐疑的な蜂も必要だ。大きな釣鐘曲線に示される蜂の興奮状態のばらつきがあるおかげで,コロニーは,常に変化する花蜜の供給状態に賢く対応することができる。


ローワン・ジェイコブセン 中里京子(訳) (2009). ハチはなぜ大量死したのか 文藝春秋 pp.62-63.
(Jacobsen, R. (2008). Fruitless Fall: The Collapse of the Honeybee and the Coming Agricultural Crisis. New York: Bloomsbury USA.)

ミツバチは人間の力を借りて世界征服を成し遂げた

 私たち人間は,自然を操作していると思い込みがちだ。だが,実は操作をしているのは人間の側だけではない。私は,人間とミツバチの協力関係を,共進化の典型的な例とみている。蜂だって,少なくとも私たちと同じぐらいの恩恵はこうむってきているのだ。17世紀のイギリスの作家ジョナサン・スウィフトが言うように,「(蜂蜜の)甘さと(蜂ろうで作ったろうそくの)光というもっとも崇高な2つのものを人類にもたらすことにより」,蜂は私たちを夢中にさせて,彼らの遺伝子を地球全体にばらまかせた。それもあっという間に。花との間に「受粉対花蜜」の取引を成立させるには数百万年を要したのに,少量の甘味を餌に,人間に大変な思いをさせて巣箱を作らせ,それを方々に運ばせるには,たった数千年しかかからなかったのだから。
 もちろん,人間はこの協力関係を意識していても,蜂にその意識はない,という議論もあるだろう。だが,進化は,それに関わるものの意識や意図など一切おかまいなしだ。結果だけがものをいう。おして,結果ははっきりしている。ミツバチは,人間の力を借りて,世界を征服したのだ。

ローワン・ジェイコブセン 中里京子(訳) (2009). ハチはなぜ大量死したのか 文藝春秋 pp.48-51.
(Jacobsen, R. (2008). Fruitless Fall: The Collapse of the Honeybee and the Coming Agricultural Crisis. New York: Bloomsbury USA.)

心理療法も学習経験

心理療法自体も学習経験であり,シナプス接続の変化が関係している。脳の回路と心理学的経験とは別べつなものではなく,むしろ同じことの異なる表現なのだ。とはいえ,心理療法のもたらす脳の変化の様子と薬がもたらす脳の変化の様子は必ずしも同じではない。だからこそ,ある症例では心理療法が功を奏し,ある症例では薬がよく効くということがあり,薬と心理療法を組み合わせると,どちらか単独の場合よりもよい結果が出ることがあるのだ。

ジョゼフ・ルドゥー 森 憲作(監訳) (2004). シナプスが人格をつくる:脳細胞から自己の総体へ みすず書房 pp.388
(LeDoux, J. (2002). Synaptic Self: How Our Brains Become Who We Are. New York: Viking Penguin.)

ドーパミンは快楽物質ではない

 脳刺激報酬が当初,快楽中枢を活性化によると考えられていたように,ドーパミンは快楽物質だと考えられていた。しかし前述のように,脳刺激報酬を快楽主義的に考える(主観的快楽だと考える)見かたは正しくない。同様にドーパミンの役割を快楽主義的に解釈するのも正しくない。たとえばドーパミンをブロックすると甘味という報酬によってモーティベートされた器械的反応は妨げられるが,おいしいものが得られたときにそれを食べることは妨げられない----動物はそれを食べるときに依然としてその報酬を「好む」。ただ,それを得るために努力することはなくなる。そういうわけでドーパミンは達成行動(食べること,飲むこと,セックスすること)にではなく,期待行動(食べ物,飲み物,性的パートナーを探すこと)にかかわっている。だが空腹であることや喉が渇いていることは不快なことだ。快楽はそれを経験としてとらえるかぎり期待の状態では生じず,達成のあいだに生じるものだ。ドーパミンは期待の局面だけにかかわっていて,達成の局面にかかわっていないのだから,その作用は(少なくとも,何かを欲する状態に関する作用は)快楽という観点からは説明できない。

ジョゼフ・ルドゥー 森 憲作(監訳) (2004). シナプスが人格をつくる:脳細胞から自己の総体へ みすず書房 pp.364-365
(LeDoux, J. (2002). Synaptic Self: How Our Brains Become Who We Are. New York: Viking Penguin.)

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