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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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快楽中枢?

 脳刺激報酬の現象が発見されてほどなく,その効果は脳の「快楽中枢」の刺激によるものだという考えが起こった。ニューオリンズの医師ロバート・ヒースが統合失調症の患者がそのような刺激を快く感じたと報告し,この考えはますます力を得た。同じころ,文名を高めていたマイケル・クライトンが『ターミナル・マン』で快楽中枢という概念を大衆化した。多くの研究者が脳刺激報酬を主観的に経験される快楽として捉えたなかで,この分野の指導的理論家,ピーター・シズガルは報酬が行動をモーティベートする能力と快楽的感情を生じさせる能力とは別べつであると主張した。これはシズガル自身が指摘しているように,情動行動は必ずしも情動感情によって引き起こされるわけではないという私(ルドゥー)の概念のモーティベーション版である。
 人気の高さにもかかわらず,脳刺激報酬の研究はやがて活力を失った。理由の1つは脳刺激報酬のモーティベーション的性格が明確にならなかったことだ。脳刺激報酬は動因を活性化するのか?誘因を強化するのか?それともその両方なのか?脳刺激報酬は自然な報酬と同じなのか?脳刺激報酬によって学習を説明できるか?これらの問題は未解決に終わった。そして1960年代後半には,認知科学の影響が強まるなか,脳刺激報酬はモーティベーションと情動に関するほかのトピック同様,死にかけていた。認知科学者によって,動因・誘因・報酬といった問題は行動主義者にとって重要であったほどには重要でなかったのだ。

ジョゼフ・ルドゥー 森 憲作(監訳) (2004). シナプスが人格をつくる:脳細胞から自己の総体へ みすず書房 pp.362-363
(LeDoux, J. (2002). Synaptic Self: How Our Brains Become Who We Are. New York: Viking Penguin.)
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遺伝子以外の影響を免れることはない

 エソロジストが生得性をテストするときの古典的な方法は,ある行動が誕生時もしくは誕生後すぐに存在すること,もっと一般的には,その個体が環境の刺激から学ぶ機会がないうちにその行動が現れることを証明することだった。ところが1950年代にアメリカの動物心理学者ダニエル・ラーマンが,いかに厳密に隔離しても出生前や誕生直後に起こる出来事は避けられないから,個体が遺伝子以外の影響を完全に免れることはありえないという説得力のある主張をした。その結果,エソロジストたちは行動の発達のエピジェネティックな(遺伝子と環境の相互作用による)性格を受け入れて,さまざまな種に特有の行動パターンを解明する努力を重ねるうちに「生得的(innate)」や「本能的(instinctual)」という語を使わなくなり,,「種に典型的な(species-typical)」という語をよく用いるようになった。

ジョゼフ・ルドゥー 森 憲作(監訳) (2004). シナプスが人格をつくる:脳細胞から自己の総体へ みすず書房 pp.123-124
(LeDoux, J. (2002). Synaptic Self: How Our Brains Become Who We Are. New York: Viking Penguin.)

母胎内環境の重要性

 早期の胚は感覚系をもたないので外部環境から直接的な知覚情報を得ることはほとんどない。しかし,発達の最も早い段階でさえ,遺伝子は完全に外界から独立して働くわけではない。胚の化学的環境は必然的に母体の化学的環境と直接接触している。胚は脳と身体の発達に必要なタンパク質を形成するアミノ酸を自分自身でつくることができず,母体からもらわなければいけない。母体は自分が食べるものからそれを得る。母の食べるものが胚にとって望ましくないものの源になることもある。食物に含まれる毒素や食品添加物などだ。望ましくないものをもたらしかねない点では,母の吸う空気,(医療目的ならびに快楽目的での)薬,煙草なども同じだ。母の感じるストレスのレベルがホルモンの状態に影響し,それが胚に影響を与えることもある。また母体が感染と闘うためにつくる抗体も胚に影響することがある。脳の特色は遺伝子による設計図で決められている(そのおかげですべてのヒトの脳がほぼ同じような形態と機能をもっている)が,計画どおりに仕上がるには,ニューロンが発達するための一定の杯内化学環境が必要だ。遺伝子と胚の化学環境の相互作用がかき乱されると,脳の正常な発達もかき乱される。遺伝と環境はいちばん最初から相互に作用しているのだ。

ジョゼフ・ルドゥー 森 憲作(監訳) (2004). シナプスが人格をつくる:脳細胞から自己の総体へ みすず書房 pp.99-100
(LeDoux, J. (2002). Synaptic Self: How Our Brains Become Who We Are. New York: Viking Penguin.)

フロイトとニューロン

 「ニューロン戦争」初期のあまり知られていない兵士の一人に若き日のジークムント・フロイトがいる。ウィーンで医学の訓練を終えたのち,フロイトは助手(研究者)の地位を得,魚とザリガニの神経系を研究した。ニューロン説が書かれるずっと前の1883年に,フロイトは早くも1つ1つの神経細胞は物理的に別べつになっているという考えを育んでいた。この概念はのちに,彼が心理学理論に足を踏み出した最も早い時期の論文に顕著に現れる。1895年に書かれたが,その後何十年も発表されなかった『科学的心理学草稿』で,フロイトは次のように述べている。「神経系はそれぞれ同じような構造をもつ別個のニューロンから成っている。(中略)ニューロンはもう1つのニューロンと接するところで終わる」。フロイトはニューロンどうしが境を接するところを指すのに「接触境界」という言葉を導入した。そして,ニューロンどうしが接触境界を越えておこなう相互作用によって,記憶,意識,その他の心の働きが可能になるのではないかと示唆した。これらの考え方は当時としては非常に進んだものだったが,フロイトは脳研究の進む速度が遅すぎると感じ,神経理論から心を研究する道を捨て,純粋に心理学的研究に向かった。そのあとの彼の軌跡は広く知られているとおりである。

ジョゼフ・ルドゥー 森 憲作(監訳) (2004). シナプスが人格をつくる:脳細胞から自己の総体へ みすず書房 p.59
(LeDoux, J. (2002). Synaptic Self: How Our Brains Become Who We Are. New York: Viking Penguin.)

脳に関する誤解

 脳に関する誤解はこれだけではない。たいていの人は次の2つのまちがった知識のいずれか,あるいは両方を信じている。その第1は,知覚・記憶・情動などの脳の機能はそれぞれ特定の領域にある(局在している)というもの。そして第2は脳の中に浮かんでいる化学物質が私たちの精神状態を決定するというもの。先の「90パーセント神話」(注:脳のうち10パーセントしか使わないというまちがった知識)と異なり,この2つは部分的には真実ではあるが,適切な前提条件を抜きにしていわれる場合には明らかに誤りだ。少なくとも一般的な意味で,脳の機能のしかたはわかっている。それは脳の組織の島によるものでもなければ,分離された化学物質の単独の働きによるものでもない。ある特定の領域はたしかに重要だ。だが,独自で機能しているわけではない。それらはほかの領域とのシナプス接続によって,機能を果たすのに参加しているのだ。同様に化学物質も重要だが,主として,その化学物質の,機能システム内のシナプスでの作用が重要なのだ。

ジョゼフ・ルドゥー 森 憲作(監訳) (2004). シナプスが人格をつくる:脳細胞から自己の総体へ みすず書房 p.52
(LeDoux, J. (2002). Synaptic Self: How Our Brains Become Who We Are. New York: Viking Penguin.)

パーソナリティの遺伝に関する但し書き

 行動や精神の特色をつくりあげるのに遺伝子が果たす役割を,最も明確に表現しているのは生物学的特性理論による人格についての説明で,人の永続的な性質はその人の遺伝子的背景によるというものだ。個人が外向的(社交的)であるか内向的(内気,臆病,引っ込み思案)であるかの程度など,いくつかの特性が遺伝子的歴史に強く影響されるという見かたを支える証拠はかなり集まっている。とはいえ,遺伝学的人格理論には2つの重要な但し書きがついている。
 第1に遺伝子は特定の人格的特性に約50パーセントしか関与していないことがわかっている。つまりある特色について遺伝子で説明がつくのはせいぜい半分だということだ。それぞれの特性の半分であって,人格全体の半分でないことに注意してほしい。特性によっては遺伝的影響が50パーセントよりずっと少なく,しばしば測定不可能だ。内向性はおそらく遺伝的影響が最も強い特性だ。極端に引っ込み思案で内向的な子どもの多くが不安の強い暗い気質の大人になる一方で,うまくやっていける人もいる。後者のグループでは遺伝的影響が一時的なものにすぎなかったのだろうか,それとも遺伝的傾向が押しつぶされたのだろうか。極端な内向性が幼い子どものうちから目につくとき,家族の理解と励ましによってその子をある程度,外向的にすることができるという事実から,その子が心理的にどんな人になるかは遺伝子によって全面的に定められているわけではないことがわかる。人生経験が学習や記憶の形をとって,どの人の遺伝子型がどのように表現されるかを決めていく。遺伝子が行動を決定すると熱心に主張する研究者たちでさえ,遺伝子と環境の相互作用が特性の表現型を形成することを認めている。問題は双方が寄与しているのかどうかではなく,それぞれがどの程度寄与しているかということだ。
 人格の永続性への遺伝子の関与に付される第2の但し書きは,人が常にいわゆる性格特性に従っているわけではないと立証した研究に由来する。たとえば職場の社会的集団内では引っ込み思案な人が家庭では暴君だったりする。実際,心理学者による検証でも,人がさまざまな異なる状況で一貫した行動をとるという説を裏づける結果は出ていない。このような知見にヒントを得たウォルター・ミッシェルは,行動と精神状態は生得的な要素に支配されるのではなく,状況によって定まると主張する。ミッシェルの主張によれば,特定の環境条件のセットに対するその人の思考・動機・情動がわかれば,そのような環境ではどのような行動をとるか予測できる。彼はそれを「もし……ならば関係」と呼ぶ。あなたが「もし」状況Aにいる「ならば」,Xをおこなう。しかし,「もし」状況Bにいる「ならば」Yをおこなう。ミッシェルによると,人には永続的な性格特性はなく,いくつかの永続的な「もし……ならば」態度セットがあるのだという。
 心理学における両極端の意見がたいていそうであるように,状況理論と特性理論も双方にいくばくかの真実がある。ある特性について遺伝子の寄与が大きければ大きいほど,その特質は異なる状況でも一様な現れ方をしやすい。一方,状況によって私たちの行動への影響力が違う。赤信号だとほとんどの人が止まる。ふだん攻撃的か臆病かということとは関係がない。だが黄信号の場合は攻撃性とか臆病さなどの傾向が表に出てきやすくなる。

ジョゼフ・ルドゥー 森 憲作(監訳) (2004). シナプスが人格をつくる:脳細胞から自己の総体へ みすず書房 pp.44-46
(LeDoux, J. (2002). Synaptic Self: How Our Brains Become Who We Are. New York: Viking Penguin.)

認知的アプローチだけで自己を解明できない理由

 こう言うと,認知心理学と認知神経科学という姉妹が,私たちを自己というものの心理学的・神経科学的理解にいっそう近づけてくれているかのように聞こえる。だが,それは必ずしも事実ではない。特定の認知プロセスが心理学的・神経科学的にどのように働くかがわかっても,認知的アプローチだけで自己を解明するのは無理なのだ。
 第1に,その定義から言って認知科学は心の一部----認知的部分についての科学にすぎない。心全体の科学ではない。7章で見るように,昔から心は知(認知)・情(情動)・意(モーティベーション)の3つからなると考えられてきた。認知科学が認知の科学とみなされるならば,情動とモーティベーションが認知科学では研究できないのは当然だが,認知科学が心の科学だということになっているとしたら,困ったことになる。感情と意欲を備えていない心(従来,認知科学が研究してきた種類の心)は,認知心理学者が与える問題は解けるかもしれない。だが,自己の精神的基盤としては具合が悪い。認知科学が設計する種類の心は巧みにチェスをすることができるだろう。ズルをするようにプログラムすることも可能だろう。だが,ズルをしても罪悪感に悩むことはないし,愛情や怒りや恐怖に気をそらされることもない。競争心にかられることも,うらやましがることも,同情することもない。心が脳を通して私たちを私たちたらしめている仕組みを理解したいなら,思考を担当する部分だけでなく心を丸ごと理解しなくてはならない。
 認知科学の第2の欠点は,さまざまな認知プロセスがどのように相互に作用して心をつくりあげるかを解明できていないことだ。知覚,記憶,思考それぞれの仕組みの理解はかなり進んでいる。だが,それらがどのような共同作業をするかは解明されていない。そのうえ,心が知・情・意の3つの部分からなっていることを考えると,自己の理解にはさまざまな認知プロセスの相互作用だけでなく,情動やモーティベーションも含めて考えなくてはならない。情動とモーティベーションが相互にどのように作用するか,またそれらと認知プロセスがどのような相互作用をもつか。あなたの希望,恐怖,欲求はあなたの思考,知覚,記憶に影響を与える。心の科学というからには,これらの複雑なプロセスをすべて説明するものでなくてはならない。
 最後に,認知科学が扱うのは,私たちの大部分における,典型的な心の働き方であり,個人における独自の心の働き方ではない。基本的にいって,私たちはみな同じ脳メカニズムによる同じ精神プロセスをもっているとはいえ,それらのプロセスやメカニズムの機能のしかたは,個々人の遺伝的背景と人生経験によって決まる。
 認知科学の重要性はいくら強調しても強調しすぎることはない。認知科学は研究プログラムとしてはかりしれないほどの成果をあげ,心に対する見かたを一新した。だから,私が認知科学分野の欠点を数えたてたのは,認知科学などだめだと言いたかったからではない。ただ,何がその人をその人たらしめているかを理解するには認知科学だけでは不十分だと指摘したかったのだ。

ジョゼフ・ルドゥー 森 憲作(監訳) (2004). シナプスが人格をつくる:脳細胞から自己の総体へ みすず書房 pp.35-37
(LeDoux, J. (2002). Synaptic Self: How Our Brains Become Who We Are. New York: Viking Penguin.)

心理学史の簡単な要約

 心理学はもともと哲学の一部門だった。その状況が変わったのは19世紀後半,ドイツの哲学者ヴィルヘルム・ヴントが心の働きについて推論するだけでなく,その仕組みを探るために実験をはじめたときからだ。ヴントと彼の賛同者は内観主義者という名で知られている。彼らは心理学を実験科学に変えるのに必要であった重要な一歩を踏み出した。ヴントらの主要な探求課題は意識的経験だった。彼らは自分自身の経験を研究し,それ以上小さくできない基本要素に分けようとした。
 ところが20世紀にはいって,意識的経験は本人にしかわからず,他人には確かめようがないから,科学的研究は不可能だと主張する心理学者たちが現れた。この考えは勢いを得て,やがて行動主義を生み出した。行動主義は心理学が科学的に有効であるためには内面的状態ではなく観察可能な出来事(行動に現れた反応)に焦点を当てるべきだという前提にもとづいていた。行動主義の賛同者の一部は方法論的行動主義者だった。つまり,意識の存在を必ずしも否定しないが,意識は研究の対象になりえないと考えていた。それとは対照的に,急進的行動主義者は意識が存在するということを否定した。彼らにとって精神状態は行動の傾向が生み出した幻影にすぎなかった。ギルバート・ライルは急進的行動主義を心--身体問題の解決策とした。ライルは心を完全に排除し,物質的に説明できる物質的身体だけを残した。彼は精神状態をギリシア悲劇のデウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)をもじって「機械の中の幽霊」と呼んだ。デウス・エクス・マキナは人間の問題を解決するために舞台に降りてくる神のことだ。
 20世紀のなかばに近づくころ,コンピュータのオペレーション(演算)と人間が問題を解決するときにおこなうことが似ていると考える学者たちが出てきた。この考え方はジェリー・ブルーナー,ジョージ・ミラーなど先見の明のある心理学者に注目され,情報を処理する内的メカニズムを重視する認知的アプローチが心理学に生まれた。これは心不在の行動主義に代わる魅力的なアプローチだった。やがて認知ムーブメントは行動主義を王座から引きずりおろし,心を心理学に連れ戻した。
 ただし,戻ってきた心は厳密に言うと,行動主義者たちが排除したものと同じではなかった。行動主義者が反対したのは,内観主義者たちが心の内容(たとえば赤という色を経験すること)を強調したことに対してだった。だが,認知心理学者たちが研究していたのは(意識の内容ではなく)心のプロセスである。彼らは色を経験するとはどういうことなのかということより,色がどのように感知され区別されるかに関心があった。

ジョゼフ・ルドゥー 森 憲作(監訳) (2004). シナプスが人格をつくる:脳細胞から自己の総体へ みすず書房 pp.33-34.
(LeDoux, J. (2002). Synaptic Self: How Our Brains Become Who We Are. New York: Viking Penguin.)

ヒト以外の動物は意識をもつか

 残念ながら,ヒト以外の動物が何らかの意識をどの程度もっているかを知るのは不可能だ。推測することはできる。だが,人の心はネコやイヌ,トカゲ,カエル,魚などの心にはなれないので,このような問題の答えを正確に知るすべはない。デカルトの業績の最も偉大なものは,おそらく自分が確かに知ることができるのは自分自身の心だけだという結論を下したことだろう。あなたは,あなた自身の脳と同じような脳をもったほかの動物(つまり,ほかのヒト)については,かなりの確信をもって,彼らの精神の状態はあなた自身のそれと似ていると言える。だが,あなた自身の精神の状態を手がかりに,ほかの種類の動物のそれを推し量るのはまったく確信のもてないことなのだ。


ジョゼフ・ルドゥー 森 憲作(監訳) (2004). シナプスが人格をつくる:脳細胞から自己の総体へ みすず書房 p32.
(LeDoux, J. (2002). Synaptic Self: How Our Brains Become Who We Are. New York: Viking Penguin.)

何をもって「正常」とするか

 「正常性」という言葉の2つの主な使い方というのは,少し考えればよくわかる。まず「正常な」ということは,大多数の人の行為を意味すると考えられ,これを正常性の統計的定義と呼ぼう。正常な身長の人というのは,平均にくらべてそれほど高くも低くもない人のことである。体重に関して正常な人というのは,ほかの大部分の人より重くも軽くもない人である。この使い方は,大へんはっきりしていてわかりやすい。しかし知能とか,美醜とか,健康のような特性を考えると,ちょっと困ったことが起こる。
 知能について考えよう。統計的にいって正常な人というのは,知能指数が平均前後の人のことで,この定義に従えば,知能指数60の精神薄弱も180の天才も,どちらも「異常」である。また,統計的に正常な人というのは,美しくも醜くもない人で,美人は醜女と同じように異常ということになる----大ていはもっと異常だが。このようなあいまいさが一番ひどいのは,健康に関してである。正常な人というのは,平均の回数ほど病気や故障を起こし,なるべくありきたりの病気で死ぬ人である。健全に健康で老齢になるまでほとんど何の病気もしない人は,この見地からすれば大へん異常だということになる。
 健康や美醜や知能についてこのような見方はしないのが普通である。大てい統計的基準のかわりに理想的基準を用いる。ある人が理想に近いほど,それが知能の高さであれ,美しさであれ,健康なことであれ,それを正常な人と呼ぶ。しかし理想的な基準は統計的には全くまれなもので,多数の人を調べても実際には全くみつからないかもしれない。
 この2つの使い方はよく混同されるが,特に精神の健康に関して著るしい。精神分析家がおよそ正常な人はいないと断言するとき,正常性の理想的な概念を頭においていっている。しかし読む方はこの言葉を統計的基準の意味に解し,矛盾したばかげた言葉だという。同じような誤解は,ほかにもいくらでも起こる。この明らかな落とし穴を避けるには,言葉の意味の出どころに注意する必要がある。

H・J・アイゼンク 帆足喜与子・角尾 稔・岡本栄一・石原静子(訳) (1962). 心理学の効用と限界 誠信書房 p.195-196
(Eysenck, H. J. (1953). Usen and Abuses of Psychology. London: Penguin Books.)

「どんどん国民がバカになる」という論法(日本でもどこかで目にしがち)

 過去20年の間,信頼すべき心理学者たちが,「多くの西欧諸国と同様に,英国国民の平均知能が低下しつつある」といって,警告とうれいのつぶやきや叫び声を出すのが聞かれてきた。この主張は,驚くほど単純な一連の推論にもとづいている。第1は,知能は主として遺伝によって受け継がれたものであるという論である。第2は,知能の高い人たちは知能の低い人たちより,子どもが少ない傾向があるという,すでに知られている事実である。もしもこの傾向が長い期間にわたって続くならば,高い知能を作るように遺伝的に決定する遺伝子は,国民の血の中から減ってゆき,したがって知能の一般的低下はさけられないであろう。この低下がすでにはじまっているということを示すために,最近,精神欠陥者の数が増加しているといった証拠が示される。こうした議論は,軽く片づけることができない。それというのも,これらの議論が,多数の実験的研究によってささえられているからなのである。もしもこうした議論が真実であるならば,大変な問題であって,このことにくらべればドルの低下とか,インフレーションの恐怖とかは,最終的に重要な問題ではないとして,肩をすくめてあしらえばいいぐらいのちょっとした不都合なのである。

(引用者注:このあとで,第1と第2の点の根拠が示される。しかし,それらが正しいとしても,知能の一般的低下は生じていない。むしろ,フリン効果として知られるように,知能検査の平均値は時代を経るに従って上昇する傾向にある。したがってこれは,三段論法が成り立たない例と考えるのが適切なのかもしれない)

H・J・アイゼンク 帆足喜与子・角尾 稔・岡本栄一・石原静子(訳) (1962). 心理学の効用と限界 誠信書房 p.90
(Eysenck, H. J. (1953). Usen and Abuses of Psychology. London: Penguin Books.)

科学的法則は自然の一部ではなく自然を理解する一方法

 そこで,まず第1に,多くの通俗的な考えの底にある1つの観念を,頭の中から追放する必要がある。科学的概念は実在しているものに関するもので,科学者の頭の良さは,この実在するものをとり出し,測定する点にあるのだと考えられている場合が多い。つまり,物体が長さをもつものとし,科学者はこの事実を発見し,この長さを測定するのだと思われている。これと同様に,人間は知能をもつとし,科学者はこの事実を発見し,ついでこの知能を測定するのだと考えられるのであろう。こうして,われわれは,本来人間から独立して存在し,まじめな研究によって発見される科学的法則や概念をとり扱うということになる。だが,このような世間一般の科学的見解は,全く誤りである。サーストン(Thurstone)は,正しい立場について次のように述べている。
 「無限にある現象が,限りある概念や理念の構造によって理解できるというのが,あらゆる科学に共通した信念である。この信念がなかったら,科学はその成立の動機をもち得なかったであろう。この信念を否定することは,自然についての原初的混乱を肯定し,その結果,科学的努力をむだなことであるとしてしまうことになるのである。われわれが理解しているこの自然現象の構造も,けっきょく,人為的な発明物にすぎないのである。科学的法則を発見するということは,人為的な図式が,ある程度自然現象の理解を統一し,それによって単純化するのに役立つということを発見するにすぎない。科学的法則を,ある科学者が,たまたま運よく見つけ出した独立の存在と考えてはならない。科学的法則は,自然の一部ではないのである。それは単に自然を理解する1つの方法にすぎないのである」。

H・J・アイゼンク 帆足喜与子・角尾 稔・岡本栄一・石原静子(訳) (1962). 心理学の効用と限界 誠信書房 p.18
(Eysenck, H. J. (1953). Usen and Abuses of Psychology. London: Penguin Books.)

必要とされる奨学金政策

 家計への教育費負担を軽減し,教育の格差を是正するためには,授業料を下げたり,奨学金を充実させることが有効であることはすでに述べたとおりである。ほとんどの先進国では,返済する必要のない給付奨学金制度がある。これに対して,現在の日本では,学部段階では,授業料免除以外に公的な給付奨学金はない。しかし,現在の日本の公財政の状況を考えると。税の引き上げなどをしなければ,給付奨学金のような教育に対する公財政支出を増やすことは難しい。この隘路に対して,貸与奨学金(学資ローン)が有効であると考えられている。実際過去10年間,日本学生支援機構の有利子貸与奨学金は爆発的に増加している。しかし,現在のような低金利時代にはあまりピンとこないかもしれないが,金利が上がれば有利子奨学金の場合には利子の負担もばかにならないことも考慮しなければならない。
 また,奨学金がもし単なるローンとりわけ民間金融機関ローンであれば,営利のためには,利子率にはリスク・プレミアムを加えることになり,その分だけ返済額は大きくなる。これが低所得層にとって不利になることは言うまでもない。この点への配慮も今後の大きな課題であろう。
 さらに,これまで明らかにしてきたように,将来のローン負担を恐れて貸与奨学金を借りない親や学生も存在することを示している。この問題に対処するためには,目的と対象を限定した給付奨学金が必要ではないかと考えられる。アメリカのベル給付奨学金のように,経済的必要性にのみ基づくニードベースの奨学金が,教育の機会均等の点からは最も有効であると考えられる。しかし,現在の日本の状況では,完全なニードベースの給付奨学金は公正の観点から受け入れがたいのではないだろうか。日本学生支援機構の奨学金(貸与)は,日本育英会の時代から育英(メリットベース)と奨学(ニードベース)の2つの基準を併用してきた。この点からもニードベースだけでなく,これにメリットベースの基準を加えた給付奨学金が日本の現状にふさわしいと考えられる。これまでのエリート型の「育英奨学」に代わる高等教育の大衆化に対応した奨学金政策が必要であろう。

小林雅之 (2008). 進学格差ー深刻化する教育負担ー 筑摩書房 p.174-176

家計は進学を規定する

 高校生の進路に対する学力の影響と所得階層の影響は非常によく似ている。つまり,多くの人が薄々感じているかもしれないが,学力が高いほど,そして所得階層が高いほど大学進学率は高い。進路を詳細にみると,学力と並んで,家計の経済力の大きさは進学を規定する,きわめて重要な要因であることが改めて確認できる。

小林雅之 (2008). 進学格差ー深刻化する教育負担ー 筑摩書房 p.52

こんなところでバーナムが

 「バースプレイス(シェイクスピアの生家)」は少なくとも同じ運命からはまぬがれた。1840年にP・T・バーナムというアメリカ人興行主が「バースプレイス」をアメリカへ船で搬送し,移動式車輪をつけて全国で公開して回ろうと考えたのだが,この企画にイギリス中が震撼し,バースプレイスを博物館兼殿堂として残すための寄付金が全国からあっという間に集まったのである。

ビル・ブライソン 小田島則子・小田島恒志(訳) (2008). シェイクスピアについて僕らが知りえたすべてのこと 日本放送出版協会 p.224

16世紀イギリスの砂糖・ビール・タバコ

 階級を問わず誰もが好んだのは,甘い味付けだった。料理の多くは甘い砂糖衣でべとべとにコーティングし,ワインにまでたっぷりと砂糖を入れることがあって,魚料理にも卵料理にも肉料理にも砂糖は使われた。ここまで砂糖好きが昂じると歯が黒くなる人も大勢いて,ふつうに暮らしていてはそこにまでいたらない人は,砂糖くらい食べてますというところを見せるためにわざと歯を黒くすることもあった。女王をはじめ金持ちの女性たちは,これに加えて肌を硼砂や硫黄や鉛----どれも多少は有毒だが,時にはかなり毒性の強いものもあった----を混ぜ合わせたもので漂白し,この世のものとは思えぬ美しさをかもし出していた。というのも,青白い肌こそ最高の美人のしるしだったからだ(となると,シェイクスピアのソネットに登場する「黒い婦人(ダーク・レディ)」は奇妙すぎる存在だといえよう)。
 ビールは盛大に飲まれ,朝食のときにも,快楽を敵視するピューリタンたちにも,飲まれた(ピューリタンの主導者ジョン・ウィンスロップがニューイングランドへ渡るとき,その船にはウィンスロップと1万ガロンのビールのほかにはほとんど何も積まれなかった)。1日1ガロン(約3.8リットル)が僧侶たちのふつうに飲む量だったというから,ほかの人がそれ以下ということはなかったと思われる。ただし,外国人はイギリスのエールに馴染めなかった。大陸から来たある外国人は「馬の小便みたいに濁っている」と不安げな言葉を残している。裕福な人々はワインを飲んでいた。それもたいていはジョッキで。
 タバコはシェイクスピアが生まれた翌年にロンドンに伝わり,最初の頃こそ贅沢品だったがすぐに広まって,16世紀の終わりにはロンドンだけでも喫煙者は7千人をくだらなかった。喫煙は嗜好品としてだけでなく,性病や偏頭痛や,なんと,口臭にまで効く治療薬としても用いられた。とくにペストの予防薬として信頼が厚かったので,小さな子供まで喫煙を奨励された。イートン校では,喫煙をサボった生徒が鞭打ちの罰を受けた時代もあった。

ビル・ブライソン 小田島則子・小田島恒志(訳) (2008). シェイクスピアについて僕らが知りえたすべてのこと 日本放送出版協会 pp.76-77

2010年2月検索キーワードベスト10

今回は検索キーワードのトップ10。フレーズではなく,単語ごとに集計。
年度末だからか,どこかの大学で誰かが試験やレポートの課題を出しているのか,やたらとホールの疾風怒涛がひっかかったようだ。ちなみにひっかかるのはこのエントリ(extract.blog.shinobi.jp/Entry/31/)なのだが,これは疾風怒濤概念に対する批判的記述である。
疾風怒濤については久世敏雄先生が紀要論文を書いている(ci.nii.ac.jp/naid/110000042655)。これは,疾風怒濤概念の歴史について日本で唯一まとめられたレポートではないだろうか。レポートや課題を作成しようとしている学生の皆さんは,このblogよりもこの論文に目を通してもらいたい。

1位 疾風怒涛
2位 青年期
3位 タレス
4位 数学の祖
5位 家畜化
6位 心理学
7位 キツネ
8位 逆説志向
9位 ラッセルのティーポット
10位 アメリカ



16世紀イギリスの40%はできちゃった婚

 ここで引っかかるのは,当時は結婚するときに花嫁が妊娠していても別に珍しくなかった,ということだ。ある調査によると,花嫁の40パーセントがそういう状態だったという。となると,どうしてこうあわてて結婚したのかは類推するしかない。珍しいと言えば,シェイクスピアのように18歳で男子が結婚するほうが当時は珍しかった。男性の結婚適齢期は20代半ばから後半で,女性はそれより少し早かった。といっても,人によってかなりばらつきはあったようだ。劇作家クリストファー・マーロウの妹は12歳で結婚した(そして,13歳で出産したときに死んだ)。1604年まで,承諾年齢は女子12歳,男子14歳だった。

ビル・ブライソン 小田島則子・小田島恒志(訳) (2008). シェイクスピアについて僕らが知りえたすべてのこと 日本放送出版協会 pp.57-58

作品から分かる人物像なんて……

 今日シェイクスピアの人物像がわからないと思えるのも,その作品が多く残っているせいだ。もし,喜劇しか残っていなかったら,軽薄なやつだと考えただろうし,ソネットしか残っていなかったらずいぶん鬱陶しい情熱の持ち主だと考えただろう。他の作品にしても一部を取っただけなら,八方美人タイプだとか,思索的な男だとか,理屈っぽいやつだとか,憂鬱症だとか,策謀家だとか,ノイローゼだとか,のんき者だとか,愛情深い男だ,などなど考えただろう。もちろん,シェイクスピアはこうした要素すべてを持ち合わせている----作家としては。わからないのは,1人の人間としてはどうだったのか,である。

ビル・ブライソン 小田島則子・小田島恒志(訳) (2008). シェイクスピアについて僕らが知りえたすべてのこと 日本放送出版協会 p.31

想像力に屈した人の例

 中には想像力に屈してしまった人たちもいる。1930年代にロンドン大学の教授をしていたキャロライン・F・E・スパージョンはみんなから尊敬され,ふだんは分別をわきまえているのに,シェイクスピアの書いたものを入念に読めば,作者の外見が判断できると思いこんでしまって(『シェイクスピアの修辞的表現とそこからわかること』という著書の中で)自信たっぷりにこう書いた。「彼は小柄ながらもがっしりとした体格で,幾分細身ではあるが,驚くほど均整のとれたその肉体の動きはしなやかで軽く,眼光は俊敏にして鋭く,機敏でたくましい行動は見る者の目を楽しませた。おそらく肌は生まれたてのように白く美しく,若い頃には顔に色も出やすくて,感情がすぐ表に現れたことだろう」
 一方,人気のあった歴史家アイヴァー・ブラウンは,シェイクスピアの芝居に膿瘍などのできものがよく出てくることから,シェイクスピアは1600年以降は「悪性のブドウ球菌に感染していて」次から次へとできるできものに苦しんだと結論づけた。


ビル・ブライソン 小田島則子・小田島恒志(訳) (2008). シェイクスピアについて僕らが知りえたすべてのこと 日本放送出版協会 p.28

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