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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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ゆとり教育導入のタイミング問題

 ゆとり教育がフィンランド型の教育に近い線を狙っていたのだとすれば,理念そのものには大きな問題はないように思える。筆者の考えでは,ゆとり教育が受け入れられず,現場が混乱した決定的な要因は,導入のタイミングが悪かったことである。中央教育審議会第一次答申(1996年7月)には,受験戦争によって子どもたちの生活からゆとりが失われているという趣旨の指摘がある。答申は1996年だが,問題が発生していたのは,これ以前であり,受験戦争の激化がゆとり教育導入に対する追い風になっていたのは間違いない。
 しかし当時でも,人口統計を眺めてみれば,少子化が起きることははっきりしていたはずである。少子化につれて,受験が緩やかになり,受験については自動的に「ゆとり」が発生する。少子化のタイミングでは,ゆとり教育を導入しないほうがよかったと言わざるを得ない。逆に言えば,子どもの数がどんどん増えているという状況であれば,ゆとり教育に対する抵抗もずっと少なかったに違いない。子どもの数が増えている時代には,つめこみ教育が批判されており,ゆとり賛成派が多数派だったのだ。

神永正博 (2008). 学力低下は錯覚である 森北出版株式会社 p.35
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高校までの内容は十分に高度

 高校までに習うことというのは,世間で了解されているよりも,はるかに高度なのである。それは,量的にも膨大であり,仕事にも相当使えるものが多い。よくいわれることであるが,中学や高校で習う英語さえしっかりわかっていれば,通常の英語の本ならばほとんど何でも読むことができるし,もちろん,数ページ程度の英作文も楽々できるはずである。しかし,ほとんどの人が高校を卒業しているにもかかわらず,これがほとんどできないことを考えてみれば,高校英語がいかに高い水準であるかがわかるだろう。

神永正博 (2008). 学力低下は錯覚である 森北出版株式会社 p.50

馬鹿

 馬鹿ですか?ラブレターの中には,散々,馬鹿という言葉が使われていました。あなたはいったい自分を何様だと思っているのでしょう。あなたがいったい何を生み出し,あなたが馬鹿と言いながら見下す人たちに,何の恩恵を与えているというのですか?
 あなたは自分の父親にまで,生きる価値がないという表現をしていましたが,今あなたが生きているのは誰のおかげなのでしょう。そんなこともわからずに,少し勉強ができるからといって,自分こそが選ばれた人間であると思っているあなたこそが,一番,何もわかっていない人間,あなたが言うところの馬鹿なのではないでしょうか。

湊かなえ (2008). 告白 双葉社 p.257-258


7点スケール

 例えば,社会心理学でよく用いられる7点スケール(あるいはLickertスケール)は,格好の例であろう.つまり,7点スケールの評定法で得られたデータの被験者間の算術平均の2つの実験グループでの比較は,その代わりに5点スケールを用いた場合と矛盾しない結果になるとは限らない.また,同じ7点スケールでも,値域が{1, 2, 3,…, 7}や{-3, -2, -1, 0, 1, 2, 3}などのように異なると,得られたデータから異なる結論が得られることがある.この意味で,7点スケールは間隔尺度ではない.しかし,もし,その比較において「つねに」特定の値域の7点スケールを用いることが一般に合意されているとすれば,絶対尺度の使用ととらえて,これは構わないであろう.

吉野諒三・千野直仁・山岸侯彦 (2007). 数理心理学 心理表現の理論と実際 培風館 p.80


尺度が有意味である条件

 一般に「尺度」が有意味であるためには,ある条件をみたすことが必要である.直観的に述べると,「ある測定値」あるいは「測定値間の関係」が特定の数値表現にのみ依存するものは有意味ではなく,特定の数値表現にだけ依存するものではないものが有意味と考えられる.例えば,「A氏の身長が180である」という命題は,有意味ではない.これは,測定単位が指定されていないので,この命題の真偽の判定は,ある特定の数値表現(cm単位か,m単位かなど)に依存するからである.「A氏の身長が180cmである」という命題は,cm単位とm単位などの他の身長を計測する尺度の数値表現間の換算が明確であるかぎりにおいて,有意味である.
 また,「今日の東京と大阪の最高気温の比が1.01であった」という命題は,有意味ではない.これは,最高気温をどういう測定尺度の単位で測るかによって,この比の値は変化するからである.最初の例の「180」は測定の次元(長さというdimension)と単位をもつべき数値であるが,次の例の「1.01」は測定値間の関係を表し,また無次元であることに注意する(比の分母と分子が同じ次元をもつのでキャンセルされ,比自体は次元をもたない).

吉野諒三・千野直仁・山岸侯彦 (2007). 数理心理学 心理表現の理論と実際 培風館 p.76

尺度 scale

 (i) 測定対象全体に適正に数値を対応させる規則(数値表現,ものさし,ruler)の集合の特定.
 (ii) そのような規則と規則の間の関係の明確化.

 Stevensは,(i)のような「規則(ものさし)の集合」を尺度(scale)と呼んだ.ここで十分な注意が必要なのは,「適正な数値表現を与える規則の集合」が,(i)により,その存在定理が証明され,(ii)により一意性定理が証明されたもとで,「尺度」とよばれるのであって,個々の数値表現を与える規則(ものさし,ruler)は尺度の表現または代表(a representation)となることである.したがって,例えば,キログラム単位系は,それ自体が尺度なのではなく,重さの尺度の「1つの表現(ものさし)」,または重さの尺度を代表しているものなのであって,その背景には,比例定数倍で互いに変換できる他の重さの表現のすべての集合(通常用いられているポンド単位系などに限らず,例えばキログラム単位系に正の比例定数倍で得られるすべての単位系の集合)があると考えるのである.日常では,このような認識は薄いかも知れないが,この点を誤解すると,一見問題のないような測定や統計分析において誤謬やパラドックスを生じることもある.

吉野諒三・千野直仁・山岸侯彦 (2007). 数理心理学 心理表現の理論と実際 培風館 p.60


アメリカの自己破産原因

 「アメリカには国民保険なんてない。民間の保険料は高すぎて,ほとんどの人が入れないんだ。自己破産の原因ナンバーワンはなんだと思う?」
 私の頭に,日本でブランド物を買いあさった挙句に自己破産をする主婦たちのことが浮かんだ。
 「クレジットカードの使いすぎ?」
 私が言うと,ジョンは首をふった。
 「それはメディアに刷り込まれたイメージだろう?実際はカード破産なんて1パーセント以下だよ。アメリカの自己破産申告の理由は2つ。医療費と離婚費用だ。」
 現在アメリカでは,医療費が原因による自己破産により,債務者や,約70万人の児童を含む扶養家族など,毎年約200万人の国民が影響を受けている。
 そして,国民の5人に1人,4500万人が医療保険に入っていない。
 「破産するのは貧乏人だけじゃないよ。その多くはごく普通の市民なんだ。想像できるかい?まっとうに働いている中流階級の一家が,ある日家族の1人が病気にかかったってだけで,高すぎる医療費請求書につぶされて破産,社会的に抹殺されるんだぜ?」

堤 未果 (2006). 報道が教えてくれない アメリカ弱者革命 --なぜあの国にまだ希望があるのか 海鳴社 p.68

水中出産とアクア説

 もう少し最近の2005年に発表されたイタリアの研究は,水中出産の安全性を確認したばかりか,その利点をも示してみせた。この研究はある病院で8年間にわたり,1600例の水中出産を同病院での同時期の通常の出産と比較観察したものだ。
 まず,母子ともに感染症にかかる割合は水中出産だから高いということはなかった。むしろ,新生児が吸引性肺炎にかかる割合は水中出産のほうが低かった。赤ん坊は顔に直接空気が触れるまでは肺に空気を吸い込まない。水中にいる潜水反応によって,息を止めている。ちなみに,母親の子宮内にいる胎児も「息」はしているが,吸い込んでいるのは空気ではなく羊水だ。この擬呼吸運動は肺の発達に欠かせない。さて,通常の出産法では,赤ん坊は顔に直接空気が触れたときにはじめて息を吸う。このとき,医者や助産師が赤ん坊の顔をきれいに拭いてやる前に赤ん坊が大きく息を吸ってしまうと,分娩時の残余物や母親の汚物がいっしょに肺の中に入ってしまい,感染症を引き起こす場合がある。これが吸引性肺炎だ。だが,水中で出てきた赤ん坊はまだ呼吸をしていないので,汚れた水を「吸う」ことはない。医者や助産師は赤ん坊が水中にいるあいだに落ち着いて顔を拭いてやり,それから外に出してやればいいのだ。
 この研究では他にもさまざまな利点が浮かび上がった。水中出産した初産の妊婦は分娩第一期の時間がひじょうに短かった。温水につかることで張りつめていた神経や筋肉がほぐされたのか,あるいは何か別の効果があったのか,ともかく分娩が加速された。
 また,水中出産した妊婦で会陰切開が必要になった人の割合も少なかった。会陰切開とは,妊婦の膣口が避けるのを防ぐためにあらかじめメスで切って広げておくという外科処置で,病院での出産では日常的におこなわれている。だが,水中出産では皮膚がやわらかくなるので,この処置が必要になるケースは少ない。
 そしてもっとも注目すべきは,水中出産した妊婦のほとんどが鎮痛剤なしですませたことだ。通常の出産では66パーセントの女性が求める硬膜外麻酔を,水中出産の女性は5パーセントしか求めてこなかった。
 水中での新生児のふるまいを観察すると,アクア説がますます確かなものに思えてくるかもしれない。子どもの発達を研究していたマートル・マクグローは1939年に,乳児は水中で反射的に息を止めるだけでなく,水をかくように腕をリズミカルに動かすことを本に書いた。マクグローは,この「水になじんだ」動作が本能的なものであること,生後4か月頃まで続くことを見出した。4か月を過ぎると水中での体の動きはぎこちなくなる。
 生まれてすぐに泳げるなんて,アフリカのサバンナの暑く乾いた大地で進化したとされる動物の赤ん坊にしてはできすぎの能力ではないか。その赤ん坊は,生まれたときにはお乳を飲むか眠るか息をする以外のことは自分で何ひとつできないというのに。

シャロン・モアレム,ジョナサン・プリンス 矢野真千子(訳) (2007). 迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来るのか 日本放送出版協会 p.241-243

自分が長生きだと思っている親から男児が生まれる

 エピジェネティック効果や母性効果の不思議について,ニューヨークの世界貿易センターとワシントン近郊で起きた9・11テロ後の数カ月のことを眺めてみよう。このころ,後期流産の件数は跳ね上がった----カリフォルニア州で調べた数字だが。この現象を,強いストレスがかかった一部の妊婦は自己管理がおろそかになったからだ,と説明するのは簡単だ。しかし,流産が増えたのは男の胎児ばかりだったという事実はどう説明すればいいのだろう。
 カリフォルニア州では2001年の10月と11月に,男児の流産率が25パーセントも増加した。母親のエピジェネティックな構造の,あるいは遺伝子的な構造の何かが,胎内にいるのは男の子だと感じ取り,流産を誘発したのではないだろうか。
 そう推測することはできても,真実については皆目わからない。たしかに,生まれる前も生まれたあとも,女児より男児のほうが死亡しやすい。飢餓が発生したときも,男の子から先に死ぬ。これは人類が進化させて生きた,危機のときに始動する自動資源保護システムのようなものなのかもしれない。多数の女性と少数の強い男性という人口構成集団のほうが,その逆よりも生存と種の保存が確実だろうから。
 進化上の理由が何であれ,カリフォルニアの妊婦が環境の危機を感じとり,それに自動的に反応したのは明らかだ。実際のテロ攻撃は遠く離れた場所で起きていたこともまた,興味深い。なお,このような現象が記録に残っているのは今回がはじめてではない。1990年に東西ドイツが統合したとき,混乱や不安がより大きかった旧東ドイツ側の新生児の男女比は女児にかたよっていた。1990年代のバルカン紛争時のスロヴェニアの10日戦争後も,1995年の阪神大震災後も,新生児を調べた研究に同様の傾向があらわれていた。
 逆に,大規模な紛争があると男児の出生率が上がるという研究結果もある。第一次世界大戦と第二次世界大戦の直後がそうだった。もっと最近の,イギリスのグロスターシャー州に住む600人の母親を対象にした研究では,自分たちは早死にしそうだと予測している人より,健康で長生きすると予測している人ほど男児を多く生んでいた。
 どうやら,妊婦の心の状態がエピジェネティックな事象または生理的な事象を引き起こし,それが妊娠状態と男女の出生率を調整しているらしい。いい時代には男児を多く。つらい時代には女児を多く。では,エピジェネティクスの時代は?

シャロン・モアレム,ジョナサン・プリンス 矢野真千子(訳) (2007). 迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来るのか 日本放送出版協会 p.214-215

子育てが遺伝子に影響する?

 2004年,カナダのマギル大学のマイケル・ミーニー教授は,デューク大学のマウス実験に匹敵するようなセンセーショナルな実験結果を発表した。子どもは生まれたあとも,母親とのやりとりを通じてエピジェネティックな変化を引き起こすメチル化を受けているというのだ。
 ミーニーは,出生直後の数時間に母ラットからどんな扱いを受けると,子ラットの行動がどう変わるかを研究した。母ラットからやさしくなめてもらった子ラットは,冷静にストレスに対処できる自信に満ちたラットに成長した。一方,母ラットからかまってもらえなかった子ラットは,神経質で自信なさげなラットになった。
 これは「生まれか育ちか」というおなじみの議論の実験のように思えるかもしれない。「生まれ派」はこの実験を,母ラットの社会性に欠けるという感情的に問題のある遺伝子が子ラットに伝わって,社会性に欠ける不安定なラットに育つのだと勝利宣言するだろう。安定したラットは,安定した母ラットの遺伝子を受け継いだのだ,と。たしかにここまでの話なら「生まれ派」に軍配が上がりそうだ。ただし,ミーニーの研究チームは母と子の組み合わせを変えていた。血のつながった母子だけでなく,血のつながりのない母子の組み合わせも作って,そのすべてを観察したのだ。結果は,血のつながりとは無関係に,愛情深い母ラットになめてもらった子ラットは安定したラットになった。
 どうも「育ち派」のほうに分があるように思えてきたのではないだろうか?受け継いだ遺伝子にかかわりなく扱われ方によって個性が変わるのなら,それは育児方法に反応したことになる。「育ち派」に1点。
 ちょっと待った。
 遺伝子を分析すると,2種類のラットにはメチル化のパターンに大きな差が見られた。血のつながりのあるなしにかかわらず母ラットに体をなめてもらった子ラットの,脳の発達に関係する遺伝子のまわりではメチル化の指標が減少していた。どうやら母ラットは,愛情深く子ラットの体をなめながら,ついでに子ラットの脳の発達を阻害する遺伝子を発現させるメチル化指標まで舌でなめて取り去ってしまったようだ。その子ラットの脳では,ストレス反応を鈍らせる部分が発達していた。「生まれか育ちか」ではなく,「生まれも育ちも」かかわっているらしい。
 ミーニーの論文は科学界に大きな衝撃を与えた。親が子の体をなめてやるというただそれだけの行動が,出生後の遺伝子の発現を変えるというのだ。この概念はあまりに過激で,おなじ分野の専門家からも一部,「受け入れがたい」という声があがった。この論文を審査した専門家の一人は,じっくりと検証した上でなお,これが真実だとはとても信じられないとコメントした。こんなことが実際に起こるとは考えられなかったからだ。
 しかし,このラットには起きていた。

シャロン・モアレム,ジョナサン・プリンス 矢野真千子(訳) (2007). 迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来るのか 日本放送出版協会 p.202-203


エピジェネティクス研究の衝撃

 デューク大学の実験の衝撃はあまりに大きく,それが発表されてからというもの,エピジェネティクス研究は爆発的に増えた。その衝撃がどんなものかを紹介しよう。
 まず,遺伝子設計は消えないインクで書かれているとされていた常識を,エピジェネティクスは消してしまった。それ以降の科学は,遺伝子は不変でも指示は変わりうるという概念を考慮しなければならなくなった。まったくおなじ遺伝子セットであっても,ここの遺伝子がメチル化されるかされないかで異なる結果を生み出す。遺伝子コードという土台だけでなく,その上にかぶさる別の層の条件が出現したのだ(エピジェネティクスの「エピ」はギリシャ語の接頭語で,まさに「上にある,あとから,別の」という意味である)。もっとも,この実験の結果に全員が全員,驚いたというわけではない。一部の研究者は50年も前から,遺伝子が同じでも,それで出てくる結果はかならずしもおなじでないことを指摘してきていた。一卵性双生児の指紋は似ているけれど一致するわけではないことがいい例だ。
 つぎに,このデューク大学の実験はラマルクの亡霊を思い起こさせる。母親が生きているときの環境要因が子どもの形質遺伝に影響することが示されたのだから,環境要因はベビー・マウスが受けついたDNAを変えてはいないが,DNAの発現のしかたを変えている以上,やはり遺伝を変えていることになる。
 デューク大学では最初のマウス実験のあと,別の研究チームが別の発見をした。妊娠したマウスの食事にコリンという物質を少量混ぜてやると,子マウスの脳が異常に活性化することがわかったのだ。コリンはメチル化を引き起こし,その結果,通常なら脳の記憶中枢で細胞分裂を制限する遺伝子のスイッチを切った。細胞分裂抑制器の電源をオフにされたマウスは,記憶細胞を遠慮なく作った。そのマウスの記憶力は増強された。がんがん送られてくる情報を,どんどん受け取り,ためていった。超「脳」力をもったマウスは成長すると,これまでの迷路レースの記録をつぎつぎと塗り替えた。

シャロン・モアレム,ジョナサン・プリンス 矢野真千子(訳) (2007). 迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来るのか 日本放送出版協会 p.192-193

ラマルクはラマルク説の提唱者ではない!

 しかし実際には,この話は嘘だらけだ。まず,ラマルクは科学者というより哲学者だ。彼の著書は,現在でいうところの遺伝学の考え方を素人が読んでもわかるように説明したもので,科学的な分析を重ねた学術論文ではない。ラマルクは獲得形質遺伝の概念はもちろんのこと,進化論に概念をも一般の人に普及させるのに貢献したが,彼自身はどちらの概念の提唱者でもないし,自分が提唱者だと主張しているわけでもない。当時,獲得形質遺伝説は広く支持されていて,ダーウィンもそれを認めていた。ダーウィンは自著『種の起原』の中で,進化の概念を普及させたラマルクの功績をほめたたえている。
 しかしながらジャン=バティスト・ラマルクは,自分が展開したわけでもない理論が広く「教科書」に載ってしまったことの犠牲になった。どこぞの科学ライターが,ラマルクが獲得形質遺伝の概念を提唱したという話をどこかで「獲得」して,その後に続く何世代もの科学ライターたちに「遺伝」させてしまったのだ。ダジャレを使いたくて少々ややこしい説明をしてしまったが,ようするに,だれかがラマルクを責めるようなことを書いて,それをその他大勢の人が今日まで信じてしまったということだ。教科書はいまだに,ラマルク派の研究者たちはネズミのしっぽを何世代も切り続けて,しっぽのない子ネズミが生まれてくるのを待っている,といったバカにしたような記述を載せている。

シャロン・モアレム,ジョナサン・プリンス 矢野真千子(訳) (2007). 迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来るのか 日本放送出版協会 p.166-167

風邪ウイルスに操作されている?

 たいていの人はくしゃみを症状だと思っている。しかし,そうともかぎらないという話をこれからしてみたい。ふつうのくしゃみというのは,鼻から入ってきた異物をそれ以上奥に入れないようはじき飛ばすという,生まれつき体に備わった防衛機構だ。しかし,風邪をひいたときに出るくしゃみはどうだろう?上気道の粘膜細胞にすでに入りこんでしまった風邪のウイルスは,くしゃみぐらいで追い出せるはずがない。この場合のくしゃみは全く別の意味をもつ。風邪のウイルスは人間のくしゃみ反射をどうすれば引き出せるかを学習し,それを利用してウイルスをあなたの家族や同僚,友人たちに広めようとしているのだ。
 そう,くしゃみはたしかに症状だが,風邪をひいたときに出るくしゃみはあなたを守るためではなく,ウイルスの利益のための反応だ。僕たちは感染症にかかったときに出るさまざまな反応を症状だと思っているが,それは人間に取りついた細菌やウイルスが,つぎの宿主に乗り移るための手助けをするよう宿主操作をした結果なのかもしれない。

シャロン・モアレム,ジョナサン・プリンス 矢野真千子(訳) (2007). 迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来るのか 日本放送出版協会 p.139


有機栽培の欠点

 有機農業がときに諸刃の剣になることを説明するには,セロリがいい例になる。セロリはソラレンという物質を作って防衛している。ソラレンはDNAや組織を傷つける毒で,人間にたいしては皮膚の紫外線への感受性を高める性質をもつ。ただしこの毒は,日光を浴びてはじめて活性化する。ある種の虫はこの毒を避けるために,自分の体を葉でくるんで日光に当たらないようにして,暗闇の中で数日間をすごしながら葉を存分に食い荒らしたあと,お腹を膨らませて外に出てくるという。
 あなたがボウル一杯のセロリスープを飲んだあとにコレステロールを下げるために日焼けサロンに行くというのでもないかぎり,家庭菜園のセロリやスーパーで買ってきたセロリを心配する必要はない。ソラレンが危害をあたえるとすれば,長期にわたって大量のセロリを取り扱う人間にたいしてだ。セロリの収穫にたずさわる人の多くは皮膚炎を起こしている。
 セロリの特徴は,自分が攻撃されていると感じると急ピッチでソラレンの大量生産をはじめることだ。茎に傷が入ったセロリは無傷のセロリにくらべて100倍ものソラレンが含まれている。合成殺虫剤を使っている農家というのは,基本的には植物を敵の攻撃から守るためにそれを使っている(もっとも,殺虫剤を使うことでさまざまな別の問題も生み出しているわけだが,それについてはここでは割愛する)。有機栽培農家は殺虫剤を使わない。つまり,虫やカビの攻撃でセロリの茎が傷つくのをそのままにして,ソラレンの大量生産を野放しにしていることになる。殺虫剤の毒を減らそうとあらゆる努力をしている有機農家は,結果的に植物の天然の毒を増やしているというわけだ。
 いやはや,生き物の世界は複雑だ。

シャロン・モアレム,ジョナサン・プリンス 矢野真千子(訳) (2007). 迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来るのか 日本放送出版協会 p.114-115.

アフリカ系アメリカ人が塩分に弱い理由

 塩分のとりすぎは血圧を上げるという話を,あなたも耳にしたことはないだろうか。この話はとりわけアフリカ系アメリカ人によく当てはまる。アフリカ系アメリカ人の血圧は,非常に塩に反応しやすいのだ。最近では「塩分」もまた悪者あつかいされているが,塩は体内の化学反応にはなくてはならない物質だ。塩は体液バランスを整え,神経細胞の機能を調節する。人間は塩なしに生きてはいけない。しかし,血圧が塩に反応しやすい人が塩分の高い食生活をしていれば高血圧になる。
 奴隷貿易でアフリカ人がその意に反してアメリカに連れてこられたとき,その移送状態は想像を絶するひどいものだった。食べ物をあたえられないどころか,十分な水さえあたえられなかった。アフリカ人はどんどん死んでいった。その中で,たまたま生まれながらに体内の塩分濃度を保つことができる人は生き延びた。体に余分な塩があったおかげで致命的な脱水症状に陥らずにすんだからだ。こう考えると,奴隷貿易はアフリカ系アメリカ人に塩分保持能力を高める「不自然な」淘汰を強いたことになる。その子孫が現代の塩分の多い食生活に接すると,あっというまに高血圧になる。

シャロン・モアレム,ジョナサン・プリンス 矢野真千子(訳) (2007). 迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来るのか 日本放送出版協会 p.90

外見ではなく

 一流科学誌『ネイチャー・ジェネティクス』は先ごろ,「肌の色というような外見や自己申告にたよらず,遺伝子型の分析を通してさまざまな人類集団を眺めていくほうがはるかに有益だ」という論説を載せたが,この主張には大いにうなずける。人種の差や特徴をあげつらってどうのこうの言うのはもうやめにして,それよりも,これまでに得た知識を医学の進展に役立てることに目を向けようではないか。これまでに得た知識とは,「特定の人類集団は特定の遺伝的遺産を共有しており,その遺伝的遺産はそれぞれが暮らした環境に適応するようそれぞれの淘汰圧を受けた結果だ」ということだ。

シャロン・モアレム,ジョナサン・プリンス 矢野真千子(訳) (2007). 迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来るのか 日本放送出版協会 p.87

人種

 これは簡単に答えの出る問いではない。まず,人種という言葉が何を意味するか,明確な合意がない。遺伝子的観点からも,皮膚の色はあてにならないとわかっている。移住した先で新しい環境に合わせて皮膚の色が変わることは先ほども説明した。また
最近の遺伝子研究によれば,北アフリカの人は肌の色こそアフリカ中央部や南部の人に似ているが,遺伝子的には薄い色の肌をしたヨーロッパ人に近いらしい。
 一方,ユダヤ人は,金髪に青い目だろうと黒髪に黒い目だろうと,ユダヤ人にしかない遺伝子を共有しているようだ。これも最近の遺伝子研究でわかったことだ。ユダヤ人は宗教的な伝統を維持するために自分たちを3つのグループに分けている。そのグループは,それぞれの祖先が聖書のどの部族にあたるかが基準になっている。コーヘンは,モーセの兄で初代の大司祭アロンを先祖とする司祭一族のメンバー。レヴィは,代々神殿に奉仕していたレヴィ族の子孫。その他の12の部族の子孫は単にイスラエル人(びと)と呼ばれる。
 コーヘンとイスラエル人のDNA標本を多数集めて比較をした研究グループは,その結果に驚いた。コーヘンの人たちは世界中に散らばっているにもかかわらず,コーヘンの人に共通する独特の遺伝子はほんの2,3人の男性から子孫に伝えられたものだとわかったのだ。DNAを採取したコーヘンの集団にはアフリカ出身の人もアジア出身の人もヨーロッパ出身の人もいて,外見は,白い肌に青い目の人から褐色の肌に茶色い目の人までさまざまなのだが,ほとんど全員がひじょうによく似たY染色体をもっていた。この結果だけでも驚きだが,研究グループはさらに,コーヘンの最初の2,3人の遺伝子が生きていた時代まで推定することに成功した。それはいまから3180年前だという。出エジプトとエルサレムの第一神殿破壊のあいだ,もっと正確に言えば,大司祭アロンが大地を歩いていたころである。

シャロン・モアレム,ジョナサン・プリンス 矢野真千子(訳) (2007). 迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来るのか 日本放送出版協会 p.86-87.

鉄は体にいい・・・?

 鉄は体にいい。鉄は体にいい。鉄は体にいい。
 しかし,世の中にある「よい」ものがすべてそうであるように,鉄もまた「適度」でなければならないということを,みなさんもおわかりになったことだろう。ところがつい最近まで,医学界はそのことに気づいていなかった。鉄は体にいい,多ければ多いほどいい,と勝手に信じていた。
 医者のジョン・マーレーとその妻はソマリアの難民キャンプで働いていたとき,あることに気がついた。当地の遊牧民の多くは貧血症であるにもかかわらず,またマラリアや結核,ブルセラ症など毒性の強い病原体に何度もさらされているはずなのに,そうした感染症にかかっていないようなのだ。マーレーは首をかしげながらも,きっと単なる偶然なのだろうと片づけた。そして,感染症ではなく貧血症の治療をしようと遊牧民の貧血患者に鉄補給剤をあたえた。すると,あっというまに遊牧民たちに感染症が広がった。鉄を補給された遊牧民への感染率が爆発的に増えたのだ。つまり,ソマリアの遊牧民は貧血にもかかわらず感染症にかからなかったのではなく,貧血のおかげで感染症にかからずにすんでいたのだ。彼らの体内では,鉄封じ機能がフル回転していた。
 35年前,ニュージーランドの医者たちは,先住民族のマオリ人の赤ん坊に日常的に鉄補給剤を注射していた。医者たちにしてみれば,マオリ人の食生活は栄養不良で鉄分不足だから赤ん坊が貧血症になるのだと考えた。
 ところが鉄を補給されたマオリ人の赤ん坊は,敗血症や髄膜炎など下手をすれば死に至る感染症に7倍も多く感染するようになってしまった。敗血症の赤ん坊も,体内で有毒な細菌に鉄をあたえないようそれなりのコントロールをしていたのに,医者が赤ん坊という「細菌のエサ」を外からあたえてしまったために,悲劇が起きたのだ。

シャロン・モアレム,ジョナサン・プリンス 矢野真千子(訳) (2007). 迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来るのか 日本放送出版協会 p.40-41

ガレノスにもとづく瀉血

 瀉血は,史上最古の医学治療の1つで,これほど長く,複雑な歴史を持つ治療法は他にない。もっとも古いところでは3000年前のエジプトの文献に記録が残っている。19世紀にピークを迎えたが,その後100年で急速に評判を落とし,「野蛮な治療」の代名詞となった。2000年前にもシリアの医者がヒルを使って患者を血を吸わせていたというし,12世紀エジプトのアイユーブ朝のスルタンは,有名なユダヤ人医師マイモニデスに瀉血をほどこしてもらっている。アジアやヨーロッパ,アメリカの医師や治療師は,先を尖らせた棒やサメの歯,小型の弓矢などさまざまな器具を使って,患者の皮膚や血管を開いて放血させた。
 西洋社会では,この療法は1世紀のギリシャ人医学者ガレノスが唱えた「血液,黒胆汁,黄胆汁,粘液の4種類の体液説」から生まれた,ガレノスとその後継者たちは,あらゆる病気はこの4種類の体液バランスが崩れたときに起こるのだから,絶食や胃腸の浄化,瀉血で体液バランスをもとにもどしてやるのが医者の仕事だと考えた。

(注:ガレノスは紀元129年頃生まれなので,1世紀ではなく2世紀である。)

シャロン・モアレム,ジョナサン・プリンス 矢野真千子(訳) (2007). 迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来るのか 日本放送出版協会 p.37

ASPは現実認識能力の喪失を伴わない

 精神医学や心理学を批判する人たちは,「あらゆる問題行動に症候群やら精神障害などの名前をつけて分類するのは,本人の責任をあいまいにする」と主張する。彼らが恐れているのは,人間の悪い行いが“病気”のためだということになれば,本人が自分の行動をコントロールできなくても,「病気なのだからしかたがないのではないか」という考えがまかり通るようになるのではないかということだ。
 だが,一部のASPやその弁護士たちはそういう理屈でASPを犯罪行為の口実に使おうと企てるかもしれないが,精神科の専門家はそのようには考えない。ASPとは,行動,選択,感覚,などに異常なパターンを示すものではあるが,だからといって,この障害を持つ人間が自分の歩む道を自分で決められないということにはならないからである。彼らは正しい道を選ぼうと思えばできるにもかかわrず,自分の意志で間違った道を選んでいるのだ。
 他のいくつかの精神障害と違い,ASPは現実認識能力の喪失を伴わない。本人は自分が何をしているのかも,自分の周囲で何が起きているのかも,十分によくわかっている。彼らは善悪の区別はできるのに,それを無視しているのである。彼らは意図的に行動しており,意識は極度に自己中心的なゴールに集中している。つまり,彼らは自分の行動に100パーセント責任を持っており,その責任は追及されなければならない。

ドナルド・W・ブラック 玉置 悟(訳) (2002). 社会悪のルーツ ASP(反社会的人格障害)の謎を解く 毎日新聞社 p.262-263.

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