数年前,ディズニーのアニメーション映画『ノートルダムの鐘』が公開された。原作の邦題は「ノートルダムのせむし男」。文豪ビクトル・ユーゴーの原作だ。そのタイトルの「せむし男」が,映画では「鐘」に変わっていた。僕は当初,例によっての言い換えかと思っていた。しかし原題も「The Bells of Notre Dame」(ノートルダムの鐘)と表記されていることに気づき,アメリカでもやはりこの言葉は禁止用語になっているのかと驚いた。しかしそうではなかった。調べてみたらアメリカでのタイトルは,原題「The Hunchback of Notre Dame」のままだった。日本の配給会社は,邦題ばかりかビデオパッケージに表記する原題まで,ご丁寧に変更したわけだ。それもあの著作権管理に世界一うるさいと評判のディズニーを相手に。それだけの情熱とエネルギーがあるのなら,表現と規制について,もっと突き詰めて考える時間だって作れたはずだと思う。あるいは小人たちのテレビ出演への抗議に,「善意のつもりかもしれないが筋違いだ。彼らにもテレビに出て生活費を稼ぐ権利はあるのだ」と言い返すこともできたと思う。欧米の文化や習慣を全面的に追従する気は僕にはない。しかし差異はある。確かにある。非常に微妙な亀裂だけど,でもその断層は絶望的なまでに深い。