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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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二項対立図式

 討論あるいは対話という形で,真理を追究していこうとすれば,それと同じように,対立図式を際立たせるような争点を絞り込むことが不可欠です。
 ある物事に対する見方を,互いに相容れない正反対の二つの極にはっきり分けて,いずれが「正しい」か,あるいは「より適切か」を,対話・討論を通して,あるいは自分の頭の中での討論を通して----妥協したり,曖昧なところを残したりせず----決着させようとする思考法のことを「二分法」あるいは「二項対立」と言います。
 そうした思考法と連動する形で,物事を----「善/悪」「プラス/マイナス」「右/左」「新/旧」「ポジティヴ/ネガティヴ」というふうに----二つの極に分解して認識することを,「二項対立」的あるいは「二分法」的な認識と言います。
 英語で言うと<dichotomy>です。日本人に比べてイエス/ノーをはっきり言う西洋人は,哲学や政治の問題を考える時にも,二項対立的に突き詰めた発想をする傾向が強いと言われています。

仲正昌樹 (2008). 知識だけあるバカになるな! 何も信じられない世界で生き抜く方法 大和書房 Pp.106-107
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偶然を越える証拠はあるか

 バフェットは,1984年の講演で,アメリカの2億1500万人の人々がすべて1対1に分かれ,コイントスの結果に1ドルを賭けることを想像してみるよう,聴衆に求めた。外した人は失格で,当たった相手に1ドルを渡して終了となる。
 翌日,勝った人だけがまた2人1組に分かれ,同じゲームをするが,今度は賭け金を2ドルにする。負けたら失格で,その日の勝者は4ドルを手にすることになる。このゲームを毎日1回,賭け金を倍にして続ける。20回はじいた後では,200人ほどが勝ち残っていて,それぞれが100万ドル以上を手にしている。
 バフェットによれば,その中の誰かが,自分の取った方法について『毎朝30秒働くだけで,20日で100万ドル稼ぐ方法』という本を書くだろうという。「そんなことはできない」と言う象牙の塔の経済学者に,「できないのなら,どうしてこの200人がいるのか」としつこく問いつめる人もいるだろう。「するとビジネススクールの教授の中には無粋な人がいて,おそらくこんな事実を持ち出すだろう。2億1500万頭のオランウータンが同じことをしても,同じ結果になる----200頭ほどのがめついオランウータンが20連勝している」
 どんな証拠があれば,われわれは相場に勝つほどうまく株を選べる人がいることを納得するはずだと言えるのだろう。毎年,星いくつの評価が出て,相場や他の人々よりもずっと好成績を出した投資信託会社や人を特定している。そうした会社や人のうち,何年にもわたって上位にとどまる人はほんのわずかだけだ。そうした会社の広告を見れば,この赫々たる記録からすると,その予測力はさらに続くという印象をしっかりと残してくれる(細かい字で書かれていることは無視すれば)。しかし,バフェットの話からうかがえるように,長期的に立派な成績を挙げる非常に運のいい少数の会社やマネジャーの集団は,必ず出ることになっている。

ウィリアム・パウンドストーン 松浦俊輔(訳) (2006). 天才数学者はこう賭ける 誰も語らなかった株とギャンブルの話 青土社 pp.236-237.

馬鹿げた振る舞い

 ウォーレン・バフェットは,「平均するとIQが170もあろうかという大の大人が10人も15人も」,どうして自分を「資金をすべて失う可能性があるような立場」に置いたりしたのだろうと,驚きあきれた。それは大部分,その昔1738年のダニエル・ベルヌーイの発言だった。ベルヌーイはこう書いている。「自分の財産をすべて危険にさらす人は,どんなに大きな儲けが得られる可能性があっても,そのふるまいは馬鹿げている」。

ウィリアム・パウンドストーン 松浦俊輔(訳) (2006). 天才数学者はこう賭ける 誰も語らなかった株とギャンブルの話 青土社 pp.357.


リスクは幾何平均で見よ

 そう言えば「平均」には2種類あることを学校で習ったなと思い出すかもしれない。算術平均は,ごく普通の平均だ。並んだ値をすべて足し合わせ,並んだ数値の個数で割れば得られる。たとえば野球の打率はこれであり[四死球と犠打を除く打席について,安打なら1,凡打なら0として計算したときの平均],表計算ソフトのエクセルで,=AVERAGE()という式を入れたときに計算するものだ。
 幾何平均は,高校で習うが,たいていの人は忘れてしまう。これは n 個並んだ数を掛けて,その積の n 乗根をとる。もちろん,今ではどちらの平均にしても,手計算をする人はいない。エクセルにも,幾何平均を計算する式がある。 =GEOMEAN()である。
 いずれの平均でも,その要点は,話を簡単にすることにある。マニー・ラミレスの打率は.349であるという方が,そのプロ野球での打撃の実績すべてよりおぼえやすい。打率は,膨大なままのデータを並べたものよりも,選手の能力について教えてくれることも多い。
 野球でも他の多くのことでも,通常の,算術平均で十分に間に合う。なぜわざわざ幾何平均など考えるのだろう。
 ベルヌーイは,ギャンブルから話を始める。「公平な」賭けとは,生じる可能性が同等の結果について算術平均として計算される期待値が,ゼロとなるものだ。いわゆる公平な賭けと言われる例をひとつ挙げよう。硬貨をはじいた結果に,財産をすべて賭ける。同じ額の全財産を掛けた相手と勝負する。2倍になるかゼロか,いずれかだ。勝った方が,相手の家も車も貯金も,すべて取る。
 自分はたとえば10万ドルを持っているとしよう。硬貨をはじいた後は,20万ドルになるか,ゼロか,いずれかで,その可能性は五分五分だ。算術平均は,(200000+0)/2で,10万ドルとなる。10万ドルを,この賭けの公平かつ適切な価値だとして採用すれば,この賭けをしてもしなくても変わらないはずだ。今10万ドルあって,硬貨をはじいた後も,期待値は同じ額である。変わりはない。
 人はこういうふうには考えない。自分も相手も,こんな賭けに応じるほど馬鹿ではない。自分の持っている物をすべて没収されれば,総額が2倍になって得られる得よりも,はるかに大きい損をしなければならない。
 幾何平均を見よう。可能性が等しい2通りの結果を掛け算----200000×0----して,その結果の平方根を取る。何にゼロを掛けようと,ゼロになってしまうので,幾何平均もゼロとなる。これこそが賭けの本当の価値だと思えば,今ある10万ドルを手放さない方を選ぶだろう。


ウィリアム・パウンドストーン 松浦俊輔(訳) (2006). 天才数学者はこう賭ける 誰も語らなかった株とギャンブルの話 青土社 pp.236-237.

優れた投資家はいるのか

 エコノミストが求めている成績はどんなものかを明らかにしてみるといい----さらに,効率的市場の理論家が言っていないことも。当然,市場では誰も儲けられないと言っているわけではない。たいていの長期投資家は結構なリターンを得ているし,そうなるはずだ----でなければ,誰も投資などしないだろう。
 誰も平均を上回ることはないと言っているわけでもない。「平均」の利益とは,たとえばダウ平均とか,スタンダード&プアーズ500(S&P500)といった指標で表される。これらの指標は,代表的な株の値動きを追跡している。何年かの間,指標を上回る投資家は多い。わずかながら,何十年も指標の上を行く投資家もいる。
 理論家は必ずしも,相場に勝った人が皆,ただ運がいいだけだと言っているわけでもない。大きなリスクを受け入れることで,利益を大きくする方法もある。てこ(レバレッジ;借金や信用取引を利用して,自己資金だけによるよりも儲けを大きくすること)を使うのもそのひとつだ。非常に積極的な投資家は,借金をして,それがなければ買えないほどに株を買うことがある。それによって,期待されるリターンが増幅される----もちろん,変動による危険(リスク)も高まる。
 こうした理由で,優れた投資家という概念は,慎重に定めなければならない。リスク調整後リターンが相場を上回らなければならず,それを,運ではなく,何らかの理論的な方式で得ていなければならない。エコノミストが見つけられなかったのは,この種の具体的な証拠だった。

ウィリアム・パウンドストーン 松浦俊輔(訳) (2006). 天才数学者はこう賭ける 誰も語らなかった株とギャンブルの話 青土社 pp.156-157.

言外の行動

現在でさえ,私たちの選択的な観察の多くが直観的であるという事実のために,このようなタイプの観察を人に教えるのは困難です。しかも私たちの教育方法はまだそんなにしっかりしたものになっていませんから,学生の天分に大きく頼らざるを得ません。生まれながらの観察者ではない学生にすぐれた観察能力を身につけさせようとするのは,非常に難しいんです。もちろん,いくつかの規則は伝えることができますよ。「見出し語を使わず,動きそのものを記述せよ」とか,「その動物にこれこれのことをさせているのは何か自問せよ」よか,「これこれのことは生存の上でどんな価値があるのか考えよ」とかね。でも,行動の特定の側面に無意識に価値を付与するのがいかに個人的なことか,大学院生と一緒に観察するたびに思い知らされます。同じ場面を観察しているのに,2人の人間が非常に異なる物事を見るんです。たしかに,私はしばしば,学生が見逃したことを指摘して学生の注意を促すことができますよ。でも,新しい共同研究者が非常に明白なことに私の注意を向けさせてくれることも,よくあるんです。一度なんか,「そうだね,君が正しいよ,僕は何度もそれを見てきたけど認識していなかった」と認めざるをえませんでした。不面目なことですが,とても有益な経験でした。

(by ニコ・ティンバーゲン)

デイヴィッド・コーエン 子安増生(監訳) 三宅真季子(訳) (2008). 心理学者,心理学を語る 時代を築いた13人の偉才との対話 新曜社 p.418-419


関係性は言語でつくられる

 ゴミ捨てを引き受けるかどうか,朝相手にコーヒーを淹れてあげるかどうか,物理的にそこにいるかどうかといったことも,人間関係を表現します。でも会話は人間関係と切り離せません。人間関係で大事なのは,何をするか,何を考えるか,何を感じるかだと普通思われているでしょうけど,ことばこそ人間関係の見方の基礎です。関係はすべて言語によって,しゃべることを通して作られます。典型的な会話を考えてみましょう。その日の出来事を女性がしゃべり,男性がその問題を解決する方法を提案します。彼女は,私は解決策がほしいんじゃないの,聞いてもらいたいのって言うでしょう。あるレベルで,これが関係のありようです。それはそのように会話することによって作られるからです。それが親密さをつくり,親密さを表現します。もちろん,お互いに相手を大事に思っているでしょうけど,お互いについて知ることが親密さを作り出し,相手の人生の細部について知っていること自体が親密さの構成要素なのです。

(by デボラ・タネン)

デイヴィッド・コーエン 子安増生(監訳) 三宅真季子(訳) (2008). 心理学者,心理学を語る 時代を築いた13人の偉才との対話 新曜社 p.395


フロイトの発見と誤り

 フロイトは非常に重要な発見をしたと思うし,他の人々によってなされた発見に注意を向けたと思う。そのおかげで,僕たちは変化した。僕たちははや,気まぐれな偶然を信じない。たとえば,君が約束を忘れたとしたら,それには理由がある。彼は必ずいつも正しい理由をあげたわけではないと思うが,僕は彼の決定論を受け入れている。彼の大きな誤りは,心の装置と呼ぶものを作り出したことだと思う。ドイツの意思心理学から生まれたすばらしい創作だが,それは悲劇的だった。もし彼が,自我,超自我,イドという3つのパーソナリティに頼らずに事実を体系化していたら,心の地形学や地理学,意識,前意識,無意識に頼らなかったら,もっとずっと前進していただろう。でも,そんなに注目もされなかっただろうね。この論理的なものに魅力があるのはまちがいない。それは深遠な感じ,深みのある感じを与えてくれる。精神分析家は深みとか深層とかいうことばが大好きだ。そしてスキナーは表面的だと言いたがる。自分たちのほうが深みがあるとね。僕は,彼の治療は精神分析家たちが考えるほど成功したとは思わない。アイゼンクの批判は少々極端かもしれないが,それほど行き過ぎているわけでもないと思うよ。

(by バラス・スキナー)

デイヴィッド・コーエン 子安増生(監訳) 三宅真季子(訳) (2008). 心理学者,心理学を語る 時代を築いた13人の偉才との対話 新曜社 p.359-360

パブロフ実験は偶然

 パブロフは生命体(organism)でhなく,器官(organ)に注目する心理学者だった。それに,彼は自律神経系ならびに反射実験がうまくいく唯一の腺に取り組んでいた。彼が唾液腺に行き当たったのは驚くべき偶然だった。実験に用いることができる別の腺を見出すのは非常に難しい。たとえば,脚の屈折について筋標本を使おうとがんばっても,パブロフ反射の研究にはならないと思った。今でもそう思わない。涙を使うのは無理だ。胃液の分泌を使うことは可能かもしれない。胃液が出ているかどうかもっと簡単に見ることができればね。尿や汗を使うことができるとは思えない。唾液しかなかったんだ。実のところ,今思いついたんだが,パブロフは条件づけされた唾液分泌の専門科だったんだ。

(by バラス・スキナー)

デイヴィッド・コーエン 子安増生(監訳) 三宅真季子(訳) (2008). 心理学者,心理学を語る 時代を築いた13人の偉才との対話 新曜社 p.354

誤解

 スキナーは1929年にハーバード大学に入学したとき,すでにパブロフとJ.B.ワトソンを読んでいた。実験の背後にある考え方ではワトソンから影響を受けたが,より直接的な影響を受けたのはパブロフからであった。スキナーは反射について研究し始めた。インタビューの中で彼は,いかにしてそれに満足できなくなったかを説明している。オペラントの概念は反射への批判から生じた。しかし,スキナーのオペラントと反射の区別[訳注 反射は自動的反応,オペラントは自発的行動]は,容易に曖昧にされてしまう。特に,彼の研究の社会的な応用に関心をもつ人には,両者の違いは覆い隠されてしまう。主な違いは,オペラント条件づけにおいては特定の行動が生み出す結果を調べ,それを利用するということである。


デイヴィッド・コーエン 子安増生(監訳) 三宅真季子(訳) (2008). 心理学者,心理学を語る 時代を築いた13人の偉才との対話 新曜社 p.339

ほめることと叱ること

 私のキャリアの中で最も満足のできるユーレカ(わかった)経験をしたのは,飛行機操縦の指導員に対して,技能の学習を促進するには罰するよりもほめるほうが効果的だと教えようとしたときです。私が熱く語り終えたとき,聴衆の中で最も年季の入った指導員の一人が手を挙げて,短い演説をしました。彼は正の強化は鳥にはいいかもしれないが,飛行機操縦の訓練生には最適ではないと言いました。彼は「これまで何度も訓練生の曲芸操縦がうまくできっときにほめたことがありますが,たいてい,もう一度やろうとすると前より下手になります。反対に,うまくできなかったときに大声で怒鳴ることがしょっちゅうありますが,そうするとたいてい,次には前よりうまくできるようになります。ですから,強化がうまくいって罰がうまくいかないなんて言わないでください。その逆が現実の姿なんですから」と言いました。これは私にとって,世の中の重要な真実を理解した嬉しい瞬間でした。私たちは他者が何かをうまくできたときにほめて,うまくできなかったときに罰を与えますよね。そして物事は平均に回帰します。ですから,他者をほめると統計的にいって次はうまくできなくなる確率が高まり,罰すると次はうまくできる確率が高くなるというのが,人間の置かれている状況の一部なんです。私はすぐにそれを示すデモンストレーションを考えました。参加者に自分の後ろにある的に向かってコインを二回投げてもらい,当たったかどうかのフィードバックはせずに,的からの距離を測ります。すると,一回目に最も的に近かった人はたいてい二回目には前回よりも的から遠くなり,一回目に最も的から遠かった人はたいてい二回目には前回よりも的から近くなりました。ただし,このデモンストレーションによって,一生にわたって誤った随伴性に曝されることの効果が消えるわけではないことはわかっていました。

(by ダニエル・カーネマン)

デイヴィッド・コーエン 子安増生(監訳) 三宅真季子(訳) (2008). 心理学者,心理学を語る 時代を築いた13人の偉才との対話 新曜社 p.243


逆説志向

 不安感がとても強かった若い女性の例を話そう。過去の経験から,リラックスしなさいといっても緊張を高めるだけだということを僕は知っていた。だから僕は反対に「リンダ,できるだけ神経質に行動してごらん」と言ってみた。彼女は「いいですよ。神経質になるのは私にとって簡単です」と言って,こぶしを握りしめたり,震えているように両手を振動させたりしはじめた。僕は「いい調子ですよ。でももっと神経質になってごらんなさい」と言った。すると,彼女はその状況の滑稽さに気づいて,「本当に神経質になっていたんですけど,もうなれません。変ですけど,緊張しようとすればするほど,緊張できなくなります」と言ったんだ。逆説志向の本質は,「患者に自分が恐れているまさにそのことをしてもらう,または起こるように願ってもらう」ということだ。これが逆説志向の定義だよ。

(by ヴィクトール・フランクル)

デイヴィッド・コーエン 子安増生(監訳) 三宅真季子(訳) (2008). 心理学者,心理学を語る 時代を築いた13人の偉才との対話 新曜社 p.205


行動療法の発見

学位を取ったばかりだったこの頃,ドイツ人の精神科医アレグザンダー・ヘルツベルクに会った。彼はアクティブな心理療法について本を書いていた。彼はフロイト派だったよ。がちがちのフロイト派だ。だが,彼は,フロイト派の分析に時間がかかるという事実に気づいて,迅速化したいと望んでいた。フロイト派の分析が多くの人々に受け入れられるようにするにはそうするしかなかったんだね。彼は患者に課題を与えることにした。たとえば,家に引きこもって外に出るのを恐れている人に対しては,分析家としての治療を行った後,「ドアのところに行って外を見てごらんなさい。それから右に二歩,左に二歩進んで,戻ってきましょう」と言うんだ。次の時にはそれが五歩になる。そうやって続けていく。すると患者は以前よりもずっと早く回復するということに,ヘルツベルクは気がづいた。彼は,ドイツから逃れてきた他の精神科医とともに症例検討の会議に僕を出席させてくれた。みんな,これは有益な方法だということに賛同した。そのときすぐに僕の頭に浮かんだのは,この方法のなかには精神分析が何らかの役割を果たしているという証拠がまったくないということだった。そうした課題そのものが,改善を生み出している可能性はないのだろうか。分析が役立っているという証拠はない。この改善は学習理論の消去という考え方で説明することができる。これが僕の行動療法の概念の始まりだった。本当は重要なのに,分析を補助するいくらか有益な方法だという以外は誰も何も見出さなかったというのが典型的な反応だよ。本当は,課題を伴う精神分析と課題を伴わない精神分析の比較という重要なものだったんだ。課題を伴うほうがずっと効果が大きく,課題を伴わない分析に何らかの有効性があるという証拠はなかった。

(by ハンス・アイゼンク)

デイヴィッド・コーエン 子安増生(監訳) 三宅真季子(訳) (2008). 心理学者,心理学を語る 時代を築いた13人の偉才との対話 新曜社 p.144-145

謙虚さ

 人は生産的になればなるほど,自分がいかにわかっていないかに気がつきます。脳に関する私たちの知識は,脳の複雑さに比べて悲しいほどに不十分です。あなたにも私にもわからないことだらけなのです。謙虚さなど不要とおかしなことを考えてはいけないのです。

(by アントニオ・ダマシオ)

デイヴィッド・コーエン 子安増生(監訳) 三宅真季子(訳) (2008). 心理学者,心理学を語る 時代を築いた13人の偉才との対話 新曜社 p.123-124


僕は科学者

 僕が科学者なのは確かだ。何かを発見すると興奮するしね。何かを作り出したから興奮してるわけじゃないんだ。すでにそこに存在しているものの中に,何か美しいものを見つけたから興奮するんだよ。僕は,生活のあらゆる面で科学的なものに心を動かされる。そして,僕のとる態度も,いろいろな点で,科学的なものに影響を受けてるんだ。どっちが荷車で,どっちが馬とも言えない。だって僕は,いろいろな面を足し合わせてできてる人間だからね。僕が科学に興味を持つのは,疑り深いからか,それとも,科学への興味が,僕を疑り深くさせるのか,なんて一概には言えないよ。とても無理だね。ただ,僕は真実が知りたいんだ。だから,物事をよく調べるのさ。何が起きてるのか,見て確かめるためにね。


レナード・ムロディナウ 安平文子(訳) (2003). ファインマンさん 最後の授業 メディアファクトリー p.221.

科学者がすること

 科学者は,さんざん人間がやってきた活動を,非常に誇張された形で繰り返すんだ。普通の人はやらないと思うけど,僕は,来る日も来る日も同じ問題について考える。そんなの,僕みたいなバカしかやらないさ!他にいるとすりゃ,ダーウィンとか,何か1つの疑問について悩み続けてるヤツくらいのもんだね。「動物の起源は?」とか,「種の関連性は何か?」とかさ。それを何年も研究して,何年も考え続けるんだよ!僕が日頃やってるのは,一般の人もやってることなんだけど,あまりにしつこいから変人みたいに見えるのさ!でも本当は,人間の潜在的な可能性を見つけようとしてるんだけどね。


レナード・ムロディナウ 安平文子(訳) (2003). ファインマンさん 最後の授業 メディアファクトリー p.68.

科学者の仕事

 僕たち科学者の仕事は,ありふれた普通のものの中の,ある特定の種類の事象について,うんざりするほどつきつめていく仕事なんだよ!人には想像力ってものがあるけど,長時間それを働かせたりはしない。独創性は誰にもあるけれど,科学者は,とことん独創性を駆使する。科学者が普通じゃないとしたら,それは徹底的にやるっていうところだね。1つの限られたテーマについて,何年にもわたって研究を重ねていくからね。


レナード・ムロディナウ 安平文子(訳) (2003). ファインマンさん 最後の授業 メディアファクトリー p.68.

バビロニア人系とギリシア人系

 ファインマンは常々,哲学者にはバビロニア人系とギリシャ人系の2つのタイプがあると言っていた。古代文明の中の対立する2つの哲学を引き合いに出しているのだ。バビロニア人は,数や数式の理解,幾何学などに最初に大きく踏み込み,まさに西洋文明のさきがけとなった。一方,後期のギリシャ人---特に,タレス,ピタゴラス,ユークリッド---は,数学の祖と評価されている。バビロニア人は,計算のやり方が正しいかどうかだけにこだわり(つまり,これが真の物理学的な姿勢というにふさわしいのだが),その計算の結果が正確かとか,もっと高度の論理体系にも適応するかにまではこだわらなかった。一方,タレスや弟子のギリシャ人は,定理や証明という考え方の発案者だ。そして,何らかの主張が事実だとされるには,はっきりと系統だった原理や仮定に基づいたシステムで,正確な論理的結果が出なくてはならないと考えていた。早い話が,バビロニア人はものごとの現象に焦点を合わせ,ギリシャ人は根本的な道理に焦点を合わせていたのだ。


レナード・ムロディナウ 安平文子(訳) (2003). ファインマンさん 最後の授業 メディアファクトリー p.42-43.

カトリックの組織

 カトリックは,4世紀にローマ帝国の国教となって以来,帝国をまねて,全世界統一の厳格な階層統治組織を作り上げた。頂点にいるのはローマ教皇で(ローマ手国でいえば皇帝だ),その下に,ローマ帝国の属州総督のような形で「司教」がいて,それぞれの司教区を管轄しながら教皇に仕える。
 驚異的なことは,今でもバチカンを中心とするこの世界統一組織は健在で,アメリカにあってもカトリックである限り,バチカンの一地方支部で単一の教派という位置づけである。アメリカではプロテスタントの方が総人数は多いが,たくさんの教派に分かれているので,単一の教派としてはカトリックが最大になるわけだ。


飯山雅史(2008). アメリカの宗教右派 中央公論新社 p.190-191

福音派の確かめ方

 福音派は,プロテスタント大分裂の時に,進化論など信じたくはないが,原理主義者のように孤立するのも嫌だという人たちだった。だが,その子孫が「福音派」の“認定証”を持って歩いているわけではない。現代において,誰が福音派か確かめるには福音派特有の考え方を持っているかどうかを尋ねてみることになる。
 そこで,世論調査では,「成人してからの衝撃的な体験で信仰に目覚めた」という意味の「ボーン・アゲイン」という言葉をキーワードにして,「あなたはボーン・アゲイン,もしくは福音派のキリスト教徒ですか」という質問を行い,それに「イエス」と答えた人をすべて福音派とすることがある。それに従うと,福音派の人口は,なんと米国成人人口の44%(2008年)にのぼってしまう。


飯山雅史(2008). アメリカの宗教右派 中央公論新社 p.174


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