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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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他人の眼に映る自分を愛する

 水面に映った自分の姿に恋する,古代ギリシア神話のナルキッソスの話には,多くの次元があり,様々な解釈が可能だ。現在最も広く受け入れられているのは,ある男が自身の姿に恋してしまったために,強く心を寄せる魅力的な女性エコーに興味を示さなかった,というものだ。それがもとで神々の怒りを買い,彼は花の姿に変えられてしまう。このコンテクストでは,この神話は外側から眺めた自己,つまり他人の目で見た自己に夢中になりすぎるという行為が孕む危険性を表していると解釈できる。夢中になった結果,人は自分の要求をただちに,じかに感じる能力を失う。ナルキッソスの問題は自分を愛したことではなく,他人の目に映る自分を愛したことにある。

トール・ノーレットランダーシュ 柴田裕之(訳) (2002). ユーザーイリュージョン:意識という幻想 紀伊国屋書店 p.393.


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暗黙知

 マリリン・モンローはどんな顔をしているだろう。ためしに説明してみるといい。金髪。にっこり笑っている。ほくろがある。そのとおりだ。だが,もっと詳しく説明できるだろうか。たいていの人はそれ以上言えないが,写真を見せられれば,いや,たとえ写真の一部分でも見せられれば,すぐに彼女だとわかる。
 それでは,自分の家族の顔はどうだろう。上司は?同僚は?隣家の男の子は?知っている。もちろん知っているのだが,言葉で表すことはできない。顔のごく細かいところまで表現するのは不可能だ。たとえそういう細部のたった1つでも見れば,誰の顔か思い出すには十分であるにしても,だ。
 イギリスの哲学者マイケル・ポラニーは,1950年代にこの現象を<暗黙知>と表現した。私たちは,知っていることの大半を言葉で言い表すことができない。顔の例はポラニーが引き合いに出したもので,その見解をスウェーデンの哲学者イングヴァル・ヨハンソンがこうまとめている。「人は,たとえばある顔に注意を向ける時,同時に,その顔の細部からは注意をそらしている,とポラニーは言う。私たちは,暗黙知のあるものからは注意をそらす。知識がある時には,つねに何かしらに注意を向けているわけだが,もしそうなら,必然的に何かから注意をそらしていることにもなる,と言えるかもしれない。仮にも知識というものが存在するのであれば,暗黙知は不可欠である」

トール・ノーレットランダーシュ 柴田裕之(訳) 2002 ユーザーイリュージョン:意識という幻想 紀伊国屋書店 p.366-367.

意識というシミュレーション

 1958年12月,イングランドのロイヤル・バーミンガム病院で,52歳の男性が角膜の移植手術を受けた。自分の角膜は,生後わずか10ヶ月の時に目の感染症にやられ,それ以来,全盲だった。手術は大成功という評価を受け,イングランド中で大々的に報道された。『デーリー・テレグラフ』紙は,その男性の視覚が手術後わずか2,3時間で機能を回復した様子について,連載記事を組んだ。
 そうした新聞報道の読者の中に,心理学者リチャード・グレゴリーがいた。彼は認識にまつわる心理学に興味を持っていた。そして,同僚のジーン・ウォーレスとともに,その患者に世界はどう見えるかを研究し始めた。2人は学術文献の中では,患者をS・Bと呼んでいる。
 手術前のS・Bは活動的で満ち足りており,普通,目の不自由な人がするとは思えない活動を,数多く習得していた。(目の見える人に肩を支えられながら)自転車に乗ることも,様々な道具を使いこなすこともでき,白い杖なしで歩いた。手探りで歩き回り,義兄の車を洗いながら,その形を想像するのを楽しんだ。
 グレゴリーは,手術後に起こったことを,次のように報告している。「初めて目の包帯が外され,もはや盲目ではなくなった時,彼は医師の声を耳にした。そちらを向いたが,何かがぼうっと,おぼろげに見えるだけだった。声を聞いていたから,それが顔にちがいないとは思ったが,よく見えなかった。彼には,私たちが閉じていた目を開けた時のようにすぐには,物のあふれる世界が見えなかった」
 しかし,それから2,3日で視力を回復すると,S・Bは,動物,自動車,手紙,時計の針など,かつては感触でしか知らなかったものをいくつも,難なく認識することができた。すぐに絵を描くコツを覚えたが,ときどき珍妙な間違いを犯した。たとえば,1960年代には,もうバスにスポークタイヤは使われていなかったのに,そういうタイヤのついたバスを描いた。彼が子供の頃,バスに触るのを許された時には,確かにスポークタイヤだったからだ。
 S・Bが心から驚いたものはあまりなかったが,例外の1つが月だった。彼は空に浮かぶ三日月を見て,あれは何かと尋ねた。そしてその答えに当惑した。三日月というのは,スポンジケーキを4等分したような形だと,ずっと思っていたからだ。
 S・Bが使ってみたいとずっと夢見てきたものの1つに,旋盤があった。グレゴリーとウォーレスが,ロンドンの科学博物館で,ガラスケースに入った旋盤を見せたが,S・Bは見えないと言う。ケースが開けられ,S・Bは目を閉じて,しばらく旋盤の上に手を滑らせ,それから一歩下がって目を開けると,こう言った。「さあ,これで触ったから見えるぞ」このように,初めのうちS・Bは,触感を通して知っているものしか見えなかった。
 S・Bの話は悲劇的な結末を迎える。手術のわずか1年後,彼はすっかりふさぎ込んで真だ。世界を見て,幻滅させられたのだ。S・Bは,夜,明かりを消してじっとしていることが多かった。S・Bの話は,前もってシミュレーションしたことのないものを見るのが,いかに難しいかを物語っている。見れば信じられる,というのは真実ではない。信じるから見えるのだ。
 普通の人が世界を知覚する時,様々な感覚器官から入ってくる感覚が結びついて,内面で1つのイメージになる。それを私たちは体験する。人は,1つの感覚を使って別の感覚を助ける。スピーチは,話し手が見える場合のほうが聞き取りやすい。
 しかし,1つの感覚器官からの感覚データに不足があるときだけ,ほかの感覚を使うわけではない。経験という作用,ひいては意識という作用は,多くの異なるインプットを,自分が知っているものの単一のシミュレーションにまとめることに尽きる。
 グレゴリーが,S・Bの事例から提起した疑問に,次のようなものがある。「子どもの時,見えるけれど触れることのできない,鏡の中のような世界で,じかに物に触れる経験をせずに育ったら,どれだけ物が見えるようになるだろう。その答えは,ほとんど見えない,であることは,まず間違いない。そういう状況で目にするのは,物体ではなく,パターンだからだ。知覚が『物体仮説』を打ち立てるために必要な,相互関係が欠如しているのだ」

トール・ノーレットランダーシュ 柴田裕之(訳) (2002). ユーザーイリュージョン:意識という幻想 紀伊国屋書店 p.362-364.

意識の役割は情報の排除

 ハクスリーはメスカリンによる幻覚状態の間,自分のズボンの折り目や本棚にならぶ本の背などを目にするたびに,「これこそ,本来の物の見方だ」という言葉を繰り返した。その体験によって,本書で言う「情報を処分した結果としての意識」について,彼は次のような見解に達した。
 「自分の体験を振り返ると,高名なケンブリッジの哲学者C・D・ブロード博士と意見が一致する。すなわち,次のような意見だ。『記憶と感覚知覚に関しては,[フランスの哲学者アンリ・]ベルクソンが提起した種類の理論は,これまで軽視されがちだったが,もっとずっと真剣に考えるのが賢明だろう。そうした理論は,脳と神経系と感覚器官の機能が,おもに排除であって創出ではないことを示唆している。人は誰もが間断なく,自分に起こったことをすべて記憶し,宇宙のあらゆる場所で起こるあらゆることを知覚できる。脳と神経系の機能は,ほとんどが無用で的外れの大量の知識に圧倒され,混乱させられたりしないよう,私たちを守ることである。さもなければ,膨大な量の事柄をつねに知覚し,記憶しなくてはならなくなる。そのようなものの大部分を締め出し,実際に役に立ちそうな,ごく少量の特別な物だけを選りすぐって残すことで,脳と神経系は私たちを守っている』このような説によると,私たち1人1人は,潜在的に<普遍精神>である。だが,私たちが生き物である以上,何としても生き延びることが務めだ。生物的生存を可能にするため,<普遍精神>は脳と神経系の狭い減量バルブを通さなくてはならない。バルブの先から出てくるのは,ごくわずかな意識のしずくであり,その助けを借りて,私たちはほかならぬこの地球という惑星の表面で生き続けるのである」

トール・ノーレットランダーシュ 柴田裕之(訳) (2002). ユーザーイリュージョン:意識という幻想 紀伊国屋書店 p.359-360.

計算と情報の切り捨て

 計算をすると,その過程で情報が捨てられる。取り返しのつかない不可逆のことが実際におきる。これは計算によって情報が処分されるからだ。4は2+2より情報が少ない。だから,2+2という問題が計算の結果に置き換えられた時に不可逆性が生じる。もし,出発点と途中の計算を捨てて答えだけを残すという作業をしなければ,計算は不可逆にはならない。計算を元に戻せるので出発点に戻ることができる。だがそれには,途中の計算をとっておかなければならない。計算の意義は情報をへらすこと以外の何ものでもない。途中で何か捨てなければ,どんな計算も時間の無駄になる。計算は,可逆的なものと不可逆なものの2つのタイプに分けられる。後者は逆戻りできず,現実に面白いのはこちらのタイプ,つまり,取り返しのつかない形で情報を処分する計算だ。結果がわかっているからといって,出発点まで逆戻りすることはできない。

トール・ノーレットランダーシュ 柴田裕之(訳) (2002). ユーザーイリュージョン:意識という幻想 紀伊国屋書店 p.140.


錯誤相関(Hamilton & Gifford, 1976)

A集団はB集団の2倍の事例が示される。A集団のうち望ましい行動を示す人が18人,望ましくない行動事例が8件である。B集団でもその割合は9件と4件で,同じ9対4である。これら39件の情報をランダム順に実験参加者に示したところ,後の評定や事例数の確認において,望ましくない事例件数がB集団において実際より多く考えられていることが分かった。実験参加者は,A集団とB集団を弁別して,おおまかにA集団は望ましい集団,B集団は望ましくない集団と認識して,B集団の望ましくない行動件数を多く感じて,大小集団と望ましさの誤った関連付けを行ってしまったのである。これは,血液型のA型とB型においても全く同じように生じうる。

北村英哉 (2003). 認知と感情-理性の復権を求めて ナカニシヤ出版 p.77-78

ブランスフォードとジョンソン(1973)の実験

題名1:40階から平和行進を見る
題名2:人の住んでいる惑星への宇宙旅行

 その光景は心ときめくものだった。窓からは下の群衆が見えた。こんなに距離があるので,見るものはすべて極端に小さくなった。しかし色とりどりの衣装はそれでも見ることができた。みんなは整然と同じ方向に動いているように見えた。また大人だけでなく小さな子どももいるようだった。着陸はふんわりと行われ,幸運なことに大気は特別な服を着る必要がないほどだった。はじめはたいへんにぎやかだった。そのあと,演説が始まると,群衆は静まり返った。テレビカメラを持った男がその舞台や群衆の写真を何枚も撮った。誰しもみんな大変親しげで,音楽が始まった時には歓喜しているように見えた。

「着陸は・・・」の文章は,題名1では意味を成さない文章であり,文章呈示後の記憶成績は悪かった。題名2を呈示した後では,この文章は話の構造と適合してずっとよく記憶することができた。

指示されたテーマが異なってしまうだけで,わたしたちは異なった理解を構成してしまうし,全体の中での部分の意味ある位置づけが最終的になされているわけで,それがうまくいっているときに「よく理解できた」という感じをわたしたちは持つ。うまく位置づけできない,全体の中でおさまりの悪いものが残っている場合には,わたしたちはよく理解できた感じを持てないということになるのだ。新しい概念を学習する場合などは例をたくさん示すと同時に,その例がすべてもれなく理解できるような原理とその適用の確認を行わないと,わかった感じが十分得られないのである。

北村英哉 (2003). 認知と感情-理性の復権を求めて ナカニシヤ出版 p.55-56


利用可能性ヒューリスティックの例

10個の停留所があって,2個の停留所に止まるバスと8個の停留所に止まるバスを考えた場合,どことどこに止まっていくかのバリエーションを考える。10個の停留所から止まる2個の停留所を選ぶ場合の数も,止まらない2個の停留所を選ぶ場合の数も全く同じである。しかし,様々な個数の止まり方の場合の数を推定してもらうと,結局多くの人が2個の駅に止まるパターンの方が8個の駅に止まるパターンよりもずっと多いような回答を行う。2個のバリエーションを考える方が自由度が高くてたくさんつくることができる感じがするので,多くの選択肢があるように思ってしまうのである。(Tversky & Kahneman, 1973)


北村英哉 (2003). 認知と感情-理性の復権を求めて ナカニシヤ出版 p.72


アナロジーの制限

神経学者O.J.グリュッサーの「魂の座ー中世以降の大脳局所論」という論文によると,デカルトの神経系のモデルは,当時人気沸騰中の学期,オルガンだった。これもグリュッサーによるが,1500年前にギリシアの医師ガレノスは,ローマ式浴場の暖房装置をもとに気息の流通システムを考えた。やがて,哲学者のアルベルトゥス・マグヌスが,ブランデーの蒸留装置からヒントを得たモデルを考案し,このモデルはつい最近まで続いた。20世紀には,テープレコーダーやコンピュータが意識のワーキングモデルになっている。
 2年前,私はベティ・ピンカスというコンピュータ専門科とメールをやり取りしていた。彼女はすでに40年間,コンピュータに関わっている。彼女は書いている。「いつも面白いと思うのですが,私の仲間達は,自分の頭の働きを表現するのに,専門用語を使うことがあります。60年代には,『テープが足りなくなった』とか,『計算機がオーバーフローした』とか言っていました。技術の変化に伴い,『ディスクの容量が足りない』とか,『マルチタスクだ』とか言うようになりました。良く思うのですが,機械を発明する人は,頭脳の働き方をイメージして機械を作っているのでしょうか?それとも,機械ができてから,機械と頭脳を結びつけるのでしょうか?」


メアリー・ローチ 殿村直子(訳) (2006). 霊魂だけが知っている p.65-66

心臓移植と人格変化

 その種の研究は,ウィーンの外科医と精神科医のチームが1991年に行っている。彼らは心臓移植を受けた47人にインタビューし,新しい心臓と前の持ち主の影響と思われる人格的変化があったかどうか尋ねた。47人中,44人が「ない」と答えたが,ウィーンの精神分析の伝統にどっぷりつかっている研究者らは,これらの回答には敵意か冗談がこめられているのだといういいわけをひねり出した。つまり,フロイトの理論によれば,その問題への何らかの拒絶を示しているということだ。
 「ある」と答えた3人の患者の体験は,メドオーよりも平凡だった。1人目は,17歳の少年の心臓をもらった45歳の男性で,研究者にこう語った。「イヤホンをつけてにぎやかな音楽を聴くようになりました。前はこんなことはありません。今は新しい車や,いいステレオがほしいですね」ほかの2人もたいしたことはなかった。1人は,前の持ち主が静かな人だったので,この静かさが自分に「うつった」と言い,もう1人は,自分が2人の人生を生きていると感じ,質問に「私」ではなく「私たち」で答えた。しかし,新しく加わった個性や音楽の好みについての記述はない。
 オズも,やはり心臓を移植された患者が提供者の記憶を体験すると訴える現象に興味を覚えたそうだ。「こんな男性がいました。彼は自分が誰から心臓をもらったのか知っていると言い,自動車事故で死んだ若い女性の話を詳しく語りました。自分は事故に遭った黒人女性で,鏡に映る自分の姿は顔から血を出し,口の中にフライドポテトの味があったと言うのです。私は驚いて記録を調べましたが,提供者は年配の白人男性でした」提供者の記憶を体験したとか,提供者の生活について特別なことを知っていると主張する患者は他にもいましたか?「いましたよ。全部間違っていました」

 心臓を移植された人が提供者の性質を引き継ぐのではないかと言う心配は非常によくあり,特に異性や性的嗜好の異なる人から心臓を提供された人,あるいは,されたと思っている人に多く見られる。

 ある男性は,自分の提供者は性豪として「評判」だったから,自分もそれに見合うように頑張らなければと思いこんでいた。ラウシュとニーンは,42歳の消防士のことを書いているが,彼は女性の心臓をもらったので男らしくなくなり,消防士仲間から受け入れてもらえないのではないかと心配していた。

 クラフトの論文によると,男性から心臓をもらったと思う男性は,提供者が絶倫男だったと思いやすく,その勢力が自分にもいくらか引き継がれたと思うことが多い。


メアリー・ローチ 殿村直子(訳) (2005). 死体はみんな生きている NHK出版 p.224-227

魂はどこにあるか

 魂がどこにあるかという論争は四千年前からあった。最初は「心臓か脳か」の議論ではなく,「心臓か肝臓か」だった。最初の心臓派は,古代エジプト人だった。彼らは「カー」が心臓にあると信じていた。カーとは,人間の精髄,つまり霊魂,知性,感情,愛情,気分,悪意など,テレビの主題歌をにぎわせるすべてのもの,人を線虫ではなく人間にするものだ。死体をミイラにするときも,心臓だけは体内に残された。人は来世でもカーを必要としたからだ。脳は明らかに不要だった。死体の脳は,先が鉤になったブロンズ針で掻き回され,鼻孔から掻き出され捨てられた(肝臓,胃,腸,肺は体内から取り出されたが,陶器の壺に入れて保存され,墓の中に置かれた。あとに残していくよりは積めるだけ積んだ方がよいと思われたのだろう。来世のための荷造りとなればなおさらだ。)
 バビロニア人は最初の肝臓派だった。肝臓を人間の感情と霊魂の源の臓器と見ていた。メソポタミア人は二股かけ,感情は肝臓に,知性は心臓にあると考えた。彼らはどうやら自由思想かだったらしく,魂は胃にあると考えていた(抜け目がない)。同じような自由思想家には,霊魂がクルミ大の脳の松果体にあると考えたデカルト,「眉の後ろ」にあると考えたアレクサンドリアの解剖学者ストラトンがいる。
 古代ギリシア人の台頭とともに,霊魂論争はおなじみの「心臓か脳か」の対決に発展し,肝臓は副次的な地位に落とされた。ピュタゴラスとアリストテレスは,心臓を魂の座,すなわち,生きて成長するのに必要な「生命力」の源と見たが,第二位の「理性」的な魂,または精神が,脳に存在すると信じていた。プラトンは心臓と脳がともに魂の場所であるという考えに賛成したが,第一位は脳にした。ヒポクラテスの場合は混乱していたらしい(あるいは,私が混乱しているのだろう)。彼はあるところでは,脳の破壊は発語や知性に影響すると記したが,ほかのところでは,脳を粘液分泌腺と捉え,霊魂を支配する「熱」と知性は,心臓にあると書いている。


メアリー・ローチ 殿村直子(訳) (2005). 死体はみんな生きている NHK出版 p.208-209

医学の祖は解剖嫌い

 ローマ帝国の時代にも,政府が人体解剖に難色を示すと医学はどうなるかという,いい見本がある。歴史上最も尊敬される解剖学者のガレノスが書いた教本は,何世紀もの間,揺るぎないものとして伝えられたが,自身は一度も人間の死体を解剖したことがなかった。ガレノスは剣闘士の世話をする外科医という立場にあったので,剣やライオンの爪による傷口を通して断片的ではあるが,しばしば人間の内部をのぞき見ることが出来た。彼はまた,たくさんの動物を解剖したが,なかでも好んでサルを解剖した。サルは解剖学的に人間と同じだと信じていたからだが,サルの顔が丸ければ特にそうだと主張している。のちに,ルネサンス時代の偉大な解剖学者ヴェルサリウスは,人間とサルの骨格には,二百の解剖学的な違いがあると指摘している(ガレノスは比較解剖学者としては劣るかもしれないが,古代ローマで調達が難しいサルを思いついたのは,たいしたものだ)。正解はたくさんあった。ということは,まちがいもかなりあったということだ。ガレノスの解剖図には,5葉の肝臓と,三心室からなる心臓が描かれている。
 古代ギリシア人も,人間の解剖となると,同じように揺れ動いている。ヒポクラテスもガレノスと同様,一度も人間の死体を解剖したことがなかった。彼は解剖のことを「残忍ではないが不快」と評している。『人体解剖の歴史』によると,ヒポクラテスは,腱を「神経」と紹介し,脳を粘液分泌腺と思っていたらしい。医学の粗と言われている人がこうなのだから驚きだが,嘘だとは思わない。

メアリー・ローチ 殿村直子(訳) (2005). 死体はみんな生きている NHK出版 p.67-68


一杯のかけそばと貧乏

 1989年に「一杯のかけそば」があれだけ不完全な物語でありながらも,でも他の人にも読ませようとする人たちが続出したのは,あの物語にあるリアルな貧乏を伝えておきたかったのだろう。
 自分が貧乏であったかどうかは別として,1972年にはたしかにすぐそこに貧乏があった。貧乏と接していない人はいなかった。1989年は,その貧乏が伝えられる一番最後のところに来ていたのだ。テールエンドである。ここを過ぎるとたぶんもう意味がわからなくなるだろう,ということで,最後,僕たちは「一杯のかけそば」を賞賛して受け入れ,あっという間に捨てたのである。貧乏を一瞬ふり返って,でもその後二度とふり返らなくなった。
 そういう意味で,1980年代は貧乏人の時代だった。
 つまり,バブルは貧乏人の懸命のお祭りだったのだ。
 貧乏人が無理をして必死で遊んでいたのがバブルである。

堀井賢一郎 (2006). 若者殺しの時代 講談社現代新書 p.34-35

自殺は強制された死

 私自身が精神科医であるからといって,精神科治療で自殺をゼロにできるなどと断言するほど傲慢ではない。たしかに,どれほど手を尽くしても生じてしまう自殺があることも残念ながら認めざるをえない。しかし,早い段階でこころの病に気がついて,適切な治療を受けることさえできたならば,助かっただろうと思われる例もかなりの割合にのぼるのだ。
 そこで,「人には自殺する権利がある」とはやばやと結論を下す前に,自殺につながりかねないこころの病について正しい知識を持って,少しでも自殺によって命を失う人の数を減らすことができればと私は考えている。
 自殺は決して選択された死などではなくて,さまざまな理由から自殺しか選択肢がない状況に追い込まれた,いわば強制された死であるというのが,精神科医としての私の持論であるのだ。

高橋祥友 (2003). 中高年自殺:その実態と予防のために 筑摩書房 p.104-105

日本のマスコミの特徴

日本のマスメディアの自殺報道の特徴
・引責自殺や親子心中を特にセンセーショナルに報道する
・極端な一般化…因果関係について極端に単純化して解説される傾向がある。20〜30年前の青少年自殺のキーワードは「受験苦」「試験地獄」などであったが,最近は「いじめ」がキーワードとなっている。自殺はただひとつの原因で生じていることは極めて稀である。
・過剰な報道…マスメディアは自殺直後の短期間に過剰なまでに同じ報道を繰り返す。
・ありきたりのコメント…自殺をセンセーショナルに報じた直後に,識者と称する専門家の「戦後教育のつけ」「会社社会の犠牲者」「個を無視し,集団優先社会の当然の結果」「不況の抜本的対応を先送りにしてきた政府の責任」などといった,ごく当たり前のコメントが添えられる。
・短期間の集中的な報道…他に大事件が起きると,途端に自殺報道は終了する
・自殺の手段を詳しく報道する…群発自殺では,最初の犠牲者と同様の方法を用いる傾向が強い。本来自殺の危険の高い人に,自殺方法の鍵を与えるような具体的で詳細な報道は避けるべきである。
・メンタルヘルスに関連する啓発記事が極端に少ない…とくに欧米と比べて,わが国では自殺そのものの報道が繰り返されるばかりであり,自殺をどのように防ぐかという啓発記事がきわめて少ない。
・危機を乗り越えるための具体的な対処の仕方を示さない…アメリカでは報道機関に対して,自殺報道の最後に相談機関のリストを掲げるという提言を行っている。


高橋祥友 (2003). 中高年自殺:その実態と予防のために 筑摩書房 p.97-101より

自殺と責任

 真相の究明には不可欠な情報を知り得る立場の人物が,スキャンダルの渦中に自殺する。「私は決してやましいことはしていないが,この件で組織に迷惑をかけたので,(自殺することで)その責任をとる」といった遺書が残されることなども多い。
 文化人類学者のドゥ・ボスは,他者から与えられた役割や,帰属集団への過度の自己同一化を「役割自己愛」と呼んだ。要するに,集団への帰属意識が極端なまでに強すぎるために,その集団が解体してしまったり,指導者の社会的役割が抹殺されてしまう事態を想像することそのものが不可能になり,この種の自殺が生ずる文化的な背景が成立することを指摘している。
 個人の独自性を重視する西欧文化では,この種の自殺のように,集団へのあまりにも強い帰属性から生ずる自殺は全く存在しないとは断言できないまでも,一般的には理解するのが非常に難しいようである。
 自己の正当性を訴えるのであれば,真に責任ある人を告発したり,裁判の場で自己の身の潔白を証明すべきであると考えるのだろう。彼らにとっては,日本人が受け入れるような「引責自殺」を理解することは非常に難しいことらしい。そもそも,この種の自殺の形態に対して社会が強い関心を払うこともないし,あるいは存在すら認めない文化圏では,統計も手に入らず,日本の引責自殺との比較もできない。


高橋祥友 (2003). 中高年自殺:その実態と予防のために 筑摩書房 p.90-91


親子心中

 親子心中(特に母子心中)の場合,母親は20〜30代と比較的若く,なんらかのこころの病が自殺の引き金になっている例が圧倒的に多い。
 多くの場合,背景に精神疾患が存在しているという事実を一般の人が知っているかどうかは別にして,わが国で母子心中が起きると,苦境から脱出する方法として自殺しか思いつかなかった母親に対して社会の同情が寄せられることはあっても,その母親が非難されることはまずない。
 このような苦境に追い込まれた母親の心の中では,自分と子どもが一体になっていて,もはや自分の死後に子どもが生き残ることなどおよそ信じられなくなってしまっている。子どもの生命を絶つことは,けっして完全な他者を殺害することとは考えられていない。自己の一部を抹殺することと同義になっていて,他者を殺害するといった意識はなかったと考えられる。自分が亡くなった後に,子どもだけが生き残ることなど,およそ想像できなかった母親の気持ちをわが国の社会はある程度受容する。むしろ,kどもを残して自分だけが自殺するといった場合の方が,個人は非難されかねない。
 社会一般の風潮と一致して,法曹界も精神医学会もこの種の拡大自殺の概念をある程度認めているといってもよいだろう。母子心中を図ったものの,母親だけが生き残ったような場合,ほとんどの例で,精神科治療の対象となることはあっても,厳罰に処せられるようなことは稀である(当然のことながら,最近のように,保険金を得ることを目的に母子心中を偽装するなどというのは,厳しい処罰を受けるべきである)。
 たとえ同じ現象が起きたとしても,このように文化によって解釈が異なってくるのだ。とくにアメリカ社会はこの種の「他殺・自殺」を引き起こした親に対しては非常に厳しい態度で臨む。個別の意志と尊厳を有する存在として認めることがアメリカ社会の大前提であることを反映しているのだろう。


高橋祥友 (2003). 中高年自殺:その実態と予防のために 筑摩書房 p.82-84


日本は自殺が多い?

 自殺率は,年間に人口10万人あたりに生じる自殺者数によって表される。1990年代半ばまでは日本の自殺率は人口10万人あたり17〜18であった。この率はドイツよりもやや高く,フランスよりもやや低いというものだった。要するに,ヨーロッパ諸国と比べると,ほぼ中位の率を示していたのだ。「自殺大国日本」の固定観念を抱いて取材に来た欧米の特派員の取材の際に,このような事実を指摘すると,意外な事実に驚くといった場面によく出くわしたものである。
 ところが,1990年代末からわが国の自殺者数が急増し,2001年には人口10万人あたり約24になった。ヨーロッパ諸国に比べて,上位国の一角と肩を並べるほどになったのだ。
 とはいえ,日本よりはるかに高い自殺率を示す国があることも事実である。たとえば,リトアニア,エストニア,ラトビアといったバルト三国,ロシア,ハンガリーなどの自殺率は,人口10万人あたり40前後を示している。自殺率は社会の不安程度を示す指標でもある。社会体制や社会的価値の急激な変化が起きている国で自殺率の激増が認められることが知られている。旧ソビエト連邦から独立を果たしたものの,社会的な安定を十分に果たしていないバルト三国が高い自殺率を示していることなどは,この点を象徴的に表していると考えられる。


高橋祥友 (2003). 中高年自殺:その実態と予防のために 筑摩書房 p.67-69


スイセンの毒

 スイセンの毒成分であるリコリンとシュウ酸カルシウムは,口にすると吐気を催すだけでなく,葉や花を切ったりしたときに汁がつけば,蕁麻疹のような皮膚炎を起こすことがある。しかし,どういうわけか皮膚炎を起こすのはいつもフサザキスイセンで,ラッパズイセンやキズイセンといった他の種類には反応が出ないという。


植松 黎 (2000). 毒草を食べてみた 文藝春秋 p.137


社会は無自覚

 社会は,いぜんとしてネオフィリックと「ロボット」に無自覚である。無自覚であるから,いいかげんないいとこ取りが「ためになる言葉」のような顔をして大手を振っていられる。現実のこのことは,ほんのつい最近の現象を振り返ってみるだけで,十分に確認可能だ。1995年,今からわずか10年前に,インターネットが急速に流行りはじめたとき,マスメディアは口をきわめて批判していた。一般の論調も,一部の人を除いて,冷ややかであるか無関心であるかだった。「新しいもの」にすぐにとびつくのは,軽薄であるかアメリカかぶれであるか,と多くの人が言っていた。中には,「国が亡びる」と言う人までいたほどだ。それから5年と経たないうちに,「IT革命は世界をユートピアにする」という記事を,同じ新聞が載せる勢いに一変した。けれども,そのことを誰も恥ずかしいとは思わない。人間社会とは,あきれるほどに未来志向なのである。

佐々木正悟 (2005). 「ロボット」心理学 文芸社 p.131.

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