「心のエネルギー」というものを,ときどき,車のガソリンのように考えてしまう人がいる。7月下旬にスタートする夏休み,まだ時間もたくさんあるうちから,少しずつ宿題をやっていけばいいのに,日がなくなって「まぎわ」までやらないんだから……と簡単に子どもを責め立てる人は,そういう誤りを犯している。人にとっての余裕の日数やエネルギーというのは,満タンになったガソリンとは違うのだ。人の心のエネルギーは,「現実」とかかわり合ってこそわいてくる。ちょうどギアが適切に「入る」ように,意識が「現実」にガチャッと「はまった」ときだけに,「やる気」はわいてくる。「まぎわ」というのは,その現実に「はまったとき」なのである。7月20日と8月20日とでは,「やらなければならない」という「現実の切迫感」が全然違う。切迫しない現実は,心のエネルギーに火をつけることができない。ガソリンなら,あればあるほど余裕があるかもしれないが,日数や時間などの余裕はたくさんある分だけあるというものではないし,残り少ないからこそその分だけしか達成できない,というものでもない。要するに,数値化には向かないものなのである。
新しもの好きは,やりたくないことを「ロボット」任せにして,そうしてますます自分のなじみ深い環境をいとわしく思ってしまう。しかしそれは,要するに「ロボット」によって「現実」から遠ざけられているせいなのである。危機がやってきて,「ロボット」からいくぶんなりとも「現実」を奪い返し,ガチャッとギアを入れることさえできれば,自分が無能でも「グズ」でもないことを悟るのだ。エネルギーはあるのである。
佐々木正悟 (2005). 「ロボット」心理学 文芸社 p.111-113.
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