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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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精神分析と恋愛関係

 これはあまり知られていないが,かつて精神分析は,治療者と患者との恋愛関係を許容していた。むしろ患者の「心の病」を改善させるため,治療者との恋愛は好ましいものと考えられていたふしもある。精神分析の創始者フロイトの強力な支持者であったユングも,患者と恋愛することを躊躇しなかった(当時フロイトとユングは非常に親密であったが,やがて決別する)。

岩波 明 2006 狂気の偽装 精神科医の臨床報告 新潮社 p.116
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境界例

 境界例とは何か。元々この疾患は,精神分裂病(統合失調症)と神経症の中間的な状態と定義されていた。しかし,現在ではむしろ,健常者から微妙にずれている人たちを指すことが多い。
 第1に彼女たちは,感情的に不安定である。しばしば問題行動を起こす。具体的には,頻回の自殺未遂,暴力行為,アルコールや薬物の乱用など。精神科の臨床で診る境界例は,圧倒的に女性である。境界例の90パーセント以上は女性である。もちろん境界例の男性も存在するが,彼らは医療の枠からはずれ,司法機関の厄介になっていることが多い。社会的な許容度は,はるかに女性に対して大きいからである。
 境界例の女性は,関わった男性を奈落の底まで突き落とすこともある。男が専門家である精神科医であっても,例外ではない。

岩波 明 (2006). 狂気の偽装 精神科医の臨床報告 新潮社 p.110-111

自閉

 つまりここでブロイラーの言う自閉は,物理的に外界から隔絶していることを指しているわけではない。患者の内面のロジックと常識的なロジックが大きくかけ離れている状態を,自閉と呼んでいるのである。
 さらに自閉にはもう一つ重要な意味がある。「自閉症」という場合の自閉である。自閉症とは,発達障害であり,重大な疾患である。世間で誤用されているように,単なる心の持ちようというような,なまやさしい問題ではない。
 自閉症は小児自閉症,あるいは早期幼児自閉症とも呼ばれる病気だ。かつては精神分裂病(統合失調症)が小児に発症したものと考えられた時期もあったが,現在は否定されている。自閉症の示す症状は,人間関係への無関心,言語の障害,同一行動の繰り返しなどである。これらの症状は生まれながらのものである。つまり自閉症では脳の基本的なプログラムが生まれつき故障していると言える。自閉症の症状がはっきりするのは三歳頃であるが,その異常な症状は生涯にわたって持続する。


岩波 明 (2006). 狂気の偽装 精神科医の臨床報告 新潮社 p.87

フロイトの理論

 フロイトの元々の理論は,非常に単純である。「心」というのは,巨大な堆積装置であると想定されている。幼児期,あるいは小児期から様々な「性的に」色付けされた体験が心の中に蓄積し,それがやがてある種のパワーを持つに至る。そして,思春期においてそれが病的な症状として出現するという。

岩波 明 (2006). 狂気の偽装 精神科医の臨床報告 新潮社 p.49

AC:アダルト・チルドレン

 「アダルト・チルドレン」という言葉は,精神科医の齋藤学氏によって広められた言葉である。一時流行語にもなったので,意味はよく知らなくても多くの人が耳にしたことはあると思う。このアダルト・チルドレンという言葉は元来遺伝学研究のための用語であり,「アルコール依存症患者の成人した子供」を意味する。ここには特別な心理学的な意味は与えられていない。
 ところがこの純粋に遺伝的な概念に,しだいに別の意味合いが付与されるようになった。これが一般的なアダルト・チルドレンの概念である。つまり「アルコール依存症という問題を抱えた家族の中で成長した大人」ということである。アルコール依存症という問題によって様々な家族内の問題が生じ(酒乱の父親による家族に対する暴力というような光景が最も古典的なものだろう),その中で成長した子供は心理的な欠陥を持っているというのがその内容である。
 齋藤氏はこの概念をさらに拡大させた。これが流行語としてのアダルト・チルドレンとなった。齋藤氏によるアダルト・チルドレンは,「親との関係で何らかのトラウマを負ったと考えている成人」である。親はアルコール依存症である必要はない。それどころか,表面的には真っ当に見える社会人でもいい。親から何らかの心理的な外傷体験(いわゆるトラウマ)を受けた場合,あるいは家族間の諍いが見られ家族の機能が十分に働かなくなった場合,子供がアダルト・チルドレンになるという。

岩波 明 (2006). 狂気の偽装 精神科医の臨床報告 新潮社 p.41-42

強迫神経症

 強迫神経症(Zwangsneurose)という用語を用いたのは,フロイトである。フロイトは秩序を重んじ,頑固,吝嗇(ひどく物惜しみすること,けち)などの性格傾向をもつ者を肛門性格(anal character)あるいは強迫性格(obsessive character)と呼び,この性格をもつ者を強迫者(Anankast)は強迫神経症になりやすいとした。

岩波 明 (2006). 狂気の偽装 精神科医の臨床報告 新潮社 p.38

PTSDと「死」

 PTSDとは実際は「死」と結びついた疾患である。目の前に「死」の影を垣間見たものだけが,そう診断されるし,この病名を名乗る資格がある。
 次の3つの症状が,PTSDの基本症状と言われている。すなわち「フラッシュバック」「過覚醒」「回避」である。フラッシュバックとは,外傷的な出来事が再び起きているかのように知覚することである。過覚醒においては,覚醒レベルが亢進し,睡眠障害,不安・焦燥感,過度の警戒心などが持続してみられる。回避とは外傷と関連した刺激を避けることである。たとえば,災害が外傷であれば,それに関連するニュースや新聞記事などをできるだけ避けるようになる。
 元来のPTSDは戦争と関連した概念として生まれた。第一次大戦,第二次大戦,そしてベトナム戦争によって,戦争が人間の精神を破壊する場合があることに皆気づいた。それがPTSDである。殺し殺される体験,硝煙や爆裂音,あるいは断末魔の悲鳴の中で見た死体の肉片や血だまりがPTSDを引き起こす。
 アメリカでPTSDの研究が盛んであるのは,つまり当事者としての明確な理由があるのだ。アメリカは常時どこかで戦争を行っているので,PTSD患者も絶えず生じているのである。


岩波 明 (2006). 狂気の偽装 精神科医の臨床報告 新潮社 p.22

慎重に

私たちは脳の特定の部位に特定の機能を割り当てることには慎重であるべきである。脳の「葉」に各機能を一致させるやり方は神経科学の古い習慣で,主として機能障害から機能を推論する理由付けから生まれた。伝統的な論法では,ブローカ野のダメージが言語障害を引き起こすのだから,ブローカ野は言語の中枢にちがいないとなる。この結論が間違っているのは,ラジオに同じ理論を当てはめてみれば明らかだ。ラジオから真空管を取り除いたら雑音がひどくなったからといって,真空管は雑音を止めることだということにはならない。

スーザン・グリーンフィールド (2001). 脳の探究 感情・記憶・思考・欲望のしくみ 無名舎 p.244-245

さざ波

こうした発見は,最近の画像処理技術を使った脳の研究から生まれている。この研究のおかげで,人間が話をしているとき健康な大脳皮質がどんな活動をしているか観察できる。そうして発見されためざましい成果の1つは,単語を発するだけで皮質にさざ波が横切るような独特のパターンが生まれることだ。たとえば「ねじまわし」という単語を聞いただけで,運動野(運動皮質)と呼ばれる脳の一部が明るくなる。運動野は運動のコントロールに関係しているところで,おそらくその単語が,ねじまわしを使って何かしている記憶を作動させたのだろう。


スーザン・グリーンフィールド (2001). 脳の探究 感情・記憶・思考・欲望のしくみ 無名舎 p.238

人間=窒息死に適応

チンパンジーの喉頭は,口が食べ物でいっぱいの時には潜望鏡のようにせり上がって肺と鼻を直結させ,食べ物や液体はせりあがった喉頭の両側を通って飲み込まれる。人間の場合,喉頭はもっと低い位置にあり,気道と胃への通り道を完全にふさぐことはできない。運が悪いと,食べ物が誤って肺に入りむせることがある。チャールズ・ダーウィンが皮肉をこめて言っているように,「人間は窒息死に適応しているユニークな動物だ」。

スーザン・グリーンフィールド (2001). 脳の探究 感情・記憶・思考・欲望のしくみ 無名舎 p.226-227

集団内で強制力を持つ共通認識の個人差

 こうした個人差が生じるのは,被験者が何を信じているか,つまり「集団内で強制力を持つ共通認識」が人によって異なるためではないか。そう思わせる研究が近年に行われた。まず被験者に,催眠術にかかるとどうなると思うかを事前に紙に書かせる。後に実際に催眠を誘導して,その結果と紙の内容を比べてみた。ある女性は,目で見なければできない課題を与えられるたびに,決まってトランスから「覚めた」。彼女が書いていた文章を後で調べてみると,「催眠術にかかるためには目を閉じていなければならない」と記されている。ある男性は,2回目でようやく催眠に入ったのだが,彼の紙には「ほとんどの人は1回では催眠術にかからない」とあった。別の女性は,立っている時には指示通りにふるまうことができない。彼女はこう書いていた。「催眠状態に入る時には,横になるか座るかしなければならない」。しかし,催眠について語れば語るほどーたとえば本章のようにー「集団内で強制力を持つ共通認識」のばらつきが少なくなり,ひいてはトランス時の振る舞いからも個人差が減っていく。


ジュリアン・ジェインズ 柴田裕之(訳) (2005). 神々の沈黙:意識の誕生と文明の興亡 紀伊国屋書店 p.475

催眠=言葉によって生み出された現実への不合理な盲従

 そこで催眠時に特有のこのような行動を説明するものとして,「トランス論理」という重要な概念が唱えられている。単純に言うと,理屈で考えれば矛盾している馬鹿げた物事に対して,それを不思議とも思わずに反応することだ。ただし,「論理」とは言っても実際に何かの論理が働いているわけではない。といって,たんなるトランス現象の1つとして片づけることもできない。私としてはもう少し表現を膨らませて,「言葉によって生み出された現実への不合理な盲従」と呼びたい。なぜ不合理かといえば,実際とは異なる現実を正しいものとして突きつけられたとき,それに従うために論理の規則を脇へ追いやってしまうからだ(論理とは,私たちの外に存在する真実の基準であって,心の働きによって導かれる結論とは違うことを思い出してほしい)。

 ないはずの椅子にぶつかる(これが合理的な服従)のではなく,椅子をよけて歩きながらそれを少しもおかしいと思わないのは,不合理な盲従のなせる業だ。英語は分からないと英語で答えておいて,どこも変だと感じないのも同じだ。先ほどのドイツ生まれの被験者が,仮に催眠にかかったふりをしていたとしたら,きっと合理的な服従をして,かろうじて覚えているドイツ語だけで話をするか,黙り込むかしていただろう。


ジュリアン・ジェインズ 柴田裕之(訳) (2005). 神々の沈黙:意識の誕生と文明の興亡 紀伊国屋書店 p.473-474

催眠と幻視

 被験者の幻視が本物でないことは,別の実験からも確かめられる。被験者に,部屋の端から端まで歩いてほしいと頼む。途中に椅子を1つ置いておくが,被験者には椅子などないと告げておく。さて,どんな行動が見られるだろうか。被験者は,椅子が存在しないという幻を見るわけではない。たんに椅子をよけて歩いていく。このとき被験者は,傍目には椅子に気づいていないように見える。だが,気づいていないはずがない。現によけているのだから。おもしろいことに,正常な被験者に催眠術にかかったふりをしてもらって,同じ動作をさせると,被験者はまっすぐ椅子にぶつかっていく。催眠が本当に知覚を変えるという,誤った通説に従おうとした結果だ。


ジュリアン・ジェインズ 柴田裕之(訳) (2005). 神々の沈黙:意識の誕生と文明の興亡 紀伊国屋書店 p.472-473

催眠をめぐる誤解

 もう1つ,催眠に関してよくある誤解に,施術者は本物の幻覚を引き起こせるというものがある。
 だが,私自身が行った未発表の実験では,それを否定する結果が出た。まず,被験者を深い催眠に導いた後,ありもしない花瓶を手渡す仕草をする。そして,テーブルの上の,やはり架空の花を花瓶に1本ずつ生けながら花の色を言ってほしい,と頼む。被験者にとってこれは造作ない。役を演じることで対応できるからだ。ところが,ありもしない本を手渡し,それを両手に持って1ページ目を開き,中身を読んでほしいと頼んだ場合は話が全く違う。普通の人間は,どんなに想像力をたくましくしても,この課題を演技でこなせるものではない。被験者は,本を手に持つ動作はたやすくできても,いかにもありそうな冒頭の決まり文句や,場合によっては1文を,つかえながら口にする者もいるだろう。だがその後は,文字がかすれている,難しくて読めない,などといった言い訳を並べる。紙に描かれた(ありもしない)絵を見せて,何が描かれているか説明してほしい,頼んだ場合も同じだ。被験者はまったく何も説明できないか,何か言えたとしても,口ごもりながらごく短い言葉で答えるのがやっとだ。これが本物の幻視だったら,被験者は全体にくまなく目を走らせて,難なく細かい描写をしてみせるだろう。統合失調症の患者が自分の幻視を説明するときは,実際にそうする。


ジュリアン・ジェインズ 柴田裕之(訳) (2005). 神々の沈黙:意識の誕生と文明の興亡 紀伊国屋書店 p.472-473

催眠と疑いのなさ

ある男性はドイツに生まれ,8歳の頃,一家で英語圏の国に移住した。それから英語を覚えて,ドイツ語はほとんど忘れてしまった。施術者が男性を「深い」催眠に導き,あなたは今たったの6歳です,と告げると,男性は子どもを思わせるような,ありとあらゆる振る舞いをして,黒板に子どもじみた字を書いたりもした。だが,英語が分かるかと英語で尋ねられると,男性は,英語は分からないし話せない,分かるのはドイツ語だけなの,と子どものような「英語で」答えたのだ。さらには,英語は一言もわからないという文章を,わざわざ黒板に英語で書いてみせた。したがって,本当に退行しているのではなく,役を演じているのに近いと言えるだろう。被験者は,施術者の言葉と期待に何の疑いもなくやみくもに従っている。

ジュリアン・ジェインズ 柴田裕之(訳) (2005). 神々の沈黙:意識の誕生と文明の興亡 紀伊国屋書店 p.471-472

偶然の確率

ルイズ・アルバレズ(1911-1988,アメリカの物理学者,素粒子の発見で68年にノーベル物理学賞受賞)・・・ある人物が特定の人を思い浮かべて5分以内にその人が死んだことを知る,という事態が1年間で起こる確率は10万分の3であることを計算した。

日本の人口を1億2千万人とすればその中では毎年3千件,地球上の人口を60億人とすれば毎年15万件以上もそういう出来事が起きている。

日垣隆 (2000). サイエンス・サイトーク ウソの技術騙しの技術 新潮社 p.193-194


人権・自由・平等・博愛

人権とか自由,平等,博愛という言葉を聞いただけで,葵の御紋のように平伏してしまう前に,この概念の両義性をしっかり理解することから始めた方がいいでしょう。たとえばー
 人権=声の大きい者による既得権の拡大
 自由=わがまま
 平等=抜け駆け禁止
 博愛=敵は殺せ
 とか(笑)。
 「他人のわがまま(既得権)を侵さない限りでわがまま(既得権)を保障する」
 こういう条文であれば,まだしもリーズナブルだと思います。


日垣 隆 (2001). それは違う! 文芸春秋 p.183

オペラント条件づけ

ある心理学のクラスの学生が,学内で赤い服を着ている女子学生なら誰でもほめるよう言われたことがあった。一週間のうちに,カフェテリアは赤(と和やかな雰囲気)にあふれ返ったが,女子学生は1人として自分が影響されていることに気づかなかった。また別のクラスでは,無意識の学習と訓練について学んだ一週間後,それを担当教授に試した。教授が講義室の右手に移動するたびに,感心しきったような視線を送り,彼の冗談におおいに笑った。報告によると学生たちは,教授に少しも変だと思わせぬまま,ドアの外に出て行くまで彼を訓練できそうなほどだったという。

ジュリアン・ジェインズ 柴田裕之(訳) (2005). 神々の沈黙:意識の誕生と文明の興亡 紀伊国屋書店 p.48

ハイブリッド夢

 10の夢報告のそれぞれ場面ががらりと変わる部分で,ハサミで2つに切り離す。こうしてできた20片を再びつなぎ合わせる。このとき,半数はもとの報告どおりにつなぎ合わせ,残りは前と後ろが別々の人の夢報告からなる”ハイブリッド夢”に組み立てた。すなわちハイブリッド夢では,前後の内容の間に因果関係はないはずである。
 この実験を行う前には私自身,たとえ夢の場面が変わっても,1つの夢に何らかの因果関係を見出せると思っていた。ところが実際には,どれがハイブリッド夢でどれが1つの夢なのかを区別できなかった。それも私だけではない。他のみんなもそうだったし,ベテランの臨床心理士でさえ,このように場面変化を伴う場合,ハイブリッド夢かどうかの区別がつかなかったのである。  じつに素朴な実験ながら,考えさせられるところが多い。
 何事に対しても当然のように「こうなるには,こういう理由があるんだ。だからこうなんだ」と決めつけている。どんなことにも因果関係を探し出そうとするのが人間の心理なのだろう。それがあるからこそ私たちは生き延びてこられたのだろうし,科学も進歩してきたのである。
 ただし,それによって誤ることもある。そして誤ったことに気づくよりも,気づかないことのほうが多いようである。


アラン・ホブソン(著) 冬樹純子(訳) (2003). 夢の科学 そのとき脳は何をしているのか? 講談社ブルーバックス p210-211

使ってみよ

いつか高校生の投書に,「logのように世間でいらないものを」というのがあった。これは,「logを使わない世間」のほうが誤っている。ぼくはあまり進歩主義者ではないので,世間でもっとlogを使うべきだとまでは思わない。しかしながら,数学苦手少年をがっかりさせて悪いが,logを使う世間になって,それが使えないと困るようになるかもしれない。ただしそれは,考えようによっては,どうでもいいことだ。世間に出てlogを使うことがないなら,なぜ今使うてみようとしないのか。世間でビートルズを聞くことがないなら,今聞いておこうというのと同じことだ。


森 毅 (2006). 指数・対数のはなし 異世界数学への旅案内[新装版] 東京図書 p.171

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