読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。
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「才能」とは,努力によってスキルが上達する速さのこと。いっぽう「達成」は,習得したスキルを活用することによって表れる成果のことだ。
もちろん,優れたコーチや教師との出会いなどの「機会」に恵まれることも非常に重要だ。むしろ個人的などの要素よりも,そちらのほうが重要かもしれない。
しかし私の理論では,そのような外的要因や「幸運」は考慮しない。私の理論はあくまでも「達成の心理学」に関する理論であり,成功要因は心理学的なものだけではない以上,不完全なものだ。
だが,それでも役に立つと考えている。この理論が示しているのは,複数の人びとが同じ状況に置かれた場合,各人がどれだけのことを達成できるかは,「才能」と「努力」のふたつにかかっているということだ。
「才能」すなわち「スキルが上達する速さ」は,まちがいなく重要だ。しかし両方の式を見ればわかるとおり,「努力」はひとつではなくふたつ入っている。
「スキル」は「努力」によって培われる。それと同時に,「スキル」は「努力」によって生産的になるのだ。
アンジェラ・ダックワース 神崎朗子(訳) (2016). やり抜く力―人生のあらゆる成功を決める「究極の力」を身につける ダイヤモンド社 pp.70-71
言い換えれば,「天賦の才を持つ人」を神格化してしまったほうがラクなのだ。そうすれば,やすやすと現状に甘んじていられる。私自身,教師生活の初めのころを振り返ってみると,まさにそうだった。「才能」のある生徒しかよい成績は取れないと思い込み,そのように指導したせいで,生徒たちも,私も,「努力」の大切さを深く考えることがなかった。
アンジェラ・ダックワース 神崎朗子(訳) (2016). やり抜く力―人生のあらゆる成功を決める「究極の力」を身につける ダイヤモンド社 pp.66
「新しい従業員を雇うとします。知的能力が高いことと,勤勉であることでは,どちらのほうが重要だと思いますか?」
この場合,「勤勉であること」と答える人は,「知的能力が高いこと」と答える人の5倍近くにものぼる。
こうした調査結果は,心理学者のチアユン・ツァイがプロの音楽家を対象に実施したアンケート調査の結果とも一致している。音楽家たちも,同様の質問に対してほぼ例外なく,「生まれながらの才能」よりも「熱心に練習すること」のほうが重要だと回答した。
しかし,ツァイがある実験でもっと間接的な方法によって人びとの心理的傾向を調査したところ,正反対の結果が表れた。その実験では,参加者(やはりプロの音楽家たち)に対し,同等の実績をもつ2名のピアニストのプロフィールが紹介された。つぎに参加者たちは,その2名のピアノ演奏を収録した短い録音を聴きくらべた。しかし実際には,あるひとりのピアニストが,同じ曲のべつの部分を演奏している。
参加者にとって明らかな唯一の相違点は,2名のピアニストの紹介のしかたにあった。ひとりは「才能豊かで,幼少時から天賦の才を示した」とあるいっぽう,もうひとりは「努力家で,幼少時から熱心に練習し,粘り強さを示した」とあった。
するとこの実験では,先ほど紹介したアンケート調査の結果(才能よりも努力が重要)とは矛盾する結果が出た。音楽家らは,「天賦の才」に恵まれたピアニストのほうが,プロの演奏家として成功する確率が高いと評価したのだ。
アンジェラ・ダックワース 神崎朗子(訳) (2016). やり抜く力―人生のあらゆる成功を決める「究極の力」を身につける ダイヤモンド社 pp.43-44
要するに,どんな分野であれ,大きな成功を収めた人たちには断固たる強い決意があり,それがふたつの形となって表れていた。第一に,このような模範となる人たちは,並外れて粘り強く,努力家だった。第二に,自分がなにを求めているのかをよく理解していた。決意だけでなく,方向性も定まっていたということだ。
このように,みごとに結果を出した人たちの特徴は,「情熱」と「粘り強さ」をあわせ持っていることだった。つまり,「グリット」(やり抜く力)が強かったのだ。
アンジェラ・ダックワース 神崎朗子(訳) (2016). やり抜く力―人生のあらゆる成功を決める「究極の力」を身につける ダイヤモンド社 pp.23
よく日本人は宗教に対して無頓着で,特定の宗教を信じていない,あるいは無宗教といわれる。だが,キリスト教の長い歴史を持ちながらも近代合理主義的な科学を生み出してきた西洋人と比較してみると,日本人の多くは無自覚のうちに魂の不変を信じ,魂が物に宿るというアニミズムが浸透している。つまりオカルトブームには,日本人独自の民族性が色濃く反映されているのである。
人間というものは,物質的に目覚ましい進歩を遂げても,精神的にはなかなか変わらないものなのだろう。特に日本人に根強く残る不可視な領域,つまり霊の世界とでもいうべきものに対する信心はまったく変わっていないのではないだろうか。
前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.232-233
73年以来,日本中を酔わせた人類滅亡ブームは,世界的にはマヤ暦に根差した2012年でひとつの高まりをみせた。多感な子供時代をノストラダムスとともに生きた僕らは,99年までずっと飴をなめ続けるように滅亡史観にハマっていた。それが破滅的なものであれ,生きていく糧になることには変わりはない。予言とは,人の想像力を刺激する活性剤でもあるのだ。とにかく,人類滅亡の可能性があるからこそ,いまをしっかり生きようという考え方もあるだろう。
前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.230
『ノストラダムスの大予言』は,昭和オカルトブームにおけるビッグバンだった。
その本が出版された1973年は,オイルショックにより戦後の高度経済成長において初めての経済危機に直面し,小松左京による9年がかりの大作『日本沈没』が爆発的にヒットしていた。日本の次は世界とばかりに,女性週刊誌のルポライターで小説家志望の五島勉が,辞書を片手に友人から借りた洋書のノストラダムス研究本を独自に解釈して仕上げたのが,『ノストラダムスの大予言』であったという。清水一夫著『トンデモ ノストラダムス解剖学』(データハウス/98年)によれば,その友人とは,オカルト関連書籍の翻訳家として著名な南山宏であり,洋書とはヘンリー・ロバーツとスチュアート・ロブの2冊という。のちに五島は,それほどのベストセラーになるとは思っていなかったとも語っている。それでも,日本ではほとんど知られていなかったノストラダムスをこれほど有名にしたのは,すべて彼の功績だろう。
さらに,1999年に人類が滅亡するという予言は五島独自の解釈であったが,その明瞭さゆえに大ブームを巻き起こし,多くの日本人にトラウマのごとき強烈な印象を残すことになった。実際,『ノストラダムスの大予言』以降,滅亡の日とされた99年まで,人類滅亡への恐怖を煽る終末論が,そのときどきの世相や流行を反映しながら再生産され続けたのだ。
前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.205-206
Mr.マリックの超魔術が,ユリ・ゲラーのスプーン曲げを奇術として模倣して打ち破り,プラズマ学の権威である大槻義彦教授が,独自のプラズマ理論でUFOなどの超常現象を論破していた。70年代からテレビで人気を博していた宜保愛子が,霊能力者として大きくブレイクしたのもこの時期だった。UMA捜索隊のロマンは『川口浩探検シリーズ』(TBS系)としてバラエティ化していた。
そんな80年代を打ち破るように,大霊界の大ヒットをきっかけに第二のオカルトブームが日本を襲ったのだ。しかし,その後の展開は新興宗教が多く生まれ,95年,オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こり,日本のみならず世界をも震撼させた。朝の満員電車で毒ガスであるサリンを散布するという非情な行為に,多くの人々が憤った。
そして再び,オカルトブームは静まることになる。ゼロ年代に突入してから,江原啓之がテレビで人気となり,スピリチュアルという名前でオカルトブームを再来させる。また,インターネットの普及とともに,オカルトは都市伝説や陰謀論と名前を変えて,現代へその血脈をつないでいる。
それでも,70年代のオカルトブームが蘇らせた日本の心霊の世界は,形を変えながらも,21世紀に根強く残っているのだ。
前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.169-170
コナン・ドイルも含めて,あまりにも心霊の世界を信じてしまっている人たちは,疑わしいと思える妖精写真であっても,自分たちが信じるものの実在を証明してくれることに役立つならば,とりあえずは肯定してしまう傾向がある。もちろん,写真は真実を記録するものという一般の人々の思い込みも相まって,写真こそが最新の技術に裏打ちされた超常現象の科学的な証拠であると信じられたのだ。その意味では,人は写真の中に,自分が見たいと思っているものを投影し,発見してしまうものなのだ。だからこそ心霊写真は,現代の心霊ブームの大きな原動力となってきたのだ。
前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.156
もうひとつ,心霊写真が生まれた背景として,19世紀後半から20世紀前半にかけて,電気,電波,磁気,X線など,次々に新しい科学現象が発見され,心霊現象や霊の世界など,これまで謎とされてきた領域も解明されるのではないかと大いに期待されたこともあった。その当時,人間の魂が不変と考える心霊主義(スピリチュアリズム)がイギリスを中心に盛んになり,オカルティックなものと科学の最先端が不思議な相関関係を作っていた。
前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.151
74年に出版された中岡俊哉編『恐怖の心霊写真集』(二見書房)は,絶大なる影響力を持ち,中岡の同年の著書『狐狗狸さんの秘密』(二見書房)も大ヒット。彼こそが日本の心霊ブームのキーパーソンであったことは疑い得ないだろう。中岡は,僕らの日常に偏在する霊を何気ない記念写真の中から見つけ出し,そんな心霊写真こそが心霊現象の証であるとアピールしたのだ。
宇宙人やネッシーは海外から輸入されたものだが,心霊現象は,僕らの日常にすでに存在していた。中岡は,怪談話などで古くから語られてきたものを心霊写真という現代的な物証を示して,蘇らせたのだった。
前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.147
また一方で,70年代の日本のオカルトブームにおいて四次元は,超能力,UFO,心霊現象までをも説明する言葉として乱用されることになる。たとえば,子供が神隠しにあって行方不明になったという怪奇現象の説明では,その子供は四次元の穴に落っこちたために消息がわからなくなったとされた。また,突然現れては消えるUFOについても,四次元を通って移動しているからではないかといわれた。
さらには,当時,ソ連や東欧で行われていた超能力についての科学研究が衝撃的に紹介されたときにも,超心理学(パラサイコロジー)が「四次元科学」と訳されて,広く認知された。
前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.106-107
アメリカにおけるピラミッド・パワーの大ブレイクの理由は,そのシンプルさにあった。とにかく,ピラミッドの形をしていれば,あらゆる効果が期待できると考えられ,数々のピラミッド・グッズが生まれることになる。巨大な瞑想用ピラミッド,頭に被るピラミッド・ハット,小さなピラミッドを複数並べたピラミッド・ジェネレーターなど,ピラミッドという形状が未知のエネルギーを集積するものとなったのだ。また,ピラミッド形は,ニュー・エイジやスピリチュアル・カルチャーの象徴的なイメージとして定着していく。
前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.95-96
あらためて,日本における超能力ブームを再考するならば,戦後封印されていた日本独特の精神主義が,70年代のオカルトブームとともに息を吹き返したようにも思えてならない。現代においてさえ,日本民族には強靭な精神力に裏打ちされた特殊な能力があるという考えがどこかにあるのではないだろうか。
74年のゲラーの初来日で,テレビでスプーン曲げを観たとき,日本中が敏感に反応したのは,日本独特の精神主義に響くものがあったからではないだろうか。そのような傾向は,その後のオカルトブームにおいて幾度も頭をもたげ,日本をオカルト大国に育て上げてきたように思えるのである。
前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.88-89
70年代,米ソの対立を背景に,世界的に大きな関心を集めていた超能力研究の世界に,スプーン曲げというニッチな得意技を引っさげて乗り込み,一気にスターダムにのし上がったのがユリ・ゲラーであった。特にテレビメディアを通じて大ブレイクした日本の超能力ブームは,まさに彼が総取りしてしまったといっても過言ではないだろう。
前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.72
世界的なオカルトブームが吹き荒れた70年代,物質文明批判や公害問題,ベトナム戦争反対運動などが巻き起こり,米ソ冷戦下で第三次世界大戦勃発による人類滅亡さえも危惧されていた。古代に飛来したであろうUFOが,現代に再び見られるようになったのは,人類が直面する危機を警告し,新たな叡智を授けに来たのではないか,とも考えられたのだった。
前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.40
思えば,筆者のような昭和40年代生まれは,子供時代からテレビや雑誌によって届けられる世界の不思議な事件や怪奇現象に散々まみれてきた。それでも,多くは誰かの証言や不鮮明な画像,伝聞や脚色を交えたもので,信じるか,信じないかという二者択一を迫られるばかり。それ以上なかなか確かめようがないものが多かった。しかし,古代文明に関するものは,その根拠となる遺跡や物証は実在するもので,その確からしさが特別な説得力を持って僕らを魅了した。
前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.33
総じてコンタクティと自称する人たちは,高次の存在としての宇宙人たちと接触したとして”UFO教”とでもいうべきカルト的な世界を作り上げてきた。そのことが,UFOが怪しいものであるという印象を与える一因となってきたのだろう。
それでも50年代のアメリカで,軍関係者を始め,一般の多くの人たちがUFOを目撃したと主張していたのは事実であり,それが何かの見間違えであったとしても,その不思議な体験について人々が戸惑っていたのは確かである。それはいったい何だったのだろうか?
2つの世界大戦を経て,核戦争による人類滅亡の可能性さえも叫ばれていた米ソ冷戦下にあって,アメリカ空軍はUFO調査機関を置き,マスコミは宇宙人飛来の可能性や政府陰謀説を広め,そんな風潮に便乗するようにコンタクティたちがカルト的なムーブメントを起こしていた。そこには,米ソ核戦争への不安もあっただろう。また,新聞やテレビといったマスメディアが急速に発達する時代にあって,連日のUFOのニュースにアメリカ国民が大きく影響されてしまった部分はあっただろう。
前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.28-29
意外に思うかもしれないが,近代の始まりといわれる時代は,中世キリスト教世界の崩壊とともに,異端とされてきた古代の叡智が復興し,オカルト思想が激動の時代とともに渦巻いていた。俗に「科学的」といわれるような機械論的自然観は,17世紀のニュートン力学の登場以降に確立されていくものである。
ニュートンののち,18世紀にオカルト思想の考え方を生物学に活かそうとしていたのが,科学者にして芸術家のゲーテであった。たとえば,ゲーテの『ファウスト』は当時のオカルト思想の状況をうまく伝えている。
20世紀には,精神分析学の権威ユングが,そのようなオカルト思想を人間の内面で起こる現象として捉え,集合的無意識で読み解こうと試みている。そう考えると,1950年代にユングがUFO現象に古きオカルト思想の蘇生を感じ取り,遺作となる『空飛ぶ円盤』を著したのも頷けるのである。
神秘体験と呼ばれるものは,古くは「天使」「妖精」「人魚」などによって説明されたが,現代は「宇宙人」「超能力」「心霊現象」などにとってかわられているともいえるだろう。
前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.7
生まれ持った固定的なパーソナリティ特性は人生に大きな影響をもたらしますが,私たちは自分の大切なもののためには,別のキャラクターになることもできます。
人生を自分でコントロールしようという主体性は,人生にポジティブな影響をもたらしますが,そのためにはコントロールできない側面に注意を払うことが不可欠です。
猛烈に忙しいライフスタイルは,遊びの感覚によって緩和されないかぎり,健康を損なう可能性があります。
状況に応じて自分を変える人と,どんな状況でも変わらない人がいます。
クリエイティビティには大胆な想像力やコミットメントが求められますが,それを実現するためには周りの地道なサポートが必要です。
場所とパーソナリティは密接に結びついていて,パーソナリティによってどのような都市や地域に惹かれるかに違いが生じます。
パーソナル・プロジェクト,とくにコア・プロジェクトは,私たちの人生にとって極めて重要で,永続的に人生に意義をもたらし,豊かな彩りを与えてくれます。
プロジェクトは時間の経過とともに色褪せてしまうこともありますが,状況を正しく認識し直すことで再活性化することができます。
ブライアン・R・リトル 児島 修(訳) (2016). 自分の価値を最大にするハーバードの心理学講義 大和書房 pp.286-287