忍者ブログ

I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

どれが自分のコア・プロジェクトか

 パーソナル・プロジェクトの中には,「人生のそのもの」と言ってよいほど,大きな意味を持つものがあります。私は,これを「コア・プロジェクト」と呼んでいます。


 あなたは自分のパーソナル・プロジェクトのうち,どれがコア・プロジェクトなのかわかりますか?


 見分けるにはいくつかの方法があります。まず,「重要性」「自分の価値観との一致」「自己表現できる」などが感じられるものは,コア・プロジェクトとみなせます。


 また,進行中のプロジェクト全体を一つのシステムとしてとらえ,その関係を見るという方法もあります。あるプロジェクトは,システム内の他のプロジェクトと密接に結びついており,それが順調なときには他のプロジェクトもうまくいきますが,不調だと他のプロジェクト全体にも支障が出ます。このように他のパーソナル・プロジェクトに大きな影響を与えているのが,コア・プロジェクトなのです。



ブライアン・R・リトル 児島 修(訳) (2016). 自分の価値を最大にするハーバードの心理学講義 大和書房 pp.266-267


PR

Facebookとパーソナル・プロジェクト

フェイスブックで他者に開示するパーソナル・プロジェクトは,レクリエーション,人間関係,学術的なテーマのものが中心でした。逆に,フェイスブックユーザーがめったに他者に開示しないパーソナル・プロジェクトには二つのタイプがありました。
 一つは,自分自身を変えようとするような個人的プロジェクトです。これらのプロジェクトの投稿が少ない理由は,それが極めてプライベートなものだからということが考えられます。
 また,車のタイヤを交換するなどといった日常のメンテナンスも,おそらくはたいして重要ではないという理由からめったに触れられていませんでした。
 ただしツイッターでは,重要なものが変わります。私たちはツイッターでは,歯磨きに取り憑かれている人や,隣の家の犬の奇妙な習慣などを見て興奮する人など,一風変わった人たちの,どうでもいいような内容の投稿を楽しんでいます。

ブライアン・R・リトル 児島 修(訳) (2016). 自分の価値を最大にするハーバードの心理学講義 大和書房 pp.235

セルフモニタリング

「セルフモニタリングは性格のようなものである」という前提は,再考すべきです。
 セルフモニタリングが高かろうと低かろうと,たいていの人はさまざまな状況に応じて柔軟に自分を表現するはずです。誰でも,会社の会議を終えて家に帰れば,真面目な自分からリラックスした自分に切り替えるはずです。つまり人は誰でも,社会的圧力や,状況に応じて振る舞うべきタイミングをよく知っているのです。
 だからこそ,振る舞いを選択するにあたって,個人の人生観,「人生をどのように生きたいか」が浮き彫りになるのではないでしょうか。
 また,セルフモニタリングは「環境への適応」という側面からもとらえられるべきです。セルフモニタリングが高い人と低い人には,それぞれ適した環境があります。
 たとえばセルフモニタリングが高い人は,都市部などのさまざまな自己表現が求められる環境には適していますが,伝統的な農村部の生活にはあまり適していません。
 農村部では,こうした人は口が軽く,落ち着きのないやっかい者と見なされてしまうかもしれません。このような環境には,セルフモニタリングの低い人が適しているはずです。

ブライアン・R・リトル 児島 修(訳) (2016). 自分の価値を最大にするハーバードの心理学講義 大和書房 pp.131-132

レモンドロップ検査で外向性・内向性を測定

「レモンドロップ検査」は,生物学的な外向性レベルを測定する,面白い方法です。さまざまな方法がありますが,私がいつも授業で用いているものを紹介しましょう。
 必要なものは,スポイト,綿棒(両端に綿がついているもの),糸,レモン汁(飲料用のレモンジュースではなく,本物のレモンを絞ったもの)です。
 まず,糸を張ったときに綿棒の両端が水平になるように,綿棒の中心を糸で縛ります。そして被験者に,次の手順に従ってもらいます。

1 唾を4回飲み込みます。
2 舌の1点に綿棒の片方の端を当て,そのまま20秒間じっとします。
3 舌の先に,スポイトでレモンの絞り汁を5滴落とします。唾を飲み込みます。
4 先ほどと同じ舌の1点に,綿棒の反対側の端を当て,そのまま20秒間じっとします。
5 糸を張り,綿棒がどちらか一方に傾くかどうかを調べます。

 綿棒は水平のままの場合もあれば,“レモンを落とした後に舌につけた方”が下がる場合もあります。どちらが外向型でしょうか?
 そう,外向型の場合,綿棒は比較的水平を保ちますが,内向型の場合はレモンの方が下がることが多くなります。内向型の人は平常時の覚醒レベルが高く,レモンのような強い刺激に積極的に反応して,多くの唾液が分泌されるためです。
 平常時の覚醒レベルが低い外向型は,刺激への反応が内向型に比べて弱いために,唾液はあまり分泌されません。実際,唾液の分泌量が少ないために,外向型は虫歯になりやすいというデータすらあります。

ブライアン・R・リトル 児島 修(訳) (2016). 自分の価値を最大にするハーバードの心理学講義 大和書房 pp.86

外向性・内向性とアルコール・カフェイン

覚醒レベルは,神経に作用する飲み物をとることでも調整できます。アルコールは(少なくとも飲み始めてしばらくは)覚醒レベルを低下させます。このため,ワインを数杯飲むと,普段から覚醒レベルが低い外向型の覚醒レベルはさらに下がり,最適レベルからますます遠ざかってしまいます。逆に,普段は覚醒レベルが高い内向型の人は,同じ量のアルコールをとることで覚醒レベルが下がり,結果として最適な覚醒レベルに近づきます。このため調子がよくなり,普段よりも饒舌になったりします。
 刺激物であるコーヒーは,反対に作用します。外向型の人は,カフェインによって効率的にタスクを行えるようになり,内向型のパフォーマンスは落ちます。とくにタスクが定量的で,制限時間のプレッシャーがある場合,この違いは大きくなります。内向型は,直前にコーヒーを飲むと,会議で十分なパフォーマンスを発揮できなくなることもあります。とくに会議のテーマが予算の策定やデータの分析など,数字を扱うものである場合はこの傾向が顕著になります。一方,同じ会議に参加している外向型の人は,カフェインをとることで調子が上がり,積極的な発言をして議論に貢献します。

ブライアン・R・リトル 児島 修(訳) (2016). 自分の価値を最大にするハーバードの心理学講義 大和書房 pp.70-71

内向型の方が痛みを感じやすい

痛みも,内向型と外向型の違いを理解するためのキーワードです。内向型は(情緒安定性が低い場合はとくに),外向型よりも痛みを強く感じます。私は子どもたちのサッカーのコーチをしているとき,何かにつけて痛がってばかりいる内向型の子どもを「めそめそするな」と怒るのはよくないと親に伝えるようにしています。逆に外向型の子どもは,相手と激しくぶつかるのを恐れていないように思えます。ときには,激しい接触プレーを楽しんでいるように見えることさえあります。

ブライアン・R・リトル 児島 修(訳) (2016). 自分の価値を最大にするハーバードの心理学講義 大和書房 pp.70

MBTIが受ける理由

第一に,簡単に楽しく検査ができることです。企業内で行われるMBTIのワークショップは,参加者にとって楽しいものであり,チームビルディングにも効力を発揮します。
 ある企業向けトレーナーの女性は,会社が「MBTIタイプ」に浮かれていることを心配しています。この組織で今流行っているのは,ランチ休憩中のMBTIテストです。彼女曰く,「みんなで星占いしているようなもの」だそうです。つまりそれくらいにMBTIは気軽に行えるのです。「まるで,30分以内に届くピザの宅配みたいに,すぐに結果がわかります」——私たち心理学者が,思わず眉をひそめたくなるような話であることはおわかりでしょう。このような検査は,人間のパーソナリティを理解するのに必要な,繊細かつ詳細な分析とは正反対なものに見えます。にもかかわらず,多くの人が飛びついているのです。
 二番目の理由は,商業的なアピール度が高いことです。
 三番目の理由は,互いのMBTIタイプを比較することが(非科学的な占いとは違って),パーソナリティについての意義ある会話のきっかけになり得ることです。
 四番目の理由は,人は簡単にこの種の検査結果を自分の特徴だと見なすという点です。多くの人は,結果を自分の「アイデンティティ」の一部として,容易に受け入れます。件のTシャツの女性も,MBTIタイプによって表されたパーソナリティを,自らのアイデンティティの一部として誇らしげに示しているように見えます。
 五番目の理由は,MBTIに限ったものではありません。それは,パーソナリティ検査の質問に答えているときには懐疑的でも,いざ結果を見せられると「これはまさに私のことだ!」と魔法にかけられたかのように,信じてしまう私たちの心理です。

ブライアン・R・リトル 児島 修(訳) (2016). 自分の価値を最大にするハーバードの心理学講義 大和書房 pp.52-53

MBTI(Myers-Briggs Type Indicator)…「やれやれ」

MBTIテストは,20世紀の偉大な心理学者カール・グスタフ・ユングの理論に基づいて,キャサリン・クック・ブリッグスとイザベル・ブリッグス・マイヤーズという実の母娘でもある研究者が開発した,パーソナリティを理解するためのテストです。
 現行の標準的なMBTIでは,93項目の質問に答えることで,4つの対立する指標である「外向——内向」「感覚——直観」「思考——感情」「判断——知覚」のいずれかを組み合わせた16のタイプ(アルファベット4つで表現)で,個人のパーソナリティの傾向を表します。
 アメリカでとても人気が高く,毎年250万人以上が検査を受けているこのテストは,有料テストや研修プログラムも豊富で,多数の書籍やDVDが販売されています。16タイプを表す4つのアルファベットの組み合わせがプリントされたTシャツもあちこちで見かけます。
 なぜ,MBTIはこれほどまでに人気があるのでしょう?(そして,私はなぜ,彼女のTシャツを見たときに,心の中で「やれやれ」とつぶやいたのでしょう?)
 おそらく,それはMBTIの信頼性や妥当性が高いからではありません。
 まず,信頼性の面では,4つのアルファベットの組み合わせからなる16種類のタイプが,毎回同じものになるとは限らないことがわかっています(つまり,あの女性も再度検査したら,別のTシャツを買わなくてはならなくなります)。また,他のパーソナリティ検査と違って,大規模な研究基盤があるわけでもありません。

ブライアン・R・リトル 児島 修(訳) (2016). 自分の価値を最大にするハーバードの心理学講義 大和書房 pp.51-52

評価基準をいくつ持つことができるか

柱となる評価基準が一つしかないと,それが脅かされたときに人は身動きがとれなくなります。世界を解釈するうえでの自由度が低くなってしまうからです。
 前述したように,この柱となる評価基準は,私たちが世界を見るための“メガネ”のようなものだとも言えます。そしてこのメガネが一つしかないときは,その評価基準の尺度の両端を行ったり来たりする以外に道はありません。
 たとえば,あなたが「知的——愚か」という評価基準で世界を解釈している場合,誰かが知的だとは認められないような振る舞いをしたら,その人を「愚か」と認識する以外に打つ手はありません。雪道で立ち往生した車が,タイヤを禅語にスライドさせてさらに溝を深めてしまうのと同じように,「知的——愚か」の尺度を行ったり来たりするだけで,他の評価基準を使って世界を新しい視点で捉えようとはしないのです。
 しかし,柱となる評価基準が複数あれば,一つがうまく機能しなくても,“別のメガネ”で世界を解釈することができます。

ブライアン・R・リトル 児島 修(訳) (2016). 自分の価値を最大にするハーバードの心理学講義 大和書房 pp.45

もしハーバードの学生ではなかったら

このときの授業では,私は学生に「もしハーバード大学の学生でなかったら,自分のことをどのように感じるか?」と尋ねました。「ハーバードの学生でなくなる」ことは,「知的」や「魅力的」などの他の評価基準の状態にどのように影響するのでしょうか?
 結果はとても興味深いものでした。男子学生の多くが,ハーバード大学の学生でなくなれば,女性から「セクシー」だと見られなくなると述べたのです。彼らは,名門大学の学生でなくなることで,性的な魅力や“付き合う価値のある男”というイメージを失うと考えていました。
 それを聞いていたクラスの2人の女子学生は,困惑しながらも面白がっていました。彼女たちは,ハーバードの学生ではなくなることで,逆に男性から魅力的だと思われると考えていたからです。

ブライアン・R・リトル 児島 修(訳) (2016). 自分の価値を最大にするハーバードの心理学講義 大和書房 pp.30

都市における時間の感覚

都市における時間感覚とは,常に「次」が迫ってくるような類いのものだろう。いつも選択しにあふれ,チャンスはいつでも待ってくれている。都市での暮らしの中では,そのような感覚から逃れることは難しい。選択肢もチャンスも少ない非都市とは,時間の感覚が違うのだ。それが,都市の生活が,日々の余裕を奪うものになりがちな理由である。
 誰かが,都市に住むということは,海水を飲むことであると言った。目の前にのどを潤すための水はいくらでもあるが,それを飲めば飲むほどのどは乾いていく。何でもあるが,のどだけは満たされない。むしろ,渇望だけが続くのが都市である。

速水健朗 (2016). 東京どこに住む?住所格差と人生格差 朝日新聞出版 pp.185

住む場所が資本となる

こうした受験のための引っ越しといった状況は,つまるところ「住む場所」が資本になっているということだ。バブル期までの日本では,土地保有税の税額が低く,土地保有のコストが安かったために,投資としての都心部の地価上昇が進んでいた。かつては土地を所有することが,なによりの「富裕層」であることを維持するための手段だったのだ。
 ロバート・キヨサキの『金持ち父さん,貧乏父さん』(1997年)は,まさに土地を所有する者とそうでない者との間に,根本的に格差が生じる資本主義の原理を書いたベストセラーである。「土地」は,それを貸して賃料をもらうという不労所得につながるが,賃金労働者は永遠に働き続けないといけない。つまり,土地が「資本」であり,土地を持つ資本家には永遠に勝つことができないという話である。
 しかし,現代の富裕層=資本家は,受験の条件の変化を受けて,引っ越しをする人々である。つまり,「土地」以上に「住む場所」が資本になっているということができる。
 現代では教育が,富裕層がその優位性を維持するためにもっとも有効な「資本」になっているのだ。

速水健朗 (2016). 東京どこに住む?住所格差と人生格差 朝日新聞出版 pp.181-182

学区に基づく転居

ニューヨークは,世界でももっとも家賃の高い都市のひとつだが,この地域に住む富裕層たちの間では,子どもの進学に有利な公立学校の学区への転居という理由での移住が盛んになっている。超富裕層は,学区など関係のない名門私立に通わせるのだろうが,私立は極めて学費が高い。しかし,公立学校は学区制で,学区によってレベルは大きな格差がある。そして,そもそも移民も多く,極めて人口の流動性が高い地域でもあり,優位な学区も短いスパンで変わる。そして,それに伴って人気の住む場所が移り変わってもいくのだ。
 ニューヨークのような所得水準がきわめて高い場所では「教育」が移住の原理になっているのだ。

速水健朗 (2016). 東京どこに住む?住所格差と人生格差 朝日新聞出版 pp.179-180

日本人は引っ越しが好きではない

ただし一つ問題はある。それは,そもそも日本人は引っ越しが大嫌いということである。まえがきでも少し述べたが,1人の人が人生の中で引っ越しをする回数のことを「生涯移動回数」と呼ぶ。これは,時代によって変わるし,今の現役世代が人生の間で何回転居をするかなど,本当のところはわかりやしない。ただし,それをある程度は予測することができる。それを数値化したのが「生涯移動回数」である。日本人の生涯移動回数は,平均で4回と5回の間ということになる。都市化が進んだ他の先進国の移動事情に比べると,驚くほど少ない数字である。アメリカ人であれば,この4倍くらいの数字になる。土地に根付いた暮らしが性に合っているのか,あたは住宅へのこだわりが強いのか。理由はともかく,日本人は,移住しない民族なのだ。

速水健朗 (2016). 東京どこに住む?住所格差と人生格差 朝日新聞出版 pp.127-128

東京23区内で人口が増える地域

さらに東京の中を個別に見ると,東京都の中でも人口は一様に増えているわけではないことがわかる。東京の中心部である23区内だけを見ても,人口の増減にはばらつきがある。1章でも述べたが,23区の中で人口増加率(平成27年1月現在の「東京の人口(推計)」)が高いのは,千代田区の5.1パーセント,中央区の3.9パーセント,港区の2.4パーセントと,中心に位置する3区である。つまり,東京一極集中の内訳を見てみると,東京内での中心部への一極集中が進んでいることがわかる。
 東京の周辺部はすでに人口減少段階に入りつつあるが,中心部はまだまだ人口増が予測されている。東京都の人口も,2020年をピークに,人口減少に突入するということが予測されているが,それを中心部3区(千代田,中央,港)で区切れば,これらの区は2030年までは,人口増が予測されている。
 東京一極集中は,実のところ東京内一極集中なのだ。

速水健朗 (2016). 東京どこに住む?住所格差と人生格差 朝日新聞出版 pp.121-122

神経画像をめぐる批判

近年科学界では,神経画像に対するちょっとした反発が起きている。fMRIが使用されるようになり,不十分な管理の実験が安易に考え出され,学部の学生までがスキャナーでの研究に参入するようになった。あた多くの科学者が,注目される専門雑誌に手っ取り早く発表したがるあまりに,人間の脳で発見した活性化パターンを過剰解釈してしまう傾向にある。特定の脳領域の活性化を指摘し,特別な感情や認知機能の証拠だと解釈するのは,今や当たり前になってしまった。ある構造の活性化を観察して,他の科学者が他の脳部位を観察して導き出した結論を基に,人が幸せや悲しみ,不安やその他の感情を抱いていると結論づけるなんてあまりに安易すぎる。挙句の果てに神経科学者たちは,自分たちの論法を“逆推論”と名付けてしまった。それが今,多くのfMRI論文が受け入れられない大きな要因となっている。
 私は逆推論への批判は誇張されがちだと考えている。その大半が犬の散歩用エチケット袋に対するのと同じ種類の軽蔑を込めて発言されているからだ。私は,科学者たちがデータを過剰解釈していることを責めるつもりはない。彼らの結論に疑問を感じたら,常にその結果をよく検討し,自分の結論を引き出すようにしている。彼らの結果が信じられない場合は,自分の論文に引用したりしない。申し分のない妥当な結論は時を越えて生き続けるが,間違った結論は注目されなくなり,やがては消えていくものだ。

グレゴリー・バーンズ 浅井みどり(訳) (2015). 犬の気持ちを科学する シンコーミュージック・エンタテイメント pp.208-209

感情の三原則

ダーウィンは人間と動物に当てはまる感情の三原則を打ち立てた。1つ目は,感情は脳から生まれるということ。1872年当時,脳についてほとんど知られていなかったことを考えると,非常に卓越した正しい洞察と言える。2つ目は,感情の発現は自然な動作が基になっているということだ。笑うと口角が上がるのは,笑いが目を閉じるきっかけになり,目の周りの筋肉が収縮して,口角も引き上げるからだという。3つ目にダーウィンが信じていたのは,感情の発現は正反対の習慣に対する正反対の動作だということだ。ダーウィンはこの“正反対”と呼ばれる原則を説明するために,犬を選んだのだ。

グレゴリー・バーンズ 浅井みどり(訳) (2015). 犬の気持ちを科学する シンコーミュージック・エンタテイメント pp.157

仮説主導型の実験

典型的な仮説主導型実験のコツは単純だ。周知の科学的学説を調べ,まだ誰も実証していない些細な問題を見つける。証明する実験を行ない,総体としての学説を支持する。そして,発表するのだ。
 このタイプの実験は簡単に読めるし,結果は必ず発表される。大学での昇進と在職を確実にする履歴書も作れる。失敗のリスクが少ないので,調査会社にも人気だ。私の推定では,発表された研究のほぼ全てがこの領分に入っている。
 要は,仮説主導の実験はひどくつまらないということだ。ほとんどの場合,実験結果を読む必要さえない。基本的に最初の段階で分かっていることを,科学者が証明しているに過ぎないからだ。すでに周知の仮説があるということは,人々は既に科学的論点の面白さが分かっているということだ。実験結果はせいぜい,知識を追加的に増やす程度のものにしかならない。もちろん,周知の仮説が間違いだと分かれば,実に面白いことになるだろう。だが,そのような結果は誰も信じないので,発表するのはほぼ不可能に近い。

グレゴリー・バーンズ 浅井みどり(訳) (2015). 犬の気持ちを科学する シンコーミュージック・エンタテイメント pp.59

犬を見る時の誤り

1つ目の誤りは,犬を人格化したり,自分の思考や感情を自分以外のものに投影したりすることだ。人間がとかくやってしまいがちのことで,仕方がないとも言える。私たちの脳は生まれつき,自分の思考を他人の思考に投影する傾向にあるからだ。これはメンタライジングと呼ばれるもので,人間の社会交流に不可欠なものだ。相手の考えていることを常に推測しているからこそ,人は互いに交流できる。簡略化した携帯メールや,一度につき140文字までのコミュニケーションが上手く機能するのは,互いにメンタルモデル(訳注 心の奥底に持っているイメージや仮説。独自の思考フィルター)を持っているからだ。実際,ほとんどの携帯メールの内容は,最低限の言葉だけだ。また,人間は共通する文化要素を持っている。だから,ほぼ同じような反応を示す傾向にあるのだ。私は悲しい映画を観ているとき,自分の反応から,周りに座っている人も同じ気持ちだと直観で分かる。相手が全く知らない人であっても,自分から話しかけ,共通の経験を頼りに会話を成立させることができる。だが,犬は人間とは違う。人間のように分かち合う文化を持っていない。なのに,人間は犬の行動を観察するとき,どうしても人間の心というフィルターを通して見てしまう。あいにくだが,犬に関する本の大半は,犬のことよりも著者自身のことが書かれていると言えるのだ。
 2つ目の誤りは,犬の行動の意味をオオカミの行動を頼りに読み取ろうとすることだ。これを“類質同像”という。実際,犬とオオカミは共通の祖先を持つが,犬がオオカミの子孫というわけではない。この区別は重要だ。オオカミと犬の進化の道は,「ウルフ・ドッグ」が人間と暮らし始めたときに枝分かれした。人間のもとに残った方が犬になり,去った方が現代のオオカミになった。現代のオオカミは犬と異なる行動をし,全く違う社会構造を持っている。脳も違う。オオカミの行動というレンズを通して犬の行動の意味を読み取るのは,人格化するよりもさらに性質が悪い。つまり,オオカミの行動を人格化したり,間違った印象を犬の行動の例えとして使ったりしているのは,人間なのだ。

グレゴリー・バーンズ 浅井みどり(訳) (2015). 犬の気持ちを科学する シンコーミュージック・エンタテイメント pp.44-45

自殺が少ない地域の7つの原則

(1)即座に助ける
 (2)ソーシャルネットワークの見方
 (3)柔軟かつ機動的に
 (4)責任の所在の明確化
 (5)心理的なつながりの連続性
 (6)不確かに耐える/寛容
 (7)対話主義

 私がオープンダイアローグを知ったのは自殺希少地域の旅を開始した後だった。自殺希少地域で気付いたこと聞いたことをノートにしながらまとめていくと,この7つの原則の存在を感じることになった。

森川すいめい (2016). その島の人たちは,ひとの話をきかない:精神科医,「自殺希少地域」を行く 青土社 pp.184

bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で

Copyright ©  -- I'm Standing on the Shoulders of Giants. --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]