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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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正義と正義の戦いで仲が悪くなる

職場の人間関係がよくなる最低限の原則は,目的を同じくすることである。それぞれやり方は違うとしても向かっている方向が同じだとわかっていれば,人間関係が悪くなることはない。何のために働いているのかが分かり合えていれば,互いの人格を否定するようになるまで争うことはない。やり方が違うだけであるから方法論の話し合いをすればいい。
 向かっている方向が違うならば,議論は決してかみ合うことはない。「正義」と「正義」の闘いになるから,互いに仲が悪くなる。

森川すいめい (2016). その島の人たちは,ひとの話をきかない:精神科医,「自殺希少地域」を行く 青土社 pp.149
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自然と助け合う

人間関係のよい近所づきあいと悪い近所づきあいの差は,このようなところにあるのだと思う。近所の誰かが助けてくれたから,それでまたそのひとも人助けをしている。生きるということは助け合わなければならないのだが,それを自然とできている。自分ができることをする。互いに助けている。
 助け合っているというのとは少し違う。助けてくれたから恩を返す,その繰り返しというのとは少し違う。誰かが誰かを助けてくれて,それゆえにまた誰かは誰かを助ける。めぐりめぐって自分も助かっている。

森川すいめい (2016). その島の人たちは,ひとの話をきかない:精神科医,「自殺希少地域」を行く 青土社 pp.140-141

意思確認が逆効果になるとき

弱っているひとの意思を聞くことは時には間違うことがある。弱っているからこそ本当は助けてほしいと思っていても助けてと言えなくなる。意向を質問すればするほど拒否していく。弱っているときは,「入っていいですか?」と聞くのではなく,「助けに来たよ」と入っていく。それでも断られるのであれば,それは本人が本当に嫌だということである。しかしたいていは,「ああ,ありがとう」と言う。契約とか金銭のこととか制度が絡むとややこしいことになるのだが,ひとの営みのことではそれは当然のことなのだ。契約が関係して契約が結べないことが心配だったら,そこは無償でやったらいい。支援者の仕事は相手を助けることだ。お金は目的ではない。お金は仕事を続けるための責任ではある。だからといって,お金をもらう契約が結べなかったら助けることができないのであれば本末転倒になってしまう。

森川すいめい (2016). その島の人たちは,ひとの話をきかない:精神科医,「自殺希少地域」を行く 青土社 pp.130

男女平等だと思っている

とはいえ,日本をひとくくりにするとそういう結果になるわけだが,男女の平等さは地域によってもちろん違う。そして自殺希少地域では,おおむね男女平等だと思っているいるひとが多い印象である。私たちはそのことも直接地元のひとたちに聞いた。
 質問方法は単純だ。この地域は「男女は平等ですか?」と男性にも女性にも聞く。そして,「平等だね」とこうした地域のひとは答える。たくさんの人数に聞いたわけではないからはっきりとは言えないが,今のところ聞けたひとは「平等だね」と答えている。

森川すいめい (2016). その島の人たちは,ひとの話をきかない:精神科医,「自殺希少地域」を行く 青土社 pp.111

悪口・陰口

悪口や陰口というのは,物事やひとの行動が嫌だと思ったときに,それが変わってほしいという思いがフラストレーションとなって,それを本人に直接言えないときに,別の分かり合えているひとに話す行動である。これが繰り返されれば,派閥が生まれたり,孤立するひとが出たり,弱い側のひとがつぶれていく。自殺につながる可能性もある。

森川すいめい (2016). その島の人たちは,ひとの話をきかない:精神科医,「自殺希少地域」を行く 青土社 pp.76

防止と予防

防止というのは,自殺の具体的な手段から遠ざかる方法である。例えば,ビル屋上のフェンスの高さを何メートル以上にすると飛び降りるひとがいないとか,地下鉄などにあるホームドアなどがあげられる。主にハード面での対策が考えられる。自殺に至る前の段階の敷居を高めることで実際の行動を思いとどまるひとが増える。
 予防は……これはさまざまだ。例えば,飲酒は,1日40グラム以上のアルコール(日本酒で2合程度)を毎日摂取すると,そうではないひとに比べて自殺で亡くなるひとの割合がぐっと増えるので,60グラムを大量飲酒と考えて大量飲酒はやめましょうという予防対策が出てくる。
 つまりは,今,予防の話をしているのか,防止の話をしているのかを分けて考えることが考えを整理し対策を考えるときに大事だという話だ。

森川すいめい (2016). その島の人たちは,ひとの話をきかない:精神科医,「自殺希少地域」を行く 青土社 pp.25-26

うつ病と自殺

例えば「うつ病」は自殺の原因のひとつになるというわけだが,うつ病を患うひとの中では自殺で亡くならないひとのほうがずっと多い。うつ病になっても精神科に通わずに自分で回復する人もおそらく多い。うつ病対策をしようとして,その状態にある人を発見することと,発見したら精神科につないで診断を受けさせて薬を飲ませるという流れが本当にひとを助けるのかは誰にもわからない。もしかしたら,担当した精神科医によってその差は驚くほど大きくなるかもしれない。
 原因がうつ病だとした時に,それを解決する手段の確かさを明らかにできないのである。

森川すいめい (2016). その島の人たちは,ひとの話をきかない:精神科医,「自殺希少地域」を行く 青土社 pp.21

将来について考えること

よく言われることだが,人の意欲を高めるには将来について考えさせるのが効果的だとされる。自分はどこまで到達できるのか,あるいはどんな人物になりたいのか。教師や人生のメンターがモチベーションについて語るとき,目標を設定することの重要性を力説するのが一般的だ。この仕事で成果をあげれば昇進できるでしょう。あともう1セットベンチプレスをこなすには,理想の二頭筋を思い浮かべて。これはもっともなことだ——私たちは退屈でも不愉快でも避けられない作業をなんとかやり遂げるために,将来得られる利益を思い描いて励みにする。しかし,目標に意識を集中してやる気を高める方法には問題がある。将来に焦点を合わせると現在を楽しめず,結果的に自分がしていることを面白いと感じなくなり,ひいては最後までやり抜く気力まで薄れてしまう。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.280-281

背景に基づく空想

想像力豊かな人はよく夢のなかでひらめきを得るが,だからといって夢を見ること自体を創造的な活動と考えるのは正しくない。教育論について著書のある教師のデイジー・クリストドゥルは,生徒に「デザイナーのように考える」ことを求め,空想にふけるように指導する学校の取組を紹介して支持している。彼女が指摘するように,専門家と素人では空想にふけるといってもその中身はまるでちがう。熟練デザイナーの場合,膨大な量の背景知識と身に染みついた経験が蓄えられているため,それが空想へと流れ込んでくるのだ。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.239-240

過小評価と過大評価

教育の分野においては,好奇心は過小評価されると同時に過大評価されるという不思議な位置に置かれている。学校制度はともすると,学習に喜びを吹き込むことを軽視し,試験や就職に向けた準備ばかりを優先する。それも大事なことではあるが,現在の教育事情に弊害があるのは明らかだ。それから,子どもの好奇心は解き放ってやるだけで良いという先入観にも問題がある。好奇心を解放するだけで素晴らしい知的発見の世界が広がるとしたら喜ばしいことだが,実際はそうはいかない。学校が知識のデータベースの構築を放棄するなら,多くの子どもたちは自分がまだ何を知らずにいるのか知らないまま成長する危険がある。そうなると自分自身の無知に関心をもつこともなく,自分より豊かな知識をもつ——したがって好奇心の旺盛な——同級生に比べて一生不利な立場に置かれることになる。やがては自分が二極化した好奇心の不利な側にいることに気づくだろう——大人たちがそのような状態を食い止めないかぎり,彼らの未来はしぼんでいくしかない。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.216

マタイ効果

小さな網しか持たない者は,いつも遅れを取り戻す努力をしなければならない。社会学者はこのことを「マタイ効果」という言葉で説明する。新約聖書のマタイによる福音書の「持っている人には更に与えられて豊かになるが,持っていない人は持っているものまでも取り上げられる」[マタイによる福音書第13章12節,日本聖書教会新共同訳]という一節に由来する社会学的概念である。要するに,知識が豊富だとますます知識は増え,知識が乏しいと一段と乏しくなるということだ。本を読むために必要な背景知識が不足している6歳の児童は,同級生に比べて本から知識を吸収することに難しさを感じるだろう。授業中に新しい情報が与えられたとき,その子は周囲の子と同じ努力をしても,みんなと同じようには記憶を定着させることができない——なぜなら,入って来る情報を処理するのに多くの認知資源を注ぎ込まなければならないからだ。周囲に後れを取るうちに,やがて落胆して努力をやめてしまうかもしれない。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.

思考の中核

過去50年で科学が精神の仕組みについて解明したことが1つあるとすれば,次のことだろう——人間の記憶はコンピュータのメモリとは異なり,データを蓄えて取り出す場所ではない。それは思考という営みの中核を成すものであり,とくに「長期記憶」は知性と洞察力,創造性の源である。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.197

認知能力の二極化

「人間はインターネットによって愚かになったのか,それとも知性に磨きがかかっているのか」という問いに対しては,どちらも「イエス」と答えるしかない。インターネットはかつてないほど多くの学びの機会を提供してくれるし,面倒なことを省いてくれる。あらゆることに理解を深めたいと願う人にとっても,努力せずにすめば幸いだと思う人にとっても有益だ。グーテンベルク聖書をじっくり見ることも,コクテンフグの生態を知ることも,紙クリップの発明者を調べることも,望みさえすればインターネットで実現できる。フランス語や美術史の講義を受け,どんなに地味な分野でも関心を共有するコミュニティを探して参加することができる。
 しかし,そこに好奇心が伴っていなければ——もしくは私たちの多くがそうであるように少しばかり怠惰なら——インターネットは猫の写真を楽しんだり,見知らぬ他人と言い争いをしたりするのに使われるだけになる。本当ならじっくりと考え,結論を導き出し,その過程で多くのことを吸収できるような課題でも,インターネットを使えばあっという間に片づけられる。そのせいで,深く問いかけることでしか発揮されない潜在的な能力は阻害されてしまう。好奇心をアウトソーシングするなら,人々はいつの間にか好奇心を発揮する方法を忘れてしまうだろう。
 私たちが直面している事態は知的レベルの低下ではなく,認知能力の二極化だ——好奇心を発揮する人と,そうでない人の格差が生まれている。意欲的に知的冒険に踏み出す人々は,過去に例をみないほど多くの機会を得るだろう。他人から投げかけられた疑問に手早く応答するだけで満足する人々は,自ら問いを発する習慣を失うか,そもそもそんな習慣を身につけることもないまま一生を終えるのだろう。作家のケヴィン・ドラムは容赦なく言う。「インターネットは賢い人間をさらに賢くし,間抜けをさらに間抜けにする」

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.151-152

勤勉さと認知欲求

2012年,ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジの研究者たちが,1997年から2010年のあいだに発表された241件の研究結果を利用し,どのような社会的背景や性格を持ち合わせた高校生が大学で優秀な成績を収めるのかを検証した。結果はフォン・シュトゥムらの研究結果ときわめて近いものだった。彼らは,3つの要因に注目した。性別や社会階級といった人口統計学的な属性,知能指数や高校での学業成績といった認知能力に関する指標,そして自尊心や楽天的傾向といった,これまでに学業成績に影響を与えると指摘されたことのある42の性格的特質だ。人口統計学的な属性は大学での成績にはほとんど影響がないことがわかった(ただし経済的環境などは,そもそも大学に進学するかどうかを決める時点で影響している)。大学での性向を占う最大の要因は,知能と高校までの成績だった。それ以外に明らかに関連があると認められたのは,勤勉さと「認知欲求」——好奇心を指す心理学用語——だけだった。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.148

オンライン化の論文への影響

情報を得る手段が広がったからといって,好奇心まで広がるわけではない。現実はその反対だ。シカゴ大学の社会学者ジェイムズ・エヴァンスは,1945年から2005年に発表された3400万本の学術論文のデータベースを構築した。そして学術誌が紙媒体からオンラインに移行したことに伴って調査手法に変化がみられるかを調べるため,論文に含まれる引用を分析した。デジタル化された文章のほうが印刷されたものよりはるかに調査しやすいことを踏まえ,彼はこう予測した。研究者たちはインターネットを利用することで調査範囲を広げ,引用の種類も飛躍的に増えるはずである。ところが学術誌がオンライン化されてから,引用される論文の種類はむしろ減っていた。利用できる情報の幅は広がったにもかかわらず,「科学と学問は範囲を狭めた」のである。
 エヴァンスはこの結果について,グーグルのような検索エンジンには著名な論文をさらに広める効果があり,短期間に重要な論文とそうでないものが色分けされ,その評価の差が拡大するのだと説明する。さらに,印刷された学術誌や文献のページをめくっていれば「周辺領域の関連記事」になんとなく目が留まるものだが,研究者たちはハイパーリンクという手軽で効率的な機能によってそうした寄り道をしなくなっている。図書館よりもインターネットで調査したほうが無駄なくスムーズに,整然と作業を進めることができる。しかし,まさにそうした利便性のせいで,調査の範囲が狭められている。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.141-142

無知なのに満足しやすい状況

インターネットはますます使いやすくなっているが,必ずしも私たちの好奇心をかき立てるものには進化していない。好奇心は答えの見えない疑問によって支えられているが,グーグルにはあらゆる答えがある。「わからない」とは決して言わない。情報という観点から見るなら,私たちはそのせいで「無知なのに満足」しやすい状態に,つまり自分がまだ知らないことにまるで無関心でいることが多くなっている。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.140

パズルとして考える人々

私たちはこのような文化的圧力に抵抗しなければならない。パズルは完全に的が外れているときでさえ,問題を解決する満足感をもたらす。物事をパズルとしてしか考えられない社会や組織は自らが設定したゴールによって視界をさえぎられ,将来の可能性に意識を向けることができない。人生のあらゆる問題をパズルと考えようとする人々は,単純明快な解が得られないと当惑し,フラストレーションを感じるだろう(そんなときは自己啓発の権威も助けにはならない)。ミステリーはパズルより難しいが持続性がある。ミステリーによって持続的な好奇心が刺激されると,私たちは自分の知らないことに意識を集中し続けることができる。そして好奇心は,暗闇のなかで手探りしているときも,「充実感と意欲」を保つ原動力になるのである。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.103-104

パズルではなくミステリー

偉大な科学者や発明家も,問題に対してパズルではなくミステリーとして向き合っている。確かなことよりも不確かなことに魅了されるのだ。物理学者のフリーマン・ダイソンは,科学は事実の集合ではなく「ミステリーを探求する終わりのない旅」であると表現する。アメリカの発明家で音響機器の開拓者として知られるレイ・ドルビーは,この原則がイノベーションにも当てはまることを力説している。「発明家であるためには,不確実性とともに生き,暗闇で手探りをしながら,本当に答えなどあるのかという不安と闘う境遇を受け入れなければならない」。アルベルト・アインシュタインもきっと同じ思いだったのではないだろうか。「われわれの経験で何よりも美しいのはミステリアスなことだ」と彼は述べている。「それが真の芸術と科学の源である」
 私たちはミステリーよりもパズルを重視する文化のなかで生きている。学校はもちろん,大学でさえ科学とは明快な答えのある疑問の集合であると考えている。ダイソンならば自分の知らないことについて綿密に,そして粘り強く探求することと定義するだろうが,一般的にはそうは考えられていない。政治家はともすれば教育政策をパズルとみなし,インプット(教育)に対してしかるべきアウトプット(雇用)が創出されることを目標にする。それどころか,彼らは社会のあらゆる複雑な問題を,まるで単純な答えのあるパズルであるかのように提示する。メディアは人生をパズルの連続に変え,番組を見たり,本や商品を購入したりすることで解決されるものに仕立てる(「問題Xを抱えている?ならばYが必要です」)。ビジネスの場でも問題をパズルの枠組みに当てはめることが好まれる。そのほうが,パワーポイントのスライドで簡潔な箇条書きにして提示するのに適しているからだ。また,評価もしやすくなる。そしてグーグルは,すべての疑問には明快な答えがあるという大きな錯覚を後押ししている。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.102-103

空白の自覚

好奇心を抱くには,つまり情報の空白を埋めたいという衝動に駆られるには,その前提として自分の知識に空白があることを自覚しなければならない。ところが困ったことに,人は自分が何でも知っていると思い込んでいることが多い。心理学者はこれを「過信効果」と呼ぶ——私たちはたいてい,自分が車のドライバーとして,親として,あるいはパートナーとして平均以上だと自負している。自分の知識に関する自己評価についてもそうだ。人は自分のもつ情報に空白があるという事実になかなか気づかない。そのため,もっと好奇心をもつべき状況であっても,無関心になりがちなのである。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.86

知れば好奇心が出てくる

私たちはある事柄について知れば知るほど,知らない領域について強い好奇心を抱くようになる。ダニエル・バーラインは被験者に動物に関する質問を投げかけ,それぞれの質問について,どのくらい答えを知りたいか聞いた。その結果,もっとも関心が高いのはもともと知識のある動物だった。ローウェンスタインもまた,示唆に富む実験結果を示している。被験者はアメリカの州のうち3つの州都を知っていると,自分には知識があると考える傾向がみられるという(「私は州都を3つ知っている」)。ところが47の州都を知っている場合,3つの州都を知らないと考える。そして残りの3つを知りたいと思い,実際に知る努力をすることになる。好奇心は知識に連動して高まる性質があるようだ。

イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.84-85

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