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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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曖昧さ

リーダーシップを教えるのに資格がいらないとか,規範的なことに終始するといったことは,リーダーシップに関して概念や定義が曖昧であることと関係がある。このため,対策や助言も的外れだったり,抽象的すぎてどう実行していいかわからないということになりがちだ。

ジェフリー・フェファー 村井章子(訳) (2016). 悪いヤツほど出世する 日本経済新聞社 pp.47
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知識・経験・資格不要

リーダーをめぐる状況が改善されないもう一つの重大な理由は,リーダーシップを教えるのに知識も経験も資格も必要ないことだ。つまりリーダーシップ教育産業には「参入障壁」がまったくない。どんな人でもリーダーシップについて本を書くことができるし,講演をしたり,コンサルタントになったり,さらにはコンサルティング会社を興したりできる。そして実際,そうしている人はいくらでもいる。

ジェフリー・フェファー 村井章子(訳) (2016). 悪いヤツほど出世する 日本経済新聞社 pp.45

リーダーの利益

社会心理学の分野でも,集団を効果的に機能させるというリーダーの使命と,リーダー自身にとっての利益すなわち権力の拡大強化との間には,つねに緊張が生じることが認識されている。リーダーには,自己の利益を確保するために他人に強権をふるう誘惑がつきまとう。そしてリーダーはだいたいにおいて,自分のキャリア形成と自己の利益を優先するものだ。

ジェフリー・フェファー 村井章子(訳) (2016). 悪いヤツほど出世する 日本経済新聞社 pp.40

瀉血の容認

数千年にわたる医学の歴史の中で,瀉血はほとんどすべての時代を通して治療として行なわれてきたのであるが,まことに不思議なことである。確かに瀉血によって病態が改善することもあったであろうが,私たちの現代医学を学んだものにとっては,考えられないことである。
 しかし,古代はもちろん,ガレノスの時代は瀉血が唯一の治療法であったのである。中世,アラビア,近代の医学においても,瀉血が占める医療の役割は大きく,さらに僧侶や一般大衆の健康法としてまで普及していたのであるが,これは医学の錯誤としかいいようがない。医学が大きな過ちを堂々と繰り返していたのである。当時も瀉血が人間に決して良好な結果を与えていないと信じていた医師もいたのだが,社会全体が瀉血を容認しているものだから,それに立ち向かうことはできなかったのである。

藤倉一郎 (2011). 瀉血の話 近代文藝社 pp.111

日本の瀉血

江戸末期,わが国においては刺絡といわれて,西洋の瀉血と比べると,その採血量は少なく,採血のために患者に与える影響は限られていたと思われる。西洋において,瀉血は数100mlから1000ml以上に及ぶこともあり,これが有効であると報告されていたが,わが国の場合はせいぜい数10mlであったと思われる。

藤倉一郎 (2011). 瀉血の話 近代文藝社 pp.104

血液循環説の障壁

ハーベイ自身,瀉血に関して,それを支持し,瀉血は「当時の医療の中で最も卓越したものと考えていた」と表明している。ハーベイの仕事は医学の近代化がもたらした巨大な烽火であったが,それが人の病気を治すうえで直接響くことはなかった。多くの保守的な医師はハーベイを冷たくあしらい,血液循環は不逞の思想であり,医学の諸問題を解決するには無意味である。現実に伝統的な瀉血や投薬の方針を決める上で何の役にも立たなかった。
 血液循環説がたやすく一般に受け入れられなかったのは,古来ガレノスの学説があまりに深く根を張っていたからである。9年後にようやく世に認められたが,率先者はデカルトである。

藤倉一郎 (2011). 瀉血の話 近代文藝社 pp.55

専門職業としての医者

大学が正規の教育を受けた医師を社会に送り出し,そこに医業という専門職業が独立したことは医学が進み社会的な進歩と見ることができる。ドクトルの社会的地位は貴族に準じ市医は免税特権をもっていた。しかしボローニャのように外科を内科に加え,外科医の資格を正式に認定した大学は例外で多くは外科を締め出してしまった。そして外科医は大学の理論に通暁した医者の命令と監督のもとにあるのが普通だった。

 こんな中で15世紀のドイツ・チュービンゲン大学のカリキュラムを見ると1学年はガレノスとアヴィセンナ,2学年はアヴィセンナとラーゼス,3学年はヒポクラテスとガレノス更にアヴィセンナ,マサーウェー,コンスタンチヌス,アフリカヌスであってアラビア医学全盛であった。ギリシャ医書,アラビア化したギリシャ医書を侵すべからざるものとして尊び,科目には占星術も加わっていた。

藤倉一郎 (2011). 瀉血の話 近代文藝社 pp.39-41

瀉血の手順

瀉血が必要なときは詳細な処方箋が渡され,空腹時に瀉血が行なわれなければならない。食事をすると血液は体内を強く流れ,血液と体液が混合して分離できなくなり,瀉血の効果がなくなる。瀉血の様式と技術のすべては図示されており,ふつう患者は椅子に座り,血液の流れを良くするために,手で棒を握り,腕に瀉血帯を巻き,肘静脈を切開して血液を器の中へ噴出させる。器の中の血液は色や凝固やその他の基準によって判断され,治療への手がかりとなる。

藤倉一郎 (2011). 瀉血の話 近代文藝社 pp.36

瀉血のポイント

中世全体を通じて瀉血は特に高く評価された治療法であった。体液学説により,過剰な血液は排出するべきであり,損なわれた体液はきれいにしなければならない。熱すぎる血液をさまし,血流をゆるやかにして有害な体液を排出することができる。この際常に考えなければならないことは,年齢,性別,気候,季節,風向き,患者の生活様式,病気の段階であった。血液排出できる静脈は三十を超え,占星術が流行し,大宇宙の天体の運行が小宇宙の人体を支配するという大宇宙,小宇宙説が信じられていた。そのため占星術と瀉血が結合し,血をとる月や日が問題となり,瀉血カレンダーが作られた。9,10,12月は瀉血によく,1,2,4,7,8月は不良だなどといわれた。星座の位置がよくない時は瀉血を避けなければならなかった。

藤倉一郎 (2011). 瀉血の話 近代文藝社 pp.36

アラビア医学の整理

ギリシャの四体液説では傷の膿は自然の望ましい清浄化過程であり,医者はそれを人為的に支援するか,あるいは生じさせてやるべきだという考えだった。
 アヴィセンナは化膿なき治療をすすめ,不必要な機械的,化学的刺激を避け,強いぶどう酒を用いた温湿布によって化膿を予防した。さらに驚いたことには彼らはロバや水牛の馬具からペニシリウムというカビを取って,これを加工し炎症を起こしたときの手当てに用いた。今日の抗生剤である。今日でもベドウィンの間で普通に見られることは患者の咽喉の中にパンのカビの緑色の粉を吹き込むという。抗生剤の炎症抑制作用の応用に他ならないではないか。
 アラビア医学はガレノスの重複の多い論述を見事に整理して1つのシステムに組み立てている。アヴィセンナの養生法,物理療法,薬物療法における貢献ははなはだ大きく,精神医学に対する寄与も大きい。西方ラテン世界では医学がほとんど壊滅状態になっていた時代に古典ギリシャ以来うけつがれた医学を保全した功績はきわめて大きい。

藤倉一郎 (2011). 瀉血の話 近代文藝社 pp.29-30

アラビアで保たれた

第一期はギリシャの医学,科学文献がアレキサンドリア,ペルシャ,シリアからアラビアへはいった。アラビアの学問の基礎は文献翻訳であった。10世紀には注釈,改訂にうつり,初期は実葉目的を主としていたが,次第に医学,数学,天文学,地理学などから哲学,自然科学にまで及んだ。アラビア人は自己固有の知能を啓発し,批判し,改造し拡張して完全に自己のものとした。中世ヨーロッパが低い文化の中に沈んでいるとき,学問上のギリシャ精神をとらえ,保持したのである。

藤倉一郎 (2011). 瀉血の話 近代文藝社 pp.23

イスラム世界へ

西ローマ帝国の滅亡による古代文化の崩壊とヨーロッパ全体の混乱,キリスト教の台頭によって,古代ヘレニズムがすでに高い完成度にまで達していた領域のほとんどすべてを壊滅させることによって医学をはじめとする古代文化を人類から遠ざけた。ギリシャ・ローマの医学は行方知れずになった。そして500−600年の間ヒポクラテス以来の伝統はヨーロッパ社会から消えてしまった。ギリシャ精神はキリスト教徒にとって断罪すべきものと思えたので,自らそれを直接知ろうとする道を放棄してしまった。このため古代ギリシャ・ローマ医学は没落し,病理診断は軽視され,薬剤療法が偏重されて民間医療,神秘医療が盛んになった。エラシストラートス一派の瀉血反対論もあったのであるが,ガレノスの堅固な論理と時代の水準を抜いた科学的方法によって構築された不可侵の殿堂ともいえる教義は宗教的な面を持った目的論がイスラム文明とイスラム医学の世界にスムーズに受け入れられて,さらに中世キリスト教会の認知によって権威づけられ,中世,近世を通して瀉血は治療法として全盛期を迎えた。

藤倉一郎 (2011). 瀉血の話 近代文藝社 pp.19-20

瀉血と浣腸

ガレノスは壮大な一貫性と数学的論理をもって,いわば幾何学的方法に従って自己完結的な学問体系を構築したのである。四体液説にとらわれたガレノスはヒポクラテス主義をかかげながら,治療においては,それから離れた。不調の体液から生じる「邪悪物質」を排出する能力は自然治癒力の大きな要素の1つなのだが,瀉血は当然それを補う意味を持っていた。起源の古い瀉血はエラシストラートスらによって斥けられたがガレノス以来上り坂になる。しかし実際には十四歳以下の小児には瀉血を禁じ,老齢者にはやむを得ない場合のみ行った。過渡の瀉血で全身衰弱,浮腫,麻痺,精神障害を起こすため注意し,体力,年齢,疾病,気候を考慮した。持続発熱のある場合には体力があるもののみに限定し,季節は春秋を好んだ。
 浣腸もまた同じ趣旨でガレノスが好んで用いた。ヒポクラテスのコス派と異なりガレノスは薬剤も多用した。対抗療法理論により手の込んだ方式を作った。解毒薬「テリアカ」は中世以降次第に万能薬となり,唐時代の本草書には「底野迦」の名がみられるし,本邦最古の医書「医心方」にも記載されているほどである。

藤倉一郎 (2011). 瀉血の話 近代文藝社 pp.16-17

瀉血支持論

ガレノスは生命精気が脳にいって霊的精気となり全身に送られるという精気システムを構築しこれにヒポクラテスの体液病理説を取り入れて過剰な血液と腐敗体液の排除が主要目的で瀉血,緩下剤,吐剤,利尿剤,発汗剤を用いた。瀉血についてのエラシストラートスに対する討論はすさまじいもので,医学の真実の道はヒポクラテスの発見した道であり,ヒポクラテスの方法論に反対する方法学派は徹底的に批判した。彼の強烈な瀉血支持論が19世紀までその命脈を保たせたのかもしれない。

藤倉一郎 (2011). 瀉血の話 近代文藝社 pp.14-15

エーレンライク

エーレンライクは,彼女の本の執筆準備のために私に助けを求めてきた。私たちは,主に健康に関する研究文献について,1対1でのミーティングの機会を2回持った。私はそれから彼女に詳細な参考文献と何本もの論文を送ってあげた。だが,エーレンライクは,あらゆる研究を紹介することなく,一部の研究だけを「つまみ食い」して本を書いた。少数のエビデンスを強調し,楽観性が,心血管疾患,全死因死亡,およびガンを有意に予測することを明らかにした立派な研究については論評しなかった。自分にとって都合のよい部分だけを「つまみ食い」するというのは,抽象的に言えば知的不誠実さの1つの現れである。だが,実際の生死に関わる問題としては,「つまみ食い」によって,ガンで苦しむ女性が楽観性と希望を持つことの意義を退けてしまうのは,危険な報道上の不正行為だと私は考える。

マーティン・セリグマン 宇野カオリ(訳) (2014). ポジティブ心理学の挑戦:“幸福”から“持続的幸福”へ ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.363

内部妥当性・外的妥当性

これは重大な問題だが放置されている,本当に恐ろしい問題である。そもそも私が実験心理学に魅了されたのは,内部妥当性と呼ばれる厳密さのためであった。内部妥当性の判断基準は対照実験を行うことにある。実験を通して何が何を引き起こすかが分かるからだ。
 火によって水は沸騰するか?火をつければ水は沸騰する。火(対照群)がなかったら水は沸騰しない。制御不能な,悪い出来事によって腫瘍の成長が促されるのか?ラットのグループに逃避不可能なショックを与え,もう1つのグループに同様の逃避不可能なショックを与えて,これら2つのグループとショックを受けないグループとを比較してみる。逃避不可能なショックを受けるラットの腫瘍は大きな割合で成長する。したがって,逃避不可能なショックがラットの腫瘍を増殖させた,というわけだ。だが,この結果は,人間のガンの原因について何を教えてくれるだろうか?無力感が人間のガンにどう影響するかについては?これは,外的妥当性の問題だ。

マーティン・セリグマン 宇野カオリ(訳) (2014). ポジティブ心理学の挑戦:“幸福”から“持続的幸福”へ ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.338-339

兵士の健康度

うまくいけば,基礎研究と応用研究は共生する。両戦争の後,心理学が大きく急成長を遂げたのはおそらく偶然の一致ではない。第一次世界大戦中のアセスメントは一般的な能力に注目したもので,第二次世界大戦中のアセスメントは態度と特定の能力とに注目したものだった。総合的兵士健康度プログラムは強みに注目する。そしておそらく,このプログラムによって,どの兵士が優れた働きをするかを測定して予測することに成功すれば,かつての心理学に似た急発展が望めることになるだろう。そのようなことになれば,GATが企業,学校,警察,消防署,病院など,業績のよい,ありとあらゆる現場で活用されることが予想される。そのような現場は,業績の悪さを完全に排除したり,矯正したりするのとは対照的に,そのよさを認められ,賛美され,奨励されることになるだろう。

マーティン・セリグマン 宇野カオリ(訳) (2014). ポジティブ心理学の挑戦:“幸福”から“持続的幸福”へ ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.227

陸軍α,β

陸軍は,心理テストの作成に関しては優れた歴史を有する。陸軍で作成されたテストはそのまま民間で標準的なテストとして採用されてきた。第一次世界大戦では,読み書きのできる兵士たちには「陸軍アルファ」テストが,読み書きのできない兵士たちには「陸軍ベータ」テストが実施された。そのテストは200万人の兵士が受けたのだが,その目的は精神的に「有能」な兵士と「無能」な兵士とを振り分け,有能とみなされた兵士たちの中から責任の重い任務に就かせる兵士を選抜することにあった。賛否両論あるものの,集団知能テストは民間で瞬く間に広がった。
 それからほぼ1世紀を経て,知能テストは現代では不動の位置づけを保ったままだ。第二次世界大戦で,陸軍は,より特定の能力を測定するさまざまなテストを開発した。その1つが「航空心理学プログラム」であるが,このプログラムによって,パイロットとなる人員を選抜して類別する新たな手法が開発された。開発に関わったのはいずれも20世紀のアメリカの心理学で名前を馳せた人物だった。

マーティン・セリグマン 宇野カオリ(訳) (2014). ポジティブ心理学の挑戦:“幸福”から“持続的幸福”へ ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.226-227

IQと反応時間

スピードに対する私の両親や先生たちの偏見は,単なる行き当たりばったりの社会習慣などではなかった。スピードとIQはには驚くほど強い関係があることが分かったからだ。「選択反応時間」と呼ばれる実験手順では,ライトと2つのボタンのついたパネルの前に実験参加者たちが座らされる。彼らは,ライトが緑色のとき左のボタンを押し,ライトが赤色のとき右のボタンを押すように,そしてこれをできるだけ早く行うようにと告げられる。IQと,人がどれくらい速くこの動作ができるかということの間には中程度の相関がある(+.50)。だが,選択反応時間における速い反応は,単なる運動能力の問題ではない。運動能力と「単純反応時間」(私が「さあ,できるだけ速くボタンを押してみなさい」と言うとき)の相関は無視できる程度だからだ。

マーティン・セリグマン 宇野カオリ(訳) (2014). ポジティブ心理学の挑戦:“幸福”から“持続的幸福”へ ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.187

新たな繁栄のあり方

従来の繁栄は経済的富と同一視された。この定式に基づき,富裕国では一般的に,私たちの世代が,親の世代よりも暮らしぶりがよくなる最後の世代であろうと言われている。これはお金に関しては当てはまるかもしれないが,はたして,すべての親が子どもに望むのはもっとお金を稼ぐことなのだろうか?私はそうは思わない。親が自分の子どもに望むのは,自分よりもウェルビーイングを多く享受することであろう。ここに,子どもが親よりもよい生活を享受できるという希望が生まれる。
 新たな繁栄のあり方を考えるべき時代に来たのだ。教育や育児の目標として,持続的幸福について真剣に考えてみるべきときが。持続的幸福を重視し,実現することを学ぶためには,早期,すなわち学校教育における学童の人格形成期に始めなければならない。ポジティブ教育によって可能となるこの新しい繁栄こそが,世界が今選択することのできる道である。

マーティン・セリグマン 宇野カオリ(訳) (2014). ポジティブ心理学の挑戦:“幸福”から“持続的幸福”へ ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.173

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