優れた科学には,分析と統合の相互作用が伴う。基礎研究が本当に基礎的かどうかを知るには,それが何の基礎なのかを知る必要がある。現代の物理学が開花したのはその理論が優れているからではなく(μ中間子,波粒,超ひも理論,人間原理など,理論はとてもではないが直観でわかるものでなく,かなり議論の余地のあるところだ),物理学者たちが原子爆弾や最新の原子力発電所を建設したことによる。1940年代の医学研究では沈滞していた免疫学は,ポリオに対するソークワクチンとセービンワクチンによって開花した。基礎研究の発展はただその後に続いただけだった。
19世紀には,鳥が飛ぶ仕組みについて物理学で大論争となった。その論争は1903年12月17日,ライト兄弟が自ら作った飛行機を飛ばした瞬間から12秒後に始まった。この偉業によって,すべての鳥は彼らのように飛ぶのに違いないと多くの人が結論づけた。
これは実に,人工知能の試みによる理論である。仮に,基礎科学によって,二極のスイッチング回路をネットワークで結ぶだけで,言語が理解できたり,話ができたり,物体を知覚できたりするコンピュータを製造できたとしよう。とすれば,それは人間が,言語を理解するなどの偉業をいかに成し遂げているかを示すものであるはずだ。応用は多くの場合,基礎研究の方向を向いているのに対して,応用の方法を知らない基礎研究というのは,たいていは単なる自慰行為でしかない。
優れた科学は必然的に応用と純粋科学の積極的な相互作用を伴うという原則は,純粋科学者と一流の応用家の両者にとってしっくりこない。私は今日までペンシルバニア大学心理学部の一匹狼としてやってきたが,純粋科学者が応用に対して疑いの目を向けていることを毎週のように思い知らされている。
マーティン・セリグマン 宇野カオリ(訳) (2014). ポジティブ心理学の挑戦:“幸福”から“持続的幸福”へ ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.113-114
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