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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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絶滅は自業自得か

それでもなお自業自得説でなければ納得できないという人がいるかもしれない。でも,もし恐竜の絶滅を自業自得とするならば,天体衝突を運の問題ではないと考える必要があり,結局は極端にハードな決定論か神秘的な宿命論に陥ってしまうことになるだろう。おもしろいのは,そうなればなおさら恐竜の自己責任を問うことができなくなるということだ。すべてがあらかじめ決定されていたり宿命であったりするならば,恐竜が何をどうしようと関係ないのだから。
 このように自業自得説を検討していくと,それは結局のところ私達の主観的な感覚や信念の問題に帰着するように思う。そのとき問われているのは恐竜の自己責任ではない。問われているのは私たち自身の感じ方や考え方のほうなのだ。いわれてみれば,たしかに私たちの心性には,絶滅を自業自得と考える根強い傾向があるような気がしてくる。それはなぜだろうか。

吉川浩満 (2014). 理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ 朝日出版社 pp.66
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ルールの大変更

ゲームやスポーツの世界では,ルール変更は多くの場合,現行ルールの漸次的改変というかたちで行われる(そうでないと大混乱に陥るだろう)。こうした環境の下では,ルール変更への対応もプレーヤーの能力のうちに数えられるかもしれない。でも,チェスの駒が重量挙げのバーベルに置き換わるようなことになれば,チェスプレーヤーの能力という概念そのものが崩壊するだろう(それはもはや別のゲームである)。趣味や気散じであれば別物になってしまったゲームから降りることもできるだろうが,生物は生物であるかぎり生存のゲーム——生まれ,生殖(できれば)して,死ぬ——のプレーヤーであり続けなければならない。どのようなルール変更であってもそれに従うしかないのである。恐竜を襲ったのは,このような理不尽な絶滅であった。

吉川浩満 (2014). 理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ 朝日出版社 pp.64

ほとんど絶滅

仮に,いまなお存続している生物種を500万から5000万とし,これまでに出現した生物を50億から500億として割り算をしてみよう。すると,いま生きている種はじつに全体の1000分の1でしかないということになる。つまり,これまでに出現した生物種の99.9パーセントはすでに絶滅してしまっているのだ。せっかくこの世に登場してきたというのに,ほとんどの種は冷たい土の中で永遠の眠りについているのである。
 なんとも驚異的な生存率(の低さ)ではないか。気持ちいいほどの皆殺しである。母なる大地などというけれども(それはそのとおりなのだろうけれども),それは自然による一大殺戮ショーの舞台でもあるということだ。地球にやさしくとか言うけれども(そうしたほうがいいこともあるだろうけれども),そもそも生物のほうは地球からそんなにやさしくされていないのではないかとも思えてくる。

吉川浩満 (2014). 理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ 朝日出版社 pp.36-37

進化論の比喩

私たちの日常生活は進化論の比喩的な用法にあふれている。なかでも典型的なのはビジネスや処世術,人生訓で用いられる進化論(ビジネス進化論)だろう。これらの語り手たちは,進化論が教える生物の世界をモデルとして引きあいに出しながら,私たちに絶え間なく「進化」しつづけるように命じる。そして厳しい競争を勝ち抜いていこうと鼓舞する。テレビ,新聞,雑誌,ネット,看板広告,中吊り広告,社員研修等々で,こうしたものを見ない日はない。

吉川浩満 (2014). 理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ 朝日出版社 pp.24

手を洗う

過去の経験をまっさらに消去できるわけではないにせよ,手や顔を洗う,シャワーを浴びるといった簡単な浄化行為をおこなえば,過去の経験の影響を最小限に抑えられるようだ。感情的・認知的な刺激に押しつぶされそうなときや,仕事と家庭,友達づきあい,余暇のバランスに苦慮しているときは,手を洗うだけでだいぶ気持ちが楽になるかもしれない。この方法は,ストレスが重くのしかかる仕事を終えて家に帰ったとき,頭を切り替える役にも立つだろう。人はシャワーを浴びると気分がよくなることが多いが,本章で取り上げた一連の研究によれば,シャワーを浴びることには単に体の汚れを落とす以上の意味があるらしい。浄化行為には,体をリフレッシュするだけでなく,過去に引きずられず,現在のことだけを考えられるようにする効果もある。人生という本のページをめくり,さまざまな局面や活動の間にはっきり線を引いて,現在とだけ向き合い,目の前の課題に集中する助けになるのだ。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.209

大きなカップと大きな力

この実験によれば,私たちは大きなカップのコーヒーを持っている人をみると,その人物が大きな力をもっているとみなすらしい。ということは,大きなコーヒーを持てば,大きな力をもっていると思ってもらえるのかもしれない。自分を強く見せたいときは,実際には半分しか飲まないとしても,大きなサイズのコーヒーを買うほうが得策だろう。逆に,控え目な印象を与えたかったり,まわりの人を威圧したくなかったりするときは,小さいサイズを選べばいい。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.173

写真のアングル

ウェブサイト上に掲載されている男女の写真を分析して,撮影されたアングルを調べた研究もある。この研究によれば,男性の写真は下から,女性の写真は上から撮られたものが多いという。前述したように,下から撮影された写真は,上から撮影された写真よりも,被写体が強いという印象を与える。
 要するに,いまだに,男性は強く支配的で,女性は弱く従属的という旧来の固定観念どおりの描かれ方が一般的だと言えるだろう。男女の役割に関する考え方は確実に変わりつつあるが,無意識にせよ,男性は弱い女性を魅力的と感じ,女性は強い男性を魅力的と感じるという傾向は変わっていないのだ。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.168-169

部屋の明るさ

暗い研究室で悪戦苦闘していたころ,部屋そのものが悪影響を生んでいるとは夢にも思わなかった。最初の暗い部屋は,誰にも邪魔されずに,静かに研究と執筆に没頭できる絶好の隠れ家だった。そういう環境にずっと憧れていたくらいだ。それに,不満があったとしても,下っ端教員の私にはどうしようもなかった。与えられた部屋で研究をする以外になかったのだ。しかし,部屋の暗さが私の暗い精神状態に追い打ちをかけていたことは間違いない。明るい部屋で仕事をしていれば,もっと明るい日々を送れていただろう。いまでも,研究室の暗さと一緒に,当時の重苦しい気持ちをありありと思い出すことができる。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.130

黒と白

この実験結果から見て取れるように,黒と白が呼び起こす連想は,人の判断と評価のみならず,現実の行動にも影響を及ぼす。黒を身につけると,攻撃的な人物と見られやすくなるだけでなく,実際にその人物の攻撃性が強まる可能性もあるのだ。いつかのシャブオットのパーティーの招待客たちは,自分が白い服を着ていることに影響されていたとしても不思議はない。つまり,私が彼らのことを実際以上に親切に感じただけでなく,彼らが実際に親切に振る舞っていたのかもしれない。
 フランクとギロビッチも述べているように,環境の影響は無視できない。攻撃的で競争的な環境では,ことのほか黒い色が攻撃性と競争性を連想させやすい。その意味では,集団への帰属意識と密接に結びついた衣服であるユニフォームとほかの衣服を同列に論じることはできない。しかし,特定の役割を担うための服に袖を通した瞬間に連想が生まれることは,スポーツのユニフォームだろうと,警察や軍隊の制服やフォーマルウェアだろうと変わりない。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.118

赤色効果の交互作用

私たちの実験によれば,赤の効果がとくに大きいのは,ルックスが平均以下や平均以上の女性より,平均レベルの女性だった。この点から考えると,背景の色などの環境上の要因は,ほかの要因の影響が比較的弱い場合に,とりわけ強い影響力を発揮するらしい。非常に魅力的な女性の場合,その女性の魅力とセクシーさに関する男性たちの評価を決定づけるのは,あくまでも圧倒的なルックスのよさだ。写真の背景の色の影響は小さい。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.92

赤色と成績

親や教師は,赤い色がテストの成績に悪影響を及ぼすという研究結果を軽く見ないほうがいい。たとえ潜在意識レベルのささやかな影響であっても,成功の足を引っ張る要因を把握し,それが子どもたちに及ぼす弊害を軽減してやるべきだ。数年前,オーストラリアのクィーンズランド州は州内の30の学校に対し,採点に赤ペンを使わないよう通達した。赤は攻撃的な色であり,子供の精神に甚大なダメージを与えかねないというのが理由だ。本章で紹介してきた実験は,赤が子どもの精神の健康に害を及ぼすかを調べたものではないが,赤が成績に悪影響を与えることは,実験によって明らかだ。成績が悪くなれば,子どもの精神にダメージが及ぶ可能性は確かにあるのかもしれない。教師にとって,赤ペンではなく黒ペンや鉛筆で採点や講評を書くのは,難しいことではないはずだ。別紙に講評を記してもいいだろう。デジタルファイルの形式で提出されたレポートに講評をつけて返却する場合は,コメントを表示する「吹き出し」を赤色にしないほうがいい。こうした点に気をつければ,子どもたちが赤い色を見ても,失敗の危険をあまり意識しないようにできるだろう。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.79

性別の認識と成績

数々の実験によれば,数学のテストの前に解答用紙に性別を記入させ,女性の受験者に自分の性別を再認識させると,成績が悪くなることがわかっている。同様に,アフリカ系アメリカ人に,数学のテスト前にみずからの人種を記させると,成績が悪くなる。「数学が得意でない」という偏見をもたれているグループに属していることを受験者に再認識させるだけで,成績が下がるのだ。この傾向は,本来は数学が非常に得意な人にも見られる。ところが,受験者たち自身は,偏見の影響で自分の足が引っ張られているとはまったく気づいていない。この現象は,「ステレオタイプ脅威」と呼ばれるものだ。これと同じように,赤い色もテストの成績に悪影響を及ぼす。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.74

重いと重要

要するに,私たちは重いものを持つと,ものごとを重要と感じる。科学者らしい言い方をすれば,物理的な重さの感覚が重要度という抽象概念を呼び起こし,その結果として,人はものごとに重要性を見いだすと言える。では,そのような連想は双方向に作用するものなのか?つまり,私たちはものごとを重要と感じているとき,物体を物理的に重く感じるのか?この点を実験したオランダの研究グループがある。1つ目の実験では,被験者に本を1冊持たせ,重さを推定させた。すべての被験者に,これは大学の先生が使う本だと説明する。ただし,半分には「重要な」本だと伝え,あとの半分には重要性に関してなにも言わなかった。重要な本だと教えられたグループは,そうでないグループに比べて,本の重量を重く答えた。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.58

硬いか柔らかいか

学問分野には,「硬い」イメージの分野と「やわらかい」イメージの分野がある。硬いのは自然科学,やわらかいのは社会科学だ。前者は「ハードサイエンス」,後者は「ソフトサイエンス」と呼ばれる。私自身は,この二分法的な発想が好きになれない。私の専門である心理学は,生命科学や物理学と同じように対照実験や定量データの測定をおこなうが,ソフトサイエンスに分類されることが多い。
 一方,アメリカの二大政党のうち,共和党は,経済政策と外交政策,そして人工妊娠中絶や同性婚などの社会的な問題で強硬,つまりハードな立場を取ることが多い。それに対し,民主党のほうがやさしくて温情があり,ソフトというイメージをもたれている。
 ある研究グループは,人が他人の政党支持(共和党か,民主党か)と学問専攻分野(物理学=ハードサイエンスか,歴史学=ソフトサイエンスか)をどう判断するかに,硬い/やわらかいという物理的な触感が影響を及ぼすかを実験した。1つの実験では,被験者に硬いボールとやわらかいボールのいずれかを握らせ,男女4人ずつの顔を見せて,それぞれの人物が共和党と民主党のどちらを支持していると思うかを尋ねた。結果は,男女の識別の場合と同様だった。やわらかいボールを握った人のほうが,多くの顔を民主党支持者と判断したのだ。もう1つの実験では,被験者に大学教員たちの顔を見せ,それぞれの人物の専攻が物理学か歴史学かを予想させた。この実験でも,硬いボールを握った人はやわらかいボールを握った人より,多くの顔を物理学者と判定する傾向があった。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.42-43

触れるとチップが増える

触覚に大きく影響されるのは,子どもだけではない。大人がルールを守るかどうか,利他的に振る舞うかどうか,リスクの大きな行動に踏み出すかどうかも,他人に触れられるかどうかに影響される。こんな実験がある。スーパーマーケットで販売員が客を呼び止め,新しいスナック菓子の試食を勧める。その際,一部の客の腕に軽く手で触れるようにした。すると,腕に触れられた客は,試食を受け取り,さらには商品を購入する割合が大きかった。別の実験では,被験者の肩に軽く触れると,経済的にリスクの大きな行動を取る確率が高まった。おそらく,触れられることにより,安心感が増すからだろう。また別の研究では,レストランのウェイトレスが客の肩や手に1秒触れると,そうしなかったウェイトレスより,多額のチップを受け取ることができた。しかし,肩や手に触れられた客がウェイトレスや店の雰囲気に関して高い評価をくだすことはなかった。この点から考えると,体に触れられることがみずからの行動に影響を及ぼしていることに,客自身は気づいていないようだ。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.36-37

短時間の効果

暖かさが他人に対する信頼感や親近感を高め,気前よく振る舞わせる効果は,長くは続かないようだ。私たちの心理が物理的感覚の影響を受けるのは,ごく短い時間に限られる。しかし,効果の持続時間が短いからといって,それが重要ではないということにはならない。人が瞬間的にくだす判断は,先々まで大きな影響を及ぼす場合もある。だから,環境やほかの人たちからの影響をコントロールし,それをうまく活用することが重要だ。そのためにはまず,そうした影響の存在を認識する必要がある。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.29

こころと温感

これらの実験結果から考えると,人が寒く感じるか暖かく感じるかは,部屋の温度だけでなく,その人の心理状態にも明らかに左右される。仲間はずれにされたり,同席している人たちと考え方や価値観が異なったりして,孤独感をいだいているとき,その影響は肉体と心理の両方に及ぶ。また,部屋の中でほかの人から離れた場所にいるときも,人は孤独を感じ,部屋の空気を寒く感じる。逆に,ほかの人たちに受け入れられていると感じたり,意見や嗜好が近い人たちと一緒にいたり,誰かのそばに座っていたりすると,部屋が暖かく感じられる。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.26

同性愛者を見つける

そこでフロムとフーカーがとった戦略は,実に挑発的なものでした。ただ「同性愛を心理学的に研究しました〜」だけでは,学界でスルーされるのは目に見えています。ですから,学界の権威が無視できないよう,こんなステップを踏むことにしたのです。

・フロムの人脈を生かし,男性同性愛者を(刑務所からでも病院からでもなく)30人集める。
・続いて,男性異性愛者も30人集める。
・合計60人の被験者に,ロールシャッハ・テストなど,当時主流であった心理検査を受けてもらう。
・その結果をまとめたうえで,被験者のプロフィールだけ隠して心理学界の権威に提出し,「あなたたちはこの心理検査結果だけで同性愛者を見分けることができますか?」と問う。

 そんな挑戦状を叩きつけられ,心理学界のお偉いさんたちも黙っていませんでした。「私なら間違いなく同性愛者を見分けてみせる」と,学者たちは自信満々。中には自らのプライドを賭けて,60人分の検査結果を検討するのに半年もかけた学者もいました。ですが,みんなみんな不正解。「もう1回やらせてくれ!」と食い下がった学者だって,やっぱりまた不正解でした。同性愛を異常扱いしていた心理学者たちは,60人のうち誰が同性愛者なのかということを,ちっとも見分けることができなかったのです!

牧村朝子 (2016). 同性愛は「病気」なの? 僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断法」クロニクル 星海社 pp.158-159

男性性・女性性

1936年,アメリカの心理学者ターマンとマイルズによって考案された,心理学的な男性性と女性性を調査するための心理テストです。同性愛診断のためだけに考え出されたものではないのですが,たとえばこのテストで”女性的”という診断結果が出た男性は,同性愛者かその予備軍なのだと考えられていました。

牧村朝子 (2016). 同性愛は「病気」なの? 僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断法」クロニクル 星海社 pp.137

国のためにならない

ナチスは,同性愛を生まれつきのものだとは考えませんでした。仮に生まれつきの同性愛者がいると認めれば,ヒルシュフェルトが提唱していたような,「同性愛は生まれつきの同性愛者による自然な行為なんだ!犯罪者扱いするべきじゃない!」という理屈が通ってしまいます。これではナチスにとって都合が悪いわけです。アーリア人の男と女がみんなくっついて,新しいアーリア人をガンガン産んでくれればいい,そういう考えでいるのですから,どうしても「人間はみんな異性愛者だよ!同性愛や異人種間結婚は犯罪だよ!」っていうことにしておかなければなりませんでした。
 そのためナチスとその支持者は,同性愛非犯罪化を訴えるヒルシュフェルトを罵り,殴り,足蹴にし,彼の研究所に放火してなにもかもを燃やし尽くしてしまったのです。
 自分たちの理想に合わない人間を,次々と排除していくナチス。1939年には,日本の厚生省(当時)もナチスドイツを手本にし,「産めよ殖やせよ国のため」などとうたう「結婚十訓」を発表しました。勝つためには数で勝負しなければならないという,第2次世界大戦下の強迫観念にとらわれ,いつしか,「子どもをつくれない人は国のためにならない」とされるようになっていきました。

牧村朝子 (2016). 同性愛は「病気」なの? 僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断法」クロニクル 星海社 pp.88-89

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