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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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ゴルトンとピアソン

第2は,ゴルトンらの研究である。ゴルトンは,遺伝形質の次世代の出現は統計学的な分布法則に従う,と信じた。そのため彼は,人間についても生物と同様に大量の測定を敢行し,厳格な統計学的処理を行った。彼は,人間の身長や胸囲が正規分布を示すことを確認して強い印象を受け,人間の精神能力もこのような分布を示すだろうと考えた。彼のイギリス経験論的な学風はK・ピアソンに受け継がれ,数学的に洗練されていった。ピアソンは1907年に「確率——優生学の基礎」という講演を行ったが,聴衆の反応は鈍かった。

米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 19
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自然科学の地位

このように,19世紀後半から20世紀前半にかけて,西欧の価値体系のなかで自然科学は非常に高い地位にのぼりつめた。これこそ,社会ダーウィニズムが大流行した根本原因である。そのなかで優生学は,進化論と遺伝の原理を人間にも応用しようとする立場にあった。優生学は,新興の自然科学によって人間みずからがその自然的運命を改良しようとしたものであり,見方を変えれば,キリスト教的救済史観の世俗化でもあった。

米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 16-17

ゴルトンと優生学

ゴルトンは,人間の才能がどの程度遺伝に因るのかを明らかにしようとして,その研究生活の早い時期から家系に関する資料を集め,統計学的手法でこれを解明しようとした。しかし,優生学を本格的な学問として展開したのは,晩年になってからである。彼は1901年の人類学会で,「既存の法と感情の下における人種の改良の可能性」という論文を発表し,関係者から好意的な感触を得た。これが自信となり,1904年にロンドンで開かれた第1回イギリス社会学会で「優生学——その定義,展望,目的」という講演を行った。

米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝 (2000). 優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか 講談社 pp. 14

カーネマンは何学者

心理学者にとっては,カーネマンがノーベル経済学賞をとる前から,トゥバスキー&カーネマンという2人の名前は,リンダ問題などと共に認知心理学者として認識されていた。したがってノーベル経済学賞をとったからといって,カーネマンは経済学者じゃない,心理学者なんだ!というのが心理学者の気持ちなのである。私たちが育てたんだ!という気持ちであろうか。
 しかし現実は残酷である。『岩波世界人名大辞典』においてカーネマンは行動経済学を開拓した経済学者として評価されているのであった。ただし,ノーベル賞受賞の理由は,不確定状況下における判断についての心理学的研究の洞察を経済学に統合したことであり,受賞分野としてあげられていたのは,経済心理学ならびに実験経済学であったから,彼のことを心理学者であるとしても基本的には間違いにならないだろう。

サトウタツヤ (2015). 心理学の名著30 筑摩書房 pp.273

ビネの本を

かつて知能検査及び知能指数を批判的に検討していた私は,知能検査と知能指数を同一視し,数字で人間を管理して人の自由を侵害するとんでもない道具だと思っていた。「知能とは知能検査で測定したものである」というようなフレーズを操作的定義だとして信じている心理学者たちはどうかしていると思っていた。そして,その一番のもとになった知能検査を作った人,アルフレッド・ビネは,相当にトンデモナイことを考え,トンデモナイことをやった人なのだと思っていたのである。
 ところが,アルフレッド・ビネは,私が考えていたような検査手技,数値至上主義,測定主義者,操作的定義主義者ではなく,目の前の子どもを,自分の目で確かめて,その子の未来を展望するために何をすれば良いかを考える人物だった。日本で一体どれくらいの人が知能検査を用いているか知らないが,ビネの原典を読まずに用いることは厳しく禁止すべきであると,私は考えている。あるいは手前味噌,我田引水だが,拙著『IQを問う』を読んでから使うべきである。

サトウタツヤ (2015). 心理学の名著30 筑摩書房 pp.91

罰の効果は

スキナーははっきりと罰に対して反対した最初の心理学者の一人なのだが,そうした面はあまり注目を得られていない。自由と尊厳のある生活をするためには,罰を無くせば良い。そして報酬に基づく行動形成をすることによって誰もが尊厳をもって生きていける世界を作るべきだ,というのがスキナーの根本的な思想である。ところが,この考え方に反対する人は多い。何が「良い」行動なのかを誰か特定の人が決めるのがケシカランというのである。しかし,罰においてこそ罰を与える人が基準を決めて罰を与えている。
 実際,罰の効果は無いとほとんど全ての心理学者は主張する。この点で意見を異にする心理学者はいない。罰が問題なのは,罰に効果がないだけでなく,人格的なダメージを与えることにもある。さらに,何が良くない行動であるのかということを罰を与える人が決定している点も問題である。まさに自由と尊厳を脅かす手法なのである。

サトウタツヤ (2015). 心理学の名著30 筑摩書房 pp.34-35

1879年

心理学史という領域において,年号を暗記して何かを考えなければいけないことはほとんどないが,1879年という年は重要な年であるから覚えておいて損はない。この年はドイツの心理学者ウィルヘルム・ヴントがライプツィヒ大学に心理学実験室を設立した年,ということになる。実際には少し異なるのだが,意味合いとしては,心理学を学ぶ学生を組織的に訓練して卒業させることができるような制度が整った年,である。この——近代心理学の祖ともいえる——ヴントは極めて多作の人であった。しかし,その後,彼の心理学に関する著書はあまり顧みられていない。一方,思想としての心理学に関して現代でも読み継がれているのが,ジェームズの著作である。こうしたことから,今日の心理学史では,ヴントと並んでジェームズを心理学の父と呼ぶことになっている。

サトウタツヤ (2015). 心理学の名著30 筑摩書房 pp.21

哲学者の二分法

また彼は哲学者の二分法ということも述べている。哲学における2つの大きな考え方である合理論と経験論のいずれをとるかは,哲学者の気質によるという大胆な仮説である。柔らかい心,と,硬い心,というのがジェームズの唱えた二分法である。一般に,性格やパーソナリティの理論は,個人差を扱おうという動機がなければ発生しないし維持もされない。
 この(哲学者の)気質二分法は,心理学者たちに影響をあたえ,1920年代の性格類型論へと結実していったと思われる。たとえば,ユングに関してはジェームズの影響についての研究が進んでおり,ユングの類型論(タイプ論)とジェームズの気質二分法との関係が明らかになりつつある。

サトウタツヤ (2015). 心理学の名著30 筑摩書房 pp.17-18

受刑者への扱い

アメリカ諸州のうち44州は,消極的なものではあれ,受刑者に対して優生学を実行しているも同然なのを知っているだろうか?男性受刑者は精子を持ち出すことを,また,女性受刑者は卵子を持ち出したり,精子を受け取ったりすることを禁じられている。つまり,仮釈放の可能性のない終身刑に服している受刑者は,自分の遺伝子を子孫に受け渡すことができない。彼らは,生殖という進化のゲームにおける敗者なのだ。この線は,とうの昔に司法制度によって引かれている。
 この厳然たる事実は,ほとんど気づかれていない。あなたはそれについて考えたことがあるだろうか?何人かの同僚の犯罪学者に尋ねてみたが,考えたことは一度もないという答えが返ってきた。2009年に,ニュージャージー州トレントンにある矯正施設のスタッフ200人以上に話しをした時にも,同じ答えが返ってきた。講義や学会で同じ質問をしたときには,誰もが沈黙していた。
 ここには皮肉がある。1990年代の遺伝研究者は,犯罪を阻止する「最終的な手段」として優生学を推進していると非難された。言うまでもなく,この非難は誤りである。1つはっきりさせておこう。「消極的な優生学」と私が呼ぶ,犯罪者に対する現在の方針は,遺伝学や生物学の研究から生まれたものではない。それは社会政策から直接生じた産物だ。優生学につながるから,犯罪の遺伝的研究は中止すべきだと善意で主張する人はいるが,同様に犯罪の社会科学的研究や,犯罪に対する公共政策の研究を中止せよという声はまったく聞かない。しかし私たちは,そのような公共政策を通じて,重罪犯の遺伝的適応度を減じ,彼らの遺伝子を遺伝子プールに残せないようにしているのだ。

エイドリアン・レイン 高橋 洋(訳) (2015). 暴力の解剖学:神経犯罪学への招待 紀伊國屋書店 pp.544-545

どこに線を引く

しかしひとたびその決定を下してしまったら,私達はどこへ向かうのだろう?暗黒の社会が口を開いて待ってはいないだろうか?問われるべきは,絶えず移動する流砂のような社会的基盤のうえに,社会の保護と人権侵害の法的境界をどこに引けるのかだ。どこに引こうが,恩恵もあればリスクもある。何が正しくて何が間違っているのか。生か死か。最新の神経犯罪学の知見を受け入れるのか,それとも私たちがこれまで維持してきた平等,倫理,自由への関心を優先するのか。私たちはこれらの選択をしなければならない。

エイドリアン・レイン 高橋 洋(訳) (2015). 暴力の解剖学:神経犯罪学への招待 紀伊國屋書店 pp.543

臨床障害の判定

一般に,臨床障害の有無の判定には,少なくとも9つの基準がある。それには,統計的な頻度の低さ,社会規範からの逸脱,理想的な心の健康状態からの逸脱などが含まれる。犯罪をこの基準に照らすと,「常習的な犯罪は比較的少ない」「犯罪は社会規範からの逸脱そのものである」「犯罪者の心の健康状態は理想的であるとはとても言えない」。それに加えて,自己や他者に与える苦痛や苦悩,あるいは社会,職業,行動,学習,認知における障害,さらにはこれまでに見てきた脳などの器官の数々の機能不全を考慮に入れれば,暴力犯罪を臨床障害と見なせることは明らかだ。もちろん,個々の基準をそれだけで取り上げれば,そのほとんどには相応の弱点があるが,それらを組み合わせれば,暴力犯罪の精神病理学的全体像を描くのに大いに役立つ。常習的な犯罪はこれらの基準を満たし,実際のところDSMに収録されているほとんどの障害と同様に,もしくはいくつかの障害よりもうまく当てはまる。

エイドリアン・レイン 高橋 洋(訳) (2015). 暴力の解剖学:神経犯罪学への招待 紀伊國屋書店 pp.502-503

自由意志か

誰でも,自分の人生に関わることは自分で決めていると考えたい。しかしこの信念に確たる根拠はない。それは,進化の過程で形成された心という機械のなかを,幽霊のように漂っている。私は自らの自由意志に従ってこの本を書く決定を下したのではなく,書かざるを得なかった。それと同じく,あなたは自らの自由意志に従って本書を買う決定を下したのではなく,買わざるを得なかったのだ。

エイドリアン・レイン 高橋 洋(訳) (2015). 暴力の解剖学:神経犯罪学への招待 紀伊國屋書店 pp.469

瞑想の効果

マインドフルネス・トレーニングによって,脳に短期的,長期的双方の変化をもたらせることを示した神経科学の研究を振り返ってみれば,瞑想に効果があることはよく理解できるはずだ。瞑想は,左前頭葉を活性化する。それは,何かポジティブな情動を感じると左前頭葉の活動が活性化し,不安が低減するという事実にも合致する。また瞑想は,前頭葉の皮質の厚さを増大させる。この脳領域が,情動のコントロールに重要な役割を果たし,犯罪者においては構造的にも機能的にも損なわれていることはすでに見た。加えて瞑想は,道徳的判断,注意,学習,記憶を司る脳領域を強化する。犯罪者がこれらの認知機能に問題を抱えていることもすでに見た。総括すると,瞑想は,犯罪者においては機能不全をきたしている脳領域を改善する。だから暴力の緩和に役立つのだ。

エイドリアン・レイン 高橋 洋(訳) (2015). 暴力の解剖学:神経犯罪学への招待 紀伊國屋書店 pp.448

攻撃性の薬

攻撃性の緩和には,さまざまな薬物の有効性が認められている。もっとも効果的なのは新世代の抗精神病薬で,効果量は0.90と大きい。メチルフェニデートなどの刺激薬もきわめて有効で,効果量は0.87である。気分安定薬は中位の0.40,抗うつ薬は低〜中位の0.30の効果量を持つ。青少年にも子どもと同じことが言える。青少年の攻撃性を対象とする薬物治療に関する2つのメタ分析に加え,子どもや青少年に対する薬物の効果を調査したその他の検証やメタ分析でも,類似の効果が報告されている。これらを総括すると,明らかに薬物治療は,ADHD,自閉症,双極性障害,精神遅滞,統合失調症などのさまざまな精神障害にともなう,子どもや青少年の攻撃性を緩和する。
 では,攻撃性や暴力的な行動に対する薬物治療は,それ以外の介入方法と比べてどれほど効果的なのか?ペンシルベニア大学の同僚ティム・ベックは,多岐にわたる臨床障害に有効な,独自の認知行動療法を開発した。この療法は,攻撃性に対する介入手段としてはもっとも効果的なもので,広く採用されている。効果量は控えめに見積もって0.30である。つまり全体の効果量という点で言えば,薬物治療は,もっとも有効な心理・社会的介入方法に匹敵する。というより,新世代の抗精神病薬や刺激薬は,効果量において,最良の非薬物的介入方法を凌駕する。

エイドリアン・レイン 高橋 洋(訳) (2015). 暴力の解剖学:神経犯罪学への招待 紀伊國屋書店 pp.433-434

外科的去勢

ドイツでは,1970年に法律で許可されて以来,現在でも外科的去勢が実施されている。もちろん手術は自発的なもので,実際に受ける犯罪者は毎年数名にすぎない。外科的去勢と言うと非常に野蛮に聞こえて批判が多いため,ドイツ政府はいくつかの制限を設けている。対象者は25歳以上でなければならず,専門家から構成される委員会の承認を必要とする。とはいえ,ヨーロッパで激しい議論を呼んでいるのは間違いない。たとえばストラスブールにある,欧州評議会の反拷問委員会は,それを廃止すべき非倫理的な処置と見なしている。しかし,すべての可能性を検討するまで性急な判断は控えよう。

エイドリアン・レイン 高橋 洋(訳) (2015). 暴力の解剖学:神経犯罪学への招待 紀伊國屋書店 pp.422-423

犯罪とパーソナリティ

1977年の時点では,児童の反社会的行動の説明に生物学的基盤を持ち出すことは一般的ではなかった。生物学的要因と社会的要因の相互作用に至っては,さらに受け入れられない考えであった。そのため,若き研究者だった私がバイオソーシャル的側面に焦点を置いた論文を最初に発表したときには,ほとんど誰にも相手にされなかった。しかし,イギリスの高名かつ論争好きの心理学者ハンス・アイゼンク[生まれはドイツだが,イギリスで研究していた]はすでに,著書『犯罪とパーソナリティ』で大胆にも,犯罪には生物学的基盤が存在すると示唆していた。論争が巻き起こったとはいえ,私は,彼の著書には「反社会化プロセス」という,自分の考えに関連はするが同じではない,とても興味深い概念が含まれていることに気づいた。以後この概念は,私の研究に深い影響を及ぼす。

エイドリアン・レイン 高橋 洋(訳) (2015). 暴力の解剖学:神経犯罪学への招待 紀伊國屋書店 pp.376

栄養と機能不全

これはたやすく理解できるはずだ。IQの低さが学業不振を導くことは誰にでも想像がつく。まわりの生徒が皆うまくやっているのに,教科書はよく読めず,足し算はうまくできずで,終始頭を抱えていなければならなかったらどうか。いつまでもつねに劣等生だったらどんな気がするだろうか。「何をやっても自分はダメだ……」と思うようになり,希望を失うのが普通だ。そんな子どもが成長して腕力がつき,ドロップアウトして学校に反抗し始めても何の不思議もない。補足すると,栄養不良が脳に悪影響を及ぼし,その子どもを攻撃的にすると述べたからといって,まったく社会的要因が存在しないと主張したいのではない。実のところ,栄養不良そのものが環境的要因なのである。十分な栄養がとれないという劣悪な環境が,脳と認知の機能不全を引き起こし,ひいてはそれが子どもに暴力と犯罪の道を歩ませるのだ。

エイドリアン・レイン 高橋 洋(訳) (2015). 暴力の解剖学:神経犯罪学への招待 紀伊國屋書店 pp.318

嘘を見抜くのが下手

なぜ私たちは,嘘を見抜くのがかくも下手なのか?なぜなら,私たちが嘘の徴候だと考えるあらゆる事象は,嘘を発見する能力とはまるで関係がないからである。確たる証拠がないにもかかわらず,態度や話し方によって誰かが嘘をついていると判断した時のことを思い出してみればよい。その際あなたは,落ち着きのない視線,言葉のつまり具合,そわそわした態度,関係のないトピックに話が飛ぶ様子などに基づいて,そのような判断に至ったはずだ。実際には,これらはすべて嘘とは関係がなく,ときに私たちを誤った方向に導く。

エイドリアン・レイン 高橋 洋(訳) (2015). 暴力の解剖学:神経犯罪学への招待 紀伊國屋書店 pp.258

左右機能分化

海馬と扁桃体は,側頭皮質の内部に位置する。だが,それは脳の中心部ではない。脳の中心にあるのは,2つの脳半球を結ぶ,2億を超える神経線維の太い束,脳梁だ。これらの線維,放射冠は,脳の中心から脳半球の外側の領域へと放射し,さまざまな脳領域を結びつける。われわれの測定では,反社会性人格異常を持つサイコパスの脳梁と放射冠は,体積がはるかに大きく,また,より薄く長い白質から成っていた。サイコパスの脳は,過剰な接続性を備え,両半球間の会話が多すぎるかのような印象を受ける。
 この事実をどう理解すればよいのか?私たちはサイコパスを,ネガティブな特徴を無数に備えた反社会的な悪漢と考えがちだが,実際のところ外面は愉快な人物が多く,ポジティブな特徴も数多く兼ね備えている。サイコパスの多くはとりわけ口達者で舌がよく回り,とてもチャーミングで,ほとんどどんなことでも他人を丸めこむ才能を持つ詐欺師だ。多くの研究者からサイコパスの世界的権威の一人と見なされているロバート・ヘアは,両耳異刺激聴と呼ばれるテストを用いて,「サイコパスは言語に関して脳の<左右機能分化>の度合いが小さい」ことを示した。われわれも,少年少女のサイコパスに同じ現象を見出した。これは何を意味するのか?一般には,左半球が言語処理に重要な役割を果たしている。つまり言語は左半球に強く側性化[左右大脳半球のいずれかに得意の機能があること]される。それに対しサイコパスにおいては,左右両半球が,より等しく言語処理に関与する。おそらくそのために彼らは口達者なのだろう。言語処理に,1つではなく2つの半球を動員できるのだから。そしてそれは,両半球を橋渡しする脳梁の肥大に起因すると考えられる。

エイドリアン・レイン 高橋 洋(訳) (2015). 暴力の解剖学:神経犯罪学への招待 紀伊國屋書店 pp.250-251

攻撃性と心拍

イギリスのヨーク大学の博士課程で最初の研究をしていたとき,私は,反社会的な学生が,安静時心拍数の低さによって特徴づけられることを発見した。ノッティンガム大学へ移ってからも同じ結果が得られた。これらの結果はたまたま得られたのか?この問いに答えるために,南カリフォルニア大学に移籍してから,心拍数と反社会的行動の相関関係について同僚とメタ分析を行った。われわれは,このテーマに関して子どもや青少年を対象に実施された,見つかる限りのあらゆる研究を分析した。40の出版物が見つかり,被験者の子どもの総数は5868人に達した。こうしてできるだけ多くの研究を集めることで,より正確な実像を把握できる。
 その結果,「反社会的な子どもは,安静時心拍数が実際に低い」ことがわかった。加えてわれわれは,ストレスを受けているあいだの(たとえば診断待ちをしているあいだの)心拍数も調査した。実験室で実施された調査では,1000から逆向きに7つ置きで数えるなど,心的に負担のかかる計算課題が子どもに与えられている。たいしたストレスではないと思われる向きは,ぜひ自分で試されたい。これらのストレスを付加した実験では,差はさらに広がった。
 われわれが行ったメタ分析では,安静時心拍数は,反社会的な行動に関する被験者間の差異のおよそ5パーセントを説明した。この数値は低く感じるかもしれないが,医学的な文脈では強い相関関係の存在を示す。たとえば喫煙と肺がん発症の関係,心臓発作による死亡の危険性を緩和するアスピリンの効果,抗高血圧薬と卒中などの発作の低減の関係よりもはるかに強い。これらはいずれも医学界では重要かつ強力な関係だが,心拍数と反社会的行動の関係よりは弱い。

エイドリアン・レイン 高橋 洋(訳) (2015). 暴力の解剖学:神経犯罪学への招待 紀伊國屋書店 pp.162-163

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