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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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インターネットポルノ

昔ながらのポルノとインターネットポルノとの違いは,ワインと蒸留酒の違いに似ている。穏やかな陶酔作用のあるものとして何百年も使われてきたポルノは,ここにきて,粗野な蒸留過程を経ることになったのだ。オンラインのデジタルポルノは,ジョージ王朝時代のイングランドのジンに相当する。それはみじめさと退屈を和らげるみだらな陶酔感を確実にもたらしてくれるものだ。効果がどれだけ強いかは,試してみるまでわからない。だがその時点に達したら,もはや手遅れだ。ほんの数年前まで,レインコートを着て学校の校庭の周りをうろつくイタチ顔の男たちがすることだと思っていた行為から,自分も抜け出せなくなっているのに気づくことになる。
 インターネットポルノには,他の多くの依存物質と同じように,脳の報酬回路を再配線する力がある。深刻な影響を受けるのは少数派だけだが,私たちがここで話しているのは,1億5000万人の”少数派”であることを思いだしてほしい。しかも,その数はうなぎのぼりだ。何も依存症が”病気”だと信じなくても,100年前に喫煙が広まって以来もっとも急速に広がりつつある強迫的行動がポルノ依存であることは,だれにでもわかる。

デイミアン・トンプソン 中里京子(訳) (2014). 依存症ビジネス:「廃人」製造社会の真実 ダイヤモンド社 pp. 260
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病みつきにさせる

BBCで働いたことがあるゲームデザイナーは,オフレコでこう私に明かした。「ある特定の企業が,わざとユーザーを病みつきにさせるように製品をデザインしていることは業界ではよく知られた事実だ。だが,そういった話は公にはされない。なぜって,とても自慢できるようなことじゃないからね」
 私たちが目にしているのは,おいしそうに並べられたキャロットケーキの前を通らなければカプチーノを注文できないようにするコーヒーチェーン店の巧みな便宜主義と同じものだ。いずれの場合も,報酬に反応する脳の化学構造とマーケティングとが組み合わせさって生まれる社会的流行が,また1つ世に送りだされることになる。もちろん,こうした取るに足らないことについて,こんな仰々しい物言いをするのはちょっと尊大に聞こえるだろう。それは私にもわかっている。だが,これだけは覚えておいてほしい。これは本当に起きていることなのだと。

デイミアン・トンプソン 中里京子(訳) (2014). 依存症ビジネス:「廃人」製造社会の真実 ダイヤモンド社 pp.

報酬と障害

ゲームがプレイヤーをハマらせるために使う手段は,報酬だけではない。障害,つまり”フラストレーション”も利用する。単純なゲームから複雑なゲームまで,あらゆるゲームには,慎重に仕組まれたフラストレーションが含まれている。たとえばときおり,あるレベルをクリアすると急にゲームがむずかしくなることがあるが,そういった障害は金を出せば切り抜けられるようにできていることが多い——アプリ内の課金手段を使い”パワーパック”を購入することなどによって(純粋主義者たちがこうした近道を見下していることは,言うまでもない)。

デイミアン・トンプソン 中里京子(訳) (2014). 依存症ビジネス:「廃人」製造社会の真実 ダイヤモンド社 pp. 239-240

社会的励ましと自尊心

興味深いのは,そもそも,そんな行為が”ねぎらわれる”ことだ。強迫性障害を持つ人の障害がねぎらいの対象になることはほぼないが,ファームビルでは,無意味で反復的な強迫性障害タイプの行為が,眉をひそめられるどころか激励される。こういったソフトウェアが,社会的な励ましと自尊心をくすぐるメッセージというちょっとしたフィックスをユーザーに浴びせかけるのも偶然ではない。
 見逃せないのは,ゲームとは関係のないソフトウェア企業も,このようなトリックを取り入れるようになったことだ。現代のアプリケーションは,1時間に何十個ものちょっとした高揚感を提供するように作られている。そして,パソコンでは,スカイプ,ツイッター,電子メール,フェイスブックをはじめ,通信コンポーネントをそなえたありとあらゆるソフトウェアからの押しつけがましい通知が,山のように表示されるようになってきた。

デイミアン・トンプソン 中里京子(訳) (2014). 依存症ビジネス:「廃人」製造社会の真実 ダイヤモンド社 pp. 235

ネットの依存性

しかし,ツイッターは電子メールとは重要な点で異なっている。2000年代の他の”Web 2.0”製品と同様に,ツイッターではいよいよ”ゲーム化”が進んでいるのだ。企業は,ゲームからヒントを得て,顧客を病みつきにさせようとしている。あなたが使っていた電子メールソフトは,時間がある限りそれを使っていたい気持ちにさせるようにはデザインされていなかったろう。だが,ツイッターでは,はじめからそれが意図されている。

デイミアン・トンプソン 中里京子(訳) (2014). 依存症ビジネス:「廃人」製造社会の真実 ダイヤモンド社 pp. 233-234

アジア人顔面紅潮症候群

欧米流の飲酒形態が広がったことは,東アジアの各国政府を驚かせた。こうした国々では,アルコールに対する遺伝的な不耐性が国民を守ってくれると思っていたからだ。しかし,多くの若者は”アジア人顔面紅潮症候群”と呼ばれる現象,そしてそれに伴う嘔吐をあえて我慢しようとしている。日本で5年間特派員を務めたあるイギリス人は私にこう言った。「東京について考えるたびに,地下鉄に漂う下呂の臭いを思い出すよ。東京を離れてよかったと思う理由の1つがそれだね」

デイミアン・トンプソン 中里京子(訳) (2014). 依存症ビジネス:「廃人」製造社会の真実 ダイヤモンド社 pp. 193

食糧難と肥満

カリフォルニア大学ロサンゼルス校セメル神経科学・ヒト行動学研究所所長の精神科医,ピーター・ワイブラウによると,今日の生物学と環境のミスマッチの悪影響をもっとも深刻にこうむるのは,食糧難の時代をうまく生き延びてきた過去を持つ民族だそうだ。アメリカ南西部の砂漠に移りすんだ人々は,ときおり手に入るウサギ,それに加えて昆虫,木の根,ベリー類,種子,木の実といったもので命をつながなければならなかった。最終的には,土地の感慨を学んで,カボチャ,トウモロコシ,豆類などを育てるようになったが,それでも飢餓の危機は常に存在した。そんな環境を考えると,彼らがこれまで生きのびてきたのは,偉業だと言ってもいいだろう。
 しかし,多くの世代を経るあいだに,共同体が食糧難を乗りこえられるように環境に適応して遺伝子を変化させてきたのだとしたら,その食生活が突然変わったとき,その遺伝的形質は負の遺産になる。
 あなたが脂質から得ているカロリー摂取の割合が,ほぼ一夜にして15パーセントから40パーセントに急増したとしたら,まず間違いなく,あなたはトラブルに見舞われる。とりわけ,それが,糖分摂取量の急増と,体を動かさない生活様式への変化とともに生じた場合には。

デイミアン・トンプソン 中里京子(訳) (2014). 依存症ビジネス:「廃人」製造社会の真実 ダイヤモンド社 pp. 169

砂糖の依存性

なかでも,もっとも興味深いのは,砂糖は,ある重要な局面において,コカインやアンフェタミンのように作用するという発見である。コカインまたはアンフェタミンに病みつきにしてから供給を断ち,1週間経ってから,ごく微量の同じ薬剤を与えるとラットが過度に反応すること,一方,その薬物を一度も投与されたことのないラットはまったく反応しないことは,それまでにすでに判明していた。つまり,依存症に陥っているあいだに,ラットはその物質に”感作”されたわけだ。実のところ,ラットは交差感作される。すなわち,コカインに病みつきになっているラットは,ごく微量のアンフェタミンにも過剰に反応する。その逆も同様だ。この「乗り換え」は,人間の依存者についても観察されているが,倫理的な理由から,人間について同じ実験を行うことはできない。
 プリンストンの研究者チームが裏づけたのは,アンフェタミンまたはコカインを砂糖に置きかえても,同じことが起きるということだった。砂糖に病みつきになったラットは,アンフェタミンあるいはコカインに感作される。その逆もしかり。この所見から研究者たちが導きだした結論は,砂糖は,アンフェタミンやコカインに類似した方法で,側坐核内にドーパミンを放出させるというもの。2008年に発表されたこのエビデンスは,砂糖が依存症を引き起こすという説をもっとも強力に裏づける証拠である。

デイミアン・トンプソン 中里京子(訳) (2014). 依存症ビジネス:「廃人」製造社会の真実 ダイヤモンド社 pp. 147-148

糖分・脂肪・塩分

私たちは,砂糖が体によくないことを知っている。糖分と脂肪と塩分は,現代の食品添加物の「聖ならざる三位一体」だ。しかし,それがどれだけ体に悪いかについては,必ずしも知っているとは言えない。飽和脂肪に対するロビー活動が非常に効果的に行われてきたため,食生活に関心のある消費者は,脂肪の摂取量と心臓疾患のリスクには,単純な相関関係があると思い込んでいる。しかし,そんな関係は存在しない。糖分も脂肪と同じくらい動脈に悪影響を与える。糖分は肥満と糖尿病の直接の原因になるからだ。そして心臓発作を引き起こす危険性は,単に脂肪分の多い食生活を送るよりも,肥満や糖尿病になるほうがずっと高い。

デイミアン・トンプソン 中里京子(訳) (2014). 依存症ビジネス:「廃人」製造社会の真実 ダイヤモンド社 pp. 145

ヘロインシロップ

少年が登場するのは,1912年のスペインの新聞広告。これは,ドイツの製薬会社バイエルが打った広告で,咳,風邪,そして”炎症”に効くという触れこみで,ヘロインシロップを宣伝している。別の広告では,品のいい服を着た主婦が,愛情を込めて,幼い娘の口にヘロインをスプーンで流し込んでいる。「ラ・トス・デサパレセ」と広告は謳う。「咳が消える」という意味だ。この広告キャンペーンは,大手製薬会社を批判する者が掘り出して2011年にネット上で公表するまで,完全に忘れ去られていた。これらの広告は,子どもを製品の使用者に想定していたが,他に1つ,同じ主婦が,気管支炎を起こしている夫にヘロインシロップを飲ませる広告がある。夫は,首に厚手のスカーフを巻いて,家に帰ってきたところだ。だれかがふざけて,こんなジョークを書きくわえている。「お帰りなさい,ハニー。ほら,スマックよ!」(スマックには「キス」と「ヘロイン」の意味がある)

デイミアン・トンプソン 中里京子(訳) (2014). 依存症ビジネス:「廃人」製造社会の真実 ダイヤモンド社 pp. 130-131

報酬率を高める

単純だが,それでも強調する価値のある事実がある。テクノロジーは,努力と報酬との比率において,報酬——それも通常は短期的報酬——の率を高めるという事実だ。あらゆる動物は短期的報酬を好む。その理由は,すでに見てきたように,生物の目標は生きのびることにあり,即時的な報酬は,それを可能にしてくれるからだ。しかし,いつでも望むときにすばやく報酬を手に入れるようなことは,他の動物にはできない。それは人間においても,最近まで,ごくひと握りの人にしかできなかったことだ。
 だが,無制限に物が手に入ることは,恩恵を害に変えてしまう可能性がある。たとえば糖分がその例だ。私たちは,甘い物を好むように進化してきた。果実はエネルギー源であると祖先が気づいて以来,無数の世代を経て,私たち人間の内臓は,オレンジなどの果実がもたらす糖分の爆発的横溢に適応できるようになった。でも,実際の果実より10倍も糖分濃度が高いオレンジ味の炭酸飲料水をゴクゴク飲んだとしたら?

デイミアン・トンプソン 中里京子(訳) (2014). 依存症ビジネス:「廃人」製造社会の真実 ダイヤモンド社 pp. 114

依存とは

一度このことに気づけば,「心理的」な依存と「物理的」な依存(または病みつき行為)の従来の区別は誤解を招きやすいものだとわかるだろう。たとえば,摂食障害を持つ人が大量のアイスクリームを食べると,その行為が脳の変化によって強化されることがある(ついでに,そのあとそれを吐きもどせば,セロトニンのハイも経験できる)。このような人は,アイスクリームに物理的に病みつきになっている。しかし,この病みつき行為は,自分にそれを強いることをやめれば,完全に元に戻せるものだ。だから,どの面から見ても,病気と言うことはできない。
 一方,依存という言葉は,さまざまなことを意味する。糖尿病患者の一部は,インスリンがなければ命を落とすという意味で,インスリンに依存している。ヘロイン依存者は,ヘロインがなければ命を落とすわけではないが,ヘロインというフィックスを得られなければ離脱症状に苦しむという意味で,ヘロインに依存している。1日にエスプレッソを6杯飲む人も,突然コーヒーをやめたら,離脱症状に苦しむ。おそらく,かなりひどい頭痛に見舞われることだろう。だとすれば,その人はカフェインに依存していると言えるのではないだろうか。

デイミアン・トンプソン 中里京子(訳) (2014). 依存症ビジネス:「廃人」製造社会の真実 ダイヤモンド社 pp. 103

自発的行為

なぜ科学は,依存症という現象をとらえるのに,これほど苦労しているのだろう。それは,端的に言うと,他の動物の脳とは違って,ヒトの脳は,自らの身体に命令を下し,ほぼ無数の自発的な(そのため予測不能な)行動をとらせるからだ。病気モデルの擁護者,そして巨大な医療関連産業の思い込みに反し,依存的行動とは本質的に自発的な行為なのだ。依存者は脳の化学物質が混乱した結果,悪い選択を下すのかもしれない。しかし,たとえそうだとしても,それが自分の意志による「選択」であることに変わりはない。

デイミアン・トンプソン 中里京子(訳) (2014). 依存症ビジネス:「廃人」製造社会の真実 ダイヤモンド社 pp. 97

共存症

ここまで,異なる薬物が異なる方法でドーパミンを増大させる実態について見てきたが,この情報は,実はそれほど有益ではない。というのは,ドーパミンには,習慣性のある薬物と,報酬が得られても習慣性は持たない薬物が区別できないからだ。脳は,私たち人間が文化に基づいて決めた合法薬剤と非合法薬物の分類など認識しない。私たちがうまく線引きしてきた薬物と食物の境界,そして崇高な危険行為と自己破壊的な危険行為との違いを認識しないことについても同じだ。
 さらに,これではまだ複雑さが足りないとでも言うかのように,多くの依存症者は,忠誠心を簡単に翻す。たとえば,ある街でヘロインの供給が止まると,ヘロイン依存者はコカインに依存の対象を切りかえる——この2種類の薬物がもたらす満足感は非常に異なり,関与する報酬系もそれぞれ異なっているにもかかわらず。「共存症」と呼ばれるこの現象は,科学者にとっての謎である。
 だから,神経科学者が,脳の神経経路の地図をたどって,それを作りだした行動を特定することができないのは当然なのだ。科学者たちに言えるのは「脳の損傷を示している兆候は,もしかしたら,特定の習慣によって引きおこされたのかもしれない」ということだけ。このことと,脳の神経経路から特定の行動を導き出すこととは大きく異なる話である。

デイミアン・トンプソン 中里京子(訳) (2014). 依存症ビジネス:「廃人」製造社会の真実 ダイヤモンド社 pp. 96-97

好きより欲しい

最近,科学者たちは,ドーパミンに対する理解をさらに深めた。その結果,今では,ドーパミンは,快楽よりも,欲望のほうに深く関わっていると考えられている。つまり,昨今,依存症について科学的な議論をするときにいつも登場するようになった,爽快なほどシンプルな用語で言いかえるとすれば,ドーパミンは「好き(嗜好 liking)」という衝動よりも「欲しい(欲求 wanting)」という衝動のほうに深く関わっている,と考えられるようになったのだ。

デイミアン・トンプソン 中里京子(訳) (2014). 依存症ビジネス:「廃人」製造社会の真実 ダイヤモンド社 pp. 85

スリープ・ランプ

たとえば,アップルのMacBook(マックブック)シリーズの魅力的な特徴の1つに,状態表示ランプがある。パソコンがスリープ状態になると,このランプが穏やかに点滅するのだ。初期のレビュアーは,このランプが持つ癒やしの効果を褒めそやしたが,それを眺めることが,なぜそれほど癒しの感覚をもたらしてくれるのかについては突きとめられなかった。が,そののちアップルが「呼吸のリズムを模した」スリープ・モード表示ランプの特許を申請し,「心理的に魅力のある」ランプは,あらかじめ意図されたものであったことが判明した。
 技術ブロガーのジェシー・ヤングが指摘するように,アップルのスリープ・モードのランプは睡眠中の呼吸ペースに合わせてあるが,デルのランプは,激しいエクササイズをしている最中の呼吸のペースに近い。「アップルをまねしようとする企業は数あるものの,どこもピントを外しているという事実は興味深い。これも,細部に徹底的にこだわりぬくアップルの姿勢を示す例の1つだ」とヤングは言う。

デイミアン・トンプソン 中里京子(訳) (2014). 依存症ビジネス:「廃人」製造社会の真実 ダイヤモンド社 pp. 35

即座の報酬

この傾向が人間にそなわっているわけは,そもそも人間の脳が,即座に手に入る短期的な報酬を求めるように進化してきたからだ。私たちの祖先は,高エネルギーの果実をその場でむさぼり食ったり,性的刺激にすぐ反応したりしなければならなかった。そうしていなければ,あなたも私も,今,この世にはいないだろう。
 問題は,もはや身体的にも必要としておらず,種としての存続にも何の意味もないような報酬に満ちた環境を,私たちが築いてしまったことにある。たとえ必要のないものであっても,そういったものは報酬であるため——つまり,脳の中で期待感と快楽といった特定の感情を引き起こすため——私たちはつい手を伸ばさずにはいられない。
 言いかえれば,私たちは「すぐに気分をよくしてくれる=フィックス」に手を出してしまうのだ。

デイミアン・トンプソン 中里京子(訳) (2014). 依存症ビジネス:「廃人」製造社会の真実 ダイヤモンド社 pp. 14-15

地域環境と健康

人的な環境だけではない。地域環境も肥満・健康な食生活,身体活動などと関連している。人口250万人の住民がいるリスボンの7669人を対象に,この人たちの特徴(ライフスタイルや教育年数,年収,就労状況など)とともに,どの地域に暮らしているかを調べ,その地域の特徴も調べて,それらの関連を分析した研究がある。まず個人レベルに着目すると,肥満は身体活動が少なく,教育年数が短い者などに多い。健康的な食生活は,教育年数が短く,離婚していて,失業中,低所得の者などでは難しい。身体活動は教育年数が短く,低所得の人で少なかった。
 次に,地区の特徴としては,犯罪の多さ,人口密度や運動施設(体育館やプール)の有無,ソーシャル・キャピタル(社会的統合の強さ)などを調べ,個人の特徴も考慮(統計的に調整)して分析した。その結果,犯罪が多い地域では健康な食生活,身体活動が少なく,肥満が多い。運動施設がある地域,ソーシャル・キャピタルが豊かな地域では身体活動が多かった。つまり,同じ個人の特徴をもつ人でも,どのような地域環境に暮らしているのかによって,食生活や身体運動料が違ってきてしまうのだ。

近藤克則 (2010). 「健康格差社会」を生き抜く 朝日新聞社 pp. 184

健康とは

50年以上前に策定されたWHO憲章(1946)をみると,その前文には次のように書かれている。「完全な肉体的,精神的及び社会福祉の状態であり,単に疾病又は病弱の存在しないことではない」。心理・社会的な側面も「健康」にとって重要であることはわかっていたのだ。ただ,それを科学的にとらえる方法の開発や大規模なデータが得られなかったなどの理由で研究が遅れていた。他方で,生物医学的な研究方法がより早く確立し,膨大な知見の蓄積が進んだ結果,生物医学的なとらえ方のほうが,主流となった。それに対し生物心理社会モデルは,社会疫学によってようやく科学的に裏づけられたというべきかもしれない。

近藤克則 (2010). 「健康格差社会」を生き抜く 朝日新聞社 pp. 114

生死という評価軸

もう1つ,健康格差を問題にする意義には,生死が,評価尺度および価値としてもっている特徴によるものだ。才能や努力や成果を評価するのは意外に難しい。報酬面でも,お金以外に名誉や権力をはじめ非金銭的な報酬もいろいろある。評価すべき尺度がいろいろあって,どれが「絶対」とも言い切れない。つまり,何をもっとも重視するかは,「価値観しだい」で「相対的」になってしまう。
 しかし,生死となると,これまた話は違う。死は,測定上の価値の面でも,「絶対的」である。死んでしまえば「おしまい」だから。お金が増えてうれしいのも,勝ち負けも,その前提は「生きていること」だ。世論調査をみても,「最後はお金よりも健康」という声は多い。

近藤克則 (2010). 「健康格差社会」を生き抜く 朝日新聞社 pp. 33-34

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