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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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よい格差・悪い格差

だが,所得格差に代表される社会経済的な格差の話となると,議論をしても話がなかなかまとまらない。なぜなら,「努力や能力が評価されないのは悪平等だ」とか,「平等を追求して格差を減らすと活力や効率が低下する」「経済の成長のためには平等を多少犠牲にしても許容される」などといわれると,「格差にもいい面がある」「必要悪だから仕方ない」と思えるからだ。
 つまり,格差にも「よい格差」と「悪い格差」がある。あるいは,格差にも「いい面」と「悪い面」があるから「価値観しだい」となる。格差を巡っては,そんな平行線のまま答えが出ない「不毛な論争」に終止している感がある。しかし,「健康格差」は「経済格差」とは違う,と私は思う。健康格差が「悪い格差」であることには,多くの人が同意する。従来の格差論争には「健康格差」の視点が抜け落ちていた。それを持ち込むことは,「悪い格差」をみえやすくして,格差論争を不毛なものから一歩進めるものになる。私が問いたいのは,「悪い格差」まで放置しておいていいのか,である。

近藤克則 (2010). 「健康格差社会」を生き抜く 朝日新聞社 pp. 31-32
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格差の大きさ

確かに「格差のない社会はあり得ない」だろう。「不老長寿」のように,望んでも得られないものであれば,問題にしても虚しいだけだ。しかし,これをもって「議論の余地なし」であるかの論法は,論点のすり替えだ。もちろん,アメリカにも北欧にも格差はある。が,格差の程度はまったく違う。だから,「格差のない社会はあり得ない」としても,格差拡大を放置していいことを意味しない。格差をいまより拡大するのか,小さくすべきなのかについては,「議論の余地は大いにあり」なのだ。私が問うのは,格差の存在ではない,格差の大きさである。

近藤克則 (2010). 「健康格差社会」を生き抜く 朝日新聞社 pp. 31

客観性と文脈

また,心理学の研究は客観性が求められますが,それを突き詰めすぎると,三人称的なかかわりで,文化社会的な要素を一切排除した脱文脈的なものとなります。それを防ぐ一つの方法として,実験だけに限らず,観察との併用が有益と思われます。観察される知見と実験での課題通過の年齢があまりに食い違うようであれば,実験そのものに問題があることも視野に入れるべきでしょう。

林 創 (2016). 子どもの社会的な心の発達:コミュニケーションのめばえと深まり 金子書房 pp. 39

実行機能と誤信念課題

このように実行機能を考慮することで,前述の「4〜5歳まで標準的な誤信念課題を正答できない」という結果と「赤ちゃんでも誤信念状況を理解できる」という結果の矛盾が解消できるのかもしれません。ベイラージョンらは,言葉での反応を調べる標準的な誤信念課題では,少なくとも(1)誤信念表象プロセス(他者の誤信念を表象する),(2)反応選択プロセス(言語反応する際に,他社の誤信念の表象に対して選択的にアクセスする),(3)反応抑制プロセス(自分の知識を抑制して,質問に答える),という3つのプロセスが必要であるのに対して,注視といった自発的な反応で調べる誤信念課題では,(1)の誤信念表象プロセスだけがかかわることを示唆しています。(1)から(3)の3つを同時に処理するのは,乳児のかぎられた情報処理能力では難しすぎる理由として,各プロセスに関連する脳領域のコネクションが成熟するのは後の時期であり,しかもゆっくり発達するからであるとベイラージョンらは考えています。この(2)や(3)は,まさに実行機能に関することなので,4〜5歳になるまで標準的な誤信念課題に正答できない理由の1つには,実行機能の未熟さが関係しているといえそうです。

林 創 (2016). 子どもの社会的な心の発達:コミュニケーションのめばえと深まり 金子書房 pp. 35-36

実行機能

私たちは日々,衝動的に反応せず,次々と入ってくる新しい情報を整理し,順番を考えながら行動しています。このように,目標に向けて注意や行動をコントロールする能力のことを,「実行機能(executive function)」とよびます。そのとらえ方は研究者によって違いがありますが,「抑制」「シフティング」「更新」の3つのプロセスがとくに重要な要素であると考えられています。

林 創 (2016). 子どもの社会的な心の発達:コミュニケーションのめばえと深まり 金子書房 pp. 32

三項関係

対象について,他者と一緒にかかわるためには,「他者と自分と対象」の3つの間の関係(三項関係)の成立が必須です。この三項関係の鍵を握るのが,「共同注意(joint attention)」です。ある対象に対する注意を他者と共有することとされます。たとえば,お母さんと子どもがいて,お母さんが通りかかった犬を指さして,「ワンワンいるね」と言うと,子どももそちらを振り向き,「犬」という対象に同時に注意を向けるような場合があてはまります。
 二項関係から三項関係への進展は,社会性やコミュニケーションの発達にとって決定的に重要です。この進展がないと,自分と他者の認識が同じであるのか違うのかに気づくことができません。自分の世界に閉じたままともいえます。対象に同時に注意を払えるからこそ,会話がはずみますし,対象を取ってあげる援助や,別の対象に誘導する欺きも生まれるのです。このような三項関係と共同注意の成立は,生後9か月頃からできるようになります。トマセロはこれを「9か月革命」とよんでいます。

林 創 (2016). 子どもの社会的な心の発達:コミュニケーションのめばえと深まり 金子書房 pp. 23-24

赤ちゃんの読み

驚くべきことに,赤ちゃんでもこうした図形の動きの中に社会的意味を読みとっている可能性があります。プレマックらによる1歳頃の赤ちゃんを対象にした馴化・脱馴化法の実験では,「助ける」「なでる」といった正の要素をもつものと,「叩く」「邪魔する」といった負の要素をもつものを区別できることが報告されています。具体的には,正の要素をもつアニメーション(たとえば「助ける」では,黒玉が穴の向こう側に行けないため,灰色の玉が押してあげて向こう側に行かせる)を見せ続け,飽きてきたころに,負の要素をもつアニメーション(たとえば「叩く」では,灰色の玉が黒玉にぶつかる)に切り替えると,注視時間が長くなりました。しかし,負の要素から負の要素への切り替えでは,このような傾向は見られませんでした。

林 創 (2016). 子どもの社会的な心の発達:コミュニケーションのめばえと深まり 金子書房 pp. 22

マスコミ志望

かつてのマスコミ志望者は,それなりのこだわりを持っており,マスコミしか受けないタイプが多かった。が,就職偏差値として数値化されてしまえば,他の業種と並列な存在となっていく。マスコミだから受けるのではなく,人気企業だから採用試験に臨むのであり,キー局と大手商社と都銀とをかけもちして受けるなどは,ごく当たり前の事態となっていた。それゆえ他の業界に先駆けよう,先に学生を囲い込んでしまおうと,マスコミ各社は青田買いに勤しむこととなる。

竹内和芳 (2014). 「就活」の社会史—大学は出たけれど…— 祥伝社 pp. 280-281

フーテン

フーテンは日本版ヒッピーともいうべき存在で,勤勉に働くことよりも,音楽や薬物,性愛など,享楽的な生き方を好んだ1960年代後半の若者風俗。富士ゼロックスの,フーテンっぽい加藤和彦—ミュージシャン,音楽プロデューサー,ザ・フォーク・クルセイダーズとして1968(昭和43)年に「帰ってきたヨッパライ」のヒットを飛ばす—をフィーチャーした感覚的な企業イメージCMが,当時話題を呼んでいたのである。
 このCMを手掛けた電通のプロデューサー藤岡和賀夫は,大阪万博後の鉄道旅客の減少への対策として,国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンも担当していた。この頃から日本全国への,若い女性のグループ旅行がブームとなり,国鉄(現JR)や日本交通公社(現JTB)も就職先として人気を集めていた。
 こうしたイメージ先行の企業選びについて,丸紅飯田の人事課長は,「新聞社とかけもちで受験していた学生に「新聞社と商社には共通性はないよ」といったら,「はなばなしく対外的に活躍できるという点で共通しています」という参りましたナ」と語っている。
 学園紛争も収束し,私生活の充実へと目を向け始めた大学生たちは,ハードよりもソフト,重厚よりも軽さ,ダークよりもカラフルな「フィーリング」を求めたというのである。

竹内和芳 (2014). 「就活」の社会史—大学は出たけれど…— 祥伝社 pp. 197-198

自己分析

そして「変わらなさ」の例として,「自己分析」も挙げておきたい。もちろん,自己分析の語が広く就職活動全般に広まったのは,ここ20年くらいの動きであろう。しかし,アメリカ心理学から輸入された「自己分析」の語は,1950年代にすでに日本でも用いられていた。日本応用心理学会・日本職業指導協会編『職業指導講座第4巻技術編II』(中山書店,1955年)には,東京大学教育学部教授の心理学者・沢田慶輔による「自分分析」の章があり,「シカゴ・プラン」と呼ばれる取り組みが紹介されている。

竹内和芳 (2014). 「就活」の社会史—大学は出たけれど…— 祥伝社 pp. 111

駅弁大学

戦後,全国各地に雨後の筍のようにできた新制大学を指して,「駅弁大学」という言い方があった。急行が停まり,弁当を売っているぐらいの駅のある地方には必ず大学が存在する,といった事態をやや揶揄するような表現である。これは大宅壮一の造語であり,大宅発の流行語にして他には,テレビによる「一億総白痴化」や,大阪出身のネットワークを指す「阪僑」などが有名。

竹内和芳 (2014). 「就活」の社会史—大学は出たけれど…— 祥伝社 pp. 78-79

いつも同じ

現在,「学長の推薦状」などは通常必要とされないし(ただし,ゼミ担当教員などの推薦状は,時として要求される),学業成績表の類いも提出はさせられるが,成績そのものは参考にされる程度であろう。しかし,大学での学業成績ではないにしても,ウェブテストなどによる学力考査での「粗選び」は,今日の就職活動のプロセスにおいて一般的なものとなっている。体育会系学生の就職における相対的な強さの一方で,最低限の学力の担保も求められる点などは,昭和恐慌期も平成不況期も変わるところがないのである。

竹内和芳 (2014). 「就活」の社会史—大学は出たけれど…— 祥伝社 pp. 53

大学は出たけれど

大卒者を迎え入れようにも,その空き枠はない,経済の先行きが不透明な状況で,幹部候補生ばかりにいられても,どうにも使い勝手が悪いし,人件費もばかにならない…。それが,1920年代の全般的な情勢であった。そうした時代を象徴するサイレント・ムービーが,小津安二郎監督の「大学は出たけれど」(1929年)である。このタイトルは当時の流行語となり,その後も今日に至るまで,不況(就職難)のたびごとに「大学は出たけれど」はマスコミに重宝されるフレーズとなっている。
 1970年代頃から,「大学は出たけれど」定職に就かない(就けない)若者たち—「遊民」や「プー(タロー)」,後に「フリーター」「ニート」,さらには「新卒無業」や「非正規雇用」「プレカリアート」などと呼ばれる(もしくは称する)—が問題視され,ここ数年では「大学は出たけれど」奨学金が返還できない事態の広がりが取りざたされている。

竹内和芳 (2014). 「就活」の社会史—大学は出たけれど…— 祥伝社 pp. 38-39

学校に責任

2012(平成24)年に時の文部科学大臣田中真紀子氏は,大学設置・学校法人審議会が認可をした新設大学に「待った!」をかけ,物議をかもした。その時の世論の大勢は,田中大臣のやり方は乱暴だが,「大学が多すぎる…」という問題提起は有意義なものだ,といったあたりだったように思う。大昔から就職難のたびに,大学(生)が多すぎる,大学教育の見直しが必要等々の議論がわき起こってきたのである。経済界からしてみれば,経済環境の悪化は,人材をきちんと排出しない学校の側に責任があるとの言い分である(好況の際には決まって,「起業は学校に何ら期待していない,余計なことをせずに卒業生をよこせ」という話になるのだが…)。

竹内和芳 (2014). 「就活」の社会史—大学は出たけれど…— 祥伝社 pp. 37

スーツの色

この記事のラストは,「ほかの人に差をつけようとユニークな格好ででかけたという面接武勇伝をよく耳にしますが,個性とはその人の人柄や発想力や知的レベルなど,内面からきらりとでてくるもの。服装や見かけで奇をてらうと,しくじる可能性が大」と締めくくられている。この結論自体は,今日でも通用する正論であろう。
 だが,紫やピンクのスーツ,からし色のブレザー,プリント柄のワンピース,ポロシャツなどでの就職活動は,いまの常識からすればじゅうぶん「奇をてらう」行為だし,「面接武勇伝」どころか立派な暴挙である。「白い金ボタンのダブルのジャケットに,ボックスプリーツのスカート」姿への「ダークな色が多い中で「白」が明るい印象に<博報堂・中氏>」といったポジティブなコメントには,そのあまりの時代の隔たりゆえに,ただただ呆然としてしまう。
 もちろん,雇用機会均等法以前の話なので,女子新入社員の位置づけも,今とは若干異なっていたのであろう。しかし,平成の時代に入っても,1990年代前半だと,さすがにダブルのスーツはまずいが,明るいグレーやベージュなどはまだありうる選択肢だった。だが,失われた10年や就職氷河期などとささやかれる中で,「紺→濃紺→黒」と,世の中の暗さを象徴するかのように,この20年間で就活生の色合いは,どんどんモノトーンとなっていったのである。

竹内和芳 (2014). 「就活」の社会史—大学は出たけれど…— 祥伝社 pp. 10-11

差異と多様性

大学に本当に必要なのは「差異」と「多様性」である。自分とは異なる価値観や世界観,過去や遠い地域の文明や文化,人間の知性の奥深さや広がりを学ぶことによって,私たちは自分たちがいまどういう世界の中に生きているのかをよりよく知ることができる。そして,よりよく知るとは,つまりは人間としてよりよく生きるということでもある。このような差異と多様性に開かれた自由な知をこれからも大学の中で守っていかなくてはならない。

室井 尚 (2015). 文系学部解体 KADOKAWA pp. 203

顔色をうかがう

運営交付金の配分も,各大学の定員数も,学部や大学院の設置や改組も最初から既定の路線通りすべて文科省が統制しているというのが現実で,各大学の自主性とか自立性とかを主張できる可能性はほとんど残されていないのだ。なぜなら6年ごとに作られる中期目標・中期計画も文科大臣名で最終的には文科省が決めているからだ。つまり,国立大学は元々自由に競争するための手足を完全に縛られている中で,運営交付金や競争的資金を獲得するために文科省の顔色を窺いながら生き残りを図らなくてはならないのである。

室井 尚 (2015). 文系学部解体 KADOKAWA pp. 83-84

お金の集中

国立大学の場合,競争原理はほとんど関係ない。文科省は良い改革案やプランを出す大学を支援するといっているが,それは文科省の求める施策に適合したプランに対してだけであって,実際には旧帝国大学をはじめとして特定の大学に集中的にお金が流れている。

室井 尚 (2015). 文系学部解体 KADOKAWA pp. 82-83

改革と転落

要するに91年の大学設置基準の大綱化以降,日本の国立大学および,やはり私学助成金の減額を恐れて文科省の指導の下に似たような「改革」を行ってきた私立大学は,どんどん頽落の道を転がり落ちていっているのである。そのことは大学の内部にいる者たちにははっきりと見えているのだが,残念ながら大学の外の人たちからはまったく見えないようなのである。外側から見れば,まだまだ国立大学はひだまりの中で特権を謳歌している,改革努力の足りない遅れた組織なのだ。そして,惰眠をむさぼる大学と大学人を覚醒させるためには,国家が強力にコントロールしていかなくてはならないと本気で思っているのである。

室井 尚 (2015). 文系学部解体 KADOKAWA pp. 75-76

自主的?

たとえば,平成28年度からは運営交付金の重点支援の枠組みであるところの,地域のニーズに応える人材育成・研究を推進するとされる「地域貢献型」,分野ごとの優れた教育研究拠点を目指す「特定分野型」,世界のトップレベルの大学と伍して卓越した教育研究を推進する「世界水準型」の3つの類型のどれかでなければ,運営交付金を3割も減らされるということが告知されている。各大学は自分たちの大学がこの3類型のどれであるかということを自ら受け入れて,その目標に沿った「改革」を「学長のガバナンス」を通して推進しなくては生き残れないのだ。
 こうした状況のどこに「自主的な大学改革」の余地が残されているだろうか?国によってはんじがらめに縛られ,経営陣にも常に国の監視が向けられ,文部科学大臣の名前で公表されている中期目標・中期計画をやらなければ運営交付金を減らされると脅かされる中で,そして実際に毎年1%ずつ,年によってはさらに運営交付金が減額されている中で,学長や執行部が自主的にできることなどほとんどないのである。また,トップダウンで学長が強権的な大学支配を行ったりすれば,その学長を応援して支えている教職員たちの反乱が起きることは目に見えている。
 つまり,学長という立場は大学の構成員と文部科学省の板挟みになってしまい,結局は両方の根回しをすることくらいしかできないのである。

室井 尚 (2015). 文系学部解体 KADOKAWA pp. 71-72

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