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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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混乱の極み

国立大学法人化以降の大学の人事システムは変化が激しすぎて混乱を極めていると言っていい。終身雇用制の教授,准教授,講師は,公務員ではなくなったとはいえ実質的にはそれまでとほとんど変わらない形に縛りつけられている。いわゆる「見なし公務員」である。給与水準も公務員と同じく人事院勧告に準拠しなければならない。
 2011年に震災復興のために国家公務員の給与が平均7.8%引き下げになったときにも,もはや公務員ではないのだからと傍観していたら,国から厳しく給与引き下げを迫られ,従わなければ次年度から交付金を減らすと脅かされた。結局は年収が低い若い教職員は可哀想だからと,私たちのように年齢が上の者から10%程度の削減が行われ,大変苦しい思いをした。

室井 尚 (2015). 文系学部解体 KADOKAWA pp. 63-64
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新課程

元々は一県に一大学,必ず教員養成系の大学・学部を置くという原則の下に地方の新制大学が作られていたのだが,遠山プランのときにはむしろ教員養成系はそんなに必要がないとされ,新課程だけが残されようとしたのである。この問題は奥が深い。
 その間,新課程は30年近くもの間,それぞれの大学で独自の役割を果たして,成長をし続けてきた。受験生たちからの安定したニーズも生み出してきたし,すでにたくさんの卒業生も生み出してきた。
 それを今回の「通達」では,何の歴史的検討も,将来への洞察もなく,一転して教員養成系だけを残し,新課程を全国一律に廃止するというのである。いかにも乱暴な議論である。たったの1年でこの乱暴な方針がまとめられ,直ちに各大学に押し付けられたのだ。そして,それが文系学部の文理融合学部への統合という,これもまたよくわからない議論へと結び付けられているのだから,いくら「文系軽視ではない」と力説したところで,「社会の役に立たない文系の縮小・廃止」と受け取られるのも当たり前のことなのではないだろうか?

室井 尚 (2015). 文系学部解体 KADOKAWA pp. 43-44

経験でしか語れない

人はだれでも自分の経験を通してしか物事を測ることができない。中学校や高等学校は自分が出たころとそんなに変わっていないと思い込んでいるし,大学もまた自分が大学生活を送ったころから変わっていないだろうと信じこんでいる。
 その大学生活の思い出といえば,遊びやアルバイトに明け暮れ,適当に単位をかき集めただけの記憶しかなかったり,あるいは実験室でずっと先輩の大学院生の共同研究を手伝っていたり,部活やサークルの活動にかまけていたり,就活を終えて卒業旅行を楽しんだりと人によってそれぞれ違うだろうが,いずれにしてもそのころの大学と現在の大学は基本的にはそんなに違っていないだろうと思っている人が多い。だから,一般の人は大学,あるいは国立大学のことについてほとんど知らないし,またそんなに大学の変化には関心を抱いていない。

室井 尚 (2015). 文系学部解体 KADOKAWA pp. 4

どういうことか

おそらく多くの読者も目にしたことがあるだろうが,私は青年雑誌で,センター分けの男性がタートルネックを鼻の下まで上げた写真をともなう包茎手術や包茎矯正具の広告をしばしば目にした記憶がある。包茎は恥であり,矯正すべきだとずっと考えてきた。しかしイギリス人やドイツ人の私のチームメイトはそれを矯正しないばかりか,隠そうともしていない。これはどういうことなのか。身体の形態をめぐる問いが始まった。

森正人 (2013). ハゲに悩む:劣等感の社会史 筑摩書房 pp. 203-204

毛生え薬の変遷

髪の悩みあるところ,毛はえ薬あり。ヒポクラテスもハゲの治療薬を開発した。アヘンとバニラエッセンスを,ワイン,オリーブ,アカシアの汁などで作った軟膏に混ぜ合わせて塗りつけたのである。もっと深刻な患者には,クミン,ハトの糞,ビートの根,そしてわさびで作った湿布を処方した。月桂樹をかつら代わりにしてハゲを隠していたローマのカエサルは,そのハゲ頭を心配する愛人のクレオパトラからエジプトに伝わる軟膏をもらっている。その軟膏は焼いたネズミ,馬の歯,熊の脂,シカの骨髄で作られたものだった。同じくローマ時代の博物学者プリニウスはハゲを恥辱と感じ,ネズミの糞や,小ロバの小便とオミナエシ科のスパイクナードを混ぜ合わせたものに毛髪回復の力があると考えていた。
 特に臭いのきついものに回復能力があると考えられていたようだ。

森正人 (2013). ハゲに悩む:劣等感の社会史 筑摩書房 pp. 90-91

人種学と

高田は当時の人類学や人種学などの知見を動員している。これらの学問では各国,各人種の身体計測や皮膚の色,体毛の多さや髪の毛の形質,はては性格までがデータ化されていた。そこでは頭がい骨の容量が小さいのは未開人や犯罪者の特徴であり,文明人や白色人種はその反対であるという,社会進化論的な議論も積み重ねられていた。高田の頭蓋の小さいことが未開野蛮の有色人種であるとか,顔面に毛の生えた部分が多いのはけだものに近いという説明は,当時の形質人類学や人種学の研究が一般人にも流布していたこと,そしてそれがハゲの説明にも用いられていたことを示唆している。高田や本村の脱毛や薄毛の説明の仕方は,近代的な知識に基いていた。

森正人 (2013). ハゲに悩む:劣等感の社会史 筑摩書房 pp. 63-64

帽子と…

帽子とハゲの因果関係は当時さかんに議論されていた。抜け毛を防ぐために,昭和の初年に海軍の初代軍医総監だった高木兼寛は,てっぺんのない帽子を海軍に採用しようとしたという。杉によると,帽子をかぶると禿げるというのは「ルソーの『自然にかえれ』に刺激されておこったもので,『人が自然にさからって帽子をかぶったりするから,ハゲになるのであり,帽子をかぶる人種ほどハゲが多い』といったことから始まった。」(杉靖三郎「ハゲ頭に悪人なし—禿党よ・悲しむなかれ!」文藝春秋29(15),1951年,156頁)。もしこの説が本当なら,自然にかえるという主張自体が,都市化の進んだ近代に特有のものであり,それゆえ,帽子とハゲの因果関係を探ろうという試み自体もまた近代的だということができるだろう。
 その意味では禿は近代の産物なのである。

森正人 (2013). ハゲに悩む:劣等感の社会史 筑摩書房 pp. 56

客観的な基準はない

形質人類学や優生学などは頭髪の形質,つまり縮れ毛か直毛か,何色かということ,そして体毛や毛髪の濃さでそれぞれの民族や人種の身体的特徴を示してきた。しかし,薄毛については,何本以下はハゲというように毛髪の基準量が客観的に示されたことはなく,見た目にハゲていると判断できるかどうかにかかっていた。

森正人 (2013). ハゲに悩む:劣等感の社会史 筑摩書房 pp. 30

劣等感ビジネス

それが効くかどうかは別として,このビジネスが成立するためには二段階のステップが必要だ。1つめは,自分のからだのどこかが,他人と比べた時にどこか劣っていると感じること。2つめは,道具や薬品などを用いればそれを改善できると期待できることである。

森正人 (2013). ハゲに悩む:劣等感の社会史 筑摩書房 pp. 29

拳を握れ

最後につけ加えておこう。パワフルなポーズをとる時間がない場合は,こぶしを握るだけでも効果がある。心理学者トーマス・シューバートは男性被験者を集め,各自に自信を感じる度合いを訊ねてから,じゃんけん遊びを装い,数秒間こぶしを握ってもらった。そのあとであらためて自信を感じる度合いを訊ねた。被験者の体はその脳の影響を受け,しばらくこぶしを握った男性たちの自信度は高まっていた。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2013). その科学があなたを変える 文藝春秋 pp.280

姿勢と自信

そして,姿勢のとり方も自信に影響する。自信のある人は自分の可能性を信じており,リスクを恐れず,テストステロン(支配と結びつく化学物質)の割合が高く,コルチゾール(ストレスと結びつく化学物質)の割合が低い。では被験者に支配的な姿勢をとらせたら,どうなるだろう。それを調べるために,コロンビア大学のダナ・カーニー教授とそのチームは被験者を集め,新しい心拍計の性能を試したいので協力してほしいと話し,2つのグループに分けた。
 片方のグループは,支配を示す2つのパワフルなポーズのうち,どちらかをとらされた。1つはデスクの上に両足をのせ,両手を頭の後ろに組んで視線を上げるポーズ。もう1つはデスクの後ろに立って身を乗り出し,両手のひらをデスクにつけるポーズである。
 もう片方のグループは,パワフルでないポーズ2種類のうち,どちらかをとらされた。1つは両足を床につけ,両手を膝に置いて視線を床に落とすポーズ。もう1つは,立ったまま腕と脚を組むポーズである。
 ポーズをとり終わった1分後に,被験者は自分をどの程度「パワフル」で,「やる気満々」に感じているか,採点を頼まれた。彼らがとったポーズは,その自信にかなりの影響をあたえていた。「パワーのポーズ」をとった被験者はとらなかった被験者よりも自信が強くなっていたのだ。だが,それだけではない。
 続いて実験では,被験者がリスクを負う割合が試された。被験者めいめいに2ドルを渡し,それをとっておくか,コインを投げて裏表で賭けをするか尋ねたのだ。賭けに勝てばお金は倍の4ドルになるが,負ければゼロになる。「パワーのポーズは人を大胆にする」の仮説どおり,支配的なポーズをとった被験者は八割以上がお金を賭け,支配的なポーズをとらなかった被験者は六割しか賭けなかった。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2013). その科学があなたを変える 文藝春秋 pp.278-280

フット・イン・ザ・ドアと洗脳

同じ原則が,マイナス行動へ人を駆り立てる原動力にもなる。たとえば1970年代のはじめに,ギリシアの軍事政権は新兵たちを残酷な拷問執行人に鍛え上げようと考えた。フット・イン・ザ・ドアのテクニックを使い,新兵を少しずつ囚人の虐待に加担させていったのだ。まず最初に,兵士たちは監房の外で囚人たちが虐待される場面を見せられた。つぎの段階では,監房の中に入って虐待の場面を眺めさせられた。そのつぎの段階では,監房の中で少しだけ虐待を手伝うように言われた。笞で打たれるあいだ囚人の体を抑えつけている,などだ。そして最後の段階では,自分の手で囚人を笞で打つように命じられた。そして虐待執行人となった彼らの姿を,新たに入隊した兵士の一団が監房の外で眺めた。フット・イン・ザ・ドアのテクニックが,ゆっくりとながらも着実に効果を発揮し,最初はまったく受け入れられなかった行動を,兵士がみずからおこなうようになったのだ。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2013). その科学があなたを変える 文藝春秋 pp.188

フット・イン・ザ・ドアと恋愛

そのほかにゲゲンは,フット・イン・ザ・ドアの方法にキューピッドの力があることも確かめた。彼の実験チームは,通りがかりの若い女性三百人以上に声をかけ,大胆にもいまから飲みに行きませんかと誘った。実験者は2通りの接近方法をした。1つは相手を誘う前に,道を尋ねたりタバコの火を借りたりするなど,口実をつける方法。もう1つはもっとダイレクトに女性に接近し,飲みに行きませんかとずばり切り出す方法である。このちょっとした差が,大きなちがいを生んだ。道を訊ねられた女性の六割が相手の誘いにイエスと答えたのに対し,最初から飲みに行こうと切り出されて誘いに乗った女性は二割のみだった。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2013). その科学があなたを変える 文藝春秋 pp.184-185

ワトソンと広告業

アルバートの実験は,ワトソンの私生活に大きな変化をもたらした。妻帯者だったワトソンは,実験にあいだに共同研究者のロザリー・レイナーと恋に落ちた。2人の関係を知ったワトソンの妻は離婚訴訟を起こし,それを耳にしたジョンズ・ホプキンス大学の学長はワトソンに辞職を求めた。ワトソンは学究生活と決別して大手広告会社に就職し,行動主義心理学の知見を活かしてデオドラント,ベビーパウダー,煙草の売上拡大に貢献した。最大の功績は,マクスウェルのキャンペーンの一環として,アメリカに”コーヒーブレイク”の発想をもたらしたことである。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2013). その科学があなたを変える 文藝春秋 pp.138

ワトソンvs.フロイト

行動の観察と計測を中心に据えたワトソンの考え方はたちまち注目を集め,世の学者たちがますます沢山のネズミに,ますます複雑な迷路を走り回らせるようになった。ある新聞記事には,こんな言葉が残っている。「かつてダーウィンに魂を奪われた心理学は,いまやワトソンにうつつを抜かしている」
 勢いをえた行動主義者は,学習原則にとどまらず心理学のその他の領域にまで手を広げた。なかでもワトソンが強い興味を抱いたのは,恐怖症の原因解明と治療法の開発だった。行動主義者の例にもれず,彼はジークムント・フロイトの「えせ科学的なたわごと」に代わるものを見つけたいという欲求に駆られていた。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2013). その科学があなたを変える 文藝春秋 pp.134-135

ジェームズvs.フロイト

フロイトが渡米したころ,ウィリアム・ジェームズは67歳で,深刻な心臓病に悩まされていた。体調がすぐれなかったにもかかわらず,彼はクラーク大学まで出かけて,フロイトの公演を聞いた。彼はその内容に不快感を示した。そしてのちにはフロイトの夢分析を,「危険な方法」であり,偉大な精神分析学者であるフロイト自身が「固定観念に取り憑かれ」,惑わされていると指摘した。
 ジェームズとフロイトは,さまざまな点で意見が分かれていた。激しい怒りの原因とその解消法に関わる問題も,その1つである。フロイトは,激しい怒りは暴力的思考が抑圧されるために生じるのであり,安全な代償行動で激情が解放され,浄化(カタルシス)がおこなわれれば解消できると考えた。たとえば,サンドバッグを叩く,叫ぶ,悲鳴を上げる,足を踏みならすなどである。かたやジェームズは,人が怒るのは怒ったかのような行動をするためであり,フロイトのカタルシス療法は,怒りをかえって増大させると考えた。2人のあとに続く心理学者たちは,どちらの説が正しいかを見極めるべく,長年にわたって研究をおこなった。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2013). その科学があなたを変える 文藝春秋 pp.126-127

ボトックス実験

ボトックス(科学者のあいだでは「ボツリヌス・トキシン」と呼ばれている)の注入は,世界できわめて人気の高い美容整形法の1つである。もともとは顔の筋肉痙攣の治療用に開発されたボトックスは,顔の筋肉の収縮に関わる神経を麻痺させる効果がある。1990年代のはじめに,研究者たちは眉間のしわにボトックスを注入すると,額の動きが部分的に麻痺し,しわが大幅に消えることを発見した。その結果顔つきが前より若々しくなるが,同時に表情がやや固くなり,能面のようになる。
 コロンビア大学バーナード校のジョシュア・イアン・デイヴィスとそのチームは,この若返り法がジェームズ理論の実証に役立つのではないかと考えた。デイヴィスは,実験のために2通りの女性参加者グループを集めた。片方はボトックス注入の施術を受けたグループ,もう片方は額にある種の”詰めもの”を注入するなど,べつの方法による施術を受けたグループである。どちらの方法も目的は若々しい外見を作りだすことだが,顔面筋肉を麻痺させるのはボトックスのみである。デイヴィスは,女性たちにビデオを何本か見せた。男が生きた毛虫を食べるおぞましいビデオ,最高に笑える愉快なアメリカのビデオ,ジャクソン・ポロックについての深刻なドキュメンタリービデオなどである。1本見るごとに,女性たちはビデオに対する感想を点数で評価した。結果を見ると,フィラーで施術を受けた女性たちに比べ,ボトックスで施術を受けた女性たちは感情反応が鈍かった。というわけで,動かないこと(この場合は顔の表情)が,感情体験を衰弱させるというジェームズ説の正しさが実証されたのだった。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2013). その科学があなたを変える 文藝春秋 pp.119-120

ナンパ実験

ハトフィールドとクラークは,女性5人と男性4人に頼んで,大学内で見ず知らずの相手にこう話しかけてもらった。「前からあなたのことが気になっていたんです。とても魅力的な人だと思って。今晩,一緒に寝てくれませんか?」。彼らは相手の反応をチェックシートに記録したあと,じつはこれは社会心理学の実験であり,話しかけたのは純粋に科学的な調査のためだったと被験者に説明した(この部分に対する相手の反応は記録されていない)。『セックスの誘いに対する男女の反応差』と題する論文で,クラークとハトフィールドは男女の反応がどのようにちがうか報告した。男性に声をかけられた男性の場合は,なんと75パーセントが「君のところで,それともぼくのところで?」の項目にチェックが入った。
 当然ながらというべきか,ハトフィールドの実験結果は様々な議論を呼んだ。これを見れば社会的強者が,弱者につけ込もうとする事実がひと目でわかると主張する者もいれば,これは「男=軽薄」説を裏づけるゆるぎない証拠だと決めつける者もいた。実験結果はまた,ポップカルチャーの世界に思いがけない影響をあたえた。1998年に,イギリスのジャズバンド,タッチアンドゴーが,ハトフィールドの実験用台本を女性に読み上げさせて,オリジナル曲<今晩一緒に……>に挿入したのだ。この曲はイギリスでシングル盤トップチャートの3位に入り,ユーチューブでは200万回のアクセスを記録した。
 この実験成功に気をよくしたハトフィールドは,仲間とともに恋愛心理に関してべつの実験をいくつかおこなった。
 その結果,友情も愛情もつきあいが長くなるほど強まることがわかった。理屈からすれば,誰かにつきまとえばつきまとうほど,相手はあなたに好意をもち,やがて愛へと発展する可能性が高まることになる。この理論は,人が身近な相手と結婚することが多い理由や,ゲッツィンガーの学生たちがしだいにブラッグバッグと仲よくなった理由の説明にも使われた。そしてこの理論にしたがってある男性が恋人に700通手紙を出したところ,彼女は郵便配達員と結婚してしまった(というのは冗談)。
 細々と続けられた愛に関する研究はしだいに勢いを増し,1970年代なかば以降は,何百人もの学者が人間の心の神秘を探るため,何千件もの実験をおこなった。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2013). その科学があなたを変える 文藝春秋 pp.62-63

タブー

1960年代以前,心理学の世界では友情や恋や愛情を,実験で解明することはタブーとみなされていた。人間心理をあまりに性欲と結びつけて解釈したがるフロイトの非科学的な姿勢と一線を画したかったためか,各地の大学は実験の中で被験者のプライバシーに立ち入ることを奨励しなかった。禁止領域に立ち入った場合は,実際に処罰もおこなわれた。「性欲をそそる目的で誰かの耳に息を吹き込んだことはありますか」と被験者に質問し,謹慎処分になった教授の例もある。
 1960年代に入っても,科学の世界では人がたがいに好意をもったり愛しあったりする過程について,ごく初歩なことしか解明されていなかった。そしてブラックバックの謎が解き明かせない現実に直面して,心理学者は自分たちの知識不足をあらためて思い知った。それが1つのきっかけとなり,何人かの研究者が学問の未開の地に踏み込み,友情や恋愛の心理について調べはじめた。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2013). その科学があなたを変える 文藝春秋 pp.61

歩き方から情動へ

フロリダ州アトランティック大学の心理学者サラ・スノドグラスは,歩き方が感情にどのように影響を与えるか調べることにした。運動が心拍にあたえる影響を調べるという名目で,スノドグラスは2日間に分けて参加者に3分ずつ歩いてもらった。参加者の半数は大股で,腕を振り,背筋をのばして歩くよう指示された。もう半数は小股で,のろのろと,うなだれて歩くように指示された。そして参加者の全員が,歩いたあとに感じた幸福度を点数で答えた。結果には,アズイフの法則の威力が示された。大股で歩いた人たちのほうが,のろのろ歩いた参加者より幸福感を感じる度合いがはるかに高かったのだ。

リチャード・ワイズマン 木村博江(訳) (2013). その科学があなたを変える 文藝春秋 pp.37

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