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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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脳の電気活動

現在の私たちは,てんかん発作が脳内の電気活動が過剰なために起きる行動変化であることを知っている。研究者がてんかんにかかわるこの事実をはじめて知ったのは,1920年代末にハンス・ベルガーが発明したきわめて重大な技術のおかげだった。ドイツで精神科医の職にあったベルガーは,脳機能(心と脳の相互作用)モデルの開発にキャリアを捧げた。脳の血流と脳の温度を行動に結びつける試みが無残にも失敗すると,彼は脳の電気活動に興味を移した。初期の実験では,患者の頭皮の下にワイヤを挿入し,ヒトの脳の電気活動をはじめて記録した。ベルガーは自らの手法を electroencephalogram (脳波=EEG)と命名し,速い波や遅い波など異なるリズムを記録した。非侵襲的な頭皮電極の導入などの一連の技術改良を経て,ベルガーはてんかん,認知症,脳腫瘍など数種の脳疾患で見られる異常な電気活動の記録に成功した。ヒトの脳にかんするこの新しい知見は神経学のありようを変え,脳の生物学にかかわる手がかりを研究者に与えた。

スザンヌ・コーキン 鍛原多惠子(訳) (2014). ぼくは物覚えが悪い:健忘症患者H・Mの生涯 早川書房 pp.29-30
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てんかん

epilepsy(てんかん)とepileptic(てんかんの)という二語は,「捕らえる」または「襲う」を意味するギリシャ語のepilambánein に由来する。てんかんという病気には長い歴史があり,おそらく有史以前の人類にもあったものと思われる。最古の記録は中東のメソポタミア時代にさかのぼる。アッカド帝国(紀元前2334-2154)のある文書には,てんかん発作の記述があり,てんかん発作を起こした人は頭を左に向け,手足を硬直させ,口から泡を吹き,気を失ったという。てんかんの原因は身体的なものであり,食事や衣料品など理性的な手段で治療すべきだと信じる医師がいる一方で,てんかんは超自然的な力によって生じるもので,怒りを鎮めるために清めやまじないで治療すべきだと主張する呪術師や魔術師,にせ医者がいて,両者は何世紀にもわたって議論を闘わせた。

スザンヌ・コーキン 鍛原多惠子(訳) (2014). ぼくは物覚えが悪い:健忘症患者H・Mの生涯 早川書房 pp.26-27

日本人の言語行動

翻訳を専門にしている一人の英語話者に,日本人の言語行動で好意がもてないことについて率直な意見を聞いてみた。これまで述べたことと重なる部分もあるし,個人の見解であるけれども,長年日本語と英語の問題を考えてきた人の意見として紹介し,参考にしてほしい。指摘してもらったことは次のようなことである。

a) too forceful intonation
——高圧的に押しつけるイントネーション
b) asking personal questions like one’s age
——年齢など個人的なことを尋ねる
c) lack of direct eye contact
——視線を合わせるのを避ける
d) inappropriate laughing
——不適切なときに笑う
e) aizuchi interruption
——あいづちで話をさえぎる

水谷信子 (2015). 感じのよい英語・感じのよい日本語—日英比較コミュニケーションの文法— くろしお出版 pp.128

感謝は明確に

日本語の「どうぞよろしく」という挨拶について,「何についてよろしく頼んでいるのかわからないので「こちらこそ」と言うのは不安だ」と言ったアメリカ人がいる。これは,感謝するときthank youだけでなく,for〜を用いて何についての感謝かを明らかにすることと共通している。つまり,一般的にものを言うのではなく個別的にはっきりさせるという態度である。

水谷信子 (2015). 感じのよい英語・感じのよい日本語—日英比較コミュニケーションの文法— くろしお出版 pp.110

explanation

日本の社会では自分に有利になる説明をすることを,「弁明」や「弁解」として低く評価する傾向がある。弁明に相手の時間をとるよりは謝罪してしまう。explanationよりapologyという結果になりやすい。国際化が進んで説明の必要な場面が多くなれば,こうした傾向は少しずつ変わっていくであろうが,現在ではまだexplanation意欲は強力とは言えないのではなかろうか。

水谷信子 (2015). 感じのよい英語・感じのよい日本語—日英比較コミュニケーションの文法— くろしお出版 pp.99

あいづち

あいづちの多様は,話し手と聞き手の文づくりを共同作業と見ることで,共同作業は「寄り添い」の意識の現れであると言える。それに対して英語の談話の展開では,相手が話す間はじっと待つ態度を大切にする。それは相手を他者と認めて尊重することである。談話の展開における待遇表現の重要な要素は,英語は「尊重」であり日本語は「寄り添い」であろう。話し合いの場で日本人が寄り添いの意識を表面に表すと,英語話者は自分の権利を尊重されず侵害されたとしてinterruptionと感じることになる。

水谷信子 (2015). 感じのよい英語・感じのよい日本語—日英比較コミュニケーションの文法— くろしお出版 pp.84-85

遮らない

日本人は,大抵の場合無意識にではあるが,話の流れというものは,話し手だけでなく聞き手もあいづちをうって参加することによって作られるのだと感じている。これは会話についての欧米の人の考えと全く異なっている。欧米では人が話している間は途中で遮ったりせず黙って聞くのが礼儀とされている。

水谷信子 (2015). 感じのよい英語・感じのよい日本語—日英比較コミュニケーションの文法— くろしお出版 pp.70

親愛・寄り添い

英語の待遇表現の重要な要素が「親愛」であるとすれば,日本語のそれは「寄り添い」あるいは「共存」である。英語で親しみを表すために相手の名前を呼ぶことが大切なのは,話す相手を確認して相手との関係を意識するためである。いっぽう日本語ではそのために相手の名前をいちいち確認する必要はない。極言すれば,相手が誰であるかは問題ではなく,自分と場を共有していることで十分なのである。英語で親しさを示すための呼びかけは相手との関係に確認が必要であるが,日本語ではそうではない。相手は共存者だからである。

水谷信子 (2015). 感じのよい英語・感じのよい日本語—日英比較コミュニケーションの文法— くろしお出版 pp.57

呼びかけ

呼びかけの重要性は日本語と英語で全く異なる。英語では主にfirst nameで「親愛」を,family nameと敬称で「尊敬・敬愛」を示すほか,相手に対するさまざまな感情をbuddyやyoung manなどで表すなど,待遇表現機能をもっている。それに対して日本語では待遇表現には多様な方法が使われるけれども,名前を呼ぶことには大きな機能を負わせていないといわなければならない。

水谷信子 (2015). 感じのよい英語・感じのよい日本語—日英比較コミュニケーションの文法— くろしお出版 pp.24

誰もが階段

何度も書いてきましたが,欧米型は誰もが階段を上がる仕組みではありません。一部の特急組と,生涯ヒラコースとに分かれます。対して日本は,「誰もが階段を上り続ける」社会。
 この「一見,恵まれているように見える」仕組みが,女性,とりわけ出産を経験した女性を産業界から追い出すことになっているのです。
 近年では,大企業を中心に,産休や育休,短時間復職などの幼児を抱える家庭向けの仕組みが整いつつあります。これで,子育てをしながら働き続けることは,原理的には可能となりました。しかし,日本型「誰もがエリート」社会はそれを許さないのです。

海老原嗣生 (2013). 日本で働くのは本当に損なのか:日本型キャリアVS欧米型キャリア PHP研究所 pp.148-149

ブラック要素

ですから,私はブラック企業かどうかを見分ける有力な手法として,十年勤務した時に,担当する仕事の大きさ(金額)がどれくらい大きくなっているか,を挙げています。
・二倍にもならない→ブラック企業の要素がある。
・管理職になっている→それだけ底が浅い→ブラック企業の要素がある。
・まだ管理職ではないが,五倍以上になっている→下積みが生きる企業。
 習熟期間が短い企業は,いくらでも代わりの人材が見つかる。そうやって,使いまわして,数年で辞めてくれれば,いつでも,フレッシュで安価な労働力を確保できる。それで,ブラック企業は成り立つわけです。

海老原嗣生 (2013). 日本で働くのは本当に損なのか:日本型キャリアVS欧米型キャリア PHP研究所 pp.135

ズレはどこに

かつて高卒就職していた層まで大学へ進学するようになったため,大学は変質していきました。90年代以降に新設された大学のほとんどが,偏差値50以下となります。そう,大学は学力面では下方にウィングを伸ばしました。
 その受け皿となる「膨れた大学相応の雇用」を考えなければいけないのに,現在の大卒就職論議は,ほとんどが経団連を中心とした,最上層部の採用慣行の注文となっている。ここに大きなズレが生まれているのです。こうした超大手が新卒一括採用を崩して通年採用にしても,既卒三年新卒扱いにしても,採用数自体が非常に少ないのだから,大きく膨れた大学生を受け止めることなどできないでしょう。
 同様に,大学生に職業教育を施し,即戦力にすべきという議論にも,疑問を禁じえません。そうして即戦力になったとしても,やはり超大手の採用は少なく,彼を受け止めきれない。だから,その受け皿の多くは中小となります(たしかに教育的コストが厳しい中小企業には嬉しい施策ではありますが)。
 明らかにズレているのです。

海老原嗣生 (2013). 日本で働くのは本当に損なのか:日本型キャリアVS欧米型キャリア PHP研究所 pp.128-129

シニオリティ

日本の場合,リストラともなると,とかく,熟年者が対象となりがちです。そのために,追い出し部屋などを用意して,厳しい締めつけの中で,自主退職を迫る,という新聞記事をよく見かけますね。
 なぜ日本は熟年層なのか。それは,「みなが階段を上る」年功制のために高給であり,一方で階段を上ったことで管理ポジションに身を置くため,日々こなす営業や設計や事務処理のような実務がないから,ともいえるでしょう。つまり,彼らをクビにすると,大きな人件費削減ができ,しかも,日々の業務運営で困ることも少ないから,です。
 一方,欧米はどうか?
 欧米の場合,大多数を占める非エリートならば,年功昇給は少ない,と書きました。しかも,少数の抜擢された人間以外は,一生,ヒラとして実務に従事する社会です。
 とすると,業務遂行能力の高いベテランが安い給料で雇われていることになります。会社にとって,有用性の高い彼らを容易にクビにするわけがないでしょう。その結果,解雇の対象となるのは,習熟度の低い若い層となる。これが,シニオリティの根拠なのです。

海老原嗣生 (2013). 日本で働くのは本当に損なのか:日本型キャリアVS欧米型キャリア PHP研究所 pp.103-104

全員か突出か

対して欧米では,エリートに関しては猛烈に速く成長させる仕組みになっている。その一方で,そこに入れなかった人たちには,「あなたは今の仕事を,一生やっててください」形式が採られているともいえます。
 この違い。全員をゆっくり鍛えて,全体パフォーマンスとしてそれなりのレベルを維持するか,少数の異能者を徹底的に鍛えてあとはそこそこで全体のパフォーマンスを維持するか,の違いなのです。欧米型の良い点である「少数異能者の突出した能力」ばかりを見て,羨望の眼差しを送るようでは,現実を見ていないといえるでしょう。

海老原嗣生 (2013). 日本で働くのは本当に損なのか:日本型キャリアVS欧米型キャリア PHP研究所 pp.56

茹でガエル

こんな形の日本型人事のことを「茹でガエル」などといいます。新卒者にいきなり大手法人を担当させて,社債や株式も全部やれと言ったら,「熱すぎ」て飛び出てしまうでしょう。ところが,こうやってちょっとずつ育てるので,脱落者が少なく,みな,いつの間にか「熱い」世界に耐えられるようになる。
 これは商社でも同じ。三十代中盤で台湾新幹線やベトナムの原子力発電所のプロジェクトを率いている人は,年間数千億円を動かしています。こんなの,茹でガエルで覚えなければ,無理でしょう?
 メーカーもまったく同じ。やはり,三十代中盤には,工場と開発担当とマーケティング担当の間に立って,何百もの販売代理店を管理できるようになっている。
 つまり,日本の企業は,一糸乱れぬ形でみなをゆっくり育て,いつの間にか大きな仕事ができるようにしているのです。結果,三十代中盤になると,二十代の時の五倍,10倍の売上を上げるようなポジションに就いている。だから二十代の間は,「ぞうきんがけ」と呼ばれるのです。

海老原嗣生 (2013). 日本で働くのは本当に損なのか:日本型キャリアVS欧米型キャリア PHP研究所 pp.54-55

遅い人は…

欧米企業は,昇進が速い。ただ,それは「実力を認められた一部の人」の話なのです。こう書くと,「遅い人はすごく遅いんだろうな」と考えるでしょう?しかし,その感じ方自体が本当に「日本的感覚」としか言えません。
 正解は,「遅い人は,一生ヒラのママ昇進できない」のです。

海老原嗣生 (2013). 日本で働くのは本当に損なのか:日本型キャリアVS欧米型キャリア PHP研究所 pp.50

何に向いているか

つまり,入り口では何に向いているか,分からないのが仕事というものです。
 日本型は,だから入職の時に学部をあまり気にしません。若年時代は,社会での職歴さえ,それほど気にしない。それよりも,異動による社内再チャレンジで,一番適性のあるところに再配置されていく。この仕組みはかなり合理性が高いのです。
 というところで,企業側から見ても,働く個人から見ても,「人に給料がついて回る」仕組みのメリットはけっこう大きいのです。
 逆に,欧米型だと,転職は容易で,違う企業での再チャレンジはいくらでも可能です。だけれども,「営業に合わないから経理に行きたい」という時,これができません。社内異動はもちろん,転職でもそれはかなわないでしょう。
 もし職務チェンジを考えるなら,あとはもう一流の大学院に入り直して,専門的な勉強をするくらいしかないでしょう。たとえば,組織心理学を学んで人事に行ったりとか,ファイナンスを学んで財務に行ったりとか。こんな形で,大学院に行かなければ職務チェンジができないという問題がある。
 欧米では産・学が非常に近い関係にあるといわれますが,裏を返せば,職務チェンジを希望する時には,大学院に行くしかないという現実があるからなのです。

海老原嗣生 (2013). 日本で働くのは本当に損なのか:日本型キャリアVS欧米型キャリア PHP研究所 pp.29-30

良し悪し

日本は,ポストがなくても能力の研鑽で昇給も昇格も可能です。つまり,上位ポスト者を蹴落とす必要がありません。だから上司は安心して部下を教えられる。つまり,和気あいあいと,上司が部下を教える好循環が生まれます。
 対して,欧米の場合は,職務がないと昇給も昇格もできません。能力アップした人はポストを欲しがることになります。とすると,上司は部下を指導しづらくなるでしょう。だから,欧米型企業の部下教育となると,上司に対して,職務ミッションとして「教育」を盛り込み,これをやりなさい,やらないと評価しないよと義務を背負わせない限り,スムーズには進みません。

海老原嗣生 (2013). 日本で働くのは本当に損なのか:日本型キャリアVS欧米型キャリア PHP研究所 pp.24

能力主義と職務主義

日本は人で給与が決まる。この場合,「人」とは,人の能力を指します。つまり能力で給料が決まる。だからこれを「能力主義」といいます。
 対して,欧米は仕事(職務)で給与が決まる。だから「職務主義」という。
 こんな基本中の基本用語でさえ,ほとんどのマスコミが誤って使っていたりします。能力主義という語感から,自分のもっている能力で仕事を勝ち取り,のし上がっていくという,実力主義とか成果主義と同じようなイメージで使われがちなのです。たとえば,「日本はいま年功序列でダメだから,能力主義にしろ」と。日本型雇用の一番根幹にある能力主義が,こんな間違った使われ方をしています。

海老原嗣生 (2013). 日本で働くのは本当に損なのか:日本型キャリアVS欧米型キャリア PHP研究所 pp.20

木戸を突かれる

寄席演芸会の最後のピークとも言える東京オリンピックが開かれた昭和三十九年から大阪万博の催された昭和四十五年にかけて,おびただしい数の入門志願者があった。
 テレビは白黒からカラーに代わり,『笑点』『お笑いタッグマッチ』『お笑い七福神』『大正テレビ寄席』等々,いくつもの寄席番組が人気を博した。関西に,松鶴,米朝,小文枝,春団治の四天王はいたものの,まだ可朝,仁鶴,三枝のブームはこなかった。マスコミにおける演芸会のスターは,東京の落語家だった。団塊の世代と呼ばれる若者はそんな姿に憧れ,こぞってその門を叩いたのである。
 昭和四十五年一月,人形町末広がその幕を閉じた。談四楼は,客としてそれを見た。マスコミ人気と観客動員との間に,微妙なズレが生じていた。
 談四楼が落語家になった昭和四十五年三月,すでに高座のない二ツ目があふれていた。人形町末広の後を追うように,目黒名人会の灯が消えたのは昭和四十六年のことだった。六軒の定席が四軒に減り,二ツ目には高座がない。その傾向は,昭和五十年代に入って更に拍車がかかったようだ。
 「あ,もしもしお客様,入場料を……」と客に間違われる,いわゆる木戸を突かれるという現象があちこちで見られた。寄席の従業員が,滅多に会うことのない二ツ目の顔を,あるいは多過ぎる二ツ目の顔を,覚えないのである。

立川談四楼 (2008). シャレのち曇り(文庫版) ランダムハウス講談社 pp.184-185

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