「君の今の,落語家になりたいという気持ち,それはまさに情熱と呼んでいいもんだ。だがな,情熱はいつか冷めるんだ。考え直せ,やめなさい。期間をおいて冷静に考える,というのもひとつの手だ。大学を目指す,家業を継ぐというのも方法だろう。
しかし,こうも言えるだろう。青春にあって,一途にこれになりたいという職業があるにもかかわらず,他の職業,他の道を選択してしまう,もしくはそうせざるを得ないということは,生涯において後悔する,悔やみきれないという結果になる。ま,こういうことは世間によくあるこったがな。また,それをひきずりながら生きてゆくというのも,ひとつの人生であるがだ。さらに難しいことに,僕には弟子を育てる義務があるのですよ。現に僕は,そうやって小さんに育てられた。芸の伝承とひと口に言うが,これは伝えていかにゃならんのだ。落語家ならみんなそうだ。そして,いきなりの落語家なんていやしないという事実だ。最初は君のように学生であり,またはサラリーマンであり,いわゆる素人なんだ。だから正直に言うと,なれとも言えんし,なるなとも言えんのですよ。ま,後進の才能を見極める力もあるつもりだし,その資格はあるつもりだが,他人の人生を左右する権利は持っとらんのだ。渡ろうか」
立川談四楼 (2008). シャレのち曇り(文庫版) ランダムハウス講談社 pp.50
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