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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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じっくり考えること

だからこれを学生側から見れば,「自分にわざわざアプローチしてきてくれる企業」がもしあるならば,それは自分がその企業にとても欲しがられているということだ。業界大手ではないかもしれない,一見自分の専攻とは関係ないかもしれない,とても小さな規模かもしれないが。
 わざわざ企業がコストと時間をかけ,声をかけてきているのだ。わざわざ大学まで,地方まで来てくれているのだ。そういう会社に入れば,無理してギリギリ入社できる会社よりも,期待され活躍できる可能性が高いのだ。なんとなくのイメージでそういう企業からのアプローチを無視するのではなく,目の前で手を差し伸べてくれる企業にも,目を向けてみるべきである。
 多くの成長企業の役員,経営陣が,まだその会社が無名の頃に入社して,会社を成長させてきたという話を聞く。今,世間でよいイメージの会社を選ぶのか,これから20年後に成長している会社を選ぶのか,そこはじっくり考えるべきだ。

太田芳徳 (2013). リクルートを辞めたから話せる,本当の「就活」の話:無名大学から大手企業へ PHP研究所 pp.46-47
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就職活動生のイタさ

企業が行う採用活動は,当たり前だが慈善活動や,教育を施す場ではない。また通常のサービスを提供する場でもない。だから全員に平等に何もかもが与えられる場ではない。だから全員に平等に何もかもが与えられる場ではない。説明会に申し込んでも,大学名で選別され参加できないこともある。面接の時にはニコニコ笑って話してくれても,理由も教えられずばっさり不採用になることもある。今までの教育の場であれば,機会は平等に与えられた。忘れ物事務局が準備してくれ,申し込みを忘れれば,学校が声をかけてくれ,欠席が続くと叱ってくれたりした。
 しかし就職活動は「社会の一部」であり,社会の当たり前のルールがいきなり予告もなくて起用されるのである。これを知らずにいると,とんでもないことになる。大学生が希少な存在であり,企業に余裕のある昔とは違う。ここについてもはっきりと学生に現実を教える人がいない。
 企業の人事担当者と話をしていると,ここ最近の就職活動の「イタさ」が話題になることが多い。これは昔からある「最近の若者は」という話ではない。明らかに自分の言葉ではない概念語を,しかも用法を間違って使いながら,壊れたテープレコーダーの再生ボタンを押したように,訳のわからないことを一方的に話し続ける学生のことを指している。ことに大学での就職支援が取り上げられるようになってから顕著だ。
 しかしこの「イタさ」を企業が学生や大学に伝えることはない。義務もなければ,伝えたところで無用な誤解や批判を受けるであろうし,きちんと理解されるように説明するとなると,膨大な時間とコストをかけなければならないからだ。

太田芳徳 (2013). リクルートを辞めたから話せる,本当の「就活」の話:無名大学から大手企業へ PHP研究所 pp.6-7

大名屋敷の東京

文京区本郷の東京大学は,ほぼそっくりそのまま加賀前田家の大名屋敷に立つ。前田家は百万石だから屋敷も広かったのだろうが,新宿御苑は信州高遠内藤家3万3千石の屋敷跡で,3万石でもたいしたものだ。
 ひと口に三百諸侯と呼ばれる大名は,江戸に上・中・下の三つの屋敷をおいていた。さらに,抱え屋敷という別邸を持つ大名もいたため,江戸のまちは大名屋敷だらけになった。大名屋敷には,池のある大きな庭があった。つまり,大名屋敷だらけの江戸のまちは,庭園だらけのまちでもあった。大阪や横浜などと比べ,東京の中心部に緑が多いのは,この遺産にほかならない。
 明治維新後,広い敷地面積を持った大名屋敷は官庁街や民間のビル,住宅などに姿を変え,東京の発展を支えた。大学や公園として使われたものも東京大学や新宿御苑だけでなく,枚挙に暇がない。
 大名屋敷は官や軍の用地に使われたり,大きな施設ができるなど,まとまった土地利用がなされていた場合,都市改造の格好のネタ地にもなった。
 代表例は,長州毛利家の屋敷から陸軍用地,防衛庁・自衛隊用地を経て,今の姿に至った六本木の東京ミッドタウンだろう。同じ六本木の六本木ヒルズは,周辺の密集市街地を含めた再開発だが,中心のテレビ朝日は,元をたどれば長府毛利家の屋敷跡。だから六本木ヒルズには毛利庭園がある。
 きりがないので詳しい話は省くが,赤坂サカスも,汐留シオサイトも大名屋敷の跡。港区に富の集中が進んだ背景として,都心での生活に適合すべく高い機能を備えたこれらの施設が果たした役割は大きい。とするなら,今日の港区の繁栄は,江戸から続くハードの集積の上に立っていることになる。

池田利道 (2015). 23区格差 中央公論新社 pp.258-259

核家族はすでに

第1回の『国勢調査』が行われたのは1920(大正9)年にさかのぼる。
 その結果を見て,衝撃が走った。わが国の家族形態の基本と考えられていた,多世代が同居する直系家族家庭が3割にとどまる一方で,核家族が54%と過半数を占めたからだ。核家族化の進展というと,戦後高度成長期のできごとのように考えがちだが,実はわが国は,大正時代から核家族化していたのである。

池田利道 (2015). 23区格差 中央公論新社 pp.130

西高東低

総じて東京の大学の立地は,西高東低の傾向がある。
 地理的には都心に位置するものの,地形的には東部に近い中央区も,本部があるのは聖路加看護大学だけにとどまる。一番大学生が多い区は,有名私大の本部が集まる千代田区だ。2位と3位は文京区と新宿区の接戦で,世田谷区がこれに続く。

池田利道 (2015). 23区格差 中央公論新社 pp.110

世代のサイクル

戦前から戦後の初めに移住してきた山の手第1世代のときは,ストックが生きた。100坪なら売れなくても,3分割なり4分割なりすれば買い手がついたからだ。
 とはいえ,限度を超えて再分割されてしまうと,まちの環境が悪化する。そこで世田谷区が「小規模宅地開発指導要綱」を定め,ミニ開発の抑制を始めたのは1980年。戦後35年目のことであった。
 1回目のサイクルはこれでなんとかしのぐことができた。しかし2回目のサイクルとなるとそうはいかない。土地は,もう切り刻みようがない。子どもが家を建て直して住んでくれれば丸く収まるが,マンションがいいとなればそれまでだ。住宅余りの時代だから,果たしてうまく買い手が現れるかどうかも不安が残る。
 その結果どうなるか。まるで歯が抜けたように,無住の家をあちこちに生み出してしまう。更地にするには費用がかかるし,とりあえず家を建てたままにしておけば固定資産税が最大で6分の1に減免される。だが空き家の発生は,犯罪や火災の危険度を高め,まちの風紀を悪化させてしまう。
 空き家問題は,団地問題の「まち版」である。この最悪のシナリオが23区の中で具体化するリスクが最も高い場所,それが定住先として屈指の人気を誇る山の手エリアにほかならないのだ。

池田利道 (2015). 23区格差 中央公論新社 pp.51-52

サザエさんの家

アニメ『サザエさん』が住むまちは,作者の長谷川町子が住んだ世田谷区の桜新町をモデルとするのはよく知られたところ。サザエさんの家は,2世帯7人家族が暮らす庭つき一戸建て。しかも平屋だ。
 物好きな人が計算したところによると,敷地は93坪。波平は,医者でも高級官僚でも大会社の重役でもなく,中堅会社の中間管理職に過ぎない。それでも,敷地100坪の家に住んでいたことになる。
 サザエさんはアニメだから,登場人物は年を取らないし,家も古くならない。しかし,現実世界は,人にも家にも寿命がある。わが国の木造住宅の寿命は30年といわれるが,実際にはもう少し長持ちするようだ。
 それでも35年から40年も経つと老朽化が目立ち,小手先の修復では済まなくなる。それ以上に,家の造りが時代に合わなくなり,どうしようもなく住みにくくなる。ここに,ちょうど同じサイクルで人の問題が加わってくる。

池田利道 (2015). 23区格差 中央公論新社 pp.50

フローの課題

これらの事実は,まちの新陳代謝を生み出すことが,高齢化対策の特効薬になることを示している。もちろん,全国レベルで見ると高齢者は一方的に増えていくのだから,どこかで高齢化の進展が抑制されると,別のどこかがそのしわ寄せを受け,格差が拡大することになる。格差を否定するのなら,子どもを増やして分母を大きくするしかない。
 繰り返しになるが,まちに新陳代謝を生み出すのはフローの課題である。一方,子どもを増やすのはストックの課題だ。両者のバランスを図ることの大切さがここにも示されている。

池田利道 (2015). 23区格差 中央公論新社 pp.41-42

ストックとフロー

経済学に「ストック」と「フロー」という考え方がある。人口の動向に関していえば,ストックとは自然増減に関すること,フローとは社会増減に関することと言い換えることができるだろう。これに照らすと,少子化とは「ストック」の問題である。
 ストックをこれ以上減らさないために少子化の流れを変えないと,日本の未来が危ういということに異論はない。しかし,この難題に一地方公共団体が対応できる範囲には限界がある。その一方で,魅力あるまちづくりを通じ,社会増を生み出すというフローへの対応は,どこだろうと努力次第で成果をあげることができる。
 少子化のような問題は,国家施策としてのストックの課題への対応と,地方施策としてのフローの課題への対応が両立したとき,はじめてバランスのとれた答えを導き出すことができる。逆に,これらの課題を混同したり,取り違えたりしてしまうと,思わぬ落とし穴にはまり込んでしまう。

池田利道 (2015). 23区格差 中央公論新社 pp.35-36

子どもも集中

全国の子ども(0〜14歳)の数について,2000年と2010年を比べると,ほぼ鹿児島の人口と等しい167万人(9.0%)も減少した。ところが,この10年間に子どもの数が増えた都道府県がふたつだけある。
 ひとつは神奈川県の0.3%増。そしてふたつ目が東京都。こちらは4.0%増。23区で見ると,これをさらに上回る5.1%の増加を示す。
 0〜4歳の幼児人口に着目すれば,もっと顕著だ。全国の10.3%減に対し,東京23区は8.2%増。少子化どころか,子どもも東京に一極集中している。

池田利道 (2015). 23区格差 中央公論新社 pp.34-35

一つの区の多様性

たとえば板橋,有楽町,八重洲,神田,秋葉原。これらのまちが何区にあるかをご存知だろうか。板橋は港区。八重洲は中央区。残る有楽町,神田,秋葉原はいずれも千代田区。全問正解者は相当の東京フリークだと自慢してもいいだろう。
 個人的な話で恐縮ながら,筆者は千葉県の船橋市に住んでいる。人口は杉並区を上回る62万人。
 数字だけ見れば東京23区を除くと,20の政令指定都市に次ぎ,全国で21番目に人口が多い大都市である。ところが,圧倒的多数の人は船橋市と聞いても「船橋」の駅かその近辺しか思い浮かばないのではないだろうか。全国の都市の大部分は船橋市と同じで,名前を聞いても代表的な拠点くらいしか思い浮かばない「渋谷型」である。
 ひとつの区に多様な特徴を持つまちが同居する「杉並型」が多数を占める東京は異色の存在であり,これが東京23区の大きな特徴でもある。

池田利道 (2015). 23区格差 中央公論新社 pp.26-27

その人の本質

「十人に好かれる人は偽善者。十人に嫌われる人は悪党。五人に好かれ五人に嫌われる人こそ本物の善人」
 この言葉をいろいろな人に当てはめてみると,見事にその人の本質が見抜けますよ。
 落語家であれば,おっちょこちょいなところも魅力になります。すぐに天狗になるのもいいでしょう。しかし,おごり高ぶってはいけない。
 落語に対し,おごり高ぶらず,健気でなければ,芸能の神様はすぐにそっぽを向いてしまうと思うのです。

立川志らく (2009). 雨ン中の,らくだ 太田出版 pp.243

言葉による不条理の世界

でも落語の行き着くところはそこではないのです。
 言葉による不条理の世界。
 映像を頭に浮かばせるだけならば,講談もあるし浪花節もある,朗読だっていい。落語が今日まで生き延びてきたのは,落語のどこかにこの不条理があったからです。
 人間は不条理を求める。それは常識の世界で生きているから,不条理を欲するのです。

立川志らく (2009). 雨ン中の,らくだ 太田出版 pp.198

最低限のマナー

だいたい金を払っていれば何をしてもいいという考えが間違いです。最低限のマナーがあります。ゴルフのグリーン上での勝負のときは客は移動してはいけないし,テニスの観戦では静かに観ないといけないし,電車の中での携帯電話もそうです。落語会だって同じではないですか。落語は客の想像力に訴える芸能。横に酔っ払いがいて騒がれたら,落語なんて聴いていられません。

立川志らく (2009). 雨ン中の,らくだ 太田出版 pp.178

落語とメロディ

メロディとは演者の個性。歌謡曲でいうところのひばり節であり,三橋美智也節。落語の名人は例外なくこのメロディを持っています。メロディのない人,薄い人は人気は出ません。聴いていても魅力に乏しく,もう一度その人の噺を聴こうと思えないからです。

立川志らく (2009). 雨ン中の,らくだ 太田出版 pp.25

自分が特別

「…王家の人々はほんとうのことがお嫌い。なぜならそれを聞くことがめったにないからです。そしてためにほんとうのことをいわれると,歯に衣着せぬ無作法ものだといって怒る。
 王女さまは自分が特別だと思っていますね。名前に『さま』なんてついているくらいですからね。でもだからといってあなた方が偉いというわけじゃありません。そんなものがついていても,いい子とはかぎりませんからね。世界はただじぶんの楽しみのためだけにあると思っているんでしょう。だから人に命令したり人を苦しめたりしてもおかまいなし。でもわしはあなたに別のことを教えました」

マリー女王 長井那智子(訳) (2008). わしといたずらキルディーン 春風社 pp.123-124

ホルモンと人格

フィッシャーはホルモンと人格の関係のあらましを説明する。ドーパミンが優勢な人々は“冒険家”で,リスクをおかすことに楽観的だ。セロトニンが形成する“組織者”は,静かで落ち着きがあり,集団をまとめるのがうまい。テストステロンに満ちているのは“支配者”で,三分の二を男性が占める。論理的な分析を得意とし,音楽を好むことが多いという。まるで<ニューメラティ>の説明を聞いているようだ。エストロゲンが脳を駆けめぐる“仲裁人”は,話し好きで洞察力があり,他人とつき合うのがうまい。おそらく,交渉をするために生まれてきたのだろう。だが,ときには,「あまりにも従順で,事なかれ主義におちいることがあります。そのため,本人の真意が周囲に伝わりません」

スティーヴン・ベイカー 伊藤文英(訳) (2015). NUMERATI ビッグデータの開拓者たち CCCメディアハウス pp.244

ホルモンと性格

1990年代の終わりごろ,フィッシャーは生物学による人格分析に興味をもち,遺伝子や神経伝達物質,とりわけホルモンについて調べはじめた。研究材料の一つとして,「恋愛に取りつかれた」人々の脳を断層撮影した写真も使われた。その結果によれば,人格は四種類のホルモン,具体的には,エストロゲン,ドーパミン,セロトニンによって決まり,人間は自分に欠けている性質を補う相手に引かれるという。ケミストリー・ドットコムのアンケートは,それぞれのホルモンが支配する4つの性格への分類を意図している。質問の大部分は,ホルモンの作用と思われる気分や振る舞いについて尋ねるものだ。そのほかの指の長さを比較するような質問は,もっと生化学的な裏づけのある証拠を見つけようとしている。研究結果によると,人差し指が薬指よりも短いのは,胎児のときからテストステロンが優勢だったためらしい。一方,人差し指が長ければ,エストロゲンのほうが多いという。

スティーヴン・ベイカー 伊藤文英(訳) (2015). NUMERATI ビッグデータの開拓者たち CCCメディアハウス pp.243-244

ブートストラップ

装置が増え,データの量が多くなるにしたがい,コンピューターは自分で数値を調整し,確率を正確にしていく。このような学習を,フィリポウスは「自助努力(ブートストラップ)」と呼んでいる。「この種類のモデルは十分に整然としているので,自分自身の教育が可能なのです」。自助努力での学習が進むにつれて,わたしたちが一瞬ごとに何をしているかの推測は,ますます当たるようになる。

スティーヴン・ベイカー 伊藤文英(訳) (2015). NUMERATI ビッグデータの開拓者たち CCCメディアハウス pp.214

NSAと数学者

このような技術が確立されると,人間の言葉から計算される企業の得点は,消費者の意見の移り変わりを刻々と追跡する指標になる。アンブリア・コミュニケーションズも,その商売敵であるニールセンやグーグルも,この分析によって得られる見識がマーケターや政府の役人や政治家に高く売れると確信している。さらに,人間の言葉の分析がもっとも精力的に進められている領域は,むしろ人目につかない世界かもしれない。2001年の同時多発テロをきっかけに,アメリカの諜報員はインターネットや電話での大量の通信を監視するようになった。アメリカ国家安全保障局(NSA)には国内でもっとも多くの数学者が集められ,更新の内容をつねに掘り返している。

スティーヴン・ベイカー 伊藤文英(訳) (2015). NUMERATI ビッグデータの開拓者たち CCCメディアハウス pp.141-142

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