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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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ブログの分析

こうした研究によって,従来の調査手法はお払い箱になる。マーケターが指図しなくても,ブログには何百万という質問への答えが自発的に書き込まれる。「テレビのクイズ番組『ジョパディ!』では,回答が先に与えられて,解答者は対応する質問を考えます。ある意味で,わたしたちの仕事も同じです」とカウシャンスキーが語る。「特定の車や映画について,人々がすでに好きだとか嫌いだとか宣言しています。その回答にふさわしい質問を探すのです」

スティーヴン・ベイカー 伊藤文英(訳) (2015). NUMERATI ビッグデータの開拓者たち CCCメディアハウス pp.139-140
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他分野から

つまるところ,いまのあなたが意識もしていないような買い物パターンを解き明かすのは,ウォルマートやグーグルの研究者でも,ガニが働くアクセンチュアの一員でもないかもしれない。その人物は,ひょっとしたら,いまはミミズとかナノメートルの精度の微細加工技術とかの研究をしていたり,選挙結果が浮動票に左右される州で民主党支持者の振る舞いを分析している可能性もある。
 たとえば,マイクロソフトのデーヴィッド・ヘッカーマンは,受信される電子メールからスパムメールを除外するプログラムの開発に専念していた。無差別に送られてくる広告メールは,かなり堅牢になったセキュリティの隙を突くために,特徴的なパターンをどんどん変えていく。その様子は,自然界における生物の突然変異に似ている。このような変化を予想するのも,プログラムに求められる機能の一つだ。コンピューター科学者だが医者でもあるヘッカーマンは,メールの変異に追随する手法が確立されれば,医学にも応用できると考えていた。そこで,当然のように,2003年,興味をエイズの病原であるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に移した。「使っているプログラムはまったく同じです」。スパムメールの検出で実績を積んだプログラムから,いずれはエイズワクチンが生まれるかもしれない。
 このように,<ニューメラティ>の世界では,大躍進のきっかけはどの領域でも起こりうる。

スティーヴン・ベイカー 伊藤文英(訳) (2015). NUMERATI ビッグデータの開拓者たち CCCメディアハウス pp.83-84

些細な関連でも

そこで,データマイニングの出番になり,買い物客のデータのさまざまな組み合わせが試される。わたしたちの振る舞いがいったん四種類の記号に置き換えられたら,遺伝子のパターンを検索するアルゴリズムが適用できる。コンピューターはうなりながら,実際に何十億という組み合わせを調べはじめるだろう。その努力のほとんどは無駄骨に終わる。たとえば,芽キャベツと砂糖入りシリアルの両方を買う人々は,スイス製チョコレートも平均より多く買うだろうか?
 まともな神経の持ち主なら,そんな組み合わせをわざわざ試したりはしない。だからこそ,コンピューターにはうってつけの仕事なのだ。命令されるだけで,人間には予想もできない相関関係を見つけるかもしれない。ある種の乳がんやハンチントン病の発症に関与する遺伝子領域を医学者に示すように,缶詰を買う人に勧めるべき果物とか,イヌの餌を買う人に勧めるべき雑誌とかを教えてくれるだろう。どうでもいいような提案だと思ってはいけない。宣伝をバケツごとに微調整することで,売り上げが2パーセントでも伸びれば,「マム」のシャンパンのコルクをぽんと抜く理由になる。なにしろ,利益率が0.1パーセント単位で見積もられる業界なのだ。

スティーヴン・ベイカー 伊藤文英(訳) (2015). NUMERATI ビッグデータの開拓者たち CCCメディアハウス pp.82-83

チョウ

クマールが買い物客をたとえた生物は,フジツボだけではない。小売業者が同じように気をつけなければならないのは,「チョウ」と呼ばれる顧客だ。ときどき店舗にふらりとあらわれ,散財をしていくが,何か月あるいは何年たっても姿を見せない。まったく当てにならないので,むやみにかまっても徒労に終わる。「チョウを追いかけてはいけません」とクマールは警告する。だが,その振る舞いをよく調べることで,才覚のある小売業者には「真の友達」,つまり常連に変わるチョウがわかるという。

スティーヴン・ベイカー 伊藤文英(訳) (2015). NUMERATI ビッグデータの開拓者たち CCCメディアハウス pp.76

フジツボ

経営者にとってもっとも不愉快な買い物客は,「フジツボ」と呼ばれている。この生物にたとえたのは,マーケティングのコンサルタントでもあるコネチカット大学のV.クマール教授だ。小売業者にとって,フジツボほどいやな顧客はいない。この連中は,切り取った割引券を手に,店舗から店舗へと車で乗りつけて,大幅に値引きされる商品だけを買っていく。船底に付着したフジツボのように,他人まかせに動きまわる。小売業者の利益にならないどころか,損失をもたらすこともわかってきた。売り上げデータをすべて取り込むことで,個々の顧客ごとに利益や損失を予想する計算が可能になった結果だ。ラルフ・ローレンやプロクター・アンド・ギャンブルをクライエントに持つクマールに言わせれば,小売業者は収益悪化につながりそうな顧客を「締め出す」べきだという。
 このことは,筋骨隆々の用心棒を雇い,入店を阻止するという意味ではない。だが,同じ効果をもたらす手段がいくつかある。まず,ダイレクトメールの送り先名簿からフジツボをはずす。店内でも,だんだんと対抗措置が取られるようになるだろう。正真正銘のフジツボがスマートカートを押していたら,定価のキャビアやトリュフの広告でスクリーンを埋め尽くし,不快にさせるのも効果的かもしれない。インターネットでは,お呼びでない顧客への嫌がらせがはるかに簡単だ。オンラインストアでは,すでにフジツボを広告で執拗に攻め立てている。さらに,本の中面の閲覧や,有能のポルノサイトにおける無料画像のダウンロードでは,もっとも低速のサーバーに切り替え,延々と待たせようとする。

スティーヴン・ベイカー 伊藤文英(訳) (2015). NUMERATI ビッグデータの開拓者たち CCCメディアハウス pp.74-75

宇宙で最も洗練されたコンピュータ

情報はわずかしかなく,お粗末なほど表面的だ。たとえば,あなたが会議室で5人の同僚とマーケティングの新戦略を練るとき,どんな思考が働くだろうか?それは現実世界での典型的な活動だ。人間の脳は,あきらかに宇宙で最も洗練されたコンピュータで,驚くほど多岐にわたるデータを処理する。鼻で笑われたり,無視されたり,それとなく皮肉をいわれたり,軽蔑のまなざしを向けられたりすることまで見落とさない。においと音を結びつけ,過去の記憶や教訓とも関連させる。ほかの5人の言葉と表情と身振りのすべてを合わせると,脳に集まってくる信号は何千,いや,何百万にもなる。ヴァージニア大学の心理学者ティモシー・ウィルソンの著作『自分を知り,自分を変える』によれば,脳には五感から毎秒1100万個の本質的に異なる信号が流れ込んでくる。
 現在のコンピューターには,それほど大量の入力は処理できない。IBMが使う数学モデルは,従業員1人につき5個から10個のデータを取り込むだけだ。わたしの飼いイヌでさえ,人間の性質をもっと深く観察している。それでも,わたしたちがいったんデータとして表現されると,コンピューターは超人的な計算をはじめる。1秒とかからずに,何百万人,何億人ものデータを集計したり,そのなかから同じデータを探したりする。大規模で効率的な処理からは,新しい見識が期待できる。

スティーヴン・ベイカー 伊藤文英(訳) (2015). NUMERATI ビッグデータの開拓者たち CCCメディアハウス pp.41-42

データの奴隷

職場には,おそらくほかのどんな場所よりも,わたしたちがデータの「奴隷」になり,自分の生み出した情報に縛られる危険がある。いまやキーボードで入力した内容は,すべて記録し,数学的に分析できる。もしも上司が望むなら,部下が書いた電子メールに出現する単語の統計も取れる。その結果を,頻度が高いほど大きな文字で表示することも可能だ。部下としては,自分が売っている薬とか,勧めている株の銘柄とかの名前よりも,「映画」や「ビール」のほうが大きく表示されないことを祈るしかない。ウォール・ストリート・ジャーナル紙をインターネットで読むことも,分析の対象になる。どの記事を読んだかは,雇用者に筒抜けだ。さらには,人々が交わす電子メールの宛先を集計し,人間関係を浮かびあがらせるソフトウェアも売られている。
 このような道具を駆使すると,従業員の生産性,仕事への満足度,同僚との相性などについて,信頼度の高い結論を引き出せる。仲間との共同作業において,結局のところ,あなたがどう振る舞うかが見えてくる。マイクロソフトが2006年に特許出願した技術では,オフィスで働く人々の心拍数,血圧,皮膚の電気抵抗,顔の表情などを監視する。その目的は,労働者が感じる欲求不満やストレスの高まりを検知して,管理職に警告を出すことだ。

スティーヴン・ベイカー 伊藤文英(訳) (2015). NUMERATI ビッグデータの開拓者たち CCCメディアハウス pp.33

家計と決断

子供をもう一人望む親は,家計簿を見ながら難しい決断を迫られるにちがいない。子の将来を想像しながら,せめて自分と同じ程度の生活水準を維持してほしい,と思うのが親心であろう。そのためには,どのような学校に通わせなければならないのか。子供達はみんな公立の学校でよい,と考えれば一人約1000万円プラスで教育できる。幼稚園から大学まで私立学校に子供を通わせるつもりでいる親は,約2400万円を準備しなければならない。しかし,もう一人の子をあきらめると,以上の金額は,その他の子育てコストとともに,まるまる家計簿に残る。すでに生まれてきている子に使うこともできれば,老後の蓄えの足しにもなる。年間の費用として教育費は住宅ローンをも上回る場合も多いなか,もう一人の子供をあきらめれば,同じ年収でマイホームを購入できる家庭もいるであろう。この計算を見て,読者の皆さんはどう判断しますか。
 現代の人間は生物として一通りの欲求を満たせる,すばらしい生活を達成したかのように見える。人間は天敵をほぼ排除し,建築物や衣服によって身体を守り,食欲も性欲も社会欲も結構存分に満たせる社会を構築したように思える。しかし,ここに来て,H・キャプランが言う「身体化資本」を追求するあまりに,現代人の生活史が過去のそれと比較して根底から変わってしまっているような気がする。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.181-182

生活史と少子化

まず,一つ指摘できる現象は,子供の完全コスト化ではないか。受験戦争が激しくなるなか,子供達は勉強に専念するようになり,家事の手伝いもままならない。ごく最近まで,日本の子供達も家業のお手伝いをさせようと思えば可能であった。農家であれば田植えに参加したかもしれない。都会の子も,お店のお留守番ぐらいはできたであろう。多くの子は手伝ううちに家業を継いだかもしれない。職人への道を選んだ子は若くして弟子入りした。しかし,学校に通う子は家業のお手伝いをしなくなる。
 また,現在の産業システムでは職場と家庭の分離が発生してしまっている。多くの家族は,家業を手伝えるような職業をもたない。普通のサラリーマンの子はお手伝いとして親の会社でアルバイトをすることは考えられない。さらに,家庭内でも家計の分離が発展している。家族の一人一人はみな自分の独立した家計簿をもつようになってきた。アルバイトをしている子は収入を母親に丸ごと渡すであろうか。実際に家計簿をつけているかは別にして,子供達は自分のお金や所有物を一家のなかで区別するようになった。結果として,子供は一家の家計の足しになるような活動はほとんどしなくなった家庭が多い。しかも,親の家計にとって,子の収支はその子の成長とともに減るどころか,教育費のために増額していく。日本の学生の何パーセントがアルバイトで得た収入を学費に充てるであろうか。何割かの学生は自分の学費と生活費を稼ぎながら大学に通っているかもしれないが,いまとなっては大学生人口のなかでは少ないであろう。現代の子供たちは完全コスト化し,子育ての高コスト化に拍車をかけているのではないか。
 高学歴の追求とともに,発生しているもう一つの現象が,ますます高くなっていく生活収支がプラスに転換する年齢ではないか。大学を卒業してから就職する,典型的なサラリーマンコースでは,経済的な自立は早くても22歳を過ぎてからになる。それまでは親にとって大学生の子供は完全コストであり,しかも大学生の時期が最も負担が重くなる時期でもある。医学部からの卒業は早くても24歳。浪人したり,大学院や法科専門学校に進学すると,経済的な自立はますます遅れてしまう。
 教育が終了すると就職によって生活収支はプラスに転じるはずである。ようやく大学を卒業した子が就職すると,家族の経済収支はどうなるか。家計の分離が起こっている場合,親と子の家計を別々に検討する必要がある。就職した本人の家計簿はプラスに見えるであろう。親の家計簿のうえではどうか。子供が実家に住み続ける場合を考えよう。もし,その子が給料を母親に渡して,家計を親と一にすれば,子の経済収支が就職によってプラスに転じた,とうう計算ができる。しかし,その同じ子が自分の給料は自分のものと考えていれば,親の家計簿のうえではその子の経済収支はマイナスのままである。
 本人の家計と親の家計を区別して考えてみたが,さらに,社会全体にとっての個人の負担も別に検討しなければならない。たとえば,親の払う学費だけで教育は成り立っていない。多くの公的な支援によって学校は成り立っている。子供のコストは親の家計簿に反映されているより,またさらに多くの費用がかかっている。ある推計によると,親はマクロの子育てコストの約54パーセントのみを負担している。
 同じことが,経済的に自立しているかのように見える若者の多くについても,言えるのではないか。親に負担をかけずに,奨学金や授業料免除をもらっている学生の場合は,あきらかに社会に支えられることにより勉強が続けられる。就職した若者はどうか。就職によって若者が教育機関を卒業し,生産年齢にようやく到達した,と単純に考えるわけにもいかない業種も多いはずである。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.175-177

投資と少子化

投資理論によって少子化を説明しようとするキャプランは体力,知識,経験,技術など,一人一人の人間が身につける能力を「身体化資本(embodied capital)」と呼ぶ。彼によると,ヒトは身体化資本の価値を高めることにより進化してきた。よって,子供にできる限り多くの身体化資本を身につけさせることが親心である,と力説する。そして,現代の少子化の説明に,キャプランは教育費の影響を強調する。産業革命とともに多くの人々は教育を受ける機会を得ることとなった。と同時に,教育を受けなければ職を得られない社会層も増えてきたといえる。ところが,子供の教育はいつの時代であろうとも非常にコストがかかる。子供が大勢いては教育費がかさみ,家計は成り立たなくなってしまう。その事実を前提に,子供たちが十分な教育を受けられるように,教育の恩恵を最も受ける社会層から先に,親達は子供の数を減らしてきたのではないか,とキャプランは提案する。
 この仮説による少子化の説明を要約すると,現代は親は子の質を選ぶ必要性を感じているために,子供の人数を減らしているのである。親の深層心理では親は子に社会で成功してほしい,と推測する。そのために親は子に多額の投資をつぎ込む。食事をさせ,服を着せ,結婚の費用を払う。生活ができるように生業の訓練をする。家業や財産や土地を継がせるかもしれない。ところが,親の時間とエネルギーと財産には限りがある。生まれてくる子全員に満足な投資ができるであろうか,親の悩むところであろう。
 貧しくてもいい,子は宝,と考えて大家族を選ぶ親もいるであろう。しかし,同世代との競争に勝ち抜けるように,子供の一人一人に人並みの投資を,あるいは人並み以上の投資をせざるをえない,と感じる親は子供の人数を制限する方向を選択するかもしれない。子供の質と数を天秤にかけた時,人間の深層心理として,生活に質を追求する余裕があれば,質を選択する。この判断にヒトの生活戦略が表されているのである,という主張になる。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.167-168

富の蓄積と少子化

M・ムルダーは,少子化の説明に富の蓄積を重視する人類学者の一人である。人類は富の蓄積に対して非常に強い執着心を持つために,それを生活のなかで優先させてしまう心理を持つ,という説である。そこで,生涯において,早めの子作りと更なる富の蓄積の間を選ばなければならない場合,後者を選んでしまう,と説明する。ムルダー自身,東アフリカのある遊牧民の結婚と家族計画を調べる研究に参加している。この民族は,一夫多妻の家族が一般的で,子だくさんを良しとしながらも,男性が結婚を決める動機は,子孫の人数ではなく,物質的な計算に基づいている場合が多い。すなわち,世帯主の男性は,妻をただ多く娶るのではなく,一人一人の子供にできる限り多くの資産(すなわち家畜)を継がせるような資産管理をしているそうである。このような心理は子育てを助ける結果に最終的にはなったはずである。資源のほとんどは食物のように生活に必要な物資であっただろう。ところが,いわば無限に富を蓄積することが,産業革命後の生活では可能になってしまう。そして,とりあえず生活のゆとりを追求しているうちに,子供が少ないまま一生を終えてしまう人々が増えているのである,という理論で現代の少子化を説明する。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.166-167

祖母仮説

閉経を適応として説明する有力な仮説は「祖母説」(grandmother hypothesis)と呼ばれている。この仮説によれば,女性にとって重大な生涯の駆け引きが閉経の背景にある。それは,自分で繁殖を続けるのか,それとも祖母として,すでに生まれてきたこの繁殖の手助けをするか,という駆け引きである。もう一度出産の負担とリスクを自分で負うか,それとも,余生のエネルギーを娘や息子とともに孫を育てることに向けるか。理論的には,第一子を出産した以降にいつでも発動しうる駆け引きである。
 すでに子供を一人育てている母親は,次の課題に直面する——もし,子をもう一人産んだ場合,その子を一人前に育てるまでに生き延びることができるであろうか。子供の成長期間が長いヒトにとっては特に切実な課題といえる。ヒトの生涯においては,悲しいかな,親子が共倒れになりうる期間が長いのである。
 次の子を出産するべきか。若いお母さんにとって答えは簡単かもしれない。次の子を出産してから,その子が一人前になるまで自分が生存する確率はかなり高いと予測できる。子供が少ない母親も,繁殖を続けることにより子孫を増やせるであろう。しかし,すでに数人の子供を一人前に育てている母親にとって,駆け引きの計算はかなり変わってくる。ヒトは,食物の配分など,世代間で助け合う方法を多く持つ。また,いつの時代においても,親がいかなる年齢であっても,子育てには大変な労力が必要であることは,現在のお母様方もうなずけるのではないか。さらに,ヒトの女性にとって,出産それ自体がかなり危険をともなう。歴史的に,難産による死亡は女性の主要な死因の一つであった。医療が発達している現在においても女性は難産を恐れる。そして,出産と子育ての負担は歳とともに重く感じられるであろう。
 ヒトの進化の途上,閉経が進化した状況を想像すると,以下のようなシナリオになるのではないか。ヒトの寿命の延長とともに,繁殖期間もそれに伴って高齢の方向に進化していった可能性があったと考えられる。女性にとってはかなりの高齢出産も珍しくなかったはずであった。ところが,ある年齢に達した女性が,末っ子が一人前に育つ前に自分がなくなってしまう確率がやや高くなっているとしよう。その年齢で,もはや次の子の出産はあきらめた母親がいたとする。その母親は生存の確率をやや高める,と同時に時間とエネルギーを生活の違う方向に向けることが可能になる。大家族で生活していれば,家族の生業に貢献し続けるであろうし,孫の面倒も多少は見てやれる。この駆け引きの結果から生じた結論が約50歳の閉経,と考えるのが「祖母説」である。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.161-162

食糧の分配

人と他の霊長類を比較するうえで重要な点なので,もう一度繰り返すが,ヒト以外の霊長類種のほとんどでは,たとえ同じ集団の仲間であっても,食べ物をお互いに分け与えることはない。この事実は人類の進化を論じるうえで二つ重要な課題にかかわってくる。
 一つは資源の共有,とりわけ食べ物の共有が人に特有の行動であるかという,人類学の根源的な研究課題である。もう一つは,生業活動から得られる稼ぎの,生涯における分布である。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.134-135

青年期の存在

私は子供期がヒト以外の霊長類には存在しないという説についてはボーギンに説得されて,そのとおりに考えている。しかし,青年期については,私も含めて,霊長類学者の多くはやはりヒト以外の霊長類にも存在する生涯の段階であると考えるようになりつつあるのではないであろうか。青年期はヒトもその他のサルも持つ,と考える根拠は共通の謎が生活史に潜んでいると見るからである。それは,なぜか,思春期を迎えるサルの若者は身体がまだかなり未熟でありながらも繁殖能力を身につけてしまうという謎である。そして,思春期後の数年もの期間に成長が続く種が多い。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.119

少年期の存在

少年期が進化した理由は二つ提案されている。一つは「学習期間説」と名づけよう。この説は,哺乳動物は生存のために学習と知能に頼る部分が大きいという点に注目する。学習と知能は何のためなのか。食べ物を探す,食べ物を習得する,環境変動に適応するなどのため。あるいは社会行動と採食が複雑であり,また予測しにくい環境変動に各個体が適応するため。
 少年期の学習期間説は,社会性がどれほど哺乳動物の学習や知能への依存に拍車をかけたかを強調する。たとえば,社会行動それ自体が複雑であり,若い個体が集団生活の作法を習うのには時間がかかる。採食行動は集団で採食する種は仲間同士で食べ物のありかを伝えたり,教わったりする。繁殖行動も社会行動がともなう。上手に繁殖するためにも少年期に異性と付き合う術を学び,大人になる準備をしなければならない。
 もう一つの説は「競争回避説」と言える。育ち盛りの子供は大人と直接争ったとしても負けてしまう経験豊かな大人と食べ物や繁殖相手の奪い合いには勝てるはずもなく,争っても怪我するだけである。よって,成長期間を延ばして,大人との競争を回避しながら,上手に大人になる,という説である。そして,霊長類を含めて,成長曲線の緩やかな成長の期間は少年期の存在によって説明されている。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.109-110

思春期の存在

一言,解釈を加えてみよう。ヒトとチンパンジーはともに思春期に安定成長を保証する潜在的な能力をもつ。ヒトとチンパンジーの違いは,環境の良し悪しに対する身体の反応の違いにある,といえるのではないだろうか。ヒトは,栄養条件などが極端に悪い場合は成長スパートを見せる。チンパンジーは環境が悪い場合には思春期に成長をスパートさせて,安定成長を達成しようとする。ここで,考えざるを得ない疑問が一つある。野生のチンパンジーである。飼育されているチンパンジーに比べて野生チンパンジーは栄養状態などがやや悪い可能性がある。ひょっとして,野生のチンパンジーならば思春期スパートをより多くの個体が経験しているかもしれない。現時点ではデータはないので,この疑問に対する答えは浜田らの今後の研究にゆだねるしかない。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.102

"0.75"

動物の体重と基礎代謝のアロメトリー関係を表す指数bの値は0.75である。先ほどの指数式に体重をウェイトのW,代謝をエネルギーのEとして書き込むと,

 E = a W^0.75 あるいは log E = log a + 0.75 log W

となる。
 この0.75という数値は自然の神秘の一つとして考えている研究者は私一人とは思えない。どういうわけか,動物の基礎代謝量と体重の対数を計算して,両対数図に数値をおとしていくと,千差万別であるはずの動物の各種は傾斜度0.75の線の上に集まってしまうのである。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.82

学習と知能

学習と知能は何のためなのか。予測しにくい環境の変動に適応したり,複雑な社会行動を発揮する術を各個体に持たせることは言うまでもなく生存にかかわる重要な能力ばかりであろう。ただし,大きい脳はいいことずくめではない。
 脳は成長と維持に非常に時間とエネルギーを必要とする。いわば,きわめて高価で贅沢な臓器である。よって,脳は哺乳動物にとって生存に不可欠な大事な臓器であると同時に,生活に多大な負担をかける臓器でもある。脳はそれ自体が栄養を摂取したり,酸素を取り入れたり,病気と戦うなど,生命を維持するために必要な根本的な生理機能を果たす臓器ではない。よっぽど役に立っていないかぎり,動物にとっては文字どおりに頭の重い問題になりかねない。実際に小さい脳で十分に生き延びる生物は多く存在する。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.77-78

配分の原理

生物学では生物の時間とエネルギーの配分先を,おおまかに生命維持,成長,そして繁殖の三つの生活の領域に分ける。生活史理論ではこの三つの生活の領域はおたがいの時間とエネルギーを奪い合うと仮定し,これを「配分の原理」と呼んでいる。動物は食べることによりエネルギーを得て,そのエネルギーを成長と繁殖に配分する。いったい生物は時間とエネルギーをどのように生活の各領域に配分するべきなのか。しかも,その配分は日々の生活に限られず,生涯を通して上手に配分されなければならない。
 生命維持は日々生きていくための必要最小限の活動をさす。成長と繁殖には生命を維持する以上のエネルギーを必要とするうえに,生命を維持する活動から時間を奪ってしまう。さらに,成長と繁殖を両立させるために必要なエネルギーを同時に摂取することは難しい。生活に内包される,配分の原理に基づいた駆け引きによって生物の生活史は進化する。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.50

タイミングの変化

さらには,生活史の進化を説明する理論には,たとえばあなたのこの一年の人生計画にはない難しさがある。あなたは一生をヒトとして生活してゆくのであり,そのヒトとしての基本的な生活史は変わりえない。個人的に長生きする努力は可能だが,基本的な成長や老化の順番や時期はさほど変わりようもない。たとえ現代社会の賜物として寿命が伸びたり,子供の成長が速くなったとは言え,長い進化の途上に人類が経験してきた生活史の変化にくらべれば微々たるものである。人間の基本的な寿命は今の私達の努力ではいくら長生きでも100歳をこえる人はかなり稀であるとともに,20歳ではなかなか老人にはなれない。だからあなたも20歳で老人になる人生計画を立てる必要はないであろう。子供が5歳で赤ちゃんを産む心配も無用である。人間の生活史はだいたい決まっている前提で,あなたは人生計画を立てればよい。しかし,進化する生物は生活史そのものがどんどん変化しうる。寿命も子が生まれる年齢も成長のタイミングも,すべてが劇的に変わりうる。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.44

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