あるスポーツ選手が繰り返し行う練習が,その選手のパフォーマンスを1日あたり1%の100分の1(1万分の1)だけ向上させると考えてみよう。そのような改善は小さすぎるので,どんな研究手法を用いても,数日や数週間という短期間で統計的な違いを検出することはできない。たとえば国際大会出場レベルのスプリンターが100mを10秒で走ったとすると,1%の100分の1の向上とは,1000分の1秒,つまり1ミリ秒である。1ミリ秒とは距離にして1cm進む程度(!)の非常に短い時間である。それにもかかわらず,この小さな改善をもたらす練習法を200日間継続したとすると,この選手のパフォーマンスは200ミリ秒,つまり0.2秒速くなることになる。この違いは,世界記録保持者と,注目されない落選者の走りとの違いに十分匹敵する。男子100m走では0.2秒は2mほどの差であり,2002年以降の男子100mの6つの世界記録の差を包含するほどの違いである。
この例と同様に,差別における多くの些細な行動は,それが起こったときには小さすぎて気にもとめないようなものであるかもしれないが,何度も繰り返された場合には,同様に蓄積して大きな影響をもたらし得るのである。差別の場合,その影響はネガティブなもののみであり,差別の対象者に甚大な損害を与えるのである。
M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.302-303
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )