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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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生活史の記録

文字を持たない,あるいは生活史を記録しない社会も研究する人類学者の多くは,研究の対象にしている人々に人生を語ってもらい,そのなかで年代が記録されている重大な社会変動や自然災害を目安にしてその人それぞれの生涯の節目を推測するしかない。たとえば第三世界の国々の多くは植民地であった時代を経験しているため,独立記念日があり,独立の日を覚えている人々の年齢はだいたい推定できる。子供が生まれたのは独立の前か後か,などと尋ねることができるのである。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.30
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生活史の統計

身長を例にとったが,いかなる変数でもよい。年齢別で整理して,表にでも図にでも,年齢を軸にして並べると,ちょっとした魔術が起こる。生命の生涯がそこに描かれる。各々の生涯を描くには丹念に各々の成長と経験を記録して見ていただきたい。すると,生命の各個体によって違う生涯が描かれる。自分の生涯を他人と比較したり,日本人として,人間として,あるいは生物として,どのような生涯を生きているのかを検討するためには大勢の人々,あるいは多数の生物の多くの個体の生涯を記録して分析しなければならない。よって,生活史を描く年齢別統計は私たちが共に生きる生涯を描くことになる。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.14

ヒトの生活史

私たち生物は一回しか生きることができない。その一回だけの生涯において,可能なかぎり子孫を残すために必死で生きているはずが,わざわざ成長を遅らせる上に子の数を自粛するサルの存在は不可解ではないか。この矛盾は,たとえば身体の大きさだけでは説明がつかない。単純に考えると身体の大きさが倍あれば,成長に倍の時間がかかると推測できるが,イヌとニホンザルとでは身体の大きさはさほど変わらない。種類によってはニホンザルより大きい犬もいるではないか。にもかかわらず,サル一匹が成熟するまでにイヌは何匹もの子供を作ってしまうかもしれないのはなぜなのか。
 不可解な生活史のなかで最も不可解なのはヒトの生活史かもしれない。なぜならば,ヒトはサルのなかでも成長時間が最も長く,寿命も長い。ヒトの身体はサルとしては大きいほうだが,進化の系統として最も近いチンパンジーとはさほど変わらないし,ゴリラに比べればまだ小柄である。しかし,ヒトの母親は,普通はやはり一度に一人しか子供を産まないのはなぜであろうか。
 サルとヒトの不可解な生涯を説明するために,生活史理論では一見生物学らしからぬ要因を研究しなくてはならない。その代表が寿命,出産,そして,成長,である。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.10-11

生活史理論とは

生物の生活史の研究を導く理論体系を生活史理論という。
 この理論体系はもちろん生物の種類毎による生活史の違いを説明しようとする。生物は,何年ほど成長に費やしてから,いつ,何回,一度にどれだけの,どのくらいの大きさの子をつくるべきなのであろうか。このような設問に答えることこそが生物学における生活史理論の使命なのだ。
 生活史理論の要の課題の一つは,寿命の長い,子の少ない生活史,すなわち,サルの生涯のような生活史を説明することにある。この課題を一般的な哺乳類とサルを対比させて説明してみよう。
 イヌはだいたい二歳ぐらいで成熟し,繁殖できるようになる。しかも,イヌの母親は複数の子供を一度に産むことができる。ところが,ニホンザルを例にとると,若いサル達はおおむね五歳ぐらいで成熟し子供を作ることができるようになる。多少の変異が生活史(すなわち個体)の間にあるが,いくつものニホンザルの生活史を観察して最初に繁殖する年齢の平均を計算してみると,その平均は一歳でも十歳でもなく,五歳ぐらいに収斂されている。そして,ニホンザルに限らず,数種の例外を除いて,サルの母親は一度に一頭の子供しか産まない。サルの成長はイヌより二倍の時間がかかっているうえに,子供の数が少ないことに特徴がある。

D・スプレイグ (2004). サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学 京都大学学術出版会 pp.9-10

二つの極のどちらか

私はある経済の論客さんがいいなと思って見ていたことがあるのですが,ある程度無名だった頃は,非常に「バランス感覚」があって,「経済成長は大事だけど,そこに人々のナマの喜びが含まれているような形じゃないといずれ破綻するし,その成長は長続きしない」という論調だったんですよね。
 しかし,その論客さんがある程度有名になるにつれて,そういう「バランスの取れた適温の話」では埋もれてしまうので,どんどん「極端な話」に吸い寄せられていってしまったんですよ。それはもう見ていて「なんでこうなるんだろうなー」というような悲しい体験でした。
 結局その人が言うことは,どんどん「経済成長なんていらねえ」的な方向になり,いろいろな「現行の経済に対して前向きな動き」に対して片っ端から非難するみたいなことになってしまったんですね。
 そして,悲しいことは,そうやって過激化すると,とりあえず読者が付くということです。そして,その読者を引き連れて,世の中全体をどんどん「二つの極のどちらか」に引っ張っていってしまうんです。

倉本圭造 (2014). 「アメリカの時代」の終焉に生まれ変わる日本 幻冬舎 pp.70-71

些細な行動の蓄積

あるスポーツ選手が繰り返し行う練習が,その選手のパフォーマンスを1日あたり1%の100分の1(1万分の1)だけ向上させると考えてみよう。そのような改善は小さすぎるので,どんな研究手法を用いても,数日や数週間という短期間で統計的な違いを検出することはできない。たとえば国際大会出場レベルのスプリンターが100mを10秒で走ったとすると,1%の100分の1の向上とは,1000分の1秒,つまり1ミリ秒である。1ミリ秒とは距離にして1cm進む程度(!)の非常に短い時間である。それにもかかわらず,この小さな改善をもたらす練習法を200日間継続したとすると,この選手のパフォーマンスは200ミリ秒,つまり0.2秒速くなることになる。この違いは,世界記録保持者と,注目されない落選者の走りとの違いに十分匹敵する。男子100m走では0.2秒は2mほどの差であり,2002年以降の男子100mの6つの世界記録の差を包含するほどの違いである。
 この例と同様に,差別における多くの些細な行動は,それが起こったときには小さすぎて気にもとめないようなものであるかもしれないが,何度も繰り返された場合には,同様に蓄積して大きな影響をもたらし得るのである。差別の場合,その影響はネガティブなもののみであり,差別の対象者に甚大な損害を与えるのである。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.302-303
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

隠れたバイアス

私たちは現代のアメリカに根強く残っている人種バイアスは,表には出てこない底流のようなもので,下記の2種類の隠れたバイアスからなると考えている。2つのうち影響力の小さい方は,バイアス保持者自身にも認識され支持されているが,おそらくポリティカル・コレクトネスや印象操作の圧力の影響で,公的に表現することを本人が意図的に抑制しているものである。2つめの,より影響力が大きいと私たちが考えているものは,その保持者自身すら自分がそれを保持しているという事実に気づいていないため,公に表出されないままでいるというものだ。これらは第3章で説明した通り,IATで測定できるような連合知識という形態のバイアスである。まとめると,マイノリティに対するこれら2種類の隠れたバイアスは,あからさまな偏見という形態よりもずっと,アメリカ社会での差別的行動に大きく貢献するということだ。マイノリティは,アメリカ社会において今後もけっして減少することがない対象であり,この2種類の隠れたバイアスの影響で,今後もずっと人種的,民族的な嫌悪感を表現される対象であり続けるだろう。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.278-279
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

平等の達成

アメリカ社会において人種差別的態度が根強く残っているのは事実だが,だからといって現代のアメリカ社会を人種差別的だと見なすのは間違いであろう——少なくとも,現代のアメリカ社会は,「人種差別主義」という言葉が長きにわたって理解されてきたのと同じ意味で形容されるものではない。ほとんどのアメリカ人は人種の平等を支持している。アフリカ系アメリカ人やその他のマイノリティの人たちに政府が援助をすることに反対するアメリカ人のなかには,彼らの潜在的や顕在的な人種バイアスのいずれかを表現している人もいれば,そうでなくこの付録の最初に示した2つの引用のように,平等主義の原則の考えに基いてアメリカ人は人種的平等をすでに達成していると信じている人もいるだろう。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.278
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

抵抗に出会う

内集団にいることで利益を受け取ることはだいたいにおいて可視化されにくい傾向がある。そして,これがおそらく支配的な多数派の集団が,その利益のことを指摘されるとしばしば本当に気絶するほどの反応をする理由なのだろう。ブラインド・スポットは差別と特権の両方を隠蔽し,差別する側もされる側も,特権を持つ者ももたざる者もそれに気づいていないのである。社会環境を意識的に平等に,公平にしようとする試みはどんなものであってもかなりの驚きをもってそうした抵抗に遭うのだ。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.221
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

「教授?」

カーラ・カプランは1980年代後半,イェール大学のアメリカ文学を専攻する真面目な若い助教授だった。彼女は20代後半だったが,実際の年齢よりも若く見えた。カーラはキルト制作に熱を入れていた。布のパッチワークをしていると,パタンと色との夢のような世界にのめり込み,その創作の世界以外見えなくなってしまうくらいであった。
 ある日の夕方,キッチンでクリスタルのボウルを洗っているとき,うっかりと手を滑らせてボウルが落ちた。ボウルをつかもうとしたが,ボウルは流しに落ちて割れて,そのとき,かけらの鋭くとがった角が彼女の手のひらから手首にかけて切り裂いた。血が床一面に吹き出し,ボーイフレンドが急いで包帯をあててから,大学と提携しているイェール・ニューヘブン病院の救急ルームに車で連れて行った。
 救急ルームでカーラのボーイフレンドは,当番でいた研修医に,キルトづくりは彼女にとって非常に大切なことなので,彼女が大好きなキルトづくりに必要とされる精細な手の動きをこの傷が損なわないか心配だと念を押して伝えた。医師はこの懸念を理解したようで,すばやく縫合すれば大丈夫だとの確信を述べた。
 医師がカーラの手の縫合の準備をしていたとき,近くで作業していた学生ボランティアがカーラに気づいて声を上げた。「カプラン教授!こんなところで何をしているんですか」と。すると,この声によって医師の作業が止まった。「教授?」医師は尋ねた。「あなたはイェール大学の教授なんですか?」たちまち,カーラは搬送台に乗せられて,病院の外科部局に連れて行かれた。コネチカット一優秀な手の外科医が呼ばれて,何時間にもわたる手術で医療チームはカーラの手を完全な状態に復元した。幸い,カーラの手は完全に回復して,タイプを打つこともキルトづくりをすることも,他の何でも以前と同じように精細に動かすことができるようになった。
 それほど明らかではないかもしれないが,このカーラの救急処置での「われわれ/彼ら」の差別を見出すことができるだろうか。マーザリンが初めてこの話を聞いたとき以来,これは日常に潜む非意識のバイアスの複雑で象徴的な例として頭にこびりついて離れない。ここにあるのは人を傷つける例ではなくて,人を助ける例であるので,医師が「イェール大学教授」と認識したところから引き起こされた差別行為を見つけにくい。このキーワードが触媒となって,医師と患者とで共有される集団アイデンティティの認識が生じ,キルトづくりの血まみれの手からエリート的治療の資格を備えたイェールの内集団メンバー仲間へと急な転換が生じたのである。
 この話を確かめるため,最近カーラに手紙を書いて尋ねた。すると,カーラは次のように詳しく教えてくれた。「突然彼らは,ニューイングランドの有名な手の専門家に救援を求めた。全く180度の方向転換だった。私がキルトをつくる人だということは,私の右の親指の神経を修復することが必要だということについて,彼らには何の意味ももたなかった。だけど,イェールの教員であることが高価で複雑な手術に値することだった」

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.216-218
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

集団アイデンティティは真空を嫌う

最小条件集団アイデンティティのダイナミクスについてタジフェルが発見したことを毎年毎年学生に教えながら,驚き続けるのである——タジフェル自身でさえそうらしいが。彼の実験結果からすると,集団アイデンティティは真空を毛嫌いするようだ。人や集団と恣意的な結びつきを作り出し,その結びつきがない他者が存在すると軽く示唆しただけで,「われわれ」と「彼ら」の心理状態が空いている空間を埋めるが如く,急速になだれ込んでくる。線引きがなされ,集団をなす基盤が意味あるものであろうがなかろうが,差別がついてやってくるのだ。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.211
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

自動的な連合

バラク・オバマの大統領選挙から引き続く数週間,数か月の間に出生疑惑主義者(birthers)として知られるようになった集団が大きく成長してきてメディアの注意を惹くことになった。単純に言って,出生疑惑主義者はバラク・オバマがアメリカの生まれではなく,それゆえ法的に大統領の資格にあてはまらないと信じている者たちだ。そんな人々は無視して,ばかげた狂信者たちだとラベルを貼ることもたやすい。しかし,何らかの自動的なレベルでは,「アメリカ人=白人」というステレオタイプをもつその程度において,多くの者たちが出生疑惑主義者と似たようなものであるといった心地良くない可能性を指摘しておきたい。出生疑惑主義者である人とそうでない人との違いは,意識的な信念の部分にある。オバマに票を投じて,出生疑惑主義者でない人は「アメリカ人=白人」の自動的連合を無視する能力を示し,自らの意識的思考によって自身の行動を司令することを可能にしてみせた。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.177
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

ステレオタイプは不幸な副産物か

ステレオタイプ化の広がりに対する現代のおもな説明は,「不幸な副産物」タイプというもので,カテゴリーを用いて世界を認識するという非常に有用な人間の能力の不幸な副産物なのだという理解である。社会心理学者の多くは,この説明をもっともらしいものと考え,私たちもそう思う。
 「現在適応的だ」と考えるタイプの説明もある。この理論では,ステレオタイプ的に他集団(外集団)を見ることによって,自分の所属する集団をそれよりも優れているとみなすことで,自尊心を効果的に上昇させることができるのだと考える。多くの他集団に対して好ましくないステレオタイプをもっていることによって,こうした自尊心高揚はかなり行いやすくなる。しかし,この理論は次の点でそれほど説得的ではない。1つには,自尊心を上げるなら人は他のさまざまな方法をすでにもっているからであり,もう1つは,それはとても真とは言えそうにない予測に結びつくはずだからだ。つまり,ステレオタイプを利用して比べるなら,社会のなかで高地位を占める人たちやデフォルトの特徴を有する人たちにおいて,階層が下の人たちよりもステレオタイプ化をよく行うはずだという予測になる。
 私たちは,「現在適応的である」タイプのステレオタイプ化の利点についての新たな理論を提示する。「ステレオタイプ化は初対面の人たちを異なった個々人としてすばやく認識する助けを提供する効果をもつ」というものだ。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.149-150
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

カテゴリーの助け

「人の心はカテゴリーの助けを借りて考えざるを得ない」というゴードン・オルポートの指摘は認めざるを得ないし,彼の言うように,カテゴリーを用いることなしに秩序ある生活は不可能であるけれども,それでも私たちはカテゴリーをつくる活動,カテゴリーを用いる活動の究極の帰結について案じるのである。オールポートはさらに言う。「いったんつくられたら,カテゴリーは通常の先入観のもととなる」。言い換えれば,私たちの脳がつくり上げるカテゴリーは,たやすくステレオタイプを引き起こす。こうして私たちは,あるカテゴリーとある偏見的な属性とを結びつける——たとえば,アフリカ人はよりリズム感をもち,アジア人は数学に優れ,女性は不注意なドライバーでうんぬんと。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.148
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

ホモ・カテゴリス

ホモ・カテゴリスという本章の言い回しは,心的カテゴリーの重要性を見出したオルポートの影響を認めるものだ。カテゴリーはたくさんの共通性をもち,それゆえ親類として取り扱うのが便利な一群の物事である。カテゴ入ー・メンバー内の類似性は,それほど大きい必要はない。車(car)というカテゴリーは,おもちゃの車やケーブルカー,鉄道の客車などずいぶん異なっているものを含む。しかしカテゴリーの利用は私たちの行動に大きな影響を及ぼす——いくつかの下位カテゴリーについての状況をちょっと見れば明らかである。たとえば,あなたが高速道路を運転していて,スピードの速い前の車に急速に近づいていったとして,その前の速い車がパトカーであるかスポーツカーであるかのカテゴリー化によって,続くあなたの運転は全く違ったものになるだろう。他の例では,スプーンですくった白い結晶について見分けがつかなくても,砂糖とカテゴリー化した場合と,塩とカテゴリー化した場合とでは異なった行為をするだろう。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.134
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

抵抗は不可能

高齢者,皮膚の色の濃い人々,同性愛者,何であれ,IATが心に潜むバイアスを明らかにするときの示唆の1つは,「外」にある社会や文化と「内」にある自分の心を分ける境界線には透過性がある,ということである。私たちが望むと望まざるとにかかわらず,分化で共有されている態度は私たちのなかに染みこんでくる。先述した同性愛活動家の例にあったように,ネガティブなレッテルを貼られている人たちの権利のために闘っている人であっても,文化からの一貫したネガティブな情報には影響を受けるのだ。高齢者自身も弱齢者への選好をもつということは,外の世界の価値観が心のなかに染みこんでくることのさらなる証左である。私たちの心は,外界にあるものの多くを身につけるので,分化に根ざしたステレオタイプの方向に引かれるのに抵抗することはほぼ不可能なように思える。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.118
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

認知的不協和

このような不協和について有名な心理学の理論があるが,それは大きな影響力をもつもので,今や心理学の主流となっている。優秀な社会心理学者レオン・フェスティンガーが1950年代半ばに提唱した「認知的不協和理論」は,私たち人間は,自分の信念と行動の間,また同時に存在する2つの信念の間に葛藤があることに気づくと,「心的な調和や協和を求めるという自然な状態」が妨害されると説明する。この妨害によって起こる不快な心的状態は,音楽で協和しない音が出されたときの聴覚的な不協和と同じくらい不快なものである。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.103
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

「中程度の相関」の意味

「中程度の相関」が日常生活でも重要な意味をもつということをご理解いただくために,人種差別とまったく関係のない例でご説明しよう。あなたは銀行の支店長で,多数の借入申込者のうちの誰に融資するかを考える仕事をしていると想像してほしい。多くの借り手はきちんと返済するし,人によっては全額でなくとも何割かを返済する場合もある。しかしなかには銀行にとって利益をもたらし得る十分な額を支払わない者もいる。ただ,幸運なことに,あなたには各々の借入申込者について,信用評価という,支払い能力の適性を判断する材料があると考えてほしい。
 この例を使うにあたり,もう1つ前提が必要になる。前提として以下を推測してみよう。それは,あなたは銀行の支店長として,一般的銀行にとって利益になるのに十分な返済ができるのは借り手のうち半数であることを知っている,というものである。この場合,申込者の信用評価が彼らの実際の返済額と完全に相関するなら,あなたの課題はすべて解決したことになる。つまりあなたは,借入申込者を支払い能力の信用評価順に並べ,上位50%の人にまで融資をすればよいのだ。それによって,あなたは銀行にとって利益になるのに十分な額の返済をするとわかっている人にのみ融資をすることになる。そしてあなたは銀行の利益を最大化することができるのだ。
 しかし当然ながら,信用評価は完全ではない。信用評価スコアと融資の返済額の相関は,1という完全な値になることはない。ここで,あなたの手元にある信用評価と,期待される返済額の相関が中程度(.30)であると仮定しよう。この場合,あなたが申込者のなかで信用評価の高い人から順に50%の人に融資をしたとすると,銀行にとって利益となるレベルまで返済する人は,そのなかの65%となる。もしも低い方から順に半数の人に融資をした場合,返済する人の率は35%である。当然ながらこれは明らかに完全な結果ではないが,信用評価スコアを全くもっていない状況と比べると,はるかに望ましい状況であることはおわかりだろう。情報がまったくない場合,確率的に,融資した半分は利益を生むが半分は損失となる。これは,銀行は利益がほとんどないか全くない事態になることを意味する。中程度の「予測的妥当性」の相関をもつ信用評価スコアは,可能な限り最大の利益とはいかなくとも,かなりの利益を得ることを可能にするのだ。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.91-92
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

2つの知見

しかしその後状況は変わった。この10年で人種IATを用いた研究が急速に蓄積され,2つの重要な知見が明らかになったのだ。まず第一に,アメリカ社会において,自動的な白人への選好は広く浸透していることがわかった。インターネット調査や実験室研究で人種IATを受けた人のおよそ75%が,自動的な白人への選好を示した。これは驚くほど高い数値である。私たち(マーザリンとトニー)は,このような結果になるのが自分たちだけではないことを知った。
 第二に,人種IATで示される自動的な白人への選好は差別的行動と関係があることが実証された。この人種IATは,心からまた誠実に,平等主義的な信念を信じている研究参加者の差別的行動の度合いをも予測したのだ。これは矛盾しているように聞こえるかもしれないが,実証された事実である。自分のことを人種に関して平等主義だと説明した研究参加者でも,人種IATは,信頼性高くまた何度も,研究のなかでの差別的行動を予測したのである。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.87
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

単純な手がかり

プリンストン大学のアレックス・トドロフは,他者の顔の目の位置が顔の中央に近づくと,私たちはその人の有能性を低く判断することを示した。このようなデモンストレーションが示唆することは,私たちが他者について判断をするときに,いかに単純な手がかりに左右されるかということである。このような研究結果を知ると,誰しも,他者について重要な判断を下す際に自分がどのような方法をとっているかについて,一度立ち止まって考えてみる必要があると思うだろう。

M.R.バナージ・A.G.グリーンワルド 北村英哉・小林知博(訳) (2015). 心の中のブラインド・スポット:善良な人々に潜む非意識のバイアス 北大路書房 pp.41-42
(Banaji, M. R., & Greenwald, A. G. (2013). Blindspot: Hidden biases of good people. )

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