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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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「なぜ抗生剤を投与しなかったのですか?」

 それでは,医師はどうしたら,軽症で自然治癒する感染症と,より深刻な感染症を見分けられるのだろうか。あるいは群落形成と感染の区別は。これは重要な問いである。なぜなら,答えは現時点では明らかではないものの,抗生物質の過剰使用を抑制する可能性を持つからだ。鋭敏な医師は,すべてではないにしても大半の場合に,重症な合併症に至る子どもは何らかの徴候を示すことを知っている。より高い熱,症状の長期間にわたる継続,白血球数の異常,あるいは見た目の重症感。もちろん大半の症例は,そうとは断定できない灰色なのだが。
 灰色判定も重要である。ウイルス感染と細菌感染が区別できるまで,医師は安全な道を選択する。医師は時間に追われている。診療時間は1時間に5人の子どもを診察し,その他の事務仕事をこなす。実践的で,迅速で,安価でかつ正確な診断法や時間の欠如は,過剰治療へと傾く。状況を改善する診断法も現れてきているが,現状ではまだ普及していない。
 医師の肩ごしに,医療を見ている弁護士の存在もある。医師が子どもを治療せず,結果が最悪なものとなったとすればどうだろう。弁護士は尋ねるかもしれない。「なぜ抗生剤を投与しなかったのですか?そのために耳感染が髄膜炎を起こすほどひどくなり,その結果麻痺が残ったのではないですか?」
 こうした状況が,世界中の何世代もの子どもたちをめぐって,前代未聞のスケールで生じる可能性がある。何百万人もの子どもが罹ってもいない細菌感染症のために抗生剤で治療されれば,問題が生じないと考える方がおかしい。
マーティン・J・ブレイザー 山本太郎(訳) (2015). 失われてゆく,我々の内なる細菌 みすず書房 pp. 78-79

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ペニシリンの発見

 イギリスの研究者たちは,彼らの努力をイリノイ州ピオリアでの共同研究に向けた。そこでは,ノーザン・リージョナル・リサーチ・ラボラトリーに新設された発酵部門が,カビの代謝(発酵)の活用についての研究を加速させていた。研究スタッフは経験を持っていたし,カビの収集も行われていた。しかしペニシリンを産生する種類の株は少なく,どれも実を結びそうになかった。そこで,彼らの知り合い全員に,土壌やカビの生えた果物,果実,野菜などのサンプルを送ってくれというメッセージを送った。一人の女性が,青カビを持つサンプルを求めて,ピオリアの市場やパン屋,チーズ店を探し回るために雇われた。彼女はその仕事をよくやった。研究者たちは彼女を「カビのメアリー」と呼んだ。しかし結局は,一人の主婦が持ち込んだカビの生えたカンタロープ[メロンの一種]が歴史を変えた。このカビは,1ミリリットルあたりのペニシリン産出量が250単位にも達した。さらにその変異株のひとつは,1ミリリットルあたり5万単位もの産出量を達成した。今日ペニシリンを産出するすべての株は,この1943年のカビの子孫である。
マーティン・J・ブレイザー 山本太郎(訳) (2015). 失われてゆく,我々の内なる細菌 みすず書房 pp. 67

抗生物質とウィルス

 ウイルスは細菌と違って細胞壁を持たないので,ペニシリンのような抗生物質は効果を発揮しない。また,ウイルスのタンパク質合成は宿主のタンパク合成の機構に依存するので,ウイルスのタンパク合成を阻害するためには,宿主タンパク合成も同時に阻害しなくてはならない。ウイルスが人の細胞に寄生すると,風邪やヘルペス,インフルエンザ,他の感染症を起こすが,ウイルスのタンパク合成だけを阻害することはできない。タンパク合成阻害の影響はヒトの身体にも及ぼされる。ヘルペスウイルスに対して用いられるアシクロビルといった薬剤や,ヒト免疫不全ウイルス(HIV)の複製過程を阻害する薬剤のように,ウイルスが細胞に侵入したり細胞から放出されたり,あるいは複製する過程を阻害する薬もある。ウイルスを抑制することはできるが,治療することはできない。一方,抗生物質はほとんどすべての細菌感染を治療できる。
マーティン・J・ブレイザー 山本太郎(訳) (2015). 失われてゆく,我々の内なる細菌 みすず書房 pp. 74-75

麻疹ウィルスが生き残る条件

 麻疹ウィルスが生き残るためには,一週間か二週間に一度は感受性のある人と出会う必要がある。ネズミ講のように,麻疹ウィルスは新しい犠牲者を必要とする。事実,麻疹が持続的に維持されるためには,50万人の人口を必要とする。50万人の人口規模で,出生率3パーセントの場合,毎年約1万5000人の新生児が感受性者として社会に生まれてくる。これで,麻疹ウィルスが維持される。しかし人類が50万人の人口集団を持つようになったのは,1万年ほど前にすぎない。すなわち流行の歴史もそれくらいでしかない。麻疹ウィルスは,動物からヒトへ先史時代に何回も種を超えて感染したのかもしれない。しかし十分な人口がなければ消滅した。
 たとえば北大西洋のフェロー諸島のような島嶼部では,何十年にもわたって麻疹が見られなかった。しかし,1846年に船が感染者を運んでくると,麻疹は一気に広がった。基本的にすべての人が感染する。同じような流行は,船乗りによってウイルスが持ち込まれた18世紀半ばのハワイでも見られた。発熱で灼かれた人は,身体を冷やすために海へ入った。しかし効果はなかった。流行が終息したとき,5人に1人が死亡していた。そしてウイルスは死に絶える。何年も後に,船によってふたたびウイルスが持ち込まれるまで。
マーティン・J・ブレイザー 山本太郎(訳) (2015). 失われてゆく,我々の内なる細菌 みすず書房 pp. 53

食事の変化も影響なし

 食事の変化も,細菌叢にそれほど大きな影響は与えない。数カ月,もしくは数年にわたって,腸内細菌の構成は安定している。しかし個々人で見ると,その構成は異なっている。地中海地方の食事を二週間にわたって食べるという小さな研究があった。高い繊維質,全粒穀物,乾燥マメ類,オリーブオイル,果物と野菜を五杯。これを毎日食べる。こうした食事は心血管疾患のリスクを低減する。調査協力者は,血中脂肪量を測定するための血液と,どのような細菌が存在するかを調べるための便を,実験の前後で提供した。コレステロールの総量は低下した。悪玉コレステロールと呼ばれるLDLも低下した。しかし研究協力者の細菌叢に変化は見られなかった。各人は,まるで指紋のように,独自の細菌叢を有していた。それは食事が変化しても変わらなかった。しかし他の食事研究では,細菌叢に変化が見られたというものもある。最近の研究では,植物由来の食物のみ,動物由来の食物のみといった食事への切り替えは,細菌叢に変化をもたらすことがわかっている。しかし,それは食事を変えた期間しか持続しなかった。食事を一年間にわたって変えた場合に,細菌叢の変化が恒常的なものになるか否かは,今のところわからない。
マーティン・J・ブレイザー 山本太郎(訳) (2015). 失われてゆく,我々の内なる細菌 みすず書房 pp. 38

最も成功した細菌

 現在,世界では50の細菌の「門」が知られているが,そのうち8から12の門はヒトの体外に見つかる。そのうちの99.9パーセントを占めるのが,バクテロイデス門とフィルミクテス門を含む6つの門である。最も成功した(つまりヒトと暮らすという意味において)細菌が,ヒト・マイクロバイオームの核心を構成する。時間とともに,彼らはヒトの身体に常在し,そこで繁栄するための特性を獲得していった。そうした特性のなかには,酸性環境下でも生存できる,ヒトの食事から栄養を摂取できる,湿潤よりも乾燥を好む,あるいはその反対といったものがある。
 すべての細菌を合わせると,一人あたり約三ポンド,つまり脳に匹敵する重量の細菌がヒトに常在し,その種は一万に及ぶ。1000種以上の動物を有する動物園はアメリカにはない。ヒトの身体の内外に棲む目に見えない「細菌動物園」は,より多様で複雑である。
マーティン・J・ブレイザー 山本太郎(訳) (2015). 失われてゆく,我々の内なる細菌 みすず書房 pp. 28-29

岩のなかの細菌

 細菌は岩のなかにも棲む。たとえば南アフリカのムポネン金鉱山では,細菌は放射性崩壊という現象の助けを借りて生きている。具体的には,ウラニウムが水分子を分解するときに生じる水素を硫黄と結合させて硫化水素を生成し,それを栄養源としているのである。細菌たちは金の採掘さえ行う。デルフチア・アシドヴォランスは,そのままでは自分にとって有害な金のなかの移動イオンを,不活性な形に変える特殊なタンパク質を有している。そうした変換は水中で金を沈殿させ集積する機能を持つ。一方,世界で最も強固な細菌であるデイノコッカス・ラディオデュランスは,放射能を放出している核廃棄物のなかに棲む。
マーティン・J・ブレイザー 山本太郎(訳) (2015). 失われてゆく,我々の内なる細菌 みすず書房 pp. 19-20

家系図のなかの位置

 別の測定基準も存在する。家系図のことは誰でも知っているだろう。祖先が,たとえば曾祖父母を筆頭に祖父母,両親など,木が枝を広げるように描かれている。世代を経るごとに枝の数は増大する。ここでは,地球上のすべての生物についての家系図を考えてみる。あまりにも多くの生物が存在しているため,家系図は一本の木というより,まるで枝々があらゆる方向に伸びた灌木林のように見えるだろう。それを,第一世代が中心にあり枝が外に突き出るような丸い灌木林だと想像してみる。そして私たち人類をその林のなかの,時計の針で言えば八時の位置に置いてみよう。
 ここで質問。私たちがトウモロコシと呼ぶ農作物は,その林のどこに位置するだろうか。一般的に言えば,緑色植物であるトウモロコシが,自分たちに遺伝的にそれほど近いとは考えないのではないだろうか。トウモロコシは円周上の反対側に位置すると思うかもしれない。しかしそれは間違いで,トウモロコシは8時01分に位置する。ヒトとトウモロコシが,遺伝的にそれほど近いのであれば,林の残りの部分と枝を占めているのは何者なのか。答えは,その大半が細菌ということになる。たとえば,よく知られている大腸菌とクロストリジウム属菌の遺伝的距離は,トウモロコシとヒトの遺伝的距離より遠い。人類は細菌が圧倒的優勢である世界の小さなシミにすぎないとも言える。私たちはこうした考え方に慣れる必要がある。
マーティン・J・ブレイザー 山本太郎(訳) (2015). 失われてゆく,我々の内なる細菌 みすず書房 pp. 16

微生物の成功

 微生物世界の巨大さを理解するためには別の見方も必要である。微生物は,いくつかの例外を除けば裸眼で見ることはできない。何百万個かの細菌が集まると針の穴ほどの大きさになる。しかしすべての微生物を集めると,マウス,クジラ,ヒト,鳥類,昆虫,虫,木のすべてを合わせた数よりも多くなり,私たちに馴染みのある目に見える生物すべての重さを超える。そのことについて考えてみよう。微生物は地球上の生物質量(バイオマス)の大きな部分を占める。それは,哺乳類,爬虫類,海にいるすべての魚,そして森林を合わせたより大きい。
マーティン・J・ブレイザー 山本太郎(訳) (2015). 失われてゆく,我々の内なる細菌 みすず書房 pp. 14-15

レジリエンス

3番目のデザイン原則であるレジリエンス(回復力)は,私たちのシステムの長期的な安定性に関係している。今日の社会システム(金融や政府,労働など)は,間欠的に不具合が派生したり,壊れたり,ひどいときには崩壊してしまう。システム全体の不調が起こりにくい,新しいシステムを設計することが必要だ。同様に,変化や脅威に素早く,正確に対応できない社会システムは,現代社会のニーズには適していない。長期的に見た私たちのレジリエンスは疑いなく,社会における急速な変化に私たちが素早く,安定的に適応できる力に根ざしている(非常にまれ,あるいは大規模な変化にも対応できなければならない)。社会物理学の観点から考えた場合,これは社会的学習がどのくらい速く進むかという問題である。これまで考えられなかったような情報源を含め,あらゆる場所から最速でデータを集め,統合するにはどうすればいいか,それを社会システムの再構成に使うにはどうすればいいか?というわけだ。
アレックス・ペントランド 小林啓倫(訳) (2015). ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 草思社 pp. 248-249

社会物理学

 社会物理学という言葉が,人々が自由意志を持たない機械であり,社会における役割を超えて動くことはできない存在であると暗に示唆しているとして,反感を覚える人もいる。しかし私の考えでは,社会物理学は,人間の独立した意思を認めている。それを表現する必要がないだけだ。社会物理学は,母集団全体に及ぶ統計学的な規則性に依拠している。つまりほぼあらゆる日と,ほぼあらゆる場合において,真実として考えられる現象を扱っているのだ。
アレックス・ペントランド 小林啓倫(訳) (2015). ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 草思社 pp. 226

可処分所得の増減

 重要なのは,かつて裕福だったものの,現在ではそうではない家庭では探求行為が減るという点だ。つまり裕福な家庭が,貧しい家庭とは異なる探求行為を伝統的に続けているというわけではない。家族の習慣は,可処分所得の量がどの程度かによって変わる。事実,可処分所得の量と探求行為の量の関係は,高い精度で予測が可能だ。可処分所得が増加すると,それに応じて交流における多様性や,訪れる店舗の多様性も増える。
アレックス・ペントランド 小林啓倫(訳) (2015). ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 草思社 pp. 197

データ乱用の防止

 データ駆動型社会を成功させるためには,私たちのデータが乱用されないようにする必要がある。特に政府がその力を悪用して,詳細なパーソナルデータにアクセスするなどといったことがあってはならない。データ駆動型社会の良い面だけを実現するためには,私が「データのニューディール」と呼ぶ取り組みが必要になると考えている。これは公益を実現するために必要なデータをすぐ使えるように整備する一方で,同時に市民を守るという実効性のある保証を行うものだ。プライバシーを保護する,より強力で洗練されたツールを開発し,また社会の改善と市民の権利保護という目的において,パーソナルデータの使用を許可するというコンセンサスを確立しなければならない。
アレックス・ペントランド 小林啓倫(訳) (2015). ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 草思社 pp. 211-212

典型的行動パターン

 ほとんどの人々にとって,典型的な行動パターンとは,仕事がある日になる。つまり同じ道を通って仕事に行き,帰ってくるという生活が繰り返されるわけだ。その次に頻出するパターンは,ウィークエンドや休日である。休日には睡眠を取ったり,夜中に家庭や職場以外の場所で過ごしたりする。驚くべきことに,自由時間においても,私たちがいく場所やすることは,ほとんど同じで,その点においては仕事のある日と変わらないのだ。しかし第3のパターンは,まったく違ったものになる。ショッピングや遠出など,探求に使われる日だ。第3のパターンの特徴は,明確な構造が存在しないという点である。これら3つのパターンで,私たちの行動の90パーセント以上が構成されている。
アレックス・ペントランド 小林啓倫(訳) (2015). ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 草思社 pp. 173

集団的知性の基礎

 何が集団的知性の基礎となるのだろうか?これは予想外だったのだが,集団のパフォーマンスを上げると多くの人びとが一般的に信じている要素(集団の団結力やモチベーション,満足度など)には,統計学的に有意な効果は認められなかった。集団の知性を予測するのに最も役立つ要素は,会話の参加者が平等に発言しているかどうかだったのである。少数の人物が会話を支配しているグループは,皆が発言しているグループよりも集団的知性が低かった。その次に重要な要素は,グループの構成員の社会的知性(相手のシグナルをどの程度読み取れるかで測定できる)だった。社会的シグナルについては,女性の方が高い読み取り能力を持つ傾向にあるため,女性がより多く含まれているグループの方が良い結果を残した。
アレックス・ペントランド 小林啓倫(訳) (2015). ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 草思社 pp. 110

エンゲージメント

 一連の研究の結論として言えるのは,エンゲージメント(繰り返し行われる協調的な交流)は信頼を醸成し,他人との関係の価値を高め,それが結果として協調行動に必要な社会的圧力の土台となるという点である。言い換えれば,エンゲージメントは文化をつくるのだ。さらに研究によって,ソーシャルネットワーク・インセンティブがこのプロセスを加速し,個人的なインセンティブよりもはるかに効果的である場合が多いことが証明された。
アレックス・ペントランド 小林啓倫(訳) (2015). ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 草思社 pp. 95

アイデアの流れ

 結論を言おう。健康習慣,政治志向,消費活動というこれら3つの例において,周囲の人々の行動に接することは,直接的なものかどうかを問わず,アイデアの流れに大きな影響を与えていた。その力の大きさは,遺伝子が行動に及ぼす影響や,IQが学業成績に及ぼす影響とほぼ等しい。さらにすべての研究において,周囲の行動への接触が,アイデアの流れを規定する最大の要因となっていた。
アレックス・ペントランド 小林啓倫(訳) (2015). ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 草思社 pp. 71

知人と体重変化

 私たちが特に注目したのは体重変化で,それが友人の行動と,周囲のコミュニティ内にいる同窓生のどちらからより大きな影響を受けるかを調査した。一般的に,人々が普段から接している人物の中で友人と呼べるのは数人だけで,残りはそれほど交流することのない「知人」といった程度の存在である。知人と友人が重なりあうことはごくわずかで,この2つのグループはまったく異なる存在である。
 研究の結果,調査対象となった学生の体重変化と,体重が増えた同窓生の存在との間に強い関連性が認められた。しかし体重を減らした同窓生の存在との間には,関連性は認められなかった。また体重の変化した友人がいても,彼らと交流することは体重変化には何の影響も及ぼしていなかった。同じ傾向は食事習慣においても確認され,同窓生との接触が影響を与えていた。
 この場合では,問題となるのは直接的なやり取りだけではなかった。体重が増加した人々の行為に,直接的な交流もしくは間接的な観察を通じて,合計でどのくらい接したのかという量が重要だったのである。言い換えれば,他人の行動がたまたま目に入ったり,あるいは他人の行動に関する話が耳に入ってきたりするだけで,アイデアの流れが発生し得るのだ。場合によっては,それは会話や電話,ソーシャルメディア上でのやり取りのように,より直接的な交流が生み出す場合以上の流れになる。またアイデアの流れは,他人から「私はこう行動している」という話を聞くよりも,彼らが実際にどのような行動をとっているかを目にした方が生まれやすくなる場合がある。
アレックス・ペントランド 小林啓倫(訳) (2015). ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 草思社 pp. 64-65

組織集団

 私は「組織」というものを,アイデアの流れの中を航海する人々の集団だと捉えている。アイデアが豊富にある,清らかで速い流れの中を航海することもあれば,よどんだ水たまりや,恐ろしい渦の中を航海することもある。あるときには,アイデアの流れが分岐して,一部の人々が新しい方向へと向かうかもしれない。私にとっては,これこそがコミュニティと文化の現実なのだ。残りは単なる表層的な出来事か,幻影にすぎない。



アレックス・ペントランド 小林啓倫(訳) (2015). ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 草思社 pp. 60


双方向の会話

 そこから判明したのは,他人との深い関わりを精力的にこなす人々は,より双方向型の会話をする傾向にあり,結果としてソーシャルネットワーク上でのアイデアの流れに重要な役割を果たしているという点だ。これは私が世界で最も生産性の高い人々を観察してきた結果とも一致している。彼らは常に他人と関わり,新しいアイデアを集めており,こうした探求行為が良いアイデアの流れを生み出すのである。



アレックス・ペントランド 小林啓倫(訳) (2015). ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 草思社 pp. 51-52


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