もちろん,コンピュータで頭脳の正確なシミュレーションができるかどうかという問いはまだ結論にはほど遠い状態である。科学的な視点からは,根本的な障壁はないように見える。化学信号と電気信号が脳内で伝送される仕組みの低水準の詳細はかなりよくわかっている。その一方で,さまざまな哲学的議論は,脳の物理的なシステムとは質的に異なるものなのだと言っている。これらの哲学的議論はさまざまな形を取っており,たとえば私たちの自己省察能力,直観,霊性への訴えかけなどを基礎に置くことができる。 実は,この問題とアラン・チューリングが1937年に書いた決定不能性についての論文には魅力的なつながりがある。ただし,この論文の題名はかなりわかりにくい。「計算可能数について(On computable numbers……)」という穏当な文句で始まるのだが,「およびその決定問題への応用(……with an application to the Entscheidungsproblem)」という耳障りな文句で終わるのである(このタイトルの後半部分にはあえて触れない)。1930年代の「コンピュータ」という単語が今の普通の使い方とは全く異なる意味をもっていたことを理解しなければならない。チューリングにとって,「コンピュータ」とは紙と鉛筆で何らかの計算を行う人間のことである。つまり,論文タイトルの「計算可能数」という部分は,原則として人間が計算できる数のことである。しかし,チューリングは自分の議論を支えるために,同じく計算を実行できる特別なタイプの機械(チューリングにとっての「機械」とは,今の私たちなら「コンピュータ」と呼ぶものである)のことも論じている。論文の一部は,特定の計算がそれらの機械では実行できないことの証明に当てられている。これは,私たちがこの章で詳しく論じてきた決定不能性の証明である。しかし,同じ論文の別の部分では,チューリングの「機械」(コンピュータと読める)が「コンピュータ」(人間と読める)によってなされるあらゆる計算を実行できるという詳細で魅力的な議論を行っている。
私たちが使ってきた表のように,相互につながりを持つ表にすべてのデータを格納するデータベースを「リレーショナル」データベース(関係データベース)と呼ぶ。リレーショナルデータベースは,IBMの研究者,E.F.コッドが1970年に書いた「A Relational Model of Data for Large Shared Data Banks」というおそろしく強い影響を与えた論文のなかで推奨したものである。科学分野におけるもっとも優れた発想にはよくあることだが,リレーショナルデータベースは,あとから考えるとずいぶん単純に見える。しかし当時は,情報の効率のよい保存と処理に向かって非常に大きな1歩を踏み出したものだったのである。リレーショナルデータベースに対するほどあらゆる問い合わせへの解答としての仮想テーブルは,ごく一握りの操作(先ほど示した「選択」,「結合」,「射影」などの関係代数の演算)だけで生成できる。そのため,リレーショナルデータベースは,効率のよい構造に作られた表にデータを格納する一方で,別の形でデータが格納されていなければ答えられないように見える問い合わせにも仮想テーブルトリックで答えられる。 リレーショナルデータベースが大部分のeコマース活動で使われているのはそのためである。何かをオンラインで購入するたびに,あなたは製品,顧客,個々の売買契約についての情報を格納するリレーショナルデータベースの一連の表を操作している。サイバースペースでは,それと気づきさえしないうちに,私たちはリレーショナルデータベースに囲まれているのである。
誤り訂正符号は1940年代にはすでに存在していた。電子コンピュータ自体が誕生してからそれほど時間が経っていない。あとから考えると,その理由は割と簡単にわかる。初期のコンピュータは信頼性が低く,その部品は頻繁に誤りを生み出していた。しかし,誤り訂正符号の本当のルーツはもっと古く,電信や電話などの通信システムの頃からあった。だから,誤り訂正符号の開発のきっかけとなった2度の事件がともにベル研究所で起きたのは,驚くべきことではない。この物語のヒーローであるクロード・シャノンとリチャード・ハミングは,ともにベル研の研究員だった。ハミングにはすでに登場してもらっている。現在ハミング符号として知られる最初の誤り訂正符号が発明されたのは,ベル研のコンピュータが2回の週末にクラッシュするのにハミングがうんざりしたことからだった。 しかし,誤り訂正符号は,「情報理論」というもっと大きな学問分野の一部に過ぎない。そして,ほとんどのコンピュータ科学者は,情報理論という学問分野の起源を1948年のクロード・シャノンの論文に求める。「The Mathematical Theory of Communication」(通信の数学理論)というタイトルのこの傑出した論文は,シャノンのある伝記作家が「情報時代のマグナカルタ」と呼んでいるほどのものである。アービング・リード(後述のリード=ソロモン符号の共同発明者)は,この論文について,「科学技術にこの論文以上に大きな影響を与えた仕事は,この世紀にはほとんどない。彼は通信理論と実践のあらゆる側面をもっとも深いところから刷新したのである」と言っている。このように高い評価が与えられているのはなぜだろうか。シャノンは,ノイズが多く誤りを引き起こしやすい回線を使っても,驚くほど高い確率で誤りのない通信を実現することが原則として可能だということを数学を通じて示したのである。シャノンが理論的に割り出した通信の最高速度を科学者たちが実際に実現したのは,それから何十年も後のことだった。
ハイパーリンクは,驚くほど古いアイデアだ。1945年,つまりコンピュータ自体が初めて作られたのと同じ頃のことだが,アメリカの技術者,ヴァネヴァー・ブッシュは,「As We May Think」という予見的エッセイを発表した。ブッシュは,この広範な対象について論じたエッセイの中で,memexというマシンなど,彼が将来生まれるだろうと予想した様々な技術について論じている。memexは文書を保存して自動的に索引を作るが,できることはそれだけに留まらない。memexは「連想的なインデクシング,つまり,任意の項目が,ただちに,そして自動的にほかの項目を意のままに選択する機構」も持つ。つまり,初歩的な形のハイパーリンクである。