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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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出費をさせる魅力

オリジナルなものを作る(創作する)ということは,しかし,「労働」だけで評価をされる行為ではない。ここが重要である。ただ文字を書くだけの作業ではない。すでにある話を書き写すのではないし,また似ているものも非難を受けるだろう。新しさがなければならない。そのうえ,大勢に受け入れられる要素がなければならない。絶賛してくれる人が10人いてもしかたがない。文句を言われながらも,何千人,何万人という人たちに出費をさせるだけの魅力が個々の作品に必要なのだ。この部分が,なかなか具体的なノウハウとして文章化できないところでもある。

森博嗣 (2015). 作家の収支 幻冬舎 pp.94-95
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本は読まれない

日常的に本を読む人はそんなに多くはない。小説になると数十万人といわれているほど少ない(これはどんな統計なのか僕は知らない。単にあちらこちらで耳にする数字にすぎないが,大きく外れていないことは確かだ)。たとえば,さきほどの一番売れた『F』でも,20年かけて78万部程度なのだから,日本人のうち0.6%にすぎない。つまり,170人に1人くらいの割合になる。これがTVの視聴率だったら即打切りだ。とにかく,小説というものが,超マイナなのである。

森博嗣 (2015). 作家の収支 幻冬舎 pp.56-57

「出版社に損をさせなかった」

実は,多くの書籍が赤字だという。多くというのは,半分よりもずっと多い,大多数という意味だ。それなのに出版社は成り立っている(最近の出版不況で潰れるところも多いが)。これは,一部の売れる本が黒字を出しているからにほかならない。部数が多くなるほど,利益率は高くなる。僕の担当編集者の一人は,「増刷というのは,お札を刷っているみたいなものです」と話していた(1万部,2万部単位での大量増刷になると,まさしく1000円の本なら500円札を刷っているのと同じことになる)。増刷になるのは,初刷がすべて売れたか,売れる見込みがある本だ。すなわち,編集も終わっていて,印刷の版下(写真のネガみたいなもの)もあるので,安く作ることができる。出版社にしてみれば,労力がかからない,まるでお札を刷っているみたいな感覚になるのも頷ける。
 作家としては,増刷は不労所得だと書いたが,それ以上に,「出版社に損をさせなかった」とほっとするのが増刷,ともいえる。

森博嗣 (2015). 作家の収支 幻冬舎 pp.51-52

本の売上

印税率とは,本の価格に,印刷される部数を乗じた「売上げ」に対して作家が受け取る印税の割合のことだ。すなわち,1冊1000円の本を1万冊印刷すると,1000円×1万部=1000万円が売上げになるから,印税率が12%ならば,120万円が作家に支払われる。
 「売上げ」と書いたが,通常は印刷された時点で,出版社は著作権を利用したわけだから,たとえその本が1冊も売れなくても,印税が作家に支払われる。この場合,印刷した本が倉庫で眠っていたら,出版社にとっては資産になり,税金もかかる。書店で売れないと,出版社に返本されるし,在庫を抱えることは出版社にはマイナスである。だから,売れそうな数字のぎりぎりを狙って印刷部数を決めることになる。

森博嗣 (2015). 作家の収支 幻冬舎 pp.33-34

言語とアイデア

簡単なたとえ話を使うとわかりやすいかもしれない。日本文学を専攻している教授と会ったとする。この教授が日本語を読み書きし,話せる可能性は非常に高い。しかし,しかし,教授が研究中にもっとも時間をかけて考えているものは何か当ててみてくれと言われたら,あなたは「日本語」とは答えないだろう。日本語は,日本文学を構成する文化,歴史,テーマを研究するために必要な知識の1つに過ぎない。その一方で,完璧な日本語をしゃべれる人の中にも日本文学をまったく知らない人もいるだろう(おそらく,日本にはそういう人が数百万といるはずだ)。
 コンピュータのプログラミング言語とコンピュータ科学の主要なアイデアとの関係もこれとよく似ている。コンピュータ科学の研究者たちは,アルゴリズムを実装し,試してみるために,アルゴリズムをコンピュータプログラムに変換する。そして,個々のプログラムはJava,C++,Pythonなどのプログラミング言語で書かれる。だから,プログラミング言語の知識はコンピュータ科学者にとって必要不可欠である。しかし,それは単なる前提条件に過ぎない。研究者の主要な課題は,アルゴリズムを発明,修正,理解することである。

ジョン・マコーミック 長尾高弘(訳) (2012). 世界でもっとも強力な9のアルゴリズム 日経BP社 pp.302-303

コンピュータとは

もちろん,コンピュータで頭脳の正確なシミュレーションができるかどうかという問いはまだ結論にはほど遠い状態である。科学的な視点からは,根本的な障壁はないように見える。化学信号と電気信号が脳内で伝送される仕組みの低水準の詳細はかなりよくわかっている。その一方で,さまざまな哲学的議論は,脳の物理的なシステムとは質的に異なるものなのだと言っている。これらの哲学的議論はさまざまな形を取っており,たとえば私たちの自己省察能力,直観,霊性への訴えかけなどを基礎に置くことができる。
 実は,この問題とアラン・チューリングが1937年に書いた決定不能性についての論文には魅力的なつながりがある。ただし,この論文の題名はかなりわかりにくい。「計算可能数について(On computable numbers……)」という穏当な文句で始まるのだが,「およびその決定問題への応用(……with an application to the Entscheidungsproblem)」という耳障りな文句で終わるのである(このタイトルの後半部分にはあえて触れない)。1930年代の「コンピュータ」という単語が今の普通の使い方とは全く異なる意味をもっていたことを理解しなければならない。チューリングにとって,「コンピュータ」とは紙と鉛筆で何らかの計算を行う人間のことである。つまり,論文タイトルの「計算可能数」という部分は,原則として人間が計算できる数のことである。しかし,チューリングは自分の議論を支えるために,同じく計算を実行できる特別なタイプの機械(チューリングにとっての「機械」とは,今の私たちなら「コンピュータ」と呼ぶものである)のことも論じている。論文の一部は,特定の計算がそれらの機械では実行できないことの証明に当てられている。これは,私たちがこの章で詳しく論じてきた決定不能性の証明である。しかし,同じ論文の別の部分では,チューリングの「機械」(コンピュータと読める)が「コンピュータ」(人間と読める)によってなされるあらゆる計算を実行できるという詳細で魅力的な議論を行っている。

ジョン・マコーミック 長尾高弘(訳) (2012). 世界でもっとも強力な9のアルゴリズム 日経BP社 pp.293-294

背理法

背理法はきわめて重要なテクニックなので,もっと数学的な例も考えてみよう。私が「平均して,人間の心臓の鼓動は10分に6000回くらいだ」と主張したとする。この主張は真だろうか偽だろうか。すぐにおかしいと思ったかもしれないが,本当に偽だと自分で確信を持つまでの過程はどのようなものだっただろうか。先に進む前に,ここで数秒を使って自らの思考プロセスを分析してみよう。
 この場合も,背理法が使える。まず,議論の都合上,「人間の心臓は,10分に平均で6000拍する」という主張が正しいものとする。それが真実なら,1分では何拍起きていることになるだろうか。6000を10で割るわけだから,1分600拍である。すると,医療の専門家でなくても,これが1分に50〜150という正常な脈拍数よりもかなり高いことがわかる。そのため,「人間の心臓が10分に平均で6000拍する」という最初の主張は既知の事実と矛盾を起こすので,真ではない,ということになる。
 もっと抽象的な言葉で言うと,背理法は,次のように要約できる。Sという言明は偽なのではないかと疑っているが,ただの疑いを越えて偽であると証明したい。まずSが真だと仮定する。何らかの推論によって,たとえばTという別の言明も真でなければならないことを突き止める。しかし,Tは偽であることがすでにわかっているため,矛盾が生じる。そこで,最初のSという仮定は偽でなければならないということが証明される。
 数学者たちは,「SはTを内包し,Tは偽なので,Sは偽である」のようにこれよりもずっと簡潔な言い方をする。背理法を一言で言えばこうである。

ジョン・マコーミック 長尾高弘(訳) (2012). 世界でもっとも強力な9のアルゴリズム 日経BP社 pp.263-264

リレーショナルデータベース

私たちが使ってきた表のように,相互につながりを持つ表にすべてのデータを格納するデータベースを「リレーショナル」データベース(関係データベース)と呼ぶ。リレーショナルデータベースは,IBMの研究者,E.F.コッドが1970年に書いた「A Relational Model of Data for Large Shared Data Banks」というおそろしく強い影響を与えた論文のなかで推奨したものである。科学分野におけるもっとも優れた発想にはよくあることだが,リレーショナルデータベースは,あとから考えるとずいぶん単純に見える。しかし当時は,情報の効率のよい保存と処理に向かって非常に大きな1歩を踏み出したものだったのである。リレーショナルデータベースに対するほどあらゆる問い合わせへの解答としての仮想テーブルは,ごく一握りの操作(先ほど示した「選択」,「結合」,「射影」などの関係代数の演算)だけで生成できる。そのため,リレーショナルデータベースは,効率のよい構造に作られた表にデータを格納する一方で,別の形でデータが格納されていなければ答えられないように見える問い合わせにも仮想テーブルトリックで答えられる。
 リレーショナルデータベースが大部分のeコマース活動で使われているのはそのためである。何かをオンラインで購入するたびに,あなたは製品,顧客,個々の売買契約についての情報を格納するリレーショナルデータベースの一連の表を操作している。サイバースペースでは,それと気づきさえしないうちに,私たちはリレーショナルデータベースに囲まれているのである。

ジョン・マコーミック 長尾高弘(訳) (2012). 世界でもっとも強力な9のアルゴリズム 日経BP社 pp.221-222

クラッシュ

今までの説明を読むと,私達が不必要にクラッシュの可能性にこだわっているように見えるかもしれない。結局のところ,今のアプリケーションプログラムを実行している今のオペレーティングシステムなら,クラッシュを起こすことは非常にまれなのだ。しかし,この疑問には答えるべきことが2つある。まず第1に,ここで使っている「クラッシュ」の概念は,かなり一般的である。コンピュータが機能を止めてデータを失うようなあらゆる事故を網羅している。考えられることとしては,電源異常,ディスクエラー,その他のハードウェアの誤動作,OSやアプリケーションプログラムのバグなどがある。第2に,一般化しようがクラッシュが起きるのはまれだとしても,銀行,保険会社など,データが実際の金額を表している会社のシステムでは,どのような状況でもレコードに不一致が含まれていてよいことはない。

ジョン・マコーミック 長尾高弘(訳) (2012). 世界でもっとも強力な9のアルゴリズム 日経BP社 pp.196

トランザクション

データベースの世界でもっとも重要な観念は,おそらくトランザクション[英語のtransactionは,取引,処理などを意味する。データベースにおけるtransactionは,日本語文献でもトランザクションとカタカナ表記するのが普通なので,ここでもトランザクションという言葉を使う。意味についてはすぐあとを参照のこと]。しかし,トランザクションとは何なのか,なぜ必要なのかを理解するためには,コンピュータについて2つの事実を受け入れなければならない。最初の事実は,たぶん誰もはいやというほど知っていることである。コンピュータプログラムはクラッシュする。そして,プログラムはクラッシュしたときに,自分がしていたことをすべて忘れてしまう。コンピュータのファイルシステムに明示的に保存された情報だけが残る。知らなければならない第2の事実は,だいぶわかりにくいが,きわめて重要なことである。コンピュータのハードディスクやフラッシュメモリーなどの記憶装置が瞬間的に書き込めるデータはごくわずかで,一般的には約500字ほどである(専門用語に関心のある読者に説明しておくと,ここで言っているのはハードディスクの「セクターサイズ」のことで,一般に512バイトである。フラッシュメモリーの場合,問題になるのは「ページサイズ」だが,やはり数百〜数千バイトである)。最近のドライブは500字の書き込みを1秒に数百,数千回実行できるので,普通のコンピュータユーザーは,デバイスに瞬間的に書き込めるデータのサイズがこのように小さく制限されていることには気づかない。しかし,ディスクの内容は,1度に数百字ずつしか書き換えられないのは事実である。
 このこととデータベースにいったいどのような関係があるのだろうか。実は,きわめて重要な意味がある。一般に,コンピュータは,同時にデータベースの1行分しか更新できないのだ。先ほどの非常に小さくて単純なサンプルサイズでは,これを実証できない。上の例は,表全体で200字に足りないので,コンピュータは2行を同時に更新できるだろう。しかし,一般に合理的な規模のデータベースでは,2つの異なる行を書き換えるためには,2回の別々のディスク操作が必要である。
 以上の事実をはっきりさせると,問題の核心に入っていくことができる。データベースに一見単純な変更を加えようとすると,複数の行を書き換えなければならない。そして,今わかったように,2つの異なる行の書き換えは,1回のディスク操作では実行できない。そのため,データベースの更新は,複数回のディスク操作を連続的に行った結果となる。しかし,コンピュータはいつでもクラッシュする可能性がある。コンピュータがこのような2回のディスク操作の「間に」クラッシュしたらどうなるだろうか。コンピュータをリブートすることはできるが,クラッシュしたときに実行することになっていた処理のことは忘れている。そのため,必要とされる変更が実行されない場合がある。つまり,データベースが一貫性のない状態に取り残される場合があるということだ。

ジョン・マコーミック 長尾高弘(訳) (2012). 世界でもっとも強力な9のアルゴリズム 日経BP社 pp.190-192

圧縮

データやら情報やらを壊さずに「本当の」サイズよりも小さくし,あとですべての情報を完全に作り直すなどということが,どうすればできるのだろうか。実は,人間は,そうと考えもせずに始終これを行っている。例として週間のカレンダーについて考えてみよう。話を簡単にするために,あなたの仕事は1日8時間,週に5日で,カレンダーは1時間ごとに区切られているものとする。つまり,5日間でそれぞれ8時間分の枠があり,1週間あたり40時間分の枠があるということになる。そこで,あなたは自分の1週間分のカレンダーを誰か他人に知らせるときに,40個分の情報を伝えなければならない。しかし,誰かが翌週の会議の時間を押さえるために電話をかけてきたとき,40個の情報をずらずらと並べて出席できる時間を説明するだろうか。もちろん,そんなことはしないだろう。「月曜と火曜はいっぱいで,木曜と金曜は午後1時から3時がふさがっているけど,あとは大丈夫だよ」のように言うはずだ。これは,ロスなし圧縮の実例である。あなたの話を聞いた相手は,週の40時間の枠のうち,あなたが会議に出席できる時間を完全に再現できる。しかし,あなたは40個の枠全部についていちいち説明するわけではないのだ。

ジョン・マコーミック 長尾高弘(訳) (2012). 世界でもっとも強力な9のアルゴリズム 日経BP社 pp.162-163

20の質問と決定木

コンピュータ科学者たちにとって,「20の質問」ゲームには特別な魅力がある。このゲームでは,プレーヤーの1人があるものを思い浮かべ,ほかのプレーヤーたちは20個以下のイエス・ノーで答えられる質問に対する答えからそのものが何かを当てなければならない。あなたに20の質問をしてくる小さな携帯電話機さえ売っている。このゲームは,主として子どもを楽しませるために使われるものだが,大人がやっても意外に面白い。ゲームを始めて数分経つと,このゲームには「よい質問」と「悪い質問」があることがわかってくる。よい質問は大量の「情報」(どのような意味であれ)を与えてくれるのに対し,悪い質問は手がかりを与えてくれない。たとえば,最初の質問として「それは銅製ですか?」と尋ねるのはうまくない。答えが「ノー」だったら,可能性の幅がほとんど狭まらないからだ。良い質問と悪い質問を見分ける直観は,情報理論という魅力的な学問分野の核心である。そして,「決定木」というシンプルで強力なパターン認識テクニックの核心である。

ジョン・マコーミック 長尾高弘(訳) (2012). 世界でもっとも強力な9のアルゴリズム 日経BP社 pp.138

情報時代のマグナカルタ

誤り訂正符号は1940年代にはすでに存在していた。電子コンピュータ自体が誕生してからそれほど時間が経っていない。あとから考えると,その理由は割と簡単にわかる。初期のコンピュータは信頼性が低く,その部品は頻繁に誤りを生み出していた。しかし,誤り訂正符号の本当のルーツはもっと古く,電信や電話などの通信システムの頃からあった。だから,誤り訂正符号の開発のきっかけとなった2度の事件がともにベル研究所で起きたのは,驚くべきことではない。この物語のヒーローであるクロード・シャノンとリチャード・ハミングは,ともにベル研の研究員だった。ハミングにはすでに登場してもらっている。現在ハミング符号として知られる最初の誤り訂正符号が発明されたのは,ベル研のコンピュータが2回の週末にクラッシュするのにハミングがうんざりしたことからだった。
 しかし,誤り訂正符号は,「情報理論」というもっと大きな学問分野の一部に過ぎない。そして,ほとんどのコンピュータ科学者は,情報理論という学問分野の起源を1948年のクロード・シャノンの論文に求める。「The Mathematical Theory of Communication」(通信の数学理論)というタイトルのこの傑出した論文は,シャノンのある伝記作家が「情報時代のマグナカルタ」と呼んでいるほどのものである。アービング・リード(後述のリード=ソロモン符号の共同発明者)は,この論文について,「科学技術にこの論文以上に大きな影響を与えた仕事は,この世紀にはほとんどない。彼は通信理論と実践のあらゆる側面をもっとも深いところから刷新したのである」と言っている。このように高い評価が与えられているのはなぜだろうか。シャノンは,ノイズが多く誤りを引き起こしやすい回線を使っても,驚くほど高い確率で誤りのない通信を実現することが原則として可能だということを数学を通じて示したのである。シャノンが理論的に割り出した通信の最高速度を科学者たちが実際に実現したのは,それから何十年も後のことだった。

ジョン・マコーミック 長尾高弘(訳) (2012). 世界でもっとも強力な9のアルゴリズム 日経BP社 pp.122-123

ウェブスパムとの闘い

検索エンジンの世界では,この種の濫用を「ウェブスパム」と呼んでいる(この用語は,電子メールのスパムからの類推で作られたものである。ウェブ検索の結果を撹乱する迷惑なウェブページがあることは,電子メールの受信ボックスに迷惑なメールが届いているのとよく似ている)。すべての検索エンジンにとって,さまざまなタイプのウェブスパムを検出し,取り除いていくことは,継続的に進めなければならない重要な仕事である。たとえば,マイクロソフトの研究者たちは,2004年にちょうど1001個のページがリンクしているウェブサイトを30万以上も見つけた。これは非常に怪しげな動きである。これらのウェブサイトを手作業で調べてみたところ,そのリンクの大多数は,ウェブスパムであることがわかった。
 そのため,検索エンジンはウェブスパマーとの知恵比べに否応なく巻き込まれており,リアルなランクを返せるように,たえずそれぞれのアルゴリズムを改良しようとしている。このようにページランクに改良圧力がかかっているために。アカデミズムでも業界内でも,ウェブのハイパーリンク構造を使ってページのランク付けをするほかのアルゴリズムの研究が数多く生まれている。この種のアルゴリズムは,リンクベースランキングアルゴリズムと呼ばれることが多い。

ジョン・マコーミック 長尾高弘(訳) (2012). 世界でもっとも強力な9のアルゴリズム 日経BP社 pp.64

ハイパーリンク

ハイパーリンクは,驚くほど古いアイデアだ。1945年,つまりコンピュータ自体が初めて作られたのと同じ頃のことだが,アメリカの技術者,ヴァネヴァー・ブッシュは,「As We May Think」という予見的エッセイを発表した。ブッシュは,この広範な対象について論じたエッセイの中で,memexというマシンなど,彼が将来生まれるだろうと予想した様々な技術について論じている。memexは文書を保存して自動的に索引を作るが,できることはそれだけに留まらない。memexは「連想的なインデクシング,つまり,任意の項目が,ただちに,そして自動的にほかの項目を意のままに選択する機構」も持つ。つまり,初歩的な形のハイパーリンクである。

ジョン・マコーミック 長尾高弘(訳) (2012). 世界でもっとも強力な9のアルゴリズム 日経BP社 pp.48-49

インデクシング

インデックス(索引)の概念は,あらゆる検索エンジンを支えるもっとも基礎的な考え方である。しかし,インデックスを発明したのは検索エンジンではない。実際には,インデクシングの思想は,文章を書くこととほぼ同じくらい古い。たとえば,考古学者たちは,5000年前のバビロニアの遺跡で,テーマごとに楔形文字の粘土板の目録を所蔵する寺院の附属図書館を発見している。このように,インデクシングはコンピュータ科学でもっとも古い有用なアイデアだと言うことができる。

ジョン・マコーミック 長尾高弘(訳) (2012). 世界でもっとも強力な9のアルゴリズム 日経BP社 pp.28

「不徳のいたすところ」

どんなにスバラシイ会社でありましても,不慮の事故不測の事態,不可抗力的な災厄ともうしますものは——これ,避けられるものではございません。
 災厄は振りかかる時には振りかかるもの。社長一人が有能だからといって災厄が除けて通るようなことは,これもまたございません。どう考えましょうとも,何もかもが社長の行いの悪さに起因していると考えますのは,やっぱり飛躍でございましょうな。それでも釈明は決まって“不徳のいたすところ”なのでございます。
 これは,トップ——王様に“徳”が足りないが故に不祥事——災害が起きてしまった,という“理屈”に基づく誤り方なのでございますな。
 天人相関説の焼き直しでございます。
 王様がダメダメなので天変地異が起きるようというのも,トップがヘタレなので会社がぐだぐだだよう——というのも,構造としては同じ。因果関係のないところに因果関係を幻視している訳でございます。こうした“お約束”を作り,広め,行使することで文化やら国家やらは成り立っておる訳でございます。

京極夏彦 (2013). 文庫版 豆腐小僧双六道中おやすみ 角川書店 pp.171-172

幽霊の場合

幽霊などの場合は,これ移動しそうな雰囲気でございますが,実を申せばこれも移動致しません。幽霊を感得する人間が移動するだけでございます。そもそも幽霊は死人の霊魂なんかではございません。生きている人間がそう見るだけのモノでございますから,いってみればお化けの出現は一種の“反応”でございまして,反応に意志などあろうはずもなく,ならば人間と無関係に移動することも出来ますまい。

京極夏彦 (2013). 文庫版 豆腐小僧双六道中おやすみ 角川書店 pp.23

概念・喩え

ですから,このお話で活躍致しますお化けども,これは概念でございます。
 お化けと申しますものは——幽霊なんかも含みますけれども——これ,大雑把に述べますてえと,文化的存在と申すことが出来ましょうな。
 世の中には理解の及ばぬ現象やら,子細あって曲解したい事象やら,都合の悪い出来ごとなんぞが沢山ございます。人と申しますものは,そうしたものごとを誤魔化すように出来ております。まあ,無理な解釈を致しましたり,妙な説明を致しましたり,怖がりたくないから何かの所為にしてしまったりする訳ですな。そういう色々な人の思いが捏ね上げました妄念やら小理屈なんかが,お化けそもそもでございます。その辺から生まれまして,長い年月をかけまして醸造されました様々なモノが,妖怪と呼ばれる訳でございますな。
 ですから,まあいないという形でいる訳でございまして——その辺が,喩えなのでございますな。

京極夏彦 (2013). 文庫版 豆腐小僧双六道中おやすみ 角川書店 pp.10

憎しみ・復讐心

以上はいずれも,誰かとの間でポジティブに「利益」交換関係を築くための感情だが,その裏返しとして,こちらが「恩」をかけたのに「お返し」をしてこない相手や,こちらに害をもたらした相手に対しては,関わりを断ち切る,あるいは反撃や報復をして相応の不利益を「お返し」しようとする感情も人間にはある。それが「憎しみ」や「復讐心(報復心)」で,そういう相手と関係を持つのは「損」なので,はっきり関係を断ってこちらに寄ってこないようにするのが得策である。何かの拍子に一,二度親切な振る舞いを受けることがあっても,過去に大きな害を受けた相手であればそれでは割に合わないし,いつまたこちらに不利益なことをしてくるか分からない。そこで,そうした相手をはっきりマーキングし,攻撃的な態度をとって今後自分に寄ってこないようにする。場合によってはこちらからも相手に不利益を与えて「自分の利益」を守る。そのための感情が「憎しみ」や「復讐心」である。

内藤 淳 (2009). 進化倫理学入門:「利己的」なのが結局,正しい 光文社 pp.93-94

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