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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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サブリミナル

一方で,サブリミナル知覚研究は,科学分野の一分野として花開きつつある。今日では,人々がそれと気づかずに情報を得たかどうか,またその情報が行動に影響したかどうかを,単純な実験によって明らかにできる。しかし,行動に与える効果はごく小さいことが明らかになっており,ともかく,ポップコーンの売り上げが60パーセント近くも増えるようなことにならないのは確かである。

レト・∪・シュナイダー 石浦章一・宮下悦子(訳) (2015). 狂気の科学:真面目な科学者たちの奇態な実験 東京化学同人 pp.136
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スキナーの娘

実は「スキナー箱」という名はスキナーがつけたわけではなかったが,この名はすぐに世間に広まった。彼が次女のデボラをスキナー箱に入れて育てたという話まで出て,やがて,「デボラは最後には精神科の施設に入り,自ら命を絶った」という噂が広がり始めた。この都市伝説のもとになったのは,女性誌『レディース・ホーム・ジャーナル』の1945年10月号に載った記事だった。スキナーがデボラのためにつくった暖房付きの防音保育器に関する記事で,運の悪いことに「箱入り娘」という題がつけられていた。これが読者に,デボラもスキナー箱に入れられ,ラットやハトと同じように父親の実験の対象にされていたのだという誤った印象を与えたのである。現在,デボラはロンドンでアーティストとして活動しながら,「彼女は自殺した」というしつこい噂に終止符を打とうと,ときどきマスコミに登場している。

レト・∪・シュナイダー 石浦章一・宮下悦子(訳) (2015). 狂気の科学:真面目な科学者たちの奇態な実験 東京化学同人 pp.86

アルバート坊や

ワトソンが制作した悪名高い「アルバート坊や」の映画のおかげで,この実験は広く知られて心理学の伝説の一つとなり,いくつも不正確な話が伝わるようになった。たとえば,一部の教科書にはワトソンがアルバートにネコ,マフ(手を入れる円筒形の毛皮の防寒具),白い毛皮の手袋,テディー・ベアを見せたと書かれている。またアルバートの反応も,それぞれの理論に合うよう好き勝手な解釈がなされている。さらに一部の本の著者たちは,ワトソンがどのようにして,アルバートに条件づけした恐怖を実験を終える前にすべて消去したか,詳しく説明している。しかし実際には,ワトソンはそんなことは全くしなかった。アルバートと母親がいつ小児病院を離れる予定になっているかをワトソンが前もって正確に知っていたことを考えると,これには非常に驚かされる。しかも,彼は自分の実験がどのような結果をもたらす可能性があるかを十分承知していたのに,である。実験結果を発表したときに,ワトソンは「これらの反応は,それを除去するような偶然の状況に出会わないかぎり,家庭環境にあっても永久に持続する可能性が高い」と書いている。
 それからほどなく,ワトソンは別の実験でレイナーと親密すぎる関係になり,大学を追放された。その後彼は,子供の教育についての有名な本を書いた。そのなかで彼は,子供に愛情や関心を持ちすぎないようにと,親に対してアドバイスしている。アルバート坊やの実験から40年経って,心理学者のハリー・ハーロウがサルで一連の冷酷な実験を行い,ワトソンのアドバイスがいかに誤りであったかを実証した。

レト・∪・シュナイダー 石浦章一・宮下悦子(訳) (2015). 狂気の科学:真面目な科学者たちの奇態な実験 東京化学同人 pp.74-75

誰がやったのか

ところで,中心となってこれらの実験を計画し,進めたのは本当にプングストだったのだろうか。ドイツの心理学者ホルスト・グントラッハは事の真相に疑問をもち,従来いわれていた経過にいくつか矛盾があるのを指摘している。たとえば,プングストは何年も博士論文に取組んできたのに,結局は論文を仕上げなかった。どうして,「賢馬ハンス」についての研究を論文として提出できなかったのだろう。そもそも,研究助手でさえないプングストが,どうして単独で本の著者になったのだろうか。教授が学生の著作に名前を連ねるのは,ごく当たり前の慣習である。彼はその後一冊も本を書かなかったし,論文すらほとんど発表しなかった。グントラッハは,この本の大部分を書いたのは実はプングストではなく,彼の教官のカール・シュトゥンプだと考えている。だがシュトゥンプは,それ以上ハンスとかかわりたくなかったのだ。ハンスの秘密が暴露されたときに,シュトゥンプと同じ心理学者たちや報道機関が,何カ月間もハンスの奇跡的能力を信じていたシュトゥンプを馬鹿にしたからである。

レト・∪・シュナイダー 石浦章一・宮下悦子(訳) (2015). 狂気の科学:真面目な科学者たちの奇態な実験 東京化学同人 pp.61

賢いハンス

プングストの研究によって,あらゆる実験の結果を台無しにする恐れのある最も重大な要因の1つが明らかになった。それは,「実験者の期待」である。その後多くの研究で実証されているように,研究者は無意識のうちに,自分の仮説に有利なように実験の結果を曲げてしまう。プングストも,叩くのをやめてほしいと思ったときに,ハンスに無意識に合図を送っていたのだ。現代心理学では,この現象は「実験者効果」とよばれ,実験計画を立てるときには必ずこれを考慮に入れなければならない。プングストの研究は非常に有名になり,今日でも「賢馬ハンス現象」を論じるシンポジウムが開かれるほどである。

レト・∪・シュナイダー 石浦章一・宮下悦子(訳) (2015). 狂気の科学:真面目な科学者たちの奇態な実験 東京化学同人 pp.60-61

証言実験

講義に参加していた受講生たちは,この拳銃が実はオモチャで,今目の前で繰り広げられた恐ろしい場面はドイツの心理学者ウィリアム・スターンが計画した実験の一部だとは知るはずもなかった。スターンは心理学のあらゆる分野に手を出した器用な学者で,IQの概念を生み出し,発達心理学にも携わり,『証言心理学への貢献(Beiträge zur Psychologie der Aussage)』という雑誌を刊行した。この専門誌では研究者たちが,人は出来事をどの程度正確に思い出せるかという問題の解明に取り組んでいた。
 スターンが,被験者に45秒間絵を見せ,次にたった今見たばかりの絵について説明させる実験を行って気づいたのは,ほとんどの人の記憶が完璧とはほど遠いことだった。多くの人が,実際には絵のなかに存在しない物体を,見たと断言したのだ。記憶の信頼性は,裁判では特に重大な問題になる。そこでスターンはヤラセの口論の実験を提案し,実際の犯罪に非常によく似た状況を目撃させたのである。
 拳銃が発射されると,その場にいた受講者たちはすぐに,口論がまったくの見せかけだったことに気づいた。15人の受講者は「法学部に入って何年目かの学生か見習い弁護士」のどちらかで,その後,目撃したことを書面か口頭で証言させられた。聞き取り調査は,うち3人についてはその夜のうちか翌日に,9人は一週間後に,残る3人は事件から5週間が過ぎた後に初めて行った。事件は15の段階に分けられるが,細かい点をすべて覚えていた人はいなかった。誤答率は27〜80パーセントだった。
 予想どおり,目撃者の多くは事件の際の会話を正確には思い出せなかった。しかし,本当に驚かされたのは,一部の目撃者が実際には起こらなかった出来事をでっち上げてしまったことである。たとえば,実際は何も言わずに見ていた人について,その人が何かを言ったと証言したり,口論した二人は両方とも事件の間ずっとその場を離れなかったのに,一方がもう一方よりも先に逃げ出したと証言したりしたのだ。

レト・∪・シュナイダー 石浦章一・宮下悦子(訳) (2015). 狂気の科学:真面目な科学者たちの奇態な実験 東京化学同人 pp.50-51

交易があったからこその農業

 従来の通念では,余剰物を蓄えることによって資本を成立させたのは農業であり,蓄えられた余剰物が交易に使われるようになったとされている。農業が始まる前は,余りものを貯蓄できる人はいなかった。この説には真実も含まれているが,話があべこべになっている部分がある。交易があったからこそ農業が可能だったのだ。交易のおかげで人びとは,農産物に特化して余剰食糧を生産する気になった。



マット・リドレー 大田直子・鍛原多惠子・柴田裕之(訳) (2013). 繁栄:明日を切り拓くための人類10万年史 早川書房 pp.119-200


手抜き

リンゲルマンの巧みな実験とは,グランジュアン農業大学の学生20人に長さ5メートルの綱を引っ張らせ,綱の反対の端には歪みゲージを取付けておくというものだった。この装置によって,人の怠けたがる傾向が明確な数値で確認された。2人で同時に綱を引いたときには2人とも,その前にそれぞれが1人で綱を引いたときに比べ,平均93パーセントの力しか出さなかった。3人で引いたときにはこの数字は85パーセントに,4人のときには77パーセントに下がった。怠惰の指標となるこの数字はさらにその後も下がり続け,8人の集団になると,1人ひとりは平均すると最大能力の50パーセントしか発揮しなかった。現代の心理学者は,人の本質に潜むこのずるい傾向をリンゲルマン効果とよび,次のように説明している。集団で行う作業では,個人のしたことが全体の成果にそれほど強く影響しないため,個人として最善を尽くそうという意欲が失われる。さらに,個人の貢献が団体の努力のなかでは隠れてしまうため,人をあてにする気分が強まる。

レト・∪・シュナイダー 石浦章一・宮下悦子(訳) (2015). 狂気の科学:真面目な科学者たちの奇態な実験 東京化学同人 pp.28

オジギソウの時計

オジギソウは夜になると葉を閉じ,昼間は葉を開く。ド・メランは,今が夜なのか昼なのかおじぎそうにわからないようにしたら,一体どうなるだろうと考えた。そこで1729年の夏の終わりごろに,彼はオジギソウを真っ暗な箱に入れ,オジギソウは日光がなくても正しい時刻に葉を閉じたり開いたりすることを発見した。彼の友人のアカデミー・フランセーズ会員が,当時フランスの最も権威ある学術団体だった王立科学アカデミーへ送った短い論文には,「つまりオジギソウは,見ないでも太陽の存在を感じとることができる」と書かれている。
 しかし,この結論はまちがっていた。ずっと後になって,オジギソウは太陽の存在を感じとるのではなく,内部に固有の時計をもっていることを,研究者たちが突きとめたのである。

レト・∪・シュナイダー 石浦章一・宮下悦子(訳) (2015). 狂気の科学:真面目な科学者たちの奇態な実験 東京化学同人 pp.6

死を待つ人

「突然に襲われる脳溢血や心不全での急死は,絶命までにわずか数秒から長くても1分以内の猶予しかありません。死においては,とかく助かるのを前提に議論されることが多いが,突然死の場合,たとえ名医が側にいても救命はかなわないのです。老人の定義は『死を待つ人』で,高齢者は脱水だけで簡単に死に至ります。その“瞬間”を一人で迎えるか,周囲に人がいるなかで終えるかは,多くの場合で天命に左右されるのだということを誰もがまず前提として踏まえておかねばならないでしょう」

新郷由起 (2015). 老人たちの裏社会 宝島社 pp.178

孤立死

ちなみに,誰にも看取られずに一人で息絶える死に様について,当初は「孤独死」と呼ばれていた。数年前には各種メディアで大々的に報じられるようになり,その語感のセンセーショナルな響きからも広く一般に名称が認知されたが,のちに政府や行政も含めて言い方を「孤立死」と改める動きが続いている。
 というのも,一人でいることが「孤独」(=頼りになる人や心の通じる人がなく,一人ぼっちで寂しいこと)であるかどうかは本人の主観の問題であり,外部から特定できるのは「孤立」(=一人だけでいること)の状況のみである,との見解からだ。
 一人でいることを選び,楽しんで過ごしている人と,誰からも相手にされずに見捨てられている人とは違う。
 社会参加を続け,周囲とも日常的な交流があったが,一人暮らしでいたため,たまたま死の瞬間が一人の時に訪れて,すぐには発見されなかったケースと,自ら他者を拒み,打ち捨てられて社会的に孤立したまま一人で絶命し,長い間気づかれなかった場合とでは意味は大きく異なる。
 こうした実情を区分したり包括したりして語るのは困難なため,一括して「孤立死」(=一人の状態で亡くなった死)と呼ぶ流れが出来つつあるのだ。

新郷由起 (2015). 老人たちの裏社会 宝島社 pp.165-166

万華鏡のように

分かりやすい例として,彼は「マンモス狩り」を挙げる。
 「太古の昔の時代にはマンモスを狩れる人がヒーローであり,一番求められる人材でした。現代で成功者とされるIT起業家がもし,その時代に生まれたとしたら,果たしてどれだけの能力を発揮出来るでしょうか?もしかしたら現在,排他されている人の中にマンモスを倒す卓越した能力を持っている人がいるかもしれない。今の時代に求められる労働が出来ないからといって,その人たちすべてを不要視する思考は,実は大変危険なのです」
 ほんのわずかな時代のズレや環境の変化で,持てはやされ,大事にされる人が万華鏡のように入れ替わる。未来永劫,安泰かつ保障される職業や生き方などない。時の流れとともに目まぐるしく変わる“花型の職業”がそれを何より物語っているではないか。老いた自分に果たして何が出来るのか,どれほど時代に求められるのか,一体誰に分かるというのか。

新郷由起 (2015). 老人たちの裏社会 宝島社 pp.153-154

特権意識・全能感

「DVの加害者は家庭でわがままに育てられた人が多いのです。『自分は何をしても許される』という特権意識や全能感を持ち合わせているため,『やってはいけないこと』と知識では分かっていても道徳観念としての理解はなく,事の重大さに気づける人は極めて少ない。特に旧世代には家制度の残滓がいびつな形で意識の中に残っていることも多く,根底には『男女平等などとんでもない』という根強い差別意識もあるのです。高齢者の離婚問題は,こういった理屈で割り切れない問題と対処せざるを得ず,解決は相当な困難を伴います。最悪の場合は『戦うより相手が死ぬのを待った方が早い』というような事態にも陥りかねません。しかし,それでは残された人生を相手への恨みだけで,相手の死を願いながら生きていくことになり,決して幸せとは言えないでしょう。人は幸せに生きた者が勝ちなのです。『死ぬまでに自分の人生を取り戻したい』という思いがあるならば,逃げ出さずに進むべきではないでしょうか」

新郷由起 (2015). 老人たちの裏社会 宝島社 pp.96-97

やってはいけない行為

シニアストーカー予備軍に「やってはいけない行為」

◯本人に興味を持って(持ったふりをして)話を聞かない
◯笑って(笑いかけて)接しない
◯楽しそうに(楽しいふりを)しない
◯下手に褒めたり励ましたりしない
◯体に触れない(握手もしてはいけない)

 同氏が理由を説明する。
 「仕事や同情に基づいた言動であっても,相手は自分への好意としか受け止めないのです。話も面白そうに聞いてはいけない。話の内容に興味があるのに,相手は『自分に関心があるんだ』と勘違いしてしまうからです。彼らにとっては自分に関心を持たれることが一番の喜びのため,接する際には極めて淡々と,終始ポーカーフェイスを貫くこと。楽しそうな素振りを見せると『俺は彼女を楽しませることが出来た』という喜びと自信を与えてしまい,相手は勝手に妄想を膨らませていきます。『楽しかったです』ではなく,『楽しいお話でした』と言うべきで,あなたといて楽しかったのではなく,あなたの話が楽しかったのだと伝えなくてはいけない。傍から見れば『そんな馬鹿な』と思うような事象でも,本人は至って真面目に,自分本位に思い込んでしまうのです」

新郷由起 (2015). 老人たちの裏社会 宝島社 pp.80-81

やり残し

「人生の終盤を迎え,タイムリミットを自覚した高齢男性が決まって口にするのは『やり残していることがあった。それは恋愛だ』というものです」

新郷由起 (2015). 老人たちの裏社会 宝島社 pp.56

ピトケアン諸島

毎晩グリニッジ標準時の午前零時ごろ,太陽はケイマン諸島で沈み,午前1時を過ぎてようやく,イギリス領インド洋地域で再び昇る。この1時間,太陽の光が当たっているイギリスの領土は,南太平洋に浮かぶ小さなピトケアン諸島だけになる。
 ピトケアン諸島の人口はたった数十名だ。彼らは英国海軍艦船バウンティ号の反乱兵たちの子孫だ。2004年,島司を含む成人男性の島民の3分の1が未成年者への性的虐待で有罪になったことで,ピトケアン諸島は世界の注目を集めた。

ランドール・マンロー 吉田三知世(訳) (2015). ホワット・イフ?:野球のボールを高速で投げたらどうなるか 早川書房 pp.332

突き抜けたりはしない

みなさんが私と似たりよったりの想像力の持ち主なら,この質問を読んだ瞬間,マンガでよく出てくる状況を思い浮かべたかもしれない。ゴーリーにホッケー・パックと同じ形の穴があいて,パックはそのまま飛んでいってしまう,という図を。だがそんな想像をしてしまうのは,物質が超高速度でどのように振舞うかに関するわれわれの直観が,まったくあてにならないからにすぎないのだ。

ランドール・マンロー 吉田三知世(訳) (2015). ホワット・イフ?:野球のボールを高速で投げたらどうなるか 早川書房 pp.146-147

心配の必要はない

アリの脳には25万本ほどのニューロンがあり,ニューロン1本ごとに数千個のシナプスがあると推測される。だとすると,世界のアリの脳をすべて集めたら,世界中の人間と同じくらいの複雑さになるはずだ。
 このことから,コンピュータがいつ人間の複雑さに追いつくかなど,それほど心配する必要はないことがわかる。なにしろ,われわれはアリの複雑さに追いついたのにアリはまったく意に介していないようなのだから。たしかに今,人間が地球を征服したかのように見えるが,霊長類,コンピュータ,アリのなかで,100万年後の地球にまだ存在しているものはどれかという賭けに参加しなければならないとしたら,どれに賭けるか。私には迷いはない。

ランドール・マンロー 吉田三知世(訳) (2015). ホワット・イフ?:野球のボールを高速で投げたらどうなるか 早川書房 pp.132

天敵はいなくなった

現在のプロングホーン(アメリカン・アンテロープ)には謎がある。プロングホーンは走るのが速いことで知られているが,じつのところ,必要以上に速すぎる。時速約90キロメートルで,このスピードを落とさずに長距離を走ることができる。しかし,プロングホーンの捕食者のうち最も速いオオカミやコヨーテは,時速60キロで短距離を走るのが関の山だ。いったいどうしてプロングホーンは,そんなに速く走れるよう進化したのだろう?
 プロングホーンが進化したとき,その周りの世界は今私たちが暮らしている世界よりもはるかに危険だったから,というのがその答だ。10万年前,北米の森林にはダイアウルフ,ショートフェイスベア,サーベルキャットといった,現在の捕食者よりも走るのが速く,はるかに危険だったと思われる動物が生息していた。人間が初めて北米大陸で暮らしはじめた直後に起こった新生代第4紀の大量絶滅で,これらの捕食者はすべて絶滅した。

ランドール・マンロー 吉田三知世(訳) (2015). ホワット・イフ?:野球のボールを高速で投げたらどうなるか 早川書房 pp.30

許否に対する感受性

不安型の人のもっともやっかいな一面は,他者の言動を,実際にはたいしたことではないのに,自分に対する失礼なふるまいや冷淡な扱いであると感じとって,大げさに反応することです。このことを,コロンビア大学の心理学者ジェラルディン・ダウニーはrejection sensitivity(許否に対する感受性)と表現しました。この現象は3つの部分からなっています。

 (1)拒否されることを予期する
 (2)不明瞭な状況でも,いち早く許否を感じとる
 (3)(事実でも単なる想像でも)許否に対して過剰に反応する

 こういう不安型の人のレンズには歪みがあり,メールに返信が来ないとか,待ち合わせに相手が遅れてきたとか,期待した褒め言葉がもらえなかったなどのほんの些細なことを,「意図的な拒絶」と受け取り,自分に対する相手の「本心」なのだと解釈するのです。

ハイディ・グラント・ハルヴァーソン 高橋由紀子(訳) (2015). だれもわかってくれない:あなたはなぜ誤解されるのか 早川書房 pp.195

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