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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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補いあう

みなさんはいま,促進レンズの人たちと予防レンズの人たちは,はたして互いにうまくやっていけるのだろうかと,思っているのではありませんか?両者が対立する機会などいくらでもありそうですからね。でも幸いなことに,研究の結果は次のようなことを明らかにしています。いわゆる最高のコンビ,つまりもっとも適応性が高く互いの満足度が高いコンビというのは,似ていない者同士だそうです。たとえば,恋人同士でも夫婦でも,違うレンズを通して見ているカップルの方が,促進レンズ同士のカップルや,予防レンズ同士のカップルよりも,満足度が高いのです。研究者たちによれば,混合ペアはさまざまな行動を「分割統治」できるという明らかな利点があり,それが強みなのだそうです。

ハイディ・グラント・ハルヴァーソン 高橋由紀子(訳) (2015). だれもわかってくれない:あなたはなぜ誤解されるのか 早川書房 pp.184
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向上

誰でも,今よりいい暮らしを手に入れること,すでにあるものを守ることの両方を同時に望むのですが,ほとんどの場合,重心がどちらかに多少偏っています。仕事や人生における一番大事な目標は,ある人たちにとっては「向上すること」ですが,他の人たちにとっては,「安全であること」です。自分の生きる世界をどう見るか,そこから何を期待するかの違いが,まったく異なったレンズを生み出します。心理学者たちが呼ぶところのプロモーション(促進)フォーカス・レンズと,プリベンション(予防)フォーカス・レンズです。

ハイディ・グラント・ハルヴァーソン 高橋由紀子(訳) (2015). だれもわかってくれない:あなたはなぜ誤解されるのか 早川書房 pp.167

エゴレンズの働き

「エゴレンズ」の基本的な機能は,その人の自己肯定感(self-esteem)を守ったり高めたり,自分に自信を持たせることです。「エゴレンズ」は実際に大変有効なので,ふつうの人は誰でも(病的に落ち込んでいるのではない限り),自分に対して全般的にポジティブな見方をしていて,かなり高い自己肯定感を持っているものです。

ハイディ・グラント・ハルヴァーソン 高橋由紀子(訳) (2015). だれもわかってくれない:あなたはなぜ誤解されるのか 早川書房 pp.136

エゴレンズ

「信用レンズ」や「パワーレンズ」と同じように,この「エゴレンズ」の使命も単純なものです。それは自分が優位になるようにものごとを見るということです。この使命を果たすために「エゴレンズ」が使う戦略はいくつかあり,この章ではそれらを詳しく見ていきたいと思います。
 まずはその4つの戦略を簡単に説明しましょう。

 戦略1:自分より相手の方が(相手のグループよりも自分のグループの方が)優れている点に注目する。

 戦略2:相手と自分が同じグループに属している点に注目する。この場合,相手の成功は自分自身のものでもあり,その素晴らしい栄光に自分も浴すると考える。

 戦略3:相手の優れた点が自分にとって脅威ではないと判断する。相手の持つリソースが自分のものと重なっていない,あるいは相手の優れた点を特に評価しない。

 戦略4:右の3つの戦略のどれを使ってもうまくいかないときや,どれもうまく当てはまらないときは,相手の優れた資質や業績が,認識する側の自己肯定感にとって脅威となる。そのため,相手を避けたり,邪魔したりして,脅威をなくそうとする。

ハイディ・グラント・ハルヴァーソン 高橋由紀子(訳) (2015). だれもわかってくれない:あなたはなぜ誤解されるのか 早川書房 pp.133-134

補償効果

ある特性に対して矛盾する2つの一般的見方があることを心理学者たちはcompensation effect(補償効果)と呼びます。いくつかのステレオタイプの中にもそれが見られます。たとえば,「女性は男性よりも温かみがあるが,能力は劣る」「金持ちは知性の面で優れているが,どちらかといえば冷たい」「キャリアウーマン,フェミニスト,知識人,レズビアンなど,いわゆる伝統的なイメージと違う女性たちは,能力は高いが(たぶんそのために)温かみに欠ける」などというものです。能力の高い女性たちに対する性差別は,時に非常に敵対的な形をとることもありますが,それは1つには,彼女たちが「女性はやさしいが能力は劣る」という一般的なイメージに合わないからです。

ハイディ・グラント・ハルヴァーソン 高橋由紀子(訳) (2015). だれもわかってくれない:あなたはなぜ誤解されるのか 早川書房 pp.105

気づかない

目を合わせること,うなずき,微笑みが,「温かみ」を表現する三大要素であることを,研究の結果が示しています。ところが,人はたいていの場合,自分がこの3つをしていないことに気がづいていません。友人や家族に聞いて確かめた方がいいかもしれません。

ハイディ・グラント・ハルヴァーソン 高橋由紀子(訳) (2015). だれもわかってくれない:あなたはなぜ誤解されるのか 早川書房 pp.90

瞬間的

ここでも,当人がこういう自問自答をしていることを自覚しているとは限りません。ほとんどが,瞬間的に無意識のレベル(フェーズ1)で起きるからです。ただ,ここでお話しするのは,「フェーズ1」でも,その人に何らかの「アジェンダ」がある場合です。つまり単に相手の印象をつくり上げるだけでなく,相手が敵か味方かをはっきりさせるという目的があるときです。
 では,あなたを判断しようとする人たちは,その答えをあなたのどこに見出すのでしょうか。何十年もの研究の結果が示すのは,対象の特質の中でも特に2つの側面に,最初から注意が集中するということです。それは人間的な温かみと能力です。「温かみ」,つまり親しみやすさ,誠実さ,思いやりなどは,その人が相手に対してよい意図を持っていることの表れととらえられます。「能力」,つまり知性,スキル,優れた仕事ぶりなどは,その気になれば自らの意図を実行に移せることを意味します。能力のある人は,価値ある味方にも,怖い敵にもなりうるというわけです。一方で能力があまりないと思われた場合には,関心を持たれたとしても,同情や蔑みの対象でしかありません。

ハイディ・グラント・ハルヴァーソン 高橋由紀子(訳) (2015). だれもわかってくれない:あなたはなぜ誤解されるのか 早川書房 pp.88

良い第一印象

心理学の研究によって明らかになったのは,ナルシシストやサイコパスの人たちが,往々にして初対面の人に非常に良い第一印象を与えるという事実で,これはやっかいな問題です。でも「フェーズ2」というプロセスがあるおかげで,私たちは出会った人の第一印象にとらわれず,本当はどういう人なのか,さらに認識を深めることができるのです。
 一般的に「フェーズ2」では,相手の行動が何らかの状況によって引き起こされていて,その状況にあれば,他の人でも同じ行動をとるのではないかと考えます。相手の行動に関して自分が最初に行なった理由づけを疑ってかかり,自分の出した結論がバイアスで歪んでいないかをチェックしようとします。意識的な観察者は,自分の心が自然に生み出した結論にも介入して修正しようとします。
 「フェーズ2」はよく「修正フェーズ」とも呼ばれます。最初の印象を修正するのは容易ではなく,努力を要し,自動的には行われません。したがって認識する側には,相手を理解しようとするエネルギーと時間のほかに,それを行なうためのモチベーションが必要になります。このどれかの要素が欠けていると,認識者は「フェーズ1」で作り上げた最初の印象を持ち続けることになります。「フェーズ2」にいくには,よほど注意を喚起するものが必要です。しかし資産運用アドバイザーが私たちのお金をすべて盗み取って起訴されてから気づいても,万事遅すぎるわけです。

ハイディ・グラント・ハルヴァーソン 高橋由紀子(訳) (2015). だれもわかってくれない:あなたはなぜ誤解されるのか 早川書房 pp.77-78

対応バイアス

人が他者を認識するときはまず,何をしているかにかかわらず,その行動がその人に関すること(パーソナリティ,性格,能力など)を反映していると憶測します。前に書いたように,まさにこれが「フェーズI」で起きていることです。心理学者はこれをcorrespondence bias(対応バイアス)と呼びます。つまり何らかの行動とそれを行なった人を結びつけて考える傾向のことです。したがってあなたがミーティングに遅刻すると,真剣味が足りないからだと思われます。

ハイディ・グラント・ハルヴァーソン 高橋由紀子(訳) (2015). だれもわかってくれない:あなたはなぜ誤解されるのか 早川書房 pp.67

自動的である条件

何かが「自動的」というのは,どういう意味でしょうか。心理学者の多くは,行動が「自動的」とされるためには4つの条件が満たされるべきだと考えています。

 (1)本人が気づかないうちに起こる
 (2)意識的な意図なしに起こる
 (3)特に努力を必要とせずに起こる
 (4)完全にでなくても,ほとんどコントロール不能である

 長年の心理学研究によって,他社の行動に意味づけをしてその人に対する判断を下すときの認識者の脳の働きは,以上の4つの要素をすべて満たしていることがわかっています。

ハイディ・グラント・ハルヴァーソン 高橋由紀子(訳) (2015). だれもわかってくれない:あなたはなぜ誤解されるのか 早川書房 pp.66

自炊と屠畜

こういうことではないだろうか。「自炊」という行為は屠畜に似ている。電気ショックを浴びせたり,額を撃ち抜いたりして,家畜を絶命させる。その瞬間からの一部始終を見るのと,肩やもも肉などの各部位に切断された後の牛や豚を見るのとでは,受ける衝撃はまるで違う。生命体から物体へと変わる瞬間が衝撃的なのだ。「自炊」も同じ。背表紙を切り落とされ,装幀を破壊される瞬間がなにより辛い。その段階はすでに終えているのだ。だからこそ平気なのだろう。

西牟田靖 (2015). 本で床は抜けるのか 本の雑誌社 pp.122

但し書き

自炊代行業者に対する業界の危機感は,出版物に密かな変化をもたらした。2010年以後,書籍の奥付に次のような但し書きが目立つようになったのだ。
 「本書を代行業者等の第三者に依頼してスキャンやデジタル化することは,たとえ個人や家庭内の利用でも著作権法違反です」
 「私的利用以外のいかなる電子的複製行為も一切認められていません」
 「代行業者等の第三者による電子データ化及び電子書籍化はいかなる場合も認められておりません」
 やれやれ。右記の文章が奥付に記されている書籍の版元は,いずれも僕が取引をしている会社である。自炊代行業者にスキャンを依頼することが回り回って出版社の耳に入り,心証を損ねる可能性はある。最悪の場合,得意先を失うかもしれない。
 ではどうすればよいのか。床が抜ける可能性を残したまま部屋に置いておくか,大量の書籍を廃品回収に出したり,売ったりするのか。出版社に嫌われるのを覚悟して自炊代行業者へ依頼するのか——。

西牟田靖 (2015). 本で床は抜けるのか 本の雑誌社 pp.109

本の存在感

物体としての本の存在感は読者に読む醍醐味を与える。本を手に持ち,ページをめくりながら,目を通していくからこそ読書という体験は豊かになる。だが,その物体性故に,床が抜けそうになったり,居住空間が圧迫されたりもする。さらに,部屋に閉じ込められたり,果ては凶器となり怪我をしたりとあらゆる厄介事を抱え込んでしまうのだ。

西牟田靖 (2015). 本で床は抜けるのか 本の雑誌社 pp.80

勤勉性

締めくくりに,勤勉性とは単にまじめで,熱心,一生懸命という特性にとどまるとみたら失敗するだろう。勤勉な生き方とは,創造性の基盤,成長の源であるという現実である。芸術でも科学でも産業でも,NHK『プロジェクトX——挑戦者たち』でみたように,創造的営為の背後には,必ずといっていいほど地道な勤勉性が潜んでいる。これは人々の常識になっている。この日本列島において,多様な文化が創造され,今日のように発展してきたのも,人々の間にまじめに努力するという勤勉な資質の裏づけがあったからにほかならない。
 世界の人々と交わる中で,われわれは勤勉に生きる意味を自然体で伝えることができるだろう。内外の人々は,シュリーマンのように,日本人の普段の生き方,働き方に実地に触れることによって,勤勉性というわが国の土着思想に深い関心を向けはじめるのではないだろうか。迂遠なようだが,それがグローバルな国際社会に寄与できる道なのかもしれない。その意味ではミッションであろう。

梶田正巳 (2015). 日本人と雑草:勤勉性を育む心理と文化 新曜社 pp.187

粘りと勤勉

最後に注目しておきたいのは,「ねばり強い」と「勤勉」との関係である。「ねばり強さ」が欠ければ「勤勉性」は失われるし,また逆も真なりだろう。両者には強い相関関係,表裏一体のかかわりがある,ということである。困難があっても耐えながら,目標を達成するために,一生懸命に勤めることをわれわれは最重視している。ここに日本人の勤勉性の特徴が現れている。こう眺めてくると,日本人のかかわる社会的場面では,「怠ける」,「チャランポラン」,「いいかげん」などは,反対に一番嫌悪され,信用されない人柄の指標になっているものと思われる。

梶田正巳 (2015). 日本人と雑草:勤勉性を育む心理と文化 新曜社 pp.32

翻訳文化

翻訳活動は今日,「翻訳文化」と称されて,わが国の社会文化の大きな特質といわれている。いまやなじみのボキャブラリーになっている権利(right),社会(society),民主主義(democracy),憲法(constitution),自由(freedom and liberty),衛生(hygiene),個人(individual),自然(nature)などは,江戸末期から明治にかけて,日本語へ翻訳する過程でできあがった新しい言葉なのであった。この百数十年の間に非常に多くの翻訳語が造語されて,日本語を豊かにする大きな契機になっていた。
 江戸末期から進んだわが国の翻訳文化が影響を与えたのは,日本にとどまるものではない。実は漢字文化圏の本場である中国へも逆輸入されていった。そして,中国語のボキャブラリーをも非常に豊かなものにしていったのである。具体例を掲げれば,上記のほかには,階級,取締,出版,哲学,立場,主義,原子,近代化,唯物論などの語彙は,日本語書籍の中国語への翻訳活動を通して,中国語の中に取り入れられた代表的な言葉である。

梶田正巳 (2015). 日本人と雑草:勤勉性を育む心理と文化 新曜社 pp.14-15

寺子屋の数

周知のように,庶民については,「寺子屋」や「手習い所」という名の「学び舎」がいたるところにあった。そこでは日常生活に欠かせない実用的な読み書き,ソロバン,算術などを子どもたちに教えていた。江戸の町だけでも1500軒をこえていた,といわれる。この数のすごさを理解するために,現代の数字を出してみよう。
 平成25年に東京都教育委員会が所管する公立の小学校の総数は,区部,市部,郡部,島嶼部までを全部あわせると,1299校になる。この学校数と寺子屋の1500軒を比べると,その結論は明快で,江戸末期の庶民の学ぶ意欲,強い姿勢を実感することができるだろう。

梶田正巳 (2015). 日本人と雑草:勤勉性を育む心理と文化 新曜社 pp.12

分刻み

日本人を相手にしたツアー旅行の場合は,一日中,早朝から夜までも分刻みで,あちらこちらを訪問し,非常に能率的,効率的に行われている。さまざまな場所へ行ったり,食事やイベントに参加したり,実にバラエティーに富んでいる。費用対効果ではないが,行き先の多様さと多さで,旅行会社はお互いに競いあっている。すると,必然的に観光体験は広いが浅い,という結果になることは避けられない。こんな行動傾向の中にも,知らないものは何でもみたいというわれわれ日本人の強い好奇心,それを実現しようというツアー企画者の競争心,まじめさ,勤勉性,そしてまた課題さえもがみえてくる。

梶田正巳 (2015). 日本人と雑草:勤勉性を育む心理と文化 新曜社 pp.6

安心第一

日本人は口では安全・安心といいながら,相も変わらず,危険の隠蔽とバレたときの謝罪にばかり力を入れてます。現実の日本の姿はまさに“安心第一”。
 “安心”は,危険や異物を徹底的に取り除くまで訪れません。だから安心への道は,排除の論理や疑心暗鬼,人間不信へとつながってます。

パオロ・マッツァリーノ (2015). 「昔はよかった」病 新潮社 pp.137

安心と安全

“安全”と“安心”は文字にすると似てるけど,水と油といってもいいほどに異なる概念です。
 その決定的な違いは,危険(リスク)に対する態度にあります。
 安全を実現するためには,つねに現実の危険と向き合わねばなりません。どんな危険がどこにどれだけ存在するのかを,つねに把握して可能なかぎり回避する,これがホンモノの安全対策。
 かたや,安心はこころの状態にすぎません。感じかたには個人差があります。アタマの悪い人ほど,現実の危険から目を背け,儀式やげん担ぎを懸命にやって,危険を遠ざけたと“安心”しがちです。
 安心は,安全であることを保障しないのです。安全の実現のためには,安心することは許されません。
 ところが近年の日本では,この正反対の概念をセットにした“安全・安心”という矛盾した言葉を,到るところで目にするようになりました。

パオロ・マッツァリーノ (2015). 「昔はよかった」病 新潮社 pp.124-125

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