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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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過去最悪

だいたい,“過去最悪”なんて主観的な表現を報道で用いてはいけません。善悪の基準は人や立場によって異なります。“最悪”かどうかは,書き手の主観的印象で決まってしまいます。
 天気予報でも,最高気温,最低気温はあるけれど,最悪気温なんていいません。暑がりと寒がりの気象予報士では,なにが最悪か,基準がブレてしまいます。
 犯罪の件数が増えると,マスコミは“激増” “悪化” “過去最悪”などとおおげさに報じます。でも逆に犯罪が減って戦後最低を記録したとしても,“過去最良” “過去最善”とは決して報道しないんです。
 やはり,マスコミ関係者含め,ほとんどの人が,よのなかは悪くなる一方だ,犯罪が減ることなどありえない,と思っているのでしょうね。

パオロ・マッツァリーノ (2015). 「昔はよかった」病 新潮社 pp.34-35
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自分以外は

これは自虐ではありません。いまの日本人はむかしよりダメになったと主張するかたがたは,「自分以外の日本人が劣化した」と考えているのですから。

 いまの日本人は劣化した。
   ↓
 むかしの日本人はまともだった。
   ↓
 むかしの日本人にシンパシーを感じる私は,まともで劣化していない。

 なんの根拠もないエセ三段論法で自分を正当化できるのでとても便利です。
 「日本はダメになった」という言説の裏には,「自分だけは除く」と,ただし書きがあるのです。

パオロ・マッツァリーノ (2015). 「昔はよかった」病 新潮社 pp.19-20

理由を明確に

この英文の書き手には,“Do you know why?”(なぜか分かりますか?)のように,読み手やスピーチの聞き手などに分かるはずのないことを訊くのが,ある種のレトリックだと思っているのでしょう。しかし,たとえ,日本語でエッセイを書くときや,日本語でスピーチを行うときなどにそのような質問を向ける習慣があるとしても,英語でも同じレトリックが使える,と勘違いさせてほしくないのです。
 また,さらに言えば,英語で何かの理由を述べるときには,ちゃんと理由として成立することを述べてほしいのです。上記の英文では,「なぜ将来,コンピュータ技術者になりたいのか」という理由の1つとして「コンピュータは私たちにとってとても役に立つと思っているからです」と述べられていますが,これは内容的にきわめておかしい。
 まず「コンピュータは私たちにとってとても役に立つ」ということは自明の事実なのに,“I think... .”(…と私は思っています)と言うと,それはまるで個人の意見にすぎないかのように述べてしまうことになります。
 また,「コンピュータは私たちにとってとても役に立つと思っているからです」のように,ほとんど誰もが等しく当然に思っているはずのことを自分独自の気持ちの理由として述べているのもおかしい。まるで「なぜ飛行機のデザイナーになりたいのですか」と訊かれた人が,「飛行機は私たちにとってとても役に立つと思っているからです」と答えるのと同じ感じです。あるいは,「なぜ建築学科に行くことにしたか」という質問に,「建築は私たちにとってとても役に立つと思ったからです」と説明するようなものです。

マーク・ピーターセン (2014). 日本人の英語はなぜ間違うのか 集英社インターナショナル pp.167-168

でも使いたい「so」

大学生の英作文では,「《so〜that...》=「〜する[である]ほど……する[である]」」という形に出会うこともなければ,感嘆的に使う「〜so...!」という形に出会うこともありません。よく見るのは,たとえば,「私の家の非常に近いところに,コーヒーショップがあります」のつもりで書かれた,

 There is a coffee shop which is so close to my house.

のような文ばかりです。そして,こうした文のsoを削除して,

 There is a coffee shop (which is) very close to my house.

のように書き直し,soをやめてveryを使うように注意しても,どういうわけか,次回の英作文には,同じ“副詞のso”が登場します。また,文体の品質を向上させるために,veryばかりではなくたまにはextremelyやexceedingly,particularly,especiallyなど使えばどうかと勧めてもあまり効果がありません。

マーク・ピーターセン (2014). 日本人の英語はなぜ間違うのか 集英社インターナショナル pp.106

不思議な「so」

不思議なことに,いくら授業で「因果関係を表す“so”」の不思議な使い方について注意しても,多くの学生は,学期末までその不正確な使い方をやめようとはしません。これは中学の英語教科書のせいばかりにはしていられないでしょう。たとえば,この問題で毎回英文を直されてきたある学生が,学期の最後に提出する英作文で,自分が所属するサッカークラブの活動について,こんな文を書いてきました。

 We had won for four years. So we must have won in the tournament. (私たちは4年間勝っていました。だから,当然なことに,そのトーナメントで勝ったはずです)

この学生に,意味不明であるこの英文で何を伝えようとしているのか訊いてみると,「私たちは,おのトーナメントで過去4年も続けて優勝してきたから,今回も優勝しなければなりませんでした」と述べたかったそうです。日本語でも論理的におかしいと思い,さらに追及してみた結果,「そのトーナメントで過去4年も続けて優勝してきて,今回も優勝したいという気持ちが強かった」という話になりました。そこで,上記の文を,

 We had won the tournament for the past dour years, and we really wanted to win it this time too.

のように訂正しました。

マーク・ピーターセン (2014). 日本人の英語はなぜ間違うのか 集英社インターナショナル pp.101-102

理由を明確に

因果関係を示す表現に関しては,日本語のほうが英語よりもだいぶ制限がゆるいようですが,私は“英語的論理”の縛りから脱却できていないせいか,日本語の「静岡出身なので,アパートで1人暮らしをしている」という言い方にも抵抗感を覚えてしまいます。私なら「静岡出身であり,今アパートで1人暮らしをしている」のように直したくなるのです。というのも,東京では静岡出身の大学生でも,アパートではなく寮や一戸建てに住んでいる人もいれば,1人暮らしではなく2人や3人で暮らしている人も少なくないからです。つまり,「静岡出身」だからといって,何も「アパートで1人暮らし」と決まっているわけではないのです。

マーク・ピーターセン (2014). 日本人の英語はなぜ間違うのか 集英社インターナショナル pp.91-92

そう教わったから

大学生がとかく

 On Sunday, I have dinner with my family in Ibaraki.

のように,意味不明な英文を書いてしまう理由は2つあるように思われます。1つは現在形の機能を十分に理解していないということです。具体的に言えば「動作動詞の現在形は,くり返してすることや,習慣的にすることを示す」という基本的文法を理解していないため,“I have dinner with my family”が「私は習慣的に家族と一緒に夕食をとっている」ということを表していることに気がつかないのです。
 もう1つの理由は,“On Sunday, ... .”のSundayは「ある1つの日曜日」を意味することを理解していないところにあります。もし「ある1つの日曜日」の話ではなく,たとえば「日曜日は,私は普段遅くまで寝ている」というような話であれば,

 On Sundays, I usually sleep late.

と,複数形のSundaysで表現されるのです。
 しかし,そう書こうとしない大学生を責めるわけではいかないようです。というのも,早々と中学1年生のときから,まるで「曜日を表す英単語には複数形がない」かのように教わっている可能性が高いからです。

マーク・ピーターセン (2014). 日本人の英語はなぜ間違うのか 集英社インターナショナル pp.44-45

知識人の責任

ひとりひとりの知識人にとって問題なのは,個人としての選択である。だが社会全体としてみれば,重要なのは知識人共同体の分極化が,回復不能なほどに進むのを防ぐことだ。すなわち一方は,権力にのみ関心をいだき,権力が押しつける条件をそのまま受け入れる技術屋たち。もう一方はみずからの理想を実現させることよりも,自分たちの純粋性を維持することに関心をもつ確信犯的疎外派知識人である。専門家はもちろんのこと,批判派のなかにも,精神的に自分たちの社会の外側から,その思い上がりを厳しく直視できる人たちが現れる可能性はあり,彼らは人数の点でも自由の度合いにおいても,みずからの存在を強く印象づける勢力になるだろう。両者のあいだで議論がたたかわされる可能性は,おそらく今後もなくならず,また知識人共同体の内部には,権力と批判の両世界の間に立つ能力をもった知性が生まれるはずだ。そうなれば,知識人社会は,相互に反感と違和感をもつ勢力に分裂する危機を回避できる。われわれの社会は,多くの面で病んでいる。だがこの国の健全性は,アメリカ社会を構成する諸要素の多元性と,それらが相互に関わりあえる自由にある。すべての知識人が権力に仕えようとすれば,それは悲劇だ。だが,権力と結びついた知識人が,知識人共同体との連帯感をことごとく奪われるとしたら,おなじように悲劇だろう。こうした知識人が,もはや権力だけに責任を負えばいいと考えるようになるのは,ほとんど避けられないからだ。

リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.377-378

社会の変化

知識人の本質的価値が,批判的不服従派としての役割にあることはまちがいないし,知識人は社会の意見を代弁し,擁護するだけの存在になるよう迫られているわけでもない。だがアメリカの知識人はもはやみずからの国を,逃げ出さねばならない文化的砂漠だとは考えなくなった。ある作家が述べたように,アメリカとヨーロッパを比較するさい,「青年のような気後れ」を感じることもたしかになくなった。いまや知識人は,2,30年前よりずっとアメリカでくつろいだ気持ちになれている。彼らは,アメリカの現実と折り合いをつけたのだ。ある人物は「われわれが目撃しているのは,アメリカのインテリゲンチャのブルジョワ化とでもいうべき過程である」と述べている。変わったのは知識人ばかりではない。国も良い方向に変わった。アメリカは文化的に成熟し,もはやヨーロッパの庇護を受けることはなくなった。富裕層や権力者は知識人と芸術家を認めるようになり,敬意まで払うようになった。その結果アメリカは,知的・芸術的活動の場としてかなり満足できるところとなり,こうした活動が政党に報われる場となった。

リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.344-345

学習の基礎

ここでようやく,新教育の中心的思想の意義を検討する準備ができた。学校が学習の基礎に置くべきなのは,社会の要請でも教育ある人間の理想像でもなく,発達していく子どもの要求や興味だ——この考えはなにも,子どもの本性は教育課程に否定的限界を課すものであり,その限界を越えようとしても無駄だと言っているわけではない。それは極端にすぎる。この考え方は子どもの本性が教育手順の積極的な道案内になること,つまり子どもは自然かつ自発的に教育課程に生命を吹き込む要求や衝動を創り出す,ということを意味しているのである。

リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.321-322

知能検査

陸軍のアルファ知能テストが実際に知能を測定したこと,テストによって精神年齢の算定が可能であること,そしてその算定された精神年齢や知能は固定的であること,きわめて多くのアメリカ人の精神年齢はたった14歳であり,それゆえ教育制度は勉強に遅れがちな大勢の子どもに対応すべきであることなどが急速に,しかも幅広く信じられるようになった。このテストを信頼しすぎる解釈には当然ながら鋭い批判がくわえられたが——ジョン・デューイもそのひとりだ——,このようなテストの誤用がアメリカの教育界ではくり返されているようだ。

リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.295

優秀さ=変わり者

こうした職業教育重視の傾向は,知性よりも人格——または人間性——を重視する傾向や,個性や才能よりも画一性や使いやすさを好む傾向と結びついている。「われわれはまず優秀さを重視していた」とある風変わりな社会の歴史に言及しながら社長がこう述べた。「いまや人格という使い古されたことばがたいへん重要になった。ファイ・ベータ・カッパの会員だろうが,タウ・ベータ・ファイの会員だろうが関係ない。われわれがほしいのは,幅広く豊かな才能のある人びとを操作できる,幅広く豊かな才能のある人物なのだ」。人事担当者は,「どんな進歩的な雇用者でも個人主義者を白眼視し,こうした考えが研修生の心のなかに染みこむのを嫌う」と述べ,研修中の社員も,「私は人間理解のためにいつでも優秀さを犠牲にしようと思います」と答える。ホワイト氏は,「天才との闘い」と題する章でつぎのように述べる——産業科学の分野ですら,こうした慣例が広まっている。企業の科学者たちは応用的知識に専念するように束縛されている。科学者を採用するために作られたある有名な化学会社のドキュメンタリーフィルムには,3人の研究員が実験室で協議している場面に「ここには天才はいない。平均的なアメリカ人が一丸となって働いている」というナレーションをかぶせてある。企業の科学者の創造性は大学の研究者とくらべてあまりにも低い。そして優秀性という表現は,たいてい奇人,風変わり,内向的,変人といったことばと結びつけられている。

リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.232-233

ビジネススクール

アメリカの高等教育に職業教育的性格が強まったことは,学部と大学院をもつビジネススクールの創設によって示されている。これらの最初のものは1881年に創設されたペンシルヴァニア大学のウォートン・スクールで,二番目はその18年後にシカゴ大学に創設された。その後1900年から1914年にかけて,こうした学校がつぎつぎに創られた。初期のビジネススクールは専門的な研究者の敵意と,実業家が依然としていだく猜疑心の板挟みになっていた。後者は,たとえビジネススクールで得られたものであっても,学問的訓練の実用性に対する疑いを捨てていなかった。アメリカにおける教育機関一般の例にもれず,ビジネススクールも教員と学生の質,そしてカリキュラムに一般教養をふくむ割合の点で急速に多様化していった。

リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.231

「教育を実用的に」

彼らの意見がほぼ一致していたのは,教育をもっと「実用的」にすべきだということ,および高等教育——少なくとも昔の古典的大学がそう見なしていたもの——はビジネスには無益だということの二点である。実業界は,高等教育レベルで職業・商業教育をおこなわせるため長いあいだキャンペーンを張り,おおむね目的を達した。彼らは,教養教育の場としての高校にはまったく低い評価しかあたえなかったのだ。高い教育を受ける連中は連邦議会議員になる準備をしているだけだから,自分は公立学校の教育しか受けていない人々のほうをとると言ったマサチューセッツのある羊毛工場主は,代数の知識で工場の運営はできないという理由で教養ある労働者の採用を拒否した。

リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.227

天才は不要

自助の作家や《たたき上げ》の人びとが唱えた人格の概念には,彼らが漠然と天才と呼ぶものは入っていない。この考え方の背後には,明らかにある両面性がみられる。「天才」に対してはだれもが羨望のまなざしを向けるものだが,自助の文学においては,人格は必要だが卓越した才能は不要だという見方が支配的だった。それどころか,生まれながらに卓越した才能をもつ人間は,人格を発展させる動機も能力もないと見なされていた。平均的な人間でも長所を伸ばし,常識を磨くことによって天才と同等,あるいはそれ以上の存在になれると考えられたのである。あるニューヨークの商人は「天才は不要だ。もし必要だとしても,何人かの偉人がいったように,その本質は常識の集大成にほかならない」と述べている。こうした立場からみると,際立った才能に頼るのは怠惰,および規律や責任感の欠如につながるものだった。

リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.225

「たたき上げ」

商人の理想が衰退すると,それに代わって《たたき上げ》(the self-made man)の理想が台頭してきた。この理想は百万長者ではないにせよ,少なくとも裕福な実業家になった無数の田舎出の少年たちの体験や野望を反映していた。現代の社会動態研究者が完膚なきまでに明らかにしたように,伝統的なアメリカの立身出世物語は——実業の歴史を飾る華やかな事実であるとしても——統計上の実態としてよりも神話や象徴として重要な意味があった。19世紀の拡張期というもっとも熱狂的な時代においてすら,産業界の頂点に立った男たちの大部分は決定的に有利な条件のもとに生まれた人びとだった。とはいえ,《たたき上げ》の人びとも確かに存在した。彼らの存在は劇的で感動的なその出世物語とともに,神話に実体をあたえていた。

リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.223

過去への蔑視と自己啓発

ビジネスを扱った文学が実利優先の考え方を強調していることから明らかなように,知性への恐れと文化軽視は実業界の反知性主義によくみられるものだ。その基盤になっているのは,文明と個人的信条に対するアメリカ人のふたつの普遍的な姿勢——第1は多くの人びとに共通する,過去への蔑視,第2は自助(セルフ・ヘルプ)と自己啓発という社会的倫理規範である。この規範の下では,信仰心すら実利主義の道具となってしまう。

リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.209

ユーモアとウィット

もっともしばしば攻撃の的になったスティーヴンソンの資質は,知性ではなくウィットだった。この国においては,ウィットで人気を博した政治指導者はだれもいなかった。大衆は,ユーモアならそれを楽しみ受容する——リンカン,セオドア・ローズヴェルト,フランクリン・D・ローズヴェルトはうまくそれをつかった。ユーモアは土俗性があり,たいていごく単純で親しみやすい。ところが,ウィットは知的に磨かれたユーモアである。ユーモアよりも鋭く,品位や洗練と結びついているため貴族趣味が強く感じられるものである。何度となくスティーヴンソンは「喜劇役者」「道化」と呼ばれ,漫画には道化の帽子と鈴をつけた道化師として描かれた。朝鮮戦争のために人びとの心は暗鬱で,怒りに包まれ,欲求不満に陥っていた。スティーヴンソンのウィットは,彼の中傷者には時をわきまえないもののように思えたのだ。それに比べ,鈍重だが生真面目なアイゼンハワーの発言のほうが時代に即しているように思えた。

リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.197-198

自然の直観力

クロケットは,自然児の生き方と自然の直観力を誇りにしていた。1834年に出版した自伝のなかで,彼はテネシー州の法廷でくだした判決について,こう自慢している。当時は「自分の名前しか書けなかった」。しかし「私の判決は一度も控訴されなかったし,仮に控訴されたとしても,その判決は蝋のように固着して動かされることはなかった。なぜなら,私は常識の正義と人間どうしの誠実という原則にもとづいて判決をくだしたのであり,また人間本来の判断力を信頼し,法の知識を信頼しなかった。私は生まれてこのかた法律の本など1ページも読んだことはない」。常識の力に対するこのような無邪気な信頼感は,クロケットの法律上の判決によって正しかったことが証明されたかもしれない。だが,彼はそれだけで満足しなかった。彼は熟考のうえで知的世界を軽蔑していたのである。

リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.142

精神的素養

ジャクソンは,幸運にも「活力と独自の理解力」を損なうような,型にはまった教育を免れた人物だといわれた。彼は行動の男であり,「自然という学校で教育を受け」,「人工的なところはなにもない」人物だとされた。こうした見方によれば,彼は「学校の教育や弁論術に汚染されず」,「アカデミズムによる妄想的な思索に判断をくもらされることもない」,「きわめて高い生来の精神力と実践的な常識,あらゆる有益な目的にかなった判断力と識別能力の持ち主」ということになる。そして,「こうした資質は,賢者が修得したどんな学問よりもはるかに価値がある」ものとされた。さらに,彼の精神は「三段論法という手間のかかる行程も,分析という踏み固められたコースも,論理的演繹という慣れきった散歩道も」たどる必要はなかった。彼の精神は自然の直観力を備えていたので,「稲妻のような閃光に導かれて歩み,みずからその進む道を照らすこと」ができるとされたからである。

リチャード・ホフスタッター 田村哲夫(訳) (2003). アメリカの反知性主義 みすず書房 pp.139-140

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