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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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サイコパシーと生活史戦略仮説

サイコパシーのメカニズムを説明する理論仮説として,比較的新しいものに,「性急な生活史戦略仮説」というものがあります。これは,動物に例えれば子孫を数多く残すことで,自分の遺伝子が引き継がれるように目指すという繁殖のスタイルです。
 哺乳類では典型的に,少ない数の子供を手をかけて育てることで,子孫を残します。このような動物の主による違いと似たようなものが,人のパーソナリティの違いとしてもあるという考え方です。
 サイコパシー傾向の高い人は,子孫を数多く残すことで,自分の遺伝子が引き継がれるように目指すという繁殖のスタイルをもつと考えられています。これをより具体的に言えば,数多くの異性と関係をもちたがると同時に,子供の世話はあまりしないというものです。もっと言えば,浮気症,気が多いといった特徴がうかがわれます。

杉浦義典 (2015). 他人を傷つけても平気な人たち 河出書房新社 pp.128-129
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サイコパシーの仮説

・恐怖の欠如仮説
 リッケンという研究者が提唱したもっとも歴史のある仮説です。恐怖が低いために,反社会的行動に抑止が利かないとするモデルです。
・反応調整仮説
 自分の関心のあることに注意が向いていると,それ以外のこと(他者の気持ち,危険のサインなど)に目が向かなくなってしまうというモデルです。ウィスコンシン大学マディソン校のジョセフ・ニューマンらの説です。
・共感性の欠如仮説
 アメリカの国立精神保健研究所のジェームズ・ブレアの説です。サイコパシーの問題は,自分が恐怖を感じるときと,他者の恐怖を感じるときに共通して作動する扁桃核の機能不全に由来するという説です。
・性急な生活史戦略仮説
 動物には,たくさんの子供(卵)を生んであとは放置という種もあれば,少数の子供を生んでそれを大切に手間をかけて育てていく種類もあります。このような違いが,同じ種類の動物,具体的にはヒトの個人差としても存在するという仮説が近年注目されています。サイコパシー傾向の高い人は,たくさんの子孫を残し,世話はあまりしないという考え方です。

杉浦義典 (2015). 他人を傷つけても平気な人たち 河出書房新社 pp.71-72

不安と衝動

心の問題には多数の種類があります。じつは,心の問題について,似たもの同士を整理すると,大きくふたつに分かれるという研究があります。
 ひとつは,「背景に不安があるもの」,もうひとつは,「衝動を抑えられないことを特徴とするもの」であるというのです。したがって,すべての心の問題は不安が主な要因であるとはいえません。
 反社会的なタイプの心の問題は,不安よりも衝動のコントロールを問題とするグループに入っています。つまり,こと反社会的なパーソナリティを背景とする犯罪は,不安が主な要因ではないことが多いのです。

杉浦義典 (2015). 他人を傷つけても平気な人たち 河出書房新社 pp.33

自分の得になることに

アメリカのウィスコンシン大学マディソン校のジョセフ・ニューマン博士らは,サイコパシー傾向の高い人は,とりわけ自分の得になることに集中するあまり,他者の気持ちや危険が迫っていることに気づかないというメカニズムが働くと考えています。
 周囲で誰かが怒っていたりすると,つい振り向くのが人や動物の自然な状態です。つまり,環境のなかに目立つ刺激があれば,それに自然に振り向くのが本来の状態です。しかしサイコパシーの特徴をもつ人は,自分の損得に関わることに集中していると,環境のなかの目立つ刺激に自然に振り向くということが起きにくいのです。
 このような集中力は,大胆な犯罪でもバレずに完遂してしまうことに発揮されるでしょう。もう一方で,被害者の痛みや社会のルールには無頓着であることも理解できます。

杉浦義典 (2015). 他人を傷つけても平気な人たち 河出書房新社 pp.28

政治的透明性のために

ランダム化試験はある程度の適用性を持ち,開発研究におけるこまごまとした知識問題の一部を解決するかもしれない。しかしながら,こうしたミクロ・レベルの実験は,マクロ経済的データの代わりになることはできないし,そうなるべきではない。中央銀行,財務省,政策立案者,その他の利害関係者たちは,データベースがどれほど混乱し,制限されたものであったとしても,マクロ経済状況に関して政策選択を行う必要がある。これはたんに技術官僚の問題ではない。国民経済に対する説明責任は,政府の説明責任の基本である。信頼できるマクロ・データなしには,政治的透明性は考えられない。

モルテン・イェルウェン 渡辺景子(訳) (2015). 統計はウソをつく:アフリカ開発統計に隠された真実と現実 青土社 pp.162

人口の計算も難しい

総所得あるいは成長の傾向を推計するための基本的出発点は,人口を数えることである。サハラ以南アフリカの国民経済計算担当部署の標準的方法では,人口データを,定期的にデータを収集できない経済部門の測定のための乗数として使っている。非公式部門や自給自足生産では,これらの部門の国民経済への貢献を計算するのに,一人当たりの量を使って推計が作られているかもしれない。加えて,これらおよび他の部門で,経済成長はしばしば人口増加に比例すると考えられている。人口データはもちろん,開発に関する従来型の測定——実質一人当たり所得——において中心的要素であり,正確な計算なしには,教育や保健における一人当たりの傾向について何を言っても意味がない。このように,人口についてのデータは開発の測定や実践にとって不可欠なのである。人口推計はさらに,政治にも関係しており,国勢調査は選挙の選出議員数や財政支出にも直接影響する。そのため,人口の計算は,とくに権力が激しく争われている国や,国の監視力が弱いところでは議論の的となりやすい。

モルテン・イェルウェン 渡辺景子(訳) (2015). 統計はウソをつく:アフリカ開発統計に隠された真実と現実 青土社 pp.111-112

妥当か信頼できるか

データの入手可能性が決まると,進むべき正しい道は,次の2つの問いを投げかけることである。測定値は妥当か。測定値は信頼できるか。妥当性の概念は測定が正確かどうかに関係し,信頼性の概念は測定値が毎回同じように不正確あるいは正確かということに関係する。したがって,信頼性は妥当性とは異なるのである。測定値に予測可能な誤りがあった場合,この誤りは測定値を無効にするが,測定値はそれでもまだ信頼できる。1人当たりGDPに関していえば,水準となる推計が不正確であったとしても,この不正確さが時を越えて同じであるとしたら,それは経済変化wp理解するために有用であり続けるのである。同様に,すべての国の国民所得が同一の誤りによって間違って測定されたとしても,各国間の比較は行うことができる。だが,残念ながら,アフリカにはこれは当てはまらない。アフリカの開発統計には妥当性と信頼性の両方に問題がある。その基本的な理由は,GDPが,大部分,記録されていない経済を集計しているということにある。統計学的推論によれば,いったん妥当な測定を行えば,つまり,いったんすべての経済活動が算定されるなら,以前に記録されていない経済活動だけでなく,すべての「新しい」活動が「経済成長」であると理解されることになる。包括性からはほど遠いが,それは予見可能な将来に到達可能な目標ではないのだろう。したがって,すべてのGDP統計は,真理性と妥当性の両方の問題を抱えている。

モルテン・イェルウェン 渡辺景子(訳) (2015). 統計はウソをつく:アフリカ開発統計に隠された真実と現実 青土社 pp.49

調査データと管理データ

データには「調査データ」と「管理データ」の区別がある。調査は統計局が個々の主体から回答を収集するための道具である。統計局が調査を実施することができるか否かは,そのための財源を確保できるかどうかにかかっている。というのは通常,正規の予算からの引当金では事務所の基本的な運営費しか賄えないからである。管理データは日常的な統治を円滑に運ぶために公的機関によって収集され,そこには国家の野心や活動範囲が反映される。データの入手可能性は,国によって,またその時の環境によって異なるが,これが最終推計の質を決定するのである。

モルテン・イェルウェン 渡辺景子(訳) (2015). 統計はウソをつく:アフリカ開発統計に隠された真実と現実 青土社 pp.45

統計局

国民所得推計の質は,このように,統計局での活動の質の所産なのである。国民経済計算部門は,統計局のさまざまな部署で作成されたデータ,とりわけ人口,農業生産および工業生産,価格についてのデータに依存している。これらのデータ供給は,データ収集者の人数や,データの収集・処理に利用できる資金の水準によって左右される。しばしば統計局は,他の公的機関や民間団体から提供されたデータに依拠する。例えば,農業のデータは主として農業省やそれに相当する部署からもたらされる。建設業,鉱業,電気,水,金融,通信,運輸といった少数の大規模な運営者が支配している部門では,統計局はこれらの民間団体や公的機関からのデータ提供に依存している。

モルテン・イェルウェン 渡辺景子(訳) (2015). 統計はウソをつく:アフリカ開発統計に隠された真実と現実 青土社 pp.44-45

人間の要因

データの質に関する最も差し迫った問題は,データを利用する人間の無知である。経済統計の妥当性,信頼性を分析する能力を最も備えている学者たちは,しばしば自分自身データの利用者であり,したがって学者の仕事にとって不可欠なデータセットの土台を崩すことには消極的である。データへの懸念を表明するとしても,通常,脚注で慎重な言い回しで警告するのがせいぜいである。国際機関がデータの主要な提供者であり,発信者であるが,彼らのプログラムや計画はしばしばターゲットや指標と結びついている。そのため,実際的なアプローチはデータを額面通り受け入れることから始まる。私的に,あるいは技術的な協議においては助言が与えられるかもしれないし,データ作成の段階で直接的圧力が加えられることがあるかもしれない。また,国内政治の場で,この問題について透明な議論が行われることはほとんど,もしくは,全くない。経済的リテラシーの欠如が問題であり,統計が国内議論の最重要項目となる場合には,技術的議論は政治課題へと移行する。こうして,データの質の問題は二重に曖昧にされるのである。

モルテン・イェルウェン 渡辺景子(訳) (2015). 統計はウソをつく:アフリカ開発統計に隠された真実と現実 青土社 pp.38-39

得意分野

何か得意分野があるなら,同僚を助ける力を持っていると気づくべきだ。プラスの影響を与えられる可能性は,無視できないくらい大きい。一方,専門家を認めるだけでなく,ほかの専門家を積極的に探すことも大事だ。専門家は,数百・数千の人々をつなぎ,従業員全体を一丸となって機能させる腱のようなものだ。腱がなければ,どれだけ筋肉を鍛えても,よろよろと歩くことさえままならないのだ。

ベン・ウェイバー 千葉敏生(訳) (2014). 職場の人間科学:ビッグデータで考える「理想の働き方」 早川書房 pp.191

たまには会おう

ミシガン大学のエレナ・ロッコは,分散されたチームの業績低下の予防策を検証する,巧妙な実験を行なった。ロッコはフェイス・トゥ・フェイスのグループの方がリモート・ワーカーのグループよりも効率的かどうかだけを調べる代わりに,ある実験的な状況を作り出した。いったん全員に顔を合わせてもらい,そのあとで解散して別々の場所で作業してもらったのだ。ほかのチーム・メンバーと顔を合わせ,相手の雰囲気をつかめば,そのあとで散り散りになっても,相手にうまく対応したり,より深いレベルで対話したりできると考えたわけだ。
 彼女の研究では,フェイス・トゥ・フェイスのチームの業績がもっとも高かったが,最初に顔を合わせ,そのあと別々の場所で作業したチームも僅差だった。最初から別々の場所に分かれて作業したグループは,ダントツの最下位だった。この研究からわかるのは,毎回は現実的ではないにせよ,プロジェクトの開始前に全員で顔合わせをするのは,数枚の航空券を買うくらいの価値はあるだろうということだ。

ベン・ウェイバー 千葉敏生(訳) (2014). 職場の人間科学:ビッグデータで考える「理想の働き方」 早川書房 pp.152

安全地帯から

安全地帯から抜け出し,新しい体験をしなさいとよく言う。しかし,これほど抽象的なアドバイスはないと常々思う。私にとっては,安全地帯を抜け出すといえば,8時間ずっとデスクに座って画面を見つめるとか,コーヒーを飲むことかもしれない(コーヒーはどうも苦手なのだ)。
 安全地帯からの本当の脱却とは,新しい物事に挑戦し,新しい人々に出会うことだ。そのメリットは十分に実証されている。では,安全地帯から抜け出すのも,凝集性の高いネットワークを築くのも,おおむね良いことだとすれば,どちらを選ぶべきか?多くの研究者は反論するだろうが,「白か黒かではない」というのが答えだ。大半の時間を一緒に過ごす密な集団を築くと同時に,多様なネットワークにも属して,ときどき新しい情報を仕入れることもできるのだ。

ベン・ウェイバー 千葉敏生(訳) (2014). 職場の人間科学:ビッグデータで考える「理想の働き方」 早川書房 pp.117

組織と集団

「組織」の定義はややあいまいだ。「集団」との共通点もあれば相違点もある。組織とは,「25歳未満のすべての人」とか,「アパートの6階以上に住むすべての人」といったような人々の集合(集団)ではない。組織と聞くと,無作為に集められた人々よりも密接につながり合っている人々をイメージするだろう。さらに,組織のメンバーの行動をつかさどる公式なプロセスや非公式なプロセスも定められているはずだ。この点こそ,組織とその下位である集団との違いなのだ。つまり,すべての組織は集団だが,すべての集団が組織だとはかぎらないということだ。

ベン・ウェイバー 千葉敏生(訳) (2014). 職場の人間科学:ビッグデータで考える「理想の働き方」 早川書房 pp.57

パターン,集計データ

一般的に,企業が個人のデータを所有しても,ビジネス上のメリットはない。たとえば,ボブが火曜日の二時半にどこにいたかがわかっても,生産性については何もわからない。企業がもっと注目すべきなのは,「チームや部署はどのように協調しているのか」「人々の満足度や生産性を高める行動や対話とはどういうものなのか」というような,全般的なパターンや集計データなのである。データの集計は,プライバシーを保護する唯一の方法でもある。

ベン・ウェイバー 千葉敏生(訳) (2014). 職場の人間科学:ビッグデータで考える「理想の働き方」 早川書房 pp.45

新しいデータ,新しい観測手法

新しいデータは人間の世界観を根底からくつがえす力を持っている。私たちは一定のレンズを通して世界を見ると,必ずその尺度で現実をとらえる理論を築き上げてしまう。私たちの先祖は,夜空に輝く光の点を見て,光の点が複雑な球体の表面上を回っていると考えた。望遠鏡が発明されると,実際には見た目より大きな光の点があることや,その周囲を回る天体すらあることがわかった。すると,現実のモデルを見直せざるをえなくなった。
 新しい観測手法は,科学のあらゆる分野に大きな変化をもたらしてきた。たとえば,望遠鏡は天文学の研究に革命をもたらし,顕微鏡は生物学や化学の研究に革命をもたらした。しかし,社会学にはこの種の革命は起きていない。研究者たちは,いまだにペンと紙のアンケート,人間による観察,サクラを使った実験を用いて,社会の無数の現象を解明しようとしているのだ。

ベン・ウェイバー 千葉敏生(訳) (2014). 職場の人間科学:ビッグデータで考える「理想の働き方」 早川書房 pp.24

ウラ取り

こんな状況の中で,正確な報道を行うためには,記者自身が可能な限りの「裏取り」をするしかないのだが,その当たり前のことがなんとも難しい。相手は騙すために相当な嘘を準備しているからだ。懸命に裏取り取材を続け,あげく話の内容が事実ではなかったという「裏」が取れた場合はどうすればよいのか。
 答えはひとつ。
 あっさりとボツにするしかない。

清水 潔 (2015). 騙されてたまるか:調査報道の裏側 新潮社 pp.163

取材力

「自分の頭で考える」という基本を失い,「○○によれば……」という担保が無ければ記事にできない記者たち。それは結果的に,自力で取材する力を衰退させ,記者の“足腰”を弱らせていくことになるはずだ。

清水 潔 (2015). 騙されてたまるか:調査報道の裏側 新潮社 pp.140

2種類のスクープ

私は,スクープというものを大きく分けると,2種類あると思っている。

 1. いずれは明らかになるものを,他より早く報じるもの
 2. 報じなければ,世に出ない可能性が高いもの

 1は「抜き」などと呼ばれ,各社が秒単位でその速さを競っているのはご存知の通り。だが,その内容の全てが国民にとって一刻も早く必要なものかどうかといえば疑問である。もちろん地震速報や津波警報などは重要だ。
 しかし例えば「警察庁は○○事件で,男の逮捕状を請求する方針を固めた」「テニスのXX選手が今年限りで引退する意向であることがわかった」など,いずれもしばらくすれば明らかになるニュースの「途中経過」である。なのになぜ速さを競うのか。
 一体,誰がそれを求めているのか。
 ジャーナリストの牧野洋氏によれば,誰が早く報じたのか,という経緯は読者や視聴者には関係ない。アメリカのジャーナリズム界では,速さは評価されず,それは「エゴスクープ」と呼ばれているという。ごもっともだと思う。
 私自身が意識しているスクープは,当然2の方である。それにこそ意味があると信じている。

清水 潔 (2015). 騙されてたまるか:調査報道の裏側 新潮社 pp.138-139

予算獲得

同時に疑問に思う。
 「なぜDNA型鑑定は,これまで絶対視されていたのだろうか」と。
 その根を掘ると,菅谷さん逮捕当時,警察庁が科警研のDNA型鑑定技術を喧伝していたことがわかった。そして警察庁クラブの記者を通じて,まるでPRかのように世間に伝わっていたのだ。先に触れた新聞記事などである。警察庁と科警研は,この新システムを早く捜査に導入したかったようだ。実際,菅谷さん逮捕の3週間後には,警察庁は翌年度の鑑定機器予算として約1億千六百万円を獲得していた。DNA型鑑定に騙されて「平成の大冤罪」を後押ししたマスコミの責任は大きい。

清水 潔 (2015). 騙されてたまるか:調査報道の裏側 新潮社 pp.117

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