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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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DNA「型」

DNA鑑定型の専門家を取材していくと,事件当時の鑑定はまだ試運転のような状態であり,“実戦”で使えるようなレベルではなかったという。実は,90年代初頭のDNA鑑定は,血液型鑑定と同様に「型」の分類である。MCT118法の鑑定では三百二十五通りの型に分類していた。そのため本書ではこれを「DNA型鑑定」と明記している。従来のABO式血液型鑑定では四種類の分類だったから,飛躍的に増えたとも言えるのだが,初戦は型分類だから同型異人もいることになる。
 「足利事件」の犯人のDNA型は「16-26」という型とされていた。
 その型と血液型B型を併せ持つ者は,逮捕当時「1000人に1.2人」とされたことは書いた。ところがしだいにサンプル数が増え,93年になるとこれが「1000人に5.4人」と一致率はダウン。当初の4倍強である。菅谷さんの弁護団の試算によれば,同じ型は足利市内だけで200人以上もいたはずだという。

清水 潔 (2015). 騙されてたまるか:調査報道の裏側 新潮社 pp.101-102
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発表報道と調査報道

「発表報道」とは,官庁や企業,各種団体,個人などが,記者会見やプレスリリースなどを通して情報を提供,それを受けたメディアが,その内容をほぼそのままの形で報じるものを指す。
 「官房長官は……」「厚労省の統計によると……」などというスタイルのニュースは,みなさんにもおなじみのものだろう。
 政治や災害情報,景気の動向,原発のトラブル,交通情報など,国民の「知る権利」に関わる大事な基本情報も多い。また「新型携帯電話売れ行き好調」「銀座に大型デパート開店」など,発表側の「PR」に近いものもある。
 一方,発表者にとって喜ばしい内容のものばかりではない。
 不祥事の謝罪や釈明会見,「欠陥製品の回収のお願い」,有名人の離婚会見といった,追いつめられ退路を塞がれて,仕方なく「発表」する場合もある。
 このように内容はさまざまだが,新聞やテレビニュースなどの大半が,これら発表された内容をニュース・ソースにして出稿しているというのが現実だ。実際,私が所属するテレビ局でも,記者の大半が担当(官公庁,政党,警察,企業など)を持ち,記者クラブを通してニュースをカバーしている。
 それに対して,記者が自ら調べて判断していくのが「調査報道」ということになる。
 発表されていないものを掘り起こす——それが調査報道の第一の条件なのだ。

清水 潔 (2015). 騙されてたまるか:調査報道の裏側 新潮社 pp.73-74

ネタ元

同じ事件を追いかけながら,なぜこうも私の記事の方向性と百八十度違うものになったのだろうか。私の記事と彼らの記事を大きく隔てたものは何か。
 答えはシンプルだ。
 彼らの「ネタ元」がほぼ警察のみだった,ということに尽きる。

清水 潔 (2015). 騙されてたまるか:調査報道の裏側 新潮社 pp.68

記者クラブ

「記者クラブに加盟していなければ,取材には応じることはできませんね……」
 官庁や警察などには,大手マスコミ(主に新聞社,通信社,テレビ局)が加盟する記者クラブというものがある。庁舎内に記者室が設けられるなど取材の便が図られている一方で,非加盟者である週刊誌記者などお呼びではない。「クラブに属していない」というだけの理由で取材拒否されることも日常茶飯事。予期していた反応とはいえ,釈然としないまま現場に戻った。

清水 潔 (2015). 騙されてたまるか:調査報道の裏側 新潮社 pp.42-43

教育と型はめ

進化心理学の創始者の一人,ロバート・トリヴァーズは,教えることと型にはめることを区別している。前者は子供のためになり,後者は親のためになるものだ。遊び場やデパートの試着室を一瞥すればたいてい,子どもをせっついたり脅したりして,高圧的に指図している親の姿が目に入る。家庭では母親が,自分が休憩をとるために赤ん坊のスーザンを毎日3時に昼寝するよう「型にはめ」ようとするかもしれない。あるいは父親が息子のチャーリーを,役立たずのラルフおじさんのようなサックス奏者でなく,自分と同じ眼科医になるよう「型にはめ」ようとするかもしれない。
 孤独な子どもは,この手の圧力に立ち向かって自分の利益を守る能力が人並み以下の場合がある。孤独に感じていると多数派の意見を入れる傾向が強まり,せっせと他人の真似をし,あまり粘り強さを見せなくなる。また,人生のどんなときにもそうであるように,孤独なときにも愛情を必要とするが,この欲求が強すぎて,意に反するようなことまでしてしまう場合もある。

ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.237

感情移入の4要素

私の同僚のジーン・ディセティは感情移入を神経科学の観点から研究し,感情移入という形のつながりになくてはならない4つの要素を突き止めた。共有された感情表現,他者は自己とは別であるという認識,それにもかかわらず「人に身になって考える」ための精神的な柔軟性,そして適切な反応をするために必要な情動的自己調節能力だ。
 ディセティはこの4つの要素を分離し,それぞれを脳の別の領域に特定するのに成功した。そして,共有する感情は例外だが,感情移入の各要素には実行機能が必要だという結論を下した。というわけで,孤独感で心がいっぱいになると,実行制御と自己調節を妨げる一因となる孤立感は,心から感情移入する反応の邪魔もしうる。

ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.215-216

状況と愛着スタイル

進化の文脈で考えると,親が子供の世話をするだけの時間と資源が十分にある環境では効果的な戦略だということがわかる。安全で安定した環境(身体的にだけでなく情動的にも安心な環境)では,子供が大きなリスクを負わずに冒険できる。カラハリ砂漠であれ,パリのスラム街であれ,もっとストレスの多い環境では,親にとって生き延びることが差し迫った課題で,子供を身近に置いておける「不安定な愛着」のほうが優勢になる。しかし,子供の気質が親の側を変化させることもある。

ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.176-177

急速なギアチェンジ

前述したように,現代社会ではストレス要因のほとんどは,「闘争・逃走反応」を進化させたような短期的で生死にかかわるものではない。私たちは,毎日相も変わらず横柄な上司に仕え,長い時間をかけて通勤し,健康管理や退職後の生活について心配し続け,社会的孤立をずっと抱いていることがある。しかも,今やこうした継続的ストレス要因を生涯にわたって経験するのであり,その年月を平均すると,人類の誕生からほんの数世紀前までは標準的だった寿命の長さを優に超える。現在の環境は,進化的な適応をしていたときの環境とはまったく違うのに,私たちの自律神経系の反応は変わっていない。人間の体は現代生活の低次元の慢性的なストレス要因に対して,依然としてまるで命がけで戦っているかのような生理的反応を示し,70歳になってもゴルフやテニスをしたり,80歳になっても長時間の散歩を楽しんだりしたいという思いとは裏腹に,そのための余力を残しておこうという配慮などまったく見られない。こうした極端な反応は,私たちが直面しているストレス要因に対処するのに必要な代謝量をはるかに超えている。それにもかかわらず,私たちはしきりに急激なギアチェンジをして不必要なまでに高速を出し,そのたびに,その埋め合わせとして低速ギアへのシフトを求められ,こうして長年にわたってくり返される過激なギアチェンジ(アロスタティック負荷)が積み重なり,ろくな見返りも得られぬままに,高い代償を払わされることになる。

ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.142

社会的環境

孤独な人が健康に良い行動をしなくなるのは,催眠で社会的疎外感を抱かせた人にみられた,実行制御機能の,ひいては自己調節能力の低下が一因になっているのかもしれない。たんにその時点で気持ち良く思えることではなく,自分にとって良いことをするには,規律正しい自己調節が必要となる。ジョギングに行くのは,終えたときに気持ちが良いかもしれないが,ほとんどの人にとっては,そもそもドアから外に出るには意志の力による行動が必要だ。そうした規律に必要な実行制御は孤独感によって低下する。孤独感には自己評価を低下させる傾向もある。他者に無価値だと思われていると感じると,自己破壊的行動をしがちで,自分の体をあまり大事にしなくなる。
 そのうえ,孤独な中高年の人は,孤独感についての苦悩と実行機能の衰えが相まって,気持ちを紛らわそうとして喫煙や飲酒や過食,性的行動に走ることがあるようだ。気分を高揚させるには運動のほうがはるかに良いだろうが,規律正しい運動にも実行制御が必要だ。週に三回ジムやヨガ教室に通うのも,体調を保とうとするのを励ましてくれる友人とそこで会って楽しめるなら,ずっと楽になるだろう。
 つまり,社会的環境は非常に重要なのだ。それは,規範を形作り,社会的制御のパターンを強め,特定の行動をする機会を与えたり与えなかったり,ストレスを生んだり軽減したりすることによって,行動に影響を与える。

ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.137-138

主観

ことによると,重要なのは社会とのかかわりの数でも他者が実際に手助けをしてくれる度合いでもなく,社会的なやり取りが社会的なつながりに対する各人特有の主観的な欲求を満足させる度合いではないか,と私たちは考えた。毎日決められた時刻に日誌に記入してもらうという,以前行われた研究から,他者と過ごす時間の長さや他者とかかわる頻度が,孤独感の度合いを予測するのにはあまり頼りにならないことがわかっていた。孤独感との関係がとりわけ強かったのは,ここでも質の問題,つまり,他者との交わりにどれだけ意義があるかという,本人が下す評価だった。とはいえ,人との交わりに意義を見出せないことが,肥満や運動不足,癌の原因となる喫煙と肩を並べるほどの害をもたらしうると言うのは,やはり大げさに思われた。

ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.129

孤立の影響

1988年,「サイエンス」誌にその後の調査を検討する論文が載り,疾病や若年死の危険因子として,社会的孤立は高血圧や肥満,運動不足,喫煙に匹敵することを,そのメタ分析(「分析の分析」の意味で,複数の研究結果を系統的・総合的・定量的に評価するもの)は示した。しばらくは,このかなり重大な影響は,「社会的制御仮説」によって説明されることがいちばん多かった。この仮説は,物質的援助やよりポジティブな影響を与えるだろう配偶者や親しい友人がいないと,人は体重が増えたり,アルコールを飲み過ぎたり,運動不足になったりする傾向が強まるのかもしれない,というものだ。自分の体にかまわなくなるから健康に影響が出て,それが孤立の研究で発見されるのかもしれない,と考えられたのだ。

ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.128

孤独感の複雑化

文化的規範と各自の願望との葛藤があるために,私たちの孤独感はいっそう複雑化し,ときにはカムフラージュされる。たとえばウェブ文化では,個人のホームページ上に「友人」を1000人載せられるように望むべきだとされるかもしれない。別の文化では,新製品発表会で会う人が全員顔馴染みで,接待用のスイートに通されてオープンバーや巨大なシュリンプカクテルで最高のもてなしを受けることが一番の目標かもしれない。また今日のメディア文化では,ユーチューブや素人が出演するリアリティー・テレビ番組で有名人になれば,たとえ恥をかこうと,幸せな気分になれると何百万もの人が思い込まされているようだ。それでいて,ややもすると,自分が受け入れている文化が命ずるままに何もかもきちんと行った人が,「どうして私はこれほど惨めなんだ?」と,相変わらず自問し続ける羽目になる。文化のお墨付きを得たことをやり遂げたにもかかわらず,自分の孤立感を癒やしてくれる有意義なつながりを得られずにいるのだという考えを,彼らははっきり表現できないのだろう。あるいは心に抱くことさえできないのかもしれない。

ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.104-105

友人概念

友情の捉え方も国民性の影響を受ける。ドイツ人とオーストリア人は,友人に数える人の数が最も少ない。イギリス人とイタリア人がそれに続き,友人の数が最も多いのはアメリカ人だという。もっとも,アメリカ人は他文化の人に比べて,友人という概念を大まかに捉えているだけかもしれない。

ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.104

孤独感の有害さ

自己調節が利かなくなること,信頼関係が損なわれること,社会的な愚かしさに由来するランダムな行為,貪欲,裏切り,さらには殺人でさえ,いつの世にもあったし,これからもなくなることはないだろう。それにもかかわらず,無数の複雑なつながりの推移を把握し続けることのできる,より大きな脳は,そのつながりを維持することで孤独感の痛みを避けようとする基本的衝動と相まって,生存上の優位性を与え続けたので,向社会的な特徴は,一握りの例外を除いたすべての人にとって,いわば「標準仕様」と化した。孤独感への嫌悪と他者への愛着がほぼ普遍的な,いわゆる「環境的に安定した適応」となるにつれ,より多くの者が協調,忠誠,社会的な協力,思いやり,気遣いに依存するに至り,それによって,少なくとも仲間内では,こうしたルールに従って振る舞うことがさらに優位性を増した。その分,仲間外れにされるという感覚はいっそう恐ろしく,有害なものとなった。
 そんなわけで,最初の社会が形成されてから何万年もの時を経た今も,人間は血縁,友情,さらにありとあらゆる種類の部族集団(パラグアイの首狩り集団アチェ族から,ボストン・レッドソックスのファン,オンラインゲーム・プレイヤー,スタートレックのファン,英国国教会の信徒など)によって結びつけられている。そして,誰もがたまには独りになる瞬間を大切にするだろうし,この上なく幸せな孤独をかなり長い時間楽しめる人も多いとはいえ,何百万もの集団に属する何十億という人の中には,気分を落ち込ませる有害な孤独感の痛みを味わいたいと望む者は誰一人としていない。

ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.93-94

孤独感というシグナル

孤独感は社会的なつながりを取り戻すきっかけとなり,社会的なシグナルに対する私たちのレセプターの感度を上げる。同時に,孤独感に象徴される根強い恐れのせいで社会的なシグナルの処理が混乱し,実際に伝わるメッセージの精度が落ちる。私たちは,慢性的に孤独感を味わっていると,感度が高まり精度が落ちるという二重の影響によって,社会的なシグナルの意味を誤解しかねなくなる。ほかの人なら,同じシグナルに接しても感知さえしないし,仮に感知してもまったく異なる解釈をするだろう。

ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.48-49

遺伝子という革紐

著名な進化生物学者のエドワード・O・ウィルソンは,遺伝子は私たちの行動を制約する「革紐」を提供すると述べている。ただし,それは伸縮自在の革紐だ,と。私たちは,遺伝的性質にある程度まで縛られるものの,「遊び」はたっぷりある。親はわが子の音楽や運動や数学の腕前を自慢したり,いたずらぶりを嘆いたりするとき,DNAと私たちを取り巻く世界という2つの重大な影響力のどちらのほうが大きいのか,という疑問をよく抱く。この疑問は,公共政策にもかかわるので,学者の間では何十年にもわたって白熱した議論の的となってきた。心理学者のドナルド・ヘッブは「個人の性質に,より大きな影響を与えるのは,生まれか育ちか」という疑問を,長方形の面積に,より大きな影響を与えるのは縦の長さと横の長さのどちらか,という問いになぞらえた。答えは,どちらか一方,ではない。だが,それぞれが別個に,という話でもない。一般に,個性のごく基本的な側面の発現を左右するのは,たんに「環境+遺伝」ではなく,遺伝子と環境の相互作用なのだ。遺伝が及ぼす影響力とは,特定の個人がその遺伝的な資質のせいで,社会的なつながりを人より余計に必要としたり,そうしたつながりがない状態に人一倍敏感だったりする,というだけだ。短期間にしろ生涯にわたってにしろ,人が実際に孤独感を覚えるかどうかは,社会的な環境を含めてそれぞれの環境次第だ。そして環境は,本人の考えや行動など,じつにさまざまな要因に左右される。

ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.41

孤独感の影響力

孤独感の強大な影響力は,3つの複雑な要因の相互作用から生まれる。これからその3要因を掘り下げてみたい。

 1 社会的な断絶に対する弱さ
 私たちはみな,基本的な体格や知的水準を親から受け継ぐ。同じように,社会的帰属に対する欲求の強弱(社会的疎外による苦痛に対する感受性とも言える)も受け継ぐ(いずれの場合であれ,こうした遺伝的な性質が発現する際に周囲の環境が与える影響もまた,きわめて重要だ)。遺伝に根差した,各人に固有のこの性向は,サーモスタットのように自動的に作動し,社会的なつながりに対する各自の欲求が満たされているかどうかによって苦悩のシグナルを発したり止めたりする。
 2 孤立感にまつわる情動を自己調節する能力
 うまく自己調節できるというのは,試練に直面したときに,表面ばかりでなく内面の深くでもしっかりと平静を保っていられることだ。孤独感が募って拭い去れなくなると,この自己調節の能力が損なわれ始める。この「調節不全」は細胞レベルでは,さまざまなストレス要因に対する抵抗力を弱め睡眠のような治癒・回復機能の働きを阻害する。
 3 他者についての心的表象,予期,推論
 私たちはみな,自分なりの見方を通して自分の経験を形作る。ある意味,誰もが自分自身の社会的世界を自ら構築しているのだとも言える。他者とのかかわり合いを解釈することを「社会的認知」という。私たちは孤独感に深くとらわれると,不幸せになり,脅威を感じ,自己調節する能力が損なわれ,それが相まって,自分自身や他者をどう見るか,他者の反応をどう予期するかにも大きな影響が出る。

ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.29-30

孤独の進化

これも留意しなければならないのだが,孤立の痛みを感じるのはすべてネガティブだ,と決めつけることはない。孤独にまつわる感覚は,人間という種が生き残るのに貢献したから進化したのだ。「愛着理論」の先駆者である発達心理学者のジョン・ボウルビーは,こう書いている。「群れから孤立すること,とりわけ,幼いころに自分の保護者から引き離されることは,途方もない危険を孕んでいる。したがって,どの動物も孤立を避け,仲間との近接を維持する本能的習性を持っていたとしても,驚くことがあろうか」

ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.20-22

孤独を感じる

とはいえ,私たちの誰もが孤独な思いをしたり,そこから脱したりすることを覚えておいてほしい。ときおり孤独に感じるのは,人間である証拠だ。実際,意義ある社会的つながりへの欲求と,そうしたつながりが欠けているときに私たちが感じる痛みこそが人間ならではの特徴であることを示すために,本書のかなりの部分が費やされている。孤独感が深刻な問題となるのは,それが慢性化し,ネガティブな思考や感覚や行動の執拗な悪循環を生み出した場合に限られる。

ジョン・T・カシオッポ&ウィリアム・パトリック 柴田裕之(訳) (2010). 孤独の科学:人はなぜ寂しくなるのか 河出書房新社 pp.20

七五三

江戸時代,多くの親はこどもを流行病で亡くした。家斉の子女も57人中,32人が5歳を待たずに早世した。現代の七五三はこどもと両親が着飾る派手なファッション・ショーと化したが,往時の七つの祝いは,「よくぞ,七歳までぶじに育ってくれた」と心底より氏神に感謝する意義深い祝い日だったのである。

篠田達明 (2005). 徳川将軍家十五代のカルテ 新潮社 pp.137

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