八代吉宗の治世は米の値段が激しく変動して庶民は物価の上昇に苦しめられた。吉宗は“米将軍”と呼ばれたほど米価の調整に力を入れたが,この間,着々と経済力をのばしたのは商人たちである。富裕になったかれらは1日3食の習慣を定着させ,やがて全国にこれがひろまった。江戸の町民はヌカを落とした精白米を腹一杯喰わねば満足しなかった。同時に江戸では脚気の病いが流行した。脚気はヌカに含まれるビタミンB1の欠乏によっておこる。春から秋口にかけて発症し,とりわけビタミンB1の消耗がはげしい夏場に悪化する。田舎から丁稚奉公にやってきた少年たちは白米飯を食べると足腰の力が抜け,いわゆる「江戸煩い」にかかった。盆に故郷へ帰って玄米飯を食べると奇病はなおる。家康の時代は食生活が質素で,武士たちも玄米を常食にしていたが,家治の時代には江戸城台所も味のよい精白米しか買い上げなかった。
篠田達明 (2005). 徳川将軍家十五代のカルテ 新潮社 pp.130-131
PR