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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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キリスト教の特徴

初期キリスト教にはその後の発展に大きく影響するふたつの特徴があった。ひとつは,創始者として記録されている預言者に,新しい宗教を作るという意識がほとんど(あるいはまったく)なかったように見えること。もうひとつは,イエスのことばがアラム語だったのに対して,キリスト教創設のことばはギリシャ語だったことだ。そのころヘブライ語はすでに話し言葉ではなくなっていた。パレスチナ文化からギリシャ文化という移行期に,新しい強力な宗教が生まれたのだ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.182
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キリスト教徒の増加経過

パレスチナ外に住むユダヤ人は“1世紀から2世紀初頭にかけてキリスト教が成長する最初の土台となった”とスタークは考える。紀元400年ごろまで,キリスト教にとってユダヤ人社会は貴重な改宗者獲得先であり,「ユダヤ・キリスト教」はその後1世紀,重要な存在であり続けた。人口400万から500万程度のパレスチナの外の共同体が,どうしてキリスト教の隆盛に大きな影響を与えたのか。キリスト教の数は250年間,非常に少なかった。が,もし紀元40年に1000人のキリスト教徒がいて,10年ごとに40パーセント増えるとしたら(これは20世紀にモルモン教徒が獲得した信者数の10年ごとに平均43パーセント増に近い),スタークによれば信者の増加は次のようになる。

紀元40年  1000人
  50年  1400人
  100年 7530人
  150年 4万496人
  200年 21万7759人
  250年 117万1356人
  300年 629万9832人
  350年 3388万2008人

 この注目すべき初期のキリスト教人口の増加をうながした要素として,キリスト教の結束力と,教義に起因する高出生率のふたつがあげられる。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.179

宗教と言語

しかし,宗教の歴史を一瞥すれば,それがいくつかの重要な点で言語に似ていることがわかる。おそらく今日のすべての言語がひとつの樹から枝分かれしたように,宗教もひとつの樹から派生しているのだ。
 人類の祖先の人口は,ある時期,天災によってわずか5000人にまで減った。彼らは同じ言語を話していたと思われる。現代人はみなこの5000人の子孫なので,現存するすべての言語は,彼らが話していたひとつの言語から派生した可能性が高い。
 もしそうなら,少なくとも理論的には,現代のすべての言語を含む系統樹を描くことができる。その幹は,5万年以上前の人類の母語だ。主要な枝は,インド・ヨーロッパ語族,アルタイ語族,アフロ・アジア語族など,14ほどの現存する語族。それらの太い幹からさらに分かれた枝が,世界じゅうで話されている6000種類ほどの言語である。
 言語は変わりつづけるが,どのひとつも先行する言語に由来するので,そのような樹が育つ。そして理論上,世界じゅうの宗教についても同じような樹を描くことができるはずだ。宗教もまた,先行する宗教からゆっくりと派生してきたからだ。まったく新しい宗教が成功する見込みはほとんどない。新しい宗教を始めるのであれば,どこか既存の宗教のセクトとしてスタートするのがもっとも簡単な方法だ。セクトに加わる者は,その宗教のなかで容易に見つけられる。そのようなセクトのリーダーは,宗教の恍惚を人々に思い出させ,正統派の司祭を,創始期の教えからはずれていると批判するかもしれない。彼の教えが,聖典の再解釈を可能にする啓示にもとづいていることもある。まさにこれが,イエスの弟子や,モンタノス,ムハンマド,モルモン教の創始者ジョセフ・スミスがとった方法だ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.162-163

解決策としての宗教

拡大した共同体のなかで,人類は初めて財産と身分を得た。絶え間ない移動をやめ,所有物を持ち運びできる量に限定する必要もなくなったので,みずから消費する以上の作物や物品を作ることができた。そうした余剰物はおそらく交換され,商業が始まったのだろう。日用品,価格,数,定量化,価値,資本といった,それまで狩猟採集民には縁のなかった概念が生活の一部になった。
 すべての男性が狩りに出て,すべての女性が採集に出かける日々は終わった。より複雑な定住社会では労働の専門化が要求された。余剰物を保管し,分配し,近隣集団と交換するために管理人が必要になった。貧富の差も生じた。新たな社会は支配者と非支配者に分かれ,階層が生まれた。しかし,新しい支配者はどうやってみずからを正当化し,古くからの平等主義を捨てるような人々を説得したのだろう。
 解決策の中心となったのは,狩猟採集社会で長年,権威と結束の源泉となっていた宗教だった。聖職が確立され,聖職者が儀礼を取りしきり,人々は彼らを介してしか神と交信できなくなった。宗教的舞踏も徐々に抑圧されていった。定住で生まれた新しい社会や古代国家は,官僚や軍隊など世俗の(民間の)機関を創設したが,それでも統治手段として宗教に依存していた。官僚制にしても,少なくともバビロニアでは最初,神殿に本拠を置き,民間ではなく宗教的な制度だった。古代国家の多くの指導者は,自分は神から指名された,または少なくとも神の承認を得て統治している,と主張した。彼らのなかには最高位の聖職者を兼ねる者もいた。こうした習慣は指導者にとって利用価値が高く,歴史上長く続いた。古代ローマの皇帝は「最高神官」であることを宣言した。イギリスでは今日でも,君主が英国国教会の首長である。多くの統治者が神との密接な関係を主張してきた。日本の天皇は近代に入ってからも,みずからを天照大神の子孫としてきた。ほかにも,古代エジプトの王ファラオは生ける神とされていた。だがローマの皇帝は総じて慎み深かったようで,神格化を死ぬまで延期した。皇帝ウェスパシアヌスは死の床で「いまいましい,私はそろそろ神になる」とおどけたそうだ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.140-141

初期人類の宗教

アボリジニ,アンダマン諸島民,クン・サン族,これら3つの民族は,おそらく初期人類の宗教にかぎりなく近いものを実践しているだろう。いずれもほかの文化の影響を受けてしまっているかもしれないが,それらの共通の特徴は,同じ起源に由来すると考えてよさそうだ——5万年以上前,現生人類がアフリカを出るまでその地で実践していた宗教である。
 人類学者たちの記述を見ると,その3つの狩猟採集民の宗教が,西洋諸国でなじみのある宗教と大きく異なっていることがわかる。未開の宗教には司祭もいなければ聖職者の階層制度もない。共同体のメンバー全員が宗教を実践し,人々のあいだに序列はない。教会のような独立組織もない——共同体そのものが教会なのだ。
 彼らの宗教の第2の特徴は,前章で述べたように,歌や舞踏をともなうリズミカルな身体運動だ。そうした歌や舞踏は8時間以上続くこともある。全員が同じリズムに合わせて踊るこの「舞踏マラソン」によって強い感情が生まれ,人々はみな喜びとともに一体感を味わう。この儀礼の重点は,個人の精神的な満足ではなく,共同体の活動と要求にある。
 第3の特徴として,原始宗教の聖なる物語は,共同体の存続にかかわる道徳や実用的な教えを説く(西洋の宗教と同様)。しかし,その物語は宗教実践の中心ではなく,儀礼や儀式と一体になっている。
 第4に,原始宗教は神学の問題にほとんど関心を示さず,実用的な問題を重視する。たとえば通過儀礼や,治療,狩猟,天候のコントロールといった生存にかかわる問題などだ。もうひとつの実用的な目的は,互いに争って反目する者たちをなだめ,関係を修復させることである。これは集団の結束を維持するためにもっとも重要だ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.114-115

トランス状態

トランス状態を装っていることもあるが,多くの場合,トランスは本物の現象であるようだ——どうやって起き,持続し,そこからふつうの状態に戻るのかは科学的に説明できないにしても。なぜトランスは古代の宗教で中心的役割を担っていたのか。ウィリアム・マクニールが説得力のある説明をしている。彼によれば,古代の人々の超自然への信仰は,おもに夢から来た。しかし,夢はもうひとつの世界とつながる方法としては頼りないし,公共の儀礼でも使えない。他方トランスは,共同体でおこなう激しい舞踏によって確実に引き起こされる。誰もがトランス状態になる必要はない。何人かの感受性の強い者がそうなれば,彼らを通して全員が超自然界をうかがい知ることができる。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.105

宗教が先

前述したとおり,もし言語が儀礼の質を高める力を持ちながら,じつのところ必要不可欠ではないとすれば,言語はおそらく宗教の土台となるもろもろの行動のあとから加わったのだ。とすると,言語が発生した背景には儀礼があったのではないだろうか。これは興味深い可能性だ。言語は強力なので,もし早くから進化していたら,まちがいなく宗教行動を支配していたはずである。言語が宗教行動にとって必要不可欠な要素でないということは,そこにあとから来たことを示唆している。したがって,仮にではあるが次のような発生の順番が考えられる。(1)舞踏,(2)音楽,(3)儀礼に基づく原宗教,(4)言語,(5)超自然的存在への共通の信仰にもとづく宗教。この一連のプロセスにおいて,それぞれの進化の開始と完了が広く重なり合っていたことは疑いない。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.101

ルールと戦闘

ふたつの重要な行動によって,人類はほかの種よりはるかに強く集団選択の影響を受けたのかもしれない。ひとつは,狩猟採集集団内のルールを守らせようとする者たちの圧力で,これは利他主義を有利にする。もうひとつは集団間の戦闘で,これは集団選択を加速させる。
 狩猟採集社会の平等主義はたんなる原則ではなく,厳格に適用された。平等主義の徹底により,人間の社会的行動の自然変動はかなり抑えられただろう。強い狩人,権力志向者,女たらし,その他目立つ者はみな非難の的となり,集団内で成功することがむずかしかった。もし全員が同じ行動をとるしかなかったとしたら,集団内のばらつきは抑えられ,集団間のちがいは,少なくとも社会的行動に関しては,進化的変化の主要な原動力となっただろう。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.80-81

宗教は適応的か

ドーキンスは,宗教を持つ社会が持たない社会を全滅させたときに宗教行動が選択された,という説明は成り立ちうると認めている。ただこれは,自然淘汰が個体ではなく集団に作用しうるかという,生物学者のあいだでも意見の分かれる問題を提起する。この問題についてはのちほど論じる。ここで注目すべきは,集団選択は生じうるが何ら重要性はないとドーキンスが論じている点だ。したがって彼の見解では,集団間の競争を通して宗教が適応的になった可能性はない。
 彼は人々が信仰のために死んだり殺したりすることについて,みずからの誘導システムによって火に飛び込む蛾の誤った行動を引き合いに出す。そんな蛾の行動が非適応的なのだから,宗教もまた非適応であると論じ,“宗教を誤って生み出す初期の優位な形質は何か”と問う。そして“年長者の言うことを何でも受け入れるという単純なルールを持つ子どもの脳に,選択的優位性がある”と仮説を立てる。ドーキンスによれば,宗教的信念は親から影響を受けやすい子どもに受け継がれ,ウイルスのように広まる。これはすべての世代でくり返される。したがって宗教は,親の言うことを信じる子どもの性質から偶然かつ副次的に生じたものである。
 この議論は少々こじつけに思える。意味のない情報なら生存競争に役立たず,アフリカを出て以来すべての人類社会で2000世代にわたって受け継がれてきたとは思えないからだ。宗教は大きな負担を強いる。オーストラリアのアボリジニの儀礼からも明らかなように,その実践には膨大な時間を必要とする。もし宗教になんの利点もなかったら,それに多くの時間を費やした部族は,軍備にすべての時間をつぎこんだ部族に対して非常に不利になっただろう。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.76-77

ピンカーとドーキンス

宗教行動を非適応とする有名な生物学者に,スティーブン・ピンカーとリチャード・ドーキンスがいる。偶然ながら,ふたりとも宗教を痛烈に批判している。
 ピンカーは,宗教行動を適応と考える3つの理由を考察して退けたうえで,宗教が普遍的である理由について独自の仮説を唱えている。ピンカーはすぐれた心理学者であり,尊敬に値する著述家であるが,宗教には進化的利点がないという彼の立場には疑問の余地がある。
 ピンカーが退けた3つの議論とは,(1)宗教は死や不安に直面したときに知的安らぎを与える,(2)宗教は共同体を結束させる。(3)宗教は道徳的価値の源泉である。
 ピンカーが(1)を否定したのはまちがっていないだろう。どうして精神的な安らぎが多くの子孫を残すこと(自然淘汰の唯一の尺度)につながるのか。たしかにこれはわからない。(3)については,聖書は“強姦と虐殺と破壊の手引書である”として批判している。良書は“多くのアメリカ人が信じているのとは逆に,道徳的価値の源泉などではない。宗教がわれわれに与えるのは,石投げの刑,魔女の火刑,撲滅運動,異端審問,ジハード,ファトワー,自爆,同性愛者襲撃,中絶をおこなう医院への銃撃,わが子を溺死させる母親などだ。これらはみな,天国でひとつにまとまって幸せになるためだという”。
 たしかに,確立された宗教はたえず分裂に直面し,それを過剰に抑圧する傾向があるけれども,だからといって宗教が道徳的価値の源泉であるという事実は変わらない。ほぼすべての宗教は,「自分がしてもらいたいことをせよ」という黄金律を,ほかの道徳的制約とともに,なんらかのかたちで符号化している。これらが社会構造を強化するなら,それは適応と考えられるだろう。
 宗教は集団を結束させるので適応たりうるという(2)の議論について,ピンカーは“宗教はたしかに共同体を結束させるが”それはほかの手段でもなしとげられると反論する。“進化に,共通の敵と戦うために人々を結束させるというサブゴールがあるとしても,なぜ霊的な存在への信仰や,儀礼によって未来が変わるという信念が,共同体を強固にするために必要なのか。なぜ信頼や忠誠や友情や連帯といった感情では足りないのか。霊魂や儀礼を信じることが,人々の協力をいかに取りつけるかという問題を解決すると考えるべき,アプリオリな理由はない”。
 しかし,どれほど奇妙な宗教行動であろうと,進化はそれを効果的であると見なしたのだ。歴史の大部分において,信頼や忠誠といった感情は共通の宗教から育っていった。すでに述べたように,懲罰神への信仰は,社会利益のために人々を協力させる手段として非常に効果的だ。そうして実現された結束が,共同体同士の生存競争のなかで適応的だったと考える理由は充分にある。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.73-74

シグナル

宗教行動もシグナルとして機能する。厳しい儀礼を通してのみ学ぶことができ,膨大な時間を要求するからだ。このシグナルは共同体のほかのメンバーにとって重要だ。メンバーは四六時中,互いの行動を観察しているわけにはいかないが,儀礼のなかで各人の忠誠心を確かめることができる。
 シグナルは象徴であり,ことばよりはるかに効果的にメッセージを伝えられる。これは注目すべき点だ。人は「信用してください」と言うが,なんであれ共同体の宗教が要求する儀礼に参加するほうが,ことばよりはるかに信用を得やすい。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.70

神と心の理論

多くの宗教にあるもうひとつの興味深い面は,超自然界の代理者は全知全能であり,人間の考えも細部までくわしく知っているとされることだ。この代理者の能力が,他人の考えを推察する人間の能力(いわゆる「心の理論」)と似ていることに注目する研究者もいる。
 進化心理学によれば,脳は汎用計算機ではなく,むしろ神経システムの集合体であり,それぞれのシステムが,生存にとって重要な問題を解決するために進化した。たとえば人間は,一度しか見なかった他人の顔を何十年もたったあとで思い出せる。これは驚くべき能力だ。もし生きているあいだに網膜に映ったものすべてを記憶しなければならないとしたら,汎用記憶システムはまちがいなくパンクする。脳はそのように作られていないと想定すべきだ。脳には顔認識モジュールが備わっており,これは疑いなく霊長類時代の初期に進化した。小さな社会では,他者の顔を認識することがきわめて重要だったからだ。このモジュールは顔を巧みに認識するだけでなく,脳のほかのシステムと共同して,保存に値する記憶の選別にもたずさわっている。
 「心の理論」モジュールは,推定されるもうひとつの脳内回路で,その存在は証拠によってほぼ確認されている。これの有用性と生存上の利点は明らかだ。ほとんどの社会状況において,人は自分のことばや行為に対して他人がどう反応するかを予測する必要があるからだ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.65

自然淘汰と宗教

人類が言語と他人の噂話をする能力を発達させた時期,信仰はとりわけ有益になったかもしれない。小さな社会で悪い評判が立つのはよくない。何かの技術に秀でることさえ,妬みの原因になりうるし,妖術師とみなされて処刑されるかもしれない。神の明らかな望みに几帳面にしたがい,慎重に行動した人たちは,より多くの子孫を残せただろう。このため,自然淘汰は宗教行動に有利に働いた,とジョンソンは推察する。ジョンソンと心理学者のジェシー・バーリングは次のように書いている。“われわれは万人に共通する宗教の雛形を受け継いできた。というのも,初期の人類において,超自然界の代理者がいるという考えを捨てたり,道徳的なことがらにかかわる能力のなかった者は,同じ集団のメンバーによって早々に殺されるか,少なくとも子孫を残す可能性を減らしただろうからだ。他方,道徳を説く神がいる可能性に同意し,そのような代理者を恐れて生きた者は,生き延びてわれわれの祖先になった”。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.64-65

罰を与える者

複数の分野の研究者たちによれば,協力しない者は厳しく罰せられるという想定がなければ,これほどレベルの高い自然な協力関係は生まれなかった。
 しかし問題は,誰が罰を与えるかだ。小さな社会では,法の執行役を引き受ける者はまわりの敵意を買う。犯罪者やその親族からの復讐がありうることは言うまでもない。狩猟採集社会は逸脱者の懲罰に慎重である。たいてい事前に全員の同意を得,復讐を避けるためになるべく血縁者に殺させる。
 進化心理学者のドミニク・ジョンソンは,最近の一連の論文のなかで,どの共同体にも,超自然界の代理者という形式の,非常に効果的な懲罰システムがあると指摘している。世界じゅうの社会で,神や祖先の霊は人々が法やタブーを守っているかどうかを注視しているとされる。現世,来世,またはその両方で,神はかならず違反者を罰する。先進社会においても宗教は厳格だ。ヘブライ書(訳注——旧約聖書)は,罪は罰されると明示している。キリスト教は,神の法にしたがえば天国に行ける,したがわなければ永遠の地獄が待っていると約束する。ヒンドゥー教と仏教では,人として恥ずべきおこないをした者は,下等な生物に生まれ変わる。
 超自然の懲罰システムは,原始社会に多大な利益をもたらした。懲罰というありがたくない仕事を誰も引き受ける必要がなくなり,逸脱者やその親族から殺される危険を背負わなくてすんだ。代わりに神が念入りにこの仕事をするようになったのだ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.62-63

神の存在

以上のようなことから,世界のさまざまな宗教が,いくつかの共通の行動にもとづいているのがわかるだろう。なかでももっとも重要なのは,社会の恐ろしい支配者に対して道徳規範の執行者である神の存在を信じることだ。超自然的世界にいるとはいえ,神はこの世のすべての出来事を見ており,祈りや供犠や儀礼がそのふるまいを左右すると信じられている。こうしたことを信じる人々の社会は,平時であれ戦時であれ,困難な目標を達成しようとするときに強く団結したはずだ。宗教への本能が生存率を高めた結果,初期の人類にそのような本能を発現させる遺伝子が広まったのだ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.50

共通基盤

宗教行動は人間性の進化した部分と考えるおもな根拠は,宗教の普遍性にある。あらゆる社会になんらかの宗教がある。世界じゅうに存在する宗教は,文化によって大きく異なるとはいえ,共通点も多い。宗教行動が持つそういったほぼ不変の特色には,遺伝的基盤があると考えられる。
 すべての宗教の中心には儀礼があり,儀礼は音楽をともなう。原始社会ではよく舞踏も含まれるが,多くの定住社会の宗教に舞踏はない。
 すべての社会は通過儀礼をおこなう——誕生,成長,結婚,そして葬送の儀礼だ。そこで演奏される音楽は躍動的なものが多い。ドラムやリズムカルなビートは,神秘の世界と交流するための方法と広く考えられているからだ。思春期におこなわれる通過儀礼は多くの場合,痛みと恐怖をともなう。それによって未来の戦士の心に勇気と忠誠を芽生えさせるのだ。
 たとえ神が別の世界に住んでいるとしても,すべての宗教には神と接触するなんらかの方法がある。また,儀礼や供養や祈りによって神の行動に影響を与える方法もある——たとえ取るに足りない人間の心配事に,永遠なる存在がほとんど関心を持たないとしても。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.47

道徳的直観と推論

道徳的直観はより古いシステムで,おそらく推論能力か言語能力よりまえに人類に備わった。そして言語が進化したあと,自分の行動を他者に説明し,正当化するために,道徳的推論が発達したのだろう。しかし進化のなかでは,人類社会を長く守ってきた道徳的直観を犠牲にしてまで,個々の行動の支配権をこの新しい能力にゆだねる必然性が見つからなかった。そこで結局どちらのシステムも存続することになった。道徳的直観のシステムは意識化で働きつづけ,迅速な判断を意識に送る。道徳的推論のシステムがそれを引き継いで,弁護士や広報担当者のように働き,受け入れた道徳を論理的に説明したり,自分や社会に対する行動を正当化したりするのだ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.30

道徳的判断

この行き詰まりを打開したのは,バージニア大学の心理学者ジョナサン・ハイトの2001年の論文だった。ハイトは「嫌悪の感情」に注目し,彼が「道徳的絶句」と呼ぶ現象に関心を抱いた。車に轢かれて死んだ飼い犬を料理して食べた一家の話や,国旗で便所を掃除した女性の話を読み聞かせると,彼らはみな嫌悪感を抱き,そのような行為はまちがっていると断じた。が,なぜそう考えるのかを説明できない人もいた。それらの例では誰も危害を加えられていないからだ。
 自分の道徳的判断について説明できないのなら,論理的プロセスを経て判断しているのではない,とハイトは思った。
 ここから彼は,人が道徳的判断をおこなう方法について新たな考え方を打ち出した。ほかの研究者の調査も参考にしつつ,人の道徳的判断には2種類あると論じたのだ。まず「道徳的直観」は無意識から生じ,ただちに判断が下される。もうひとつの「道徳的推論」による判断はそれより遅く,意識が事実を検討したあとで下される。“道徳的判断は,道徳的直観の結果として,自動的にたやすく意識に現れる……道徳的推論は努力を要するプロセスであり,道徳的判断が下されたあとに働く。そのプロセスで,人はすでに下した判断を支える論拠を探す”。
 何世紀ものあいだ,哲学者と心理学者だけが注目していた道徳的推論による判断は,ハイトの見方によれば,たんなる概観にすぎない。正しい判断をしたことをまわりに印象づけるためのものだ。じつのところ,道徳をどう直感的に判断しているのかは,当人にはわからない。それらは無意識におこなわれ,意識的に知りうるものではないからだ。だから人は,なぜそう判断したのかと問われると,論理的に説明できる理由を探し,もっとも回答にふさわしそうなものを選んで,弁護士のように論じる。このために道徳をめぐる議論はたいてい激しく,決着がつかない,とハイトは指摘する。論争のどちらの側も,相手の主張に対して弁護士のように反論し,考えを改めさせようとする。が,どちらも,主張する論理的な理由ではなく,直観によってそれぞれの結論に達しているので,当然説得されない。要するに,相手の考えを論理で変えようとしても,実を結ばないのだ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.25-27

道徳性

心理学者もまた,道徳性を理性のみから引き出そうとする哲学者の考え方に長く同調していた。スイスの心理学者ジャン・ピアジェは,カントの考えを引継ぎ,子どもはさまざまな精神発達の段階を経て道徳性を学ぶと論じた。アメリカの心理学者ローレンス・コールバーグは,このピアジェの考えを発展させ,子どもは道徳的推論の6つの段階をたどると述べた。しかし,コールバーグの分析は子どもへの聞き取り調査を土台とし,その調査で子どもたちに,どのように道徳的推論をするのか説明させていた。だからそこでは理性しか見ることができなかったのだ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.25

初期の宗教

初期の人々のなかで進化しはじめた宗教は,長期にわたって大きな文化的発展をとげ,初期のものとまったく異なる今日の形態へと変わった。この発展の性質は,後述するとおり,大まかなかたちではあるが今日はじめて解明されうる。
 その第一段階は,生活様式が大昔から変わっていない現代の狩猟採集社会から,初期宗教の一般的形態を推測することだ。対象となる社会は,遺伝子(これによって社会の孤立の度合いがわかる)を基準にして選べる。次に,考古学の助けを借りて,狩猟採集民の宗教が定住社会の宗教に発展した段階をたどる。狩猟採集民の宗教は,神と交流する際,共同体の全員を平等に参加させた。定住社会では,聖職者階級が人々と神のあいだに立つようになった。宗教の力は独占的となり,しばしば祭司の王が支配する古代国家の支柱となった。人々を束ねる宗教の力は,集団行動が必要なほかの仕事にも利用された。たとえば,共同体としては初めて農業を取り入れたときの,慣れない厳しい仕事などだ。そうした宗教のおもな儀礼は,農業暦と結びつき,そのさまざまな行事は,進歩した国家のなかに現れた高度な宗教に吸収された。
 そのような国家のひとつ,紀元前2000年代に近東に住んでいたカナン人と,その子孫の古代イスラエル人の国家から,最初の巨大な一神教が出現した。いまや研究者は,ユダヤ教が生まれた歴史的背景と,作り上げた人々の動機を,ある程度くわしく説明することができる。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.19-20

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