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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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宗教は社会的

宗教の定義を求められると,多くの人は人の信仰の個人的な重要性を語る。たとえば,神聖なものとの交流を感じさせ,希望や慰めの源泉,道徳的行為の指針となり,不運の理由を説明し,人生の意味を明らかにしてくれるなど。『宗教的経験の諸相』のなかで,心理学者ウィリアム・ジェイムズは,宗教の個人的な側面を,ほかの何よりも強調する。彼の定義によれば,宗教とは“孤独な状態にある個々の人間が,なんであれ神的な存在と考えるものとの関係を感じる場合だけに生ずる感情,行為,経験である。この関係は,道徳的でも,身体的でも,儀式的でもありうるので,私たちが理解するような宗教から,いろいろな神学や哲学や教会組織が二次的に育ってくることは明らかだ”。
 しかし,宗教がどれほど強く個人の信念から生じるように見えても,その実践はきわめて社会的である。人はみな同じ信仰を持つ人とともに祈りたい,と個々人が信じているからだ。ひとりで祈りを捧げることもあるが,宗教活動や儀礼は社会的なものだ。宗教は共同体に属し,そのメンバーの社会的行動,すなわち,互いに対する(内部)行動と,信者でない者に対する(外部)行動に大きな影響を及ぼす。宗教の社会的側面は非常に重要である。他者へのふるまいを司るルールこそが,その社会の道徳だからだ。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.11-12
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単独で存在しない

宗教はとりわけ,共同体のメンバーが互いに守るべき道徳規範を示し,社会組織の質を維持する。まだ市民統治機構が発達していなかった初期の社会では,宗教だけが社会を支えていた。宗教は,同じ目的に向けた深い感情的つながりをもたらす儀礼をつうじて,人々を束ね,集団で行動させる。
 したがって,単独で存在する教会はない。教会とは,同じ信念を持つ人々が作る特別な集団,つまり共同体である。その信念はありふれた無味乾燥なものの見方ではなく,深い感情的つながりを持つ。象徴的儀礼や,合唱や一斉行動のなかで共通の信条を表現することによって,人々は,自分たちを共同体として束ねている共通の信仰に深くかかわっているという信号を送り合う。宗教(religion)という語が,ラテン語で「束ねる」を意味するreligareからおそらく派生しているのは,この感情的な結びつきのためかもしれない。

ニコラス・ウェイド 依田卓巳(訳) (2011). 宗教を生み出す本能:進化論からみたヒトと信仰 NTT出版 pp.4-5

一宮市のモーニングサービス

古くから真清田神社の門前町として栄え,地名も同神社が「尾張国の一之宮」だったことから名づけられた一宮市は,喫茶好きの名古屋市と岐阜市の間に位置する。明治以降は毛織物工業の中心地となり,戦後の高度成長期「糸へんの時代」と呼ばれた昭和30年代には毛織物や繊維業の最盛期を迎えた。「ガチャマン」と呼ばれ,ガチャンと機織りをすると,万というおカネが入ったといわれた時代だ(アパレル産業が盛んで同じ喫茶大国の岐阜市も似たような状況だった)。
 この時期一宮で生まれたのが「モーニングサービス」。当時多くの“はたやさん”が,事務所で打ち合わせをしようとしても織機の音がうるさくて,ゆっくり商談ができない。そこで近くの喫茶店を接客に使うようになった。多い時は1日に4〜5回も通う。やがて人の良いマスターが,朝のサービスとして「コーヒーに,ゆで卵とピーナッツをつけたのが始まり」——といわれている。

高井尚之 (2014). カフェと日本人 講談社 pp.116

名古屋のモーニングサービス

東京の喫茶店にもモーニングサービスはあるが,コーヒーよりも高めのセット価格となるか,コーヒー代+150円など追加料金制にする店がほとんど。この地方のモーニングサービスは,通常のコーヒー1杯と同じ価格なのだ。朝,コーヒーを頼むと「モーニングはつけますか?」と必ず聞かれる。このサービスを1日中行う店もある。
 名古屋系喫茶のオマケはそれだけではない。午後の時間にはピーナッツやあられが,お猪口ぐらいの大きさの皿で出される。瑞穂区堀田の店では,小さなカップケーキを出してくれたが,これも珍しくない。こうした一連のサービスが地元民の喫茶店通いに火をつけた。
 そもそも名古屋人にとって,喫茶店は自宅の一部だ。友人・知人が訪ねてくると,応接間や居間で歓待するよりも「コーヒーでも飲みに行こうか」と気軽に連れ出す。これは後でくわしく紹介する「モーニングサービス」以降の伝統だ。もちろんオマケがないと人気は出ない。

高井尚之 (2014). カフェと日本人 講談社 pp.113-114

鉄板ナポリタン

ちなみにこの鉄板ナポリタンも名古屋独特だ。ハンバーグやステーキを出すような鉄板焼きプレートで,玉子を敷いた上にナポリタンやミートソーススパゲティを載せて提供する。オムライスをひっくり返したような姿である。当地では焼きそばもこのスタイルで出されることが多い。もともとスパゲティをこの方式で始めたのは,東区葵にある老舗喫茶「ユキ」で,それが評判となり広がった。

高井尚之 (2014). カフェと日本人 講談社 pp.112

名古屋の喫茶文化

名古屋の喫茶文化を歴史的に整理すると,宗春時代の茶を喫するという地域住民の遺伝子(DNA)が大正期のカフェー・パウリスタに受け継がれ,昭和30年代以降の個人店の林立やサービス競争で一気に拡大したのだ。

高井尚之 (2014). カフェと日本人 講談社 pp.108

モーニングサービス

1955(昭和30)年頃から始まり定着した,日本独自の喫茶店文化の代表的なものの1つに「モーニングサービス」がある。朝の時間帯に注文されたコーヒーにトーストやゆで卵などをつけて提供するものだ。
 この発祥地には諸説あり,愛知県一宮市(発祥の店は不明),同豊橋市(発祥店は「仔馬」=閉店),広島県広島市(発祥店は「ルーエぶらじる」)で,個人経営の店主が始めたという。
 実際には現在もベーカリーカフェとして健在で,資料も残る(1956[昭和31]年に撮影された写真に「モーニング」の文字が見られる)「ルーエぶらじる」が元祖のようだ。

高井尚之 (2014). カフェと日本人 講談社 pp.67-68

「何にしますか?」「ブレンド」

これまで指摘してきたように,昭和の喫茶店といえば男性客が主体で,席につくとメニューも見ないで「ブレンド」「アイス」と注文していた。大手チェーンの経営者も,「昔は注文の6〜7割がブレンドとアメリカン,アイスコーヒーだったので,メニュー開発もあまり求められなかった」と証言する。

高井尚之 (2014). カフェと日本人 講談社 pp.49

銀ぶら

ちなみに“銀ブラ”という言葉の語源は,銀座をブラブラ歩くではなく,銀座(カフェー・パウリスタ)でブラジルコーヒーを飲むことという説もある。だが,ブラブラ歩きのほうが戦前から浸透しており,各地の大都市でも使われていた。大阪では心斎橋を歩く“心ブラ”,名古屋は広小路を歩く“広ブラ”,横浜は伊勢佐木町を歩く“伊勢ブラ”,神戸には元町を歩く“元ブラ”という言葉があった。ブラブラ歩きの後でも前でも,カフェーに寄ることが,最先端のおしゃれだったのだ。

高井尚之 (2014). カフェと日本人 講談社 pp.35

コーヒーの普及

コーヒーの発見と普及には諸説あるが,エチオピアのカルディというヤギ飼いの若者が,ヤギを追ううちに偶然コーヒーの実を見つけて食べた「カルディ伝説」が最も有名だ。時期ははっきりしないが6世紀ごろといわれている。その後,コーヒーは13世紀末ごろにイスラム圏に秘薬として伝えられ,15世紀には,宗教上の理由で酒を禁じられていたイスラム教徒に嗜好品として広がったという。
 カフェの本場・欧州では,オスマントルコのエジプト制圧後にコーヒーがトルコに伝えられ,東ローマ帝国の首都だったコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)に,16世紀半ばの1554年にコーヒーを提供する店「カーヴェハーネ」が開店。これが最古のカフェとして記録される。欧州初のカフェは1647年のヴェネツィア(当時は共和国)だという。

高井尚之 (2014). カフェと日本人 講談社 pp.22

どれだけ知っているのか

私たち人間が,いったいどれほどのことを知っているというのだろう。
 知識というものをもち始めてから,私たち人間はたかだか数千年の時しか経験していない。それに比べて,生物の歴史は気が遠くなるほど長く,深遠だ。
 さらに,生物学の始まりをアリストテレスとするならば,私たち人間は,その生物を学問の対象として見始めてから,たかだか2400年しか経っていないのである。
 その短い時間に私たちが見聞きした事物があり,それを「科学的」という言葉で表現される手法で調べたその総体として,いまの生物学があったとしても,だ。
 教科書に掲載されているという事実があるからといって,あるいはほとんど全ての「科学者」と称する人たちが——彼らももちろん人間だ——,一様に「うむ,そうである!」と断じる事柄だからといって,私たちが「定説」であるとみなしている全ての事柄が覆されないという保証は,どこにもない。

武村政春 (2015). 巨大ウイルスと第4のドメイン:生命進化論のパラダイムシフト 講談社 pp.200

ウイルスの本体は

ウイルス粒子とは,私たちが通常イメージするウイルスの姿であり,テレビや新聞などで見られる電子顕微鏡写真は,おそらく全てが「ウイルス粒子」である。しかしフォルテールは,この「ウイルス粒子」はウイルスのほんとうの姿ではない,と主張したのだ。
 要するに,ウイルスの本体はウイルス粒子なのではなく,ウイルス粒子を作るものこそがウイルスである,というのである。ではウイルス粒子を作るものとは何かというと,「ウイルスに感染した細胞」である。

武村政春 (2015). 巨大ウイルスと第4のドメイン:生命進化論のパラダイムシフト 講談社 pp.145

生物とは

ウイルスを生物とみなさない立場の人間は,ウイルス界全体について議論し,ウイルスを生物とみなす立場の人間は,時にはウイルス界全体について議論する場合もあるが,基本的には巨大DNAウイルスに限って議論する。
 これでは議論はかみ合わない。いずれは冷静に,少なくとも巨大DNAウイルスに関する科学的な議論と検証をすすめていくべきであろう。
 そうした議論が成立するのであれば,やがては「生物の基本単位とは何か」という話にまで広げる必要があるかもしれない。なぜなら,ウイルスが生物でないという立場にあったとしても,「生物である細胞だったものが余計なものをそぎ落としてウイルスになった」と考えるのであれば,「かつては生物だった」ことに異議を唱えることはないはずで,そうなると,じゃあいったいいつの時点でそれは「生物でなくなったのか」という問題に向き合う必要があるからである。

武村政春 (2015). 巨大ウイルスと第4のドメイン:生命進化論のパラダイムシフト 講談社 pp.111

細菌と古細菌

1977年,生物学者カール・ウーズ(1928〜2012)は,この16S RNA遺伝子の塩基配列を解析し,それまで五界説において「モネラ界」としてひとくくりにされていた原核生物が,じつは大きく異なる2つのグループに別れることに気付いた。
 1つは,私たちの身の回りに多く生息し,時には病原体となる原核生物グループ。すなわち大腸菌やブドウ球菌,肺炎球菌,赤痢菌といった病原菌や,乳酸菌,納豆菌といった食品製造に使われる細菌など,私たちに比較的身近なものがこのグループに含まれる。
 そしてもう1つは,私たちの身の回りにはあまり生息せず,どちらかといえば高温の熱水中や極めて高い塩濃度の環境下,硫黄を大量に含む環境など,極限的な環境に生息するような原核生物のグループである。
 そこでウーズは1990年,前者を「細菌」(Bacteria),後者を「古細菌」(Archaea)とよぶことを提案した。原核生物が,細菌と古細菌という2つのグループに分かれるというわけである。一方,「真核生物」(Eukarya)については,これを全体の1つのグループとした。
 そしてこの3つを,「界」(kingdom)よりも上のレベルのくくりという位置づけで,「ドメイン(超界)」(domain)とよぶことを提案したのである。

武村政春 (2015). 巨大ウイルスと第4のドメイン:生命進化論のパラダイムシフト 講談社 pp.82-84

巨大DNAウイルス

巨大DNAウイルスの特徴は,その複製に関していえば,宿主細胞の細胞核ならびに細胞質で複製が行われ,最終的に宿主細胞の細胞質でウイルス粒子が成熟することである。
 巨大DNAウイルスは,自ら「複製」と「転写」の遺伝子を揃えているため,基本的には宿主細胞の細胞核の機能には依存せず(その一時期を細胞核で過ごすにもかかわらず),「翻訳」以外の過程を遂行することができる(パンドラウイルスのような例外もある)。
 構造的な特徴としては,数十万bpという,小さな細菌なみのゲノムサイズをもっていること,数百個以上ものタンパク質を作る遺伝子数を誇ること,そして,ウイルス粒子内(カプシドの内側)に脂質二重膜をもつことが挙げられる。
 巨大DNAウイルスが宿主とする生物は極めて多様で,哺乳類,鳥類,両生類,魚類などの脊椎動物のみならず,昆虫,植物,藻類,アメーバなど,ほぼすべての真核生物を宿主とするものが存在すると考えられている。もちろん,ある巨大DNAウイルスの宿主は基本的には1つ。つまり,それだけ多様な種類の巨大DNAウイルスがいるということだ。
 したがって,当然といえば当然かもしれないが,巨大DNAウイルスのゲノム解析の結果,その保有する遺伝子のうち多くは,宿主の遺伝子を取り込んだものであると考えられている。ある生物(ここではウイルスも含む)の遺伝子が他の種類の生物(ここでもウイルスを含む)のゲノムに移る(コピーされる)ことを,遺伝子の「水平伝播」といい,巨大DNAウイルスの長い進化の過程では,数多くの水平伝播が起こってきたとされる。

武村政春 (2015). 巨大ウイルスと第4のドメイン:生命進化論のパラダイムシフト 講談社 pp.66-67

ウイルス

もっとも単純なウイルスは,ほんとうに必要最小限の遺伝子しかもっていない。必要最小限の遺伝子とは,まずは自らの殻である「カプシド」を作るタンパク質の遺伝子と,自らの遺伝子である「核酸(DNAもしくはRNA)」を複製するタンパク質の遺伝子である。より複雑なウイルスになると,タンパク質でできたカプシドのさらに外側を,脂質二重膜でできた「エンベロープ」という袋で覆っているものもいる。
 これらの形が,「ウイルス粒子」とよばれる,私たちが通常,ウイルスという言葉からイメージする形である。

武村政春 (2015). 巨大ウイルスと第4のドメイン:生命進化論のパラダイムシフト 講談社 pp.28

ミミウイルス

この,新たに発見されたミミウイルスは,どのような特徴を有しているのだろうか。
 まず,直径がおよそ0.75マイクロメートル(750ナノメートル)と,それまでのウイルスにはない破格の大きさをもっていることがわかった。これはゆうに,光学顕微鏡で確認できるほどであり,実際そうして発見された。
 次に,ミミウイルスはいわば典型的なウイルスの形である20面体の形をしている反面,その「中身」については次のような特徴をもつことが明らかとなった。
 もっとも内側に「DNA」がある。そのDNAをまず「脂質二重膜」が覆っている。その外側に,複数のタンパク質(カプシド)の層があり,これが20面体の形をしている。
 さらにその外側に,繊維状のタンパク質でできた「ヒゲ」のようなもの(表面繊維)が密集して生えている。直径およそ0.75マイクロメートルというのは,この「ヒゲ」のような部分も含めた大きさである。
 このウイルスの表面の一端には,スターゲート構造とよばれる,奇妙な「門」のような構造があることもわかった。スターゲート構造の側からウイルスを見ると,まるでヒトデが張り付いているかのようにも見える。ミミウイルスは,どこかのモンスターパニック映画ばりに,この構造をもがーっと開け,中のDNAをアメーバ細胞の細胞質中に注入するのである。

武村政春 (2015). 巨大ウイルスと第4のドメイン:生命進化論のパラダイムシフト 講談社 pp.21-22

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プロスペクト理論

プロスペクト理論によれば,人はすぐに利益を確定し,損失はずるずると膨らませてしまう。市場が完全にランダムに働くという効率的市場仮説が成り立っているとしたら,どんなに洗練された投資スタイルであっても,あるいはどんなに下手なやり方であっても,投資の期待リターンはゼロのままでまったく変化しない。うまくいくかどうかは時の運次第ということだ。だが,人間のさまざまな心理的バイアスのせいで,相場の変動には非ランダムな要素が持ち込まれる。上がるから上がる,下がるから下がるという相場の自己増幅的な動きもその1つだ。すでに見てきたように,この自己増幅機能が最大限に働くとファットテールが生じる。実は,プロスペクト理論とこの相場の自己増幅機能が組み合わさると,投資家にとっては実に残念な結果を招くことになるのだ。
 利益をすぐに確定したがる人は,自己増幅機能によって作り出される相場の大きな動きから十分な利益を得ることができない。また,損失を塩漬けにしたがる人は,そうした大きな動きに飲み込まれて致命的な大損失を被って,市場からの退場を余儀なくされる。自己増幅機能という非ランダムな要素が加わることによって,プロスペクト理論に支配される人の期待リターンはマイナスに落ち込んでしまうのである。
 だから,投資の大原則を1つだけあげるとすれば,こうした傾向をいかに抑えることができるかということになる。大きな動きをうまく捉えることができたときは,すぐに利益を確定したいという心理的欲求を抑えて存分に利益をあげる。大きな動きを読み違えた場合には,損失を塩漬けにしたがるという心理的欲求を抑えて,損失をすぐに確定する。
 予測が当たるか外れるかよりも,そうしたことが決定的に重要なことであり,本当のプロフェッショナルとそうではない人を分ける差はそこにこそ存在する。

田渕直也 (2015). だからあなたは損をする 投資と金融にまつわる12の致命的な誤解について ダイヤモンド社 pp.256-257

話題になった時点で終わり

銀行が販売する投資信託における問題点は,このようにリスクを誤認しやすいという点以外にもある。それはタイミングの問題だ。銀行に限らず,誰かが大々的に勧める投資商品は,すでにピークを過ぎたものであることが多いというのは,市場における原則の1つである。マスコミで取り上げられる投資ネタも基本的にそうだ。マスコミの社内で「このテーマはいける!」と判断されるものは,もうすでに市場ではとっくに評価されて,価格に織り込まれているはずのものだ。昔から,「マスコミで取り上げられたら,そのテーマは終わり」というのがプロの間で相場のタイミングを判断する際にしばしば用いられる判断基準の1つである。だから,これも銀行固有の問題というわけではないのだが,安全と信用を売りにする銀行だからこそ,この問題は典型的に現れる。

田渕直也 (2015). だからあなたは損をする 投資と金融にまつわる12の致命的な誤解について ダイヤモンド社 pp.250-251

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