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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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泣くことと笑うこと

泣くことと笑うことはどちらも普遍的(種特異的)な人間の発声で,学習の恩恵を受けずに発達する。それは形作られるこの行為を見たり聞いたりできない視覚障害や聴覚障害の子供たちにも存在することで示される。泣くことが発達の競争で他に先んずるのは生まれたときから存在するからだが,笑うことは遅れを取ってその3,4ヶ月後に出現する。実のところ,泣くことは満期産の誕生日よりも早い時期に発達して,早くも妊娠24週の未熟児に出現する。泣くことは早くに発達しなければならない。それは養育されることが絶対不可欠な幼児が生死をかけてそれを要求するためだが,笑いの社会的つながりはそこまで決定的に重要ではない。笑うことよりも泣くことが早期に発達するのはその適応的意味と系統発生的な古さの目安を表す。最も古い行動が最初に発達する傾向があるのだ。これに関連して考えると,泣くことの中でも新しく進化した感情的に涙を流す泣き方が,それよりも古い声を出す泣き方の何ヶ月も後になってから出現するのは意味のあることだ。

ロバート・R・プロヴァイン 赤松眞紀(訳) (2013). あくびはどうして伝染するのか:人間のおかしな行動を科学する 青土社 pp.81-82
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ウォーキートーキー説

チンパンジーや他の四つ足動物の発声は呼吸と走ることをシンクロする,柔軟性のない神経と筋肉のシステムに支配されている(一歩毎に一呼吸)。いっぱいに満たされた肺は走る時の前肢の衝撃に対して胸部を支えるために必要だ。重い物を持ち上げるときに息を止めるのはそのためだ。膨らませた肺がなければ空気が抜けたエアバッグのようにだらりとしてしまう。日本の足で直立して歩いたり走ったりする二足歩行の進化によって胸部は移動時に支える機能から開放されて,呼吸,走ること,発声の協調に柔軟性が認められるようになった。
 これが発話の進化の二足歩行(「ウォーキートーキー」)説の基礎になる。二足歩行を行う人間のランナーは一呼吸あたり様々な歩数で走ることができるが(四対一,三対一,五対二,二対一,三対二,あるいは一対一),二対一が最も一般的だ。発声がもはや移動と親密な関係を持たなくなった声のシステムによって発話の自然選択,そしてついでに私たちの種に特徴的な「ハハハ」という笑いのお膳立てができたのだ。二足歩行を行わないチンパンジーの中でも音声の上で達者なボノボ(ピグミーチンパンジー)ですら発声は流ちょうとはいえず,簡単な叫び声や呼び声だけが可能な発声システムに閉じ込められている。

ロバート・R・プロヴァイン 赤松眞紀(訳) (2013). あくびはどうして伝染するのか:人間のおかしな行動を科学する 青土社 pp.59-60

あくびは酸素欠乏ではない

血液中あるいは脳において二酸化炭素濃度が高くなる,あるいは酸素が欠乏するとあくびが出るという伝統的だが裏付けのない擬似事実は頻繁に繰り返されているうちにやがて一人歩きするようになり,今でも一般メディアや医科大学の講義で取り上げられている。けれど私が20年以上前に行ったこの仮説に関する唯一のテストは,それを完全に否定した。空気中の二酸化炭素の100倍以上の濃度(通常のCO2レベルの0.3パーセントに対して5パーセント濃度のCO2)を呼吸しても,あくびは増加しなかったが,被験者たちの呼吸数と1回換気量(呼吸の深さ)には劇的な増加がみられた。これは気体が重要な生理学的影響をもたらしたことを証明している。さらに,100パーセントの酸素を呼吸してもあくびは抑制されなかった。酸素を減少させる実験は被験者たちに危険をもたらす恐れがあったため行われなかった。

ロバート・R・プロヴァイン 赤松眞紀(訳) (2013). あくびはどうして伝染するのか:人間のおかしな行動を科学する 青土社 pp.43

注視とあくび

あくびに関して意欲的で,それについて考え,その方法を学んで自力で練習した人,全国ネットのテレビ番組のために自ら進んで録画されることを望んだ人でさえ,カメラの前に置かれるとあくびが止まってしまった。「おい,何百万人もの人々にあくびをするところを見てほしくはないか?」。自信満々だったボランティアたちは,数分前に廊下で待っていたときにあれほど簡単だったことが本番でこれほど難しくなることに驚いた。あくびの社会的抑制は注視されることによって自然に起きたことで,参加者が無作法あるいは不適切な行動を抑えようと努力した結果ではなかった。社会的に重要なあくびの行動は,無意識なプロセスによって作り出されたり抑制されたりするのだ。
 注視されることに対する感受性はあくびや後に取り上げる他の行動に関する一般的な神経行動学的原則を明らかにする。系統発生学的に古いものは新しいものと継ぎ目なく混ざり合うことはない。無意識と意識が脳の表現手段をめぐって競い合うときには,あくびが社会的注視の元に置かれた場合のように,より新しい意識的メカニズムがライバルである古い無意識を抑制するのだ。

ロバート・R・プロヴァイン 赤松眞紀(訳) (2013). あくびはどうして伝染するのか:人間のおかしな行動を科学する 青土社 pp.30-31

あくびの抑制

私たちは伝染性のある反応,その無意識のコントロール,そして社会的背景の重要性にさらなる脆弱性があることをあらわす証拠を研究室の外で得ることになった。あくびは観察されている。あるいはその可能性を疑うときでさえ,強い自己認識によって抑制されるのだ。私が目視観察やビデオ撮影の代わりにボタンを押してあくびを自己申告する方法を用いた理由はここにあった。私のあくびの研究が有力なメディアに注目されたため(彼らはこのような話に大変熱心に興味を持つ),私はこの抑制が働くところを目撃する経験をした。

ロバート・R・プロヴァイン 赤松眞紀(訳) (2013). あくびはどうして伝染するのか:人間のおかしな行動を科学する 青土社 pp.29

スモール・サイエンス

この本が扱うスモール・サイエンス(小さな科学)は,途方もない道具屋莫大な予算を必要としないから「スモール」なのであって,取るに足りないからではない。なかには紙とペンを手にして懇談会や地元のショッピングモールで記録を取るだけのものもある。研究助手の集団を必要とせず,自分を研究対象にして有益な観察を行うこともできる。さらなる道具を求めるとしたら,ストップウォッチを買うと良い。この研究は自己資金で行うことが可能で,助成金の申請書に記入すること,そしてこの上なく縮小されていく研究資金を巡る長年にわたる気の滅入る競争を幸いにも回避できる。これは素晴らしいことだ。そのような研究は科学的権威を欠くため,助成金の管理者や政治家たちが資金援助の熱意をかき立てられるとは思えない。

ロバート・R・プロヴァイン 赤松眞紀(訳) (2013). あくびはどうして伝染するのか:人間のおかしな行動を科学する 青土社 pp.15

フロイト,ユング,スキナー

ジーグムント・フロイト,カール・ユング,B・F・スキナーという,思いもよらない3人が現在の研究にそれとなく影響を与えているが,その教訓は彼らが意図したものではないかもしれない。フロイトの影響は人間の行動における無意識の(不随意)プロセスの強調にあるが,現在の説明は明らかに精神分析的なものではない。カール・ユングの影響は大昔の本能的行動の探究に見られるが,私が考える人間の「アーキタイプ(元型)」はもちろんユング心理学のものではない。B・F・スキナーの行動のアプローチは,人々が動機として主張するものではなく彼らの行動に注目するものだが,これはフロイトのテーマでもある無意識にコントロールされた人間の行動の研究に有用であることがわかる。マルクスの影響もあったが,これはカールではなくグルーチョの方だった。

ロバート・R・プロヴァイン 赤松眞紀(訳) (2013). あくびはどうして伝染するのか:人間のおかしな行動を科学する 青土社 pp.13-14

配慮が足りない

子どもが生まれて以来,親は子どものためにずっと生きてきたといっても過言ではありません。しかし,相続の対象となる年齢になれば,子どもはもう一人前ですから,そこまで協力すべきなのかと思うのは当然です。残りの人生くらい,好きなようにやらせてくれよというのが,正直なところかもしれません。
 そんな気分でいるのに,死ぬことを前提に相続対策をいわれるのは,ちょっと気の毒な話です。
 子どもとしては,相続対策をしない人が一般的だというくらいのスタンスで向き合うのがいいと思います。それでも,もし親がやってくれるのならありがたいという気持ちになっていただきたいのです。
 ところが,世の中には,「親ならば相続対策をするのが当然だ」とばかりに,配慮もない発言をする人が意外と多くいます。それが原因で,親がひどく気分を害してしまい,親子の間に大きな溝ができてしまったという実例を私はよく目にしてきました。

天野 隆 (2015). やってはいけない「実家」の相続 青春出版社 pp.129

生きる時間

そして,一次相続から二次相続までの期間は,男性が先に亡くなった場合は16.19年,女性が先に亡くなった場合は10.25年となっています。この6年の差というのが興味深いところです。
 男である私には残念な数字ですが,この数字から次のようなことがわかります。
 先に亡くなるのは男がほとんどで,仮に妻に先立たれると10年程度しか残りは生きられない。それに対して,夫を亡くした女性は約16年生きるということです。

天野 隆 (2015). やってはいけない「実家」の相続 青春出版社 pp.86

愛情の奪い合い

じつは,女性の帯締めも男性の披露宴も,根っこは同じ。これはものを巡っての戦いではなく,過去の親の愛情を巡って戦っているのです。私はこれを,「愛情の奪い合い理論」と呼んでいます。
 相続がモメる原因として,本家・分家の戦い,金銭的な資産を巡っての戦いがあることはすでに述べてきましたが,それに加えて愛情を巡っての戦いがあることを覚えていただきたいと思います。

天野 隆 (2015). やってはいけない「実家」の相続 青春出版社 pp.65-66

家は借りるもの

もし,世の中に「家は借りるものだ」という感覚が一般的になれば,空き家は減ると私は考えています。50代,60代でも借家や賃貸のマンションに住んでいれば,相続によって実家に戻る人は確実に増えるはずです。
 ところが,今の50代あたりは,まだまだ持ち家志向が強いようです。かつては,いい年をして借家に住んでいると,親戚から「あの婿はなんだ?家も建たんのか」といわれましたが,その名残がまだまだあるようです。とくに,高額所得者に自宅所有意識が強いようで,お金を稼いだら,まず家やマンションを買うというのが当然のことのように考えられています。
 諸外国を見ても,必ずしもそうではありません。驚くほどの金持ちも,「そのうち飽きるから」などといって,家を借りて住んでいる人が多くいるのです。
 日本では逆に,「お金がない人が家を借りている」という意識がまだ一般的です。そうした意識もまた,空き家問題の原因のひとつだと私は考えています。

天野 隆 (2015). やってはいけない「実家」の相続 青春出版社 pp.21-22

集団のナルシシズム

コーネル大学のジャック・ゴンガロの研究チームは,グループ内におけるナルシシズムの効用を調べることにした。調査の参加者4人ずつのグループを73チーム作り,困難な問題を抱えた企業のために組織コンサルタントとして働いてもらうと告げた。イノベーティブでしかも実現可能な行動プランを作り出すことが目標である。参加者たちはもちろんプロジェクトを成功させたいと思っているが,それに加えてプレッシャーもある。組織心理学の専門家が2人,各自のアイデアを評価して,もっとも優れた人材を選ぶと言われているからだ。
 まず事前に,292人の参加者それぞれの「ナルシシスト的傾向」を評価する。その後,73のチームは数週間かけてプロジェクトに取り組む。そしてプロジェクトが完成した後,各自に「アイデアについてどのように話し合ったか」「決断を下す前にすべての可能な選択肢について考えたか」など,グループダイナミクスについて尋ねた。さらに専門家が,各グループが打ち出した解決策を評価した。その結果,ナルシシスト的リーダーは本質的に好ましくないという一般的な見方に反し,「ナルシシストが少なすぎても多すぎても最適なグループダイナミクスは生まれず,創造性も限られたものになる」ということがわかった。グループ運営面から見ても,生みだされたソリューションの質から見ても,ナルシシストがグループ内に1人ないしゼロの時に比べ,2人いる状況が最適だという結論が出た。
 皆さんは,「グループにナルシシストがいるなんて,どこがいいのだろう」と思っているだろう。しかしナルシシストは2人いると特に具合がいい。それはイノベーティブに考えようとする時には,規範やルールが妨げになることが多いからだ。創造的であるためには,「こうでなくてはならない」という思い込みに挑戦する必要がある。ナルシシストは,自分だけは特別だと思っており,壮大な幻想を持っているので,アイデアが世間的に見て適正かどうかということに関心がない。ばかばかしいとか実現不可能だとしてさっさと切り捨てられるようなアイデアが,ナルシシストにとっては格好の獲物となる。マイケル・マコビーは,『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌の中で,人々に議論をやめさせ行動を起こさせる偉大なナルシシストたちの例をたくさん挙げている。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.238-239

マインドフル思考

世の中には,「マインドフルネス」に関する本や,「非合理的思考」についての本も数多く出ている。全体性を備えた人間として最適に機能するにはどうすればいいかを,私たちは現在もなお学び続けているということだ。だが,これまで述べてきた一連の優れた研究は,複雑な判断をこなすためのもっとも効率的な方法を示唆している。それは「意識的思考」と「無意識の思考」の両方を,この順番で臨機応変に活用することである。選択肢が多くて高い認知能力を要する状況における,最良の決断法は次のようなものだ。

1 短い時間,状況をマインドフルに思考する。
2 考えることをやめる
3 思考を温める間,何かまったく無関係の活動をする
4 決断する

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.197-198

欲しいと好き

幸福度に関して,この「欲しい」と「好き」の違いは特に重要である。私たちはこの2つを同じものだと思い込みやすい。何かを欲しいと思うと,手に入れた後もずっとそれを好きなはずだと考える。だが実際はそんなことはない。アルバへの旅,不倫の愛,地域担当責任者の地位,ロレックスの時計などを私たちは欲しがるが,欲しいと思う感情は一時のことであって,実際に長期にわたって好きだというわけではない。人はこの2つの心理状態を一緒にしがちで,その結果,自分の幸福にとって大きなマイナスとなる決断をしてしまう。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.164

幸せ予測

幸せの予測を誤らせるバイアスは他にもあり,スフレを半分しか食べられないことよりずっと悪い結果につながることもある。一般的な例を挙げれば「インパクト・バイアス」というのがある。これは何かの出来事が感情に与えるインパクトと,その影響が続く時間を課題に見積ることである。たとえば,太陽の降り注ぐハワイで1週間休暇を楽しんだとする。「こんなに素晴らしい場所はない」と感じて,引退後はハワイで過ごそうと考えてしまう。この選択は,明確には意識しないものの,快適な気候,ゆったりした生活ペース,海に近い暮らしなどが「今よりずっと自分を幸福にしてくれる」という推測に基づいている。だが人は常に実際よりも強い感情インパクトを予測しがちである(スポーツにおける勝敗,政治面での勝利,仕事上の成否などに関して行われたさまざまな研究の結果がそれを示している)。また,そのインパクトが,実際よりも長く続くと考える傾向がある。従ってハワイに移住した人の場合も,おそらく一時的に幸福感は上昇するだろう。だが1か月もたてば新しい環境に慣れ,引退前に都会で暮らしていた頃と同じ程度の幸福度に戻ってしまう。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.161

対比効果・持ち越し効果

研究者たちは,あまりに強烈なポジティブ感情を経験すると,いくつかの面で問題が生じることを発見した。まず,「対比効果」である。ほかのよい出来事がかすんで見えてしまう。たとえば,宝くじで100万ドルを当てたとする。その後スクラッチくじで100ドル当てても,「何だ……」という感じになるだろう。もうひとつは「キャリーオーバー(持越し)効果」である。ポジティブな経験を心のなかで拡大する人は,ネガティブな経験も無意識のうちに拡大してしまう。勝利した時に大騒ぎして喜ぶ人は,うまく行かなかった時の敗北感にきわめて弱い。この1991年の研究は,幸福感を編集する傾向に,他に先駆けて重要な警告を示したものである。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.139

感情というスーパーパワー

皆さんは子どもの頃に,自分が何かのスーパーパワー(空を飛べる,誰よりも強い,不死身である)を持っているつもりになって遊んだことがあると思う。ポジティブ,ネガティブを含め,私たちのすべての感情がそれぞれの利点を持つことを考えれば,人にはスーパーパワーがひとつどころか,たくさんあるということがわかる。勇気を持たせてくれる「怒り」,道に外れた行いを正してくれる「罪悪感」,危険を見張っていてくれる「不安」などである。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.131-132

罪悪感と恥

罪悪感の利点が世の中で広く理解されなくなったのは,「罪悪感」と「恥の意識」が混同されてしまったからである。アメリカン・ヘリテージ英語辞典によれば,罪悪感とは「過ちに対する自責の念」であり,「自分の行動が不十分ないし誤りだったと感じることによる自己非難」である。恥の意識はそれとは別のものだ。人が恥の意識を覚える時には,単に自分の行為を過ちや悪行だったと考えるだけではない。自分自身を基本的に悪い人間と感じるのである。罪悪感の場合,悪かったという認識は特定の状況に限られる。しかし恥の意識は,自分という人間そのものをネガティブに捉える。「罪悪感」は役に立つ。しかしその親類の「恥の意識」はあまり有益ではない。罪悪感は限定されるが,恥の意識はずっと広い範囲に及ぶ。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.117

ネガティブ感情=シグナル

どのネガティブ感情も,「何かがうまく行っていない,すぐ対応する必要がある」と知らせてくれるシグナルである。怒りやその他のネガティブ感情を,感じるそばから押さえ込んでしまうと,それらがなぜ湧いてきたのか,それがどんな行動を促しているのかわからない。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.96

退屈の機能

たとえば,最近退屈していた時間のことを思い出してみよう。カルガリー大学のピーター・トゥーイに言わせると,退屈というのは機能を持ったツールなのだそうだ。現在の人間関係や日々の雑事に自分は満足していない,ということを自覚させてくれるツールである。長々と続くスピーチや長時間のフライトで退屈している時など,自分ではどうしようもない時もあるが,退屈な状況から自力で抜け出すことが可能な時も多い。退屈のおかげで,正しい選択をしていないことや,新しい状況で心を閉ざしている自分に気づくことができる。また興味深いのは,多くの人は退屈を嫌うのに,その時々の退屈にちゃんと対処していることだ。そしてそういう気分はやがて過ぎ去る。退屈を事前に想像すると耐えがたいものに思えるが,皆さんはこれまでの人生で数えきれないほど退屈を経験し,そのたびに有効に対処してきたのである。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.92-93

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