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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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感じることと表出

ここで明確にしておきたいことは,ネガティブ感情に関して,多くの人は大きな勘違いをしているということだ。たいていは,「ネガティブ感情」と,「ネガティブ感情を表すこと」を,分けて考えている。私が話を聞いたほとんどの人たちは,「人は悪い気分になることは当然あるし,それは避けがたいことだ」という考えには,あっさり賛成してくれた。ところが多くの人が,不満や強い悲しみを表すことは,好ましくないと考えている。コンピュータのように,内部のプロセスは人目に触れず,スクリーンには違うものが表れる方がいいと考えているかのようだ。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.87
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PとNの非対称性

バウマイスターの研究チームが出した結論は,「ネガティブな出来事,経験,人間関係,心理状態は,ポジティブなものに比べ,人の感性により強い影響を及ぼす」というもので,非常に包括的で説得力のある結論である。「気のめいるような結論だなあ」と,皆さんは思ったかもしれない。だがネガティビティというのは,理論上,進化の過程で人類に備わった生来の特質とされている。何かを悪いものだと感じる能力(この苦い葉っぱはきっと毒に違いない……)が,生存に必須の能力であるのと同じように,ネガティブ感情もまた,生きる上で必須の感情である。感情は経験の「追跡システム」のようなもので,現在の状況は安全かそれとも避けるべきかということを,私たちは過去の感情の記憶をもとに素早く判断できる。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.82

心の耐性

アジアの文化をことさらに理想化しようというのではない。アジアには逆にポジティブな常道経験を味わうことを避ける傾向があることを,多くの研究結果が示している。アジアの人たちは,状況は常に変遷すると考えていて,そのため,アメリカ人のようにポジティブな瞬間に固執することを警戒する。アジア人は,非常に悪い状況にあっても不安によく耐えられるのに,最高に幸せな瞬間には,幸福感を少々犠牲にしてしまうようだ。我々がここで言いたいのは,欧米人も快適中毒から抜けだして,心の耐性を身につける術を学べるということである。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.75-76

どこを見て答える?

捉え方が大雑把すぎるかもしれないが,アジアの人たちは,常道経験の捉え方が欧米人とは違うように思う。たとえば,白人のアメリカ人やカナダ人に「あなたは幸せですか?」と尋ねたら,相手はすぐに自分の心の内を覗き込む。いつもその時々の自分の気持ちをチェックしているので,かなり的確に答えることができる。しかし同じ質問を,たとえば韓国の女性にしたとする。彼女は自分がどんな気持ちかということだけでなく,その状況で自分がどう感じるべきかという文化的な規範にも同様に考えを巡らすだろう。
 研究者たちは,この「自分はどう感じるべきか」に関しても,興味深い文化的違いがあることを発見した。アジアの人たちは,平安,調和,充足感,冷静さのような穏やかなポジティブ感情を持つことがいいと考える。欧米人は逆に,もっと活気のあるポジティブ感情,たとえば熱意,喜び,誇りなどを好む。つまり,アメリカ人は心が興奮する状態を好み,こういう傾向は「自己強化」される。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.72

幸せという言葉

政治経済の波が高まりを見せるにつれ,快適さに対する期待も高まった。幸福はもはやめzすゴールというよりは,健全な精神に欠かせないものと考えられるようになった。前述の「キリストは幸せだったのか」の研究をした大石たちは,グーグルを使って,1800年から2008年の間にアメリカで出版された本の中に,「幸せな人(Happy person)」という言葉がどれだけ出てくるかを調べた。想像がつくように,1800年台と1900年代初めまで,著者たちはこの言葉をまったく使わなかった。それから,「狂騒の20年代」になると,多くの本が「幸せな人」を取り上げるようになり,1990年には一気にそれが盛り上がる。本屋に行けば,幸せな人という言葉が含まれている本をつい買ってしまう。それ以来この言葉の使用は,ピーク時からほとんど減っていない。1990年から2008年までにこの言葉が使われた回数は,それまでの50年間の総計に匹敵する。社会通念が変化したのは明らかだ。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.58-59

快適さの範囲

研究者ロバート・ビクスラーとマイロン・フロイドは,「人々の快適さの範囲は近年狭まってきている」という興味深い仮説を立てて調査を行なった。何百人もの中学生に,自然についてどう感じるかを尋ねた結果,自然に対して恐怖や嫌悪感を持っている生徒は,室内で友人と遊ぶことを好む傾向があることがわかった。大人が無理に戸外へ行かせても,彼らは手入れされた公園の歩道を歩きたがる。さらに中学生たちに,テキサスの西部開拓民になったつもりで1週間キャンプするとしたら,都会の快適さをどのくらい恋しいと思うかを質問した。「なくても気にならない」を0,「それがなければ生きていけないを」4として,点数を集計したところ,風呂やシャワーは平均が3,水洗トイレが2.63,お湯が出る蛇口が2.69,エアコンが2.66だった。質問項目はもちろん,当時の開拓民たちがなくても平気で暮らしていたものばかりだ。私たちは幌馬車で大陸を横断した時代から,安楽椅子に座ってプレイステーションで遊ぶ現代までの間に,着実に軟弱になってきた。今私たちが「快適」と呼ぶ範囲はどんどん狭まってきているのである。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.56-57

社会的敏捷性

「社会的敏捷性」というのは,移り変わる状況を認識し,それぞれの場で求められていることに自分の行動を適応させる能力のことである。社会的に敏捷な人は,行動的で,選択能力があり,自分の置かれた状況に影響力を及ぼすことができる。状況によって,人に優しいことも,罪のない嘘をつくことも,相手に圧力をかけることもある。また有名人の名前を出したり,相手にへつらったり,お世辞を言ったり,助力を申し出たりすることもある。配偶者や恋人を感心させるために,少し前に冷蔵庫を掃除したことをさりげなく伝えたりもする。社会的に敏捷な人たちは,決してマキャベリ的というわけではない。単に「よき人間であれ」という規範よりも,もう少し包括的で柔軟な社会規範に従って行動するのである。興味深いのは,人がルールを破るケースの多くが,自分が得をするためでなく,相手を喜ばせたり,関係を深めたり,大事な目標を達成するためだったりすることだ。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.43-44

ゼーンズフト

成就しなかった機会や目標への憧れを持ち,それらが成功した状態を夢想することは珍しくない。これは心理学で「ゼーンズフト(憧憬)」と呼ぶ心理状態で,望みが達成できなかった心の傷を癒す薬として重要だ。国際的規模で行われたある研究では,ゼーンズフトを持つ調査参加者たちの多くが夢想を受け入れ,それを心地よいと感じていた。ただアメリカ人だけが例外であり,その点は注目すべきである。アメリカ人はヨーロッパ人に比べ,夢は達成可能だと考える傾向が強く,夢を幻想と捉えることに抵抗を示す。それがネガティブな考え方に思えるからだろう。しかし,夢想は貴重なリソースになりうる。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.37-38

ネガティブ感情の利点

不快と感じて避けがちなネガティブ感情にはいくつか大きな利点があり,そのひとつが,目標達成への執着が薄れることが。悲しみ,欲求不満,自信のなさ,混乱,さらには罪悪感も,そういう働きをする。ネガティブ感情が,いまはブレーキをかけ,じっくり自分の気持を見つめ直し,労力や資源を節約すべきだと教えてくれる。私たちは,達成が望めない信念のために無限に投資を続けてしまいがちだ。望む結果を得る可能性が細る一方なのに,損切りをする決心がつかず,「サンクコスト(埋没費用,投下した労力や資金などが戻ってこないこと)」を考えて止められなくなる。そんな時は,ネガティブ感情のかけるブレーキがとりわけ重要になる。ポジティブもネガティブも包含する「ホールネス」を持つ人たちは,目標に対してもっと柔軟に行動できる。事態がよいペースで進展していれば投資を続け,ダメだと判断すれば見切りをつけて別の目標に切り替えるのである。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.36-37

問題のある回避行動

問題になる回避行動にはふたつのタイプがある。「喜びを避ける行為」と,「苦痛を避ける行為」だ。喜びを避けることなんてあるのだろうか,と思うかもしれないが,「面白いことを楽しめない人」が皆さんの周りにいないだろうか(もしかしたらあなた自身かもしれない)。そういう人は,楽しいことがあっても,ほかにもっと有益な時間の使い方があるのではと思ってしまう。幸運を祝うと悪いことが起きるのではと不安になる人もいる。自分の誕生日や昇進を祝ったり,あるいはいい体操教室には入れたことを喜んだりすることさえ,自分本位で他の人をないがしろにしているように思えて心配になる。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.30-31

さまざまな感情の舵とり

あらゆる心理状態には,「アダプティブ・アドバンテージ(変化に適応するための優位性)」がある。従ってどれかひとつがよいと決めてそちらをめざすのではなく,さまざまな感情——とりわけ目を背けがちな感情——の有用性を考え,どんな心理状態でもうまく舵取って生きる能力を身につける方がいい。人はさまざまで,人生の明るい面を見ることが苦手な人もいるし,また逆に,気持ちが沈むことなどめったにないという人もいる。もっと幸福感を増やすべきだとか,ちょっとネガティブ感情を加える方がいいというのではなく,両方が大事だということだ。両方の心理状態を適度に行ったり来たりすることによって,バランスのとれた安定した「ホールネス」を持つことができる。人間に与えられた自然な感情をすべて活かせる人,つまりポジティブ感情もネガティブ感情も受け入れて幅広く活用できる人が,もっとも健全であり,人生において成功する可能性が高い。

トッド・カシュダン,ロバート=ビスワス・ディーナー 高橋由紀子(訳) ネガティブな感情が成功を呼ぶ 草思社 pp.9

MTVの登場

世界最大の影響力を持つ国家,アメリカで成功するという夢。MTVの登場は,インパクトの有るビデオさえ作れれば「1曲」でアメリカを制覇できる,誰もが知るスーパースターになれる,という「アメリカン・ドリーム」そのものを意味していた。
 しかし,ひとつだけ条件があった。
 どんな国の人間でもMTVは受け入れてくれた。
 それが,白人でさえあれば……。

西寺郷太 (2015). ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い NHK出版 pp.87

二重のレッテル

確かに80年2月のグラミー賞に,快進撃を続ける《オフ・ザ・ウォール》の成功は反映されていなかった。しかしむしろ,このアルバムのグラミー賞での不遇は,その発売とヒット,授賞式とのタイミングのズレと,10年という輝かしいキャリアを持ちながらも,まだ21歳のマイケルが「アイドル」だと選考委員たちに見なされていたのではないか,というのが僕の考察だ。マイケルは「黒人」という差別とともに,「チャイルド・スターあがり」という二重のレッテルをその腕で引き裂かなければならなかった。

西寺郷太 (2015). ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い NHK出版 pp.82

解説が必要

いきなり現代の日本人が古文や漢文で書かれた名作を読めないように,いくらわかりやすく親しみやすい存在であることが第一義とされるポップスにも,多少の解説とおすすめする教師のような存在が必要なのです。
 メディアの責任は重大です。これほどまでに世界中の情報が増えたにもかかわらず,かえって選択肢が閉じてしまうのは,我々大人世代が次世代に対して「簡単なもの」「すぐに理解できるもの」だけを提供し続けた結果かもしれないと……。食べ物で言えば「やわらかいもの」「甘いもの」だけを与え続けたら,少しでも硬いもの,辛いもの,苦みのあるものなどは「まずい」としか感じられない味覚に育ってしまいますから。

西寺郷太 (2015). ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い NHK出版 pp.22

自己検閲

gという概念のおかげで,デビッド・ウェクスラーは正しい道筋を進んでいたことが裏づけられた。とても喜ばしいことだ。先進国で重んじられる分析的知能の個人差を測るための,現在のところもっとも優れた手段であるウェクスラー知能検査は,gによって理論的な裏づけを得たのだ。アメリカだけが先進国ではない。地球上のほぼすべての国が先進国をめざしている。また,分析的知能の価値がはるかに低い世界でも,gを使えば分析的知能に応じて個人をランキングすることができる。社会経済的地位という概念は,南アメリカ南端部にあるティエラ・デル・フエゴ州の住民にとっては大した意味はないが,社会学者にとってはとても重要だ。それと同じこと。生涯をかけて困難に立ち向かい,gの概念を生み出したアーサー・ジェンセンに,心理学者は感謝しなければならない。ジェンセンは才能にあふれていただけでなく,ときに科学的というより政治的な批判に立ち向かう勇気ももちあわせていた。もし私が学問に大きな貢献を果たしてきたとしたら,それはほぼすべて,ジェンセンが示したたったひとつの問題を踏まえたものでしかない。
 ジョン・スチュアート・ミルの本を読んでほしい。ある考え方を封じこんだら,将来そこから生まれるあらゆる議論の芽を摘みとってしまう。人類の思想史を自分の都合で検閲できると思いこんでいる者たちよ,よく耳を傾けるがいい。

ジェームズ・R・フリン 水田賢政(訳) (2015). なぜ人類のIQは上がり続けているのか?人種,性別,老化と知能指数 太田出版 pp.195

gとは

gを認知能力全般の指標ととらえることは,弊害が大きい。その認識は広まりつつある。第一に,gを利用するにしても,社会的な考え方を忘れてしまってはならない。人が社会的に成功するための認知能力や個人的特性は,分析的知能だけではないのだ。
 第二に,時代による認知能力の変化の歴史を理解するうえで,gはまったくあてにならない。gの意味をけっして忘れてはならない。gは認知的複雑性の指標だ。現代社会の進歩によってさまざまな知的能力が上がっていくのはなぜか?数ある知的能力のうちどれが上がっていくかが,各能力の認知的複雑性の程度によって決まるといった,なんらかのしくみがあるからかもしれない。だがそのようなしくみがないと知的能力は上がっていかない,と考えるのは間違いだ。もしそのようなしくみがあったとしたら,IQの上昇はgの上昇と等しくなるだろう。しかし,社会がどんな能力を求めるかが,そのような奇妙なしくみに従うだろうか。このことからわかるように,たとえgが上がっていなくても,IQの上昇には社会的な意味があるのだ。
 第三に,人種によるIQ差を理解するうえでgは役に立たない。g負荷量の高い下位検査ほど人種間のIQ差は大きいが,そこから,その差は遺伝のせいなのか環境のせいなのか判断がつかない。環境が同じだと仮定しても,複雑な課題ほど集団間の差は大きくなるのだ。

ジェームズ・R・フリン 水田賢政(訳) (2015). なぜ人類のIQは上がり続けているのか?人種,性別,老化と知能指数 太田出版 pp.193-194

社会に目を

知能の研究は,社会学的想像力が欠けているせいで前に進んでいないと思う。どうしたことか心理学者は,自分の研究成果を説明する社会的シナリオを無視することに慣れきっている。そして,社会的側面が抜け落ちた,的はずれな心理学的モデルを好みがちだ。人の知能の心理的側面とその他の側面を統合したうえで,脳生理学を使うべきなのだ。でもここに危険が潜む。往々にして,ふたつを統合するのでなく,還元主義になりかねない。知能の心理的側面を脳の活動へ求めること自体は,価値がある。だが心理学者はそれにとどまらず,人の知能の心理的側面を完全に無視しようとしている。問題を解いているのは人の知性なのに。社会学と心理学を無視して,生理学だけをとり上げる——こんなアプローチをしていたら,知能の研究はますます廃れていくだろう。

ジェームズ・R・フリン 水田賢政(訳) (2015). なぜ人類のIQは上がり続けているのか?人種,性別,老化と知能指数 太田出版 pp.193

それは知能と呼ぶべきか

ハワード・ガードナーはハーバード大学で認知・教育学の第一人者である。ガードナーは,知能は単一ではなく複数あるという「多重知能(MI理論)」を提唱し,言語的・論理数学的・音楽的・空間的・身体運動的・内省的・対人的という7つの知能をあげた(Gardner, 1983)。これらをすべて知能と呼んでいいのかどうか,研究者は科学的な見地から厳密に調べるべきだ。もしかしたら,モーツァルトがさまざまな音楽的「アイデア」を集約して作曲した行為は,アインシュタインがさまざまな空間的・時間的概念を集約して相対論をつくった行為と似ているのかもしれない。もしそうなら,音楽的能力と論理数学的能力のあいだにはこれまで考えられていた以上に共通点が多いのかもしれない。バレエダンサーの見事な身のこなしの知的側面も見落とされているのかもしれない。もしこれらになんらかの共通点がありながら,いままで見過ごされてきたのだとしたら,それらをすべて知能と呼んで人目を引くのは効果的なやりかただろう。
 だが,この理論をこんなふうに取り上げた人はひとんどいない(この説を手放しで信じる人があまりに多いのは,もちろんガードナーの責任ではない)。この7つの能力を「知能」と呼んでいいのかという問題は,能力の違い(スポーツは得意だが勉強は苦手など)によって子供を区別していいのかという倫理的な問題にすり替えられてしまった。そのうえ拡大解釈されて,7つの能力すべてで劣っていても,その人なりにできることにもとづいて評価すべきかどうかという問題まで示されるようになった。
 この倫理的問題に対する私の答えは「イエス」である。しかし,言葉遊びで社会的現実をねじ曲げてはならないと思う。専門家にふさわしい種類の「知能」で90パーセンタイルの位置にいれば何千もの道が開けるが,ソフトボールで90パーセンタイルの位置にいてもそうはならない。それが社会の現実で,親なら誰しも知っていることだ。自分の子供は「身体運動的知能」では高いパーセンタイル順位にいるが,それ以外の知能はさほどでもないと聞かされたら,親はどう思うのだろうか?

ジェームズ・R・フリン 水田賢政(訳) (2015). なぜ人類のIQは上がり続けているのか?人種,性別,老化と知能指数 太田出版 pp.182-183

平等な社会

特権を廃絶して平等な環境を実現するには何が必要か?もちろん,累進課税と社会保障制度による富の再分配によって,どんな人にも機会を与えることだ。それを負の所得税と表現しようとも,富裕層からカネをとって不幸な人に配ることには変わりない。実力主義の立場から見れば,人は個人資産を蓄えることと自分の子供をよい地位につかせることに夢中でありながら,特権廃絶と機会平等のために犠牲を払うこともいとわないと考えられる。はたして人はそんな合理的な生きものだろうか?生まれたときから希望のない最下層階級に,人生のチャンスが与えられるだろうか?とうてい思えない。実力主義のダイナミクスは,実力主義の実現ではなく,不平等な環境と特権のはびこる社会秩序の出現へ向かうのだ。平等な社会を維持するには,莫大な富を経済的成功でなく必要に応じて分配しなければならないのである。
 階級化した実力主義では,すべての国民がカネに執着しつつも正義も貫くという,ありえない状態が求められる。実力主義論にしたがえば,私たちは狭い世界に閉じこめられ,一人ひとりが才能の違いによって仕切られる。そして,環境の差が小さいほど遺伝子の役割が大きくなり,遺伝子の役割が大きいほど遺伝的な差が行動を大きく左右する。このように社会的な分析を無視した考え方をしていると,社会的シナリオの下支えがない宙ぶらりんな理論に惑わされてしまうのだ。

ジェームズ・R・フリン 水田賢政(訳) (2015). なぜ人類のIQは上がり続けているのか?人種,性別,老化と知能指数 太田出版 pp.178-179

社会正義と人類の理念

実力主義論によれば,社会正義をつき詰めると人類の理念が崩れるという。それはなぜか。(1)人類は,平等な環境をめざして進歩する。残る個人どうしの才能の差は,すべて遺伝による。(2)人類は,特権の廃絶を目指して進歩する。社会が流動することで,優れた遺伝子はすべて上流階級に集まり,劣った遺伝子はすべて下級階級に集まる。(3)そのため,上流階級は遺伝的エリートになって,優れた遺伝子と上流階級の地位を代々受け継いでいく。いっぽう下層階級は遺伝的な掃き溜めにいつまでも残る。あまりに愚かで現代社会では役に立たず,失業,犯罪,ドラッグ,私生児のはびこる最下層階級に落ちていく。
 これでは人間の平等という理念からはほど遠い。論拠自体が破綻しているのだ。上記の(1)から(3)はどんな心理学的・社会学的な前提にもとづいているのか。ひとつずつ見ていこう。(1)カネや地位に執着するという心理は,改善されたり変化したりはしない。(2)そのような心理状態にあっても,カネや地位を犠牲にして平等を推し進めることはできる。(3)困窮している人でも子供によい環境を提供できる。この3つの前提はとうてい信じがたい。しかも実力主義論では,これらを前提としていることがはっきりとは示されていない。それこそが,社会学的想像力が欠けている証なのだ。

ジェームズ・R・フリン 水田賢政(訳) (2015). なぜ人類のIQは上がり続けているのか?人種,性別,老化と知能指数 太田出版 pp.176-177

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