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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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なぜ課されるのか

ではあらためて,なぜ中世において女性には耳鼻削ぎが課せられるのか?この問いに対する答えは,ここまで来れば,読者にはほぼみえてきたのではないだろうか。つまり,女性が耳鼻削ぎにされる理由については,当時の社会に広まっていた2つの通念が基礎にあった。1つは,中世社会では耳鼻を削ぐことが死刑に準じるものだとして,死一等を減じた場合,その者は耳鼻削ぎにするのがふさわしいとする通念。そして,もう1つは,女性の殺害を忌避し,女性の刑罰は軽減されるべきだという通念。この2つの通念があわさって,日本中世社会においては,罪を犯した女性は耳鼻削ぎに処されていた(処されるべきと考えられていた)のである。

清水隆志 (2015). 耳鼻削ぎの日本史 洋泉社 pp.70-71
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中間的刑罰

つまり,耳鼻削ぎ刑復活論者はいたずらに残虐な刑罰を復活させようとしていたのではなく,むしろ中間的な刑罰が欠如していることで,刑の偏重・偏軽が起こっているとして,刑罰の適正化を図ろうとしていたのである。現在の日本でも死刑の存廃をめぐって,しばしば死刑と無期懲役刑の隔たりの大きさが問題にされるが,なにやらそれと似たような議論である。ただし,古代中国の人々や日本中世の人々は,そのあいだの「現実的」な選択肢として耳鼻削ぎ刑を位置づけていたのである。
 もちろん,当時の人たちも耳鼻削ぎにされるのは嫌だったにちがいない。だが,正当な理由,不当な理由を問わず<殺し/殺される>ことが日常的だった当時の社会においては,<殺し/殺される>ことに比べれば耳鼻削ぎのほうがましだ,という切実な感覚が人々のなかにあったのではないだろうか?良い悪いの問題ではなく,日本中世社会は<殺し/殺される>一歩手前の措置が現実的に用意されていて,それが次善の選択肢として一般に受け入れられていた社会だったのである。

清水隆志 (2015). 耳鼻削ぎの日本史 洋泉社 pp.63-64

現代人の発想

とはいえ,読者の方々のなかには,「耳や鼻を削がれるぐらいなら,殺されたほうがましだ」と思う人もいるかもしれない。耳鼻を奪われて生きるなんて,つらすぎる。それならいっそ死んだほうがいい,と。しかし,思うに,それは生死の選択の局面に立たされたことのない現代人が抱く贅沢な発想なのだろう。

清水隆志 (2015). 耳鼻削ぎの日本史 洋泉社 pp.62

女性に対する刑罰

こうなれば,断言しよう。日本中世社会において,耳鼻削ぎは女性に対する刑罰だったのである。一般に中世社会では一般に中世社会では罰刑法定主義が未確立で,特定の罰が特定の罪に対応するということはほとんどない。ところが,これまでの事例からも明らかなように,当時の社会では耳鼻削ぎ刑だけは女性に対する刑罰という認識が浸透していたのだ。

清水隆志 (2015). 耳鼻削ぎの日本史 洋泉社 pp.48-49

リアルガチ

この「リアルガチ」という言葉こそ出川の芸風を一言であらわしている。
 たとえば,素朴な疑問として「熱湯風呂は本当に熱いのか?」というものがある。
 ダチョウ倶楽部の上島竜兵の場合,答えは「熱くない」だ(もちろん,本当に「熱い」ときもあるだろうが)。
 熱くない“熱湯”を誰よりも「熱く」見せるリクションでは右に出るものはいない。それは天下一品の芸だ。
 一方,出川の場合,本当に「熱い」ほうが本領を発揮する。
 普通,本当に熱いと人はリアクションを取れないものである。が,出川は違う。その熱さを熱さのままの臨場感で伝えることのできる稀有な存在なのだ。

戸部田誠 (2015). コントに捧げた内村光良の怒り:続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方 コアマガジン pp.55-56

没頭

「深夜,部屋の隅で悩んでいる過去の自分に言ってやりたい」と現在の若林は言う。「そのネガティブの穴の底に答えがあると思ってんだろうけど,20年間調査した結果,それはただの穴だよ」
 それを救うのは“没頭”しかない。何かに没頭すればネガティブ・モンスターが襲ってくる隙はなくなる。「ネガティブを潰すのはポジティブではない,没頭だ」。何かに没頭すればとりあえず大丈夫だ。本当に大丈夫かなんて根拠なんて誰も持っているわけじゃない。
 「大丈夫と言うことから大丈夫は始まるのだ」

てれびのスキマ (2015). 有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか:絶望を笑いに変える芸人たちの生き方 コアマガジン pp.60

お笑いの必修科目

笑いに絶対的な基準はない。何が面白いと思うかは人それぞれ。芸人として何を目指すべきかも人それぞれ。それがこれまでの考え方だったのだが,松本の登場で一気に変わってしまった。
 芸人の中に「大喜利」「すべらない話」などの必修科目ができてしまったのだ。そして,あたかも,その必修科目をクリアできなければ一人前の芸人と認められないような空気が生まれた。
 芸人たちに課題が与えられ,そして芸人たち自身もそれを自明のものとして必死になってクリアしようとする,というのが,松本以降のお笑い界で起こったことだった。

ラリー遠田 (2015). なぜ,とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか? コアマガジン pp.111-112

誰一人なれなかった

これまでは,弟子入りこそが芸人になるためのほぼ唯一の道だったところが,ダウンタウン以降,お笑い養成所に入って芸人になることが一般的になった。下積み修行をしなくても,とにかく面白ければ芸人になれる。そういう時代が訪れたのだ。
 楽屋で師匠の顔色をうかがったり,芸人たちの人間関係に気を配ったりする必要がなくなった。
 そういう時代になったからこそ,基本的なコミュニケーション能力が足りない人間でも,芸人になれる可能性が出てきたのだ。
 松本は,そのたたずまいからすでに常人離れしていた。今でもそうだが,彼は面白いことを言うときに決して笑顔を見せない。
 憮然とした表情で,ボソッとつぶやくように鋭いことを言う。それが命中してドカンとウケる。
 このスタイルに憧れて,数多くの芸人がダウンタウンの真似をした。
 そして,誰一人としてダウンタウンにはなれなかった。

ラリー遠田 (2015). なぜ,とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか? コアマガジン pp.106-107

「サブい」

例えば「サブい(寒い)」という言葉がある。ギャグやボケが面白くない時に使われる業界用語だ。
 この言葉を世に広めたのはダウンタウンだ。彼らがテレビで「サブい」と口にしているのを真似て,世間の人もいつしか気軽に「サブい」と言い出すようになった。
 この言葉は,お笑いの劇場やバラエティ番組では今まであまり使われていなかった。
 なぜなら,他人のことをサブいと言い切るのは,よほど自分に自信がなければできないし,誰かをサブいと断定して偉そうに見えてしまったら,今度はそれを言う本人が笑ってもらいにくくなるというリスクもあるからだ。
 サブいという言葉はダウンタウン以前にも存在したが,もともと客前では使う言葉ではなかったのだ。

ラリー遠田 (2015). なぜ,とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか? コアマガジン pp.100-101

オタク的

オタク的とはどういうことか。簡単に言えば,特定の分野に強いこだわりを見せて,それを突き詰めていく態度のことだ。

ラリー遠田 (2015). なぜ,とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか? コアマガジン pp.97

ヤンキー的・オタク的

簡単に言うと,ヤンキー的とは「明るくて外向的」ということ,オタク的とは「暗くて内向的」ということだ。
 「ヤンキー/オタク」という単語がピンと来ないと感じられる方は,単に「明るい/暗い」と言い換えてもらっても構わない。
 表面的な性格や態度が明るいか暗いかということだけを問題にしているわけではない。そもそも人としての意識が外に向いているのか,内に向いているのか,という視点で区別しているのだ。

ラリー遠田 (2015). なぜ,とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか? コアマガジン pp.16

名前の効果

この忠告と同じことだが,あたたかい響きをもつ名前は,童顔と同様にあたたかさと正直さの印象を強め,冷たい響きをもつ名前は,おとな顔と同様に権力と指導力の印象を強めることがわかった。これは2つの名前にニックネームや短縮形が含まれていないときにもみられた。そのうえ,おとな顔でもあたたかい響きをもつ名の求職者は,冷たい響きをもつ名の求職者ほどエネルギッシュでないと受け取られ,あたたかさが求められる職業,たとえば託児所の教師の助手とかホームレス救援所のカウンセラーなどに向いているとうけとられた。そればかりか,おとな顔の応募者と童顔の応募者は,両者ともあたたかい響きの名前の場合は,このような仕事に推薦を受ける可能性が等しかったが,両者とも冷たい響きの名前の場合はそうではなかった。求職者のおとなっぽい顔は経営能力と決断力を要する仕事に適しているという判断にプラスの効果をおよぼすが,あたたかい響きの名にはこのプラスの効果を打ち消す能力もあった。おとな顔であたたかい響きの名をもつ求職者と童顔で冷たい響きの名の求職者が経営能力と決断力を要する仕事に推薦される可能性は等しかった。

レズリー・A・ゼブロウィッツ 羽田節子・中尾ゆかり(訳) (1999). 顔を読む:顔学への招待 大修館書店 pp.315-316

化粧の印象

化粧は女性の魅力と童顔の程度を高めるのに加えて,性格の印象にも影響する。性格の印象におよぼす効果は,魅力におよぼす効果ほど確実ではないが,化粧をする女性は人気があり,社交的で,おしゃべりだとうけとられるだけでなく,安心してつきあえ,落ち着きがあり,自信にみちているとうけとられることが多い。これらの印象からわかるように,化粧をする女性は女性の役割の固定観念にあてはまるとうけとられている。ある種の職業に応募するさいにこれが否定的な要素になりかねないという証拠があるが,おそらくこれは,化粧をした女性が無能な女性という固定観念にとりこまれるからである。化粧をした女性は童顔に見えるので,こどもっぽい性格をそなえているとうけとられる。

レズリー・A・ゼブロウィッツ 羽田節子・中尾ゆかり(訳) (1999). 顔を読む:顔学への招待 大修館書店 pp.301-302

初頭効果

顔の固定観念は印象を形成するさいの初頭効果である。つまり最初の情報のほうが重視されるので,顔の固定観念に対抗するいちばん手っとり早い方法は,顔を見るまえに行動と性格特性にかんする情報を手に入れることである。じっさいに,デートの相手選びで魅力や人格特性が異なる女性にたいする関心を述べるよう男性に求めたところ,情報を与えるタイミングが決定的であった。魅力的な女性はタイミングに関係なく好かれたものの,性格の情報は顔を見せる前に見せると効果をしめしたが,顔を見せたあとでは効果がなかった。肯定的な性格をそなえた女性が否定的な性格をそなえた女性よりも好かれたのは,顔を見る3秒前に性格の情報を見たときで,これにたいして,顔をさきに見たときには,性格は男性の好みに効果を示さなかった。
 実質的な情報を得て容貌を見るまでのわずか3秒の差で違いがうまれるのなら,直接対面するまえにその人のことがなにかわかれば,それは顔の効果に対抗する大きな力になると思われる。人事選考にたずさわる人は,求職者に面接するまえに,写真が添えられていない履歴書をよく読んだり,あるいは電話で話したりすれば,偏見が少なくなるだろう。教師は成績と生徒の顔を結びつけるまえに採点すれば,偏見がなくなる。陪審員の選考にたずさわる人は,顔が見えないようにして陪審員候補者に最初の質問を行えば,顔の効果による偏見が減るであろう。

レズリー・A・ゼブロウィッツ 羽田節子・中尾ゆかり(訳) (1999). 顔を読む:顔学への招待 大修館書店 pp.295

美貌と童顔

人を顔の固定観念にあてはめて判断すると,ほんとうに視野がせまくなり,とりわけ,性格特性を見抜けなくなる。美貌と童顔に目をくらまされるのである。美貌と童顔から得られる性格の情報はあてにならないのに,この特性にばかり目がいくので,判断に役立つ情報を見のがしてしまうのである。顔のほかの特性からこのような情報が得られるかどうかは未解決の問題であり,人相学者を嘲笑するまえにさらに研究を重ねる必要があろう。顔の固定観念が正しい印象を妨げるのは困ったことだが,それにもましてよくないのは誤った印象を助長することである。

レズリー・A・ゼブロウィッツ 羽田節子・中尾ゆかり(訳) (1999). 顔を読む:顔学への招待 大修館書店 pp.289

期待充足的予言

期待充足的予言の第一歩は,対象者の容貌が,その人の行動に注目している感知者に強い期待をいだかせることである。第2に,その感知者は対象者から期待通りの行動を引き出すように,その期待にもとづいて行動しなければならない。第3に,対象者はこれらのはたらきかけに対して確実な行動で反応をしめさなければならない。第4に,感知者の期待が,単に対象者の行動を予言するだけに終わらず,実際に行動を引き出さなければならない。この条件がそろったときにはじめて,かぎられた期待充足的予言が生まれる。つまり,感知者の期待がある特定の状況のもとで実現されるのである。対象者が状況,時間,相互作用の相手にかかわりなく同じ期待を実現するという普遍的な期待充足的予言がおこるには,さらに2つの条件が必要となる。容貌にもとづく期待がどんな感知者でも変わらないこと,対象者の容貌が時の経過にかかわりなく安定していて,一貫して同じ期待を引き出すことの2つである。以上6つの条件がすべてそろえば,期待が対象者の安定した人格特性に影響をおよぼしたと結論することができる。

レズリー・A・ゼブロウィッツ 羽田節子・中尾ゆかり(訳) (1999). 顔を読む:顔学への招待 大修館書店 pp.259

魅力と罰

ベテランの女性教師も魅力的でない子どもにより厳しい罰を与える。ある研究で教師たちは,こどもが学校で階段から落ちたときの調書を手渡され,事件直後に階段の一番上にいた生徒のなかでうすら笑いをうかべていた子の過失責任を評価するようもとめられた。調書には疑いのある子どもの写真が添えられた。容疑をかけられた子どもが魅力的でない場合は,魅力的な場合よりも,事件の責任を問われやすかった。男の子の場合魅力の程度は,その子が悪事をはたらいたと教師が信じるかどうかについては小の効果しかなかったが,その子がいたずらをしたのはまちがいないと考えた教師がくだす罰のきびしさについては中程度の効果をおよぼし,魅力的でない男の子にはきびしい罰があたえられた。興味深いことに,女の子にくだされる罰については,魅力は意味のある効果をもたなかった。教師が全員女性だったことから,やはり,異性にたいしては容貌の効果が強いことがわかった。

レズリー・A・ゼブロウィッツ 羽田節子・中尾ゆかり(訳) (1999). 顔を読む:顔学への招待 大修館書店 pp.251-252

魅力的な人

文学では美と善をむすびつける手法がよくつかわれるが,これは男女の顔写真にたいする人びとの印象にもみられる。魅力的な人はあたたかく,やさしく,強く,繊細で,セクシーで,おもしろく,落ち着きがあり,穏やかで,人づきあいがよく,外向的であるとうけとられる。だが,この威光効果は魅力的な人の否定的な印象によって弱められる。とりわけ,魅力的な女性はうぬぼれが強く,利己的で,欲ばりで,高慢だと評される。とはいえ,すぐれた社会的能力や性的なあたたかみについては効果が大きいが,うぬぼれについては弱い効果しかない。魅力的であることはまた,適応や支配や社交性などの良い性格にもそこそこの効果をおよぼし,さらに知的能力という属性にも小ないし中の効果をおよぼす。支配力についてくわしく調べた最近の研究では,魅力的な人ほど社会的影響力が大きく,説得力があり,統率力を持ち,つき従われたりまねられたりする可能性が高いことがわかった。誠実さと思いやりについては威光効果はごく小さいが,この効果は研究によってかなり異なり,魅力的な人が誠実さについて高い評価を受けるという研究結果もよくある。

レズリー・A・ゼブロウィッツ 羽田節子・中尾ゆかり(訳) (1999). 顔を読む:顔学への招待 大修館書店 pp.212-213

顔の魅力

同じ文化に属する人びとに写真に写った顔の魅力を判断させると,大きな意見の一致がみられ,判断される顔が一般的な人から選ばれ,美人コンテストに出場するようなずばぬけて魅力的な人がいないときでも,中程度の意見の一致がみられる。しかも,魅力の評価が一致するには,ちらりと顔を見るだけでことたりるのである。ある研究で,4分の1秒以下しか顔を見せずに魅力を判断させたところ,時間を制限しなかった人の判断と一致した。魅力についての意見の一致は,判断される人の性別や人種や年齢に関係がない。どの顔が魅力的かとたずねると,判断の対象が男性でも女性でも,自分たちと同じ人種でも違う人種でも,あかんぼうでもこどもでも十代でも若者でも高齢者でも,人びとの意見は一致するのである。判断者と人種が同じ場合のほうが意見がよく一致し,男性よりも女性の顔のほうがよく一致する。また,男性よりも女性の顔のほうが魅力をはっきり区別され,極端な判断がくだされる。このように,女性の魅力の違いのほうが反応が大きい傾向があり,とりわけ判断者が男性の場合にはそれがいちじるしい。

レズリー・A・ゼブロウィッツ 羽田節子・中尾ゆかり(訳) (1999). 顔を読む:顔学への招待 大修館書店 pp.177

信頼できそうか

ある人がどれくらい説得力があるかは,その人がいかに信頼できるかにかかっている。そして,信頼性は,その人がどれほど専門知識をもっているようにみえるかによる。これは,童顔の人に欠けているところである。童顔の人は,同じような背景をもつ同齢のおとな顔の人にくらべて,ある問題について適切な事実をよく知っているとみなされることが少ない。信頼性はその人がどれほどあてになるかによってきまる。なんでも知っている専門家だとみなされてはいるが,事実を教えてくれるほど信頼できると思われていない人は,説得力がありそうには思えない。童顔の人の強みは信頼されることにある。正直そうな顔のおかげで,彼らは心から信じていることを話しているとみなされるのである。

レズリー・A・ゼブロウィッツ 羽田節子・中尾ゆかり(訳) (1999). 顔を読む:顔学への招待 大修館書店 pp.145

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