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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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多様性

子連れの再婚が珍しくない時代,家族の多様化が進む時代において,「保護者に子どもの過去のことを問えば,すぐに答えが返ってくる」という発想はそろそろ賞味期限切れである。家族にさまざまなかたちがありうることが前提とされるべきである。

内田 良 (2015). 教育という病:子どもと先生を苦しめる「教育リスク」 光文社 pp.102
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組体操への危機意識の低さ

教員による暴力(いわゆる「体罰」)の動画を,自らアップロードする人はいない。暴力は,あってはならないという自覚があるからだ。だから,隠される。他方で組体操については,これほどまでに堂々と各校の事例がわかるのは,巨大な組体操は,あってはならないどころか,あるべき姿だからである。
 組体操の情報があり余るほどに入手できるのは,研究者としてはありがたい。だが,組体操に対する危機意識の低さには,脱力してしまう。

内田 良 (2015). 教育という病:子どもと先生を苦しめる「教育リスク」 光文社 pp.65-66

組体操

なぜ,組体操が学校教育の中で取り入れられているのか。組体操を支持する教員からの回答は,見事に一致する。すなわち,組体操は子どもが「感動」や「一体感」「達成感」を得ることができるからである。組体操の教育的意義とは,それらの感覚を味わうことにある。

内田 良 (2015). 教育という病:子どもと先生を苦しめる「教育リスク」 光文社 pp.61-62

自制心消耗時

自制心が消耗しているとき,それをできるだけ使わずに問題に対処する,いくつかの方法があります。1番目は,いったん動き始めた物体はそのまま動き続けようとするという,物理学の法則に似た原則を利用するものです。人間の行動にも,この「慣性の法則」は当てはまります。いったん始めた行動をやめるには,自制心が必要になるのです。継続時間が長くなるほど,行動はやめにくくなります。たとえば,ポテトチップスを1口食べて残りを我慢するより,まったく手をつけないほうが我慢しやすいはずです。“始める前にやめる”——つまり,初めから手を出さないことが,自制心を節約するための1つの効果的な方法です。
 2番目は,「なぜ」という理由を考えること(長期的な目標,価値,理想への着目)と,自己監視をすること(目標と実際の進捗との比較)です。これらも,衝動に打ち勝つ優れた方法です。わたしも,冷蔵庫のなかのパイの誘惑に負けそうになるときには,スリムジーンズを着こなすという目標を強く思い浮かべます。食事を始める前に体重計に乗るのも食べすぎないための効果的な方法です。
 3番目は,自制心が多く求められる目標を同時に2つ以上,追い求めようとしないことです。誰であれ,自制心には限界があります。一度に多くの負荷をかけると,問題が生じやすくなります。たとえば,禁煙中の人が,禁煙によってしばしば見られる体重増加を防ごうとして同時にダイエットにも取り組み始めると,禁煙とダイエットの両方に失敗してしまう確率が,それぞれを個別に行うときよりも高まることを示す研究結果があります。
 4番目は,証明型の思考や目標設定の活用です。適切な報酬を設定することで,動機づけが高まり,枯渇した自制心を補える場合があります。金銭的な報酬を活用するのも効果的です。お金以外にも,取り組んでいる行動から何かを学べると実感できることや,自分の行動が他人に役に立っていると知らされることなども,大きな効果があるとわかっています。

ハイディ・グラント・ハルバーソン 児島 修(訳) (2013). やってのける:意志力を使わずに自分を動かす 大和書房 pp.205-207

目標達成における過ち

わたしたちが目標達成の過程で犯すさまざまな過ちは,2つのカテゴリーに大別できます。
 1つ目は,何をするかわかっていながら,行動が不足していることです。心理学では,これを「制御不足」と呼びます。この章で見てきた過ちのうち,機会を逃すこと,自己監視をしないことなども制御不足に当てはまります。自制心が足りず,誘惑や衝動を抑え切れないことも制御不足です。第9章以降で紹介するアプローチの多くは,この制御不足への対処に注目するものです。目標達成において,制御不足はもっとも一般的な問題です。
 2番目のカテゴリーは,心理学で「誤制御」と呼ばれるもので,その名が示す通り,これは効果の低いアプローチを選んでしまうことです。
 誤った方法を用いていたら,いくら一生懸命に努力をしても目標は達成できません。慎重さや正確性が求められるときに,急ぐことばかりを考えて行動しているのかもしれません。食べもののことを頭に思い浮かべまいとして,逆に食べもののことばかりを考えてしまっているのかもしれません。普段はとくに意識せずにできる慣れた動作を,必要以上に考えすぎたり,プレッシャーを感じてうまくできなくなっているのかもしれません。
 誤制御について的確なアドバイスをすることは簡単ではありません。ある目標ではうまく機能するアプローチも,別の目標ではほとんど効果がない場合もあるからです。つまり,あらゆる目標に当てはまる,万能型のアプローチはありません。

ハイディ・グラント・ハルバーソン 児島 修(訳) (2013). やってのける:意志力を使わずに自分を動かす 大和書房 pp.178-179

自律性の感覚

内発的動機づけは,脅威,監視,時間的制約などによっても低下します。人は,管理されていると感じると,自律性を失います。職場には内発的動機づけを損なうようなきっかけが多く,従業員は自分の意志で選択して行動しているという感覚を持ちにくくなることがあります。
 自律性の感覚を取り戻すには,人びとに選択の感覚を与え,その感情を尊重することが大切です。どのような環境であれ,多かれ少なけれ,報酬,脅威,時間的制約などが関係してくるものです。このため,いかに自律性を得やすい環境をつくり,人びとの内発的動機づけを保てるかが重要です。

ハイディ・グラント・ハルバーソン 児島 修(訳) (2013). やってのける:意志力を使わずに自分を動かす 大和書房 pp.135

基本的欲求

心理学者によって,考える基本的欲求の数はさまざまです。片手で数えられる程度しかないという意見もあれば,40近くあるという人もいます。
 それでも,エドワード・デシとリチャード・ライアンが主張する「自己決定理論」には,多くの心理学者が同意しています。この理論では,基本的欲求は「関係性」「有能感」「自律性」の3つであると定義しています。

ハイディ・グラント・ハルバーソン 児島 修(訳) (2013). やってのける:意志力を使わずに自分を動かす 大和書房 pp.127

愛と安全

人間(さらに言えば哺乳類の動物)は,2つの基本的な欲求を持つと考えられています。それは,愛されたいという欲求と,安全を確保したいという欲求です。
 ヒギンスは,獲得型と防御型の目標はこの2つの欲求から生じると主張しています。
 つまり,「何かを成し遂げる」「理想的な能力を身につける」という獲得型の目標は,究極的には愛情を得るためのものです。理想的な人間になれたら,他者から称賛してもらえ,愛情に囲まれた人生を送れるというわけです。
 一方,「責任を果たし,ミスを避ける」防御型の目標を追求するのは,究極的には自分の身を守るためです。人から求められることをしていれば,誰からも腹を立てられたり,失望されたりしない——失敗をしない限り,問題は起こらず,平和と安全で満たされた暮らしを送れるというわけです。

ハイディ・グラント・ハルバーソン 児島 修(訳) (2013). やってのける:意志力を使わずに自分を動かす 大和書房 pp.103-104

異なる戦略の混同

(1)「わたしは減量を成功させることができる。目標とする体重まで痩せられるはずだ」——つまり,「目標を達成できる可能性」について楽観的に考える。
 (2)「ドーナツやポテトチップスの誘惑には負けない。運動も,何の支障もなく毎日続けられるはずだ」——つまり,「障壁を乗り越えること」について楽観的に考える。

 じつは,自己啓発書のほとんどはこの2つを区別できていません。つまり,「あなたは必ず成功できる。きっと簡単に障壁を乗り越えられる」と言うのです。残念ながら,この2つを一緒にしてしまうのは,きわめて大きな過ちです。前者のようなポジティブ思考は有効ですが,後者のような考え方は逆効果になるからです。

ハイディ・グラント・ハルバーソン 児島 修(訳) (2013). やってのける:意志力を使わずに自分を動かす 大和書房 pp.51

それは状況によります

わたしたち心理学者はよく,「AとBのどちらがいい?」式の質問をされます。「感情は吐き出すほうがいいのか,それとも抑えるべきなのか」「失敗をしたら,それについてじっくり考えるべきなのか,きっぱりと忘れるべきなのか」などです。
 しかし,ほとんどのケースで,心理学者は「それは状況によります」と答えざるを得ません。「大きな絵」と「次の一歩」のどちらをイメージするのが正しいのかと聞かれたときの答えも同じです。それは,達成しようとしている目標のタイプによって変わります。

ハイディ・グラント・ハルバーソン 児島 修(訳) (2013). やってのける:意志力を使わずに自分を動かす 大和書房 pp.49

具体的で難易度の高い目標

「ベストを尽くせ」よりはるかに有効なのが,「具体的で難易度が高い目標」の設定です。組織心理学者のエドウィン・ロックとゲイリー・レイサムが,このタイプの目標の驚くべき効果を明らかにしています。2人は,「具体的で難易度が高い目標」が,「曖昧で難易度が低い目標」に比べ,はるかに高いパフォーマンスを生み出すことを発見しました。これは「自分で設定した目標」「他者が設定した目標」「他者と共に設定した目標」のすべてに当てはまります。
 このタイプの目標は,なぜ動機づけを高めるのでしょうか。「具体的」についての説明は簡単です。何が求められているかを正確に知ることで,適当な仕事でお茶を濁したり,自分自身に「これくらいで十分だ」と言い訳をしたりすることができなくなります。
 目標がはっきりしていなければ,低きに流れるのは簡単です。疲れている,気分が乗らない,退屈だ——そんな理由で,簡単に誘惑に負けてしまいます。
 しかし,はっきりとした目標があればごまかしは利きません。達成できるかできないか——白か黒のどちらかしかないのです。
 「難易度が高い」についてはどうでしょうか。ハードルを上げれば,自ら災難を招いてしまうことにはならないのでしょうか。嬉しいことに,そうはなりません。もちろん,あまりにも難易度の高い非現実的な目標は設定すべきではありません。キーワードは,「難しいが可能」,です。難易度の高い目標は,自然と意欲や集中力を高めてくれます。粘り強く目標に取り組み,自ずと最適な方法を選ぶようにもなります。

ハイディ・グラント・ハルバーソン 児島 修(訳) (2013). やってのける:意志力を使わずに自分を動かす 大和書房 pp.32-33

自制心の向上

前述したように,自制心は「生まれつきのものであり,努力しても高められない」と誤解されています。しかし,自制心は筋肉と同じように鍛えられます(逆に,鍛えなければ弱まります)。最新の研究では,日常的な鍛錬(「エクササイズをする」「家計簿をつける」「食事の内容を記録する」など)によって,自制心が総合的に強化されることがわかっています。2週間,毎日エクササイズをした被験者が,健康面での向上だけでなく,「流しに食器を溜めない」「衝動的な買い物をしない」などの他の面での自制心の向上を示したのです。

ハイディ・グラント・ハルバーソン 児島 修(訳) (2013). やってのける:意志力を使わずに自分を動かす 大和書房 pp.26

「こぞって分析してくれる」

私が世界銀行に勤務しているとき,南アフリカ政府の関係者にインタビューをする機会がありました。南アフリカは,労働力調査や家計調査などの政府統計の個票データをインターネット上で世界中のすべての人に公開しています。この理由について尋ねたところ,「データを開示すれば,政府がわざわざ雇用しなくても,世界中の優秀なエコノミストがこぞって分析をしてくれる」という答えが返ってきました。

 なんというクレバーな方法でしょうか。研究者は,常に「Publish or Perish(出版化,消滅か)」という強いプレッシャーに晒されていますから,情報量が多く,代表性のあるデータであれば,多くの研究者はそのデータを分析して,論文を書きたいと思うでしょう。南アフリカ政府は,その研究者の性質をうまく利用しているのです。実際に南アフリカ経済に関する研究はデータを公開するようになってから,急速に進みつつあります。

中室牧子 (2015). 「学力」の経済学 ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.139

データの利便性

まず,正しく因果関係を証明するためには,データを収集する段階から,因果関係を証明することを念頭に置いたデザインにしなければならないのですが,日本の統計にはそもそもその認識が欠如しているものが多いという問題があります。
 さらに,研究者が利用できるデータが限られている,という別の問題も存在します。たとえば,全国学力・学習状況調査は,文部科学省やその関連機関に所属する研究者など,限られた人以外はアクセスできません。
 なぜなら,全国学力・学習状況調査は統計法で定められた「統計」ではないからです。「統計」であれば,研究者はアクセス可能なのですが,実際は「意見・意識など,事実に該当しない項目を調査する世論調査など」(総務省のウェブサイトより)という扱いになっており,研究者はこのデータを学術研究に用いることができないのです。

中室牧子 (2015). 「学力」の経済学 ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.137

学校間格差の要因

子どもの学力には,遺伝や家庭の資源など,さまざまな要因が影響しています。しかし,なぜか人々は,学力というと,すぐに教員や指導法,教材などが強く影響していると考えてしまうようです。このため,もし今,学校別の順位が発表されて,A校は1位,B校は20位であるということがわかると,多くの人は,「A校は優れた教育をしているが,B校はそうではない」と短絡的に考えてしまうおそれがあります。
 しかし,もしかするとA校には,もともと教育熱心な家庭出身の学力の高い子どもたちが通っており,B校にはあまり教育熱心でない家庭出身の学力が低い子どもたちが通っているだけかもしれません。その場合,A校の先生たちはあまり苦労もせずにうまく学級運営ができていて,一方,B校の先生たちは,もともと家庭の資源が不足している子どもたちに対して,なんとか彼らの注意を引きつけ,勉強の大切さを言い聞かせて,必死に学力の底上げを図ろうと奮闘している,という可能性も十分にあり得るのです。

中室牧子 (2015). 「学力」の経済学 ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.123-124

手段の目的化

さらに,本来,手段にすぎないものが政策目的化しているという別の問題も存在します。
 海外の政策評価においては,まず「学力の上昇」のように,教育政策の目的を明確にし,それを実現するためにどういった政策手段の費用対効果が高いのか,という検証を行います。一方,日本では,「2020年までにすべての小中学校の生徒1人に1台のタブレット端末を配布する」という政策目標が掲げられていることからも明らかなように,本来,政策目的ではなく「手段」であるはずのものが政策目的化してしまっています。重要なのは「タブレットを配布すること」ではなく,「何のために配布するのか」でしょう。この状況は効率的な資源配分を歪めている可能性があります。タブレットよりも,他のことに予算を使ったほうが子どもの学力や意欲の向上がみられるということも,十分にあり得るからです。

中室牧子 (2015). 「学力」の経済学 ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.116

教育の効果測定の必要性

私が日本の教育政策について疑問に思う点は,これまで日本で実施されてきた「少人数学級」や「子ども手当」は,学力を上げるという政策目標について,費用対効果が低いか効果がないということが,海外のデータを用いた政策評価の中で既に明らかになっている政策であることです。
 「教育の収益率に対する情報提供」や「習熟度別学級」のように費用対効果が高いことが示されている政策は積極的に採用せず,既に費用対効果が低いか効果がないことが明らかになっている政策を実施するのであれば,巨額の財政支出を行う前に,日本でまずその政策の効果測定を行ってからでも遅くはないのではないでしょうか。

中室牧子 (2015). 「学力」の経済学 ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.110-111

費用対効果

それでは,日本も同じように,1学級あたりの人数を13〜17人のようにもっと少なくするべきなのでしょうか。実は,私はそれには慎重であるべきだと思っています。なぜなら,少人数学級は学力を上昇させる因果効果はあるものの,他の政策と比較すると費用対効果は低い政策であることもまた明らかになっているからです。

中室牧子 (2015). 「学力」の経済学 ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.105

非認知能力

ヘックマン教授らは,学力テストでは計測することができない非認知能力が,人生の成功においてきわめて重要であることを強調しています。また,誠実さ,忍耐強さ,社交性,好奇心の強さ——これらの非認知能力は,「人から学び,獲得するものである」ことも。
 おそらく,学校とはただ単に勉強をする場所ではなく,先生や同級生から多くのことを学び,「非認知能力」を培う場所でもあるということなのでしょう。

中室牧子 (2015). 「学力」の経済学 ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.87

テレビ・ゲーム

では,因果関係を調べた研究の結論はどういうものでしょうか。
 それらの研究の多くは,テレビやゲーム「そのもの」が子どもたちにもたらす負の因果効果は私たちが考えているほどには大きくないと結論づけています。それどころか,シカゴ大学のゲンコウ教授らは,幼少期にテレビを観ていた子どもたちは学力が高いと結論づけているほか,米国で行われた別の研究では,幼少期に「セサミストリート」などの教育番組を観て育った子どもたちは,就学後の学力が高かったことを示すものもあるのです。
 ゲームについても同じです。ハーバード大学のクトナー教授らは,中学生を対象にした大規模な研究によって,ゲームが必ずしも有害ではないことを明らかにしています。それどころか,17歳以上の子どもが対象になるようなロールプレイングゲームなどの複雑なゲームは,子どものストレス発散につながり,創造性や忍耐力を培うのにむしろよい影響があるとさえ述べています。ゲームの中で暴力的な行為が行われていたとしても,それを学校や隣近所でやってやろうと考えるほど,子どもは愚かではないのです。

中室牧子 (2015). 「学力」の経済学 ディスカヴァー・トゥエンティワン pp.54-55

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