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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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的を射ていない

ある質問が「的を射ていない」と即断できるということは,同時に「的を射た質問とはなにか」を知っていることを意味します。つまり,「的を射た質問とはなんであるか」がわかっているからこそ,それとの対比で「的を射ていない質問」が定義できるのです。このことを事前におさえているためには,議論が開始される以前に周到な思考上の準備が必要なばかりか,議論になっている内容についての明確な考えを持っている必要があります。そして,そうした準備があるならば,この学生の質問をきっかけにして面白い議論が展開できそうな気がします。
 すべての大学教員に議論スキルが欠けているとは思えません。より正確には,議論スキルのない人が,またはそのような認知技能を身につけるためのトレーニングを受けていない人が,または議論を実践していないような人が,大学の教員をしている「場合がある」ということになるのでしょう。

福澤一吉 (2002). 議論のレッスン NHK出版 pp.33-34
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仮定の質問

日本の政治家の答弁で耳障りな発言のひとつに「仮定の質問にはお答えできません」というのがあります。みなさんも聞いたことがありませんか?野党の代表者が「○○大臣,仮にこの時点でアメリカが経済制裁をしかけてくるとすると……」といった質問をすると,「そのような仮定の質問にはお答えできません」と答える場面です。このような答え方は常套句に近いものであると思います。
 「あなたはまだ起こりもしない仮定の質問をつくり,私を罠にかけようとしている。それにまんまとひっかかるようなことはいたしませんよ」と言っているようにも聞こえますし,同時に,「仮定の質問に答えるなどいまだ見ぬ幻について語るようなもので,地に足のついた政治家の発言とも思えない。つつしむべき発言である」というような戒めにさえ聞こえます。「そのような仮定の質問にはお答えできません」と落ち着いた口調で言われると,そう言っている人が妙に大人に見えてくるから不思議です。
 私は,政治家に託された仕事は「いまだ見ぬ日本の将来についてしっかりとしたヴィジョンを提示し,国民を一定の方向へ導くこと」であると思います。ほとんどが「仮定」としか言いようのない「未来」についての決定を,政治家は常にしなければならないのです。そもそも私たちが決定するべきことがらはつねに明日以降のことに関することがらなのです。ですから政治家で最も必要とされるスキルは,リスクマネージメントを背景に「仮定の質問」にお答えられるスキル,にほかならないのです。

福澤一吉 (2002). 議論のレッスン NHK出版 pp.28-29

遊べるだけ遊びたいのだ

勉強ばかりする者は,好きで勉強するのだから例外で,そんなに勉強ばかり出来るものではないと思った。今まで普通の点数をとっているからそれでいいと思えた。大学も,どこか受かるだろうと思った。大学へは行かなければ社会的にも損だし,大学へ行っている間だけは遊んでいられるのだ。大学を出ればそれから先はどうなるかわからない。真っ暗な社会へ出なければならないのだ。遊べるのは今だけだから遊べるだけ遊びたいのだ。

深沢七郎 (1959) 東京のプリンスたち (深沢七郎 (1964). 楢山節考 新潮社 pp.141)

知能の得点化

では,それほど発達的意味と縁を切りたいのなら,なぜ,知能をあらわすのに,年齢尺度の代わりに,点数方式をとらなかったのか?そうすれば,距離尺度からさらに進んで,「100点の知能は,50点の知能の2倍である」といえるような,加減乗除の可能な尺度(絶対尺度)をつくることすらできはしないか?実際,そうした知能の絶対尺度をつくろうとする試みが,なされなかったわけではない。たとえば,アメリカのヤーキズは,すでに1914年にその努力をはじめている。
 ヤーキズのテストの大部分は,ビネー・テストから借り受けた。しかし,たとえば,ビネー・テストでは,「3分間に60語以上をいう」問題が,12歳用につくられているが,他の年齢用の問題の中には,この種の問題は見当たらない。そこで,ヤーキズは,「30語以上40語まで」いえば1点,「41語以上59語まで」いえば2点,「60語以上74語まで」おえば3点,「75語以上」いえば4点をあたえるようにした。こうして,それぞれの子どもの得点を合計して,知能を測ろうとしたのだった。
 実際,各年齢ごとの平均値を算出して,グラフにあらわすと,身長の発達曲線に似た曲線がえられた。ヤーキズは,これを知能の発達曲線だとみなしている。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.113

相関抽出テスト

スピアマンによれば,一般知能とは,共通な基本的な知能であって,いわば一貫的な精神エネルギーだ。それに対して,特殊知能は,その精神的エネルギーを発現させるエンジンのようなはたらきをする。一般知能は,個人が生まれつき持ち合わせているものであり,外部から変化をうけることはないのに対し,特殊知能は,むしろ教育や訓練により大いに影響されるものである。
 そこで彼は,この基本的な一般知能を純粋にとらえることのできるテストを考案する。これが,「相関抽出テスト」とよばれるものだ。
 相関抽出テストは,スピアマンの「ノエジェネシス」の理論にもとづいている。ノエジェネシスとは,ギリシア語の「ノウス」(精神,理性,認識)と,「ゲネスレー」(誕生,生成,生産)との複合語であって,「認識の誕生」という意味になるが,彼はとくに,「新しいものを生み出す思考」という意味で用いている。彼によれば,ノエジェネシスは,「自分自身の経験の把握」「関係の抽出」「相関の抽出」という3つの基本原則から成る。関係の抽出とは,たとえば,「ロンドン」と「パリ」という2つの項から,イギリスとフランスという関係がひき出せるように,AとBとが与えられたとき,両者の関係Rを誘導するはたらきだ。一方,相関の抽出とは,たとえば,「イギリスとフランス」という関係と,「ロンドン」という項があたえられたとき,「パリ」という項がひき出せるように,関係Rと項Aから,もう一方の項Bを誘導するはたらきである。
 スピアマンにとっては,相関の抽出こそ,知能にとってもっとも本質的なものにほかならなかった。そこで,図形を材料にした相関抽出テストをつくって(というのは,言葉を材料にしたテストでは,経験の影響が介入してしまうからだ),一般知能を測定しようと試みたのである。
 すると,一般知能は,まさにビネー・テストで測定された精神年齢に一致していることが,スピアマン自身によって明らかにされた。「ビネーは,知らず知らずのうちに,経験的に因子分析をおこなっていた」と彼はいう。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.99-100

子どもの測定でおとなを予見

知能指数は,子どもにおいては発達指数であり,おとなにおいては能力の指標だ,と考えられ,しかも,同一の人間は,たえず同じ数字であらわされる知能指数をもちつづけるという仮定のもと,子どもの早熟さを調べることにより,おとなになってからの知的聡明さを予見できると考えられた。こうして,IQという2つのローマ字であらわれれる数字が,変化の背後にある不変な実在をしめす形而上学的魔力をもつに至るのである。
 現代の心理学では,IQの不変性については,確率的なものとしてみなしているにすぎない。つまり,早熟な子どもの多くは,聡明なおとなになりうるし,おくれた子どもの多くは,おとなになっても,精神薄弱にとどまる。しかし,これはあくまでも確率的なものであって,実際に個人個人をとりあげてみると,その発達の道筋は,多種多様である。ゆっくりと発達する子どもが,おとなになってからすぐれた知能を発揮することもありうるし,早熟な子が,聡明なおとなになることを約束しない。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.97

年齢尺度から能力尺度へ

一方,ターマンでは,能力テストに力点が変えられた。知能指数は,能力の発達の程度をあらわすだけでなく,知的聡明さをあらわす指標ともなったからである。いいかえれば,知能指数は,低い年齢に対しては発達指数だったが,ターマンのテストでは,発達が終わったときから,知的能力の指数に変化する。すでにのべたように,IQの分母は,どんな場合にも,15歳(発達の極限)とされ,分子は,精神年齢の本来の意味から逸脱して,単なる点数のようにみなされることとなった。このように,年齢尺度は,ターマンでは,生活年齢とか精神年齢とかの用語で表現されつつも,いつの間にか,能力尺度に変貌をとげたのだった。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.96-97

知能を身長にたとえる

実際,10歳以前は,個人個人の能力差よりも年齢差の方が大きいけれど,10歳から15歳の間は,年齢差と個人差の関係があいまいとなり,個人差のために,発達を年齢によって測定することを困難にしている場合が少なくない。さらに,15歳を越えると,個人差が目立ち,その能力の発達を,年齢尺度で測ることができなくなってしまう。
 知能を身長にたとえてみればいい。身長は30歳ごろまで伸びていくものだ。だが,15.6歳ごろから,身長の伸び率は,大きな意味をもたない。伸びの一般性はなくなり,個人差の方が大きくなるからだ。だから,18歳の身長とか,20歳の身長とか,25歳の身長とかいうよりも,小中大であらわしたほうがいい。同様に,知能の発達をしめすのに,年齢以外の尺度を使った方が適切だ,とシモンも考えていた。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.92

「発達の遅れ」という概念

実をいうと,「精神薄弱」の客観的定義と科学的診断は,今世紀初頭では,きわめてむずかしい課題の1つだった。その定義は,人それぞれによりまちまちだったし,また1人の学者が,その場その場で基準を変えるといったように,安定した正確な基準は,存在していなかった。このとき,ビネーが,年齢尺度という基準を提案したのである。
 ビネー・テストでは,知能がその発達により測定され,知能程度は年齢の高低であらわされる。だから,精神薄弱とは,正常児に追いつくことができないくらい発達の遅れている者だ。正常児も精神薄弱児も,同じ梯子をよじ登っていくだが,その速さがちがう。精神薄弱児は,ゆっくりとよじのぼり,途中で止まってしまう子どもである。だから,同じ梯子(共通尺度)の上での現在の位置を知ることにより,精神薄弱児を選別することができるというのである。ここから,のちの心理学者がおこなったような,おくれた子どもの知能と幼い年齢の子どもの知能との同一視が生じる。ビネー以降につくられた大部分の発達テストは,こうした見地に立っているのである。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.63-64

天才的着想

ともあれ,年齢で発達をあらわすという着想は,まさに天才的であり,生物測定にも精神測定にも,新しい世紀を開いたといってもいい。全体としての精神現象を尺度化するという困難な問題に対して,はじめて解決の見通しをあたえたのだ。
 人間は時間という連続量の増加にともなって質的な発達をとげる。その平均的なあり方を目安にして,精神の尺度に,時間の尺度をあてはめる。知能の差は,年齢の差に帰せられる。だから,各年齢の可能性を知りさえすれば,尺度が構成される。
 「なぜこんな簡単なことを発見するのに,これほど長い期間かかったのだろうか!」と,アメリカの心理学者L.M.ターマンを嘆かせたほど,単純であるためかえって見逃しやすいことがらなのだ。たしかにこれは,新しい自由な実験的精神をもつビネーにおいてこそ,思いついたことがらだ。彼が同時代の科学的心理学の努力とその欠陥を十分に知りつくしていたと同時に,当時の心理学者に不可欠だとされていた伝統的な哲学的素養を,それほど持ち合わせていなかったことも,この突飛な計画を成功させることに好都合だった。心理学のありきたりの方法や先入観や常識から解放されて,彼はものごとを素朴に,しかも大胆に考えることができた。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.53-54

テスト・バッテリーとガラクタの寄せ集め

すでにのべたような分析的方法をとる当時の実験心理学者たちは,知能を測定するのに,「反射の速さ」「記憶の幅」「注意の持続範囲」などといった項目をたくさんつくって,これらを別々に測定し,その測定結果を並べたてて,一覧表をつくっていた。だが,これらを共通尺度であらわすことができなかったので,互いにどのように比較し,これらをどう処理すればいいか,まったく見当がつかないでいた。このとき,ビネーは,「テスト・バッテリー」(テストの組み合わせ)というまったく新しいアイディアを提出した。つまり,ありとあらゆる異質な種類の問題から成るテストをつくったのである。
 これは当時のテストの常識からいえば,思いもよらないものであった。要素主義の立場をとる実験心理学者の眼には,ビネーの知能テストが,ガラクタの寄せ集めとしてしか映らなかった。だが,ビネーにいわせれば,知能とは「傾向の束」であり,ダイナミックな全体をなしている。だから,知能はあらゆる心理現象の中に浸透しているのであって,これを要素的なはたらきの中にだけ求めるのは,まちがっている。そこで,ビネーは,高等精神作用そのものをとらえようとした。高等精神作用とは,「良識,実用的感覚,率先力,順応力,判断力,理解力,推理力」などの全体である。だから,これらをとらえるテストは,当然,多様性をそなえていなければならない。どんなテストも,純粋に記憶力だけを,または論理力だけを調べようというようなものはありえず,テストの結果には,個人のもつ全傾向の合力が表現されている。だから,できるだけ多方面から,知能を追求していくことが必要だというのである。
 もちろん,テスト問題の多様性が,そのまま知能の多様性に対応しているとは限らない。しかし,少なくとも,多様な知能を尺度化する上では,それは必要条件なのだ。ビネーが異質な種類のテスト問題を,試行錯誤的に寄せ集めたとしても,決して盲目的な混合ではなく,彼の知能理論の必然的帰着にすぎなかったのだった。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.35-36

知能の順序尺度

ビネーの創案したこの年齢尺度は,当時の心理学者が思いもつかなかったような新しい考えであった。
 従来のテストでは,100点満点であらわされるような点数法が,もっぱら採用されてきた。つまり,何問中,何問合格したかという数量が,尊ばれた。それに対して,ビネーは,どれほど困難な問題まで合格できるかというその最高限度を測定しようとする。ビネーによれば,知能は,長さのように量として測定できるものでもなく,したがって次第に積み重ねられていくものでもない。だから,知能をあらわす尺度も,体重計が示す目盛りのように数学的な連続量としてみなすべきではなく,質的に異なるものを分類し,これを梯子段のように階層順に並べたシステムとしてあつかわなければならない。この分類基準としてとりあげたのが,年齢という単位であった。この年齢を目盛りとする尺度は,3歳は2歳より,14歳は13歳より進んでいるという意味で順序づけはできるが,それ以上の量的関係はない。だからこれは,順序尺度とよばれている。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.53

頭蓋計測と知能

まず,彼は1889年に,異常児の知能を間接的に測定しようとして,身体的特徴とくに頭蓋の大きさをとりあげた。だがこの測定が意味をもつためには,知能そのものを直接にとらえて,これと比較しなければならない。そこで,ビネーは,知能を直接に把握するための試問をいくつかつくって,コロニーの異常時たちに課してみた。と同時に,この試問をパリの小学生たちにやらせてみたところ,おもしろいことには,コロニーの異常児たちより年齢の低い小学生たちが,同じ言葉で答えたのだった。このことにより,ビネーは,「年齢尺度」を思いつく。この年齢尺度の利用は,あとでのべるように,現代心理学における最も重大な革新なのである。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.30

質的個人差と知能

このように,ビネーは個人差,つまり個人の質的差異を明らかにすることに熱中していた。このことは,ビネーがのちに知能テストという測定尺度をつきり,年齢といういわば量的なものをとりあげることになる点と矛盾していると思われるかもしれない。実際,個人差の心理学と,個人の微妙なニューアンスを無視する知能尺度の使用とは,正反対のもののようにもみえる。だが,ビネーの意見が変わってしまったわけではない。知能テストをつくり,精神年齢の使用を主張するようになったあとでも,たえず彼は,子どもが大人の縮図でもないし,おとなの知能程度を希薄にしたものでもないことを,強調しつづけていた。

滝沢武久 (1971). 知能指数 中央公論社 pp.28

議論で駆逐可能か

ヘイト・スピーチが良質の議論によって「駆逐される」という主張は,ナチズムが「表現の自由」を行使してヘイト・スピーチを行い,反対勢力を「駆逐」して権力をとり,多くの人々をユダヤ人虐殺の加害者とさせた歴史的事実に照らしたとき,どの程度説得力があるだろう。
 そもそもヘイト・スピーチは,平等な社会の構成員の誰もが議論に参加して議論により解決するという対抗言論の前提を破壊する。経済的,政治的,社会的に現実には不平等な社会において,社会の構成員の誰もが等しく参加しうることを前提とする「思想の自由市場」が存在しうるのかという原理的な問題もある。それを置いても,とりわけマイノリティの場合,数の上でハンディを負い,差別により政治的にも社会的にも不利な立場に置かれて,発言力も不当に低く抑えられている。発現する機会も比較的少なく論戦において圧倒的に不利である。

師岡康子 (2013). ヘイト・スピーチとは何か 岩波書店 pp.157-158

アイデンティティの核心

集団に対するヘイト・スピーチの被害が,個人に対するそれに比べて小さい(希釈化・希薄化する)とする主張は,マイノリティ集団と個人との関係については当てはまらない。マイノリティに属する人々にとって民族性などの属性はアイデンティティの核心を占めることが多く,その属性に向けられた言葉の暴力は,特定人に向けられても,集団に向けられても,属性を同じくするすべての人の存在価値を否定するメッセージとなりうる。

師岡康子 (2013). ヘイト・スピーチとは何か 岩波書店 pp.156-157

自己実現の侵害

ヘイト・スピーチはマイノリティに沈黙を強いて,その自己実現の機会を奪う性質をもつ。時には自死という究極の自己否定にまで追いやる。加害者であるマジョリティの自己実現のみを擁護し,被害者であるマイノリティの自己実現の侵害は抜け落ちている。本来,自己実現という価値は,他者の自己実現を否定しない限りで認められるはずである。日本国憲法十二条二文も,「国民は,これを濫用してはならないのであって,常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と定める。「公共の福祉」とは,他者の人権と自己の人権の調節原理として理解するのが通説である。他者の人権を侵害するような表現は,表現の自由の濫用であり,許されない。

師岡康子 (2013). ヘイト・スピーチとは何か 岩波書店 pp.153

到達地点

ヘイト・スピーチを違法として規制すべきであることは,各国政府の恣意的な判断の問題ではなく,すべての人は平等であるという人権の根本原則とジェノサイドや戦争防止という国際社会の共通の価値観に基づいて到達した原則であり,国際人権諸条約という形で加盟国の法的義務ともなっている。人種差別を表現規制の理由として認めないという主張は,植民地とされた国々や平等を求める人々の戦いの果実である国際人権基準を軽視している。

師岡康子 (2013). ヘイト・スピーチとは何か 岩波書店 pp.151

深刻な人権侵害

まずヘイト・スピーチは,単なる「悪い」「不人気」「不適切」「不快」な表現ではないことを確認したい。脅迫や名誉毀損が他人の人権を侵害して許されないのと同様,ヘイト・スピーチは人権を侵害する表現であり,許してはならないものである。「不快」「不適切」などと軽く扱うこと自体,ヘイト・スピーチのもたらす取り返しのつかないほどの深刻な人権侵害と社会の破壊の害悪を認識していないと言わざるを得ない。

師岡康子 (2013). ヘイト・スピーチとは何か 岩波書店 pp.151

表現の自由

最初に議論の共通の前提である,表現の自由の意義について確認しよう。表現の自由は,日本国憲法の保障する様々な自由の中で,もっとも重要なものの1つとして位置づけられている(優越的地位)。それは,表現の自由の保障が,「自己実現」と「自己統治」に不可欠だと考えられているからである。
 つまり,人間は誰しも,自己の意見を形成し他者に伝え,他者の意見にも触れて,自己の意見を再形成する過程で,その人格を形成していく。このような個人の人格の実現のための過程に着目するのが,表現の自由の「自己実現」における価値である。
 また,独裁を否定して平等を建前とし,社会の構成員らが協議して統治する民主主義社会の実現には,政治に関するあらゆる情報が社会全体に流通し,誰もが政治に関する自己の意見を主張できる自由,とりわけ権力に対する批判的な見解を述べる自由が不可欠である。このような民主主義の過程に着目するのが,表現の自由の「自己統治」における価値である。
 これら表現の自由の「自己実現」と「自己統治」における異議は,現在の世界の共通認識といってよい。

師岡康子 (2013). ヘイト・スピーチとは何か 岩波書店 pp.146-147

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