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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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勧告の無視

次の2010年3月に出された委員会のヘイト・スピーチに関する総括所見は,ヘイト・スピーチに関し,在日朝鮮人の学校に通う生徒らに対する不適切で下品な言動や,インターネット上での,特に被差別部落出身者に対して向けられた有害で人種主義的な表現や攻撃という事象が継続的に起きていることを懸念し,次の勧告を行った。
 第1に,四条の差別を禁止する規定を完全に実施するための法律を作ること。
 第2に,ヘイト・スピーチに対処するため,現行法を効果的に実施すること。
 第3に,人種主義的思想の流布に対するキャンペーンを行い,インターネット上のヘイト・スピーチや人種差別プロパガンダを含む人種差別を動機とする犯罪を防ぐこと。
 しかし,日本はこのような具体化された勧告にも従っていない。

師岡康子 (2013). ヘイト・スピーチとは何か 岩波書店 pp.75-76
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条約に「加入」「批准」

人種差別撤廃条約に加入したのは1995年である。「加入」とは,条約について署名を経ずに加盟することを指す。国が条約の内容に基本的に賛同し,将来的に条約に拘束される意志を表明する「署名」を経て加盟する場合は「批准」という。つまり日本は1965年の同条約の成立から30年の間,署名もせず放置したのち,146ヶ国目にやっと加盟したのである。95年の加盟は,部落解放同盟など当事者を中心とした長年の同条約への加盟を求める運動の成果ではあったが,他方で,前年94年にアメリカが批准してお墨付きを得,また,加盟を求めてきた社会党が与党となった特別な事情のもとでやっと実現したといえよう。

師岡康子 (2013). ヘイト・スピーチとは何か 岩波書店 pp.71

差別構造の強化

ヘイト・スピーチのもたらすもう1つの害悪は,偏見を拡散しステレオタイプ化し,差別を当然のものとして社会に蔓延させ,差別構造を強化することである。社会心理学者のゴードン・オルポートによれば,それは憎悪を社会に充満させ「暴力と脅迫を増大させる連続体の一部」であり,究極的にはジェノサイドや戦争へと導く。

師岡康子 (2013). ヘイト・スピーチとは何か 岩波書店 pp.61

ヘイト・スピーチがもたらすもの

批判的人種理論の論者であり,自らも民族的マイノリティであるマリ・マツダは,ヘイト・スピーチはマイノリティに対し,「芯からの恐怖と動悸,呼吸困難,悪夢,PTSD(心的外傷後ストレス障害),過度の精神緊張(高血圧),精神疾患,自死にまで至る精神的な症状と感情的な苦痛」をもたらすと指摘する。社会心理学者クレイグ・ヘンダーソンは,被害者に共通する心理的影響として,(1)継続する感情的苦悩,(2)自信喪失,(3)逸脱感情(自分は「普通」とは違いマイノリティであるから狙われたという自己認識),(4)自分を責める,などを具体的に挙げている。

師岡康子 (2013). ヘイト・スピーチとは何か 岩波書店 pp.53

人種「的」差別撤廃条約

もともと同条約の名称の原文は「人種差別」race discrimination ではなく,「人種的差別」racial discrimination で,条約の名称も「人種的差別撤廃条約」と訳せば誤解が少なかったであろう。第二次世界大戦後,国際社会においては,ナチスによる優等/劣等人種論や植民地主義,奴隷制への反省のもと,黒色人種,白色人種など,人類を種別化する「人種」の存在自体を否定する考え方が主流となっている。よって,人種差別撤廃委員会でも,前述の5つの差別の対象のうち,「人種」自体の存在を前提とする「人種」差別をほとんど扱わなくなっている。

師岡康子 (2013). ヘイト・スピーチとは何か 岩波書店 pp.42

ヘイト・スピーチとは

代表的論者のチャールズ・ローレンスは,ヘイト・スピーチを「人種的烙印の一形態としての攻撃」であり,標的とされた集団が「取るに足りない価値しか持たない」というメッセージ,「言葉による平手打ち」だと表現している。またブライアン・レヴィンは,ヘイト・スピーチは,それ自体が「言葉の暴力」であると同時に,物理的暴力を誘引する点で,単なる「表現」を超える危険性を有すると指摘,ヘイト・スピーチと暴力の関係を,「人種的偏見,偏見による行為,差別,暴力行為,ジェノサイド」の5段階の「憎悪のピラミッド」で説明している。
 このように,ヘイト・クライムもヘイト・スピーチもこの憎悪のピラミッドの中に位置づけられ,人種,民族,性などのマイノリティに対する差別に基づく攻撃を指している。

師岡康子 (2013). ヘイト・スピーチとは何か 岩波書店 pp.39-40

流行を牽引せよ

より危険が少ないのは,流行を追うのではなく,流行を牽引していくやり方だ。たとえば,ひとつの方法として,日頃から技術発展の動向に目を光らせておき,以前であれば時期尚早と棚上げされていた解決策として,そこで見つけた技術が使えないかと考えることが挙げられる。それに加えて,問題解決に必要な技術を自分で開発する手もあるだろう。もちろん,そのためには多大な労力が要求されるはずだ。だがその代わりに,ライバルたちと競争を繰り広げる必要はなくなる——わざわざ骨の折れる仕事をしようという者はめったにいないからだ。そのようにして,最先端の技術に疑いようのない親展をもたらせたなら,あなたは少なからぬ評価を受けることだろう。

ピーター・J・ファイベルマン 西尾義人(訳) (2015). 博士号だけでは不十分! 白楊社 pp.160-161

研究の多様性

研究者は広く浅くを目指すべきだとか,いろんなことに手を広げすぎて何の業績も残せない研究者になるべきだとか,そういうことを言うつもりは毛頭ない。だがそれでも,ひとつの関心だけでなく,ちょっとは違ったものに手を突っ込んでみれば,研究者として成功する可能性が高くなるのではないかとは思っている。たとえば,ある研究領域の人気がなくなったとき,すでに手を伸ばしていた他の領域の重要性が増すことがあるかもしれない。また,ある領域で学んだり発展させたりした優れたアイデアを,他の領域で応用できる場合もあるだろう。こうした応用は,その領域を発展させるための非常に効果的な手段になり得る。

ピーター・J・ファイベルマン 西尾義人(訳) (2015). 博士号だけでは不十分! 白楊社 pp.158

論文は多いほうが

ついでに言えば,論文数は少ないよりも多い方がいい。あなたを評価する人たちのなかには数字を気にするタイプもいて,そういう人たちに対して,いくつかの点でプラスに作用するからだ。彼らは論文数に注目するだけではない。論文がどれくらい引用されているかを調べるために,データベース(ウェブ・オブ・サイエンスなど)にもあたっているだろう。あなたの論文数が2倍になれば,その「客観的尺度」から数字好きの人たちが受ける衝撃も,およそ2倍にふくれあがる。こうした考えを下品だと思う読者もいるかもしれない。わたしもそうだ。だが,あなたの未来を左右する人たちのなかには,まず間違いなく数字を気にするタイプがいるはずで,そうした人たちを喜ばせることには何の不都合もないのである。

ピーター・J・ファイベルマン 西尾義人(訳) (2015). 博士号だけでは不十分! 白楊社 pp.156

教授は忙しい

最も多くの人が抱く不満は,研究室に顔を出す暇もなく,以前はとても楽しみにしていた研究活動を行う時間がほとんどもてない,というものだろう。教授には処理すべき業務が無数にあり,それを終わらせるために一心不乱に働かなくてはならない。そのため研究そのものに関しては,たいていの場合,他人の手を借りることになる。現場で実際に作業をしているのは,学生やポスドクである。控えめに言っても,教授には自分のために使える時間はほとんどないのだ。
 パーマネント・ポストに就いたのだからもう何もしなくていいのだとシニカルに考えているテニュアは,ありがたいことにほとんどいない(とはいえ,「役立たず」の教授は十分すぎるほどいて,まだテニュアを取得していない助教たちを苦々しい気持ちにさせている)。わたしが知っている教授たちは,1日8時間以上働くし,契約上はもっと長くとれるにもかかわらず,長期休暇も年に1〜2週間しかとっていない。
 教授職とは,事実上,複数の仕事をひとつにまとめたものだ。まず第1に,教育者でなくてはならない。講義ノートが古びて黄ばんでいたなんて話もよく耳にするとはいえ,人にものを教えるということを真剣に考えるなら,時代に即した,得るところの多い,首尾一貫した授業にするために,かなりの労力が必要になる。それに加えて,宿題一式と試験,有意義な実験室実習を用意する必要もあるし,オフィス・アワーは学生と過ごさなければならない。
 教授はまた,良き組織人であることも求められる。具体的には,数々の会議に出席して方針を決めたり,雇用や昇進について議論をする必要がある。意欲的な教授であれば,多くの時間をマネージャーとしての仕事に費やすだろう。その場合は,プロポーザルを書いたり,助成金管理の担当者に会うためにワシントンまで足を運んだり,ラボのスペースを確保したり,院生やポスドクを受け入れたり首にしたり等々を行う。
 科学コミュニティに積極的に貢献する必要もあるかもしれない。論文の査読やプロポーザルの審査,他の研究機関での講演,各種会議への出席は,時間をどんどん吸い取っていく。企業でコンサルティングをしたり,教科書を執筆しているのなら,それに輪をかけて時間がなくなっていくはずだ。こうした状況を見れば,教授には,小説を読む暇も子どもと遊ぶ時間もほとんどないことが難なく理解できるだろう。

ピーター・J・ファイベルマン 西尾義人(訳) (2015). 博士号だけでは不十分! 白楊社 pp.99-100

アウトラインを表示するか

ちょっと考えてみてほしい。あなたが最近読んだ小説や,観に行った舞台は,プロットのアウトラインの説明からはじまっていただろうか?政治家に立候補した人が演説をするとき,その候補者はアウトラインを表にまとめているだろうか?そんなことはないし,あなただって,原則的にはそうすべきではないのだ。
 口頭発表のためには,たしかにアウトラインを考える必要がある。だがそれは自分のデスクで個人的にすべきであって,発表の場ではストーリーを伝えることに専念したほうがいい。口頭発表は有機的に構成されるもので,しかもその構成が目に見えてはならない。バッハのフーガを聴いて感じるのと同様の必然性をもって,聴衆をアイデアからアイデアへと導くようにすべきだろう。

ピーター・J・ファイベルマン 西尾義人(訳) (2015). 博士号だけでは不十分! 白楊社 pp.67-68

口頭発表のスキル

覚えておきたいのは,論文を読む時間が豊富にあるプロの研究者など,ほとんどいないということだ。だから,なにか新しい研究で面白いものはないかと思えば,学会に出席し,セミナーで話を聞いてみようということになる。もしそこで自分の研究結果をうまく伝えられれば,支持者もぐっと増えるだろうし,そうした支持者を得ることは,ジョブ・セキュリティを高めるための優れた戦略だと言える。
 このように口頭発表は,研究者としてのキャリアを築き上げるうえで決定的な役割を担うので,準備をおろそかにするようなことがあってはならない。発表のうまい研究者を見て自分のセミナーにいかすのも,いい考えだ。

ピーター・J・ファイベルマン 西尾義人(訳) (2015). 博士号だけでは不十分! 白楊社 pp.61-62

あなたと競争しない指導教員を

したがって傑出した人物を指導教官として選ぶ利点とは,

1 その人物が属している「オールドボーイ・ネットワーク」,すなわちOB同士のつながりを利用できること(厳しい時代でも,あなたが生き残れるように手助けできる。ときには,あなたにその価値がない場合でさえ)
2 あなたと競争しないということ

 である。1については,考えるまでもなく明らかに有益だろう。だが2に関しては,経験のない人にとっては説明が必要かもしれない。
 もし指導教官がパーマネント・ポストを目指しはじめたばかりの若手であれば,証明すべきことはたくさんあるだろうし,学生やポスドクに出し抜かれるのを警戒し,それゆえ研究のアイデアや進展において彼らの貢献があったと認める寛容さをもちにくくなる。それとは対照的に,すでに名をなした人物が指導教官なら,学生たちの業績を誇りに思い,喜びさえ感じてくれるかもしれない。したがって,他の条件が同じであれば,すでに評価の確立した(テニュアを取得している)教員を選ぶ方が,よい選択だと言える。

ピーター・J・ファイベルマン 西尾義人(訳) (2015). 博士号だけでは不十分! 白楊社 pp.46-47

自分が勝つ確率

自分がいつの日かパーマネント・ポストに就けるかどうかを考える際には,次の2つの要因を考えてみるとよい。ひとつは,自分に適したポストで応募可能なものはいくつあるか,ということ。もうひとつは,それらのポストをめぐる競争で自分が勝つ確率はどれくらいあるか,ということだ。第1の要因に対してあなたができることは実質的にない(どうしてもと言うなら政治家に陳情するくらいはできるだろう。がんばりたまえ!)。そうであれば,意味があるのは第2の要因のほうに集中することだ。ポストが少ないと絶望していても,何も得るものはない。だが,いくつかめぐってくる機会に備えていれば,何かが手に入るかもしれない。

ピーター・J・ファイベルマン 西尾義人(訳) (2015). 博士号だけでは不十分! 白楊社 pp.43

相談相手を探す

本書は,研究者を目指すうえで有益となる考え方を知る一助になればと願い書いたものだ。だが,どんな著者であれ,一人ひとりの読者を待ち受けている個別の落とし穴は予見できない。それを考えれば,研究者としての一歩を踏み出すためにできる最善の準備とは,自分自身の手で「研究におけるおじ,おば」をさがすことだと言えるだろう。つまり,親戚のおじさん,おばさんのように,自分に対して権力をふるうことはほとんど(あるいはまったく)ないが,相談相手としては十分な経験を有していて,的確な助言をしてくれる人を見つけるのだ。
 指導教官以外の人たちと知り合うのに及び腰になってはいけない。これまで面識がなかった研究者たちも,他の人との交流をとても大切にしているはずだ。オフィスや研究所の閉ざされたドアの向こうでは,そうした研究者たちが日々多くの時間を過ごしており,そして誰もが誰かにアドバイスをしたがっているのである。

ピーター・J・ファイベルマン 西尾義人(訳) (2015). 博士号だけでは不十分! 白楊社 pp.35-36

クローン・ペット

2004年以来,ジェネティック・セイビングズ・アンド・クローン社のような企業が,ペットのクローンづくりを試み,数匹のクローン・ネコを作りだした。リトル・ニッキーは,飼い猫をなくしたテキサスの女性のために同社が作った最初のクローン・ネコで,費用は5万ドルだった。バイオアーツ・インターナショナル社は,社長の愛犬ミッシーのクローンづくりに成功した。しかし,商業的な取り組みの大半は,現在ストップしている。それは,失敗する確率が高く,無事誕生しても,早すぎる死や,愛するペットに外見も行動も似ていないことに,依頼主が不満を抱いたからだ。
 たとえば,87回の失敗の末に,2002年に誕生した最初のクローン・ネコCC(カーボン紙によるコピーの略)は,白地に灰色の縞模様の斑がある可愛いネコだったが,残念ながら,オリジナルのネコ,レインボーとは少しも似ていなかった。レインボーは,三毛猫だったのだ。三毛猫の茶と黒の色を決める遺伝子は,それぞれX染色体上にある。その発現の仕方がランダムなので,X染色体を2本ずつ持つメスは三毛猫になる(オスはX染色体を1本しか持たないので三毛にはならない)。X染色体が発現するかどうかは,エピジェネティックな作用(刷り込み)によるものなので,クローン——DNAの塩基配列が同一——であっても,模様の出方はそれぞれ異なるのだ。またCCの性格は,レインボーとは非常に異なっていたし,他にも目に見えない違いが数多くあると推測された。

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.342-343

幸福な行動

思慮深く悩みがちな性質は,ある状況ではその人を守るが,別の状況では,そうでもないらしい。ハーバード大学の心理学者,ダニエル・ギルバートとマシュー・キリンズワースは,iPhoneのアプリを利用して,3000人の被験者の思考や幸福度を,昼夜を問わず不定期に記録した。その結果,人は,何かに集中している時に,最も幸福度が高くなることがわかった。もちろんセックスはそのような活動のトップだったが,30パーセントの人は,その最中でも他のことを考えていた。

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.296-297

SPS値

さまざまな動物や,人間の脳スキャンによる最近の研究は,行動する前によく考えるかどうかという点で,わたしたちはいくつかのタイプに分かれることを示唆している。この特質はSPS(感覚処理感度)と呼ばれ,人格のあらゆる特質と同じく,遺伝の影響を受ける。
 SPS値の高い人は,早い段階から,自分の行動について熟考するが,同じ状況下でも,SPS値の低い人は,事態を楽観し,真っ先に行動する。先の章で,幼少時の虐待に対する反応の違いをもたらすとした可塑性遺伝子が絡んでいるのかもしれない。ルイーズとニッキーの行動が異なるのは,どちらかの,SPSに影響する重要な遺伝子がエピジェネティックに変更されて,ニッキーがより敏感で気難しくなった結果と見ることができる。

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.296

体液の構成が

13〜14世紀の,男性がたくましく,比較的背が高かった時代,平均的なイギリス人の食糧の大半は穀物だった。6種類の穀物(小麦,ライ麦,大麦,トウモロコシ,オート麦,キビ)が摂取カロリーの75パーセントを占めていたのだ。これを毎日大きなパンにして,濃いスープ(ポタージュ)と一緒に食べていた。そしてこれを飲み込むのを助けつつ,喉の渇きを癒やしたのは,1ガロン(約3.8リットル)の——幸運にも聖職者であれば,もっと多くの——弱いエール(ビールの一種)だった。他には,小さな庭で育てた豆や果物や野菜を食べるくらいで,魚は金曜日と,四旬節(復活祭の46日前の水曜から復活祭の前日まで)の間だけ食べていた。肉はめったに口にできないごちそうで,日常的に食べるのは金持ちだけだった。さらに,そんな時代にも食事の「権威」がいて,サラダと冷肉のように異なる食べ物を一緒に食べてはいけない,間違った順序で食べてはいけない,とあれこれ指導した。「豆を最後に食べてはならない。体液の構成がおかしくなり,腸内が腐敗するからだ」

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.217-218

宗教と食生活,寿命

文化的要因,慣習,遺伝子,そのすべてが,わたしたちが何を食べるかを決め,ひいては,菜食主義者になるか,果食主義者になるか,あるいは肉好きになるかを決めているのだ。食生活の違いが長期的に健康にどんな影響を及ぼすかは定量化しにくい。なぜなら,それは通常,喫煙や飲酒といった他のライフスタイルと関連しているからだ。しかし,肉を食べず,魚も少ししか食べないセブンスデー・アドベンチスト(安息日再臨派:プロテスタントの一派)は——ライフスタイル全体が他の人たちよりも健康的という側面はあるものの——アメリカの典型的な食生活をしているカリフォルニアの隣人たちより,平均で7年以上長生きしている。

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.209

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