こうなると,いよいよお役所的な「スキル教育」が無意味になってくる。かつてなら,スキル教育で階段の入口にエントリーしやすくすれば,あとは,エスカレーターに乗っていくことが可能だった。今はこの段階がない。求められるのは,高度な理工学系教育を受けた人材か,幹部候補生として習熟を積んだ人材に限られる。いや,これは言いすぎだった。中小・零細企業などでは今でも段階を用意して待っている企業は少なくない。ところが,こちらに関しては,働く側の「嗜好の壁」にぶつかり,応募する人が少ない。つまり,大企業における高度理系人材と幹部候補生となる難関大学卒業者,および中小零細企業での一般人材が不足し,他方では,人が余る,という構造になる。もう,ミスマッチというような,ちょっとした掛け違いを直せば元に戻る状況ではなく,ディスマッチと呼ぶのがふさわしい。
こんなディスマッチが生まれるくらいなら,過去に戻ればいい,と喝破するのは間違いだろう。経済成長の果実を社会全体が享受し,その結果,海外旅行にいつでも行けるし,ファーストフードも100円均一ショップも,かつてでは考えられないようなお買い得品を並べている。25年前は,給料が今より3割も安いのにマクドナルドのハンバーガーは250円もした。こんなに生活が楽だから,働く人は嗜好の壁を年々高くする。そして国際競争を考える企業は単純労働をパッケージ化し,残った正社員の仕事は高度化する。これは,社会の構造変化なのであって,一方的に過去が良かったわけではなく,いいことと悪いことが錯綜しているはずだ。
30年以上前,私の父親世代のころ,休みは週に1日しかなく,年間労働時間は,今より300時間も多かった。首都圏の小さなマンションは年収の8倍がアベレージで,手の届かない多くのサラリーマンたちは,片道2時間かかる遠方に家を建てた。本当に,過去はそんなに良かったのだろうか?
海老原嗣生 (2009). 雇用の常識「本当に見えるウソ」 数字で突く労働問題の核心 プレジデント社 pp.137-138
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