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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「認知・脳」の記事一覧

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平和的解決を

 脳の分割は,長らく科学というよりはむしろ技芸(アート)だった。医者が患者の多種多様な症状からぴたりと病気を言い当てたり,裁判官が多くの判例を整合的に解釈するのと同じく,脳の分割が,シンプルな方式ですっきり片付いたためしはない。脳を領域に切り分ける境界線の中には,明らかに恣意的なものもある。そのような境界線は,歴史的な偶然によって引かれたか,または神経解剖学者たちの誤りによって引かれてしまったのだろう。地球儀や地図帳に引かれた線と同様に,われわれの脳地図もまた,時間が経っても変わらない,客観的な真実を表しているわけではないのだ。新たな領域が作り出されることもあれば,領域を区切る境界線が変わることもある。境界をめぐって意見が対立し,研究者のあいだで辛辣な論争が起こることもある。理想を言えば,そのような論争は,関係者の粘り強い交渉によって平和的に解決されるべきだろう。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 292-293

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接続過剰・不足

 自閉症の原因に関するこの説が,骨相学的な証拠にもとづき,骨相学的な言葉で語られているのが,ちょっと気がかりだ。前にも述べたように,自閉症者の脳が大きいのは,平均としてそうなっているという統計的な話でしかない。個々の子どもについて,脳の大きさや表面積にもとづいて自閉症の診断を下すことは,不正確きわまりない。ニューロンの接続について「過剰だ」とか「不足だ」などと言うことも,脳のサイズが「大きすぎる」とか「小さすぎる」と言うのと同じく粗雑な骨相学の観点なのである。もしも自閉症がコネクトパシーのために引き起こされるなら,ニューロンの接続の違いは,接続の数ではなく,接続の組織化のされ方のほうにあるはずだ。そうだとすれば,コネクトパシーは現在のテクノロジーでは観察できないということになる。それゆえ,自閉症に関与する神経病理学的特徴も解明できないだろう。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 191-192

脳の発達の4段階

 脳の発達には,大きく分けて四つの段階がある。神経前駆細胞が分裂してニューロンができる段階,ニューロンが脳の中のしかるべき場所に移動する段階,枝を伸ばす段階,そしてニューロン同士がつながり合う段階だ。これら四つの段階のどれがうまくいかなくても,脳に異常が起こりうる。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 181

学習の可能性

 換言すれば,シナプスの生成それ自体は,脳に学習の「可能性」しか与えない。ランダムで「知的でない」プロセスだということだ。シナプスが生成されたというだけでは,先に述べた新骨相学の説とは裏腹に,何か新しいことができるようにはならない。シナプス生成を強化するような薬を使っても,脳が不必要なシナプスを速やかに除去できなければ,学習能力が高まることはないと考えられるのはこのためだ。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 161

まばらな接続

 しかしこの説にとっては残念なことに,すべてのニューロンが他のすべてのニューロンと接続しているという仮定は,目も当てられない大間違いなのだ。現実のニューロンはそれとは逆に,《まばら》にしか接続していない。現実に存在するのは,ありうる限りの接続の,ほんの一部にすぎないのである。ひとつのニューロンは,典型的なところで一万個ほどのシナプスを作ると推測されるが,脳の中には1000億個ものニューロンが存在するのだから,接続されるのはごくわずかのニューロンだ。しかしそれも当然といえば当然だろう。シナプスそのものも場所を取るし,シナプスを作るための樹状突起も場所を取る。もしもすべてのニューロンが他のすべてのニューロンと接続していたなら,あなたの脳は異様なほど大きく膨れ上がっていただろう。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 156

繰り返し逐次的に活性

 二つのニューロンが繰り返し同時に活性化されるなら,それらのあいだの接続は双方向に強化される。
 可塑性に関するこのルールは,ポップシンガーとそのボーイフレンドの場合のように,繰り返し同時に起こる二つの観念を結びつけるときにはうまく当てはまる。逐次的に現れる場合については,コネクショニズムの支持者たちは次のルールを提案した。
 二つのニューロンが繰り返し逐次的に活性化されるなら,第一のニューロンから第二のニューロンへの接続が強化される。
 ところで,これら二つのルールでは,接続の強化は永続的なものであるか,あるいは少なくとも長期的なものであり,その結果として連想は記憶にとどめられるものと仮定されている。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 149-150

シナプスの生成と除去

 1960年代にはほとんどの神経科学者が,子どもが成長して大人になってしまえば,もはやシナプスは生成されることも除去されることもないと考えていた。この考えは,経験的事実というよりはむしろ理論的思い込みだった。おそらく当時の神経科学者たちは,脳の発達プロセスを,電子装置を組み立てるようなものと考えていたのだろう。電子装置を組み立てるためにはたくさんの配線が必要だが,いったん装置が動き出してしまえば配線を変更する必要はない。あるいは神経科学者たちは,シナプスの強度を変えることは,コンピュータのソフトウェアを変えるのと同じように簡単だが,シナプスそれ自体は,ハードウェアのように変化しないと考えていたのかもしれない。
 しかしこの10年間に,神経科学者たちはその考えを180度転換した。今日では,大人の脳でもシナプスは生成されたり除去されたりするということが広く受け入れられている。二光子顕微鏡という新しい生体イメージングの手法を使って,ついに説得力のある証拠が直接的に得られたのである。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 144-145

観念と観念の結合

 ここで,記憶を想起するメカニズムに関するこの説をまとめておこう。観念はニューロンによって表され,観念と観念との連想による結びつきはニューロンの接続によって表され,記憶は神経細胞集合またはシナプス連鎖によって表される。記憶は,断片的な刺激でどれかのニューロンが発火し,そこからニューロンの活動が拡がったときに想起される。神経細胞集合の接続やシナプス連鎖は,時間が経っても安定している。子ども時代の記憶が大人になってからも残っているのはそのためだ。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 136-137

電気信号と化学信号

 要するに,ニューロンは化学物質によるものと電気信号によるものという,二つの方法で互いにコミュニケーションを取っているということだ。では,これら二種類のコミュニケーションの方法のあいだに,何か関係はあるのだろうか?その関係をひとことで言えば,つぎのようになる。通過する活動電位のスパイクが引き金となってシナプスが活性化され,神経伝達物質が放出される。シナプスの受信側では,レセプターがその神経伝達物質を感じ取り,それが引き金となって電流が流れる。これを少し抽象的に言うと,「シナプスは電気信号を化学信号に変換し,さらに電気信号に戻す」のである。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 100

スパイク

 樹状突起と軸索とでは,電気信号の性質も異なる。軸索では電気信号は鋭いパルス状になっている。そのような一過性の電位の変化を《活動電位》という。それぞれのパルスの持続時間は1ミリ秒(1000分の1秒)ほどである。活動電位はとがった形をしていることから,研究者はこれを「スパイク」と言うので,以下ではそう呼ぶことにしよう。神経科学者たちは,ニューロンが活性化することを,「ニューロンがスパイクした」と言うことがある。経済面のニュースでは,「銀行が大きな利益を出したというニュースが市場を活性化させて,株価が急騰した(スパイクした)」などと言うが,ニューロンが活性化されて電位が一時的に急上昇(スパイク)することを,縮めて「ニューロンがスパイクした」と言うわけだ。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 99

現代の骨相学者

 新骨相学者たちは,IQと,前頭葉および頭頂葉の大きさとのあいだに相関があることを示した。この相関は,IQと脳の全体としてのサイズとの相関よりもわずかながら大きく,知能に関しては,これらの領域が特に重要だとする説とも合致する(それに対して後頭葉と側頭葉は,主に感覚的な能力,たとえば視角や聴覚のような能力をつかさどっている)。とはいえその相関は,がっかりするほど弱いのだが……。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 51

ブローカとウェルニッケ

 ブローカとウェルニッケ二人の研究から,話すことと理解することとは切り離されているという,いわゆる「二重乖離」が示された。ブローカ野が損傷を受けた場合,言葉を発することはできなくなるが,理解することは問題なくできる。ウェルニッケ野が損傷すると,理解することはできなくなるが,言葉を発することはできる。このことは,心が「モジュール(機能部品)」から組み立てられていることを示す重要な証拠となった。言語能力は,他の動物にはなく,人間だけが持つ能力だから,それ以外の心的能力とはっきりと区別されていても不思議はないと思えるかもしれない。しかし言語能力がさらに,言葉を生み出す能力と,言語を理解する能力とに分割されるかどうかはそれほど自明ではない。あるいはブローカとウェルニッケ以前は自明ではなかった。二人はそれら二つの能力が,確かに分割されていることを明らかにしたのである。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 47-48

皮質の分け方

 皮質をどう分けるかという問題が初めて持ち上がったのは,19世紀のことだった。それまでは,皮質には脳を覆うという役割しかないと思われていたのだ(「cortex(皮質)」という言葉は,樹皮などの「皮」を意味するラテン語に由来する)。1819年のこと,ドイツの医師フランツ・ヨーゼフ・ガルが「臓器学」を提唱した。ガルが着目したのは,人体の器官はいずれも,独自の機能を持っているということあった。胃は食べ物を消化するためにあり,肺は呼吸をするためにある。だが,脳はひとつの器官と見なすには複雑すぎるし,頭の働きもひとつの機能というには複雑すぎる。そこでガルは,その両方をいくつかに分けることを提案した。とくに彼は皮質の重要性に気づいており,皮質をいくつかの領域に区分し,まとめて「心の諸器官」と呼んだ。
 後年,ガルの弟子であるヨハン・シュプルツハイムは「骨相学」という言葉を導入したが,今ではこちらのほうが,ガルが与えた臓器学という言葉よりも普及している。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 43-44

大脳の話

 大脳は果物で,脳幹はそれを支える茎,小脳は両者の分かれ目を葉っぱのように飾っている,とイメージしてみよう。小脳は,体をスムーズに動かすためには重要だが,これを取り除いても知能にはほとんど影響がない。脳幹に損傷を受ければ人は死ぬこともある。なぜなら脳幹は,呼吸をはじめとして,生命に直接かかわるいくつもの機能を制御しているからだ。それに対して大脳は,大きく損傷しても生存に支障はないが,意識はなくなる。おおざっぱに言って,これら三つの部分の中で,人間の知能にとってもっとも重要とみられるのは大脳である。大脳は,われわれの知的能力のほとんどすべてを決定していると言ってよい。また,大脳はこれら三つの部分の中でサイズ的にも最大であり,脳の容積の85パーセントほどを占めている。
セバスチャン・スン 青木薫(訳) (2015). コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか 草思社 pp. 42

遺伝とIQのよくあるパターン

 実際この経緯は,遺伝学とIQをめぐる研究の一般的なパターンである。まずIQに関わる遺伝子変異を見つけたと言い出す研究者が現れる。そして新たなデータを手に入れると,先の主張は誤りだったと悟るのだ。
 クリストファー・チャブリス率いる研究者チームによる最近の研究では,IQに関わる遺伝子変異についての12の有名な科学的発表を,1万人ものデータをもとに検証した。その結果,12の先行研究が報告した相関性のどれ1つとして再現できなかった。
 これらの主張はどこがいけないのか?いまや科学界でははっきりしていることだが,人間のゲノムには数百万通りもの違いがある。ごく単純に言えば,数が多すぎて試験しきれないのだ。
 山ほど多くのツイートを調べて証券市場の上げ下げとの関連を調べたら,やがてある種のツイートがそれを解く鍵だという結論に達する。だがそれは,まったくの偶然の産物だ。
セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ 酒井泰介(訳) (2018). 誰もが嘘をついている:ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性 光文社 pp. 283-284

分散制御システム

 神経科学の用語を使うなら,脳は「大規模並列処理をする分散制御システム」だと言える。つまり,脳はおびただしい数の微少な「プロセッサ」――ニューロン――を持ち,これらのプロセッサは並列処理する一方で全体に分散している。したがって脳にとって解決すべき問題は,これらの分散リソースすべて――その動物が知っていることの総体――をどう統合し,課題(たとえばナビゲーション)にどう立ち向かい,不測の事態(嵐など)にどう対処するかになる。


 この作業は「認知的統合」と呼ばれる。ハチの脳には約100万個のニューロンしかないが,この作業をやってのける。約1000億個のニューロンを持つヒトの脳もやはり同じことをおこなう。



ジェニファー・アッカーマン 鍛原多惠子(訳) (2018). 鳥!驚異の知能:道具をつくり,心を読み,確立を理解する 講談社 pp. 348-349


鳥の脳

 明らかに,作業記憶は層状の大脳皮質がなくても可能なのだ。ヒトと鳥で「ちがっているのはヒトの言語能力のみです」と,ドイツのボーフムにあるルール大学の神経科学者オヌール・グントルクンは述べる。「作業記憶を可能にしている神経過程はどちらの種でも同じようです」



ジェニファー・アッカーマン 鍛原多惠子(訳) (2018). 鳥!驚異の知能:道具をつくり,心を読み,確立を理解する 講談社 pp. 92


有利な場合

 どんな場合でも,頭脳馬力や意識的な集中が多いほうがよいという考えは,新しい言語を学習するうえでも,何百回と練習してきたパットを決める際にも,当てはまらないのである。むしろ,場合によっては,ワーキングメモリーを文字どおり完全に眠らせるほうがよい場合もある。急速眼球運動睡眠(レム睡眠)は前頭前皮質の活動が減り,感覚皮質のような脳領域が活発になることが特徴となっている。最近の研究では,レム睡眠のあと,人はばらばらに思われていた情報の関連がよりよくわかるようになることが証明されている。そうなる一つの理由は,ワーキングメモリーと前頭前皮質が活発に動かなくなると,一見,明らかでないつながりが形成されるからだ。
シアン・バイロック 東郷えりか(訳) (2011). なぜ本番でしくじるのか:プレッシャーに強い人と弱い人 河出書房新社 pp. 99

注意のコントロール

 最も難しい情報に注意を傾け,さほど重要でないデータを無視することは,ワーキングメモリーの多い人が非常に得意なことだ。多くの場合,注意力をコントロールするこの能力は有利に働く。これは前述の二番目の論理的な問題では,確かに言える。結論が前提から論理的に導かれるかどうか正しく答えるために,「イルカは歩ける」という文の信憑性を無視しなければならないような場合だ。しかし,つねにそうであるわけではない。焦点が絞られることで,問題にたいする別の解決策を察知できなくなることもありうる。この狭い焦点は,身の回りの予期しない出来事に気づく能力を損なうことすらある。
シアン・バイロック 東郷えりか(訳) (2011). なぜ本番でしくじるのか:プレッシャーに強い人と弱い人 河出書房新社 pp. 91

論理的思考

 次のような問題を例に考えてみよう。
 (1) 前提 哺乳類はすべて歩ける。犬は哺乳類である。
      結論 犬は歩ける。
 この結論は前提から論理的に導かれるだろうか?
 では,次の問題はどうだろうか?
 (2) 前提 哺乳類はすべて歩ける。イルカは哺乳類である。
      結論 イルカは歩ける。
 この結論は前提から論理的に導かれるだろうか?
 イルカは歩けない。しかし,双方の前提が正しいのであれば,答えはどちらも「はい」になるはずだ。
 このように出題されると,ほとんど誰もが最初の問題は正しいと答える。最初の問題では,前提から得られる結論が論理的であり(二つの前提からそのような結果になる),かつ信じうる(実際,犬が歩けることを私たちは知っている)からだ。ところが,二番目の問題では,うまく対処できる人とそうでない人がでてくる。なぜだろうか?二番目の問題は論理的な思考のプロセスが必要となるだけでなく,結論の信憑性に関して情報を制限することが必要となる。意思決定の過程にひそかに入ってくる情報だ。このような論理的作業をうまくこなせるかどうかを予測するものとして知られる認知能力の一つが,ワーキングメモリーなのである。
シアン・バイロック 東郷えりか(訳) (2011). なぜ本番でしくじるのか:プレッシャーに強い人と弱い人 河出書房新社 pp. 84-85

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