I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「社会一般」の記事一覧

リスク回避型

 グラント教授は,一般スタッフに対して,イノベーションの機会や権限をきちんと与えていないリーダーが多いとします。イノベーションは,特別な才能を持つ人が行うというのは思い込みであって,実際には,ほとんどの人が,斬新な思考や問題解決という点で相当優秀な力を持っており,組織が「調和の押しつけ」を行っていることが,そうした能力の発揮を妨げているというのです。たしかに,私も,学生の一見突拍子もないアイデアに,あとで感心することが,よくあります。普段,調和を押しつけていることはないと,自分では思っていますが。
 そして教授は,起業家の中でも長期にわたって成功しているのは「リスク回避型」の人々であり,そうでない人々(異才)は,華々しく活躍しても短期で終わるとも述べています。
植村修一 (2018). “社風”の正体 日本経済新聞社 pp. 119-120

不変の企業文化はあるか

 ひとついえるのは,少なくとも企業の成長にとって,時代や環境がいくら変わっても有効であり続ける企業文化は,(ないとはいえないが)あまりなさそうであること,必要に応じ文化も変われることが,長く成長を続ける上で有効でありそうなことです。
植村修一 (2018). “社風”の正体 日本経済新聞社 pp. 51

声が大きい人

 ちなみに,雇用の流動化促進を積極的に唱える論者には,大学教授やエコノミストなど,「その世界」での流動化に対応できる人や,すでに成功している人が多いように思いますが,偏見でしょうか。
植村修一 (2018). “社風”の正体 日本経済新聞社 pp. 21

ルール軽視

 スタートアップ企業は,「ルールを曲げてもいい」と思い込んでいるふしがある。ウーバーやエアビーアンドビーのように,規制に逆らうことでビジネスを構築してきた会社もある。だから,法律がバカなのに,何で従わなくちゃいけないの?というわけだ。スタートアップ企業に言わせれば,「IT企業が近道をするのは,大義のため」なのだ。
ダン・ライオンズ 長澤あかね(訳) (2017). スタートアップ・バブル:愚かな投資家と幼稚な起業家 講談社 pp. 245

日本的では?

 多くのIT企業は社員を粗末に扱っておきながら,忠誠心を求め,雇用主に対してスポーツファンがチームに抱くような愛情を示してほしいと期待している。ハブスポットの社員は,「会社のニーズは,あなたのニーズより大切だ」と聞かされる。「チーム>個人」という表現で,ダーメッシュはそれをカルチャーコードの中で示し,コードには「われわれが愛する会社をつくる」というサブタイトルをつけた。でも,いったい誰が,会社と恋に落ちるというのだ?「私達は家族じゃない」なんて言われながら。
ダン・ライオンズ 長澤あかね(訳) (2017). スタートアップ・バブル:愚かな投資家と幼稚な起業家 講談社 pp. 185

電話営業

 ところが実際は昔ながらのコールセンターを運営し,薄給の若者を大量に雇って,来る日も来る日も何千本もの電話をかけさせている。ハブスポットはこの部屋を内緒にしているわけじゃないが,大っぴらに語るわけでもない。愛すべき,魔法のような,1足す1を3にしてくれる場所——じゃないことはたしかだ。真実を言おう。IT企業の大半が,電話営業もしている。理由は単純,安いからだ。年商400億ドルのソフトウェア企業,オラクルだって,何千人もの大学生を雇ってコールセンターに詰め込みだした。販売コストを下げるために。
ダン・ライオンズ 長澤あかね(訳) (2017). スタートアップ・バブル:愚かな投資家と幼稚な起業家 講談社 pp. 155

幼稚園そっくり

 それにしてもこのオフィスは,うちの子たちが通っていたモンテッソーリ教育の幼稚園に驚くほどよく似ている。明るい原色がふんだんに使われ,たくさんのおもちゃがあって,お昼寝部屋にはハンモックが吊るされ,壁には心安らぐヤシの木が描かれている。オフィスを遊び場のようにするトレンドはグーグルが最初だが,今では感染症のようにIT業界に広がっている。ただ仕事をするだけじゃダメ,仕事は楽しくなくちゃ!
ダン・ライオンズ 長澤あかね(訳) (2017). スタートアップ・バブル:愚かな投資家と幼稚な起業家 講談社 pp. 20

自分か他人を欺く

 結局のところ,私であれ,ほかの誰であれ,あるサイキックを指さして,意図的に相談者を騙していると言うことはできない。本当に他人の心が読めるのでなければ,そんなことは不可能だ。私に言えるのは,サイキック能力などというものが存在しないとすれば,自分はサイキックだと主張する者はみな,自分自身を欺いているか,他人を欺いているかのどちらかでしかない,ということだ。
イアン・ローランド 福岡洋一(訳) (2011). コールド・リーディング:人の心を一瞬でつかむ技術 楽工社 pp. 381

証明など不必要

 [例]「私に会いに来られる方の多くは,何か心に重くのしかかってくるものを抱えています。生活のある面で何らかの答えを求めていて,トンネルを抜けて光を見たいと思っているのです。あなたの場合は,何なのでしょう?」
 これはあまりにも簡単で,コールド・リーディングのプロセスにおいて何かの役に立つとは思えないかもしれない。しかし,必ずしもそうではない。すべてはリーディングの正確と相談者の態度しだいだ。お金を払ってサイキックに相談に来る人の多くは,すでに乗り気になっている。サイキックとリーディングの体系を信頼していて,サイキック能力の「証明」など求めておらず,必要ともしていない。こういう人たちは助けを求めており,手を差し伸べるサイキックが底にいる。話が細部に及ぶのは,早ければ早いほどいいわけだ。
イアン・ローランド 福岡洋一(訳) (2011). コールド・リーディング:人の心を一瞬でつかむ技術 楽工社 pp. 136

普段から

 ついでに書いておくと,多くのコールド・リーダーは,リーディングをしていないときでも「まぐれ当たりを狙う推測」を始終やっている。たとえば,初めて会った誰かと話すとき,相手の星座,親戚の名前,趣味を気軽に当ててみようとする。間違えても別に罪にはならないし,きちんとラポール(信頼関係)を築いていないうちに話したせいだと言い訳できる。一方,もし推測が正しければ,何気なくしゃべって的中したことを宣伝に利用できる。
イアン・ローランド 福岡洋一(訳) (2011). コールド・リーディング:人の心を一瞬でつかむ技術 楽工社 pp. 103-104

成果給がなじまない場合

 もうお気づきのように,「職務給」と「成果給」には向き不向きがある。日本型成果給は,本当に高度な人材には,適合的だといえる。企業の経営に責任を負うべき企業の上層部,真にハイパフォーマンスな社員については,あらかじめ労働市場で処遇を決定したり,仕事の内容をある程度確定するということも難しいだろう。実際に,実力があるのなら,目標設定も「対等」に結ぶことができるかもしれない。


 一方で,ブラック企業の労働者は,いかに店長が社内では「管理職」とされていたとしても,そして「新入社員が全員幹部候補生だ」と言われていたとしても,やはり会社経営者に責任を負えるような役職ではないし,それだけの対価を得ているわけでもない。労働集約型の労働であるために,「無理な命令」をすればするほど企業は儲かる。だから,日本型成果給はまったくなじまないのだ。



今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 273-274


社会人としてのマナー

 労働法の権利行使は,「社会人としてのマナー」である。


 なぜなら,「企業に入ったら法律など関係ない。とにかく言われた通り頑張るべきだ」という発想では,本当は「社会人としての責任」を取ることができないからだ。うつ病の場合がわかりやすい。ブラック企業は長時間労働の末に,精神疾患になるまで働かせる。だから,「頑張っていればいい」では済まないし,「自己責任」などはとることもできない。



今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 239


闘いが裏切りに思える

 だから,個人が企業と争う際にも,みんなが「一体化」しているときに自分だけ争ってよいものか,と考えてしまう。とても強い「背徳感」に襲われる。私が労働相談を受けていても,「他の同期に悪い」とか「店長に迷惑がかかる」と考える方は本当に多い。


 こうして彼らは,「企業の業績」に一体化するあまり,逆に自分自身の健康は二の次になってしまう。また,社会全体にうつ病が蔓延していけば,結局日本の国際競争力を引き下げることになるのだが,そんなことよりも,今勤めている「ブラック企業の業績」がなによりも重要なものだと思えてしまう。


 だからこそ,「会社と闘うこと」は,みんなが「企業の業績」と一蓮托生で頑張っていることへの「裏切り」だと思ってしまうのである。さらには,自分が「闘い」を仕掛けることで,企業が競争で淘汰されるかもしれないという恐怖をも感じている。



今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 212-213


ひたすらサービス残業へ

 それが特に大きな問題になるのが,すれに述べた労働集約的で,個人の努力だけでは生産性が上がりようもない職場での成果給の導入だ。労働集約型の職場で「企業の社員化」が起こると,無理な業務目標を,ひたすらサービス残業で実現するしかない。



今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 211-212


強制された自発性

 このように,もともと「年齢給」だった年功賃金は,ベースとなる「仕事の評価」を欠いているのが特徴となっている。ここに考課・査定で評価を加えようとすると,それは,具体的な仕事に関する評価ではないため,個人的な属性である意欲や態度などあいまいなものになってしまう。勤続年数や,実質的に性別もこれに加わる。


 具体的な仕事で評価されるものではないために,社員たちは「自発的」に会社への貢献をしようとする。そうした姿勢すべてが考課・査定の対象になる。だから,自分の仕事はここまでで充分,とはなりにくい。そして,この「会社への貢献」は底なしなのである。こうして高い意欲が喚起されることを,労働社会学者の熊沢誠氏は「強制された自発性」と評した。


 こうした「強制された自発性」についても,「労働モチベーションが高いことがなぜ悪いことなどだ?」と違和感をもたれた方もいるかもしれない。だが,この場合にも,やはり「自発性」に付け込んで,無理な働かせ方をする企業は後を絶たないのである。そして,近年悪用する企業がますます増えている。



今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 210-211


「生きるか死ぬか」ではない

 私が思うに,「生きるため」,あるいは「生きられるから」「生活に希望が持てるから」「豊かになれるから」こそ,日本の社員たちは頑張ってきた。そして,その結果としての偉業だったのではないだろうか。


 日本で排出した多くのノーベル賞受賞者が,「終身雇用」の研究者だったという事実も重要だ。もちろん,偉業を成すためには研究への没入は必要だが,それは明日クビになるかもしれない,「生きるか死ぬか」などという状態で,生み出されたものではなかった。


 「生きることよりも仕事」という理想像は,あまりにも純粋で,従来の仕事へと没入した日本的「エリート像」からも圧倒的にかけ離れているのである。



今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 149


「安く・長く」

 つまり,どれだけの時間,どれだけの賃金で働いたのか,ということが重要になる。社員が「安く・長く」働くほど,利益は大きくなっていくのだ。こうした点は,製造業を中心とした従来型産業とは異なっている。研究開発や製造工程の革新で,大きく生産性を上げることができる場合には,「安く・長く」以上のイノベーションがある程度可能だからだ。



今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 143


虐待に似ている

 ブラック企業では,正常ではない状態が「常態」となり,労働に駆り立て続けている。それはまるで「虐待」にも似ている。いくら人員が不足していても,目標の数値が無謀なものであっても,妥協はしない。それどころかもっと少ない人員で,もっと高い数値を,常に追い続けなければならないのである。


 業務の重圧によるプレッシャーと長時間労働は,やがて「心身の喪失状態」をもたらす。ある意味では,ブラック企業はこれを「戦略」の中に組み込んでいる。すべての社員とは言わないまでも,常に新しい人材が「正社員」として引き入れられ,そこで「心神喪失状態」に陥れられる者が出る。その状態が一定期間続くと,病気などを理由に退職する。そしてまた,新たな人員が雇われる――。



今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 113-114


入社前にはわからない

 入社前に「わからない」理由は大きく分けて2つある。まず,募集要項や契約書と実際がかけ離れている。つまり,「契約段階で騙す」ということだ。序章で示した「月収の誇張,虚偽の条件で募集」や「正社員ではないのに偽装」もこれに当たる。直接的に騙しているので,こちらは比較的理解しやすい。
 これに加え,第2の理由がある。それは,入社後に労働の要求が際限なく膨れ上がっていくということだ。これでは入社前に,「どのくらいの仕事」が要求されるのか,まったく予測がつかない。契約書などの偽装に加え,この「労働の無限性」が「わからないで入る」最大の理由である。
今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 63-64

感動して入社する

 「死」という言葉が軽々しく投げかけられる。安っぽいCMと同じような,眉唾物だと思った読者も多いことだろうと思う。しかし,学生たちにとって,これらの言葉は燦然と輝き,自らの道を照らしてくれているように映る。だからこそ,企業説明会で「感動」し,涙を流して入社を決意する。


 このような言葉は決して「空文句」ではない。実際に好感をもたれ,勧誘の「効果」があるからこそ用いられている。この内実がいかに「ブラック」で当人自身を破壊するものであったとしても,実際に若者の心に響くのは「警告」ではなく,苛烈な競争社会への勧誘の言葉の方なのだ。



今野晴貴 (2015). ブラック企業2:「虐待型管理」の真相 文藝春秋 pp. 59


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