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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「社会一般」の記事一覧

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採用される能力

 この仕組みに合致するために必要なのは,具体的には以下のような能力となるだろう。
 (1)忍耐力・継続力
 (2)思考力(論理構成)
 (3)咀嚼力・説明力(話す・聞く)
 (4)協調性(仲間とうまくやる)
 (5)社会的応力(マナー,ルールを守る)
 この5つが揃っていれば,そこそこの企業に採用はされる。ところがこの5つが最近(いや昔からか)の大学生には乏しい。だから就職が覚束なくなる。
海老原嗣生 (2016). お祈りメール来た,日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 文藝春秋 pp. 245-246

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層が分離する

 経理で考えても,事務処理から入って,支店会計,本社に戻って本社会計,財務会計を一通り覚えたら,管理会計,その後はIR(投資家向け広報)とステップを踏まなければ上級者にはなれないだろう。
 企業の人事権が弱い職務型別雇用の場合,前任職をどかしてまで,若年者にこうしたポストを次々用意することは難しい。だから精鋭のエリートにのみ手厚く,その他多数には個別ポジションに安住という形になってしまうのだ。結果,給与も職位も上がらない大多数の人間と,猛スピードで上を目指すエリート層とに分かれる。
海老原嗣生 (2016). お祈りメール来た,日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 文藝春秋 pp. 211

未経験者を採用するから前倒しになる

 繰り返すが,日本型では未経験者を大量に採用する。この方式であれば,職務経験も学業成果も不要で,企業の採用軸は,「人間性」と「基礎能力」だけに絞られる。とすると,採用はいくらでも前倒しが可能になる。だから,日本企業は採用を早期化してしまう。いつでも採れるのに,卒業後まで待っているわけなどない。
 「通年採用すべし」や「自由化すべし」という意見もまったく同様だろう。すべて早期化に集約していく。採用早期化が進むと,学業阻害は著しくなる。教育界からすれば,自由化・通年化などは百害あって一利なしである。
海老原嗣生 (2016). お祈りメール来た,日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 文藝春秋 pp. 206

簡単には採用されない

 そもそも,欧米は「新卒採用を日本のようにしない」のだから,遊学していただけの未経験者を簡単には採用してくれないだろう。だから,あれほどインターンシップをして,死に物狂いで,手に職をつけている。
 日本型の新卒偏重を問題視するあまり,欧米では遊学者さえも大手企業で採用されているような幻想を生んでいるのだ。
海老原嗣生 (2016). お祈りメール来た,日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 文藝春秋 pp. 168

入ってからか入る前か

 日本と欧米,とりわけ欧州を比べた時に,産業と教育の接合に大きな違いがあることは,すでによく知られている。その違いを,ものすごく単純化して語るならば,以下のようになるだろう。
・日本の産業界は,職業教育は会社に入ってから自社で行う。それを教育界には求めない。企業が採用時に気にするのは,出身校の偏差値であり,あとは,本人のキャラクターや基礎能力となる。
・欧州の産業界は,職業教育されて実務能力のある人を雇う。だから,教育界に職業教育を求める。それぞれの仕事ができる・できないが,採用の基準となる。
海老原嗣生 (2016). お祈りメール来た,日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 文藝春秋 pp. 131

整理解雇と能力解雇

 本来解雇とは,「仕事がなくなる(整理解雇)」か,「その仕事が全うできない(能力解雇)」ときに起きる。欧米的な職務限定型雇用であれば,自分が契約しているポストがなくなるか,それが全うできなければ,解雇の事由となりうる。だから,本来は,解雇が簡単なのだ。逆にいえば,それが理論上たやすいがために,欧州諸国では厳罰を法律化して制限している。
 一方の日本は,職務を限定していない。とすると,「現在就いている仕事がなくなっても,他に異動させることで対処すべし(=整理解雇が難しい)」となる。同様に,「現在就いている仕事が全うできないなら,他の仕事に異動させろ(=能力解雇が難しい)」ともなる。
海老原嗣生 (2016). お祈りメール来た,日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 文藝春秋 pp. 103

ゆで蛙

 この流れ=「できることから任せて,徐々に難しく」という日本流の育て方を人事の世界では「ゆで蛙」と呼ぶ。
 蛙はいきなり熱い湯に入れられれば,耐えられず飛び出してしまうが,水を張った鍋に入れて,ゆっくり温めていくと,高温になっても鍋にとどまる。日本型キャリアステップも,いきなり難しい仕事につけるのではなく,最初は誰でもできる仕事を任せ,ゆっくり仕事を入れ替えて,知らない間に難しくする点を,ゆで蛙にたとえているのだ。
海老原嗣生 (2016). お祈りメール来た,日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 文藝春秋 pp. 99-100

OJT

 このOJTとは何なのだろう。
 単純に一言でいえば,こうなる。
 「できそうな仕事を寄せ集めてやらせ,慣れて腕が上がってきたら,少しずつ難しい仕事に入れ替えていく」
※On the Job Training 職務の中で覚えさせる形で行う教育
海老原嗣生 (2016). お祈りメール来た,日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 文藝春秋 pp. 96

米国と日本

 向こうでエポックメイキングなことをするのは,ベンチャーやサードパーティばかりだ。こうした企業の創業者は,基本,ガリ勉ではないから,欧米のエクセレントカンパニーには入れない。だから自分で会社を立ち上げる。あちらで上位大学からドロップアウトして起業する人が多い理由もこのあたりにある。
 一方日本はどうだろう?大学さえよければあとは成績は関係ない,という社会だったので,企業の選考が緩く,山っ気のあるガリ勉ではない人間がけっこう紛れ込んでいる。だから,大手からエポックメイキングなことが発せられる。
海老原嗣生 (2016). お祈りメール来た,日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 文藝春秋 pp. 64

100年間繰り返し

 こうして1世紀近く,「不況なら就職できない」「好景気だと青田買いで大わらわ」と世間は就活で騒ぎ続けた。
 いずれにしても,学生がこんな風に就活に時間を割かれれば,そのしわ寄せは学業に来る。これは大学側としては由々しき問題だ。だから,教育界は企業に自粛を促す。
 企業は大学側のこうした要望を快くは思わないが,その実,企業同士の,際限ない青田買い競争にも辟易としている。だから,落としどころを探り,「就職協定」なるものが生まれ,競争が一時的に緩和される。ところが,景気が過熱して新卒採用ワクが膨れると,こんなルールは無視され,やがて形骸化する。
 100年近くずっとこの繰り返しだったのだ。
海老原嗣生 (2016). お祈りメール来た,日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 文藝春秋 pp. 25-26

規格の一元化

 コンピュータ学者であるアンドリュー・タネンバウムはかつて「規格についてすばらしいのは,選ぶべきあまりにも多くの規格があることだ」と皮肉を言った。彼が何のことを言っているのか,私にはわかる。リモコンでも,時計でも,あるいはその他の家にある装置が動かなくなったときには,私はいつも居間にある大小の電池類—たいていは適切なものが見つからない—がごたまぜになったキャビネットを引っかきまわすことになる。もし一種類だけしか電池がなかったら,生活はずっと楽だろう。あるいは一種類だけのコーヒー・フィルター,データ保存媒体,あるいはコンピューターのOSでもいい。
 もっと古い技術でさえ,この問題に悩まされている。公共電力事業ができてから一世紀以上たつが,世界中で14の互換性のないコンセントが存在していて,よその国からやってきた何百万人という海外旅行者たちにとって,日々持ち歩くラップトップ,ヘアドライヤー,電気カミソリ—およびコンセントの合わないアダプター—は,悪態の種である。
 自然はちがう。自然はエネルギー備蓄の規格を一元化してきた。力学的(建物を破壊するために打ち込まれる鋼球),電気的(コンピューターを動かす電流),あるいは化学的(原子どうしを結びつけて分子にする結合力)など,エネルギーを取り出す多様な形態のなかで,生命のお気に入りは,化学的エネルギーである。単細胞の細菌類からシロナガスクジラまで,地球上のすべての生物は,エネルギーを,アデノシン三リン酸,すなわちATPという分子に貯えるという規格化された方法を使っている。この分子の高エネルギー結合が切断されると,エネルギーは別の分子に移転され,エネルギーがそれほど高くないアデノシン二リン酸(ADP)ができる。高エネルギーのATPをつくりなおすには,特別な酵素の手を借りて,燃料となる分子からエネルギーを摂りだしてADPに移転することが可能である。
アンドレアス・ワグナー 垂水雄二(訳) (2015). 進化の謎を数学で解く 文藝春秋 pp. 88-89

19次のつながり

 数は少し異なるかもしれないが,他にも同様に少ないリンクでつながっているネットワークがある。たとえばウェブは19次のつながりでつながっている。つまり平均19回クリックしてリンクをたどれば,どのウェブサイトでも見ることができるというわけだ。19回は一見多いように思えるかもしれない。だが,今や10億以上のウェブサイトがあることを考えれば,小さな数だと言えるだろう。サイト間のリンクがランダムなら,10億はおよそ3の19乗なので,1ウェブサイトあたりのリンクの数は平均してたった3つということになる。
レン・フィッシャー 松浦俊輔(訳) (2012). 群れはなぜ同じ方向を目指すのか? 白揚社 pp. 158-159

一発屋ではない

 何らかの問題に関心を向けさせ,それが公共の議題として扱われ続けるようにしたいとき,正のフィードバックは非常に有効な手段になりうる。多くの活動団体がこのことに気づき,あれこれ試みているようだが,より有効に使うには,もう少し頭を使って計画する必要があるだろう。蟻コロニー最適化から得られる教訓を採用するならば,最善の戦略とは,大量の投書をいっぺんに出して後はそのままにしておくことではなく,活動団体のメンバーに問題のいろいろな側面について着実なペースで投書をさせることだ。この方策は,フェロモンの濃度を継続的に高めることで蒸発を防ぐのと同じであり,ここからまた別の規則が現れてくる——ある問題に集団や社会全体の注目を集めようとするときは,一発屋を目指すのではなく,時間の経過に従って次々と別の面を押し出す計画を立てること。
レン・フィッシャー 松浦俊輔(訳) (2012). 群れはなぜ同じ方向を目指すのか? 白揚社 pp. 66

Googleの魔法

 前世紀にネットを使っていた古株なら,メタクローラー,ライコス,アルタビスタなどをはじめ,当時のさまざまな検索エンジンを覚えているはずだ。そしてこれらがもう1つ頼りにならなかったことも。運が良ければ探し物が見つかるが,たいていそうではなかった。1990年代後半に最も人気のあった検索エンジンに「ビル・クリントン」を入力すれば,検索上位に気まぐれの様に現れるのは「ビル・クリントンはクソ」などという誹謗サイトか,クリントンをこき下ろすジョーク集などだった。現職大統領についてのまっとうな情報が得られることはめったになかった。
 1998年,グーグルが現れた。そしてその検索結果は,明らかに他を圧倒していた。1998年に「ビル・クリントン」と検索すれば彼のウェブサイトを筆頭にホワイトハウスのeメールのアドレスやネット上で最高の評伝が表示された。グーグルは魔法のようだった。
セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ 酒井泰介(訳) (2018). 誰もが嘘をついている:ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性 光文社 pp. 76-77

正しいデータが必要

 実際,最先端のビッグデータ会社は,えてして自前のデータを細分化しているものだ。グーグルでは,膨大な手持ちデータからごく一部を抽出した資料に基づいて重要な決断を下している。重要な知見を得るのに,必ずしも膨大なデータは必要ないのだ。必要なのは正しいデータだ。グーグルのデータの価値が非常に高いのは,規模が大きいからではない。人々が真情を吐露しているからだ。人は友人にも医者にも恋人にも自分自身にも嘘をつく。だがグーグル上では,引け目を感じることでも気後れなく入力する。セックスレスな結婚生活や精神衛生や黒人に対する悪意などは,そのごく一例に過ぎない。
セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ 酒井泰介(訳) (2018). 誰もが嘘をついている:ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性 光文社 pp. 35

トランプ支持者の検索語

 人々はしばしば嘘をつく。他人に対しても,そして自分自身に対しても。2008年,米国人はサーベイに,もはや人種なんて気にしていないと答えた。8年後,彼らはドナルド・J・トランプを大統領に選んだ。白人のアメリカ人に対する殺人の大半は黒人によるものというデマをリツイートし,ある選挙集会では「黒人の命が大切」運動の旗印を掲げた抗議者への暴行をかばい,クー・クラックス・クランの指導者だった人物からの指示を拒むことを渋った男を選んだのだ。バラク・オバマの足を引っ張った隠された人種差別が,ドナルド・トランプの追い風になったのだ。
 予備選の初期,ネイト・シルバーは,トランプが勝つ見込みはないに等しいと宣言した。予備選が進みトランプが広範な支持を集めていることが明らかになるにつれて,シルバーは何が起きているのかデータで検証することにした。いったいどうしてトランプはこんなに快調なのか?
 その結果,トランプが最も優位な地域をつなぎ合わせると,奇妙な地図ができることがわかった。北東部,中西部工業地帯,そして南部で勢いがあり,西部では不振を極めていたのだ。シルバーはこの勢力図を説明できる変数を探した。失業率か?宗教家?銃所有率か?移民率か?反オバマ率か?
 そしてシルバーは,共和党候補予備選挙でドナルド・トランプの支持に最も相関性の高いある要因を見いだした。それは私が4年前に見出した判断の手がかりだった。トランプ支持が最も強かった地域は,「ニガー」という語を最もよく検索していた地域だったのだ。
セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ 酒井泰介(訳) (2018). 誰もが嘘をついている:ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性 光文社 pp. 25-26

組織集団

 私は「組織」というものを,アイデアの流れの中を航海する人々の集団だと捉えている。アイデアが豊富にある,清らかで速い流れの中を航海することもあれば,よどんだ水たまりや,恐ろしい渦の中を航海することもある。あるときには,アイデアの流れが分岐して,一部の人々が新しい方向へと向かうかもしれない。私にとっては,これこそがコミュニティと文化の現実なのだ。残りは単なる表層的な出来事か,幻影にすぎない。



アレックス・ペントランド 小林啓倫(訳) (2015). ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 草思社 pp. 60


反競争主義と競争の激化

 つまり,「学力差を生まれながらの素質の違いとは見なさず,生得的能力においては決定的ともいえる差異がないという能力観,平等観を基礎としている」のだ。「このように能力=素質決定論を否定する能力=平等主義は,結果として努力主義を広め,『生まれ』によらずにだれにも教育において成功できるチャンスが与えられていることを強調した。……だれでも,努力すれば,教育を通じて成功を得られる。だからこそ,だれにでも同じ教育を与えるように求める。その結果,より多くの人びとが同じ教育の土俵の上で競争を繰り広げることになった。教育における競争を否定する一方で,皮肉にも,能力主義教育を批判する議論が,教育における競争に人びとを先導する役割を果たしたのだ」と,苅谷は,平等主義で反競争的な教育が,逆に,教育における競争を激化させたという皮肉な結果をもたらしたと指摘している。



大竹文雄 (2017). 競争社会の歩き方 中央公論新社 pp. 144


民主主義

 こうなると,多数決原理によって運営される民主主義は,個人意識,社会意識,階層意識の微妙なバランスのうえにある。それぞれがあくことない要求をひっこめ,お互いに妥協することが肝要である。個人意識はフィクションとしての自由,平等に満足する。社会意識は,全員一致の強制にまですすまないで,多数決の線に停止する。階層意識は,少数良識派の権利をあるていどみとめさせることで安心する。民主主義の機能が完全に麻痺するのは,このようなバランスがくずれたときである。いずれにせよ,伝統思想との妥協がなければ,民主主義は幻影のままで,ついにヨーロッパに定着できなかったであろうことは,たしかである。



鯖田豊之 (1966). 肉食の思想 中央公論社 pp. 167


近代家族

 男親が企業や団体の専門・管理・事務職として賃労働に従事し,女親が専業主婦として家事,育児に専念する性別役割を主体とする核家族は一般に「近代家族」(modern family)と呼ばれている。戦前期の近代家族をモデルにした家族形態は戦後の高度経済成長期に大きく拡大し,幼稚園・小学校を含めた受験競争の拡大と激化に資するところとなった。
小針 誠 (2015). <お受験>の歴史学:選択される私立小学校 選抜される親と子 講談社 pp. 86

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