I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「ことば・概念」の記事一覧

風紀を乱している

 ベイズウォーター・ロードには,もっと多くの警官がいた。気の毒な浮浪者を捕まえて,連行しようとしていた。あの人は,浮浪者であるっていうことのほかに,なにか悪いことでもしたのだろうか。このあたりではこんなことがおこなわれているのだ。風紀を乱している,と警官は言う。あの気の毒な家のない人たち。ぬくぬくと過ごせる家があるわたしたちが,家のない人たちに気づかないふりをしている。まるでその人たちの姿が見えていないみたいに。警察はそういう人たちを連行しているけれど,あの人たちはどうなるの。私たちの住んでいる通りよりもっと暗い場所で,あの人たちをどんな悲惨なことが待ち受けているのだろう。
エドワード・ケリー 古屋美登里(訳) (2017). アイアマンガー三部作3 肺都 東京創元社 pp. 43

自由

 「自由な世界だから,止めはしないよ」


 「自由もかなり制限されちゃってるけどね」


 「でも,自由でなくちゃおかしい」ぼくは言った。「それが大事なことだよ」



エドワード・ケアリー 古屋美登里(訳) (2017). アイアマンガー三部作2 穢れの町 東京創元社 pp.282


カルチャロミクス

 われわれはボアズのことを念頭において,科学者たちを相手に話をするときには,自分たちの取り組みを「カルチャロミクス(culturomics)」と呼ぶことにしている。
 文化(culture)に接尾辞「オーミクス(-omics)」を付けたのは,本来の生物学分野での用法(たとえば,遺伝子(gene)を研究する分野をゲノミクス(genomics)と呼ぶように,生物学では研究対象にこの接尾辞を付けて研究分野を表している)を越えて,ビッグデータを象徴するためである。
 文化はボアズの言う文化,つまり実験や実地調査によって知ることができ,その多様性が尽きることのない興味と本物の賞賛の対象になる文化のことである。
エレツ・エイデン ジャン=バティースト・ミシェル 坂本芳久(訳) (2016). カルチャロミクス:文化をビッグデータで計測する 草思社 pp. 234

辞書と使用頻度

 それは出現頻度である。実を言うと,辞書は使用頻度の高い単語を見事にカバーしている。dynamite(ダイナマイト)など,100万語あたりの出現回数が1回を超す単語については完璧なまでに網羅している―文字どおり,すべての単語が100パーセント載っているのだ。少なくとも平均で10冊の本に1回は登場する単語なら,滞りなく辞書に登録されて定義されるはずである。


 しかし,辞書編纂者たちも出現頻度の低い単語を相手するときは苦戦する。出現頻度が100万語当たり1回より低くなると,その単語が辞書から除外される可能性は急激に高くなる。出現頻度が10億語当たり1回よりわずかに高い単語の場合,辞書が着目するのは全体の4分の1にすぎない。



エレツ・エイデン ジャン=バティースト・ミシェル 坂本芳久(訳) (2016). カルチャロミクス:文化をビッグデータで計測する 草思社 pp. 108-109


英単語とは

 われわれは現代英語で使われている単語をすべて含んだ記述的辞書を独自に作成することにした。考え方は単純だ。ある文字列が英語で書かれた現代の文の中にかなりの頻度で登場すれば,それは単語だとするのである。では,どの程度の出現頻度なら十分と見なせるのだろう?この場合の線引きには,辞書に項目として採用されている中でもっとも出現頻度が低いものの値を利用するのが自然だろう。その出現頻度を算定すると,ほぼ10億語につき1回という値が得られた。したがって,「英語の単語とは何か」の答えは次のようになる。



 英語の単語 ある特定の1グラムの文字列で,10億の1グラムからなる英文中に少なくとも1回は登場するもの。



エレツ・エイデン ジャン=バティースト・ミシェル 坂本芳久(訳) (2016). カルチャロミクス:文化をビッグデータで計測する 草思社 pp. 103-104


データセットの影

 非常に運がよければ,データセットの影を簡単に作れる場合もある。たとえば,ビッグデータでしばしば問題になるのは,取り扱いに慎重を要する個人情報が明らかになってしまうことである。それなら,それぞれの記録に付随している個人名を消してしまえば十分なはずのように思える。だが,そんな単純なケースはまれである。問題は,多くのビッグデータは情報がきわめて豊富なため,じっくり考えれば各記録の個人名など,冗長なデータにすぎない。つまり,記録自体に個人を特定するための特徴が豊富に含まれていて,それに該当しうる人物は地球上にたった一人しかありえないということになるからだ。こうしたケースでは,個人名を外してもあまり実効性はない。



エレツ・エイデン ジャン=バティースト・ミシェル 坂本芳久(訳) (2016). カルチャロミクス:文化をビッグデータで計測する 草思社 pp. 89


本の世論調査

 グーグルがデジタル化した本のデータは,本というもの全体の傾向を知るための「世論調査」のようなものだと見なすのも一つの考え方である。その調査がどれほど広範囲に及ぶかを理解するには,これまでに出版された本の総数(1億3000万冊)―総部数ではない!―が,アメリカ合衆国の選挙人名簿に登録済みの有権者数(1億3700万人)とほぼ同数になることを考えるといい。2012年のアメリカ大統領選挙の5日前に発表されたギャラップ調査の場合,調査対象になったのは投票に行く可能性の高い2700人で,総有権者数の約5万人に1人の割合である。グーグルの場合は,1億3000万冊のうちの3000万冊が含まれているから,ほぼ4冊に1冊の割合になる。「調査」,すなわちデジタル化が進むにつれて,その範囲は信じられないくらい広がっている。それはまさに,人間の文化の記録の要約,それも先例のない規模の要約なのである。



エレツ・エイデン ジャン=バティースト・ミシェル 坂本芳久(訳) (2016). カルチャロミクス:文化をビッグデータで計測する 草思社 pp. 84-85


不規則動詞の未来

 われわれは特定の不規則動詞が将来どうなるかも予想できた。われわれのリストでは現在も不規則動詞として残っているのは177のうち97だが,いまから何千年も経過したとき,長年連れ添った伴侶を捨てて若い相手に走るかのように,現行の時制変化のパターンを捨てて新方式のパターンに乗り換えている可能性がいちばん高いのはどれだろう?皮肉にも答えはwed(結婚する)で,この不規則動詞は現在残っている98の不規則動詞の中では使用頻度が一番低いのだ。もう以前から,従来の時制変化wed/wed/wedに代わるwe/wedded/weddedがいたるところで頻繁に顔を出している。だから,newly-wedを使って「新婚なんです」と言いたいなら,いまが結婚の最後のチャンスかもしれない。はるか未来のカップルが「幸せな結婚」を願っても,wed blissは望みようがなく,wedded blissで我慢するしかないだろう。



エレツ・エイデン ジャン=バティースト・ミシェル 坂本芳久(訳) (2016). カルチャロミクス:文化をビッグデータで計測する 草思社 pp. 68-69


規則化

 現代の言語学者たちはこの過程を「規則化」と呼んでいる。規則化の過程はいまなお進行中である。たとえば,繁栄するという意味がある動詞thriveを見てみよう。約90年前の『ニューヨーク・タイムズ』紙は,カジノの賑わい振りを扱った記事の見出しの中で,thriveの過去形としてアプラウトに従ったthroveを使っていた。しかし,2009年の『タイムズ』紙の科学欄の記事に付けられた「大量絶滅のあと,繁栄をとげた軟体動物も」の見出しには,throveではなくthrivedが登場している。幸運にも繁栄をとげた軟体動物とは異なり,throveはアプラウトに従う不規則動詞の大量絶滅を免れることができなかったのだ。逆戻りはありえない。ひとたび規則化されてしまった動詞が不規則化されることはほぼ皆無なのである。数少ない例外が,過去形がsneakedだがsnuckと不規則化して使われることのあるsneak(こそこそ歩き回る)だ。これと過去形がflewなのにfliedが使われることもあるfly(飛ぶ)を例にして言えば,snuckの数より,不規則動詞の仲間から飛び出してしまったfliedのほうが圧倒的に少ないのだ。


 テルモピュライの戦いで最後まで奮戦したスパルタの精兵300人さながらに,英語の強変化動詞―300の強者―は,紀元前500年ころから一族に加えられた情け容赦のない猛攻に敢然と立ち向かって撃退してきた。戦いは英語圏のすべての都市,町,村,通りを戦場にして,一日も休むことなく続いた。いま残っている300ほどの不規則動詞は,2500年もの長きにわたって戦ってきた。これらの不規則動詞は単なる例外ではなく,戦いを生き抜いた猛者たちなのである。



エレツ・エイデン ジャン=バティースト・ミシェル 坂本芳久(訳) (2016). カルチャロミクス:文化をビッグデータで計測する 草思社 pp. 61


不規則動詞の滅亡

 では,不規則動詞はどうやって生まれたのだろう?それには長い歴史がある。いまから6000年から1万2000年前にかけて,現代の研究者がインド・ヨーロッパ祖語と呼んでいる言語が広範な地域で使用されていた。英語,フランス語,スペイン語,イタリア語,ドイツ語,ギリシア語,チェコ語,ペルシア語,サンスクリット語,ウルドゥー語,ヒンディー語をはじめ,驚くほど多数の現代の言語がインド・ヨーロッパ祖語を祖先にもつ。インド・ヨーロッパ祖語には現代の研究者たちが母音交替(アプラウト)と呼んでいるシステムがある。これは,一定の規則に従って単語中の母音を変化させて意味や時制の異なる別の単語を派生させることをいう。英語では,いまでも不規則動詞の微妙な変化のパターンにこのアプラウトを見ることができる。


 一例として,sing(歌う),ring(鳴る,鳴らす)が過去形および過去分詞ではそれぞれsang,sungとrang,rungになるパターンがあげられる。もう一つの例は,stick(突き刺す,貼る)やdig(掘る)が過去形と完了形のどちらもstuckとdugに変化するパターンである。活用の規則が廃れてしまってっも,あとに言語の「化石」は遺る。不規則動詞はまさにそうした言語の化石なのである。


 巨大隕石の落下が恐竜絶滅の引き金になったとされている。では言語の世界では何が隕石の役割を果たしたのか?不規則動詞という化石だけを残して古代のアプラウトという規則を一掃したのは何だったのだろう?


 その隕石となったのは,現代英語で―edと表記される接尾辞,いわゆるデンタル・サフィックスだった。過去形を示すための接尾辞―edは,紀元前250年から紀元前500年ころにかけてスカンジナヴィアで使われていたドイツ祖語に由来する。



エレツ・エイデン ジャン=バティースト・ミシェル 坂本芳久(訳) (2016). カルチャロミクス:文化をビッグデータで計測する 草思社 pp. 59-60


対人鉄条網

 100年近くほとんど変わらなかった鉄条網は,トゲの部分が尖らせた針金からカミソリ(レザー)の刃のような鋭利なものに進化した。「レザー・ワイヤー」「対人鉄条網」とよばれ,1970年代に米国の刑務所の塀に設置されはじめたが,やがて紛争の激化とともに中東に普及していった。もっとも目立つのが,イスラエルとパレスチナとを隔てる長大な壁である。



石弘之・石紀美子 (2013). 鉄条網の歴史:自然・人間・戦争を変貌させた負の大発明 洋泉社 pp. 183


「社員」とは

日本の法律で,「社員」という言葉が使われている箇所をすべて抜き出したら,それらはすべて出資者という意味の言葉なのです。エンプロイ-という意味で「社員」という言葉を使っている法律は一つもありません。多くの読者の常識からすると,こちらの方がずっとびっくりする話かもしれませんね。


 現在の日本の会社法という法律には,株式会社と並んで持分会社というのが規定されています。合名会社,合資会社,合同会社といった小規模な会社のための制度ですが,そこでは「社員」という言葉が,会社を設立するために出資する人という意味で使われています。この持分会社における「社員」に当たるのが,株式会社における「株主」です。会社法のどこを読んでも,会社のメンバーは出資した人,つまり持分会社の「社員」であり,株式会社の「株主」です。それ以外にはありません。



濱口桂一郎 (2013). 若者と労働―「入社」の仕組みから解きほぐす 中央公論新社 pp. 49


メンバーシップ型

 日本では,会社というのは「社員」という「人」の集まりだが,その「社員」というのは英語でいうエンプロイ-のことを指す,と。つまり,初めに「人」ありきというときのその「人」は,会社のメンバーである「人」という意味なのですね。初めに「メンバー」としての「人」ありき,という意味で,これを私は「メンバーシップ型」と呼ぶことにしました。欧米においては会社のメンバーなどではあり得ないエンプロイ-が日本では会社のメンバーになっているということ,そしてそのメンバーに仕事を当てはめるというのが日本の仕組みであるということを一言で表現する言葉として,なかなかよくできているのではないかと思っています。



濱口桂一郎 (2013). 若者と労働―「入社」の仕組みから解きほぐす 中央公論新社 pp. 37


人工言語の目的

 ザメンホフが計画言語を創案する必要を感じたのは,前述のように,複数の民族がいがみ合う後継が日常茶飯事だった故郷の土地柄が影響していた。しかし今日,同じ用語を用いながら敵対関係にある国家も存在するのだから,共通言語があれば事足りるという単純な話ではない。エスペランティスト(エスペラント話者)の中には,島でも購入し,独立国を興し,そこの公用語をエスペラントにしたらどうだろうと考える人もいる。この場合,次世代以降ではエスペラントはピジン・クレオール語化し,ごくふつうの民族語の一つとなることだろう(異言語間コミュニケーションの産物として生まれた言語がピジン語・それが次世代で母語となったものがクレオール語)。そうなれば,複数民族の橋渡し的言語としてのエスペラントの理念は失われることだろう。



渡辺克義 (2017). 物語 ポーランドの歴史 中央公論新社 pp. 88


エスペラント

 エスペラントに懐疑的な人からの質問で最も多いものに,「エスペラントで感情の機微が表現できるのか」「エスペラントに(創作)文学はあるのか」「エスペラントに文化の名に値するものはあるのか」が挙げられる。最初の質問については,「ほぼ可能」というのが私見である。第二の質問に対する答えは「ある」が正解で,それ以外の答えはない。エスペラントでは,その誕生の瞬間から創作文学が存在する。第三の質問に対する答えも「ある」が正解である。130年余りの使用の歴史を経て,エスペラントにも独自の文化がある。一例として,創作文学などに垣間見えるコスモポリタニズムを指摘できるだろう。



渡辺克義 (2017). 物語 ポーランドの歴史 中央公論新社 pp. 88-89


クリティカル・マス

 いま挙げた例すべてに共通するのは,人々の行動が,どれだけ多くの人がその行動をとるか,あるいはどれだけの頻度でその行動をとるかに左右されることである。どれだけ多くの人がどれだけの頻度でセミナーに出席するか,どれだけ多くの人がどれだけの頻度でバレーボールに参加するか,どれだけ多くの人が喫煙するか,二重駐車するか,どれだけ多くの人がどの程度力強く拍手するか,どれだけ多くの人がさびれた地区を離れるか,どれだけ多くの生徒が転校していくか,といった具合に。


 これらの行動を総称して,クリティカル・マスと呼ぶ。社会科学者はこの名称を原子力工学からとった。原子力工学では,原子爆弾に関連してこの言葉がよく使われる。ウラニウムのような物質の中で放射性崩壊が発生すると,中性子が大気中に放出される。中性子が他の原子核に衝突すると,核が分裂して2,3個の中性子が飛び出し,それがまた同じことを繰り返す。ウラニウムが少量の場合には,中性子からすれば空間はほとんど「空っぽ」で他の原子と衝突する可能性はごく小さいため,新たな中性子の放出はごく少量にとどまる。だがウラニウムが大量であれば,衝突する可能性が高くなり,2個以上の中性子を生み出すことになる。さらに,中性子の半分以上が新たに2個の中性子を生み出せるだけの量のウラニウムが存在すれば,この分裂反応は自律的に維持されるようになる。このときにウラニウムの量を「臨界質量(クリティカル・マス)」と呼ぶ。臨界質量を上回るウラニウムが蓄積されれば,1個の中性子が平均して1個以上の中性子を生み出す。爆発的な連鎖反応が起きると(密閉空間の中で火薬1粒の爆発が他の爆発を誘発する現象と似ている),ウラニウムは一瞬で全部消費される(ウラニウムがばらばらに飛び散って反応が止まる場合を除く)。



トーマス・シェリング 村井章子(訳) (2016). ミクロ動機とマクロ行動 勁草書房 pp. 103-104


命題とは

 とはいえ命題にとって重要なのは,その妥当性が定義次第であるにしても,ともかくそれまで私たちが知らなかったことを語っているかどうか,ということだ。あるいは,誰か(その誰かは定義のことなどよく考えないかもしれない)にとって,その人の知らなかったことを語っているかどうか,ということである。この点に関しては,誰でも自分で判断できる。ある命題が,あなたの知らなかったこと,あなたが経験していないことを教えてくれるなら,あなたは一歩前進したことになる。なぜならその命題を通じて,あなたは世界について何かをひとつ知ったことになるからだ――たとえそれが,実証的に裏付けられた科学的事実として普遍化することはできないとしても。たとえば,死亡原因に占める非感染性疾患の割合が50年前より増えたのは,感染性疾患による死亡が減ったからであって,必ずしも他の病気の死亡率が上がったからではない。このことをもしあなたが知らなかったとしたら,この命題に注意を払ったおかげですこし賢くなったわけである。こんなことも知らなかったのかと,少々いまいましく感じるかもしれないが。



トーマス・シェリング 村井章子(訳) (2016). ミクロ動機とマクロ行動 勁草書房 pp. 53-54


素敵な成り行き

成り行きって 、恐ろしいものだ 。でも 、恐ろしく素敵な成り行きもある 。



森博嗣 (2017). ダマシ×ダマシ 講談社 2894/3490 (kindle)


問題解決

人間は 、自分が話したいことを探して言葉にする 。自分の意思で 、そのハ ードルを越えること 、その決断が 、その後の自信になるし 、言ったことの責任も感じる 。だから 、人に話すだけで自分の問題が解決することだってある 。



森博嗣 (2017). ダマシ×ダマシ 講談社 100/3490 (kindle)


時限爆弾事例への反応

 道徳哲学の文献の一つのセクションにざっと目を通すと,カチカチという時計の耳障りな音が聞こえてくる。カチカチと音を立てる時計のシナリオは,拷問の許容範囲―あるいはその逆―について論じる倫理学者のあいだで人気がある。一人のテロリストが捕まっている。彼がある大都市に仕掛けた小型の原子爆弾が,二時間後に爆発することがわかっている。テロリストは爆弾を仕掛けた場所を言おうとしない。情報を吐かせるために拷問をしなければ,数千人が命を落とす。どうすべきだろうか?


 9・11の同時多発テロで明らかになったのは,世界には民間人の大量殺害という目的に夢中になっている人がいるということだった。それ以降,倫理をめぐる討論に登場する時限爆弾は,一般の人たちにとって現実味を帯びることになった。著名な法律学教授のアラン・ダーショヴィッツは,ある本を書いてリベラル派の人々を憤慨させた。彼はそこで,極端な状況では政府から拷問者に「拷問許可証」を与えてはどうかと提案したのだ。その後,拷問スキャンダルが起こっては広く報道されてきた。たとえば,アルカイダの工作員で9・11テロの黒幕だと考えられるハリド・シェイク・モハメドへの水責めだ。


 時限爆弾の事例に対する義務論者の反応には,以下の五つのパターンがある。


 一つ目。時限爆弾が経験的実在に対応している可能性を否定するもの。実際には,脅威は差し迫っていないのがふつうで,明確な期限は存在しないし,避けられない脅威も存在しない。命が失われることが確実にわかるわけでもない。そのうえ,拷問は効果がない,さらに悪いことには逆効果―偽りの自白を招く―かもしれない。信頼できる情報を引き出す,あるいは別の方法で危機を脱するための代替的で合法的な手段があるかもしれない。


 二つ目。一部の義務論者は,絶対論者の立場からの論理的帰結を受け入れる覚悟がある。いかに多くの命が失われようとも,彼らは拷問に許容範囲があることを否定しつづける。


 三つ目―おそらく標準的な見解。義務論者にもこう主張する人がいる。誰かを拷問しなければ,結果として本当に厄災を招く(たとえば数千人が命を落とす)という場合,拷問への制約は無視してかまわない。


 四つ目。一部の義務論者はこう主張する。重要な情報を入手する方法が拷問しかない場合,時限爆弾を仕掛けたテロリストは,道徳的観点からして拷問に服す義務がある。言い換えれば,この人物を拷問にかけることにはいかなる制約も存在しない。爆発によって想定される帰結のほうが,拷問への制約よりも重要だということではない。むしろ,テロリストはみずからの行動のせいで,拷問されない権利を没収されてしまったのだ。彼が仕掛けた爆弾が一人の命を脅かしているだけだとしても,拷問は許される。


 五つ目。このシナリオにかかわることを断固として拒否する。拷問の正当化の可能性を論じること自体が認められないと考える人もいるのだ。その可能性がとりあげられるだけで,心が病み,文化が堕落している証拠だ。ある哲学者が言うように「社会とは,そのなかで何が議論にふさわしくないとされているかによって,ある程度まで定義される。たとえば,われわれの社会では,黒人を奴隷にすべきか否かは議論の対象とならない……議論にふさわしくないと考えられるものは,それに関して二つの見方はないとして扱われるものである」。拷問はそうしたテーマの一つであり,一つの見方しかありえないというのだ。



デイヴィッド・エモンズ 鬼澤忍(訳) (2015). 太った男を殺しますか?「トロリー問題」が教えてくれること 太田出版 pp.77-80


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