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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「教育」の記事一覧

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米国の就活

 米国の場合,あまりにも国土が広く,そのうえ,大学数も桁違いに多い。しかも,同じ大学でも専攻によって難易度は大きく異なる。だから,そのすべてのレベルを認知して学生を評価することなどできないのだ。
 そこで,2つの専攻軸を設けている。1つは,ハーバードやスタンフォードなどの超有名校で入学も修学も厳しい基準のある大学は,それだけで書類審査を通過させるという方法。これは,日本企業が行っている(企業は否定するだろうが)学校名スクリーニングと同じといえるだろう。
 ただ,これだけでは優秀な地方無名大学の学生を弾いてしまうことになる。そこで,有名校以外は,各大学のトップレベル層に限り,書類通過させるのだ。その通過キップとして「GPA評価」が存在する。
海老原嗣生 (2016). お祈りメール来た,日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 文藝春秋 pp. 60-61

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エリート校の教育の効果はあるのか

 では,スタイベサント高校の回帰不連続分析の結果はどうだったか?この研究を担ったのはMITとデューク大学の研究者ら—アティラ・アブドゥルカディログル,ジョシュア・アングリスト,パラグ・パサック—である。彼らは合否線ぎりぎりの学生たちのその後を調べた。イルマズのようにあと1問か2問で合格を逃した学生たちと,合否線を1,2問で上回って首尾よく合格した人々のその後を大規模に比較したのである。成功の基準はAP成績,SAT得点,そしてやがて進学した大学のランキングとした。
 その結果の衝撃は,彼らの論文の題名—『エリート幻想』—が雄弁に物語っている。スタイ高入りした影響?まったくのゼロだった。合否線のわずかな上下に位置した人々は,同等のAP成績やSAT得点を上げて同等の大学に進学していた。
 スタイ校出身者が他の高校の出身者よりも栄達する理由はただ一つ,もともと優秀な人間を採っているから,というのが研究の結論だった。同校の学生がAPやSATの成績が良いにしても,果てはより良い大学に進学しても,それはスタイ校での教育を原因とする結果ではない。
セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ 酒井泰介(訳) (2018). 誰もが嘘をついている:ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性 光文社 pp. 268

身分と学校の区別

 日本で義務教育といえば,金持の子も貧乏人の子も,同じ小学校に通うことだと理解されやすい。やがては上級学校にすすんで社会の指導者になる人物も,初等教育の段階では,かならず貧しい家の子と机をならべることを強制された。明治時代からそうである。


 ヨーロッパでは,とてもこのようにはいかない。上級学校(大学)にすすむ上層階級の子弟とそうでないものとは,はじめから別扱いであった。日本の高等学校にあたるパブリック・スクール(イギリス),リセ(フランス),ギムナジウム(ドイツ)などが小学校課程をもち,上層階級の子弟はそこに収容された。だから,ヨーロッパの義務教育では,もともと,これらの連中は勘定にはいっていない。義務教育とは,本来,ほっておけば文盲のまま一生を終わりかねない下層階級のために,無償の初等教育機関をつくってやり,そこに就学を強制することであった。



鯖田豊之 (1966). 肉食の思想 中央公論社 pp. 101


受験勉強の意義

 大学進学経験のない親にとって,大学受験や大学そのものは未知の世界であり,受験勉強を含めた大学進学のプロセスを自らの経験としては有していない可能性が高い。そこで,高校または大学を併設するなど,「その後の受験勉強をしないで済む」小学校を選択,合格すれば,その時点で将来の学歴が保証されると確信しているのだろう。つまり,同一学校法人内で小学校から大学まで進学できれば,父親はじめ家族が大学進学に求められる情報や経験を子どもに提供する必要がなくなり,父親の大学非進学経験が小学校受験以降の子どもの教育や進学においては無化されることになる。それとは対照的に,高学歴のホワイトカラー層に就く父親ほど,高校あるいは大学進学時の受験勉強の経験や受験学力の意義を是認する傾向が読みとれる。
小針 誠 (2015). <お受験>の歴史学:選択される私立小学校 選抜される親と子 講談社 pp. 208

縁故者の入学

 私立小学校が自発的結社である以上,その運営には,授業料負担能力など入学者や在学者の家庭背景に大きく異存せざるを得ない。それのみならず,入学者は私立小学校の教育理念の理解者または支持者であることが望ましい。それは,保護者自身が卒業生,学校関係者(教職員や卒業生など)であったり,兄弟が在校生・卒業生などと重なることも少なくない。そのような「縁故のある」子どもを入学させることは,子どもを取り巻く家庭背景・環境をあらかじめ想定できるばかりか,入学後にともすれば起こりうる退学や問題行動など,諸々のリスクを回避ないし軽減できるという点では,有効な選抜手段の一つであるともいえるのである。
小針 誠 (2015). <お受験>の歴史学:選択される私立小学校 選抜される親と子 講談社 pp. 172

入学準備教育

 私立(小)学校,中でも大正新教育運動を背景に誕生した新学校の多くは,知識の詰め込み主義や受験体制,学歴社会の問題を痛烈に批判し,その代わりにリベラルな教育を目指した。しかし,入学選抜考査の導入によって,入学選抜は幼児期にまで低年齢化し,考査で求められる知識や技能の詰め込みを子どもに強いることになった。私立小学校の多くは児童中心主義の新教育を理念として標榜・実践し,中等学校の入試に向けた知識の詰め込み教育を否定・批判する一方,小学校の入学選抜考査の導入・実施を通じて,幼児期の子どもに,入学準備教育という「詰め込み」を強いることになってしまった。さらに,それが学歴主義の強化につながった側面も否定できない。ここに新教育や新学校における逆説の一つを見いだすことができるのである。
小針 誠 (2015). <お受験>の歴史学:選択される私立小学校 選抜される親と子 講談社 pp. 130

申込順

 私立小学校の中には,成蹊小学校のように,創立当初から厳密な入学選考を課した上で入学者を決定していく方法を採用していた学校もないわけではなかった。しかし,多くの小学校は入学希望者を先着順に受け付けて,入学定員に達したところで締め切るか,受付順に個別に面接や知能検査・身体検査を行った上で,順次入学者を決定していった。結果,入学を希望さえすれば,ほぼ全員に対して入学許可を出していた。1918(大正7)年当時の暁星小学校は,「入学申込者多数のため既に二箇月以前本校の予定数に達し,以後の申込者は遺憾ながら謝絶の止む無きに至れり」とあるように,この当時の同校では申込先着順に受け付け,入学者を決めていた。
小針 誠 (2015). <お受験>の歴史学:選択される私立小学校 選抜される親と子 講談社 pp. 99

社会的評価

 社会的評価に合わせるように,入学者の質も向上するようになった。私立大学の中でも例外的に高い社会的評価を受けていた慶應義塾や早稲田は,様々な諸特権を獲得する過程で,学歴や学力を問わずに入学を許可する「別科」を廃止,代わって,中学校を卒業した者の中から入学選抜を行い,それに合格した者のみを入学者とする「(大学)予科」の充実に力を注いだ。その結果,慶應義塾大学は学力の高い入学者を受け入れ,予科および大学部(本科)の教育によって,質の高い卒業生を輩出することが可能になった。それは企業における慶應義塾大学卒業生の処遇にも反映された。
小針 誠 (2015). <お受験>の歴史学:選択される私立小学校 選抜される親と子 講談社 pp. 71

日本の私立小学校の特徴

 プレップ・スクールを比較対象として見ると,日本の私立小学校の独自性が明らかになる。共通点を挙げれば,総じて学費が高く,家庭環境に恵まれた子弟・子女を対象とした私立の初等教育機関である。相違点を挙げれば,教育理念や経営面で国や地方自治体から完全に独立しているプレップ・スクールと,カリキュラムは学習指導要領に拘束され,都道府県知事の認可を受け,助成を受けることができるなど,国や地方自治体の規制の中で運営される私立小学校。そして,私立の中等学校(パブリック・スクール)に進学するには共通学力テストを受験し,厳しい選抜が行われるプレップ・スクールと,併設上級学校にエスカレーター式に進学できる私立小学校。入学者の選抜においては,縁故主義,個別主義を旨とするプレップ・スクールに対して,集団主義的かつ建前上は縁故を廃した能力主義,競争主義による選抜を行う私立小学校など,両国の私立初等教育機関の対照的な特徴が浮き彫りになる。
小針 誠 (2015). <お受験>の歴史学:選択される私立小学校 選抜される親と子 講談社 pp. 52-53

プレップ・スクールと私立小学校

 単純に日本の私立小学校と比較することはできないが,少人数教育の導入,国や自治体からの運営補助がないことや入寮する児童の割合が高いこともあり,プレップ・スクールの教育や学校運営には高いコストを要する。その結果,家庭の経済力による選抜は日本の私立小学校の入学以上に厳しいと予想される。
 したがって,高額な授業料や寮費はプレップ・スクールを選択するうえで大きな阻害要因になり,その時点で経済的な選抜を受けていることになる。プレップ・スクールの児童の父親の職業は,ロンドン・シティの銀行や商社に勤務するサラリーマン,開業医や有名企業の顧問弁護士,あるいは自ら会社を興し,経済的に成功した実業家・起業家が多いという。また,先祖代々から相続される不動産で莫大な収入を得ている「無職」の保護者もいるようだ。
小針 誠 (2015). <お受験>の歴史学:選択される私立小学校 選抜される親と子 講談社 pp. 46

考査と面接

 入学選抜の課題は,大きく考査と面接に分類される。考査では,先の「はじめに」で見たようなペーパーテストのほか,口頭,行動観察,制作,運動の5つの課題に分けられる。「ペーパーテスト」では,記憶,数量,図形,言語,立体などの推理,科学・常識に対する理解など,年齢相応の学力を問う問題が入学考査課題として提示される。小学校就学以前には,数字やひらがなを含めた文字は未習であることを前提にしているため,それらを用いた出題は原則的にはないものの,学校によってはひらがな程度のリテラシーが前提になっている課題が提示されることもある。「口頭」は,試験管の提示する質問に回答させることで,ことばの発達や表現力など知的発達をみる試験内容である。
 「行動観察」は子ども同士や親子または在校生など異年齢集団の中での集団行動の様子を試験官が観察し,協調性や社会性をみる試験である。「制作」では,指示された作品統制を通じて,巧緻性や指示に対する理解力をみる試験である。昨今では集団制作を通じて協調性などをみていることもあるという。「運動」では,跳び箱,ボール,平均台,鉄棒などを使った簡単な課題を課し,指示の理解力,積極性・意欲,心身の健康状態をみる試験である。
小針 誠 (2015). <お受験>の歴史学:選択される私立小学校 選抜される親と子 講談社 pp. 34

小学校の学習費

 また,小学校に通う児童一人あたりの学習費は,文部科学省「子供の学習費調査」(平成24年度)によると,公立小学校児童の場合,年間の学習費総額の平均が30.6万円に対して,私立小学校の児童のそれは142.2万円にのぼる。その内訳は学校教育費82.2万円,学校給食費4万円,学校外活動費56万円であった。あた,私立小学校の学習費は幼稚園から高等学校までの私立学校の中でも群を抜いて高く,さらに公立小学校と比較したときの公私格差は4.6倍と,他の学校段階の数値が2〜3倍程度であるのと比して,著しく大きい。これにくわえて小学校入学前には入学選抜考査のための準備教育の教室・教材などの費用もかかる。
小針 誠 (2015). <お受験>の歴史学:選択される私立小学校 選抜される親と子 講談社 pp. 32-33

相対的年齢効果

 学校でもやはり年齢による効果はある。数の保存と呼ばれる概念を子どもが把握しているということは,手短に言えば,一つのまとまりの中にある物体の数は,その個数には無関係の変化——物体の位置をただ変えたりしても——があっても,同じであり続けるという事実を子供が理解していることで,そこにも相対的年齢効果は見られる。学年のなかで月齢が上の子供は,教室外で数の保存について学ぶ時間がより多くあるだけでなく,注意力や記憶(数を理解するうえで必要な能力)のような認知能力も年齢とともに増す。相対的に年上の子供は,教室以外の日常で学ぶものが多く,脳もより発達しているので有利であり,そのため教室で学ぶことが実際に身につくのだ。こうした年上の子供がより「賢い」とか「頭がいい」と識別されるのであれば,相対的年齢は同年齢の仲間のなかで目立つために役立つかもしれない。
シアン・バイロック 東郷えりか(訳) (2011). なぜ本番でしくじるのか:プレッシャーに強い人と弱い人 河出書房新社 pp. 67-68

非熟練者の恩恵

 ビジネスの世界以外でも,経験を積んだ人は熟練していない人の考えを聞くことによって恩恵をこうむることができる。たとえば,数学の能力の異なる二人の大学生を組ませることで,一人で考えた以上に,どちらの学生も難解な数学の問題でより高い実行能力を見せるようになる。数学に弱い学生が,数学に強い学生に教えてもらえば得するのは当然のことだが,数学に強い学生もペアを組むことで利益を得られるのは興味深い。これは,自分よりわかっていない相手に教えなければならない場合,時分でもその対象をよりよく学ぶ結果になるからだ。勉強のできない学生も,よくできる学生に問題を別の観点から,既成概念にとらわれずに考えるように促すことができる。そこから特殊な問題を新たに直感的な方法で解決するために,しばしば必要となるような創造性が生まれてくる。経験のある人でも,知識のない人の助けを借りることが,ときには重要なのである。
シアン・バイロック 東郷えりか(訳) (2011). なぜ本番でしくじるのか:プレッシャーに強い人と弱い人 河出書房新社 pp. 25-26

私立大学

 大学化への布石を最初に打ったのは慶應義塾で,同校は90年に「大学部」を設置する。ところが当時,幼稚舎,普通部の初等中等教育を経た若者たちの多くはそのまま実業の世界に出て,大学部で専門教育を受ける者は少なかったから,この試みは苦戦する。福沢は,しかし不振でも大学部を廃止するのではなく,むしろ逆に義塾全体の大学化,つまり幼稚舎や普通部の上に付随的に大学部が乗る構造から,大学部を本体とし,その下に普通部や幼稚舎が付属する構造に教育課程を転換させてしまうのである。この大転換が行われるのは1898年で,以来,「慶應義塾」は「慶應大学」へと段階的に移行していく。これに対し,自らを帝国大学に比せられる「大学」と最初に宣言したのは東京専門学校であった。同校は1900年に高田早苗を学監として大学化構想を打ち出し,2年後には「早稲田大学」への名称変更を政府に認めさせる。この「大学」化に伴い,早稲田は教育課程を「大学部」と「専門学部」に分け,大学部の下に予科を設けて帝国大学に似た課程の編成を整えていった。そしてやがて,この早慶両雄の大学化に倣うように,他の多くの私学が背伸びをしながら「大学化」を図っていく。
吉見俊哉 (2011). 大学とは何か 岩波書店 pp. 160-161

帝国大学

 それにしても,このような天皇のまなざしと国民の知性が遭遇する場所が,なぜ「帝国大学」と名づけられたのか。中山茂が考察したように,東京大学が帝国大学への大転換を遂げた1886年の時点では,「帝国」の呼称はまだまったく一般的ではなかった。たしかに明治初年代,岩倉使節団が日本に招待した学監デヴィッド・モルレーは,社交辞令か日本のことを盛んに「エンパイア」と呼んだが,これは普及しなかった。それでもモルレーが発する「エンパイア」の語は,文部省申報で「帝国」と訳され,これがこの言葉が公式文書に現れる最初となったらしい。しかし,日進・日露戦争以前の多くの日本人にとって,「帝国」という言葉はなじみの薄い言葉であった。周知のように89年には大日本帝国憲法が発布されるから,90年代以降は,「帝国」は「帝国議会」などの言葉とともに徐々に日本人の意識に入り込んでいくともいえる。しかし,帝国議会よりも三年も早くに「帝国大学」は誕生しているのだ。
吉見俊哉 (2011). 大学とは何か 岩波書店 pp. 138

大学院という革新

 この変化を大学制度の側からみるならば,米国の大学に決定的革新が起きたのは,1876年,イェール大学出身のダニエル・ギルマンが,新設のジョンズ・ホプキンス大学の学長に就任し,より高度な研究型教育を旨とする「大学院=グラデュエートスクール」を,新しい大学モデルの中核としてカレッジの上に置いた時からであった。これはいわば,それまでハイスクール的なカレッジ状態からなかなか抜け出せずにいた米国の大学が,ドイツ型の大学モデルに「大学院」という新規のラベルを貼って「上げ底」する戦略だったともいえるのだが,「大学」と「大学院」を分けてしまえば,旧来のカレッジ方式にこだわる教授陣を安心させ,しかも真に超一流の教授たちを大学院担当に据えていれば,全米全土から向学心に富んだ秀才の大学卒業生を集めることが期待できたから,まさに一石二鳥のアイデアであった。
吉見俊哉 (2011). 大学とは何か 岩波書店 pp. 104

大学の創設へ

 たとえば英国では,中世以来,オックスフォード大とケンブリッジ大が特別な地位にあった。しかし,そのような名門校であればこそ,良好が中世的概念から離脱するのは容易ではなかった。実際,両校の変革は非常に遅く,19世紀半ばになっても,入学者の約三分の1は聖職に就く人々だった。そこで英国の大学改革は,これら両雄の内部変革よりも,その外側に国民的大学を創設することに向けられていく。すでに18世紀,大学の外側に各種の王立アカデミーが創設されたが,これは反面,この大学の古さへの反発の表れでもあった。19世紀になると,流れはアカデミー創設よりも大学創設に向かう。こうして新たに創設されたのが,ユニバーシティ・カレッジ(1826年)とキングス・カレッジ(1829年)を中核とするロンドン大学であったし,これに続いてダラム大学(1832年),マンチェスター大学(1851年),リーズ大学(1884年),ウェールズ大学(1893年)などが創設されていった。
吉見俊哉 (2011). 大学とは何か 岩波書店 pp. 91-92

アカデミーと大学

 今日の通年は,「アカデミズム」を大学の象牙の塔的な学問と同一視し,新しい時代の変化に対応できない権威主義的価値観とみなしがちである。しかし,「アカデミズム」の今日的起源が17,18世紀のヨーロッパでのアカデミーの隆盛にあるとするならば,この思い込みは二重に間違っている。まず,アカデミーと大学は当時,同じものではなく,むしろ対抗的な関係にあった。大学の保守性を批判し,新しい知を切り開く先端的役割がアカデミーには期待されていたのである。第2に,そうして浮上したアカデミーは,新しい時代に対応できない伝統性などとは正反対の,むしろ実学的で先端的,新しいものに対応して実験的な知を紡ぐ専門家集団を基盤としていた。「アカデミックな知」が敵対していたのは,今日の奇妙な思い込みが信じるような「ジャーナリスティックな知」ではなく,むしろ中世的な大学に端を発する「スコラ的な知」である。
吉見俊哉 (2011). 大学とは何か 岩波書店 pp. 77-78

大学の死

 したがって,12〜13世紀に「都市の自由」を基盤に「知の自由」をダイナミックに抱え込んだ協同組合的な場として誕生した大学は,近代世界が形成されてくる歴史のなかで一度は死んだのである。この16世紀から18世紀までの「大学の死」は,宗教戦争と領邦国家,印刷革命といういくつかの要因が折り重なるなかで決定づけられていった。宗教戦争と領邦国家は,それまでのヨーロッパ全土に及んだ都市ネットワークの時代,すなわち自由な移動の時代を終焉へと向かわせ,印刷革命は,大学などもはや必要としない仕方で近代的な科学や人文知の発展を可能にした。つまるところ,大学は宗教によってひき裂かれ,国家のなかに取り込まれることによって「自由」を失ったのであり,グーテンベルクの「銀河系」が,新たな「自由な学知」を大学以上に過度に実現していく基盤として浮上していったのだ。
吉見俊哉 (2011). 大学とは何か 岩波書店 pp. 66

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