I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「教育」の記事一覧

自分で成長する力

 とはいえ,この本でも直接お話ししておきたいことがあります。それは,子どもは本来,みずから正しい方向に伸びていく力があるということです。自己成就力といってもよいでしょう。子どもが間違った行動に出ている場合は,この力が一時的に発揮できないように覆いがかぶさっているような状況です。そのような状況で,子どもの手をとり「こっちにおいで」と引っ張るような教育はやめましょう。一時的に行動の修正ができても,子どもは何も変わりません。子どもみずからが考え,正しい方向に歩む力が出るように働きかけをします。


 そのためには,子どもの話をよく聞くという傾聴や,子どもの正しい動きのかけらが出るのを辛抱強く待ってそれを認めていく姿勢が大切です。それに,子どもとよく話をして先生も子どもも納得できる決定をすることも大切になります。自律的自尊感情が欠如し,攻撃的になったり依存・消極的になっても,小学生はまだまだ軌道修正する力があり,学校の先生はその手助けをしたいものです。



山崎勝之 (2017). 自尊感情革命:なぜ,学校や社会は「自尊感情」がそんなに好きなのか? 福村出版 pp. 134


金儲けか社会貢献か

 ここで意地の悪い言い方をしよう。神童は頭のよさを金儲けに使えるようにするため,ビジネススクールで経営に関する知識,技術,ネットワークを身につける。成功者は億万長者の道を歩む。頭のよさは個人が幸福を追究するための利益獲得に向けられる。豪邸に住み,リゾート地にいくつも別荘を持ち,夜な夜な美女と遊び回る。ビジネススクールはそれに手を貸すことになる。そもそもMBAはそういうものだと言ってしまえばそれまでだが,大学の役割を考えると腑に落ちない。大学には人材育成によって社会を発展させなければならないという責務がある。個人の利益追求ばかりを教えていいのだろうか。頭のよさをすこしでも社会貢献に向けさせるような教育をすることこそ,大学の役割であり,それでこそきわめて高い公共性を持ち得ると,わたしは思う。



小林哲夫 (2017). 神童は大人になってどうなったのか 太田出版 pp. 295-296


頭のよさ=自尊心

 中学受験,大学受験での「栄光」はいくつになっても誇るべき勲章と,思っているエリートたちはいる。若かりし頃の頭のよさが証明されることに無常の喜びを感じる人たちだ。反対に,身近なところに,中学受験や大学受験で自分がとった成績を上回る人が現れるとショックを受ける人もいる。頭のよさは,そのまま自尊心につながってしまうだろう。



小林哲夫 (2017). 神童は大人になってどうなったのか 太田出版 pp. 229-230


神童のアイデンティティ

 神童は大人になって,神童であり続けたことを誇りに思う。そんな人がたまに見られる。まわりから見ればいやみこの上ないが,神童本人にすればアイデンティティーを認めてもらいたいところだろう。


 子どものころ,あたまがよかったことについて,成人になってからも自慢する。とくに聞かれるわけでもないのに,「勉強しないでいつも満点だった」「まわりから神童と呼ばれた」などと話す。その地域で一番の進学校に通っていたことを,突然,脈絡もなく話す人もいる。きっと誇り高いことだろう。本人は自分のプロフィールをたんたんと話しているつもりである。だが,その言い方がちょっとでも自慢っぽく聞こえてしまうと,「自分の頭のよさを自慢している」と顰蹙を買いかねない。



小林哲夫 (2017). 神童は大人になってどうなったのか 太田出版 pp. 228-229


東大法学部の学士助手

 わかりやすく説明しよう。大学教員の道を歩む場合,大学院修士課程2年,博士課程3年を経るのが一般的である。しかし,東京大学法学部では「天才」「秀才」ぶりを示した学生は,修士,博士課程で学ぶというプロセスを免除されている。大学から「今さら教えることは何もないほど,頭がよい」というお墨付きをもらうわけだ。大学院に5年も通わせるのはもったいない,早く学者の世界に入れてあげようという,神童に対する一種の英才教育である。


 だが,そのウラにはもう1つ理由があった。神童の青田買いである。


 東京大学法学部の優秀な学生は,国家公務員総合職試験に軽々と受かってしまい,中でも財務省(大蔵省)採用者には試験成績5位以内が集まる。また,司法試験にも上位の成績で合格する。


 東京大学法学部教授にとっては,教え子の中で最も優秀な学生がほしい。しかし,飛び抜けた秀才は大蔵省に取られてしまう。あるいは,法曹(裁判官,検事,弁護士)に流れかねない。そこで,助手採用によって20代で助教授,30大半ばで教授というライフプランを提示する。30代の官僚,法曹はその世界で第一人者になれるわけではない。その点,東京大学教授は若くして一国一城の主となる。


 助手の任期は3年間で,それまでに論文を仕上げる。これを「学士助手」の「助手論文」という。修士論文でも博士論文でもないので,修士号,博士号の学位はもらえない。だが,論文が評価されれば,博士でなくても助教授,講師として任用される。満年齢で26歳の助教授が誕生する。



小林哲夫 (2017). 神童は大人になってどうなったのか 太田出版 pp. 128-129


東大の銀時計組

 東京大学の歴史をひもとくと,「この学生が首席である」と公式に認定していた時代があった。


 1899(明治32)年,東京帝国大学(東京大学の前身)は卒業式で学業成績優秀者を表彰する,「優等生の選定」制度をスタートさせている。式では天皇が成績優秀者に銀時計を授けている。当時,東京帝国大学は8学科構成となっており,毎年,全学科合わせて16~20人の学生が選ばれていた。1918(大正7)年,この制度は廃止されている。20年のあいだ,223人が銀時計をもらっている。学科別では,法学科88,経済学科9,文学科50,工学科77,理学科20,農学科24,医学科42。


 天皇から直接銀時計を手渡される人たちはほんの一握りである。国が頭が良いことを天下に示された彼らは,東大銀時計組と呼ばれ,頭のよさについて,のちのちまで伝説的に語られることとなる。



小林哲夫 (2017). 神童は大人になってどうなったのか 太田出版 pp. 98


都合の良い理解

 日本の戦後教育は何かと批判されてきた。大学入試に備えて,中学,高校までは教科書を詰め込み型授業で教える。記憶力重視型で想像力を育ませることはできない。金太郎飴のような優等生ばかり。そして田中,天野,山中の3人は,わたしとほぼ同世代である。1979年に導入される共通一次試験を前に暗記型と批判された。ついでに言えば,無責任,無関心,無気力とボロクソ言われた世代である。


 だが,1950年代後半生まれの研究者がしっかり成果を出してしまった。こうなると形成は逆転してしまう。戦後の詰め込み教育が,神童を伸ばして,頭のよさを醸成させ,ノーベル賞クラスのすぐれた発見ができる基礎となったという肯定的な見方が成り立った。


 これには,ゆとり教育からの揺り戻し,学力低下への政策的対応という,大きな「援軍」があったことも大きい。


 神童は,国の教育政策によって,都合良く理解されるものだ。



小林哲夫 (2017). 神童は大人になってどうなったのか 太田出版 pp. 83-84


神童の様子

 スポンジに水が吸い込まれるように知識が吸い込まれるように知識が蓄えられていく。理IIIに興味を示さない。また,学校で一番になりたいという名誉欲もそれほど持っていない。ライバルという発想もない。自分が好きな勉強を,自分で計画を立てて,自分が思うように進めて,最高の結果を出してしまう。勉強法などマニュアルには縁がなく,極端な話,教師が教えなくても教科書があれば理解してしまう。大学院博士課程に進むような専門書を持って質問に来るとか。そんな生徒に聞かれても教師はお手上げでしょう。



小林哲夫 (2017). 神童は大人になってどうなったのか 太田出版 pp. 42


神童から

 小学校高学年は年齢で言えば,10代に入る時期となる。個人差はあるものの自我に目覚め,精神的に成長する段階である。小学校低学年でも教室で班などのグループ活動を行うなかでリーダーシップをとれる子供が現れ,高学年になるとそれが顕著に示される。小学生でも指導力,統率力を意識するようになる。


 中学高校になるとクラスや部活動において,大所帯をみごとに引っ張ったり,まとめたりする能力を持った生徒が現れる。10大半ばから後半になると,頭のよさが学業成績だけではかれるものではないことがわかる。


 神童という称号はこのあたりから消える。いつまで経っても童ではない。「優秀」「頭がよい」「できる人」ということばに置き換えられていく。



小林哲夫 (2017). 神童は大人になってどうなったのか 太田出版 pp. 39


手を打つ

 こうした研究者たちの出したデータが利用できるのとおなじように,彼らの行動そのものもひとつの例として役に立つ。もしコミュニティ内―あるいは国内―で苦しんでいる子供たちがいるならば,何かできることがあるはずだ。それが研究者らの仕事の大前提だった。子供たちへの援助をどう届けるのが最善か,知るべきことはまだたくさんある。研究者たちがおこなっている仕事を私たち自身も引きつぎ,広げる必要がある。自分で何かしら手を打つ必要があることは,すでにわかっているのだから。



ポール・タフ (2017). 私たちは子どもに何ができるのか 非認知能力を育み,格差に挑む 英知出版 pp. 152


効果的な教室環境

 そこで,いままでとは異なる前提で考えてみたい。いくらか曖昧であることは認めざるをえないが,効果的な教室で何が起こっているかを少し詳しく書いてみよう。教師がある雰囲気をつくりだす。生徒たちはその雰囲気に反応して,それまでとは異なる行動をする。その新しい行動が成功につながる。この場合,生徒たちは新しいスキルを身につけたのだろうか?だからちがう行動がとれるようになったのだろうか?そうかもしれない。あるいは,私たちが「スキル」と呼んでいるものは,ほんとうは新しいものの見方なのかもしれない。新しい,強力な行動を取るための体力だったり,信念だったり,心のありようだったりするのかもしれない。



ポール・タフ (2017). 私たちは子どもに何ができるのか 非認知能力を育み,格差に挑む 英知出版 pp. 101


行動の変化

 この結論はより深いヒントへとつながる。グリットや自制心や粘り強さなどの気質にどんなラベルをつけるかは,じつはたいした問題ではないし,それをいうならこれらを「性格の強み」と定義するか,「非認知能力」と定義するか,あるいはほかの何であると定義するかも,やはり大きな問題ではない。とりあえず,生徒たちが毎週数時間をあるタイプの教師のそばで過ごすことで自分たちの行動の何かを変えた,これがわかるだけで充分だ。そういう教師が教室でつくりだす環境が,生徒たちのよりよい決断を助け,その決断が生徒たちの人生に大きな意味を持つプラスの変化を与えたのだ。



ポール・タフ (2017). 私たちは子どもに何ができるのか 非認知能力を育み,格差に挑む 英知出版 pp. 100-101


理性的な判断か

 私たち大人は,子供が何か悪いことをしたときに,直感的にこう決めてかかる。「子供がこんなことをしたのは,自分の行動の結果を理性的に考えて,代償よりもその行動による利益のほうが大きいという計算が働いたからだ」そこでふつうは子どもたちが受ける罰を重くして,悪い行いの代償を大きくしようとする。しかしこの方法に効果があるのは,悪いおこないがほんとうに理性的な打算の産物だった場合だけである。ところが実際には――これは神経生物学の研究によって判明した重要な点の一つでもあるのだが――若者の行動,とくに深刻な逆境を経験してきた若者の行動は,多くの場合,理性とはかけ離れた感情や精神やホルモンの影響を受けている。



ポール・タフ (2017). 私たちは子どもに何ができるのか 非認知能力を育み,格差に挑む 英知出版 pp. 78-79


学習のための積み木

 ニューヨークを拠点とする非営利団体,<ターン・アラウンド・フォー・チルドレン>は,2016年に作成した報告書のなかで,こうした幼少期の能力を「学習のための積み木」と呼んだ。ブルック・スタフォード-ブリザールというコンサルタントが書いたこの報告書によれば,レジリエンス,好奇心,学業への粘りといった高次の非認知能力は,まず土台となる実行機能,つまり自己認識能力や人間関係をつくる能力などが発達していないと身につけるのがむずかしい。こうした能力も,人生の最初期に築かれるはずの安定したアタッチメントや,ストレスを管理する能力,自制心といった基幹の上に成り立つ。「教育者が子供たちのこうした能力や心のありようを優先せず,学習と統合して考えることもしないなら,生徒たちは仕事をするための道具がない状態,つまり学ぶための言語がない状態のままになってしまう」とスタフォード-ブリザールは述べている。



ポール・タフ (2017). 私たちは子どもに何ができるのか 非認知能力を育み,格差に挑む 英知出版 pp. 75


双方向の自制モデル

 レイバーはこのアプローチを「双方向の自制モデル」と呼ぶ。教室の空気はフィードバックの循環によって決まる,とレイバーは考えている。ごく幼いころの有害なストレスのせいで自制能力がうまく発達しなかった子供たちは,入園前の教室で何かを要求されるとたいてい感情をあらわにするか,粗野なふるまいをする。そこで教師が対立をうまく扱う訓練,あるいはストレス反応をうまく抑えきれない子供の爆発に対処する訓練を受けていないと,対立をエスカレートさせてしまう。それがさらに子供の爆発を激化させる。教室は敵意と怒りに満ちた場所になり,子供は脅かされていると感じ,教師はストレスで燃え尽きる。そして,行儀よくふるまうこと自体が,年間を通じて最大の課題になってしまう。



ポール・タフ (2017). 私たちは子どもに何ができるのか 非認知能力を育み,格差に挑む 英知出版 pp. 70


ネグレクト

 そう,ネグレクトも継続的な危機なのだ。ただし,心理学者によると,いちばん弱いネグレクト――世話をする人間がときどき注意をはらうのを怠ること――にはプラスの効果もある。子供にとって,自分はつねに親の関心の中心にいるわけではないと知り,ときには自分だけで楽しもうとするのはよいことだ。一方,過酷なネグレクトは,法律により虐待であると定義され,児童福祉課の介入を必要とする。しかしこの両極のあいだに「慢性的な低刺激」と呼ばれる状態がある。親が子どもにあまり反応せず,積極的に関心を寄せたり,きちんと向きあってやりとりをしたりといったことがない状態だ。子供は泣いても,話しかけようとしても無視され,連続して何時間もテレビのまえに放置される。 


 神経科学者たちの発見によれば,この程度のネグレクトでも,脳の発達に対し,長期間にわたる深刻な悪影響を及ぼす。



ポール・タフ (2017). 私たちは子どもに何ができるのか 非認知能力を育み,格差に挑む 英知出版 pp. 41


サーブとリターン

 子どもが感情面,精神面,認知面で発達するための最初にしてきわめて重要な環境は,家である。もっとはっきりいえば,家族だ。ごく幼いころから,子供は親の反応によって世界を理解しようとする。ハーバード大学の児童発達研究センターの研究者たちは,この相互関係に「サーブとリターン」という名前をつけた。幼児が音をたてる,あるいは何かを見る(これが「サーブ」)と,親は子供の関心を共有し,片言のおしゃべりや鳴き声に対し,しぐさや表情や言葉で反応することでサーブを打ち返す(これが「リターン」)。「そうね,わんわんね!」「扇風機が見えたの?」「あらあら,悲しいの?」こうした親と乳児とのあいだのあたりまえのやりとりは,親にしてみれば無意味なくり返しに感じられるかもしれないが,乳幼児にとっては世界のありようを知るための貴重な情報をたっぷり含むものだ。これはほかのどんな経験よりも発達の引き金となり,脳内における感情,認識,言葉,記憶を制御する領域同士の結合を強固なものにする。



ポール・タフ (2017). 私たちは子どもに何ができるのか 非認知能力を育み,格差に挑む 英知出版 pp. 32


小分けにされる

 貧しい子どもたちの問題に取り組む方法を探そうとするとき,誰もが直面する難題はもう一つある。アメリカ国内では,子供時代が年代に応じて,服のサイズや図書館の本棚のように,小分けにされてしまうのだ。乳幼児はこちら,小学生はあちら,10代の子どもたちはどこかまったくべつの場所,というように。これは研究者にも,支援グループにも,慈善事業にも,役所にも当てはまる。社会政策を例に取ってみると,国全体では,いちばん幼い子供たちの教育は保健福祉省の管轄であり,児童家庭局を通して「ヘッドスタート」などの育児支援プログラムを運営しているのもここである。しかし,幼稚園に入ったとたんに,子供の教育に関する責任の所在は魔法のようにすばやく教育省へ移動し,こんどはこちらが小・中学校の教育までを監督する。同様のお役所仕事的な区分が州レベル,郡レベルでも存在し,ごく少数の例外を除いて,幼児期の育児支援をする部署と学校システムの管理をする部署が協同で何かに取り組むことはないし,連絡すらほとんど取らない。


 こうした区分があるのも理解できる。子供時代のすべてを一つの政府機関,あるいは一つの財団が――ましてや一人の教師やメンターやソーシャルワーカーが――一手に引き受けるのは無理である。仕事があまりにも多岐にわたるからだ。しかしこのように分断することのいちばんの問題は,子供時代のあらゆる段階を通じて持続するテーマやパターンが見えなくなってしまうことだ。



ポール・タフ (2017). 私たちは子どもに何ができるのか 非認知能力を育み,格差に挑む 英知出版 pp. 21-22


受験倍率2年周期の法則

 ところでここに,株価とは違うが,実に面白い規則性がある。大学の受験倍率の高低がおおよそ2年周期になる,という法則である。これは多くの大学教員から聞いたので,かなり信憑性がある法則だ。この周期性は,受験生たちがなるべく受験倍率の低い大学を受験しようとする,そういう傾向から来ているらしい。もちろん,大学の合否はおおよそ学力で決まる。実力があれば倍率など無関係に合格するだろう。しかし,試験はみずものである。実力通りの結果を出せないこともままある。このとき,倍率が低いなら,多少失敗しても運よく受かるかもしれない。そこで受験生は倍率の低そうな大学を受験しがちになる。
 このとき,受験生は前年度のデータを参考にして,受験倍率が低い大学を選ぶ。そのため,前年度倍率の低かった大学は,今年度に倍率が跳ね上がり,前年度高かった大学は逆に下がる傾向が現れる。これを「受験倍率2年周期の法則」という。
小島寛之 (2005). 使える!確率的思考 筑摩書房 pp. 61-62

説明と証明

 私が講義でこの話をすると,だいたいいつも誰かが的を射た質問をします。「先生は目を引く事例を使って要点を説明しているだけです。先生がすべきではないと言った方法じゃないですか」。この良い質問のお陰で,私は本章のテーマについて,さらに細かな点を伝えることができます。質問への回答はこうです。「たしかに,私は目を引く事例を使って要点を説明してきました。それは要点を説明するためで,証明するためではありません」。この二つを区別することが重要なのです。つまり,(1)主張することと,(2)それを伝えることの違いです。それぞれについて,支持証言に基づいているか否かを問うことができます。すると可能性として,以下の四つの立場を導くことができます。



 (1)強烈な支持証言に基づく主張が強烈な支持証言によって伝えられるもの。


 (2)強烈な支持証言に基づく主張が支持証言抜きに伝えられるもの。


 (3)支持証言ではない他のエビデンスに基づく主張が,強烈な支持証言によって伝えられるもの。


 (4)支持証言ではない他のエビデンスに基づく主張が,支持証言抜きに伝えられるもの。



キース・E・スタノヴィッチ 金坂弥起(監訳) (2016). 心理学をまじめに考える方法:真実を見抜く批判的思考 誠信書房 pp.90


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