I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「教育」の記事一覧

サーブとリターン

 子どもが感情面,精神面,認知面で発達するための最初にしてきわめて重要な環境は,家である。もっとはっきりいえば,家族だ。ごく幼いころから,子供は親の反応によって世界を理解しようとする。ハーバード大学の児童発達研究センターの研究者たちは,この相互関係に「サーブとリターン」という名前をつけた。幼児が音をたてる,あるいは何かを見る(これが「サーブ」)と,親は子供の関心を共有し,片言のおしゃべりや鳴き声に対し,しぐさや表情や言葉で反応することでサーブを打ち返す(これが「リターン」)。「そうね,わんわんね!」「扇風機が見えたの?」「あらあら,悲しいの?」こうした親と乳児とのあいだのあたりまえのやりとりは,親にしてみれば無意味なくり返しに感じられるかもしれないが,乳幼児にとっては世界のありようを知るための貴重な情報をたっぷり含むものだ。これはほかのどんな経験よりも発達の引き金となり,脳内における感情,認識,言葉,記憶を制御する領域同士の結合を強固なものにする。



ポール・タフ (2017). 私たちは子どもに何ができるのか 非認知能力を育み,格差に挑む 英知出版 pp. 32


小分けにされる

 貧しい子どもたちの問題に取り組む方法を探そうとするとき,誰もが直面する難題はもう一つある。アメリカ国内では,子供時代が年代に応じて,服のサイズや図書館の本棚のように,小分けにされてしまうのだ。乳幼児はこちら,小学生はあちら,10代の子どもたちはどこかまったくべつの場所,というように。これは研究者にも,支援グループにも,慈善事業にも,役所にも当てはまる。社会政策を例に取ってみると,国全体では,いちばん幼い子供たちの教育は保健福祉省の管轄であり,児童家庭局を通して「ヘッドスタート」などの育児支援プログラムを運営しているのもここである。しかし,幼稚園に入ったとたんに,子供の教育に関する責任の所在は魔法のようにすばやく教育省へ移動し,こんどはこちらが小・中学校の教育までを監督する。同様のお役所仕事的な区分が州レベル,郡レベルでも存在し,ごく少数の例外を除いて,幼児期の育児支援をする部署と学校システムの管理をする部署が協同で何かに取り組むことはないし,連絡すらほとんど取らない。


 こうした区分があるのも理解できる。子供時代のすべてを一つの政府機関,あるいは一つの財団が――ましてや一人の教師やメンターやソーシャルワーカーが――一手に引き受けるのは無理である。仕事があまりにも多岐にわたるからだ。しかしこのように分断することのいちばんの問題は,子供時代のあらゆる段階を通じて持続するテーマやパターンが見えなくなってしまうことだ。



ポール・タフ (2017). 私たちは子どもに何ができるのか 非認知能力を育み,格差に挑む 英知出版 pp. 21-22


受験倍率2年周期の法則

 ところでここに,株価とは違うが,実に面白い規則性がある。大学の受験倍率の高低がおおよそ2年周期になる,という法則である。これは多くの大学教員から聞いたので,かなり信憑性がある法則だ。この周期性は,受験生たちがなるべく受験倍率の低い大学を受験しようとする,そういう傾向から来ているらしい。もちろん,大学の合否はおおよそ学力で決まる。実力があれば倍率など無関係に合格するだろう。しかし,試験はみずものである。実力通りの結果を出せないこともままある。このとき,倍率が低いなら,多少失敗しても運よく受かるかもしれない。そこで受験生は倍率の低そうな大学を受験しがちになる。
 このとき,受験生は前年度のデータを参考にして,受験倍率が低い大学を選ぶ。そのため,前年度倍率の低かった大学は,今年度に倍率が跳ね上がり,前年度高かった大学は逆に下がる傾向が現れる。これを「受験倍率2年周期の法則」という。
小島寛之 (2005). 使える!確率的思考 筑摩書房 pp. 61-62

説明と証明

 私が講義でこの話をすると,だいたいいつも誰かが的を射た質問をします。「先生は目を引く事例を使って要点を説明しているだけです。先生がすべきではないと言った方法じゃないですか」。この良い質問のお陰で,私は本章のテーマについて,さらに細かな点を伝えることができます。質問への回答はこうです。「たしかに,私は目を引く事例を使って要点を説明してきました。それは要点を説明するためで,証明するためではありません」。この二つを区別することが重要なのです。つまり,(1)主張することと,(2)それを伝えることの違いです。それぞれについて,支持証言に基づいているか否かを問うことができます。すると可能性として,以下の四つの立場を導くことができます。



 (1)強烈な支持証言に基づく主張が強烈な支持証言によって伝えられるもの。


 (2)強烈な支持証言に基づく主張が支持証言抜きに伝えられるもの。


 (3)支持証言ではない他のエビデンスに基づく主張が,強烈な支持証言によって伝えられるもの。


 (4)支持証言ではない他のエビデンスに基づく主張が,支持証言抜きに伝えられるもの。



キース・E・スタノヴィッチ 金坂弥起(監訳) (2016). 心理学をまじめに考える方法:真実を見抜く批判的思考 誠信書房 pp.90


見解の相違

 親たちが,うちの子は「本物の」人々よりコンピュータを好むと苦々しく言うのを私はよく耳にする。しかしながら,私が会ってきた子どもたちは,できることなら直接友だちと会うほうがずっといいと繰り返し言ってきた。この隔たりは,社交性というものはどのように目に見えるのかに関して,親とティーンが異なる見解を持っている故に生じている。親たちはティーンが友達と集まる機会として,教室や放課後の活動や約束したうえでお互いの家を訪れることを重視するが,ティーンは大人の監視の及ばないところでの,もっと広い仲間の輪の気楽な集まりに興味を持っている。大人は,ティーンにはたくさんの社交の機会があると感じているが,私が会ったティーンはその反対だと感じている。



ダナ・ボイド 野中モモ(訳) (2014). つながりっぱなしの日常を生きる:ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの 草思社 pp.138-139


最大の要因は練習量

 こうしたでーたをすべて分析した結果は,他の研究者が示したものと類似していた。子供のチェス能力を説明する最大の要因は練習量であり,練習時間が多いほどチェス能力を評価するさまざまな指標のスコアは良くなった。それより影響力は小さいが,もう一つ有意な要因だったのが知能で,IQが高いほどチェス能力は高くなった。意外なことに空間視覚能力は重要な要因ではなく,記憶力や情報処理速度のほうが影響があった。すべてのエビデンスを検討した結果,研究チームはこの年齢の子供の場合,生まれつきの知能(IQ)も影響はするものの,成功を左右する最大の要因は練習であると結論づけた。


 とはいえ被験者のうち「エリート」プレーヤーだけに注目すると,まったく違った光景が見えてきた。ここで言うエリートとは,地元や全国,ときには国際レベルの試合に頻繁に出場する23人で(全員男子)で,チェスレーティングの平均は1603,最も高いプレーヤーで1835,最も低いプレーヤーは1390だった。つまりすでにかなりの腕前に達している子供たちだ。大人と子供を含めてチェスの試合に出場する人のレーティングが低い子供でも大人のプレーヤーに十分チェックメイトをかけられるレベルだった。


 この23人のエリートプレーヤーについても練習量がチェス能力の最大の決定要因であることに変わりはなかったが,知能は明らかな影響を及ぼしていなかった。エリートグループのIQの平均値は,被験者57人全体の平均値よりも多少高かったが,エリートグループの中ではIQが低いプレーヤーのほうが平均して見るとチェスの能力は高かった。


 この事実をじっくり考えてみよう。この若いエリートプレーヤーの間では,IQが高いことはまったく有利に働いていないどころか,むしろ不利に働いているようだった。研究チームはその理由について,IQが低いエリートプレーヤーのほうがたくさん練習する傾向があり,それによってIQが高いエリートプレーヤーよりチェスの腕前が上達したと説明している。


 この研究は,過去の研究に見られる明らかな矛盾,すなわち年少のプレーヤーの場合はIQの高さがチェス能力に結びついているにもかかわらず,大人で試合に出場する選手やチェスマスター,グランドマスターの場合はIQとチェス能力に相関が見られないという点についても,きちんと説明をしている。この説明がわれわれにとってきわめて重要なのは,それがチェスプレーヤーのみならず,あらゆる能力の発達に当てはまるからだ。



アンダース・エリクソン ロバート・プール 土方奈美(訳) (2016). 超一流になるのは才能か努力か? 文藝春秋 pp.302-303


正しくすることに意識を集中する

 これが練習の効果を最大限に高めるコツだ。ボディビルや長距離走など,トレーニングの大部分が単純に何かを繰り返す作業のように思えるスポーツでも,一つひとつの動きを正しくやることに意識を集中すると上達が加速する。長距離走選手の研究では,アマチュア選手は走ることの辛さや疲労感から逃れるために楽しいことを考えたり空想にふけったりする傾向があるのに対し,トップクラスの長距離選手は自らの身体に意識を集中させ,最適なペースをつかみ,レースの間それを維持するのに必要な調整をしていく。ボディビルあるいは重量挙げで,今の能力では限界というウエイトを挙げるときには入念に準備をして,完全に集中しなければならない。どんな活動でも能力の限界に挑戦するときには,100%の集中力と努力が必要だ。そしてもちろん,筋力や持久力がそれほど必要とされない知的活動や楽器演奏,芸術活動などは,そもそも集中せずに練習してもまったく意味がない。



アンダース・エリクソン ロバート・プール 土方奈美(訳) (2016). 超一流になるのは才能か努力か? 文藝春秋 pp.207-208


フィードバックや修正があるか

 限界的練習の観点に立てば,何が問題かは明らかだ。講義やミニコースなどに参加しても,フィードバックを得たり,新しいことに挑戦してミスを犯し,それを修正することで徐々に新たな技能を身につけていく機会はまったくと言ってよいほどない。それではアマチュアのテニスプレーヤーがテニス雑誌を読んだりときどきユーチューブの動画を見てうまくなろうとするのと変わらない。それで何かを学んだ気になるかもしれないが,腕が上がることはほとんどない。しかもネット上のインタラクティブな継続医療教育では,医師や看護師が日々の診療現場で直面するような状況を再現するのはきわめて難しい。



アンダース・エリクソン ロバート・プール 土方奈美(訳) (2016). 超一流になるのは才能か努力か? 文藝春秋 pp.187


知れば知るほど

 あるテーマについて知れば知るほど心的イメージは詳しくなり,新たな情報を吸収するのも容易になる。「1. e4 e5 2. Nf3 Nc6 3. Bb5 a6……」といったチェスの棋譜はふつう人にはちんぷんかんぷんだが,チェスのエキスパートが見れば試合全体の流れを追い,理解することができる。同じように音楽のエキスパートであれば,新しい曲の楽譜を見ただけで弾かなくてもそれがどんな調べになるかわかる。そして「限界的練習」や学習心理学という領域全般についてすでに知識のある読者なら,他の読者より楽に本書の情報を吸収できるはずだ。いずれにせよ本書を読み,議論されているトピックについて考えることであなたの中に新たな心的イメージが生まれ,今後そのテーマについて呼んだり学んだりするのが容易になるはずだ。



アンダース・エリクソン ロバート・プール 土方奈美(訳) (2016). 超一流になるのは才能か努力か? 文藝春秋 pp.107-108


心的イメージ

 練習しているのが主に身体的な技能であっても,適切な心的イメージを作り上げることはその重要な構成要素となる。新しい技を習得しようとしている飛び込み選手を考えてみよう。練習の大部分は,その技の瞬間ごとのあるべき姿,またそれ以上に重要なこととして,適切な身体の位置関係や動きがどんな感覚のものであるかという明確な心的イメージを形成することに費やされる。もちろん限界的練習は身体そのものの変化にもつながる。たとえば飛び込み選手なら足や腹筋,背中,肩などが発達する。だが身体の動きを生み出し,正確にコントロールするのに必要な心的イメージがなければ,どれだけ身体が変わっても意味がない。



アンダース・エリクソン ロバート・プール 土方奈美(訳) (2016). 超一流になるのは才能か努力か? 文藝春秋 pp.98



限界的練習

 そしてここで指摘したいのが,従来型の学習方法と,目的のある練習,あるいは限界的練習の大きな違いだ。従来型の学習方法はホメオスタシスに抗うことを意図していない。意識的かどうかは別として,従来型の方法は学習は生まれつきの才能を引き出すことであり,コンフォート・ゾーンからそれほど踏み出さなくても特定の技術や能力を身につけることは可能だという前提に立っている。こうした見方に立てば,練習は所与の才能を引き出すためのものであり,それ以上にできることはない,ということになる。


 一方,限界的練習の場合,目標は才能を引き出すことだけではなく,才能を創り出すこと,それまでできなかったことをできるようにすることである。それにはホメオスタシスに抗い,自分のコンフォート・ゾーンの外に踏み出し,脳や身体に適応を強いることが必要だ。その一歩を踏み出せば,学習はもはや遺伝的宿命を実現する手段ではなくなる。自らの運命を自らの力で切り拓き,才能を思い通りに創っていく手段となる。



アンダース・エリクソン ロバート・プール 土方奈美(訳) (2016). 超一流になるのは才能か努力か? 文藝春秋 pp.85


居心地の良い場所から出る

 ここで目的のある練習の特徴を簡潔にまとめてみよう。まず自分のコンフォート・ゾーンから出ること。それに集中力,明確な目標,それを達成するための計画,上達の具合をモニタリングする方法も必要だ。それからやる気を維持する方法も考えておこう。


 何かにおいて上達したい場合,これを実践すればすばらしいスタートを切れるのは間違いない。とはいえ,それはあくあでもスタートに過ぎない。



アンダース・エリクソン ロバート・プール 土方奈美(訳) (2016). 超一流になるのは才能か努力か? 文藝春秋 pp.54


壁を乗り越える方法

 自らのコンフォート・ゾーンから飛び出すというのは,それまでできなかったことに挑戦するという意味だ。新しい挑戦で比較的簡単に結果が出ることもあり,その場合は努力を続けるだろう。しかしまったく歯が立たない。いつかできるようになるとも思えないこともあるだろう。そうした壁を乗り越える方法を見つけることが,実は目的のある練習の重要なポイントの一つなのだ。



アンダース・エリクソン ロバート・プール 土方奈美(訳) (2016). 超一流になるのは才能か努力か? 文藝春秋


意識的な努力が必要

 だが,それは誤りだ。一般的に,何かが「許容できる」パフォーマンスレベルに達し,自然にできるようになってしまうと,そこからさらに何年「練習」を続けても向上につながらないことが研究によって示されている。むしろ20年の経験がある医者,教師,ドライバーは,5年しか経験がない人よりやや技能が劣っている可能性が高い。というのも,自然にできるようになってしまった能力は,改善に向けた意識的な努力をしないと徐々に劣化していくためだ。



アンダース・エリクソン ロバート・プール 土方奈美(訳) (2016). 超一流になるのは才能か努力か? 文藝春秋 pp.42


成績のインフレ

 アメリカの大学生がA以外の成績をあまり取らないのは,アメリカの大学が「成績のインフレ」(Grade Inflation)という問題を抱えているからだ。四年制の大学では42%の成績がAである。1960年代にくらべて成績の中でAの割合は3倍にも増えた。成績のインフレはトップ大学で特にひどく,例えばイェール大学では62%の成績がAかA-であるし,ハーバードの成績平均はA-である。


 成績のインフレが深刻化したのは最近のことであるが,始まったのはベトナム戦争の頃にさかのぼるといわれている。大学生は徴兵を猶予されたので多くの若者が大学に進学したが,成績が悪くて退学になった者はすぐにベトナム行きとなる恐れがあった。それに同情した大学教員が学生を助けるために成績の底上げをしたことが今に至っているというわけである。


 だから成績のインフレのきっかけは教員自身の親切心だが,それに拍車をかけているのが授業料の値上がりと共に大学が学生を顧客と扱いだしたことだ。お客様は当然高い支払いに見合う「商品」を要求する。それが「いい成績」というわけだ。私立大学の平均の成績が州立大学より少し高いのは,私立のほうが授業料が高いので,見返りに対する期待も大きいからだと考えられる。対照的に授業料の安い二年制のコミュニティ・カレッジでの成績のインフレはそれほど酷くはない。お金のインフレと違い成績は上限があるのでインフレが起こると一番上のAに成績が集中してしまう。



アキ・ロバーツ 竹内 洋 (2017). アメリカ大学の裏側:「世界最高水準」は危機にあるのか? 朝日新聞出版 pp.193-194


利害関係や社会的文脈を理解せよ

 日本の大学でもホリスティック入試に似たAO入試や自己推薦入試などが導入されている。AO入試はその理念とは裏腹に階級の再生産を促し,日本の社会をアメリカ並みの格差社会にすることに拍車をかけるかもしれない。それにAO入試の審査の不透明さは世間の大学への不信感を増してしまう恐れもある。というのも,アメリカでの大学に対しての不満はホリスティック入試に関するものが多いからである。日本はアメリカのシステムを導入することが多いが,「学力だけでなく人物を評価する」などの理念のみならず,理念の裏側にひそむさまざまな利害関係や社会的文脈も理解しなければならない。



アキ・ロバーツ 竹内 洋 (2017). アメリカ大学の裏側:「世界最高水準」は危機にあるのか? 朝日新聞出版 pp.160


レガシー入学生

 親や親戚が卒業生である者は「レガシー」(Legacy)と呼ばれる。有名人の中にもレガシーは多い。ドナルド・トランプは,あまり教養の感じられない暴言からすると少し意外だが,アイビー・リーグのひとつのペンシルバニア大学出身である。彼は3回の結婚で子供が沢山いるが,長女のイヴァンカ・トランプを含めて何人かは彼と同じ大学出身なのでレガシーである。
 大統領を二人も出したブッシュ家は代々イェール大学に進学する者が多いので,ブッシュ大統領は父子ともにレガシーである。
 レガシー学生のすべてが入学を保証されているわけではないが,彼らの合格率は一般学生に比べると驚くほど高い。例えばハーバードではレガシーの合格率は一般志願者の5倍の30%にもなり,プリンストンでも一般合格率の7%から33%にも跳ね上がる。スタンフォードではレガシーの合格率は15%と低いがそれでも一般の合格率の約3倍である。レガシー優先入学は私立だけでなく,州立の名門大学でも行われている。
アキ・ロバーツ 竹内 洋 (2017). アメリカ大学の裏側:「世界最高水準」は危機にあるのか? 朝日新聞出版 pp.153

ボーモルのコスト病

 大学の授業料高騰の原因を説明するのに経済学者のウィリアム・ボーモルとウィリアム・ボーエンによる「ボーモルのコスト病」(Baumol’s Cost Disease)という理論がある。教育など,人と人との関わりが重要で専門知識の必要な職務は,製造業のように機械やオートメーションなどのテクノロジーで補えないから,生産性の割には人件費が他の職種に比べて高くなるという論理である。しかし大学はテクノロジーのかわりに非常勤講師の安い労働力で教育の生産性を保ちつつ,人件費総額が増えないようにしているのである。


 増えたのは教育に直接関係しない大学職員にかかる費用である。まず言えるのは,大学の運営に関わる管理職の増加が著しい。ここ35年間での管理職数の増加率は教員数の増加率の10倍にもなる。学長,プロボスト,学部長,学科長などは昔からある役職だが,近年,職務が細分化したことが原因である。



アキ・ロバーツ 竹内 洋 (2017). アメリカ大学の裏側:「世界最高水準」は危機にあるのか? 朝日新聞出版 pp.111


競争の激しさと屈折

 アメリカ社会は競争が激しいので,すべての人を蹴落とさないと成功できないというプレッシャーが常にある。しかしそれではただの”悪い人”になってしまい,自己嫌悪に苛まれることになる。だから絶対に自分の脅威にならない人には思いやりをかけるというわけだ。テニュア付教授はむしろTAの過労働などを気遣うが,アシスタント・プロフェッサーの,特に優秀な者に対しては酷使してもかまわないという極端な考えに陥ることもある。このような屈折した行為は,どこの社会にもみられるものとはいえ,競争社会の圧力とキリスト教的博愛倫理の板挟みになったアメリカ人にもっともあらわれやすいものである。しかし逆に考えると,優しく扱われているうちはまだ一人前と思われていないということでもある。



アキ・ロバーツ 竹内 洋 (2017). アメリカ大学の裏側:「世界最高水準」は危機にあるのか? 朝日新聞出版 pp.90


デッドウッド

 テニュアの制度がうまく機能するにはすべての大学教授が勤勉であるという前提がないと成り立たないが,終身雇用が保証されると向上心がなくなって怠けてしまうのも人間の常である。特に授業コマ数の少ない研究大学では研究に時間を割かなければ,半ば退職人生の優雅な生活が可能になる。世間の人が大学教授はストレスが少ないと思いこんでいるのはこのような教授だけが目につきやすくなるからだ。


 研究実績がテニュア取得後に止まってしまうと,プロフェッサーへの昇格はもちろん無理だから退職までアソシエイト・プロフェッサーのままということになってしまう。永久にプロフェッサーになる器ではないという意味が込められて「パーマネント・アソシエイト・プロフェッサー」とか「枯れ枝(デッドウッド)」と呼ばれる。もちろん陰口でだが。



アキ・ロバーツ 竹内 洋 (2017). アメリカ大学の裏側:「世界最高水準」は危機にあるのか? 朝日新聞出版 pp.85


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