I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

これにて打ち止め

ブログ「I'm Standing on the Shoulders of Giants.」は,ここまでの記事でいったん打ち止めにしたいと思います。
これまで長い間お付き合いいただき,ありがとうございました。

続きはnoteのほうをご覧ください。


余計なことばかり

世の中の,殆どのことは余計なことだ。余計なことが寄り集まってなるようになっている。受け入れれば幸となり,受けつけねば仇となる。所詮はそれだけのこと。禍福を定めるのは己自身
京極夏彦「嗤う伊右衛門」角川文庫 2001年 p.320

採用される能力

 この仕組みに合致するために必要なのは,具体的には以下のような能力となるだろう。
 (1)忍耐力・継続力
 (2)思考力(論理構成)
 (3)咀嚼力・説明力(話す・聞く)
 (4)協調性(仲間とうまくやる)
 (5)社会的応力(マナー,ルールを守る)
 この5つが揃っていれば,そこそこの企業に採用はされる。ところがこの5つが最近(いや昔からか)の大学生には乏しい。だから就職が覚束なくなる。
海老原嗣生 (2016). お祈りメール来た,日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 文藝春秋 pp. 245-246

層が分離する

 経理で考えても,事務処理から入って,支店会計,本社に戻って本社会計,財務会計を一通り覚えたら,管理会計,その後はIR(投資家向け広報)とステップを踏まなければ上級者にはなれないだろう。
 企業の人事権が弱い職務型別雇用の場合,前任職をどかしてまで,若年者にこうしたポストを次々用意することは難しい。だから精鋭のエリートにのみ手厚く,その他多数には個別ポジションに安住という形になってしまうのだ。結果,給与も職位も上がらない大多数の人間と,猛スピードで上を目指すエリート層とに分かれる。
海老原嗣生 (2016). お祈りメール来た,日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 文藝春秋 pp. 211

未経験者を採用するから前倒しになる

 繰り返すが,日本型では未経験者を大量に採用する。この方式であれば,職務経験も学業成果も不要で,企業の採用軸は,「人間性」と「基礎能力」だけに絞られる。とすると,採用はいくらでも前倒しが可能になる。だから,日本企業は採用を早期化してしまう。いつでも採れるのに,卒業後まで待っているわけなどない。
 「通年採用すべし」や「自由化すべし」という意見もまったく同様だろう。すべて早期化に集約していく。採用早期化が進むと,学業阻害は著しくなる。教育界からすれば,自由化・通年化などは百害あって一利なしである。
海老原嗣生 (2016). お祈りメール来た,日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 文藝春秋 pp. 206

簡単には採用されない

 そもそも,欧米は「新卒採用を日本のようにしない」のだから,遊学していただけの未経験者を簡単には採用してくれないだろう。だから,あれほどインターンシップをして,死に物狂いで,手に職をつけている。
 日本型の新卒偏重を問題視するあまり,欧米では遊学者さえも大手企業で採用されているような幻想を生んでいるのだ。
海老原嗣生 (2016). お祈りメール来た,日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 文藝春秋 pp. 168

入ってからか入る前か

 日本と欧米,とりわけ欧州を比べた時に,産業と教育の接合に大きな違いがあることは,すでによく知られている。その違いを,ものすごく単純化して語るならば,以下のようになるだろう。
・日本の産業界は,職業教育は会社に入ってから自社で行う。それを教育界には求めない。企業が採用時に気にするのは,出身校の偏差値であり,あとは,本人のキャラクターや基礎能力となる。
・欧州の産業界は,職業教育されて実務能力のある人を雇う。だから,教育界に職業教育を求める。それぞれの仕事ができる・できないが,採用の基準となる。
海老原嗣生 (2016). お祈りメール来た,日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 文藝春秋 pp. 131

整理解雇と能力解雇

 本来解雇とは,「仕事がなくなる(整理解雇)」か,「その仕事が全うできない(能力解雇)」ときに起きる。欧米的な職務限定型雇用であれば,自分が契約しているポストがなくなるか,それが全うできなければ,解雇の事由となりうる。だから,本来は,解雇が簡単なのだ。逆にいえば,それが理論上たやすいがために,欧州諸国では厳罰を法律化して制限している。
 一方の日本は,職務を限定していない。とすると,「現在就いている仕事がなくなっても,他に異動させることで対処すべし(=整理解雇が難しい)」となる。同様に,「現在就いている仕事が全うできないなら,他の仕事に異動させろ(=能力解雇が難しい)」ともなる。
海老原嗣生 (2016). お祈りメール来た,日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 文藝春秋 pp. 103

ゆで蛙

 この流れ=「できることから任せて,徐々に難しく」という日本流の育て方を人事の世界では「ゆで蛙」と呼ぶ。
 蛙はいきなり熱い湯に入れられれば,耐えられず飛び出してしまうが,水を張った鍋に入れて,ゆっくり温めていくと,高温になっても鍋にとどまる。日本型キャリアステップも,いきなり難しい仕事につけるのではなく,最初は誰でもできる仕事を任せ,ゆっくり仕事を入れ替えて,知らない間に難しくする点を,ゆで蛙にたとえているのだ。
海老原嗣生 (2016). お祈りメール来た,日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 文藝春秋 pp. 99-100

OJT

 このOJTとは何なのだろう。
 単純に一言でいえば,こうなる。
 「できそうな仕事を寄せ集めてやらせ,慣れて腕が上がってきたら,少しずつ難しい仕事に入れ替えていく」
※On the Job Training 職務の中で覚えさせる形で行う教育
海老原嗣生 (2016). お祈りメール来た,日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 文藝春秋 pp. 96

米国と日本

 向こうでエポックメイキングなことをするのは,ベンチャーやサードパーティばかりだ。こうした企業の創業者は,基本,ガリ勉ではないから,欧米のエクセレントカンパニーには入れない。だから自分で会社を立ち上げる。あちらで上位大学からドロップアウトして起業する人が多い理由もこのあたりにある。
 一方日本はどうだろう?大学さえよければあとは成績は関係ない,という社会だったので,企業の選考が緩く,山っ気のあるガリ勉ではない人間がけっこう紛れ込んでいる。だから,大手からエポックメイキングなことが発せられる。
海老原嗣生 (2016). お祈りメール来た,日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 文藝春秋 pp. 64

米国の就活

 米国の場合,あまりにも国土が広く,そのうえ,大学数も桁違いに多い。しかも,同じ大学でも専攻によって難易度は大きく異なる。だから,そのすべてのレベルを認知して学生を評価することなどできないのだ。
 そこで,2つの専攻軸を設けている。1つは,ハーバードやスタンフォードなどの超有名校で入学も修学も厳しい基準のある大学は,それだけで書類審査を通過させるという方法。これは,日本企業が行っている(企業は否定するだろうが)学校名スクリーニングと同じといえるだろう。
 ただ,これだけでは優秀な地方無名大学の学生を弾いてしまうことになる。そこで,有名校以外は,各大学のトップレベル層に限り,書類通過させるのだ。その通過キップとして「GPA評価」が存在する。
海老原嗣生 (2016). お祈りメール来た,日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 文藝春秋 pp. 60-61

100年間繰り返し

 こうして1世紀近く,「不況なら就職できない」「好景気だと青田買いで大わらわ」と世間は就活で騒ぎ続けた。
 いずれにしても,学生がこんな風に就活に時間を割かれれば,そのしわ寄せは学業に来る。これは大学側としては由々しき問題だ。だから,教育界は企業に自粛を促す。
 企業は大学側のこうした要望を快くは思わないが,その実,企業同士の,際限ない青田買い競争にも辟易としている。だから,落としどころを探り,「就職協定」なるものが生まれ,競争が一時的に緩和される。ところが,景気が過熱して新卒採用ワクが膨れると,こんなルールは無視され,やがて形骸化する。
 100年近くずっとこの繰り返しだったのだ。
海老原嗣生 (2016). お祈りメール来た,日本死ね 「日本型新卒一括採用」を考える 文藝春秋 pp. 25-26

生命の共通起源

 第二章で見たように,普遍的なエネルギー通貨であるATPや普遍的な遺伝暗号のような規格は,生命が共通の起源をもつことの証である。そのような規格がないことが,技術における組み換えをよりむずかしくしており,技術はしばしばその代わりとして創意工夫を用いる。飛行機の何トンもの金属を空中にもちあげるためには,圧縮機,燃焼室,およびタービンを組み合わせる多くの創意工夫を必要とする。同じことは,今日の自動車の燃焼機関にもあてはまる。エンジンの各パーツは,シリンダーにぴったりあうようにするために厳密な工作が必要なピストンやバルブのような独自のリンク装置を介してつながっている。
アンドレアス・ワグナー 垂水雄二(訳) (2015). 進化の謎を数学で解く 文藝春秋 pp. 274

革新技術と生物の共通点

 技術革新と生物の新機軸の両方がもつもう一つの共通性は,古いものに新しい命を授けることである。技術革新の歴史は,実際にそうした例で満ちあふれている。スティーヴン・ジョンソンの言葉によれば,ヨハネス・グーテンベルクは,「人々を酔っぱらわせるために設計された機械」——スクリューを回してブドウの果汁を搾る圧搾機——を借用して,「マスコミュニケーションのための機械(印刷機)につくりかえた」のである。電子レンジは,もともとレーダーのために開発された技術——あるレーダー技師がポケットに入れてあったチョコレートが溶けたことから,レーダーの加熱力を発見した——で,食物に熱を加える(最初の商業用製品は「レーダーレンジ」と呼ばれた)。軽量の合成繊維ケプラー[開発したデュポン社の登録商標]はもともと,レーシング・タイヤの鋼の代替として開発されたが,防弾チョッキとヘルメットに取り入れられた。同じ原理は「技術革新」という標号にほとんど値しないような世俗的な考案でさえ働いている。二つの木挽き台の上にドアを置けば大きな机をつくることができる。長靴は,ローテクのドアストッパーに使える。牛乳運搬用の木箱ですばらしい書類整理棚がつくられる,等々である。エジソンはうまいことを言っている。「発明するためには,すぐれた想像力とガラクタの山が必要である」。
アンドレアス・ワグナー 垂水雄二(訳) (2015). 進化の謎を数学で解く 文藝春秋 pp. 267-268

研究者のドレスコード

 2008年の秋に,私の執拗な疑念に終止符を打つことができる進化実験を担当する候補者の面接をおこなった。そのうちの一人は,若いアメリカ人科学者で,その成績証明書のせいだけでなく,面接にトレッキングシューズを履いて現れたせいもあって,際立っていた。ほとんどの大学の研究者は正装をせず,ほかの職業の厳格な服装規定(ドレス・コード)を軽蔑するものだが,それでも彼の服装はちょっと異例だった。少なくともそれは,健全な自信を物語っていた。
アンドレアス・ワグナー 垂水雄二(訳) (2015). 進化の謎を数学で解く 文藝春秋 pp. 179

細胞の見方

 細胞は,どのタンパク質に意味があるか,つまり生きる助けになるかどうかについて冷徹な見方をする。それが役に立つときだけ意味があり,突然変異して,正しく折りたたまれなくなった欠陥タンパク質は,その意味を失う。もしタンパク質の「意味」というのがあまりにも擬人的に感じられるなら,意味の意味を探求する言語学の一分野としての記号論において,「意味」がどのように定義されているかを思い出してみる価値がある。記号(サイン)——道路標識から本のテキストまで,何でもありうる——が指し示すものが,何であれ意味なのである。もしその記号がタンパク質のアミノ酸テキストであれば,それが指定する意味はタンパク質の表現型であり,細胞内でそれが果たしている機能である。
アンドレアス・ワグナー 垂水雄二(訳) (2015). 進化の謎を数学で解く 文藝春秋 pp. 160

遺伝子型ネットワーク

 この時点で,私はもうほとんど有頂天になりかかっていた。私たちは,代謝の図書館の組織構造を支配する根本的な原理を探り当てたのだ。第一に,多くの代謝が同じ燃料分子で生存可能である——どの燃料を選ぶかはほとんど問題ではない。生物は,バイオマス構成要素を,多様な方法で,異なる多数の反応連鎖を通じて組み立てることができるのだ。第二に,こうした代謝の多くは互いに非常に異なっており,ごく少数の反応しか共有していない。第三に,私たちが見つけた生存可能な代謝は,巨大なネットワーク—遺伝子型ネットワーク—でつながっている。この遺伝子型ネットワークは,代謝空間のはるかに遠い場所まで到達していた。各主題領域はそのようなネットワークを一つもち,そうしたネットワークが代謝の図書館のなかで緻密に織り上げられた織物を形成している。
アンドレアス・ワグナー 垂水雄二(訳) (2015). 進化の謎を数学で解く 文藝春秋 pp. 139

生存能力

 遺伝子型テキストの表現型上の意味としてみれば,生存能力とは,複雑な物語の単純な寓意(教訓)のようなもの,あるいは冷酷なほど単刀直入な裁判所の判決のようなものだ。すなわちすべての不可欠バイオマス分子をつくることができなければ,判決は死刑であり,即座に執行される。不可欠分子を合成する能力を損なうような突然変異をもつ生物個体は,繁殖できる年齢まで生きながらえることができないというだけでなく,生きていくことがまったくできないのである。
アンドレアス・ワグナー 垂水雄二(訳) (2015). 進化の謎を数学で解く 文藝春秋 pp. 115

代謝という面では

 けれども,多細胞生物の世界のなかで,ヒトは代謝的創造の頂点からはるかに遠い地点にいる。なぜなら,多くの動物が,代謝の他の側面ではヒトを凌駕しているからである。ヒトはビタミンCをつくることができず,朝のコップ一杯のオレンジジュースを飲まなければならないのだが,イヌは自分でつくることができる。私たちは麦やトウモロコシのような草の種子からカロリーを抽出することができるが,ウシは茎に含まれるセルロースを消化することにすぐれている。けれども公正を期すため,そして正当な功績を認めるために言えば,この代謝の軌跡は本当はウシによる新機軸ではなく,微生物による新機軸だ。巨大なセルロース分子を消化が容易なグルコースに変換するのは,4つに分かれたウシの胃のなかにいる細菌なのである。
アンドレアス・ワグナー 垂水雄二(訳) (2015). 進化の謎を数学で解く 文藝春秋 pp. 107

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