I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

「人類への警告」という思考

 世界的なオカルトブームが吹き荒れた70年代,物質文明批判や公害問題,ベトナム戦争反対運動などが巻き起こり,米ソ冷戦下で第三次世界大戦勃発による人類滅亡さえも危惧されていた。古代に飛来したであろうUFOが,現代に再び見られるようになったのは,人類が直面する危機を警告し,新たな叡智を授けに来たのではないか,とも考えられたのだった。



前田亮一 (2016). 今を生き抜くための 70年代オカルト 光文社 pp.40


自動的である条件

何かが「自動的」というのは,どういう意味でしょうか。心理学者の多くは,行動が「自動的」とされるためには4つの条件が満たされるべきだと考えています。

 (1)本人が気づかないうちに起こる
 (2)意識的な意図なしに起こる
 (3)特に努力を必要とせずに起こる
 (4)完全にでなくても,ほとんどコントロール不能である

 長年の心理学研究によって,他社の行動に意味づけをしてその人に対する判断を下すときの認識者の脳の働きは,以上の4つの要素をすべて満たしていることがわかっています。

ハイディ・グラント・ハルヴァーソン 高橋由紀子(訳) (2015). だれもわかってくれない:あなたはなぜ誤解されるのか 早川書房 pp.66

自炊と屠畜

こういうことではないだろうか。「自炊」という行為は屠畜に似ている。電気ショックを浴びせたり,額を撃ち抜いたりして,家畜を絶命させる。その瞬間からの一部始終を見るのと,肩やもも肉などの各部位に切断された後の牛や豚を見るのとでは,受ける衝撃はまるで違う。生命体から物体へと変わる瞬間が衝撃的なのだ。「自炊」も同じ。背表紙を切り落とされ,装幀を破壊される瞬間がなにより辛い。その段階はすでに終えているのだ。だからこそ平気なのだろう。

西牟田靖 (2015). 本で床は抜けるのか 本の雑誌社 pp.122

但し書き

自炊代行業者に対する業界の危機感は,出版物に密かな変化をもたらした。2010年以後,書籍の奥付に次のような但し書きが目立つようになったのだ。
 「本書を代行業者等の第三者に依頼してスキャンやデジタル化することは,たとえ個人や家庭内の利用でも著作権法違反です」
 「私的利用以外のいかなる電子的複製行為も一切認められていません」
 「代行業者等の第三者による電子データ化及び電子書籍化はいかなる場合も認められておりません」
 やれやれ。右記の文章が奥付に記されている書籍の版元は,いずれも僕が取引をしている会社である。自炊代行業者にスキャンを依頼することが回り回って出版社の耳に入り,心証を損ねる可能性はある。最悪の場合,得意先を失うかもしれない。
 ではどうすればよいのか。床が抜ける可能性を残したまま部屋に置いておくか,大量の書籍を廃品回収に出したり,売ったりするのか。出版社に嫌われるのを覚悟して自炊代行業者へ依頼するのか——。

西牟田靖 (2015). 本で床は抜けるのか 本の雑誌社 pp.109

本の存在感

物体としての本の存在感は読者に読む醍醐味を与える。本を手に持ち,ページをめくりながら,目を通していくからこそ読書という体験は豊かになる。だが,その物体性故に,床が抜けそうになったり,居住空間が圧迫されたりもする。さらに,部屋に閉じ込められたり,果ては凶器となり怪我をしたりとあらゆる厄介事を抱え込んでしまうのだ。

西牟田靖 (2015). 本で床は抜けるのか 本の雑誌社 pp.80

勤勉性

締めくくりに,勤勉性とは単にまじめで,熱心,一生懸命という特性にとどまるとみたら失敗するだろう。勤勉な生き方とは,創造性の基盤,成長の源であるという現実である。芸術でも科学でも産業でも,NHK『プロジェクトX——挑戦者たち』でみたように,創造的営為の背後には,必ずといっていいほど地道な勤勉性が潜んでいる。これは人々の常識になっている。この日本列島において,多様な文化が創造され,今日のように発展してきたのも,人々の間にまじめに努力するという勤勉な資質の裏づけがあったからにほかならない。
 世界の人々と交わる中で,われわれは勤勉に生きる意味を自然体で伝えることができるだろう。内外の人々は,シュリーマンのように,日本人の普段の生き方,働き方に実地に触れることによって,勤勉性というわが国の土着思想に深い関心を向けはじめるのではないだろうか。迂遠なようだが,それがグローバルな国際社会に寄与できる道なのかもしれない。その意味ではミッションであろう。

梶田正巳 (2015). 日本人と雑草:勤勉性を育む心理と文化 新曜社 pp.187

粘りと勤勉

最後に注目しておきたいのは,「ねばり強い」と「勤勉」との関係である。「ねばり強さ」が欠ければ「勤勉性」は失われるし,また逆も真なりだろう。両者には強い相関関係,表裏一体のかかわりがある,ということである。困難があっても耐えながら,目標を達成するために,一生懸命に勤めることをわれわれは最重視している。ここに日本人の勤勉性の特徴が現れている。こう眺めてくると,日本人のかかわる社会的場面では,「怠ける」,「チャランポラン」,「いいかげん」などは,反対に一番嫌悪され,信用されない人柄の指標になっているものと思われる。

梶田正巳 (2015). 日本人と雑草:勤勉性を育む心理と文化 新曜社 pp.32

翻訳文化

翻訳活動は今日,「翻訳文化」と称されて,わが国の社会文化の大きな特質といわれている。いまやなじみのボキャブラリーになっている権利(right),社会(society),民主主義(democracy),憲法(constitution),自由(freedom and liberty),衛生(hygiene),個人(individual),自然(nature)などは,江戸末期から明治にかけて,日本語へ翻訳する過程でできあがった新しい言葉なのであった。この百数十年の間に非常に多くの翻訳語が造語されて,日本語を豊かにする大きな契機になっていた。
 江戸末期から進んだわが国の翻訳文化が影響を与えたのは,日本にとどまるものではない。実は漢字文化圏の本場である中国へも逆輸入されていった。そして,中国語のボキャブラリーをも非常に豊かなものにしていったのである。具体例を掲げれば,上記のほかには,階級,取締,出版,哲学,立場,主義,原子,近代化,唯物論などの語彙は,日本語書籍の中国語への翻訳活動を通して,中国語の中に取り入れられた代表的な言葉である。

梶田正巳 (2015). 日本人と雑草:勤勉性を育む心理と文化 新曜社 pp.14-15

寺子屋の数

周知のように,庶民については,「寺子屋」や「手習い所」という名の「学び舎」がいたるところにあった。そこでは日常生活に欠かせない実用的な読み書き,ソロバン,算術などを子どもたちに教えていた。江戸の町だけでも1500軒をこえていた,といわれる。この数のすごさを理解するために,現代の数字を出してみよう。
 平成25年に東京都教育委員会が所管する公立の小学校の総数は,区部,市部,郡部,島嶼部までを全部あわせると,1299校になる。この学校数と寺子屋の1500軒を比べると,その結論は明快で,江戸末期の庶民の学ぶ意欲,強い姿勢を実感することができるだろう。

梶田正巳 (2015). 日本人と雑草:勤勉性を育む心理と文化 新曜社 pp.12

分刻み

日本人を相手にしたツアー旅行の場合は,一日中,早朝から夜までも分刻みで,あちらこちらを訪問し,非常に能率的,効率的に行われている。さまざまな場所へ行ったり,食事やイベントに参加したり,実にバラエティーに富んでいる。費用対効果ではないが,行き先の多様さと多さで,旅行会社はお互いに競いあっている。すると,必然的に観光体験は広いが浅い,という結果になることは避けられない。こんな行動傾向の中にも,知らないものは何でもみたいというわれわれ日本人の強い好奇心,それを実現しようというツアー企画者の競争心,まじめさ,勤勉性,そしてまた課題さえもがみえてくる。

梶田正巳 (2015). 日本人と雑草:勤勉性を育む心理と文化 新曜社 pp.6

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