I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

思考を論理的に表現する

もうひとつは「論理的に思考する」のではなく,「思考を論理的に表現する」ことが大事である,ということです。思考はそもそも論理的ではなく,ハチャメチャであるというわけです。科学的大発見などをもたらす思考は「どんな考え方をしてもよろしい」というハチャメチャな自由があってこそ実現するものです。しかし,ハチャメチャ思考をそのまま表現してもおそらくだれにも分かってもらえないでしょう。なんらルールのないところで自由に考えたものを第三者に伝えたいのであれば,こんどは第三者と共有できるなんらかのルールに沿ってその考えを整理し,表出する必要があります。そのルールが論理に他なりません。飛躍が最大になるように仕組まれているのが思考で,飛躍が最小になるように仕組まれているのが論理と言ってもいいでしょう。

福澤一吉 (2005). 論理表現のレッスン NHK出版 pp.7-8

論理的であること

言葉と言葉がもつ関係性に人間の心理が関与することを考えるなら,論理的であることは「語と語,句と句,文と文の関係性にこころを向け,その関係性に注意を集中すること」に他なりません。

福澤一吉 (2005). 論理表現のレッスン NHK出版 pp.7

テストに対する意識類型

最後に,現在のテスト研究者の,テストに対する意識と態度の典型を便宜的に4つに分類してみよう。分類そのものに意味はないにしても,テストをめぐる議論の争点がある程度明確になると思われるからである。第1はテストの無条件肯定派ともいうべきものである。心理学者は心理テストを通じて社会に貢献しうると信じて疑わず,もっぱら技術的改善にのみ専心している。したがって(3)でふれたいわゆる心理技術者たちも当然このカテゴリーに入ることになるだろう。第2は良心的改良派ともいうべきもので,現在の心理テストの状況が理想的なものとみなしているわけではないが,それは努力によって改善しうるとして,テストの本質そのものを否定するわけではない。心理テストの規制や規範作りにも熱心である。いわゆるリベラルな人たちだが,しばしば現実認識が甘く,楽観的すぎる。したがって,結果的には第1のタイプとはっきり区別することが出来なくなってしまう。第3は条件付肯定派と言ってよいだろうか。現行のテストの弊害は当然認めるが,心理テストをすべて否定するのではなく,精神発達の段階を測定する技術として一定の評価をするという立場である。いわば集団における個人の相対的位置づけではなく,個人の変化そのものを測定しようということである。第4に,懐疑的否定派が存在する。心理テストの存在を社会的連関において捉えようとする場合,その管理的,抑圧的本質を意識せずにはいられないとする。また,社会的に中立な心理的技術など信じようとしない。私自身は第3の立場に関心を持ちつつも,現状ではこの第4の立場に組せざるを得ないと思っている。

日本臨床心理学会(編) (1979). 心理テスト・その虚構と現実 現代書館 pp.365-366

いつでも同じような疑問が

私たちが学生の頃(昭和30年代の後半),友人とよく話した話題の1つは「心理学は科学であるか?」あるいは「心理学は将来生き残れるか?」というものであった。心理学の「科学性」(その時,私たちもまた自然科学を念頭に置いていたと思う)はおおいに疑わしかったし,対象領域も生理学や数学などの隣接(?)科学によって吸収されつつあるという感じもあったのである。また,実学としてもたよりないようにみえた。だから,会話は,「残るとしたら,知能テストくらいのものだな」と半分自嘲的に言って終わることが多かった,と思う。そして同時にその頃私たちは,心理学の専門家(アカデミックな心理学者)になるためには,何か技術を身につけなければいけないと感じていた。そうした技術とは,(1)電気生理学,(2)情報解析,(3)心理診断法,の3つのどれかであった。
 (1)は脳波計に,(2)はコンピュータに,(3)ロールシャッハ・テストやTATに象徴されていたものである。それはとりもなおさず,生理心理学,計量(数理)心理学,臨床心理学という“将来性のある”専門領域における中心的な技術であった。

日本臨床心理学会(編) (1979). 心理テスト・その虚構と現実 現代書館 pp.359

投影法研究

投影法の存在が一般に広く知られ,実用化の試み,日本版の作成の試みなどがなされるようになったのは,昭和20年代後半から30年代前半にかけての時期であった。『ロールシャッハ研究』が初めて刊行されたのも,昭和33年(1958年)のことである。なかでも,1958年から59年にかけて刊行された『心理診断法双書』全3巻は,戦後の日本での投影法研究のその時点における集大成ともいうものであった。そのうちの1巻はTATにあてられ,木村駿氏によれば,
 「1959年,戸川を中心としてTATの大冊が心理診断法のうちの1冊として公刊された。これはTAT概観,実施法と分析法,臨床的適用,実験的研究,類似法の各領域にわたり,わが国の主なTAT研究者たちの研究成果の集大成といえるもので,日本のTAT研究史上に一時期を画したものといえよう」

日本臨床心理学会(編) (1979). 心理テスト・その虚構と現実 現代書館 pp.351

本質は…

ところで,戦時中の心理学者の言動や,戦後のその豹変ぶりを取り上げることに対して,批判的な人もいる。「あの時代は誰でもそうだったし,しかたがなかったのだ。それを問題にするのは大人げない」と。多分そのとおりなのだろう。私たちが問題にしたいのは,戦争という大事件がたまたま心理学者の「思想」の質を浮き彫りにさせたのにすぎないのであって,現在でもその本質はまったく変わっていないのではないか,ということである。現在の私たちにしても,国家の強権の発動のもとで,主体的な判断をし,行動がとれるか自信がない。それは,とりもなおさず,私たちもまた,彼らの息子である孫であることから,完全には抜け切れていないということである。これは少々,残念なことではないだろうか?

日本臨床心理学会(編) (1979). 心理テスト・その虚構と現実 現代書館 pp.329-330

心理学と海軍

こうした大学の心理学研究室との関係がもっとも緊密であったものの1つに海軍がある。ここでも初めは,松本と田中寛一が顧問となり,指導を行なった。後には,田中と増田惟茂が嘱託となり研究を続け,東京に海軍技術研究所が設けられてからは,そこの一部門を心理学者が占めるようになった。海軍で当初要求されたのは,軍隊内における特殊な作業にいかにして実験心理学を応用すべきかということ,それに兵員などの適性選抜及び配置に関する研究であった。海軍は心理学的研究に対し,陸軍よりも熱心であったが,これは海軍の方がそれだけ専門分化が進み,技術的水準も高いものが要求されたということも一因であったろう。陸軍においても,航空関係やその他の専門性の高い部門で,心理学的実験の試みが盛んであったことも,そのことを裏書きしているようである。
 海軍の中でも,少佐安藤謐次郎は兵員及び工蔽工員に対する適材選抜を目的とするテストを作成し実施した。これは,いわゆる一般職業適性検査ではないが,特殊職業適性テストとしては初めてのものとされている。
 また淡路円次郎も海軍少年航空兵選抜のためのテストを作成したり,飛行機の操縦及び探索員の適性に関する研究を行なったりしている。
 陸軍においては,航空関係で隊員の選抜に精神検査及び実験的測定を行なっている。また軍医学校及び陸軍自動車学校では兵員の選抜や軍事的作業の練習に心理学を応用している。また,師団単位で兵員約4千人について,軍隊検査を施行し,入隊前の職業や教育程度と知能との相関関係について研究している。

日本臨床心理学会(編) (1979). 心理テスト・その虚構と現実 現代書館 pp.300-301

ヒエラルキー構造

戦後の教育は,「単線型」であってそのため,「東大」をヒエラルキーの頂点とする,学校における一元的な競争体系を生み出してきたのだが,この中で,勝った者と負けた者とに対応する社会的階層を再び固定させつつある。かくて知能の高い者は,「東大」に向かい,そこを出た者は,高い社会的経済的階層を構成するようになった。これをゆるがしつづけるのは,タテマエとして存在する教育の機会均等であり,具体的には受験競争に参加する機会均等である。「ゆるがされる」階級の危機と「ゆるがし切れない」階級の挫折(→アノミー)とによる,資本主義社会総体の危機意識が,今日,このあやしげなそして不気味な「新教育宣言」を生み出したと思われる。
 これは,知能は遺伝,生物学的なものであり,知能が学歴を決める,そして学歴が社会的貢献度を決める,という荒筋になっているのだが,そこには,社会的,経済的階層は知能という遺伝・素質が決めるという主張がある。そして,この知能は知能テストによって測定されるというのである。こうして「人間万事所を得るというのは幸福への近道である」のだから「無理するな」と,低い知能の者に対し語っていくのである。
 このような主張は,批判にさらされ出した知能テスト業界と作成者の単なる巻き返しにすぎないともいえようが,桜井氏の主張と照らし合わせて考えると,資本制社会におけるヒエラルキー的分業化の正当化に向けたイデオロギーであるとも考えられる。知能テスト(ないしそれ的考え方)は再び進化論的遺伝学イデオロギーをうちかためながら,早期選別,早期教育に加担したがっているのである。

日本臨床心理学会(編) (1979). 心理テスト・その虚構と現実 現代書館 pp.284-285

知能テストの哲学

ビネーの時代も,わが国における戦前も戦後も,そして,今日も,知能テストを作成し使用する著者たちの哲学は,おどろくほどになんらかわっていない。「適材適所」の実現は,国家・社会の利益であるだけでなく,個人の幸福でもあるという主張こそ,知能テストの哲学である。

日本臨床心理学会(編) (1979). 心理テスト・その虚構と現実 現代書館 pp.275

知能指数に至らなかった理由

さて,ビネーは,精薄成人について「白痴は2歳以下,痴愚は7歳以下,魯鈍は10歳以下」という操作的定義を行っているのだが,これでは(成人以前の)精薄児の種類わけには不十分なはずである。そのためには,生活年齢と精神年齢との相対比が問題にならなくてはならない。ところが,ビネーは,この相対比をあらわす知能指数を思いついていない。これについては再論するが,ビネーは,その必要性を示唆することなく,「2年にあたる知能遅滞はどのばあいもひじょうに重大な遅滞兆候であると考えている」といい切っている。
 ここでは,その事情について考えてみよう。彼の最初の関心は,正常児と異常児とを区別することであった。「小さなエルネスト」らのところで述べたように,特に,学力不振児の中の「精神薄弱児」を発見することだった。さらにいえば,文部省の要請もそこにあったのだが,「精神薄弱児」ではない学力不振児を間違って特殊学級に入れてしまわないようにすることだった。
 つまり,同一生活年齢集団=同一学年集団であり,その集団は同様の知的レベルからなる集団であり,また,そうあるべきだ,という前提にたって,そこでの例外者(特に「精神薄弱」)を発見することが要請されたのである。この中で彼は,「1年にあたる知能遅滞」では「精神薄弱」と言い切れなかったが「2年にあたる知能遅滞はどの場合も」「精神薄弱」であるといってさしつかえないと考えた。
 こうして「精神薄弱児」を排除することによって,その集団に対する教育課程,教育方法を統一することが出来,教育効果を最大限にすることができると考えたのである。繰り返せば「2年にあたる知能遅滞」児は「どの場合も」(つまり,いずれの年齢集団においても)当該の学年集団にまったくふさわしくないということで「精神薄弱児」とよばれ,それ故に普通学級から特殊学級などに排除されていったのである。
 知能指数概念が思いつかないですんだ事情はここにあったといえよう。ついでだが,1908年に発表された知能測定尺度は,1905年尺度に比較して「年齢段階」をさらに明確化した。1908年尺度では3歳から13歳にわたって年齢毎の正確な目盛りをつけ,しかも,1905年尺度にあった「白痴」の水準を知る問題を削除した。さらに1911年に改訂された尺度では,15歳用,成人用が附加されたのである。ビネーの関心が「精神薄弱」とふつう児との区別ということに加えて「優良児」の選別,ランキングということにも移っていったことがわかる。

日本臨床心理学会(編) (1979). 心理テスト・その虚構と現実 現代書館 pp.265-266

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