I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

硬いか柔らかいか

学問分野には,「硬い」イメージの分野と「やわらかい」イメージの分野がある。硬いのは自然科学,やわらかいのは社会科学だ。前者は「ハードサイエンス」,後者は「ソフトサイエンス」と呼ばれる。私自身は,この二分法的な発想が好きになれない。私の専門である心理学は,生命科学や物理学と同じように対照実験や定量データの測定をおこなうが,ソフトサイエンスに分類されることが多い。
 一方,アメリカの二大政党のうち,共和党は,経済政策と外交政策,そして人工妊娠中絶や同性婚などの社会的な問題で強硬,つまりハードな立場を取ることが多い。それに対し,民主党のほうがやさしくて温情があり,ソフトというイメージをもたれている。
 ある研究グループは,人が他人の政党支持(共和党か,民主党か)と学問専攻分野(物理学=ハードサイエンスか,歴史学=ソフトサイエンスか)をどう判断するかに,硬い/やわらかいという物理的な触感が影響を及ぼすかを実験した。1つの実験では,被験者に硬いボールとやわらかいボールのいずれかを握らせ,男女4人ずつの顔を見せて,それぞれの人物が共和党と民主党のどちらを支持していると思うかを尋ねた。結果は,男女の識別の場合と同様だった。やわらかいボールを握った人のほうが,多くの顔を民主党支持者と判断したのだ。もう1つの実験では,被験者に大学教員たちの顔を見せ,それぞれの人物の専攻が物理学か歴史学かを予想させた。この実験でも,硬いボールを握った人はやわらかいボールを握った人より,多くの顔を物理学者と判定する傾向があった。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.42-43

触れるとチップが増える

触覚に大きく影響されるのは,子どもだけではない。大人がルールを守るかどうか,利他的に振る舞うかどうか,リスクの大きな行動に踏み出すかどうかも,他人に触れられるかどうかに影響される。こんな実験がある。スーパーマーケットで販売員が客を呼び止め,新しいスナック菓子の試食を勧める。その際,一部の客の腕に軽く手で触れるようにした。すると,腕に触れられた客は,試食を受け取り,さらには商品を購入する割合が大きかった。別の実験では,被験者の肩に軽く触れると,経済的にリスクの大きな行動を取る確率が高まった。おそらく,触れられることにより,安心感が増すからだろう。また別の研究では,レストランのウェイトレスが客の肩や手に1秒触れると,そうしなかったウェイトレスより,多額のチップを受け取ることができた。しかし,肩や手に触れられた客がウェイトレスや店の雰囲気に関して高い評価をくだすことはなかった。この点から考えると,体に触れられることがみずからの行動に影響を及ぼしていることに,客自身は気づいていないようだ。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.36-37

短時間の効果

暖かさが他人に対する信頼感や親近感を高め,気前よく振る舞わせる効果は,長くは続かないようだ。私たちの心理が物理的感覚の影響を受けるのは,ごく短い時間に限られる。しかし,効果の持続時間が短いからといって,それが重要ではないということにはならない。人が瞬間的にくだす判断は,先々まで大きな影響を及ぼす場合もある。だから,環境やほかの人たちからの影響をコントロールし,それをうまく活用することが重要だ。そのためにはまず,そうした影響の存在を認識する必要がある。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.29

こころと温感

これらの実験結果から考えると,人が寒く感じるか暖かく感じるかは,部屋の温度だけでなく,その人の心理状態にも明らかに左右される。仲間はずれにされたり,同席している人たちと考え方や価値観が異なったりして,孤独感をいだいているとき,その影響は肉体と心理の両方に及ぶ。また,部屋の中でほかの人から離れた場所にいるときも,人は孤独を感じ,部屋の空気を寒く感じる。逆に,ほかの人たちに受け入れられていると感じたり,意見や嗜好が近い人たちと一緒にいたり,誰かのそばに座っていたりすると,部屋が暖かく感じられる。

タルマ・ローベル 池村千秋(訳) (2015). 赤を身につけるとなぜもてるのか? 文藝春秋 pp.26

同性愛者を見つける

そこでフロムとフーカーがとった戦略は,実に挑発的なものでした。ただ「同性愛を心理学的に研究しました〜」だけでは,学界でスルーされるのは目に見えています。ですから,学界の権威が無視できないよう,こんなステップを踏むことにしたのです。

・フロムの人脈を生かし,男性同性愛者を(刑務所からでも病院からでもなく)30人集める。
・続いて,男性異性愛者も30人集める。
・合計60人の被験者に,ロールシャッハ・テストなど,当時主流であった心理検査を受けてもらう。
・その結果をまとめたうえで,被験者のプロフィールだけ隠して心理学界の権威に提出し,「あなたたちはこの心理検査結果だけで同性愛者を見分けることができますか?」と問う。

 そんな挑戦状を叩きつけられ,心理学界のお偉いさんたちも黙っていませんでした。「私なら間違いなく同性愛者を見分けてみせる」と,学者たちは自信満々。中には自らのプライドを賭けて,60人分の検査結果を検討するのに半年もかけた学者もいました。ですが,みんなみんな不正解。「もう1回やらせてくれ!」と食い下がった学者だって,やっぱりまた不正解でした。同性愛を異常扱いしていた心理学者たちは,60人のうち誰が同性愛者なのかということを,ちっとも見分けることができなかったのです!

牧村朝子 (2016). 同性愛は「病気」なの? 僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断法」クロニクル 星海社 pp.158-159

男性性・女性性

1936年,アメリカの心理学者ターマンとマイルズによって考案された,心理学的な男性性と女性性を調査するための心理テストです。同性愛診断のためだけに考え出されたものではないのですが,たとえばこのテストで”女性的”という診断結果が出た男性は,同性愛者かその予備軍なのだと考えられていました。

牧村朝子 (2016). 同性愛は「病気」なの? 僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断法」クロニクル 星海社 pp.137

国のためにならない

ナチスは,同性愛を生まれつきのものだとは考えませんでした。仮に生まれつきの同性愛者がいると認めれば,ヒルシュフェルトが提唱していたような,「同性愛は生まれつきの同性愛者による自然な行為なんだ!犯罪者扱いするべきじゃない!」という理屈が通ってしまいます。これではナチスにとって都合が悪いわけです。アーリア人の男と女がみんなくっついて,新しいアーリア人をガンガン産んでくれればいい,そういう考えでいるのですから,どうしても「人間はみんな異性愛者だよ!同性愛や異人種間結婚は犯罪だよ!」っていうことにしておかなければなりませんでした。
 そのためナチスとその支持者は,同性愛非犯罪化を訴えるヒルシュフェルトを罵り,殴り,足蹴にし,彼の研究所に放火してなにもかもを燃やし尽くしてしまったのです。
 自分たちの理想に合わない人間を,次々と排除していくナチス。1939年には,日本の厚生省(当時)もナチスドイツを手本にし,「産めよ殖やせよ国のため」などとうたう「結婚十訓」を発表しました。勝つためには数で勝負しなければならないという,第2次世界大戦下の強迫観念にとらわれ,いつしか,「子どもをつくれない人は国のためにならない」とされるようになっていきました。

牧村朝子 (2016). 同性愛は「病気」なの? 僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断法」クロニクル 星海社 pp.88-89

カップルの心中

が,時代はまだまだ多くの同性愛者を死に追いやっていました。それは西洋だけのことでも,男性同性愛だけのことでもありません。たとえば日本においても,1873年(明治六年)〜1926年(大正十五年)の記録に残る限り,女性同士のカップルが28組も心中しています。互いが恋愛関係にあったとはっきりしているのは28組のみですが,はっきりしないケースも含めれば,実に121組・242名もの女性たちが,女性ふたりで手に手をとって心中しているのです。

牧村朝子 (2016). 同性愛は「病気」なの? 僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断法」クロニクル 星海社 pp.83

生まれつきと考えるかどうか

けれども,こうして「同性愛者は生まれつき体の一部が違う」っていうことにしてしまうと,「じゃあそこを手術して治せばいいじゃん?」という話になってしまうんですよね。「それならば犯罪者扱いをやめましょう」じゃなくて。シュタイナッハのきんたま移植手術に始まり,後世には,同性愛者とされた人を無理矢理去勢したり,脳を手術して廃人状態に追いやったりと,「同性愛治療」と称した恐ろしい手術が続いていってしまうことになりました。
 このような事態は,同性愛者を「生まれつき他とは違う種類の人々」と考えることの危険性として,すでにケルトベニが指摘していたことです。けれども,「人間はみんな異性愛者として生まれつく」という前提にある限り,同性愛が「やめさせるべき犯罪行為」とか「正常な状態にあれば異性を愛せるはずの人間の逸脱行為」だと言われてしまうことは避けがたいことでした。

牧村朝子 (2016). 同性愛は「病気」なの? 僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断法」クロニクル 星海社 pp.65-66

homosexual

1868年5月6日,ケルトベニはウルリヒスに宛てて手紙を書きます。ウルリヒスが「ウルニング」だなんてちょっとカッコよすぎる名前で同性愛者を呼んでいたのに対し,ケルトベニはもうちょっとシンプルな言葉づかいをしてみせました。ギリシャ語で「同じ」を意味する「ホモ(Homo)」と,ラテン語で「性」を意味する「セクスス(Sexus)」を組み合わせ,「Homosexual(同性愛者)」という言葉をつくり出したのです。さすが,語学に長けた言葉のプロのやることです。同じ要領で,ケルトベニは「Heterosexual(異性愛者)」という言葉もつくりだしてみせました。
 続いてケルトベニは,この「同性愛者」という言葉を使い,1869年に刑法143条反対を表明する文書を発表しました。匿名での発表でしたが,その中には,自殺した友達を想い「刑法143条は恐喝や自殺を誘発する」と書くことを忘れませんでした。これが,文献に残っている限りでは,人類史上はじめて「Homosexual(同性愛者)」という言葉が公式に使われた瞬間です。

牧村朝子 (2016). 同性愛は「病気」なの? 僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断法」クロニクル 星海社 pp.45-46

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