I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   
カテゴリー「その他心理学」の記事一覧

自分で信じるようになる

 人によっては,自分でも気づかないうちに優秀なコールド・リーダーになっていることも十分あり得る。友だちに対して遊びでリーディングをするようになると,少なくともいくつか,非常に好意的な反応が返ってくるはずだ。それを長く続けているうちに,まわりの人が意味のあることだと思うような内容を話すコツがわかってくる。まもなく,周囲から好意的な反応が得られることで,自分にはサイキックの才能があると確信するようになる。
イアン・ローランド 福岡洋一(訳) (2011). コールド・リーディング:人の心を一瞬でつかむ技術 楽工社 pp. 380-381

どうしようもないほどひどい

 何かを回想するとき,四つの種類の汚染が起こることによって,正確さが損なわれることが多い。一般的に言って,
・人は物事を正確に観察するのが得意でない。
・うまく観察したわずかばかりのことも,正確に記憶するのが得意でない。
・うまく記憶したわずかばかりのことも,他人に正確に説明するのが得意でない。
・うまく説明できるわずかばかりのことも,大幅に単純化する傾向がある。
 これを疑うなら,こうした分野で実際に行われた学問的研究をひもといてみればいい。このような研究はいくつもあって,どれも同じことを指摘している。つまり,人間の心には素晴らしいところもたくさんあるが,過去の経験を正確に説明する能力はどうしようもないほどひどい,ということだ。
イアン・ローランド 福岡洋一(訳) (2011). コールド・リーディング:人の心を一瞬でつかむ技術 楽工社 pp. 259

ダイアローグへ

 要約すると,サイキックはリーディングを,モノローグ(独り言)ではなくダイアローグ(対話)にしようと努める。彼らは相談者にフィードバックを促すさまざまな方法を知っていて,巧みに利用する。これはコールド・リーディングの重要な側面だが,相談者はたいていの場合それに気づかない。多くの相談者は,サイキック能力によってさまざまなことが解き明かされ,数々の驚くべき言明を自分はただ聞いていたのだと信じて,リーディングの場を後にする。実際には自分がさまざまな情報をフィードバックしていたことに,まるで気づくこともなく。
イアン・ローランド 福岡洋一(訳) (2011). コールド・リーディング:人の心を一瞬でつかむ技術 楽工社 pp. 219

対話になるように

 理屈の上では,サイキックがずっとしゃべって相談者はただ聞いているというサイキック・リーディングもあり得る。コールド・リーディングはこういう状況でも機能するし,実際,郵便でやり取りするリーディングではほかに方法がない。しかし,コールド・リーディングが最もうまくいくのは,相談者が大いに反応し,たくさんの情報をフィードバックしてくれる場合だ。このためサイキックは,リーディングが相互の対話になるよう,できる限りのことをしている。
イアン・ローランド 福岡洋一(訳) (2011). コールド・リーディング:人の心を一瞬でつかむ技術 楽工社 pp. 209-210

予言は当たる

 「一方向のみ検証可能な予言(One-way Verifiable Predictions)」は,たぶんコールド・リーディングにおける予言のうちで最も巧妙なものだろう。この予言を検証することは可能だが,それは予言されたことが実際に起きた場合に限られる。実際に起きなかった場合は,予言が外れたことをけっして証明できない。たとえば,次の例を見てほしい。
 [例]「あなたの職業に影響を与えるニュースを,友だちが電話であなたに伝えようと考えるでしょう。しかし,ぎりぎりになって知らせるのを思いとどまるかもしれません」
 可能性をよく見てほしい。もし偶然に友人がそういう電話をかけてくれば,予言は当たったことになる。もし電話してこなければ,サイキックが可能性に言及しているように,知らせるのを思いとどまったせいにしてしまえる。
イアン・ローランド 福岡洋一(訳) (2011). コールド・リーディング:人の心を一瞬でつかむ技術 楽工社 pp. 184-185

インターリーブ効果

 インターリーブについて,明らかになったことをまとめよう。複数の項目,スキル,理念を混ぜた練習(勉強)をある程度の期間行うと,個々の項目,スキル,理念の違いがわかるようになるだけでなく,個々の特徴をより鮮明につかめるようになる。そして,この効果の活用でもっとも大変なのは,1つのことを繰り返し練習(勉強)するほうがいいという思い込みを捨て去ることである。
 その思い込みを捨てないとどうなるか。それは数学の点数に如実に現れる。
ベネディクト・キャリー 花塚 恵(訳) (2015). 脳が認める勉強法:「学習の科学」が明かす驚きの真実! ダイヤモンド社 pp. 248

流暢性

 流暢性とは,情報を適切に素早く処理し出力する能力のことである。事実や公式や要旨がその場ですぐに思いだせると,翌日や翌々日になっても思い出せると信じてしまうのだ。この流暢性が招く幻想は非常に強力だ。主題や課題の内容をつかんだと思えば,それ以上勉強する必要はないと思い込む。人は忘れるという事実を忘れてしまうのだ。
ベネディクト・キャリー 花塚 恵(訳) (2015). 脳が認める勉強法:「学習の科学」が明かす驚きの真実! ダイヤモンド社 pp. 123

筋肉のように

 一人ひとりを見つけて名前を確認するという行為を続けると,保存と検索の両方の力が増大する。小学1年のときの担任は,向こうが名乗ってくれれば,検索の力は格段に高くなる。これは,忘却の受動的な側面である。時間がたつにつれて検索の力が弱くなることが原因だ。「覚えるために忘れる理論」によると,検索の力が下がることで,忘れていた事実や記憶を再び見つけたときに,より深い学習を促進するという。ここでまた,筋肉の増強になぞらえてみよう。懸垂をすると筋肉の組織が破壊され,1日休息をとった後で再び懸垂を行うことで,より強い筋肉が形成される。これと同じなのだ。
ベネディクト・キャリー 花塚 恵(訳) (2015). 脳が認める勉強法:「学習の科学」が明かす驚きの真実! ダイヤモンド社 pp. 57-58

忘却曲線

 エビングハウスの忘却曲線は多くの研究者の心をとらえ,忘れられることはなかった。1914年,アメリカの教育研究の権威であるエドワード・ソーンダイクは,エビングハウスの忘却曲線を「学習の法則」に変えた。ソーンダイクはそれを「不使用の法則」と名づけ,情報を学習しても,使い続けなければ記憶から消え去ると断言した。使わなければ失うというわけだ。
 この法則は正しいと思われていた。少なくとも経験に合致するのは確かで,いまなおこの法則を学習の定義として思い浮かべる人がほとんどだ。しかし,この定義には裏がある。
ベネディクト・キャリー 花塚 恵(訳) (2015). 脳が認める勉強法:「学習の科学」が明かす驚きの真実! ダイヤモンド社 pp. 42

すべてを覚えていたら

 19世紀のアメリカ人心理学者ウィリアム・ジェームズは,「人間がすべてを覚えているとすれば,何一つ覚えていない場合と同様に都合が悪いことがほとんどだ」と言ったが,本当にそのとおりだろう。
ベネディクト・キャリー 花塚 恵(訳) (2015). 脳が認める勉強法:「学習の科学」が明かす驚きの真実! ダイヤモンド社 pp. 34

コンピュータではない

 つまり,脳に保存される事実,アイデア,経験は,コンピュータに保存されるような形では保存されないということだ。クリック1つで開くファイルとして,いつでもまったく同じアイコンを表示させるようにはいかない。脳の場合は,知覚,事実,思考のネットワークに組み込まれるという形で保存される。そして,思い出すたびに,そのネットワークに組み込まれるものが若干変わる。そうして思いだした記憶は,以前に思いだした記憶を上書きするものではない。それと結びつき,重なりあうものである。完全に失われるものは何もないが,たどった記憶は絶えず変化し続ける。
ベネディクト・キャリー 花塚 恵(訳) (2015). 脳が認める勉強法:「学習の科学」が明かす驚きの真実! ダイヤモンド社 pp. 29

占いと科学

 予言のこうした性質をふまえると,占い師として成功するための手引きを書くなら,次の3つの基本原理を意識すると幸先の良いスタートを切れそうだ。



 1 ほかの誰にも理解できない兆候を用いる。


 2 予測をどれもあいまいにする。


 3 違う予測をできるだけたくさんする。



 注目すべきは,最初の2つを裏返すと,それが科学的手法の基本的な側面の本質的な定義になっていることだ。



 1 測定プロセスを明確に記述し,自分のしたことを他人が正確にわかるようにする。


 2 自分の科学的仮説が含意するところを明確に記述し,その仮説が間違った予測をしたらそうとわかるようにする。



デイヴィッド・J・ハンド 松井信彦(訳) (2015). 「偶然」の統計学 早川書房 pp. 38


予言の解釈

 予言は往々にして謎めいた言葉で語られ,意味をあいまいにしていろいろな解釈ができるようにしている。そのため,反駁が難しいこともある。何がどう転んでも「ああ,そうだな,だが私はまさにそう言っていたんだ」と必ず言える予言者と議論するのは至難の業だ。一つの「予言」から二つの相反する解釈が可能なことさえある。


 そんな事例が,紀元前560~546年にリュディア王だったクロイソスの物語に見事に描かれている。それによると,彼はペルシャを攻めるかどうかを決めるため,デルポイに神託を求めた。すると,彼が川を渡ると大帝国が滅びるとのお告げだった。クロイソスはこれを自分に好都合なメッセージと解釈し,滞りなく攻撃をしかけた――だがそのせいでみずからの帝国がペルシャ軍によって滅ぼされた。



デイヴィッド・J・ハンド 松井信彦(訳) (2015). 「偶然」の統計学 早川書房 pp. 36-37


確証バイアス

 迷信は,ひとたび確立されるとおのずと強化されていく。正式な科学実験を別にすれば,私たちは仮説の正しさを検証するのが不得意だからだ。私たちは自分の説を肯定する証拠や出来事ばかりに気づき,ほかの傾向を示す物事を無視しがちで,これは「確証バイアス」と呼ばれている。たとえば,黒猫を見かけたあとに敷石につまずいたら黒猫を見るのは不吉だという証拠だと解釈し,見かけてもつまずかなかったときのことを無視するのである。



デイヴィッド・J・ハンド 松井信彦(訳) (2015). 「偶然」の統計学 早川書房 pp. 34


カーゴカルト

 「カーゴカルト(積荷崇拝)」は,パターンが見出されたもののその隠れた原因について何の根拠もないケースの一例である。たとえば第二次大戦後に南太平洋諸島の原住民が見せた行動がそうだ。彼らはまず日本軍が,のちに連合軍の兵士が,滑走路を作る,行軍する,着陸機を誘導する,決まった様式の服を着るなどしたのを目にした。こうした物珍しい振る舞いと関連付けられたのが,よそ者たちが「カーゴ」と呼ぶ見たこともない物資――缶詰,衣服,車両,銃器,無線機,コカコーラなど――を大量に積んだ巨大な空飛ぶ機械が飛んでくることだった。戦争が終わってよそ者たちが去ると,原住民は自分たちも同じような行動をとれば飛行機がまた飛んでくると考えた。そこで藁とココナッツで滑走路を作り,竹とひもで管制塔を建て,戦時中に出くわした兵士が着ていたような服に身を包んだ。そして木彫りのヘッドホンをかけて椅子に座り,「滑走路」から見よう見まねの着陸信号を送った。彼らはパターン――よそ者があの奇妙な振る舞いをすると豊かな報酬が届く――を見いだし,そこに結び付きがあるのだと,隠れた因果関係があるのだと推論したのだった。だが,推論によって導かれたこの関係は実際には因果関係ではなかった。



デイヴィッド・J・ハンド 松井信彦(訳) (2015). 「偶然」の統計学 早川書房 pp. 30-31


予言モデル

 いますでに,自己実現的な予言のモデルが3種類出てきた。第1は,一方向のプロセスである。ある集団についてある思い込みが存在し,それに従って集団に接すると,その思い込みの通りの結果になる,というケースだ。第2は,教授陣と学生のように,双方向のプロセスである。アラブ人とユダヤ人,将校と下士官などもそうだ。お互いが相手の行動や態度を予想し,その予想に基づいて互いに行動するケースである(たとえばどちらの側も,相手は好機が来れば予告なしに攻撃を仕掛けてくると考えたら,どちらも好機を逃さず予告なしに攻撃することが自衛上必要だと感じるだろう)。第3は,番犬に警察犬を選ぶ例のように,選択を伴うプロセスである。たとえば宴会の幹事をやりたがるのはおしゃべりで社交的な人だと一般に考えられていたら,幹事をしているだけでおしゃべりで社交的だとみなされる。人前で煙草を吸うのは売春婦だけだと一般に考えられていて,売春婦も含めて女性はみなそのことを知っていたら,女性は人前では喫煙しなくなる。実際にそういう時代があった。



トーマス・シェリング 村井章子(訳) (2016). ミクロ動機とマクロ行動 勁草書房 pp. 131


目的を考える方法

 同じ高さになろうとする水だとか,自分と同じ種族を守り,増やそうとする遺伝子といった具合に,意思を持たないものに「目的追求」行動を考えるやり方いは,それなりに利点がある。そこで仮定した動機は,便宜的な表現や示唆的な比喩や有用な決まり文句以上のものになって,記憶に残ることだ。ただし人間が対象の場合,比喩が比喩でなくなり,目的をめざすとか問題を解決するといったイメージに安易に結びつきやすい。このため,およそ見当違いの目的をめざしているとか,目的を知らずに行動しているとか,意識せずに目的を取り違えている,といった可能性を忘れてしまうことがある。また,人々がめざしているとされた目的が達成された場合,その満足感を過大評価してしまうこともある。



トーマス・シェリング 村井章子(訳) (2016). ミクロ動機とマクロ行動 勁草書房 pp. 13


治療行為

 思春期の頃から日常に懐疑的で,物語の中にある言葉に引っ張られ,言葉を頼りにしながらも,むしろネガティブに言葉の闇の底に沈み込むことが多かった。


 生きるということは即ち死に向かうことだと思うと,闇の底の淀みにはニューロティックな自己批評性と,それを打ち消すべき笑いが寄り添っていた。拠り所にする言葉が枯れると,新たな言葉を探して本の海をひとり泳ぎ,潜水した。


 そんな時,現実の世界で救済してくれる人と出会えたり,指針となる言葉を与えられると,漠たる闇から浮上することができた――思えばボクはずっとそういうサイクルの人生を送ってきた。


 自らの半生を省みても数々の事象が思い当たる。舞台の上やテレビで話すこと,笑わせることが本業でありながら,執筆活動も生業のひとつとなった今,ボクにとって,書くことは営みを超え,自分自身を慰撫する治療行為にもなっている。



水道橋博士 (2017). 藝人春秋2 下 死ぬのは奴らだ 文藝春秋 Kindle 3485-3486/3821.


カテゴリー錯誤

 しかし,神経科学の主張に対しては,さらに根本的な反論がある。そこに何らかのカテゴリー錯誤が含まれているというのが,批判の要点だ。カテゴリー錯誤という概念を導入した20世紀のイギリスの哲学者,ギルバート・ライルは,オックスフォード大学にやってきたアメリカ人旅行者を例にあげてそれを説明している。この旅行者は,シェルドニアン大講堂,ボドリアン図書館,学寮と中庭を見たあとで,「で,大学はどこですか?」と無邪気に聞いたというのだ。あたかも大学が物理的に別個に存在しているかのように。


 同じような考え方から,概念,選択や動機,欲望や偏見といったものを脳に帰すのは,ある種のカテゴリー錯誤だとされる。ライルはヴィトゲンシュタインの影響を受けている。神経科学者を批判する者の多くがヴィトゲンシュタイン信奉者だ。神経科学をヴィトゲンシュタイン流に批判すれば,心理的特性は脳に帰すことはできない,となる。彼らに言わせれば,心と脳は同一ではない。



デイヴィッド・エモンズ 鬼澤忍(訳) (2015). 太った男を殺しますか?「トロリー問題」が教えてくれること 太田出版 pp.220


二重システム

 ジョシュア・グリーンは当初,感情と計算が対立していると見なし,ハイトは感情と理性(さらに最近の著作では自動性/直観と理性)が対立していると見なし,ノーベル経済学賞を受けた心理学者のダニエル・カーネマンは速い思考と遅い思考が対立していると見なした。


 これら二重のシステムは相互に完全に独立していなくてもよい。したがって,ハイトが言うように感情が運転席にいるとしても,理性が運転指導教官として早い段階で介入する役目を果たしてきたのかもしれない。たとえば,先進国の大半で,人々は昔ほど同性愛を嫌悪しなくなった。よって,同性愛は間違っていると思う人も少なくなった。だが,もしかしたら理性が,同性愛は唾棄すべきものという社会規範を変える役割を多少なりとも果たしたのかもしれない。



デイヴィッド・エモンズ 鬼澤忍(訳) (2015). 太った男を殺しますか?「トロリー問題」が教えてくれること 太田出版 pp.215-216


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